はてなキーワード: 隊士とは
花守ゆみり(産屋敷ひなき)→メルセデス=フォン=マルトリッツ タニア
櫻井孝宏(冨岡義勇)→ルカ エリウッド ユリウス ブラミモンド
小西克幸(宇髄天元)→マークス ランド バヌトゥ ヒューベルト=フォン=ベストラ
坂泰斗(サイコロステーキ先輩)→フェルディナント=フォン=エーギル オーシン
七瀬彩夏(TVアニメ版『無限列車編』の第1話で登場したアニメオリジナルの女性の鬼殺隊士)→ミレディ
桑原由気(高田なほ)→エルフィ オフェリア ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリル
石見舞菜香(チュン太郎)→イングリット=ブランドル=ガラテア ギネヴィア
加隈亜衣(真菰)→フローラ エーデルガルト=フォン=フレスベルグ エフラム(幼少期)
木村昴(ムキムキねずみ)→バルタザール=フォン=アダルブレヒト ビラク
能登麻美子(嘴平琴葉)→ヘンリエッテ
置鮎龍太郎(黒死牟)→フィン
斉藤壮馬(哀絶)→シャハド
子安武人(手鬼)→ナバール ロンクー ファウダー ゼロ セーバー パント レヴィン セテス カゲツ フェーニックス
市来光弘(正一)→ドニ
水瀬いのり(ふく)→ジル・フィザット
「ピクシブ百科事典」調べ
母親は呑気に、あなたは他人には無い特別な才能があるんだから人のために生きろ、みたいなことを言う。
が、これは二重に否定されている。
第一に、父親がやる気を失くしたように、煉獄程度の才能はたいして特別ではない。
第二に、あかざや無惨が言葉や行動で示すように、特別な才能を活かす別の生き方もあって、少なくとも普通の人ならそちらの方が良い。
これらに対して、煉獄さんは、あかざの勧誘を拒否するときには自分も普通の人間に過ぎないと言い、他方、鬼殺隊士としての使命感を説くときには特別さを強調する二枚舌。
これでは、煉獄さんは死んだ母ちゃんに褒められるために生きて死んだ、みたいな印象になってしまう。
キャラの1人としてはそれもありかもしれないけれど、この点は無惨や縁壱も継承するテーマなので、もうちょっと何かありそう。
ありそうなのだけど、映画とTVで1回ずつ観た限りでは、これ以上のことはわからなかった。
蛇足だけど。
主人公の「長男だから」や、善逸と爺ちゃんの関係、虫柱周辺を見ると「誰かから期待されること」がそれなのか、という気もするけど、
それだと、天涯孤独な猪之助が可哀想だし、縁壱も説明つかなそうだし、何より俺が可哀想なので、その解釈はしない。
あと、鬼連中もなんだかんだ期待してもらえてるやつ多いし。
FB2でなんか幻覚否定されて死んで愚痴垢作って1ヶ月近く作者にキレてる人間が多くてムカついたから書くけど、不死川実弥は最初からクズだよ。
なんでファンブック第二弾を読んだだけで「今更知りました!騙されました!作者の頭どうかしてる!」みたいな顔して騒いでんの?いや単行本最初から読み直せや。
初登場からしてボスであるお館様の指示無視して禰󠄀豆子ぶっ刺してわろてるやん。
敬愛するお館様の意見すらまともに聞けないヤバい野郎です。としょっぱなからお出ししてるじゃん。
お館様よりも鬼への憎しみが勝ってしまうのは仕方ない!とかお館様の判断ミスだったらお館様がヤバいから!みたいな擁護飛んできそうだけど、普通に憎しみ優先して上司の話を聞かずに行動するやべーーーヤツ以外のなにものでもないよ。組織に属しちゃダメなタイプ。
人より鬼を殺せる強いヤツだから組織の偉い人にしてる鬼殺隊ヤバくね?みたいな意見ならまあ超わかるけどなんでまず風柱の擁護に入って他の奴らがヤバい扱いになるの?????
あとなんか弟が兄ちゃんは優しいんだ。とか死に際まで言ってるから騙されてるみたいだけど風柱が玄弥にしたことどれもこれも全然別に優しくないからね
玄弥を目潰しをしようとした時に炭治郎がお前間違ってるぞ!!!!!!と大声出して否定してたでしょ。こんなに分かりやすく作中でのこいつのやってることはやべーことです間違ってます!とキャラ使って説明してるのに愚痴垢共は何を見てるんだ??????
