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2021-05-12

anond:20210512143613

ずっとクライマックスから結果的プロットに対する感情的応答がフラット(というより、プラトー)になる、ということではないのかなあ。書き手側は意識して読み手快感を刺激し続けるように物語素を羅列してると思う。

それはそれとして「神話叙事詩、あるいは講談に近い」という対比はとても面白いね。なろう系サイトで、構造主義的な意味での物語の変換が繰り返されてると思えば楽しくなってくる。テンプレ系をメタ化するやつとかも、この変換に近いところがあるのかな。

anond:20210512142906

なろう系はむしろクライマックスが少なくてずーっとフラットでロングスパン物語だよ。それこそ神話叙事詩、あるいは講談なんかに近い。短い話をいくつも繋ぎ合わせて毎日聞かせるための形式

2021-04-30

本牧亭講談が聴けないのはおかし

俺の婆ちゃんが好きだった小金井芦州の国定忠治伝とかさ、宝井馬琴寛永馬術とかさ、講釈場がもうないし寄席の客席の雰囲気込みでもう聴けないワケよ。

2021-03-08

anond:20210308191320

増田です。

増田の主張は結構一理あるんだが因果が多分逆で、増田の言うバカ教育を受ける機会に十分に恵まれない人)でも文章が読み書きできるようするために言文一致が求められたのではないだろうか。

明治時代の「国民」創出の中での義務教育で、日本漢文に近い読みは効果的ではなく、その時代の発話に近く、かつ公用で使える表現が求められたのだと思う。

からむし小説講談よりも、新聞雑誌などが言文一致を担ったのだと思う。そうしたフォーマットを用意することで、初めてバカ教育を受ける機会に十分に恵まれない人)は書く機会に恵まれる。

形式がないと、増田の言うバカ教育を受ける機会に十分に恵まれない人)は自分から書けないのだと推測します。

そして事態を難しくさせていることは、以外に文語文が時代の洗練を経て便利だったと言うこと。結構生き延びる。

こちらもまた、高等教育になるのだろうけれども形式に慣れてしまえば文語文もまた利便性があったのだろう。

専門じゃないけどそんなふうに思っています

2021-01-03

花澤香菜「『花澤香菜が一番って声優好きとして雑魚』みたいなことを言われる」

爆笑問題「『爆笑問題が一番って漫才好きとして雑魚』みたいなことを言われる」

神田伯山「『神田伯山が一番って講談好きとして雑魚』みたいなことを言われる」

2020-09-07

anond:20200907221550

なんか講談みたいでいいねセンステーブル叩きながら再現してほしい。「女の顔はすでに蒼白、頬に光るものすらありながら、さらコンサルが畳み掛けるには〜イヨォーべべベンベン♪」みたいな感じで。

2020-08-12

とうらぶてんごに対するお気持ち表明

とうらぶとは刀剣乱舞の略であり、この度五周年を迎えて半年ほどたったソシャゲ系列ではそこそこ長生きしているジャンルである

長生きできるソシャゲだ、さぞかしゲームも素晴らしいのだろう。といえば全然そんなことはない。クソゲーだ。クソゲー以外の何者でもない。

レア度があれどレベリングすれば低レベでも十分戦えるしまず戦うというかほぼ全てオートだ。画面ぽちぽちゲー。

イベントも五年前に実装されたイベントから増えたものはほぼない。強いて言うならノルマが上がった。くっっっっそだるいだけだ。特命調査という新イベもできたが賽子振って進んで敵を倒すだけで今までと大きく変わったことは一切ない。

まり、五年やってるのにゲーム進化はない。

では何故五年もサ終せずにあるのか?

