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2024-03-02

キャラ幸せ勝手に決め付けるオタクたち

https://anond.hatelabo.jp/20240216163351

 

この投稿にもある通り、水星魔女界隈では「スレミオが公式だなんて認めない、スレッタはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」「ラウペトが公式だなんて認めない、ラウダはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」とキャラ幸せ勝手に決め付ける人がとても多いよね。

こういう人たちはスレッタやラウダの幸せのためと言いながら、本当はグエルのケア役をスレッタやラウダに求めているところが共通していると思う。

スレミオとラウペトの関係性の描写完璧だったとは言わないけど、自分は本編を最終回まで見て普通にスレミオとラウペトがカップルとして成立したと感じたし、スレッタはグエルよりもミオリネと、ラウダはグエルよりもペトラとの方が良い関係を築けていると思った。

グエルとスレッタの関係性にも、グエルとラウダの関係性にも、もっと言えばグエルのキャラクター自体にも、あまり魅力を感じなかった。

 

まず、グエルとスレッタの関係性について。

シーズン1のグエルのスレッタへの態度には問題がたくさんあった。けどまだストーリーの前半だったということで、ここでは詳しく言及しないことにする。

シーズン2の17話でグエルがスレッタに告白するシーンが評価されているようだけど、個人的にはそんなに良いシーンとは思えなかった。

視聴者視点ではグエルが父親を誤って死なせてしまったり地球拉致されたりと壮絶な経験したことを知っている。でもスレッタはそれを知りようがないんだよね。久しぶりに会って、その間どうしていたかもわからない人にいきなり告白されても困るだけだと思う。

グエルはスレッタに告白しないで、自分の心の中だけで恋にけじめを付けてほしかった。

 

しかもグエルはスレッタのことを大切だと言っておきながら、この後スレッタの意思を確かめことなくミオリネと共謀してスレッタからエアリアルを取り上げてしまう。そしてその結果、プロペラによるクイン・ハーバー襲撃事件が起こる。

スレッタからエアリアルを取り上げたのはミオリネの提案から、ミオリネの方により責任があるとは思う。それでも提案に乗ったグエルにも責任はあるはずなのに、襲撃事件についてミオリネばかりが落ち込んで、グエルは特に後悔している様子がなかったのはどうかと思ってしまった。

ミオリネがこの後スレッタと和解できたのはシーズン1からスレッタと過ごしてきた時間があったから、それにスレッタに対して悪かったという気持ちを示したからじゃないかな。申し訳ないけど、そのどちらもなかったグエルをスレッタが選ぶ理由はないと思う。と言うか、そもそもグエルはスレッタへの恋は諦めて恋愛よりもジェターク社を守る道を選んでいるし…

ミオリネはスレッタのことを搾取してばかりだからスレッタはミオリネよりもグエルとの方が幸せになれるはず、という意見もよくわからない。シーズン1でミオリネがスレッタの実技試験を手伝ったり、インキュベーションパーティースレッタを助けたりしたのはなかったことになっているんだろうか。

 

次にグエルとラウダの関係性について。

シーズン1の印象では、この兄弟は確かに仲は悪くないけど二人とも相手気持ちを考えずにお互いを傷つけ合っているなと思った。

ラウダはグエルのためを思ってとは言え、グエルを父であるヴィムの思惑に従わせようとする。グエルはヴィムの横暴さも悪いとは言え、ラウダの心配をよそにヴィムの言いつけを破り続け、ついには誰にも行き先を告げずに家出して行方不明になってしまう。

この二人にBL人気があることは知っていたけど、血が繋がった実の兄弟なのに「公式カップルだ、結婚だ」と言っている人たちの気持ち理解できなかった。

と言ってもこれだけすれ違っているからには、シーズン2ではこの兄弟和解するのかな?と思っていた。

 

ところが、シーズン2でもグエルとラウダはすれ違い続けた。

地球から戻ってきたグエルは、ヴィムを死なせてしまたことも、今までどうしていたのかということもラウダやジェターク寮の仲間たちに話さなかった。それに、ラウダに代わってジェターク社の新しいCEOになったグエルは会社仕事の詳しい状況をラウダや仲間たちに共有していない様子だった。

正直、実の弟や寮の仲間たちに対して冷たすぎない?と思ってしまった。ヴィムを死なせてしまたことを言いだせなかった、自分がいなかった間ラウダに苦労をかけたからもう苦労をかけたくないと思った、というのもわからなくはない。でも、ラウダも仲間たちもそんなことを望んでいないと思うんだよね。

その後、グエルは緊急だからとラウダに理由説明しないままダリルバルデを運ばせてシャディクと交戦し、結果的にではあるけどシャディクがノレア解放して学園でテロが起こり、テロに巻き込まれペトラが重体になってしまう。

 

ミオリネとグエルはスレッタに対して良かれと思ってエアリアルを取り上げたけど、それはスレッタのためにも中世界のためにもならなかった。それに加えて、グエルはラウダに対して良かれと思って会社のことを一人で引き受けたけど、それはラウダのためにも中世界のためにもならなかった。

