はてなキーワード: ディテールとは
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例の問題はこれ
仲の良い男女8人が旅行をしておりました。
女5人、男3人が2人部屋4つに別れ、女2人部屋が2つ、男2人部屋が1つ、男女の部屋が1つできました。
各々が部屋に入り落ち着いたころ、仲居さんが部屋を訪ねました。
この問題を解説するために、男女や部屋ではなく、箱に赤い球と青い球を入れる類題に変換する。
変換したパターンは以下の2題
問1
赤玉5個と青玉3個を、2個ずつ4つの箱に入れました、赤玉2個が2箱、青玉2個が1箱、赤玉と青玉1つずつが1箱です。
ある箱から取った球が赤玉だった時もう一方の球が青玉である確率は?
答え1
これは1/5
問2
赤玉5個と青玉3個を、2個ずつ4つの箱に入れました、赤玉2個が2箱、青玉2個が1箱、赤玉と青玉1つずつが1箱です。
この4個の箱のうち、箱Aには必ず1つ以上赤玉が入っています、箱Aの赤玉が1個である確率は?
答え2
これは1/3
要するにこれ、
この文章をどう解釈するかによって問1と考える人と問2と考える人に別れるということ。
この問題が問1であるためには、「全ての部屋、全ての人が同様に返答する可能性があり、その確率は全て等しい」という前提が必要になる。
その前提を踏まえると元の問題の通り、部屋の中から聞こえる声は8パターンあり、そのうち3つの可能性が消せた、という話になるため答えが1/5となる。
が、
男性や他の部屋の女性が「今手が離せないからあなたが開けてー」と言っていた世界線と今回の女性が発言した世界線が同一の確率で起きた事象と考えることが妥当なのか?と思うと、そんなはずはない。
登場人物8名すべてが「今手が離せないからあなたが開けてー」という可能性が等しくあったとは考えられない。
とすればこれは、「部屋の中の少なくとも1名が女性であることが分かった」以上の情報を持たせてはいけないのでは、という解釈になる。
つまりだ。
この問題は、「無作為にピックアップした人が女性でした」で終わればそれでよいところを、必要以上の詳細なハプニングを書いてしまったため、「無作為なピックアップと考えるのは無理がある」という解釈を発生させてしまったところに問題がある。
要するに悪問なのだよ。
まとめ中にも「こんなにも同様に確からしさが感じられない問題はじめて見ました」ってツイートがあるが、そこが本当に問題。
解答の説明に「この女性が5人のうち誰かは同様に確からしい」と書いてあるけど、全ての女性が同様に声を発するという前提がない限り「どのパターンも同様に確からし」くないからね。
「部屋を開けて1人を見ました」と意味が変わってくる。
検出によるバイアスに疑念が生じるほどのディテールを書くと数学では悪問になる。
そこの前提の確率を確定させられないなら、問2パターンと解釈して答えは1/3と答えるしかないよね。
ディテールが甘い
30にもなって、「これ教えたかな?」なんて事が段階的に発生する職分?
ないわ
学校みたいに、進んだことをやってしまった、なんてないんだから
通常は、繋がってる全体像を教わるし、その中でここをやってもらう、となる
ツールの使い方や、社内の手続きみたいなのはあるかもしれんが、そういうのは「え!?あれ!?これまだ教えてなかったっけ!?」という類いのものではない
そういうセリフが出てくる事もあるかもしれんが、それらは単に知ってるか知らないかというだけのことであって、能力に左右されない
しかし、仕事ではそういうことは普通発生しないし、逆に言えば「教えられないと」動けないような明確な職分の仕分けを日本はしない
主にK-POPリスナー層からバカにされたり、揶揄されているようなので、ひと言。
これは今年1月のミン・ヒジンの韓国語のインタビューなのだけど。
http://m.cine21.com/news/view/?mag_id=101903
ここにこういうフレーズがある(自動翻訳なので、大意が違っていたら申し訳ないが)。
『曲制作において何より私が重要に考えるポイントがある。例えば、メロディー展開方式や歌唱のスタイルなど。個人的に既存のKポップが志向してきたやや典型的なメロディ展開方式や歌唱スタイルなどに激しい拒否感があった。高音の必須パーツや突然登場するぎこちないラップ、私には一律に感じられる創法など。もちろん、これらの要素に惹かれ好む意見も尊重する。ただ、私は拒否感が大きかったので、そのような要素を制限結果が世に登場することを望み、そのようなディテールをコントロールするために制作全般を総括することになった。』
つまりざっくりいうと、いわゆる従来のK-POPのサウンドを「拒否」しているところから、NewJeansは始まっている。
ゆえに今までのK-POPを聴いてこなかった層が、急にNewJeansを聴きだしたとしても、何ら不思議ではないと思う。
むしろ「韓国人がやってるから、全部K-POP」と言われたら、納得するけど、音を聴いてK-POPだと思っているのなら、それもまたミン・ヒジンに失礼ではないか?