一重にメディアミックスが大量にあるからだ。

刀剣という性質上、現存していれば刀を展示すればコラボを作れる。アニメは二作品ミュージカル舞台はそれぞれ大々的に行われている。映画化もされた。

分かりやすく言っちゃえばてんご系列覇権持ってる。

紅白厳島神社日本博も東京ドームの大演練も全部てんごである

私はてんごが苦手だ。

映画で初めててんごに触れ、ステに足を踏み入れた。

ステはどうにか見てたが今回のステは関東住みでもないので諦めたらなんだかどうでもよくなった。

ミュはミュージカルという音楽要素が苦手なので一挙配信で一通り見た以上には見ていない。内容もうろ覚えである

けれど、本丸に帰れば私の推したちが本丸にいるし気にしていなかった。ステミュ両方とある本丸の話でうちの本丸関係ない。

そう思っていたところにユーミンOPである

私の課金はてんごのコネを使うために行ったものじゃない。新ボイスやゲーム性向上、新規イラストなどそういうものに求めたのであって上層部おぢさんの自己満ユーミンのために課金したんじゃない。

こういうのに埋め込むと怒られそうなので問題あったら消すので叫んでほしいんだけど、私の思いはここにある(私のツイートではない)。

https://twitter.com/bunbun9922s/status/1293154129477435393?s=21

そしてそれについてた反論がコレだ。

https://twitter.com/abetachibana/status/1293181893265915907?s=21

まあこの人がいう内容は私には一切受け付けられないので考えるべきではないのかもしれないが、この方のリプを見ていくと

ノットフォーミーでも愚痴友達LINEして、運営ワッショイワッショイ神輿を担いどけば巡り巡って配当が返ってくるよお

今までもステが嫌、ミュは嫌い、地上波歌番組なんて恥ずかしい、何で歌舞伎?、講談意味わかんね、沢山ネガティブは見てきたけど、結局客層の裾野運営の人脈が広ければ広がる程、良いことに返ってくる。そのおかげが厳島小田原城JAPAN EXPO紅白日本博が叶い、最たる物が大演練だと思うよ。

という文言が出てくる。

違う、私が言いたいのはてんごじゃなくてゲーム還元してくれってことなんだ。

日本博なんてよく知らない人間からしたら伝統舞踊観るつもりで見たらなんか若い男の子がなんかしてるなあってだけだし、それまで喜ばなきゃいけないのか?

事前登録からずっととうらぶをしている。結局五周年記念の日よりもずっと大袈裟に祝われてる大演練を見てあまりにも虚無を感じる。

てんごを許容できない人間はもう顧客じゃないのだろうか。てんごを見ているのはしんどい関東でも関西でもない地域に住んでいれば現地に行くのも難しい、そもそも原作にもない話を見せられるなら原作を知りたい。原作ゲームが一切変わらないまま外ばっかり進化していく。

私は刀剣乱舞というゲームが好きだったのに。

最近の新刀剣男士だって、言い方はひどいがアレはパクリで怒られないのか?色々思うところがありすぎる。

それと最近コラボのための実装が多すぎるよなと思う。去年の北谷からだよね、多分。

桑名松井山鳥毛で時期的な問題もあってちがねくんは違ったけど日光はそうだよね。

長谷部日光福岡で展示されるらしいし。

コラボ許可しない博物館系の実装も望めない、非現存もっと無理、キャラデザはどんどんひどくなっていく。

とうらぶが新しいところに行くならいっそ、サ終して原作存在をなくしてから羽ばたいていってくれ。

私はもうそれには興味を持てないしメディアミックスありきの原作置き去り状態に耐えられない。

課金してそれが全部お外に行くのに課金する意味って何だろう。

大演練で2億くらい儲かったって見たよ。もうゲーム、いらないのでは?