本当に見ていてしんどい展開だった。途中まではグエルとラウダに和解してほしいと思っていたけど、もういいよ…という気持ちになってしまった。

この後、シュバルゼッテに乗ったラウダがグエルと交戦し、一応誤解が解けてグエルと和解したような展開が23話にあった。そして24話(最終回)でラウダがペトラと一緒にいてグエルからは離れていたことが、グエルとラウダのカップリングを支持していた人たちから猛烈に叩かれた。

主に「頑張って会社を立て直しているグエルから離れるなんてラウダは酷い」「あんなにブラコンだったラウダがグエルよりもペトラを選ぶなんて納得できない」という内容だったと思う。

何度も言うようだけど、二人がカップルとしてではなく、兄弟として仲良く一緒にいるエンドを期待したというのなら理解はできる。でも自分は先にラウダを突き放したのはグエルだと思う。ラウダはそれでも追いすがろうとしたけど、父を死なせたのが実はグエルだった、しかもそんな重要なことを隠されていた、となると、もう前と同じ熱量でグエルを慕い続けるのは無理があるんじゃないかな。

それにラウダとペトラ関係性について描写が不足していた(特にラウダ側からペトラへの気持ち)のは事実だと思うけど、ラウダがCEOだった時にペトラ会社でラウダを手伝っていたということは、この二人は苦しい状況を共有して一緒に乗り越えようとするくらいには信頼関係を築けていたということだよね。これはグエルとラウダの関係性よりよほど健全だと思う。

グエルからはラウダと苦しみを分かち合おうとか一緒に頑張ろうという気持ちが感じられない。ラウダはグエルに「兄さんを支える」と言ったけど、それは一方的もので、グエルの方はラウダに助けてほしいとか側にいてほしいと思っているように見えない。これならラウダがグエルと一緒にいる必然性はない。

 

 

相手に対して良かれと思ったことを相手意見を聞かずに勝手にやる」「重要なことを相手に話さない」「苦労を相手と分かち合おうとせずに一人で背負おうとする」というのは、パートナーとしては致命的だと思う。スレッタやラウダがこの状態のグエルと一緒にいて幸せになれるとは思えないし、グエル本人も幸せになれるとは思えない。

家出してバイト生活を送ったり、父を死なせてしまったり、地球拉致されたりと普通じゃない経験を色々した割にそこから何か学んだ様子もなくこの有り様? 『グエルは成長した、真の主人公だ』と言われているけど、一体どこが?」という失望感が大きい。何度も描かれたグエルの受難描写に何の意味があったのかわからなくなってしまった。

 

グエルが本編で大変な目に遭っていたのは本当だし、もっと報われてほしかった、誰か寄り添ってくれる人がいてほしかったという感想もわかる。

ただ、それにはまずグエルが相手の話をちゃんと聞いて、自分のこともちゃんと話して、相手と喜びや悲しみを分かち合えるようになる必要があると思うんだよね。

グエルとスレッタ、グエルとラウダのカップリング公式になるべきだと主張している人たちがそう言っているのを見たことがない。「グエルは大変だったんだから、グエルが何も話さなくてもスレッタ(ラウダ)がそれを察して寄り添ってケアするべきだ」と思っている。エスパーでもない限り、そんなの無理に決まっている。

 

そうは言っても、「グエルはスレッタに片思いしていたけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので振られてしまったしその後顧みられる場面もありませんでした」「グエルにはラウダという弟がいるけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので危うく弟に殺害されかけたしその後破綻はしていないながらも距離のある関係性になりました」というのは、メインキャラの顛末としてあまり後味が良くなかったのも確かだと思う。

個人的に見たかったのは、「グエルがミオリネと一緒にスレッタからエアリアルを取り上げてしまたことを謝り、失恋はしたけどスレッタの良き友人知人として味方に加わる」「地球から帰ってきたグエルがラウダや仲間たちに父・ヴィムを死なせてしまたことを打ち明け、ラウダたちもグエルにヴィムの思惑を押し付けしまっていたことを謝って和解する」というような展開。

どうしてこういう展開にしなかったのかと言えば、多分「グエルにはあくまスレミオの当て馬でいてほしかった」「ラウダがシュバルゼッテに乗る展開にするためにはグエルとラウダのすれ違いが必要だった」からなんじゃないかと思う。

水星魔女シーズン2について、キャラストーリーのために無理やり動かされているみたいで生き生きしていない、操り人形のようだ、とよく指摘されているのはこういう部分だよね。

ある意味グエルも脚本被害者で、公式サイドはキャラのグッズを売ったりして儲けたいという気があるならもう少し後味の良い結末にした方が良かったんじゃないかな。

 

それにしても、一部の過激なグエルファンたちの「グエルは今のままで完璧で変わる必要はないので周りがグエルに合わせてあげるべき、作中キャラの誰もグエルを恋愛相手に選ばなかったのはおかしい」という態度には本当に辟易している。

