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有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3903842/
ダチョウ倶楽部・上島竜兵が2日放送のJFN系ラジオ「SUNDAY NIGHT DREAMER」に出演。メーンパーソナリティーの有吉弘行から新年早々〝大イジり〟を受けた。
「志村(けん)さんがなくなってもう1年半になりますけども…」と神妙な口ぶりで話し出した有吉は、「もう呼んでんじゃないですか? 志村さん、寂しくて。『竜ちゃん寂しいよ』っておっしゃってるんじゃないですかね、天国で」とぽつり。
上島は「いや、俺の前に(千鳥)大悟を呼ぶでしょう」と〝大人の対応〟を見せたが、有吉は「でも、大悟はまだ若いからね。志村さんが『大悟、ちょっとこっち来いよ』とは言わないでしょ」「志村さん絶対天国から『大悟もっと頑張れよ』『竜ちゃんそろそろ寂しいよ』って(言ってる)」となぜか執拗に食い下がった。
すると上島は「俺、はっきり言うよ。嫌だよ! 嫌だ嫌だそんなの。もし死んだとしても呼ばれて死にたくないね。俺は尊敬はしてるけど嫌だよ!」と激高。有吉は「思い当たるフシがあるような嫌がり方してる」と大爆笑していた。
高校生の頃にADHDの存在を知って「あっ、これ自分じゃん」と思った。
それからはなんとなく周りの人間を「ADHDかそれ以外か」で見るようになり、ADHDの人には仲間意識を持つようになった。
大人になるにつれ、ADHDの症状は社会生活に強く支障を来たすようになり、通院を始めた。
それでも、学生時代の友人やネット上に居るADHDの人たちを見て「でもあの人たちは頑張れてるし」「ちゃんと仕事もできてるし」「結婚してる人だって居るし」と考え「だから自分も大丈夫!ADHDはただの特性!」と思いながらストラテラを飲み続けた。
自身の根本的な問題が"ADHDでは無い"と気が付いたのは初通院から約8年経過したあとで、引っ越しの都合により転院した先で「双極性障害」と診断された。
ADHDの二次障害としてよくある障害らしく、思い当たる症状はいくらでもあった。
そう診断されてから「ADHD仲間だと思っていた人たち」と自分とでは、状態が全く違うことに気が付き、心の支えが崩れていった。
今まで縋ってきた"同じ属性の成功者"という希望は手の届かない幻想で、その人たちは自分とは全然違う属性だった。
結局、社会復帰は出来ず、今は無職の引きこもりで、障害年金と生活保護を受給し、一人暮らしをしている。
ADHDの人を見ると「でもこの人はADHDだけなんだよな」と思うようになり、双極性障害の人たちに仲間意識を持つことは無かった。
少女がメイドをやっている少女漫画のタイトルが思い出せません。
ちらっと見た紹介文には少女の性格について気が強いとか気丈みたいなことを言っていた気がします。
外ではいままで通りそういう性格で過ごしているけど中では主人に従っているみたいな話だったと思います。
コンセプトとして少女漫画版「これが私の御主人様」といった趣を個人的に感じました。主人公の少女に使用人になる弱みがあったのかどうかも覚えてないのですが…。また少女の容姿は性格に相応しいクーデレっぽい感じを漂わせるものだったかと。
雇っている人間は少女漫画にありがちな王子様系の容姿だった気もしますが、ショタだったような気もします。
こんな感じで記憶があいまいなところは多いのですが、以上の記述が思い当たる漫画があったら教えてほしいです。よろしくお願いします。
補足