(もしくは聴き分けられていないか)
男を騙るテキストの特徴
まず最初に言いたいんだけど
俺は何かを騙るとか逆にそういうのを見抜くとかに関してならはてなの誰よりもぶっちぎりで上手い。
勝手にそう言ってるんじゃなくて、
俺が増田にあらゆるプロフィールで書いた七色の作り話において、本気でやった時に見破られたことは全くない。
わざとヒントを残しておくとたまーにポソッと見抜いてる人がいるけど誰にも注目されてない。
そもそもネット草創期にはそういう騙りとか看破とか荒らしとかの技術が滅茶苦茶発達した後に滅びたんだけど、
俺はその道の才能があったうえにガキの頃から好き好んで努力した。掲示板を荒らすのだけでも10年くらいやったから。
ネームバリューとか専門知識とかに頼らず純粋に文字で扇動するとかに関してなら
ひろゆきや切り込み隊長(なんでこのセットなのかというとそう言うところが発祥の技術だから)よりは俺の方が技術がある。
女が男を騙る時に暴力的な表現を採用するってのはそんなに多くない。そんなにって言うかまず無い。
なんでかまでは知らんけど、沢山観察してりゃこれはわかる。
女は男を騙る時に暴力とか露悪を採用することはほぼないし、それは賢明。
ちなみに男でも暴力表現は結構その人物が分かっちゃうところで、
喧嘩とかどれぐらいしたことあるか、いま肉体的な活動をどれぐらいしてるか、結構わかる。
喧嘩も運動もしたことないモヤシくんはちゃんとそうだとわかる。
だからそこで騙ろうとするのは相当愚かだし、女はそれはほぼやらない。
あと「はっ倒す」も流行りとしては結構古い言葉遣いで、俺の親父が好きなビートたけしの語彙を俺が気に入ってわざと現代まで使ってるのよ。
その相当変な語彙を、女が男を騙る時に採用するかあ?
俺なら「まずないな」って思うね。
妙に古くて気になる。ノリが昔のテキストサイトっぽい。
つーか、君は本当に答え合わせ付きでその手法で女の騙りを見抜いたことあるか?
無いと思うんだよな。
それ以前にさして日頃からそういうことに神経向けて文を読んだりしてないと思う。
「露悪的だから女だ」っていうの、いま思いついたんじゃね?
基地外じゃねーかこのまま喋ってたら。
俺の文章は普通の男のリズムとは違うと思うけど(だって書いてる量が100倍1000倍違う)
それは女だと言える根拠には全くならないだろ。
また口語のリズムなんて年齢や社会階層やクラスタや地域で全然違うからもっと広くいろんな人間の輪に入れ。
つーか君は本当に答え合わせ付きでその手法で女の騙りを見抜(略)
いやむしろ君の並べた中ではこれが一番強い。最もマシ。
他のは正直滅茶苦茶だけど、これはちょっと傾向としてはある。
君のプロファイリング法で加点がつくのはここ。
まず文中にも書いてるように俺にいまいち確信が無いから「みんなの意見はどう?」って聞きたいからなのと、
何よりこんな内容で実例として画像挙げてるわけだから、作者2人に対して悪いじゃん?