ちょっとした追記

てんご=2.5次元舞台の略として使用。私の周りは普通に使ってるのでてっきり常用されてるのかと思っておりました。あまり聞き慣れない言葉だったんですね。

あと艦これとうらぶpocketに移行するまではやってました。最近は触ってなかったけど帰ってみようかな…。

2020-06-09

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-05-16

話芸

オンライン授業を始めている。

生徒のネット環境バラバラだしスマホ参加もいる。反応もよく見えないし手元も見えない。

かなりの一方通行感は否めない。

そこで

YouTubeの人気講師を真似て授業の練習をしてみた。あんテンションを1人きりでキープするのは至難の技だ。同僚に爆笑されたし。

何か画面に引きつけられる事をと思い芸人さんのフリップ芸を真似てフリップ作ってみたが、これもやっぱり話芸とセットで難しい。

となると話芸からだ!と落語や、神田伯山の講談ネットで見ながら夜な夜な江戸っ子になったりしている。うどん派だけど。

学校よ早く始まれ

2020-04-18

六代目神田伯山は講談界の救世主かも知れないが

救世主からこそ衰退する講談界にトドメを刺す可能性が非常に高いと思っている。

まず後進、つまりは優れた弟子を育てる責任果たしてない。今はまだその時ではないと考えているのは承知しているが「絶滅危惧職」と言われている奴がそんな悠長な事を言っている場合ではない。

上方落語復興した師匠なんかは若いから自分の芸を磨きながらでも凄い(良い意味でも悪い意味でも)弟子達を育てて死の直前まで孫弟子達の稽古も付けてたやんか。

伯山が本当に「落語講談立場を逆転させる」つもりならば、今後「神田派講談四天王」と讃えられる程の優秀な弟子達を育てるくらいないと絶対不可能だと思うが、そんな未来は全く見えない。

2020-03-10

anond:20200310024328

無茶苦茶失礼なこと言うと

総理大臣かいう首をすげ替えられる存在リーダーシップなんて必要ないのよ

下の提案を上手いこと解釈して講談して、噛み付かれてもヘタクソでもボロを出し過ぎない供述してたらなんとかなるの

この何年かはずっとそれで、なんで野党が票をもらえないのかって言ったら野党とその信者が言うリーダーシップってものがとことんまで役に立たないものだって他の投票者全員知ってるからなの

安倍リーダーシップはないよ

上手いことマスコットとして収まってるけどね

2020-02-06

anond:20200206185147

講談とかで「これぞ秘技・なんとかかんとか!」とか叫んでたりするんちゃう

2020-01-04

落語ってダメだな

正月漫才とか落語家が順番にネタ披露する寄席番組をやってて、

その中で林家三平神田松之丞リレー落語講談披露するっていう企画があったんだけど、

最初に出てきた林家三平落語がすげーカミカミな上に構成もなんか微妙な感じで「え、これ大丈夫なの?」って思ってたら

その後出てきた松之丞が「今の三平師匠落語が令和最高峰の芸でこざいます」とか「日本語からないインド人が前列占領してたことあるからそのときに比べれば三平師匠の後くらいまし」とか

ボロクソいじりまくってて、ここまで言って大丈夫なのかとかちょっと思いつつも客もさっきの芸が酷かったのは薄々みんな思ってたからこれがまあウケるウケる

勿論掴みトークのウケだけじゃなくて肝心の講談クオリティ三平と比べると圧巻で、

その他はナイツとかカミナリみたいな超倍率の賞レース勝ち抜いて地位を築いた実力派漫才師が出てたんだけど、これもすげーウケまくってたからこそ落語の完成度の低さが際立った。

やっぱ実力関係なく世襲真打ちになれて競争も少なくおじいちゃん客だけの閉じた世界だけで成立しちゃうコンテンツって腐るんだろうねぇ。

2019-11-26

anond:20191125135021

え? ドラゴンボールナルト講談だろ? 西遊記も猿飛も忍法帖講談じゃん。

真面目な話、詳しくないからよく分からないとしか言えないけど講談歌舞伎時代劇オリジナルって事なん?