弟のセリフを信じて何が悪い。という声も聴こえてきそうだけど、そもそも弟は過去の兄しか知らないんだからなんの根拠にもならんじゃん。あいつ実弥に置いてかれてからろくに会ってないんだから今の兄のことなんも知らんよね??かつての兄の思い出から謎の兄像錬成してるだけだよ。
なん?なんで???なんで弟の解釈が現実に適用されると思った????
馬鹿としか思えないよ…鵜呑みにしちゃった愚痴垢の自業自得すぎるよ……………
風柱の回想だって弟をひとりで放置しといて幸せに生きていけると思ってたおめでたい頭にビックリするシーンだよ。
死んだ親友の遺書読んでだした結論が鬼は俺が近づけないから弟は知らないところで幸せになれよ!みたいな謎の決意だよ。
愚かだなあと愛しさを覚えるならわかるけどなんで「実弥やさしい………!」ってなるの??????弟を思う気持ちすら風柱に都合が良すぎる方向すぎてこれが優しさなら優しさのハードルが低くていいなあ。という感想になるくらい別に優しくないけど……
大人の保護がなければ人買いに売られたり、女に騙されて子供でも借金背負うような時代だと、善逸とカナヲ辺りでガッツリ描いてるんだから玄弥もそんな感じの生き方しかねない。と考える方が自然じゃない?でも風柱はそうは考えなかったんだよ。そこが風柱のすげーところで魅力だよ。
カナヲと胡蝶姉妹の出会いのシーンであんなに堂々と人買いが歩いてるのに風柱は生きてて一度も見たことないんか???治安悪いところを渡り歩いてた設定どうした????風柱の中の理想の玄弥は縁壱並の超人だったのかな???とか色々想像して楽しくなるとこじゃん。
それに玄弥は一夜にして目の前で母親と弟達死んでるんだよ。しかも弟殺しの犯人は母親だし兄には暴言吐いちゃってるんだよ。玄弥視点から見たらそのせいで捨てられたと思ってんだよ。
どう考えても1人で幸せになれねえよ。さねみマジでお前おめでてえな!って初めて読んだ時感心したよ。
あと弟を鬼殺隊辞めさせようとするやり方が雑。弟も鬼に家族殺されてるのに自分の弟に生きてて欲しい気持ち優先してるの自分勝手すぎてやっぱりブレない。
まあ字が書けないような教養の無さも関係して全てに対して想像力が無かったんだろうな。
どこかで妻子作って幸せに暮らしてほしい弟に目潰しするとか本当に幸せになって欲しいの??と頭を疑う行為も風柱はあの瞬間はそれが最善だと思うほど想像力がないからだよ。今まで見えてたのに突然盲目になるところだった弟のことも考えられないんだよ。謎の猫に謎の液体かけられて毒が収まった時も「なんか知らんが猫のおかげで助かったぜェ」で済ますヤツだもんな。想像力が無いと考えたら全部納得するよ。
ねずこのほっぺ撫でながら「腹減らないから寝るの好きだ!」みたいな弟のセリフ思い出して微笑めるのもそう。常に腹減らしてるのを寝て誤魔化してた上に、再会したら目の下にクマがこびりついてた死んだ弟とか普通思い出したらしんどくなるけどそうはならずに微笑めるんだよ。言葉だけをその通りに受け止めて、何故その発言になったかと考えないのも想像力がないだけだと思えば何もおかしいことはないよ。
それか弟が幸せに生きててくれないと自分の都合が悪いからあえて考えないようにしてたのかもしれない。弟ほったらかしてましたとかまあ体裁悪いもんな……カナエさんの享年が17歳のせいで逆算したら多分玄弥はどんだけ見積もっても10歳くらいの頃から1人だし本当に体裁悪いよね。弟より鬼の方が大事ですって宣言してるようなもんだしな。そりゃ弟から鬼遠ざけるために鬼を狩ってます。と思いこんだ方が都合がいいよね。稽古で平隊士を気絶するまで休憩時間毎におはぎを食べる余裕もできる。
いやまあだから風柱はだから別にいいんだよね。最初の人の話を聞かないヤベーヤツ、なぜ柱合会議をわざわざ緊急で開いたか想像できない、敬愛する上司相手でも自分の考えが第一なヤベーヤツ。他人の気持ちより俺の気持ちが一番なヤツとしてブレずに最後まで来てるんだから。
そんなヤベーーーヤツだけど実は人間らしい気持ちもちゃんとあったんだよ。でもやばいやつだから何もうまくいかなくて愛する家族相手でも結局父親みたいに暴力で押さえつけて言うこと聞かせようとしかできないんだね。だから誰も守れなかったし名誉の死もないんだね。でクズのクズ行為がクズなりに綺麗にまとまってるから風柱はそれでいいんだよ。例えやってきたことはクズでも、無惨を倒して多くの無辜の民を救ったのは事実だし。例え人間的に破綻してても風柱に救われた人は確かにいるんだよ。例え人間的にやってることが狂ってても、人の幸せを奪う鬼を滅してみんなを救ったのがキャラクターの魅力になってるじゃん。ヒロアカのエンデヴァーみたいなどうしようもないままならない人間なのが不死川実弥の魅力なんだよ。