上にも書いたようにグエルは(特に恋愛パートナーとしては)そんなに完璧キャラじゃないし、仮に完璧キャラだったとしても作中キャラ視聴者全員から好かれるわけではない。

もし水星魔女の続編が作られたとしたら、グエルが相手ときちんと対話して一緒に頑張ることができるようなキャラになっていてほしいなと思う。もうグエルの独断専行に他のキャラたちが振り回されるところは見たくないよ。

2023-12-30

anond:20231230115925

バーバーハーバー』だったっけ、

J😆し「…なんかあの断ってるヤツや!」

😔「『イランイラン』な…」

てやりとりを思い出した

2023-12-25

水星魔女公式ガイド本の監督インタビュー、意外性・驚きに満ちていた

12月22日に発売された公式ガイドブック、The Report of 機動戦士ガンダム 水星魔女 Season2を読んだ。

電子版があったのでポチった)

個人的に、監督インタビューが最も収穫が多かった。

 

毒親もの」のつもりは無かったらしい

スレッタ・ミオリネ・グエルの親が全員毒親かつ、大河内節全開な描写が非常にキャッチーであり、

シャディクとサリウスは養子養親関係だったこともあって、「親子関係」で注目されていた水星魔女

監督インタビューによると、親子関係の辛さに限定せず敷衍して、今の人たちが抱えた様々な「生きづらさ」を重ねて見てもらい、

その「生きづらさ」の克服や救済を描きたかったのが今作らしい。

それが親子関係に「矮小化」されてしまったのは大きな反省であると言っていた。

 

監督的には、「毒親バズのガンダム」という受け取られ方は意図しないものであったらしい。

水星魔女を「毒親もの」と受け取り、生きづらい自分虐待被害者である自分、などを重ねて見ていた層は、

世代因果や大量殺人なんやかんやで子世代が肩代わりして償うようなエンディングを見せられて、

生きづらさを克服して救済されるどころか最終回後に呪詛を吐き始め、炎上していた記憶があるが、

全体的に「監督としてはそんなつもりはなかったのにそうなってしまった」という印象があるインタビューだった。

 

私刑反対」「許すことが大事」を描きたかったらしい

監督は「司法から外れた主観的正義制裁行為の横行」に対して問題意識を持っており、

シェイクスピアテンペスト」の主人公プロペローが見せた「赦し」を今作で描きたかったため、

デリングやプロペラが死をもって罪を償う終わりにはしたくなかったそうだ。

 

しかし今作の世界観は、司法制度機能していない、鎌倉時代レベル自力救済世界だ。

貧民で人体実験して殺していたペイル社のCEOは、殺人の罪で司法に裁かれることもなく自由暮らしている様子で、

特に贖罪などの描写もなく、殺されていてもおかしくなかった5号も彼女たちを赦したようだ。

(5号はベルメリアにはキレていたが、ベルメリアにそうさせているCEOにはキレるシーンすら無かったんだよなあ…)

シャディクは逮捕されたが、やっていない罪を背負って司法制度をハック(?)している。

ニカは三年服役したが、シャディガールズは無罪という、この…。

 

司法制度加害者贖罪、両方を非常に軽視したエンディングを出しておきながら、

私刑反対」とだけ言うのは、「人が何に苦しむところから私刑が生まれしまうのか」についての考えが浅すぎるのではないだろうか。

被害者加害者を許すべきという強い思想が先行しており、「自力救済蔓延を防ぎ秩序をもたらすための司法制度」という前提の欠如を感じた。

監督自身自覚があるようだが、親世代実質的勝ち逃げして、子世代がやってない罪で大きな負債を背負いながらも

世代を赦しているというのは、結構強烈な主張であると感じる。この価値観を、日5ティーン向け作品で?

 

保護責任についての独特の感覚

公式ガイドブックに載っていて驚いた記述が、ラウダはグエルに密かにコンプレックスを抱いていたのが爆発して殺しかけたというものだ。

てっきり、ペトラ危篤錯乱して、ラウダ本人も自分が何をやっているかからない状態になっていたのかと思っていたが、違ったようだ。

しかしミオリネを殺そうとしてグエルを殺そうとするのが、錯乱でなくて何だというのか…謎戦闘にもほどがあるだろ。放送時に充分に叩かれてはいたが。

また、ブルーレイの特典コメンタリーで、ラウダの襲撃は弟を放置したグエルに責任があり、グエルがダメな兄であったことを皆に謝罪する一幕があるらしい。

何を言っているのかわからない。弟に殺されかけた兄が、弟を暴れさせてしまった責任について皆に謝罪…?