仮面ライダーって時代劇やってなかった? あと七人の侍とか流用されまくりだし。w

ヒーロー定義からまず始めてくれ。歴史上の人物翻案編集を除いたら**のヒーローって凄い難しい話になると思うぞ。

おもしろいけど。

2019-11-25

時代劇はなぜ廃れたのか

時代劇 - Wikipediaの内容を整理する。

1910年代日本映画草創期。歌舞伎演目を題材にしたり、歌舞伎役者を引っ張ってきたりしたので、自然時代劇が増えた。尾上松之助スターとなる。

1920年代映画業界軌道に乗り、各社が時代劇スターを擁するようになる。阪東妻三郎嵐寛寿郎長谷川一夫などが登場する。

1930年代トーキー映画への移行。戦前映画黄金期であり時代劇黄金期でもある。

1940年代戦時中検閲戦後すぐはGHQ禁止により、映画時代劇)が作りづらくなる。

1950年代GHQ禁止された反動時代劇映画が増加。

1960年代。ここで一気に映画からテレビドラマへの転換が起きる。

1970年代。著名な時代劇シリーズが始まる。時代劇の第二次黄金期と言える。

1966年銭形平次
1969年水戸黄門最も有名なナショナル劇場のもの
1970年大岡越前
1970年遠山の金さんテレビ朝日版の第一
1972年必殺仕掛人必殺シリーズ第一
1978年暴れん坊将軍

1980年代時代劇定番ネタがすっかり出揃って飽きられはじめた。

1981年テレビ東京が「12時間時代劇」を売りにした「新春ワイド時代劇」枠を開始(時間を縮小しながらも2016年まで続く)。

1985年日本テレビ年末時代劇スペシャル 忠臣蔵」が紅白の裏にもかかわらず15.3%の高視聴率を記録。

チーフプロデューサー岡田晋吉は当初1年間の連続時代劇として企画したが、編成会議にて上層部に「時代劇は受けない」「今時、時代劇でもないだろう」と受け入れられなかった。しかしその後、岩淵康郎(後の静岡第一テレビ社長)や一部の先輩の助け舟により、年末時代劇としての製作が決定した。

当時にしてこの認識か。

日本テレビの「年末時代劇スペシャル」枠はここから1993年まで続いた。

このあたりで年末年始=時代劇忠臣蔵)というイメージができあがったのかな。

1987年にはNHK大河ドラマ独眼竜政宗』の大ヒットもあった。

こうして1990年前後には一時的時代劇復活の気運があった。

1990年代。やっぱりダメでした。

2000年代長寿時代劇が軒並み終了。

歌舞伎講談のなかで脈々と育てられてきた特殊な題材が

メディアロンダリングされて小説映画でヒットするというのは

今でいうとなろう系がラノベ化で日の目を見てアニメ化で大売れするみたいなもんか。

戦前エンタメやそこで取り扱われるジャンルが少なかったから、

つのブームが長く続くし、飽きるまでの時間も長かったんだろうな。

個人的には「時代劇90年代くらいまでずーっと人気があった」というイメージだったけど

こうして見ると意外に変動があるし、ブームの期間も思ったほどには長くない。

映画で蓄積されてきたものテレビドラマで一気に出してすぐ飽きられましたって感じか。

もちろんエンタメ多様化もあるだろうけど。

とはいえ現在でも時代劇ドラマ映画は作られ続けているし漫画でも人気のある題材だ。

70年代ごろのブームが特異なのであって今くらいが巡航速度なんだろう。

追記

ついでに2010年代の主な時代劇(だいたい興収10億円以上)

JIN-仁-2009年2010年テレビドラマ放送され平均20%超の高視聴率
十三人の刺客2010年映画が公開され興行収入16億円。
大奥2010年映画が公開され興行収入23億円。
武士の家計簿2010年映画が公開され興行収入15億円。
のぼうの城2012年に公開された映画興行収入28億円。
るろうに剣心2012年と2014年に公開された映画三部作が、それぞれ興行収入30億・52億・43億円。
清州会議2012年に映画が公開され興行収入30億円。
信長協奏曲2014年にテレビドラマ化、その続編として2016年に公開された映画興行収入46億円。
超高速!参勤交代2014年と2016年映画が公開され、それぞれ興行収入15億・11億円。
蜩ノ記2014年に映画が公開され興行収入11億円。
殿、利息でござる!2016年映画が公開され興行収入13億円。
忍びの国2017年に映画が公開され興行収入25億円。
関ヶ原2017年に映画が公開され興行収入24億円。
銀魂2017年と2018年に公開された映画が、それぞれ興行収入38億・37億円。
決算忠臣蔵公開中!