だから風柱はそれでいいんだよ。
よくないのはお前だよお前愚痴垢だよ。何読んでたんだよ。どこの何を見て今更裏切られたとか思ってたんだよ。本当にわからないよ。私の風柱の何を見てきたんだよ。
公式より自分の理想の推しを夢見るのは別にいいんだけど、それが裏切られた時にキレ散らかして作者の人間性すら何の根拠もなく貶してる愚痴垢達は本当に消えてくれ。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、
cinefuk 『エヴァは14歳でないと動かせないんだぞ?知らんのか?』というreplyが多数ついていて、理解力の低さに呆れる。
要点としてはツイ主がどういう質問をしているのかというところで、
cinefukさん「ツイ主はメタ的な問いかけをしているんだぞ、作中の設定で答えるのは理解力のない馬鹿。」
↑これがトップなんだけど本当にそうか?
組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
だよ?
これは、私には、何回検討しても、作中設定に関するオタク話に見える。
そもそももしツイ主がcinefukさんの解釈のようなことを言いたいのであれば
「フィクションで子供を戦わせるのが不愉快」って言えばいいじゃん?
「鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、なぜ子供が戦う必要があるのか?ということ。」
とかでいいじゃん?
フラットによく読んでほしい所だけど、元ツイ主は
組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
と言っている。
これは国語的にどう読んでも、子供が戦うこと全般をリジェクトする立場の表明ではない。
作中の設定を受け止めたうえでその合理性やリアリティを問うオタク的な質問と読むほかない。
cinefukさんの主張するように、「なぜフィクションで子供を戦わせるのか(子供を戦わせるの反対)」がツイ主の問いたい(訴えたい)ことなら、
「組織的に戦士を育てて戦わせるのなら~」なんて前提全く要らないよね。
だってどういう設定やどういう前提があろうがフィクションで子供を戦わせるのに反対なんだから。
「こういう設定の場合は疑問」て言い方したら、限定的な疑義ということになる。
なのでもしもツイ主の言いたかったことがcinefukさんの主張通りなら
とっても余計な、誤解を生むしかないことを言ってるということになるし、
逆にこのtweetからあの回答をするcinefukさんは、ふつーに国語の点数低いと思う。
まとめると
ツイ主の意志がどうであってもcinefukさんの国語の点数が低いのは確定していて、
ツイ主の言いたいことがcinefukさんの解釈通りならツイ主とcinefukさんの2人の国語の点数が低いし、
ツイ主の言いたいことがcinefukさんの解釈と違うならcinefukさんだけ国語の点数が低い。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
これを設定に関するツッコミ、オタク的な質問だと解釈して鬼滅について答えると、
鬼殺隊は元々すんごい畜生組織であるということが疑問に答える重要な手掛かりになる。
子供を捨て駒みたいに鬼と戦わせてかろうじて生き延びたけど不具になった子をもう役に立たんから放り出すという凄い対鬼組織が出てくる。
プロトタイプはこの不具になった子供が義手義足に武器を仕込んだベルセルクみたいなダークハード少年が主人公で、
「これはきつすぎるのでこの世界にもっと明るい少年いないですか」って担当が水を向けて主人公だけ明るくなったっていうのが連載初期。
これは別に私がプロトタイプの印象を引きずって勝手に妄想してるんじゃなくて、作中描写に証拠があることです。
まず入隊試験がクソ過ぎるでしょ。
失格する奴は死ぬんだぜ。全員。
ああいう試験って、「剣士たりえない奴は無駄死にや足手まといになっちゃうから入れてあげません」って帰すことに意味があるでしょ。
なのにあの入隊試験は森の中に剣士志願の少年少女を鬼と一緒に数日閉じ込めて、生きて出てきた奴が合格。
主人公の代もウジャウジャいたのに5人しか合格しなかった。他全員鬼に食われて死んでるの。
何これ?