俺は俺の感想は自由な論評だと思ってるから別に引け目も反省もねーんだけど
別に各作品を攻撃したいとか各作者に嫌な思いさせたいわけじゃねーわけよ。
「これこれこういう理由で俺にとってnot for meで、こうなってる理由は①②③かと推理するけどどう?」
っていうのをただ提唱して人の意見を聞きたかっただけだけども、
その為には実例挙げるのは不可避だから画像は引用させてもらったわけ。
俺俺使いすぎ
あの文章で俺が俺がって強調してるのは「俺のお気持ちは」「俺の感じたところでは」だからだよ。
そこをあくまで「俺が」と断らないと実例に上げた作品自体がダサキモいみたいな主張になっていくだろ。
この文章でも俺の考えだよってわざわざ何度も断る意味でオレオレって言ってる。
「それはお前の感想だろ!」っていう意味不明な”反論”すげー来るんだぜ。今でも。
想像できないと思うけど男の一人称問題は大なり小なりデリケートな問題で実際もうちょい扱いが慎重になる。使い方が雑なので違和感がある。
えー
こんな文章では毎回変えるわ。
そろそろリアルとネットの区別をつけてほしいというか、君はあまりネットに慣れていないのか?
もっと偉そうなこと言えば、俺ははてな民みんなから賛同を受ける文なんか幾らでも書けるわけよ。
彼等の観念のちょい上の洞察を提示しながら漫画を否定するだけ。出来る出来る。簡単簡単。
でもこの場合にそれをやって満場一致で「そうだな!この漫画キモい!」ってなったらそれこそ作者に対して酷いだろ。
俺のほうも別の脳による考察や反論が欲しくて書いてんだから同調されても書いた意味がなくなる。
だからもうはっきり言っちゃうと、不同意や反論を誘うような書き方をしてんの。
ねっ?ねっ?そうだよね?って。
曖昧な根拠の怪しい主張をこれぐらいのプッシュ度で書くと沢山反論がもらえるんだよ。
反論沢山きたろ?
おれにはマジでキモいとしか思えないあの男(どのエピソード見ても仕草や表情や思考の一つ一つが俺には癇に障る)が
あどけない可愛さだと言ってるブクマカが結構いて、それもどうも女ブクマカに多い。なお作者もたぶん女。
「うえー、マジかー」って思ったけどこういうコメント貰えたから書いた甲斐があるわけ。
自分に同意してるブコメより不同意のブコメと会話する方が楽しいだろ。
俺のそういう配慮の結果のこの弱弱しいふにゃふにゃした書き方を
「同意を求めている!女だー!」っていうのはまー弱くね?
君の根拠の中では一番強いけども。
ただ女はリアルでは同意を求めてくる傾向あるけど文章だと必ずしもそうでもない。
そもそもなんか君は付き合いのある男の階層というか学歴というか何かが偏っているというか
相当狭い「常識」「相場」を築き上げてしまっているように見える。
俺もインターネット戦士時代に身に着けた「相場」観は持ってるけど
それは君の何百倍も観察して努力して培っているしそんな直観だけで何か看破するってことはしない。
君のはなんらかの分析や洞察ではなく「僕の付き合いのある狭い範囲の男のリアルの振る舞いと違う」と言ってるだけ。
ぶっちゃけ俺が漫画の感想をボケ―っと書くと「女だ」って言われることすげー多い。
コンテンツを見る場面においては心が女なのかもしれん。
漫画も女作家のものの方が好きなんだよね。それははっきり自覚ある。
だってラブコメとかもさあ、男性作家が書いてるともう考えてること全部わかるのよ。
もうここまで来たら遠慮せずに具体例まで書かせてもらっちゃうけど、
山本崇一朗の漫画全て、絵は可愛いけどキャラは全く面白くないわけ。俺には。
全部わかるし意外性皆無だし、なんなら自分で描いた話を自分で読んでるレベルのつまんなさがある。
そこへ行くと女性作家が描いてる恋愛とか女キャラは、どうしても俺の発想や感性の外だなって部分が出てくる。
それが面白い。踏み込んだ言い方をすればリアルの恋愛に似てる。
異質感や他者感。
男が描いてる女キャラは俺には見え透いちゃうから面白くねーのよな。
で少女漫画は本物のマニアと比べれば全然読んでないけど、まあ読んでる。
「うるわしの宵の月」は絵の良さの方が大きいけど、男キャラも女キャラも女が描いてるものの方が俺には面白い。
(で、俺が男を騙ってる女なら、「うるわしの宵の月」の話なんかすると思う?