執事であれば必然的に男装しているでしょうが髪型までボーイッシュだったというようなことはありません。
また話の中心人物の使用人(女中、給仕)は確実に女性(少女)です
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13260743938
上の質問をした人間だがrentaをかたっぱしから検索したところ暴君メイドかもしれん
その割には表紙を見てもいまいちビビッとこないのだが、暴君という単語を当時の俺が気が強いのう意味にとったと考えるのが今のところ一番妥当な筋に思われる
id:kanimaster ネットミームではなく、リアルで散々ひどい目にあった経験があるので、近寄らないようにしています。
こちらは、当人がそうしているという話を書いているだけだから、まあいいかな。
京都の代わりにアメリカ合衆国やニカラグアやインドだったとしても、そりゃお気の毒な経験をされたんですね、近寄りたくないところは近寄る必要はないですよね、というだけだから。
id:chachateanilgiri 京都にただ旅行行っただけでもイケズに対して思い当たる節というか、モヤモヤする事が何度もあったので実際イケズだから仕方ないとしか思えない。京都に旅行は行きたいけど京都の人には会いたくない。
これはギリアウトかも。
が余計だな。
それ以外の部分、一個人が、何人かの女や黒人や韓国人に対して何度かモヤモヤすることがあって、女や黒人や韓国人がたくさんいるところへは行きたくないというなら、それはそうですね、と。
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。
夕ご飯を食べてから寝る30分ぐらい前まで、こまごまと何かをつまんでしまう。
家族の健康を気にかけた、それなりにバランスのいい3食をしっかり食べた後に
・みかん2つ
・個包装のチョコ2粒
・フルーツグラノーラをぽりぽり(1/5人前ぐらい?
…いや抑えてる!抑えてるつもりなんだこれでも!!!!
昔は細かったのに、気付けば158cm 54kg。アラフォーだし、そりゃぽっちゃりしてくるわ。
やめられない…空腹なわけでもないのに…酒飲んだわけでもないのに…なぜだ…
癖になってる。どうにかしたい…
「過食っていうか咀嚼でストレス解消しているのかなと思った。」
若い頃、たまにバッキバキに野菜を喰いてえ〜〜!!!ってなってフォルクスに飛び込んで山ほど食べてたんだった。
早速昨日は家族には普通の夕飯を用意し、自分はそれを少しつまみつつ大盛りサラダを食べた。
レタス3枚、もやし1袋、きゅうり1,5本、キムチ100gをごま油少しで和えて一人で食べ切ってしまった。
夫からは「野菜を一度にそんなに食べて大丈夫なの?w」と言われる量。
しかしかなりストレス解消されたのか、夕飯後はなにも食べずにいられた。というかお腹パンパンすぎた。
元々野菜のおかずが大好きだったから、家族のために炭水化物やタンパク質を意識した今の食生活が結構ストレスなのかもしれない(肉も米も食感がバリバリしてないから…)
もしくは気付いてないだけでやっぱり何らかのストレスがあるのかもしれないけど。
そして、ご指摘の通りやっぱり買い置きはよくないね。
チョコやフルグラは子供がメインで食べてるんだけど、少なくともポテチは大人しか食べないからもう買わないことにする。
しかし世の中の中年以降もスリムをキープしてる人ってすごいなあ…体質なのかなあ…(なんかこんなふうに考えるのも含めて年取ったなあ…と思ってしまった。。)
なにはともあれみなさんありがとう!