思えば本編23話のフェルシーのセリフからして、弟に殺されることを受け入れたグエルに「何を死のうとしているんだ」と叱るような姿勢だったし、

一方的攻撃されてグエルが防戦していたのに「兄弟喧嘩」と認識されていたのも、違和感があったのだった。

 

監督インタビューによると、魔女とは生きづらさを抱えガンダムを用い、魔女狩りに糾弾される者であるらしい。

ジェターク兄弟の話は、あくまでラウダの生きづらさ(兄に並べないコンプレックス)に寄り添うもので、

ガンダム無しでも優れたパイロットである兄とガンダムを用いることで拮抗、「救済」されて、「健やかな精神」を手に入れて「自分の道」を歩めるようになる話だったのか。

グエルはなぜ長男というだけで次男のためにここまでやる義務を負うのか…? 令和の日本は炭治郎に呪われてないか

しかもこの価値観監督一人だけおかしいといったことはなく、本編(監督脚本)・コメンタリーガイドブック編集など公式姿勢統一されているようなのだ…。

 

シャディクが、ミオリネがクイン・ハーバーの件で報道されているのを見て「ミオリネを穢したな」と、グエルの責任であるかのように認識していることにも引っかかっていた。

マルタンがニカの連絡係疑惑についてフロント管理社に報告したことも、寮長なのにチクったマルタンの罪とみなされており、この作品姿勢理解できずにいた。

どうにも、マルタンシャディク・グエルといった「男性の長」が、他人の分まで責任を引き受けて罪を背負い謝罪すべきという、個人主義とは違う感覚公式通底して在るようだ。

ペイルCEOプロペラやミオリネは「女性の長」だが、これに当てはまらない。監督ジェンダー意識していないとは言うが、非常に引っ掛かりを覚えるエンディングだ。

 

まとめ

やっと提示された監督による答え合わせが独特すぎて、追いつけないスピードだ…というのが個人的感想だったが、

10年後20年後、古臭い価値観に満ちた作品に見えるのか、課題に対する解答の糸口となるエッセンスを持っていたのか、確認できたら」

監督言葉にあった通り、今後価値観なんてどう変わるかわからねえからなあ。

でも今は怖くて飲み込めねえわと思った。特にエラン4号・グエル・シャディクのポジションなんか、誰も引き受けたくないだろ、って。

スレミオの結婚よりも、御三家役回りのエグさに関心を持ってかれてる時点で、対象顧客じゃなかったのかもしれないが。

要するにすべては百合の背景だったんだわ。背景に固執する、奇妙な視聴者だったんだわ。

2023-11-07

ゾルラーク解釈違和感

かつての大魔法使いが編み出した人を殺す強大な魔法ゾルラークで、それが強大すぎたために人類必死研究、解明し、現代では基礎技術ひとつとなっている、

という、葬送のフリーレンの中の魔法の話

でもさ、なんかネットでは「今では陳腐化したいにしえの技術(笑」みたいな扱いになっているのがなんか違和感がある

ゾルラーク現代では「一般攻撃魔法」というくらいおそらく今の魔法使い最初に学ぶ基礎の魔法で、その基礎技術の先におそらく色々あるんだろう

まりゾルラークは「陳腐化」したわけではなく「基礎中の基礎」になったわけ

こういうのって一般的には、「ブレイクスルー」と言われることなのではないか

俺は生物屋なんだけど、我々でいうとPCRとかなのでは

今では研究室に入ってきた4年生が最初に習うような基礎中の基礎の技術PCRだけど、かつてPCR技術が開発されDNAを増幅できるようになって分子生物学革命的に進歩したわけだ

PCRなんて技術もはやだれも使わんわ笑」ではなく、卒研生が今でも最初に習う基礎技術でありながら、発展型の「定量PCR」でコロナの診断ができたり、遺伝子組み換え技術ゲノム編集技術に用いるための欲しい配列DNAを作製できるツールにもなっている

それこそがゾルラークなんでないの?


医療で言えばジェンナーが編み出した牛痘種痘というワクチン大元もそうだろう

はてなーにうけそうな情報系の知識がないので、その例えは出せないのだけど、おそらくはあるんじゃないか

インターネットの元になって今でも使われている基礎技術、みたいなやつとか、あるんじゃないの?