これはどう言い訳したって人の命を大事にしてないし、人の命を道具にすらしてないんのよね。純然たる無駄死に。
つまり鬼殺隊は目的のために先鋭化しすぎて人の心を失ってる組織なんです。信念に凝り固まってて命が鴻毛より軽い。ISISです。末期大日本帝国です。
ついでに言うとあの試験はサバイバル能力を試しちゃうので兵士の選抜にはいいですけど剣士の選抜になってないんですよね。
あの森で生き延びるのは、状況を見ながら逃げ隠れして体力を保ってとにかく自分が生存出来る、現代の兵士みたいな奴です。
どんなに強くても次々に鬼に挑んでいったら体力尽きたり装備がダメになったりして死にますよね。難易度設定も壊れてるし。
だから水柱の親友みたいに勇敢に鬼に立ち向かえて強くて一杯斬って弱い者を庇うという、剣士として正しい資質を持ってる奴が息切れしてやられて死んじゃう。
剣士適性のある金の卵まで潰す、下手すりゃ優先的に殺していくというとんでもない試験。
さらに柱が登場する回でも全員子供の隊士を待機違反のかどで処刑すると言って盛り上がってるわけ。
仲間であり子供である隊士にかける慈悲もためらいもなんにもなく処刑だ処刑だって盛り上がってて、
本当はもう少しじっくり話を進めるはずで、
炭治郎少年が鬼殺隊のヤバさに気付いたりぶつかりあったりして改心できる奴を改心させていくようなパートが予定されてたと思います。
御屋形様もすごい不穏なんですよ。声の特殊なゆらぎで隊士たちに安心感と心服をもたらしてる。
この御屋形様も、鬼撲滅の悲願に囚われて人の道を外れて隊士の命をコマとして見るようになっちゃってるヤベー奴だったと思います。当初設定は。
まっすぐな炭治郎少年が柱や御屋形様の異常さに気付いて頭突きで改心させたり、あるいは袂を分かったり、設定や状況見るとどうもそういう話が用意されてたのに
何らかの理由で物凄く展開を急いで、本来やれたイベントを沢山潰して話を進めてるんです。
ライブ感というか急に急ぎだした。(不謹慎な例えだけど「作者が不治の病にかかって描けるうちに描き切ることにした」とか言う事情ならとても納得する。)
どこ見てるかわからない目で子供を処刑しようとした煉獄さんは次に出てきたら人格にヤバいところなんか微塵もないナイスガイになってたし
子供が死ぬと聞いて頬を染めながらハァハァしてた胸元開けすぎサイコビッチは次に出てきたら純真少女(服は変な奴に騙されてるだけ)になってました。
「古き良き少年漫画のライブ感」だけでは説明がつかない、明らかに何らかのイベントが飛んでいるし、明らかに邪悪に歪んだ性格は元からなかったことになった。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
鬼殺隊についてこの疑問に答えるなら簡単で
鬼に家族殺された復讐者を除けば世間知の無い子供・身寄りのない子供なので
そういうのを探し回っては拾ってきて育成してるんだよ
ということです。
善逸少年は借金の肩代わりでこんなことやる羽目になっていますし
炭治郎少年は親兄弟が鬼に殺され身寄りもなくしたという理想的素材です。
こういう奴等をローティーンから育成してハイティーンでデビューさせて20代の全盛期でなるべくたくさん鬼を斬って死ね!
訓練も最終試験もかなり狂ってるし任務でみるみる消耗(身体欠損)するため、
大人になってから始めても遅いし、大人だと「この組織おかしい!」と気付いてしまうからダメなんです。
鬼滅の刃の「禰豆子」がかわいい。とんでもなくかわいくて愛おしい。このキャラクターを考案した吾峠呼世晴氏はマジの天才だ。色んな属性のヒロインが生まれては消えゆくこの時代、何故ここまで魅力的なキャラクターを作れるのだろうか?