長いことiPhoneを使っている。
iPadもAirPodsも持っていて、Appleさんには大変お世話になってきた。
iPhone8だから、そろそろ新型に変えようかなと思っていた矢先、不具合が発生。
思い当たる節は何もないのだが、簡単に言うと、写真のバックアップが取れなくなってしまった。
その時は、すぐに返事が返ってきて、Appleサポートってスゲー!って感心したものだ。
ただ、すぐには解決せず、結局2回目のチャットの人から「この問題はスペシャリストが対応しますので、この後は直接電話で話してください」ということに。
こっからですよ。
多分スペシャリストと言っても、専門が色々あんだろうね。得意分野が。
ここでもいまだに解決できていない。
iPhoneの不調と一口で言っても、それが機器本体の問題なのか、ネットワークの問題なのか、OSの問題なのか、色々あるから、原因を突き止めるのに、いろんな作業が必要で。
原因と考えられるところを一つ一つ潰していく作業なんだけれども、これが遅々として進まない。
いや、わかるのよ。原因がわからなければ、解決もできないと言うのはね。
でも、一つ対応して、一晩待って、を繰り返すわけよ。
で、またダメだったら、個別で連絡くださいって、メッセージが送れるリンクもくれるんだけどさ、
スペシャリストが勤務日じゃないと見てくれないわけ。
もうどれだけやりとりしたかわかんないけど、3週間経って解決しない。
イライラを加速させることが一つ。
なんで、そんなに上から目線なの?って。
「え、それもわかんないんすか」みたいな態度。
「あ、、そうなんですね。。うーん。。頑張ります」って。
いや、頑張れよ。面倒臭そうな声出すな。
スペシャリストって何なんですかね。
もう高い金出して、iPhone買うのアホらしくなってくるわ。
結局、まだ不具合は治りません。
PC経由の初期化を試みる必要があるってことで、明日アップルストアに行ってきます。
はあ。
研究所と工場を比較してみると、その仕事の性質が違うことは明確ですね。
工場のように、作るものや手順が決まっていて、ゴミの種類も決まっている、という場所と異なり、研究所では何かを買って、実験したり工作したりして試し、うまくいかなかったらまた別のものを買う。
それで、最初に買ったものがポイと捨てられるかといったらそんなことはない。別の実験に使える可能性があるので、ほぼ完全に決着が着くまで色々なものをとっておく。
したがって、ものが溜まっていく。
ネットで買えば結構安く買えるようなものでも、公立の研究機関や大学では手続き上の制約でそれができない(数社の代理店に見積もりを請求し、その中で一番安く納入してくれるところを選ぶ。)手間暇がかかる。手数料が上乗せされ、割高になる。
買った時に高かったものはおいそれとは捨てられない。しかもそれが苦労して獲得した研究費で買ったものであればなおさらです。
食料品とは異なり、口に入れるものではないので、たとえ30年経っていようと、使えるものは使い倒す。
試薬や抗体のように、一応保存年限が書いてあるものでも、経験的にまだ使えるとわかっているものが多いので、あまり気にせず保管されている。誰かが使って実験を失敗して初めて、新しいものを買わなきゃと気づく。
処分費用のかかる大型機器や、備品として管理されていて、届け出をしないと捨てられないものが多数。
法規制化合物や特殊な処理をしないと捨てられない試薬。専門業者に依頼が必要。しかも、面倒なリスト(試薬名、法規制、残量、形状などをかく)を作らなければ依頼を出せない。
こういうことに時間を使うくらいなら散らかっているのを我慢する方を選択する。
などなど。
これ以外にも、論文別刷り、学位論文(ハードカバー)、誰かの本、古いカタログ、使いにくい文具、傘、上履き、ソフトウェア、OHP (オーバーヘッドプロジェクター)など、昔は使っていたけれど誰も捨てようとしないものも溜まりがち。
国公立の研究機関や大学では、外部獲得資金を年度内に使い切らねばいけないという暗黙のルールがある(というか、余っても繰越できなかったり、返ってこないから)。また、研究費の用途が消耗品と決まっている場合もある。そのため、研究費を余らせないように調整し、金額合わせのために安い単価の消耗品を買い込む。余計な買い物をしてしまう。消耗品を使い切れなくて置き場所に困る。そのうち劣化して使えなくなるが新品なので捨てられない。
もし、上に書いたようなものが溜まっているとか、思い当たる節があるようでしたら、ため込み体質のラボであると思われます。今はなんとかなっても、放置しておくと怖いことに・・・じわじわと使いにくいラボになって、ラボなんだか物置なんだかわからない場所が増えていきます。
これをどうするかはあなた次第です。実験さえできていれば幸せな研究者は、もしかしたら全く気にならないかもしれません。ただ、人間の居場所がなくならないように気をつけましょう。そうなった時には研究に割くべきエネルギーの大半を整理整頓に費やさなくてはなりません。未来の研究者に負の遺産を残すのか、それとも使いやすいラボの仕組みを残すのか。それはあなた次第