工業で言えば製鉄とかなのかなあ、わからん

ハーバーボッシュ法とかもそうかもしれない

陳腐化」という解釈はなんだか間違っている気がするよ

2023-10-11

水星魔女毒親経済格差をバズネタとして使った

スレッタとグエルの毒親受容

スレッタはプロペラにとって、ナディムとの間にできた第一である大事エリクトの世界を作るための鍵・道具となる

リプリチャイルド(つまりエリクトのクローンオルガノイドアーカイブだの、SF設定の説明省くのやめろ)だったわけだが、

スレッタはプロペラ所業積極的肯定して同居エンディングだった。何もツッコミを入れず全肯定したわけだ。

また、グエルもヴィムに結婚相手勝手に決められ、決闘に勝てなければ平手打ちされ、

指示に従わなければ住むところを奪われ退学させられるという経済虐待を受けていたわけだが、

事故父親を殺した自分を責め、父親との対話から逃げた自分を責め(対話を拒絶していたのは父親のほうだが…)、

ヴィムの短所について事実陳列したシャディクに怒り、父親の遺した会社を守るエンディングだった。

プロペラとヴィムの問題についてツッコミが入らず、毒親重力から離れるキャラクターが不在のまま終わったのには、悪い意味で非常に驚いた。

正直、バズりやす毒親ネタを、視聴者の興味を引くフックとして利用したようにしか思えない。

毒親をどう受容するか」という物語にしたって、被虐待の落ち込み状態から肯定状態ワープしており、間の説明がないのである

そして比較的良い養親をしていた(シャディクに対してもっと子供らしくしても良いと言っていた)サリウスは、

シャディクに利用されて裏切られ煽られる。血縁を賛美して養子を貶したかったのだろうか。

 

ウテナ要素の中途半端サンプリング

ミオリネはデリングに文句を言っていたので、ホルダー結婚制度トロフィー扱いを否定するのかと思っていた。

しかしホルダーになるための戦いに挑まないシャディクに対して不満を抱き、

2期では「意味不明なフェンシングによりホルダーの白制服に戻ったスレッタ」をミオリネは受け入れた。

これはシャディクが決闘しなかったから振られた、決闘に負けたから振られた、というホルダー制度追認なのか?

結局、ミオリネにとってグエルはタイプではなく、シャディクかスレッタなら好みであり、

「好みの人間が勝てばOK」という、父親のホルダー制度追認と個人的好き嫌いの良いところ取りをしたように見える。

これが初期のウテナオマージュに対する中途半端なアンサーになっており、

ミオリネを同性をエンパワメントする女性キャラとして描き切れず、強い言葉でむやみに他人非難するだけの半端者にしてしまった。

 

まれが貧しいほうが泣き寝入り

プロペラによるクインハーバーアーシアン大量虐殺について、

地球まれ戦災孤児シャディクが罪を被るという謎のエンディングを迎えた。

また、スレッタの初恋は4号だったはずだが、4号がペイル社CEO消耗品扱いされて死んでいったことについて

5号から聞かされて知ったあとも、スレッタは主体的アクションを全く起こさないまま終わった。

強化人士を研究のための消耗品扱いして死なせていくのはアド・ステラ世界では罪にならないのだろうか?

5号もスレッタも4号の末路を知りながら「何もしなかった」ためにCEOらはシャバに放流されていると考えるのが自然だろう。

連絡係として使われたニカが自首して服役、地球寮を殺しかけたラウダは無罪

シャディクがプロペラの罪まで被って服役、強化人士を殺していたペイル社CEOは呑気にお茶しており無罪

未来に進むための清算適当すぎやしないか

 

シャディクとラウダが視聴者に叩かれ、御曹司が持ち上げられるグロテスク

シャディクとシャディガールズの過去編はストーリー絶対必要だったと思うが、やらなかったことが不思議で仕方ない。

シャディクのような子供たちを犠牲にした金で育ったグエル(もっとも本人はそれを知らされていなかったのだが)が褒めそやされ、シャディクが批判されるというグロテスク光景が生まれしまった。

現実を知らなかったグエルやミオリネに罪はあるか否かという議論が生まれることにこそ作品の意義があると思うのだが…

「グエルは最高、それに比べてシャディクやラウダは最低」というような感想に対して反論する材料が本編内に不足しているのは、作品として深みがなく失敗ではないか?と思う。

https://anond.hatelabo.jp/20231010204339

この投稿に完全に同意する。

 

水星脚本批判者が「同性愛差別者」と叩かれるノリ

水星魔女について納得できない点をツイートすると「同性婚に反対している差別主義者」「保守右翼」「日本会議」と断定されたり、

エラスレ・グエスレ・シャディミオなどのカップリング二次創作を作ったり読んだりしていたのに

そうした性愛関係妄想が本編に否定されてアンチ化したのだろうと断定され、引用RTスクショ集団攻撃を受ける状態になっていた。

実際、支離滅裂な本編批判ツイートを見かけてbioを見るとやれグエスレだのラウグエだのと書かれていたから、

水星魔女批判者の一定数は「ただ本編が思ったとおりのカップリングにならずにキレている恋愛依存症のカプ厨である」というのは事実だろう。

しか批判者の全員がカプ厨であるというのは、まったくもって事実ではない。

最近になってようやく「カプ厨目線ではない批判」が可能になった。

それくらい水星魔女視聴者界隈はスレミオだの、グエスレだの、ラウグエだのによって荒らされていた。

毒親トロフィー扱いされた女性の自立、経済格差・一方的搾取構造差別といったテーマが、

「バズネタ」として表面的に取り扱われ、着地についてはろくな説明もなく放り投げられた作品から

居着いたのは結局、絵に性欲を抱いているカップリング厨ばかりだった。

 

https://anond.hatelabo.jp/20231010034423

2023-10-08

人間相手の「勝ち負け」ってつまんなくね?