よほど不用心なマヌケじゃなきゃ出さないだろこんなタイトルを。つか少女漫画全般を。)
ブコメに出てきた「君に届け」は風早君がそこまで理想的じゃないダサいところのある高校生男子って趣向だったと思うけど
「直で告白してこない女はNG」とかのあいつの心の狭さが俺には嫌だった。
どうでもいいことで相手の心を否定的に深掘りして道義的な大減点ポイントとして裁いて気持ちよくなる心理。
男にもそういう奴いねーとは言わないけどやや女に多い。
どっちにしろ断る癖にそういう風に相手を責めるようなこと言い出す風早嫌なやつやなーってすげーカチンときた。
それぐらいのことは鷹揚に受け止めるのが男であって、
風早があんなコセコセしたやつなのはキツい。俺もうとにかくあいつ嫌い。
正直「君に届け」は面白いとこまで限定でもそこまで名作とは思えねーわ。
俺の得意分野だから「その見抜き方はちょっとどうかと思う」ってことを説明したくてグチャグチャ書いたけど
俺の書いたものに色んな反論してくれたり、人物像まで推理してくれてちゃんと文にして主張してくれたり、
そういうの全部歓迎だし有難いと思ってるよ。
俺むかーし特定作品を褒めたらガバガバ根拠で「これは作者だ」とか言うクソ推理を披露されたことあって
んなわけねーのがわかるような文を書いたうえでギタギタにバカにして罵った記憶があるけど
俺が男だとか女だとかは誰の迷惑にもなんねーもんな。
あと余談だけど
作者の性別を気にするとすぐ「偏見だ」「性差別だ」「そんなこと気にするな」みたいなこと言ってくる奴いるんだけど
いや女性作家の作品の方が面白い可能性高いんだから俺にとって作者の性別は重要なのよ。
実際性別が違えば見てきたものも思考も違うんだから、それは作品に影響するに決まってんじゃんな。
性別が影響しないとか言ってる方がどうかしてるというか、建前主義が行き過ぎてると思う。
増田での釣りは、よほどあからさまなものでない限り成功するので、増田での成功体験はあまり自慢にならないと思う
2023/08/19
2点あるんだけど
まず俺はそんなのとは質も量も全く違う。
もう一つとして
作り話でブクマ300~500取るのは俺には簡単でもこの人や☆つけてる人に簡単かは別の話だよ。
できらあ!って本気で思ってるなら10回ぐらいやってごらんよと思う。
俺は「出来る」とか「簡単」とか豪語することについては何度とない実践と実績があってそう言ってる。
この人もたくさんそういうことを実践した上で「自慢にならない」と豪語してるならまだいいけど、やったことなくてこんなこと言ってるなら人生に臨むうえでの悪い癖だと思う。
araikacang 匿名の書き込みと書いた人物のリアルな属性を、傾向を知るのに充分な数で確認したことあるやつなんていないだろ。本人が見破られた事ないのも、他人の手法を知ってることにはならないからなぁ…。
2023/08/19
属性がわかってる文章をたくさん集めて読む、写経する、その書き方で延々何かを書く、と言う修行をするから。
もちろん収集物の中に騙りが混ざってる可能性はゼロではないけどそれは沢山やってりゃ問題にならなくなる。
俺からすれば殆どの人について思うのはやってる量が足りないってこと。
ysksy “俺が増田にあらゆるプロフィールで書いた七色の作り話において、本気でやった時に見破られたことは全くない。” コピペにマジレス全開な増田でそれ誇られても…
2023/08/19 リンク
そんな一回や二回じゃないから。
10回やってみなって言うのはそういう話で、
何の分野でもそうだけど「それはこうやれば簡単」と豪語する未経験者は10回やってみるといい。
たぶん1回目で躓いて全然思ったように出来ない。
3回なんか全然できない。
みんな10回にトライする前に投げ出すんだけど
一握りの投げ出さずにやり切った人間はやる前とは別人になってるし考えも変わる。
これ何言ってるかわかんないとすれば何ごとも10回やったことがない人。
parrying 大きな嘘をつくと小さい方の嘘は見逃してもらえるメソッドあるよね
2023/08/19 リンク
それは小手先の技としてはあるけど、
結局作り話はディテールに始まりディテールに終わると俺は思ってる。構成や流れで押し切るのは美しくない。
narukami 主観に主観をぶつけられてもいずれも等しく読むに値しないというか……いやまあここはお前の日記帳だから好きにしたらいいんですけども…… 増田
2023/08/19
俺を女だと主張した増田は当人なりの看破のメソッドや論理を披露している。
だから俺も「ここはおかしくない?」「ここは違うと思うよ」と具体的な反論が出来るわけ。
俺の反論も主観ではわからない・書けないことを結構披露している。
別にどっちを信じてもどっちも信じなくてもいいんだけど
これが主観と主観のぶつかり合いに見える人はそもそも主観の意味を分かってないと思う。
ていうかここまで読んできても俺が女に見えてる人が居ればそれは
直観が相当頓珍漢って言うのに加えて「一度持った着想を捨てられない」という性格があると思う。
これは結構よくある性格で推理とか勝負とかを大きく誤るのは大体これ。
ニュースでも何でも自分が直観持ったこと書き留めておいて後で必ず答え合わせをする。
これを地道にやってれば自分の直観の的中率がどの程度かとかどういう偏見があるかとか自覚するようになる。
これをやってないと殆どの人は都合悪い結果を忘れて自分の直観の的中率を過大評価する。
"俺は何かを騙るとか逆にそういうのを見抜くとかに関してならはてなの誰よりもぶっちぎりで上手い" ここでこっちが恥ずかしくなってきて先を読めなかった…背中がむず痒い。こういうのは小学生の頃に卒業してくれ…
2023/08/19
いやそこは譲れないっていうか俺は十一人の筆頭だし実質的に増田の王だから。
もしも獲得ビューとかブコメ数とか出したらぶっちぎりだし、あれもこれも全部俺だぞ俺。
そもそもモノの価値がわからない殆どの人はこの騙りや看破を子供じみたアホみたいな遊びだと思ってるんだろうけど、
令和5年でも全く時代遅れになってもいないし、
表向き伝承者が途絶えてるだけで今でもこれはバリバリに有用な技術だよ。
俺は殆ど大量の作り話して遊ぶことに使ってるけど、
逆にそれを潰すとかが出来る。
気に入らないネット論客()の威信やメンツをペッタンコにするなんてことは問題なく出来る。