広いおでこ、まんまるで大きな瞳、流線型の顔、ふっくらした身体にちんまりした手足、禰豆子の印象は「赤ちゃん」ないしは「小動物」である。このベビーフェイスのおかげで男女問わず、本能的に庇護欲が掻き立てられる。
そんでもって、身体の大きさが可変だ。頭身を自由にいじくることが許されているため、かわいいシーンでは幼く書き、切羽詰まったシーンでは大人っぽく描ける。デフォルメの自由さのおかげで「しっかり長女」と「おてんば妹」を使い分けられる。ずるい。そんなのアリか。
基本的に禰豆子は誰かから常に守られているキャラだ。文字通り箱入り娘と化した禰豆子は、かまぼこ隊や柱達からたくさん可愛がられている。戦闘中であろうとも、炭治郎は禰豆子を守ることに常に意識を向けている。
しかしながら、禰豆子は鬼殺隊の一般隊士より遙かに強い。血気術は使えるし、四肢を切断されても時間が経てば再生する。中身は鬼なので当然と言えば当然だが、正直、闘いの半分ぐらいは禰豆子がいなければ負けていたと言えるほどには強い。
この弱さと強さのバランスが、禰豆子を魅力的にしている。いくら禰豆子が強いとはいえ、一人で鬼に勝てるほど圧倒的な強さではない。敵の鬼のほうが人間を食っている分、当たり前に強いしガンガン追い込まれていく。そこを仲間との協力で何とか倒すのが禰豆子流戦闘術だ。
少年漫画にありがちな「守られてばかりヒロイン」でもなければ、「さすが禰豆子の姉貴」でもない。動物で例えるならチワワとドーベルマンのキメラだ。時に儚く時に逞しいのが禰豆子。ずるい。そんなのアリか。
私が禰豆子を初めて見た時、この身に衝撃が走った。12歳のロリっ子が猿ぐつわを咥えさせられている。変態の発想だ。フェティシズムとハレンチの境界ギリギリを攻めた超ラフプレー。世が世で国が国なら作者は公安にしょっぴかれているだろう。
時に、少年誌では作者の趣味や読者サービスによってキャラの露出が増える。ピチピチの服のほうが動きやすかったり、圧縮した霊圧の高さで背中の衣服が吹き飛んだりと、色んな理由をつけて肌色が増えるがそんなの建前であり、つまるところ「書きてぇ」からだ。
そして禰豆子にも猿ぐつわを咥える理由がある。鬼になっちゃったからだ。鬼になっちゃったら人間を噛むかもしれないので代わりに竹を噛んでいる。正直、鬼なら竹食い破れるから抑止力にならんだろと思うかも知れないが、そんな理由も全然アリである。それは吾峠呼世晴氏が「書きてぇ」からに他ならない。
そして令和の世の日本国において、作者の性癖は「エロい」よりも「かわいい」と見なされたのであった。
最後に、禰豆子の魅力を一番引き出していると思われる要因がこれである。
いきなりだが、自分が犬を飼っているとして、その犬がいきなり人語で会話をし始めたらどう感じるか想像してみてほしい。中には意思疎通が取れて嬉しいと感じる人もいるかもしれないが、多くの人は見た目と性格とのギャップに驚くに違いない。私達はチワワなら繊細で、ドーベルマンなら勇敢だと考えがちであるが、それは見た目としゃべらないことが原因で思い描く勘違いである。実際のところ、チワワの性格は見た目に反して勇敢であり、ドーベルマンは結構甘えん坊だ。
そう、「しゃべらないからこそ可愛い」ということは往々にしてある。鬼化した禰豆子の性格は、見た目そのままかわいい生き物としてどんどん補完していくことができる。
また、しゃべらないということは、容姿と動作に自然と目が行くことでもある。そうなれば禰豆子はもう無敵だ。容姿は守ってあげたくなる小動物フェイスであり、動作は「む~~」だったり「ヴーーッ!」だったりと変幻自在。まんまるの目で語りかけてくる甘えん坊かと思えば、拳と背中で語り掛けてくる勇敢な姉貴にも変わる。
隊士として恥を知れってことだろ
鬼滅の刃のおっぱいぶりんぶりんの愛嬌担当の柱が話題になっているので、過去に書いたものを再掲します。ごめんね。
https://togetter.com/li/1463508
自分は彼女が愛嬌だけの存在だとは思わないし、胸が大きいのもいいと思うけど、服装については思うところがあるよ〜〜
HUNTER×HUNTER休載以降、ジャンプから離れていたけれど今は鬼滅を楽しみに毎週買ってる。