結局は「どっちかがより弱かった」でオチがつくわけじゃん。

なーんか盛り上がらんよね。

自然相手の勝ち負け、偶然相手の勝ち負けの方がコンテンツとして上だと思う。

なんで皆して人間相手に勝ち負け決めたがるのかね。

ノーベル賞みたいな十年数十年単位で列に並ぶこともあるタイプの賞ならともかく、年度ごとに順位決まっちゃうタイプはつくづくそう思う。

たまたまその年レベルが低かっただけで優勝した奴と、レベルが低い年に2位だった奴がいて、それでレベルが低いお山で大賞になった奴の方が有名になるのって違和感があるんだよな。

鳥なき里の蝙蝠でしかねーだろっていうかさ。

そういう風に考えていくと対人における勝ち負けってそんな面白いもんじゃね―気がしてくるわけよ。

子供の頃は誰が人類最強かみたいなの興味あったけどさ。結局そういうのってそういうので盛り上がれる土俵を作った奴の方がえらくねっていうことに気づいたわけ。自動車発明されてなかった世界アイルトン・セナは単に反射神経が凄いだけの人でしかなかったわけじゃん?

そうやって考えていくと、プレイヤーパイロットってのは当たられたゲームの中でテッペン取っただけの人で、本当に凄いのは創作者だったり、創作するだけの余力を社会提供した発明家達じゃねっていう。

ハーバーボッシュ法のない世界じゃ皆テレビなんて見ないで必死に桑振るってるよ

2023-09-25

カラダに良くないモノとしての「化学物質」みたいな言い回しがあるけど、化学物質でない物質って存在するんですか。って思う。ダークマターとか?いやニュアンスと言うか言いたいことは全然分かるけど。いわゆる「自然」っぽくないモノみたいな。

でも劇薬製造してる工場だってからはポップしない訳で、全ては自然由来でしょって。

人の手が入った不自然さに対して抱くイヤさを表す端的な言葉として化学的とか人工的みたいな言葉が使われてると思う。

じゃあステーキ肉を焼くのは加工ではないんですか、そもそも精肉をするのだって加工じゃないんですか。豆腐を作り出すのだって立派な化学的加工ではないんですか、って話で。

加工の中でも、とりわけ自分に身近な感じの事にはなんとなく安心感を覚えるんじゃないと思う。同時に特性のよく分からん薬品が使われる食品製造みたいに、自分の持ち得る知識ではしっかりと感覚レベル理解出来ないもの不安を覚えるんじゃないかと思う。

最先端のもの技術にばかり嫌悪感を抱くかと言ったら、そういう事でも無いと思う。ハーバーボッシュだって大分歴史のあるものだろうけど、それでもそのよく分からんけどケミカルな感じに対して抱く嫌悪感味の素を嫌う人の感覚に近いんじゃないかと思う。

ちょっとしたリテラシーレベルを超えた化学工学の知識を誰もが持ってるかと言ったらそんな訳はなくて、

それ自体はごく普通のことだと思う。

そういった知識を「常識」だと思うのはそれはそれで了見が狭すぎる。中学高校テストを100点取れる大人が何人いるかって話だし、当の中高生だってうそう取れちゃいない。高校レベルの内容をマスターしてれば立派な教養人だ。

でも理解出来ないからと言って、市販食品の全てを疑って拒んでたら餓死する。それか、別の安心感にすがる。トーシロでも納得のいく、それっぽい理屈が語られたエセ科学とか。

そういので多少ボッタクリの品を売られようが、本人がそれで納得や安心を得られるならまあそれで別にいいと思うけどね。

森羅万象に対して然るべき知識をしっかり身に着けようと思ったって、せっかくの人生趣味に興じる暇もなくなってしまう。

加工食品健康に悪いかもしれないし、悪くないかもしれない。悪いと言ったって誤差レベルかもしれないし、安全と言っても度を超えれば健康を害するかもしれない。短期的にでも健康被害無視できないような激ヤバな製品はやたらめったら出回るもんではない。

よろしくないモンが身体に蓄積されるのは気持ち悪いけど、死んで灰になれば排出できる。

まあアスベストがどうとかあったから、全てに安心しきるというのも呑気かもしれない。

その辺はもう知識というより、常識的な感覚しか呼べないようなバランス感が大事なんだろうなって思う。

2023-06-05

anond:20230605115824

頭脳労働人口増の制約条件になってるのは事実と思う。

ハーバー法が栄養窒素)の制約を取っ払って人口10億人オーダーで増やしてエネルギー支配的制約に変えたけど、今は頭脳労働の量が制約になってんのよね。

2023-04-01

イルカはいるか?

ヨットハーバーの先まで来てみたんだが、声は聞こえない。

船長からの指示なのか?