noteを売って盛んに感想をRTしてるようなタイプは特にそれがやりやすい。
近づきやすいし反応を確かめながら何に反応した何に喜んだ何にオヤという反応をした、って情報収集できるから。
いい加減な文を書いてnoteにして稼ぐとかはいくらでも出来る。
まあこう説明してもその価値すらピンと来ない人が99%だから俺も誰にも伝承したことがないんだけど。
スジのいい人間で教えてくれって来たら喜んで全部教えるんだけどまあ来ないだろう。
本当に重要な技術はただで教えるといっても興味持たないのが人間よな。
たぶんいろんな世界で同じことありそうな気がする。
嬉しい反応があった。
これ元のラブコメ増田とは別人の釣りだね。ラブコメ増田に比べて文章が達者過ぎる。
これぐらいわかってくれると嬉しいんだよな。
よく見ている。
そうだよなかなか難しいんだよ。でも俺だ。
反論が沢山欲しかったのがひとつ、実例として使った2作者への配慮がひとつ。
あとどういう文が「反応されやすいか」については総合的な状況で全然変わる。
それにしても君はよく見ることが出来てる。
もいるのかな。
そんな時はChatGPT。
了解しました。「下級天使系女子」というフィクショナルな言葉に基づいて、具体的なイメージやシチュエーションを考えてみます。
1. ファッション:パステルカラーのカーディガンやブラウスを好む。リボンやレースのディテールがあるアイテムをよく身につけている。靴はフラットシューズやキュートなスニーカーを選ぶことが多い。
2. 趣味・過ごし方:週末は友達とカフェでお茶を楽しむか、公園で読書をする。アニメやマンガが好きで、特にファンタジーやロマンスジャンルに興味がある。
3. 食べ物の好み:スイーツやフルーツを好む。特にエンジェルフードケーキやマカロンが好き。飲み物はフルーツティーかカフェオレ。
- どこかでつまずいて転ぶことが多いが、その度に笑って立ち上がる。
5. 特技や能力:歌声が綺麗であったり、手先が器用である。特にお菓子作りが得意で、友達によく手作りのクッキーやケーキをプレゼントする。
6. 好きな場所:図書館や小さなお店、静かなカフェなど落ち着いた場所。また、自然が豊かな場所や、風が心地よく吹く公園も好き。
大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェかサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋に普通に並んでる様な文化人の解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。
さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。
ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨の投稿をしている人は何人もいた。
果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。
特にメモをとってわけでもないので、ディテールに齟齬がある部分は勘弁いただきたい。
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その後、母親の妹が新しい母親となり、母親の実家に疎開(?)をする
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亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親に真人は心を開けない
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金持ち仕草に抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMAの能力があったため圧倒する
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帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う
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亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2
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ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。
いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。
今回は後者の説をとらせて貰いたい。
真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。
この原著は小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので
あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤とかに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙書である。
うっすら覚えている内容も、格差によるキャズムと父親の金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。
聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由な言論活動が抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学に見出したようだ。
吉野源三郎とニーチェの対比については東洋哲学的視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。
そういった意味では吉野源三郎を日本のニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和の小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。
なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。
庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事なものだから」と新しい建築物で囲った。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。
と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。
さておき。この大叔父の言っている「これは大事なものだから」は絶対的な価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したものが戦前、戦中に世に溢れていた「常識」なのだろう。
この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観を真人少年に届けることに成功する。
✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは、絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンのマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合にはいくつかの齟齬が生まれる。
本作でトリックスターとして描かれるアオサギは古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。
混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話の創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。
全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!
という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。
見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在は相対的価値観の象徴としてこの上ない。
ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスをソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。
アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者やキリストとしても解釈をされている。相対的価値観の象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。
嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるもののスタンスでその答えが変わるだろうアオサギをトリックスターに据えたのは、アオサギが不死鳥=火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?
わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。
出雲大社をはじめ、神道の結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎と新婦は螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。
この「螺旋」という存在は、永劫回帰にもつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのものは平等に無価値で、それぞれが相対的な価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。
下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。
ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的な価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人である聖アウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿のフラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルなメタファーではないだろうか。
ペリカンは第二次世界大戦でも輸送機や爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である。
インコの軍団の描かれかたは、当時の日本の軍部の急進派やポピュリズムに扇動された国民をイメージとさせる。
ところが、インコはアオサギやペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。
あえて言えば、ポピュリズムに扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。
これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。
1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。
本作は極めてシンプルな構成で少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本のバックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。
ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会に実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやすく理解が困難であるところが極めてわかりやすい。