キャラはみんな魅力的で好きなんだけど、戦う女の子大好きマンとしては、やはり柱の2人は推すよね。特に天真爛漫、ピンク髪の甘露寺ちゃん。他の隊士が極めて露出の少ない格好(不死川除く)なのに対して、彼女は胸元ドーン!太ももばーん!の衣装である。谷間を強調とかいうレベルじゃない。乳首が見えないのが奇跡なレベルの衣装である。
いや、なんかもう、がっかりである。甘露寺蜜璃は、ちょっとおバカで都合の良いお色気要員でしかないのだ。作者だけでなく、あの世界の全員からそういう扱いを受けている。
たしか隊服は、並の鬼の爪程度なら防げる特殊な生地で仕立ててあるはずだ。なるべく丈夫な素材で作るのは、隊士の体を守るためだから当然だ。それなのに、彼女の隊服は急所である胸と足の大部分が露出している。仮に彼女がその格好を望んだとしても、そんな衣服で戦わせていいわけないだろう。お館さまは何やってるんだ?
しかも彼女の隊服は、ゲスな隊員に騙されて仕立てられたのだ。「女子はみんなこれだから」「えっ…本当ですか?」⇨他の女子隊士は着ていませんでした…の流れ。いやあのさ…。本人が「可愛いからアレンジしました!」のが、同じ都合の良さでもだいぶマシだよ……。お色気要員鉄則その1、露出は本人の意志に反していなければならない。自分から「私の体、美しいでしょ!だから見せる!」じゃダメなんだ。恥ずかしがりながら、でも大した抵抗もなく、怒らずに肌を見せねばならない。
周りの隊士はというと、伊黒が「靴下をあげた」だそうだ。優しい。優しいが、あれだけ正義感の強い煉獄さんも、大人な悲鳴嶋さんも、お館さまでさえ、「こんな隊服を着せるなんて何を考えている?危ないじゃないか。彼女は立派な隊士だし、柱だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と彼女の心と身体を案じて制服の作り直しを命じなかった。彼女が仲間ではなく、そういうエロい人形だからだ。
一方、女子でもうひとりの柱のしのぶは、露出の多い隊服を燃やしたらしい。彼女は露出もほとんどなく、医療をたしなむ昔ながらの回復系女子。蜜璃がバラエティタレントたとしたら、しのぶは清純派女優。過剰な露出は望まれない。
ちょっとおバカで露出過多な女の子と、俺たちの理想の清純派女優(ちょっと毒舌なところもカワイイ!)。結局のところ、柱のふたりはそういう役割だ。戦隊モノのピンクにすぎない。
何度も言うけど鬼滅は本当に面白くて、続きを楽しみにしている。でも進撃の巨人がそうだったように、女子のキャラクターに防御無視した露出の多い服を着せなきゃ、キャラクターって描けないのか?
蜜璃の露出は極めて少年漫画的なラッキースケベの趣があると思う。きちんと最初は恥ずかしがりながら、その後はあっけらかんとエロい衣装で日々を過ごして「露出を強要されて可哀想な女の子」にはならない。ビッチも嫌だし、いつまでも気にして泣いたりガチで怒ったりする女も嫌。罪悪感を与えない、男性に向けて作られた人格。
鬼滅の刃のおっぱいぶりんぶりんの愛嬌担当の柱が話題になっているので、過去に書いたものを再掲します。ごめんね。
https://togetter.com/li/1463508
自分は彼女が愛嬌だけの存在だとは思わないし、胸が大きいのもいいと思うけど、服装については思うところがあるよ〜〜
HUNTER×HUNTER休載以降、ジャンプから離れていたけれど今は鬼滅を楽しみに毎週買ってる。
キャラはみんな魅力的で好きなんだけど、戦う女の子大好きマンとしては、やはり柱の2人は推すよね。特に天真爛漫、ピンク髪の甘露寺ちゃん。他の隊士が極めて露出の少ない格好(不死川除く)なのに対して、彼女は胸元ドーン!太ももばーん!の衣装である。谷間を強調とかいうレベルじゃない。乳首が見えないのが奇跡なレベルの衣装である。
いや、なんかもう、がっかりである。甘露寺蜜璃は、ちょっとおバカで都合の良いお色気要員でしかないのだ。作者だけでなく、あの世界の全員からそういう扱いを受けている。
たしか隊服は、並の鬼の爪程度なら防げる特殊な生地で仕立ててあるはずだ。なるべく丈夫な素材で作るのは、隊士の体を守るためだから当然だ。それなのに、彼女の隊服は急所である胸と足の大部分が露出している。仮に彼女がその格好を望んだとしても、そんな衣服で戦わせていいわけないだろう。お館さまは何やってるんだ?