船に乗って目の前でクジラフリーズしそうになったのを、

ずっと見守ってようやく気付いた。おっさんのフィンがバタついた音。

イルカは居なかった。

するとまたもや船長から電話が入り、

探しているのがクジラだとクレームをつけた。

おっさんと二人して船中でウロウロしていた。

船長は気付いたのか、慌てて急いで

Anond AI作成

2023-03-20

anond:20230312014716

レスブコメてたくさん教えていただいて感謝しま

元町の霧笛楼は分かる!けどレストランに行った帰りに買うかどうかとしてしか認識してなかった。

十番館とかありあけとか、知ってた気もするけど、藤沢の宝製菓ほど知ってたかというと、観光地お土産物屋さんくらいの認識しかなかったような……

桜木町石川町関内エリア周辺で、みなとみらい中華街元町本牧馬車道伊勢崎町野毛中村橋黄金町なんかが、横浜市民としては地元高校周辺以外の地名として聞いて知ってるとこだと思うんだけど(ズーラシアとかシーパラとかの施設や、交通情報名前だけ聞く笠間十字路とか除く)、「足を伸ばしてでもこの店」というのはあっても、「デパート地下街で買えるお土産」となると決定打がないような……

そのなかでは「ハーバー」が頭抜けてるんだなというのは知れてよかった。早速買ってみたんだけど、お土産感高い上に、包装された箱買いじゃなく一個ずつも買えて、しかも一個が大きくておやつとして満足感高いなって思った

吉村家ラーメンセットは思いつかなかったので、「なるほど!」ってなった

あと、「NEWoMan横浜6階の2416マーケットで「旅するコンフィチュール」」とか、中華街のお店の月餅以外のお菓子とか調味料とか中華まんとか、レス以外にブコメでも色々教えてもらって嬉しかった。帰省したとき自分も買おうと思った

鎌倉でもいいじゃん、横浜鎌倉区別できるわけねーから鳩サブレーにしとけばいいじゃん」という意見も多くて、なるほどと思った

2023-03-13

anond:20230312020154

かにハーバーお土産としては頭ひとつ抜けてる気がする

ちょっと位置けがブルボン的なというか、横浜でなくてもというか、地味な印象あったんだけど、考え直すと、御遣い物でない自宅用で考えても、個包装で量があって満足感が高いのが良い気がする

2023-02-28

リッツハーバーメガネが変だったので

調べてみたらフィンチ型メガネというらしい。日本語だと鼻眼鏡。なんだか鼻マスクみたい。フィンチと訊いて思い出すのはダーウィン進化論ガラパゴス諸島の鳥で、食性によって嘴の形が違うアレ。まあどうでもいい話ですね。

2023-02-24

横浜民はありあけハーバーを食べないでください

2023-02-12

anond:20230212144905

ハーバーボッシュ法で食料不足限界突破したのが人類やで。

 