現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカで宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的な宮崎駿評である。
なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である。時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念でしかないだろう。
よっぽど忙しい人や、ジブリや宮崎駿が嫌いな人も最初の10分で良いから見てほしい。
昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。
宮崎駿は引退するまでに一回で良いから柏葉幸子作品の監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。
オレオレFCはアウェイでセレッソ大阪に今季リーグ戦ワーストの3失点で、4試合ぶりの黒星を喫した。開始早々の前半6分にFWレオ・セアラに決められると、同26分にも追加点を献上。選手を交代し、反撃に出たい後半だったが、同18分に村松が2枚目の警告で退場。為す術を失ったチームは同33分に3失点目を喫し、シュートたった3本で今季6度目の無得点。完封負けは5試合ぶりとなった。次節19日はホームでサンフレッチェ広島と対戦する。
◇ ◇ ◇
ロイブル軍団が今季ワーストの大敗を喫した。前半で2失点すると、後半には退場者を出し、シュートは僅か3本と為す術なし。試合後、大阪に駆けつけたサポーターからはブーイングが鳴り響いた。
野河田彰信監督は「前半から全く動けてなかったな」とボヤいたように、天皇杯・磐田戦から中3日。日中の気温が35度以上の酷暑も影響したか、選手たちの動きは見るからに重く、攻守に選手が孤立する場面が目立った。MF鈴木潤主将は「それは相手も同じなので」と言い訳はしなかったが、序盤から激しいプレッシャーにさらされた。開始6分、26分の失点はいずれもパスミスから。「最初の失点で焦りが出てしまった。キャプテンの自分がもっとチームをコントロールしなければならなかった」と悔いた。
後半からFWトーマス・ノレジーを投入し、反撃に出たいところだったが、後半18分にMF村松が裏に抜け出したMF香川真司のユニフォームを引っ張り、この試合、2枚目の警告で退場。中盤の要を失い、数的不利に絶たされ、慌ててシステムを変更する悪循環で、後半33分、心を折らすには十分な3失点目を喫した。野河田監督は「アレ(退場)で反撃の糸口を失ったな」と悔やんだ。
「自分達のやり方をかなり研究されてきている」とは、奈良井貴浩オフェンシブコーチ。守備戦術である“エリアプレス”が掻い潜られ、PA内にどんどん侵入された。攻撃でもハーフラインとセンタースペースを固められ、要の鈴木潤やFW森永が孤立。サイドで打開しようとしても、相手のハイプレスにハマり、侵入出来ず、悪循環に陥った。奈良井コーチは「このままだと、残り試合を乗り切れない。今日の試合でそれは感じました。選手達もフラストレーションを溜めていると思いますし、ポジショニングやシステムを含めて、ディテールを突き詰める時期に来ている」と話した。
次節はホームで広島と対戦する。しかし、退場した村松に続き、森永、DF奈良田、MF森下が共に累積警告で次節は出場停止と中盤、攻撃の要を欠く一戦。鈴木潤は「ホームで勝てるように頑張ります」。ここまで躍進を遂げてきたロイブル軍団が正念場を迎えた。
※長めの追記あり
けっこう忘れ去られてる事実かもしれないが、ちょっと昔は、左翼は「不謹慎万歳」だった。
ポルノは体制の抑圧に抗する人間性解放の象徴だとして称揚していた。
「不健全な表現は存在してはならない」なんて、宗教右派か特高警察かみたいなこと言ってる現在とは正反対だ。
「昔の左翼はえらかった」などという話ではない。だってあんまりメンツ入れ替わってないからな。共産党の主たる票田は昔も今も団塊世代だろう。
いかに左翼の正義が何にでも結合するのかということだ。無農薬野菜にも反原発にも、エログロにもポルノ廃絶にも、アニメにもオタクバッシングにも、反戦にも戦争賛美にも、宗教にも宗教弾圧にも、何にでも取り憑いて寄生してしまう。
まあそれはそうなんだけど。もっともな動機に根ざした暴走こそタチ悪いというのもあるし。
のもその通り。
いわゆる保守・体制側は、締め付けるにしても緩めるにしても風向き次第・エライサンの胸先三寸というところが元来有る。
本邦において左翼に期待される役割は、そういうヌルヌルの動きに要所で釘を刺すことのはずだ。
保守は伝統と呼ばれる暗黙知をベースに共有してる(ことになっている)からなんとなくで動いてもいいんだ。
左翼はそうであってはいけない。理屈で動かないと意味がない。でももう「戦後」ももはや「歴史」になり、左翼にもなんとなく感覚的に依拠できてしまう「伝統」が生じてしまったんだろうな。
もちろんここで左翼とか保守とか雑語りしてるのは「敢えて」なんで、細かいツッコミは無視で。
結局のところ「日本社会って変だね」という話ではある。ウヨサヨ相克史という切り口からはむしろその変さは整理できないだろう。
ところで「けしからん表現の取り扱い」については欧米もたいがいわけのわからない紆余曲折を経てきており、それが本邦の国内状況に混乱を添えている。
そこで保守に期待される役割は「うちにはうちのルールがある」という毅然たる態度のはずだがおとうさんもうふにゃふにゃだからな。
その辺のディテールは言わなくても知ってる同士(というか世代)での書き方しかしてないからな。ちなみに78年生まれで愛のコリーダだののリアタイ世代ではない。
表現規制とかセックス・ジェンダー関係の話ってウヨサヨヘイトプロレスのネタとして消費されやすい。
別にただちに生き死にに直結する話でもなし、まともな人は火の粉をかぶらないよう距離をとることが分別ではないか、基地外と踊るべきではない、そのように受け取られがちだ。
でもそうじゃあないんだね。こういうのをグダグダのままにしておいたら我々はクソみたいな「戦後」の文化言論空間をどこまでも(団塊の死後も)ズルズルひきずることになる。