しかも彼女の隊服は、ゲスな隊員に騙されて仕立てられたのだ。「女子はみんなこれだから」「えっ…本当ですか?」⇨他の女子隊士は着ていませんでした…の流れ。いやあのさ…。本人が「可愛いからアレンジしました!」のが、同じ都合の良さでもだいぶマシだよ……。お色気要員鉄則その1、露出は本人の意志に反していなければならない。自分から「私の体、美しいでしょ!だから見せる!」じゃダメなんだ。恥ずかしがりながら、でも大した抵抗もなく、怒らずに肌を見せねばならない。
周りの隊士はというと、伊黒が「靴下をあげた」だそうだ。優しい。優しいが、あれだけ正義感の強い煉獄さんも、大人な悲鳴嶋さんも、お館さまでさえ、「こんな隊服を着せるなんて何を考えている?危ないじゃないか。彼女は立派な隊士だし、柱だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と彼女の心と身体を案じて制服の作り直しを命じなかった。彼女が仲間ではなく、そういうエロい人形だからだ。
一方、女子でもうひとりの柱のしのぶは、露出の多い隊服を燃やしたらしい。彼女は露出もほとんどなく、医療をたしなむ昔ながらの回復系女子。蜜璃がバラエティタレントたとしたら、しのぶは清純派女優。過剰な露出は望まれない。
ちょっとおバカで露出過多な女の子と、俺たちの理想の清純派女優(ちょっと毒舌なところもカワイイ!)。結局のところ、柱のふたりはそういう役割だ。戦隊モノのピンクにすぎない。
何度も言うけど鬼滅は本当に面白くて、続きを楽しみにしている。でも進撃の巨人がそうだったように、女子のキャラクターに防御無視した露出の多い服を着せなきゃ、キャラクターって描けないのか?
蜜璃の露出は極めて少年漫画的なラッキースケベの趣があると思う。きちんと最初は恥ずかしがりながら、その後はあっけらかんとエロい衣装で日々を過ごして「露出を強要されて可哀想な女の子」にはならない。ビッチも嫌だし、いつまでも気にして泣いたりガチで怒ったりする女も嫌。罪悪感を与えない、男性に向けて作られた人格。
HUNTER×HUNTER休載以降、ジャンプから離れていたけれど今は鬼滅を楽しみに毎週買ってる。
キャラはみんな魅力的で好きなんだけど、戦う女の子大好きマンとしては、やはり柱の2人は推すよね。特に天真爛漫、ピンク髪の甘露寺ちゃん。他の隊士が極めて露出の少ない格好(不死川除く)なのに対して、彼女は胸元ドーン!太ももばーん!の衣装である。谷間を強調とかいうレベルじゃない。乳首が見えないのが奇跡なレベルの衣装である。
いや、なんかもう、がっかりである。甘露寺蜜璃は、ちょっとおバカで都合の良いお色気要員でしかないのだ。作者だけでなく、あの世界の全員からそういう扱いを受けている。
たしか隊服は、並の鬼の爪程度なら防げる特殊な生地で仕立ててあるはずだ。なるべく丈夫な素材で作るのは、隊士の体を守るためだから当然だ。それなのに、彼女の隊服は急所である胸と足の大部分が露出している。仮に彼女がその格好を望んだとしても、そんな衣服で戦わせていいわけないだろう。お館さまは何やってるんだ?