ちょっと検索したけど、なろう系でハーバーボッシュ法やってる転生者あんまりいねーな。

「食料を創る」じゃなく「食物を育てるための肥料を創る」ので年単位待たないと成果が得られんところが地味だからか。

2023-01-28

[]新GeoGuessr日記3

無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限

1問目

大きくて白くて四角い建物がある敷地内。倉庫工場かな。

出てみると「Beach Cities RV STORAGE」っていう看板があった。

他にもクソでかいショッピングモールみたいなのが建ち並んでいる。

まあアメリカだよなたぶん。道路名は「Harbor Bl」。

道路名標識に小さく「Costa Mesa」って書いてある。街の名前かな。

なんとなくフロリダとかカリフォルニアみたいな南部の海沿いの雰囲気

道路標識に「San Diegoとある高速道路405号。しか地図を見るとサンディエゴの周辺に405号は無いな。

ロサンゼルスに近いあたりにコスタメサを見つけた。ハーバーブルーバードを辿って適当なところで回答。

誤差は100m。5000ptだった。

2問目

なんもない平野道路だけ通ってる。こういうパターンほんと嫌だな。

かなり進んで小さな町に到着。

看板言語中南米っぽい。ウェブサイトドメインが「ar」だからアルゼンチンかな。

町中の道路標識がこんな錆び錆びで読めないのすごいな。

うーん、初期地点がひどいのでたぶん正確な地点はわからんのだよな。

いくつかわかる地名(Cordoba・Rio Tercero・Hernando)からするとこのあたりかな、というところで回答。

誤差16kmで4946ptだった。意外に外してなかったな。

3問目

大きな道路道路脇に建物があって巨大な電子看板がある。

パーキングエリアっぽい感じだけど何故か道路とつながってないな。どうやって行くんだろ。

道路の番号は422。このワッペンみたいなデザインアメリカ国道だな。

北西に向かって進んでいくと「Sanatoga」という案内が。

南東に向かって進んでいくと「Linfield」という案内が。

なんかやたら自動車店が多いな。トヨタスバルホンダジープヒュンダイ

アメリカ自動車と言えばデトロイト…と思ったら本当にデトロイトの近くで422番を見つけた。

そこからずっと南に辿っていってフィラデルフィアのあたりでサナトガやリンフィールド発見

回答して誤差は600m。4998ptだった。

4問目

また広めの道路。だが周囲は木々に囲まれていて市街地からは離れているようだ。

標識「23」「Queanbeyan」「Cooma」などとある

この盾みたいな番号の書き方はカナダじゃなかったっけ。と思ったけどオーストラリアかもしれん。

カナダは右側走行オーストラリアは左側走行だっけ。ここは左側走行だなあ。

と思っていたら看板に「Canberra」とあったのでオーストラリアだ。

Queanbeyanも発見。でもCoomaはかなり離れている。距離感覚がわからん

「Adelaide Ave」という道路を探してみるとキャンベラのど真ん中にある。

これ、オーストラリア国会議事堂って森の中にあるんだな。

それで「街から遠い」と勘違いしただけで、むしろ街の中心だったわけか。

誤差15m。5000ptだった。

5問目

さな町。壁は薄汚れ、道路はひび割れている。

キリル文字が見える。キリル文字からないんだよなあ。

看板に「Килифарево」と書いてある。

Google Mapの他の地名表記から考えるに「Kilifarevo キリファレヴォ」みたいな読み方のはず。

標識に「Гурково」「Я∧ово」と書いてあり、おそらく地名だろう。

「Гурково」は「Gurkovo グルコヴォ」という感じか。

「Я∧ово」は…「∧」が「л」のことだとしたら「Yalovo ヤロヴォ」?

って下の看板にまんま「YALOVO」って書いてあるな。

ワイナリー」と書いてあるからそんな寒冷な地域ではないのか。

とはいえロシアは広大なので当てずっぽうにならざるを得ない。

ロシア以外の可能性? わからん

というわけでロシア南西部ウクライナとの国境付近で回答してみた。

ブルガリアだった。ブルガリアってキリル文字使ってんのね。

誤差は1253km。2159pt。致命傷は避けたか

結果

トータルスコアは22103ptだった。

2022-11-07

虹(ニジ)と、ヘビと、ウナギの話

 この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。

 今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。

 その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩ランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホ画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象天体に関心を持ってくれたら嬉しい。

 ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称区別がある。

 漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。

 甲骨文字占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。

 残念ながら、私のデバイス文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。

 虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。

 「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。

 日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。

 例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。

 太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。

 若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである

 少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。

 新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。

 虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである

 長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことからネフスキー湖沼支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究から否定されたようであるしかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキー見方は意外に悪くないと思える。

 ネフスキーと同じ頃の時代宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。

 この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。

 とはいえ現代人の感覚から見れば、特に生物学動物分類学知識を通じて見れば、ヘビとウナギ同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。

 昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田落雷があれば、その場所注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。

 東北地方には、落雷のあった稲田神聖視する風習存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。

 この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田ウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。

 今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子状態存在しているため、そのままで植物栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法確立し、窒素肥料大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。

 最後になるが、もしも『ナギ系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガからその名が付けられたのか。

 妄想は尽きない。

【参考文献】小島瓔禮・編著『蛇の宇宙誌』(東京美術)

 今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。

栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545

2022-07-17

anond:20220717181854

う~んこれ本当に山上か?

統一教会への恨みは見て取れるけど、安倍個人への恨み、統一教会への関係性についてほとんど語られてない

関係ありそうなのといえばハーバービジネスオンライン引用https://twitter.com/333_hill/status/1325739081024724993)だけど、

これを引用するからにはこそから安倍統一教会を広めたんだ」、と続くのかと思いきやそんなこともない

「アベも同じ極右民族主義者だから世界の敵ではないか」という御仁もおられるだろうが、統一教会比較してはいけない。

https://twitter.com/333_hill/status/1183410102457389057

って言ってるのもあるし

 

これが本当に山上本人だとしたら、やっぱり安倍に恨みはないけど一番効果的な方法を考えたうえでの”テロ”だったんだな、って感じがする

 

追記

テロ定義URL省略)少なくとも政治目的ではないが。

それの答弁を見ればわかると思いますが、政府見解

テロリズム」とは、一般には、特定主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。

法令趣旨目的等により、同一の用語について法令ごとに異なる定義がされることもあり得ると考えられる。

と言っている通りで、政治目的でないかテロでない、とはなりません。

2022-07-14

パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素リンカリウム肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素供給する化学肥料大量生産可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭空気からパンを作る方法とも称された[5]。

化学肥料誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困飢餓に悩まされていた(マルサス人口論)[13]。

しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素化学肥料誕生や、過リン石灰によるリン化学肥料誕生により、ヨーロッパアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫感染も避けられるようになった。

ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸大量生産可能したことから平時には肥料を、戦時には火薬空気から作るとも形容された。硝石鉱床が無い国でも国内火薬生産可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内調達できた(火薬爆薬を参照)。

本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中農地生態系供給され、世界人口は急速に増加した。現在では地球生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。

ハーバーは本法の業績により、1918年ノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュ実用化の業績により、1931年ノーベル化学賞を受賞している。

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