歌舞伎講談時代劇ヒーローっていまでも人気あるの?

歌舞伎から人気?

源義経→いまでも人気あるけど全盛期ほどではない

忠臣蔵→いまでもそこそこ人気あるけど低下気味

楠木正成戦前に持ち上げられまくった反動で廃れ気味

石川五右衛門知名度はそこそこ残っている

曽我兄弟→廃れた

荒木又右衛門→廃れた

源為朝→廃れた

・鼠小僧→廃れた

講談から人気?

新選組→いまが全盛期じゃないかというくらいの人気

真田幸村→いまでも人気はあるけど全盛期ほどではない

真田十勇士→幸村本人の人気と比較するとだいぶ廃れた

宮本武蔵→いまでも人気はある(もともと義経や幸村ほどの人気はない)

水戸黄門テレビドラマ2011年まで)が終わって低下気味(2019年BSで新シリーズやってた)

大岡越前テレビドラマ2006年まで)が終わって低下気味(追記2013年からBSで別のドラマシリーズが始まっている)

柳生十兵衛→廃れたけどまだ知名度は残ってる

清水次郎長 →廃れた

国定忠治→廃れた

一心太助→廃れた

映画ドラマから人気?

・必殺→テレビドラマ2009年まで)が終わって低下気味(年一でスペシャルドラマをやってる)

鬼平犯科帳テレビドラマ2001年まで)が終わって低下気味(2016年までスペシャルドラマ多し)

遠山の金さんテレビドラマ2007年まで)が終わって低下気味(2017年スペシャルドラマをやった)

暴れん坊将軍テレビドラマ2002年まで)が終わって低下気味(何度かスペシャルドラマあり)

銭形平次テレビドラマ2005年まで)が終わって低下気味

鞍馬天狗→廃れた

丹下左膳→廃れた

座頭市→廃れた

子連れ狼→廃れた

旗本退屈男→廃れた

眠狂四郎→廃れた

桃太郎侍→廃れた

個人的にはこんな印象だけど合ってる?

2019-02-19

anond:20190219010658

講談わかる。

使ってる文章よんだことあるけど頭の中ではリズムよく再生される。

でもリアルでは耳では聞きなれない気がする。

映像ナレーションとかできくかなあ。

2019-02-06

anond:20190206153236

逆に考えるんだ近代以前の娯楽はこのパターンの方が多数だった

忠臣蔵ひとつ取っても、浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』を筆頭に

歌舞伎やら講談やらで作者違いのバリエーションが多数あるし

四七士の特定キャラだけクローズアップしたスピンオフもあった

ある意味じゃ東海道四谷怪談忠臣蔵スピンオフ作品といえる

源義経だの石川五右衛門だの複数歌舞伎浄瑠璃作者が勝手に使ってる

海外での神話伝承を元にした叙事詩の類も大抵そんなもんである

ま、当時の創作物実在人物モデル場合が多く

著作権も何もあったものじゃい時代の話だが

2019-02-03

anond:20190203184659

当然ながら講談読本には八犬伝しかないわけではなく

化物退治の豪傑、超常的な術を使う忍者実在しない妖怪変化の物語が大量に存在していたわけで、

さらに「東洋」という括りならそこに中国伝奇小説武侠小説がドッと追加されるわけですが。

2019-01-22

anond:20190122151918

ゆうて今は落語ブーム講談ブームみたいな謎の廃れたはずの文化リバイバルする現象が多数観測されてるからな。

その辺に紛れて復活できる可能性も無きにしも非ずやで

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