しかも彼女の隊服は、ゲスな隊員に騙されて仕立てられたのだ。「女子はみんなこれだから」「えっ…本当ですか?」⇨他の女子隊士は着ていませんでした…の流れ。いやあのさ…。本人が「可愛いからアレンジしました!」のが、同じ都合の良さでもだいぶマシだよ……。お色気要員鉄則その1、露出は本人の意志に反していなければならない。自分から「私の体、美しいでしょ!だから見せる!」じゃダメなんだ。恥ずかしがりながら、でも大した抵抗もなく、怒らずに肌を見せねばならない。
周りの隊士はというと、伊黒が「靴下をあげた」だそうだ。優しい。優しいが、あれだけ正義感の強い煉獄さんも、大人な悲鳴嶋さんも、お館さまでさえ、「こんな隊服を着せるなんて何を考えている?危ないじゃないか。彼女は立派な隊士だし、柱だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と彼女の心と身体を案じて制服の作り直しを命じなかった。彼女が仲間ではなく、そういうエロい人形だからだ。
一方、女子でもうひとりの柱のしのぶは、露出の多い隊服を燃やしたらしい。彼女は露出もほとんどなく、医療をたしなむ昔ながらの回復系女子。蜜璃がバラエティタレントたとしたら、しのぶは清純派女優。過剰な露出は望まれない。
ちょっとおバカで露出過多な女の子と、俺たちの理想の清純派女優(ちょっと毒舌なところもカワイイ!)。結局のところ、柱のふたりはそういう役割だ。戦隊モノのピンクにすぎない。
何度も言うけど鬼滅は本当に面白くて、続きを楽しみにしている。でも進撃の巨人がそうだったように、女子のキャラクターに防御無視した露出の多い服を着せなきゃ、キャラクターって描けないのか?
蜜璃の露出は極めて少年漫画的なラッキースケベの趣があると思う。きちんと最初は恥ずかしがりながら、その後はあっけらかんとエロい衣装で日々を過ごして「露出を強要されて可哀想な女の子」にはならない。ビッチも嫌だし、いつまでも気にして泣いたりガチで怒ったりする女も嫌。罪悪感を与えない、男性に向けて作られた人格。
昨日彼氏と別れた。
この元彼氏が私の初めての彼氏だったのだが、改めて彼とのやり取りを振り返ると乙女ゲームってリアルでの恋愛の役に立つんだなと感じた。
特に乙女ゲームというものはジャンルにもよるけど基本的には出会い~交際に焦点が当てられたものが多い。
私は最近の乙女ゲームはあまりプレイしていないが、パラメーターをあげて卒業式に告白をしてもらうものや新選組隊士と恋愛するもの、不思議の国に迷い込んでしまうものなど、そのあたりの時代の有名どころはだいたいプレイ、ないしは二次創作などを楽しんでいた。
乙女ゲームだけではないが、会話や行動において選択肢を選ぶことで好感度などが変動するというゲームはなんだかんだで実際の人付き合いにも応用できる。
勿論、実際には選択肢は存在せず自由に相手に話しかけることが出来るためゲームより自由度が高く難易度は上がる。
友人との会話は多岐にわたるが恋愛においてはある程度の
壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。
目次 [非表示]
1 歴史
2 境内
3 文化財
3.1 重要文化財
3.2 焼失した重要文化財
3.3 重要無形民俗文化財
4 行事
5 関連項目
6 アクセス
7 脚注
8 外部リンク
園城寺(三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。
中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生大念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。
江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。当寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。
当寺旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年(昭和37年)7月25日、放火により本堂とともに焼失した。現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものである。
現在の本堂は1970年(昭和45年)の再建である。境内には他に大念仏堂(狂言舞台、重要文化財)、近藤勇銅像、壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式の仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。
錫杖(しゃくじょう)
紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)
壬生寺大念仏堂(狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)
典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと
毎年節分と春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財に指定されている。公開は2月の節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月の体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照
壬生六斎念仏踊り
年中行事として、かつては毎年8月9日の精霊迎え火、16日の精霊送り火、23日の地蔵盆に壬生寺で上演されていたが、現在は9日にのみ実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照
地蔵盆時の出開帳
壬生寺は、地蔵菩薩を本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵の石仏を貸し出す、俗称「レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。
京都でも新興住宅地などでは地域の地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合は宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺の場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである。