はてなキーワード: ノンフィクション作家とは
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
@yasudakoichi
久しぶりに女性週刊誌に記事を書きました。「週刊女性」(主婦と生活社)今週号。Colabo代表・仁藤夢乃さんの活動をテーマとしたルポです。仁藤さんに対するバッシング、行政の不可解な対応、Colabo設立に至る経緯などに触れたほか、保護された女性たちの声も集めました。全7ページ、約1万字の記事です
ノンフィクション作家の書いた記事は大嘘でした。
https://twitter.com/yasudakoichi/status/1640555344199024640
著書に「ルポ 差別と貧困の外国人労働者」(光文社)「ネットと愛国」(講談社)「ヘイトスピーチ」(文藝春秋)、「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」(朝日新聞出版)、「『右翼』の戦後史」 (講談社)、「団地と移民」(KADOKAWA)、「戦争とバスタオル」(亜紀書房)など
それが結論です。
今後安田浩一は表に出てくることは許しがたい。
なぜなら自主事業になってもColaboは休んでばっかりです。
高橋雄一郎
@kamatatylaw
もうバスカフェはやめたのかな。自主事業だから外野が文句をいう筋合いはないから自由にしたらいいと思う。そういえば、1ヶ月半前にはバスカフェによって救われる命があるというセリフが散見された。あのセリフを信じていた人もいたのかもしれないけど。
https://twitter.com/kamatatylaw/status/1659331861544583168?s=20
営業していないのだから安田浩一は嘘つきであり、読者を騙している。
こんなデタラメをよく書ける。
@sparta_cc
15時間
良い記事だった。常識的に考えてもデマを信じて妨害行為を行う連中の方がおかしいのがわかる。
歌舞伎町でさまよう少女の居場所を作った社団法人『Colabo』仁藤夢乃さん、妨害や誹謗中傷にも“屈しない”生き方「たいがいのことを済ませてきた」
https://twitter.com/sparta_cc/status/1642311002107822080?s=20
いい記事な分けないでしょ。都合が悪いことに全く触れないんだから。これだけ平気で嘘をつくってどこまで面の皮が厚いのか。
普通ならこんなの編集者が辞職するレベルです。安田浩一はデマ屋としてノンフィクション作家ではない。嘘つきです。
仁藤夢乃のRTするアカウント、まんまデマツィートをするか情弱なんだよね。
市民社会の敵。こんなクズしかフェミとかジェンダーとか言っているわけ。
まあmiabi39mamaみたいに批判側にも実はcolaboのみかたはいるけど。
コラボと仁藤夢乃は一旦切られる。そして返金とかちょっとやって来年帰ってくる。
ドサクサに紛れてWBPは存続。公金もらい放題。東急電鉄の後藤とか、ぱっぷす、北原みのり、伊藤和子もやりたい放題で日本をめちゃくちゃにする。
女性自身は雑誌自体がまともではない。(ネットもまとめサイトか無能なクソフェミがツィートをコピペしているだけ)安田浩一はノンフィクション作家ではない。活動家は皆嘘つき。あんなバカを反差別とかいわない。詐欺師じゃないか。
ただし、増田的に個人的に領収書を見せているというのは本当だと思う。
なぜなら、拒否した理由がいるから。そして拒否した人の名前はわかっている。仁藤夢乃以外にはいない。
年度が変わるにあたって整理することが多い。昨日から記事は書いてました。
3月3日、再調査の結果の中に、本事業の中に補助事業化する。検討する必要があるので令和3年以外の会計を検証する。ここをスルーしていると不利になる。ただし見るのはいつとは書いていない。そこにもまずいことがある。まずいから変える。
再調査の措置。履行状況は有識者会議で年度内に検討する。3月31日。
4600万の住民監査請求を通しているが。外部有識者を作るとか100条委員会をやるとか。
仁藤夢乃、、、ミス。夢にゃんだ。共産党と強いつながりのあるもいるな。更新したら治ります。今のは悪い見本です。いいですか。
調査の結果としてコラボは一番マシ。バスカフェだけしか見せていない。
若草ビラ6000枚。
BONDスカスカ
ぱっぷすペラペラ。
実際にやっている感が出せる唯一。取材も全部コラボ。BONDはテレビに出ない。コラボはテレビ映えがある。
実際の都庁の人になってみてください。監査があって、住民訴訟も予定。令和5年からちゃんと公募しないといけない。
やれるわけがない。
コラボがおかしいのはバスカフェや事業を継続したかったらもう少ししおらしくなるのではということ。
事務所でやる方法もある。事務所だったら即逮捕できるし。普通ならそういう対応をする。
対策案を出して蹴られたらデモをやる。夢にゃんは対策も出さずに文句をいう。共産党が12人集まる。
人は信じない。プロレスをやっている間は信じられない。自分でやる歯科に。
記事に書いていないA案でいうと夢にゃんはバカで本気でデモでなんとかしようとしていたという説は流石にありえない。
WBPCは極めて凶悪。役人に議員が押しかけいた。音喜多(都民ファースト)が圧力をかけるのに共産党がやっているのか?
川松都議はコラボ問題で注目を集めているが自民党も黙らせられる可能性がある。結局誰にもオールは渡せない。
コラボを切る可能性がある。しかし会計に不正はないとしてしまった。
コラボだけ切るにはコラボが暴れる必要がある。都合がいいところだけ記事にする。
若年を1年だけ外してみそぎして、またもどすとかやりかね何。
なぜなら、コラボの知名度、テレビで培ってきたスキルが活かせないから。
コラボは地方で行脚できる。共産党が応援して都庁に体当たり、共産党の地方で応援。
夢にゃんが現状ポイできるコマじゃない。有識者とかもしているから使い続ける。だから甘く見ては行けない。
コラボは都民ファーストと共産党をつなぐ蝶番。ゆり子と和夫をつなぐ。
しかしこれがバレたら大変なので喧嘩する必要がある。というのが予想。
弁護士はいるし、選挙もある。選挙に問題が出ないようにコラボを切るために暴れる。
それは水曜に出る予定だったが1日早く出た。なので緊急ライブをやっている。
予想が完璧に当たると3団体は残る。都庁は真面目にやっています。というフリをする。
コラボを再調査して100万円返してもらうとか。切られたら返金する。しかし旨味を用意しますという裏のネゴシエーションをやっている。令和、立憲、共産、都民ファースト、自民公明も対策会議を指定層。
全部あたってたらアスナがほしいですね。
自分が正しいことをしたのに東京都は話を聞いてくれなかったというストーリー展開。
怖いのはWBPだけで続けてコラボを切って住民訴訟をくぐり抜けて喉笛に食らいつけるかがポイント。
それくらいバトルが進む。
年度のマタギが重要な局面で、やるべきことをやって、一応終わった。
あとで動画にするか
3ページいきなりコロアキ。
いいぶんがコラボのまんま。
再調査の結果。
神原のはつげんそのまんま。
やはりコラボは切られる。コラボが大騒ぎして終わらせる。仕込みがやまもといちろう、やすだ、煉獄コロアキ。
女性自身の中で言っているね。答え合わせがすぎる。
ころんでもただでは起きない。
爆発する前に過去編。
卒業式に呼ばないでンダアォをしているでしょここで。
言わないのは嘘か後ろめたい。
背景にあるのが差別?(馬鹿か安田と女性自身は。デタラメを書いて金儲けか。)
我々は公金を無視してきた愚鈍なバカだと言われていますね。これは思想に染まりきっていないとかけない。
同じ熊が何度も人を襲うことはないのか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「大正元年から2年にかけて、北海道の朝日村、愛別村などで起きた連続食害事件は同じ熊による犯行の可能性がある。最大8名を喰い殺した稀代の人喰い熊かもしれない」という――。
吉川伊平(37)は、近所の伊藤幸平を誘い、堅雪を踏みしめ、10線南10号山林中へ鉄砲を担いで出かけた。
吉川が獲物を見つけて発砲すると、音に驚いたヒグマが飛び出してきた。
いったん大木に登ったヒグマは、吉川を見つけると飛びおり、立ち向かってきた。吉川は直ちに第2弾を発射したが、ヒグマは吉川に襲いかかり、即座に噛み殺して、その肉を喰らい始めた。これを目撃した伊藤は恐れをなして逃げ帰った。
■北村紗衣先生はオープンレター署名水増し疑惑の話題を把握している?
古谷経衡が「オープンレターに賛同した覚えも無いのに、勝手に署名人の一人として自分の名前が使われている」とツイートしている。これを把握しているならば、北村紗衣先生はExcel作業を中断してでも事実関係を説明して欲しい。
呉座は批判されて当然だと思うが、それとこれとは別問題である。だから、北村紗衣先生は可能な限り説明責任を果たして欲しい。
自分は、北村紗衣先生と仲間のことを、高須クリニックの人と同レベルと思いたくない。
オープンレターに記された「誰もが参加できる自由な言論空間を作っていきましょう。」の言葉を紛い物にしないで欲しい。
>のブコメ:既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました。
元々のオープンレターが発起人たちによって、その内容を広く周知して議論するべきものとして発表されたのだから、それを読んだ一般人が何らかの考えを述べるのは当たり前のことです。まるで、オープンレターの話題を周知されたら困るかのようなコメントですね。
>のブコメ:泣いていて精神的に不安定なら他の16人が対応すべきだと思う
そう思います。しかし、元々のオープンレターが、最終的な文責が誰にあるのか不明確な書き方ので、名前を連ねた人たちに当事者意識が無いのかもしれません。
追記その2
オープンレターの発起人の氏名は「あいうえお順」に並べてあります。それとは対照的に賛同者の氏名は、五十音・アルファベットの何れでもない、バラバラの状態で並べてあります。この違いには、何らかの合理的な理由が有るのでしょうか?バラバラの配列では、賛同者の氏名が何処にあるのかを確認し難いと思います。これでは古谷経衡も彼自身の名前が有るのに気づかなくても、不思議ではありません。
追記その3
2022/01/18現在の北村紗衣先生は「単なるイタズラにそれ以上何の説明が要るのかよくわかりませんけど、現在、名簿ファイルを管理している方々が対処してくださっているところですよ。」と仰っているようです。オープンレターに賛同する方々の氏名を列挙したのは「これだけ多くの人が賛同していることから分かるように、自分たちの主張には妥当性・正当性がある」とアピールする狙いがあったはずです。本人の身に覚えの無い賛同者の署名が偽物によるイタズラだとするならば、真っ先に非難されるべきなのが犯人なのは確かですが、きちんと確認・検証をせずに氏名を掲載・公表をしていた管理者の管理責任が問われる/批判されるのは当然です。
2022-01-18
■さんへの公開質問
北村紗衣先生のオープンレターに対する賛同者として、著名人になりすました偽物が署名していた件について文章を増田に投稿したところ、さんが次のようなブコメをなさいましたので引用します。
「既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました // 内情を知らずに口を挟むと名誉毀損になりかねないので、直接の関係者でもなければ「黙っておく」一択かと存じますが。」(元の増田anond:20220117210112に付けられたブコメです。)
(1) あなたが女性差別問題に対してブコメなさった時(あなたが常日頃から女性差別問題についてブコメをしてらっしゃることは、自分も存じておりますし、それらの多くは御尤もだと思うことが度々あります)、他の誰かから「直接の関係者でもなければ『黙っておく』一択かと」と言われたら、あなたは黙ってその言葉に従いますか?
(2) 私は、自分が「これは変だ/おかしい」と思った問題に対して「弁えない」「沈黙しない」「疑問を投げ掛ける」ことこそ、フェミニズムが「大切なこと」として主張し続けてきたことだと思います。違いますか?
(3) あなたの「弁えろ」「黙った方が身のためだ」という旨のブコメは、あなたの日頃の姿勢との整合性が有るとご自分ではお考えですか?
(4) 北村紗衣先生には事実関係を説明して欲しいと書いたことが名誉毀損になるとしたら、それは何故ですか?
2022-01-19
■北村紗衣先生とオープンレター偽署名事件・途中経過※追記有り
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、2022/01/19現在、誰も古谷経衡に対しての謝罪をしていないようです。
(1) まず北村紗衣先生の昨日2022/01/18のツイートから引用します。
「名簿を管理している人たちで相談して、削除後にツイート等でお詫びを出そうという話をしてたとこですが。あと「誰かを責める前に」って、処理中なのにまるで故意に悪いことをしたかのようにほのめかしてくる人に反論して悪いわけはないと思いますけど。」
「なんでツイッターとかネットで見られないものは全部存在しないみたいに思ってるのかな、この人たち。昨日の夜遅くにイタズラ署名の件に気付いてから、差出人でずっと対応とかおわびとかを協議して処理してます。」
(2) 次に、古谷経衡の今日2022/01/19のツイートから引用します。
「今に至るまで無いです[※引用者注:オープンレター関係者から謝罪などの連絡はあったのか?という質問に対する回答]。というかオープンレターの首謀者がだれなのかもわからず、訴状の送達もできません。」
「オープンレターで私の名前が無断使用された件、無断使用した人間の氏名が判明すれば、千葉地裁で民事訴訟(損害賠償請求)を行います。なにせ私の名誉に対して、および私の政治的中立性毀損という看過できない問題ですから。去年の4月からずっと掲載されていたとかありえないですから。」
北村紗衣先生の発言は、どうやら事実と異なるようですね。オープンレター発起人の誰かが、北村紗衣先生に対して「きちんと対応しているから」と嘘を吐いていて、北村紗衣先生は騙されているだけの被害者なのかもしれませんが、確認はした方が良いと思います。
基本的なことですが、オープンレター賛同者の中に有る"古谷経衡"を名乗る偽署名が、偽者による成りすまし行為だとしたら、その偽者が一番に非難されるべきです。これは当然の話です。
しかし、古谷経衡から見れば、オープンレター関係者もまた「確認・管理を怠った過失による加害者」です。呉座に酷いことをされた被害者であることは、古谷経衡に対して誠意ある対応をしないことの理由にはなりえません。
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、当事者意識と責任感に欠けていると言われても仕方が無いと思います。
さんのブコメ(書換前)「オープンレターの内容を踏まえると、ありうべき対応としては「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」と表明する程度か。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一のアカデミア復帰は遠のいていくわけで」
さんのブコメ(書換後)「オープンレターの内容を踏まえれば、「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」以外の対応だと、別の問題を招きかねないのでは。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。 」
このさんの"忠告"(書換で変化していない所である『そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。』に肝が有るのは明白です)こそ、これまでフェミニズムが批判してきた「騒ぎ立てるのは君のためにならないよ?」という、アドバイスの形式を取って「弁えろ。口を噤め」と、違和感を表明する者の声を抑圧する手法だと思います。
ところでさんの忠告は、私の目的が呉座のアカデミア復帰でなければ無意味だと思います。
追記その2
2022/01/20、さらに3人目の「署名した覚えが無いのに、名前を使われた人」が発覚しました(ノンフィクション作家・高野秀行)。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家として有名な立花隆。
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」で、次のような予測を書いている。
滅びるどころか、テレビゲームは社会に浸透し、eスポーツとして社会に益をもたらしている。
前頭前野のβ波がα波に比べて低くなる。
β波が低くなった状態は、痴呆症(認知症)の脳波と一緒になる。
森昭雄の学説と実験については、ゲーム脳を支持した連中に負けないくらい、反論と批判が多い。
森昭雄が実験に使った「α波β波解析用携帯型脳波計」に問題があるとか、
さらなる問題は、ゲーム脳を肯定し、いい加減な結論を下した立花隆だ。
立花隆は2000年代前半に話題となった「キレる若者」についても、鵜呑みにしている。
「最近の若者は羞恥心がない」「若者の相当数は脳機能が低下してる」などの俗説を、無批判に垂れ流している。
考えなければならないのは、ゆとり教育で週五日制になった結果、子供たちがいちばんふやした時間がテレビゲームに費やす時間だったという事実だ。(P.329)
デジタルゲームとeスポーツの発展において、立花隆の言説は害悪だ。
死んで良かった。
ネット上には「中国人はなぜ、話し声が大きいの?」という疑問がよく書き込まれています。新型コロナが拡大する以前は日本の観光地に多くの中国人観光客が訪れていましたが、その場にいた人ならば、「中国人観光客の話し声が大きい」と思ったり、中には「うるさい」とネガティブに思ったりした人もいるのではないでしょうか。さまざまな人がブログなどでその理由を推測して書いていますが、何が本当の理由なのか分かりません。
そこで、日本人が想像する代表的な5つの“理由”の正誤について、長く中国に住んだ経験のあるノンフィクション作家で中国社会情勢専門家の青樹明子さんに聞きました。
中国人の話し声は総じて大きい
Q.性格などもあり、全ての中国人の声が大きいとはいえませんが、全般的に中国人が話す声が大きいというのは事実ですか。
青樹さん「事実です。同じ中国人でも、出身地やその他の条件によって違いはありますが、総じて大きいのではないかと思います」
Q.ここから、5つの理由です。「中国語の発音はすべてに抑揚がしっかりと付いており、その強弱で意味が変わるので、大きな声で話さないと伝わらないから」という理由を挙げる日本人がいます。正しいでしょうか、誤りでしょうか。
青樹さん「正しいです。中国語の発音には、4種類の音である『四声』というものがあります。つまり、一つの言葉でも、『平らなもの』『下から上に上がるもの』『下で伸ばして上に上がるもの』『上から下に下がるもの』という4種類のイントネーション(抑揚)があるのです。
そして、面倒なのはイントネーションによって意味が全く異なってくることです。例えば、中国の標準語で『ma』と発音する言葉がありますが、イントネーションで『お母さん』『馬』『叱る、ののしる』『~ですか?(疑問文を示す助詞)』など全く意味が違ってきます。外国人や地方から来た方言の強い中国人が標準語を話そうとする際には、はっきりと大きな声で発音しないと意味が間違って伝わってしまいます。そのため、どうしても大きな声になるのです。
また、中国の中でも、特に広東人の声は大きいとされています。標準語は4つのイントネーションがありますが、広東語は6つのイントネーションがある上、促音(日本語の「っ」のようなつまる音)も多いので、よりはっきりと大きな声で発音する必要があるからです。しかも、来日する中国人の中で広東人の割合はとても高いです。大きな声で話す広東人が日本に多く訪れることで、『中国人の話す声は大きい』と感じる日本人が増えたのかもしれません」
Q.「『にぎやかなことは縁起がよい』という考え方が中国人にはあり、大きな声で話す意識が染み付いているから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。
青樹さん「正しいです。中国では、大きな声で話すことは『体が丈夫』『地に足を着けて生きている』というポジティブな印象を与えます。逆に、声が小さいと『気が小さい』『消極的』というネガティブな印象を与えてしまいます。中国人は声に限らず、大きな音を出すことやにぎやかな音を出すことは縁起がよいという意識を持っています。例えば、赤ちゃんの産声も大きければ大きいほど縁起がよいと喜ばれますし、商店での声掛けも声が大きければ大きいほど商売繁盛のイメージを与えます。春節に爆竹を鳴らすのも魔よけ、福を呼ぶなどの意味があります」
Q.「人口が多いので、大きな声で自己主張しないと誰にも相手にしてもらえないから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。
青樹さん「正しいです。最近は変わりましたが、中国では長い間、お店などで列を作って並ぶ習慣がありませんでした。例えば、市場で野菜や果物を買おうとしても、みんな並んでいないのでワッと押し寄せ、その中で大きな声で欲しいものをはっきり言う必要がありました。売っている側に声が届かないといつまでも買い物ができないのです。そうした習慣から、『自己主張するときには大きな声で』という意識が中国人の中に染み付き、話す声も大きくなったのだと思います」
Q.「大きな声で話すことで見えを張り、自らのメンツを保とうとしているから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。
青樹さん「私は聞いたことがなく、正しいか誤りか判断できません。中国人も声の大きさとメンツとに関連性があるとはあまり言及していないようです」
Q.「中国が急速に経済発展したことで、建設などの工事で騒音が激しくなり、自然と大きな声で話す癖がついたから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。
青樹さん「正しいと思います。交通の騒音もすごいですが、中国では至る所でいつも工事をしており、騒音とは共存状態です。もちろん、経済発展による建設ラッシュが主な理由ですが、いつもどこかで行われている家の内装工事も騒音のもとです。中国では家を買ったら、内装工事は自前で行わなければなりませから。
工事についても、中国人は『周囲に騒音が広がり迷惑をかけてしまう』という感覚がありません。以前、中国で住んでいたアパートの上階で突然リノベーションの工事が始まりました。昼夜を問わずの工事で、電気ドリルやハンマー音が頭上で響き、あまりの騒音で体調を崩しました。しかし、施工主であるアパートの管理会社に言っても取り合ってもらえず、他の住民たちもおとなしく我慢していました。私の場合、1カ月後には日本への本帰国を控えていたのですが、我慢の限界を超え、たった1カ月のために引っ越しをしました。
多くの中国人は数十年前まで、共同住宅で生活することが多く、話し声も含めた隣近所からの生活音に寛容です。大きな音がする機会が多い国なので、それに負けないために大きな声で話すのは納得できます」
Q.公共の場で大きな声で話している中国人を日本人が見たとき、ネガティブに感じる人もいます。どのように対応すればよいでしょうか。
青樹さん「日本で話し声があまりにもうるさい場合は、人さし指を口の前で立てて、『しー』という動作をすれば、中国人も気付いて、声を抑えめにするでしょう。彼らにしてみれば、普段通りに話しているだけであり、彼らは『うるさいと日本人が感じている』と気付いていないだけなのです。中国人は自分たちが外国からどう見られているのかをとても気にする民族です。『しー』とされて怒る人は少ないと思いますし、そうすることは失礼ではないと思います」
https://note.com/masumi_asano/n/n5f3f3ad8ad5e
なんでこれ炎上してるのかと思ったら、例のCakesだったのか。
ならさもありなん、と言ってしまうとそこで終わっちゃうんだけど、その先入観なしで読んでたから、これ出版業界的にはごくごく普通の話じゃんと思った。
なぜか「フィクション」という言葉に憤っているひと多いけど、これもノンフィクション作家の間じゃごく普通の話。
エビデンスの拾いきれない業界の話(経済小説とか医療とか)だとよくあるので、どれくらいセンシティブな内容だったのかの方が大事だろう。
さすがに遺族の許可は得てるっぽいけど、事前に中身まで見せていたのかはわからない。
遺族の方がよりセンシティブなんだから、掲載後怒り出すことなんていくらでもあるし、フィクションとして予防線貼っとくのは当然有り得る話。
途中で編集長が出てきて説明しているが(この人が炎上記事やってたのは救いようがないが)、浅野の原稿内容が普通に炎上関係ないくらいやばいものなら、その説明もまあ理解できる。
だからCakeが炎上でヘタレたというなら、浅野は母親が姉がとか感情に訴えてばかりいないで、編集部にどんな描写を指摘されたかその部分を公開して読者にジャッジしてもらうべきではないか。
というか、浅野自体以前からちょっとアレな人だし、ブログもかなり取り繕っているようにも読めるし、そもそもここまで一方的な話ってありえるのか、と過去の浅野を知っていると感じてしまう。
たとえば7000円って書いててぎょっとしたけど、「原稿一本あたり」なんだよな。一本あたりの単価は、ウェブならそこまで安いという感じもしないし、実際は何本書いて、総額いくらってのも書いてない。
短い記事を20本書いてて14万円だったら、読んでいる方もかなり印象違う気がするんだが。
というか箕輪厚介がエイベックスの社長の本を作ろうとして没にした時は一切原稿料払ってなかったそうだから、役員が出てきてそれなりの金額提示してたならマトモじゃん。
だから浅野はごまかしてないで提示された金額書くべきじゃない?
とにかく、今回の浅野の文章にはこういうのが多すぎて、相手がCakeじゃなかったらここまで燃えたか疑わしい。
しかし作家や漫画家がネットで出版社を告発するっていうよくある話だよな。
ファンは漫画家に付くから年々出版社や編集者の信用が落ちてる感じがするけど、結局だれも得してない気がする。
まあとりあえず浅野は世の中に判断を委ねる記事を出すならちゃんと情報を開示しろよと思うけど、炎上させてる連中は燃やすことにしか興味ないからなあ・・・。
それは作家すべてに当てはまることでは?(ノンフィクション作家は除く)
ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます。
この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料そのものを調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?
歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます。
これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学と哲学と社会学と人類学と歴史学と言語学とでは使う資料がぜんぜん違います。
で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います。近現代史を扱う人たちは、
を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います。
これらの史料の特色とは何か……それは、
ことです。
公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通の文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家の場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家の場合は)体制が崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代の領収書なんかをロシアの公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。
当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者は
などの手段で史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館は結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。
昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌のバックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線が必要な距離だったりパスポートと航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者の研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館でカメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近はスキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。
なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白な研究者であったとしても、一次史料の原本なんてふつうは手元にないわけですから。
しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分の論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?
もちろん分野によります。心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。
私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料をノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通の研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通のノートです。最近はノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。
なぜか? と言われれば、
です。
つまり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分の実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。
理系の学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分の実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しかし文系の場合は、少なくともここまで説明した近現代史の場合は、オリジナル資料はどこかの政府が管理している公文書館とかどこかの大学の図書館とかに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国のベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトルの史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。
なので、別にどんな方法でノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけだから。
ゆえに、歴史学の論文や著書には膨大な注がつけられます。引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。
なかには、史料が自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料で捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系の世界、基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料を典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島の方言を研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄りが自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋で歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料が研究者個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから今所属してる大学の図書館に寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……
さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文を調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会はドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。
しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料がそもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。
注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本の出版事情が絡んでいるのです。
今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系のあいだでも問題視されていることなのです。
文系の学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります。第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性とかに逐一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。
そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています。
あなたが読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店や青弓社や社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。
これらのレーベルで真面目な学術書を出版する人もいます。講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベルを一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的なタイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方を提唱したりする人もいます。学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます(最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。
さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます。「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」
こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。
もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストではてな太郎が書いた『増田の研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。
これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります。研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求に妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学か国会図書館に行くほかなく出版して書店で流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学がリポジトリを持っていていくらでもディジタルに研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米の出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードやケンブリッジやハーバードやコーネルといった有名どころのUniversity Pressは学術書を出版しまくってます。学術書が研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。
一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本の出版社やジャーナリスト、ノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードがトランプ大統領についてのルポルタージュを出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家や記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。
とはいえこれは一朝一夕にはいきません。そもそも知の折り詰めである「新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般と学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というものを鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックスや岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。
さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、
これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなたが捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料の実在を証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなたの研究の誠実性を証明できるのは、人文系の学問においては、注だけなのだ。
以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。
NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20180807_734722.html
アンケート結果はリンク先を見てもらうとして、どういう識者がどの総理を選んだのかをまとめてみる
(※ただし、それぞれの識者がどの順位にしたのかは表記されていないので不明)
(※あと3人選んだ人がいないように見えるんで、全部列挙されていないのかもしれない)
田山さとし battery_brides を報告ページからこの文章と以下に挙げるツイートで報告した。
ツイッターURLを付けた文を増田にアップしたところ反映されなかったので、URLを削って再アップしました。
読みにくいと思うけど勘弁して。
「『○○○○ン人』を最初に使ったのは野間」という文句が田山界隈から挙がっていましたが稚拙な反論だったので無視していました。
しかしブクマで疑問に思う方もいらっしゃったので、文末に理由を書き添えました。
6月27日に田山さとし battery_bridesを、以前凍結されたアカウントと同じように李信恵氏(rinda0818 リンチ? QT rinda0818: 例の奴キメてきた。 )
それから二ヶ月、このアカウントは報告した5つのツイート以外にも嫌がらせや差別の扇動を続けています。
李信恵氏には事ある毎に「リンチ」という言葉を入れたツイートをしています。
(https://twitter.com/search?f=tweets&q=from%3Abattery_brides rinda0818 リンチ&src=typd)
これは数年前に起こった傷害事件を揶揄しているのですが、李さんは刑事事件では立件もされず現在民事で係争中です。
このアカは李さんに限らず手当たり次第この件と結びつけた返信を続けています。
「主水にムカついたら殴っていいみたいですよ QT @Tomicajpn: 渋谷さんにムカついたら殴っていいんだよね?7:02 - 2017年9月3日
「返信先: @Anti_Discriminaさんリンチ報道に苦言を呈した李信恵と記事隠蔽の圧力をかけた西岡研介と似たようなもんじゃん」
事件当事者でもないこのアカウントが執拗にこの件を持ち出すことが嫌がらせでないのならなんだとお考えでしょうか。
このアカウントは報告した「この糞チョソン人 」「外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然」という直接的な差別表現の他に
「早く日本を脱出すべき」(言い方を変えた日本から出て行け。在日差別についてのツイートであることに留意)
「固有の歴史って何?」などと他文化を否定するツイートの他に、「Kアラート」などと災難は北朝鮮からしかこない様な物言いや
朝鮮学校をネオナチ教育などと呼ぶ差別発言や扇動も数々しています。
そしてこのアカウントの一番の特徴は前回報告でも指摘しましたがQTを使い、
そのツイートを自分のフォロワーに自分が元IDを文面に入れる事で元アカウントを攻撃させることです。
このツイート
「返信先: @springrollerさん
QT @springroller: 灘校が学び舎の教科書を採択したら、自民党議員から電話が入り、ウヨから学校に変な投書がじゃんじゃん届くようになったという校長先生の話。 「謂れのない圧力の中で ̶̶ある教科書の選定について」19:18 - 2017年8月1日」が、
この返信を誘発し、「返信先: @battery_bridesさん、@springrollerさん灘高も汚染されてるって事か」
田山をブロックしていた元アカウントの知るところとなりました。
「しかしこっちがブロックしてるのにわざわざTweet拾ってフォロワーに突撃させる式神使いみたいな人って何なんだろうねぇ。突撃してくる人も自分が式神とじゃ使い魔とかファンネルみたいな扱いされてるって自覚してるんだろじゃ」
「返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)」
このやり方は巧妙で、田山アカをブロックしても次々新しいアカウントが出来るフォロワー全てをブロックしきれません。
shiri_no_waremeというアカウントは以前shirinowa_reme_ というアカウントを凍結されましたが、
「返信先: @battery_bridesさん、@rinda0818さん
隠蔽工作も #エル金は友達 タグも凡どどラジオ自粛も講演会中止も、全部しばき隊のリンチ事件と繋がってるよね QT @battery_brides @rinda0818: Jアラートも小池知事の追悼文を取りやめも、根底は全部排外主義や歴史改悪主義に繋がってる」
「返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …」
battery_bridesはつい最近ツイッタールールに違反したとして警告された筈ですが、
警告後も世間で話題となった事件に李信恵氏を関連づけアンケートをとるという攻撃的なツイートをし、
これらの行為はツイッター社のルールのみならず、常識的に考えても悪意ある行為だと私は思います。御社の厳正な判断を望みます。
尚この報告文は他の方の意見を仰ぐためネットに公開する所存です。
返信先: @Yonge_Finchさん
この糞チョソン人凄いこと言うな QT @Yonge_Finch: 今考えて見ると、北朝鮮が拉致被害者を返した頃は、北朝鮮はまだある程度対話が可能だった。あの時、北朝鮮は彼らなりに低姿勢で来たのにまったく効果ないことに気づき、今のような極端な生きるか死ぬかの戦法に変わったのだと
返信先: @kentarotakahashさん
マジかよ李信恵最低だな QT @kentarotakahash: スティック取り上げられても、日野を睨みつけ、素手でドラムを叩き続ける中学生と、「何だ、その顔は」と素手で殴っちゃった日野皓正。どっちがカッコワルイかも歴然だな。
返信先: @rinda0818さん
リンチ事件の当事者が「暴力はあかん」と言っても誰も聞く耳を持たないけどな。 QT @rinda0818: その子どもが持つものを伸ばすのが教育だと思うので、不均衡な場所での暴力はあかんなあと思う。
返信先: @sing_whaleさん
外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然だよ QT @sing_whale: ノンフィクション作家の高 賛侑(コウ チャニュウ)氏 「日本に住んでいるのなら帰化(国籍を取得)すればいい」と言われることがあるが「この言葉には裏を返すと、外国籍だったら差別されても仕方がないと…
返信先: @rkayamaさん
朝鮮ネオナチ養成の朝鮮学校を潰そう! QT @rkayama: 可視化されてなかっただけで、日本にもネオナチがたくさんいたんだな。恐ろしい。でも気づけてよかった。その動きをネットの外には出させたくない。
固有の歴史って何? QT @sing_whale: 多民族共生人権教育センターの文 公輝(ムン ゴンフィ)事務局長 「在日コリアンでも日本で生まれ育った人の多くは、在日が持つ固有の歴史や問題を理解していない。生活保護を受ける人が多いという実態と『無年金』問題の絡みなどを
返信先: @rinda0818さん
返信先: @ishibs_kanagawaさん
一刻も早く日本を脱出すべきだな QT @ishibs_kanagawa: 朝鮮学校の無償化排除を巡る裁判の勝訴に「生きていてよかった」。そう感じさせるほどの抑圧と絶望の中、在日朝鮮人はこの社会で生きているのだと教えてもらいました。時代の正体
返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …
返信先: @harumi19762015さん
言わなくて正解 QT @harumi19762015: たとえ宇宙空間であろうと国土の上空に飛んでいたら落ちるかもしれなくて怖い、アラートはちゃんと鳴らして欲しい。ってお友達が言うんだけど、落ちるかもしれないから怖いって理由でアラート鳴らしてたら飛行機とかオスプレイとか鳴ら
返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)
これを放置し続けるツイッター社は不作為通り越してヘイト推しでは
「@rinda0818 圧倒的得票数おめでとうございます!」
https://twitter.com/battery_brides/status/904162013626023936
「battery_brides(田山さとし)は以前neon_shuffle(田山たかし)というアカウントで差別を煽り
(ほんの一例 URL貼れませんでした)、
在日外国人ユーザーに絡んでおり、先月そのアカウントが凍結されました。
その直後、今報告しているアカウントを再開し、最初はしずしずとツイートしていた様ですが、
今また全く関係のないツイートに「リンチ?」などと冷や水を浴びせかけるようなツイートを始めました。
また特定のアカウントに対し執拗にQTする行為もしています(https://twitter.com/search?q=from%3Abattery_brides%20rinda0818&src=typd)
このアカウントには差別的なメンションを投げつけるフォロワーが大勢おり、QTをしツイートの存在を示すだけで、
自ら直接手を下さなくても被QTアカウントには差別罵倒コメントが押し寄せる事を承知してのQTである事は間違いありません。
御社はneon_shuffleのような差別扇動アカウントを何年も放置していました。
彼のサブアカウントであるbattery_bridesもこれから10年近く放置するお考えでしょうか。
凍結されたアカウント時代と同じ事をしているbattery_bridesの凍結を強く要望します」
anmin7さん
呼びつけるようで恐縮でしたが、他に通知する術もなかったのでidコールにしました。
>>しかし「糞○○○○人〜」のフレーズはCRACの野間氏が「カウンター」として発したものではないでしょうか?
はい、その通りです。この言葉を発した野間氏のツイートは報告されてしかるべきです。でも野間氏が使ったからといって、
この侮蔑語を他の誰かが何度も使っていい理由にはならないと思います。
もし野間氏の行為を非難したいのなら「差別語を使った」と書けばよいだけで、使った差別語を連呼することが許されるわけではありません。
野間氏は今もこの言葉を連発されているのでしょうか。問題のツイートは2014年5月9日のもので、その後2015年に一度件の言葉を用い
「これを使ったのは1回だけだが執拗に拡散されている」旨のツイートをしています。
拡散されるならとっとと消せばいいと思いますが、野間氏が削除しないからと言って、それをまき散らしてよい理由になる訳がありません。
このbattery_bridesというアカウントが活動し始めてまだ三~四ヶ月ですが、この報告を書くまでに十数回、今はそれ以上に、
全く別の在日外国人に向けて発せられています。こうなれば、相手の言質を取った上での執拗な嫌がらせと考えるのが妥当かと思います。
これでanmin7さんのご質問への答えになっていればよいのですが。何かありましたらまたご連絡下さい。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3005344.htm
なかなかどんな場面での発言なのか、想定できないから、丸っきり籠池氏のでまかせと判断している人もいる。
しかし、話を盛っているにしろ、丸っきりの虚偽ではないと考えている。
籠池氏の証言は、「顧問弁護士(酒井弁護士?)から、財務局の人(佐川局長)が籠池氏にしばらく身を隠してくれと言われたから、10日間隠れていた」というもの。
佐川局長は、「籠池氏や弁護士と面識も話したこともない」と証言。
且つ、佐川局長は、近畿財務局を通じてだろうか、確実に騒動後に森友学園側と連絡を取り合っていたのだ。
朝日新聞に掲載された「ごみ撤去1億円」という籠池氏のインタビュー記事が出た2月14日早朝
http://www.asahi.com/articles/DA3S12794669.html
これを、翌日の財務金融委員会で、共産党の宮本議員が指摘したところ、佐川局長が、この記事が森友学園側から、事実誤認であるとして、記事の修正を求めている旨を、聞いているとの答弁がなされている。
https://www.youtube.com/watch?v=BtbNXYzxBrs&t=1132s
宮本議員は後で、なんで佐川局長が森友学園側の代理人のような答弁をするのか、とツッコミをいれている。
そして森友学園の籠池氏は、この矛盾が大きく報じられるようになると、今まで受けていたテレビや新聞の取材から遠ざかるようになっていった。
まあ、実際に財務省の人間が「悪事を伏せるために身を隠してくれ」なんて言ったとは全く思っていない。
ただ、国有地取引を通じてツーカーだった近畿財務局の人間が弁護士を通じて籠池氏に「いい加減なことをマスコミに答えないでくれ」くらい要望したのではないか、とは想像できる。財務省職員は手続きが間違っていたとは思っていないのだから。
それを、弁護士を通じた伝言ゲームの中で、籠池夫妻を通過してノンフィクション作家の菅野完氏に伝わった時には「財務省の佐川局長が『身を隠してくれ』と籠池氏に言ったから隠れていた」という話になったのではないか。
綾香とつきあっていたのはいつのことか、と思い返してみると、もう20年も前だった。普通の奴なら大学を出て就職し、結婚して子供が生まれ、何なら出世街道を歩み始めていてもおかしくない時間が経っていることに愕然とする。俺はと言えば、綾香と別れた時点、つまり大学を中退した時点からこっち、何も変わっていないのだ。
綾香は高飛車な女だった。無理やり参加させられたインカレサークルの新歓コンパで、女王様のように君臨していたのが綾香だった。細い眉毛にシャギーの入った茶髪。ミニスカートにブーツ。田舎から出てきた俺には、テレビの中のタレントがそのまま飛び出したかのように思えた。とても手が届かない女性だと遠巻きに見ていたが、何が気に入ったのか、綾香は俺をからかうようになった。慶應のボンボンとつきあっていたんだか広告代理店のおっさんと不倫していたんだか知らないが、こっちが一生懸命に選んだ店やプレゼントをけらけら笑いながらけなし、そして最後には「何も知らない、可愛いボーヤ」と頭を撫でるのだった。
青山、恵比寿、銀座。俺は綾香とつきあう中で、様々なことを学んでいった。金はいくらあっても足りず、講義にはほとんど出ないでバイトに駆けずりまわった。世の中では暗いムードが漂っていたが、そんなことは俺たちに関係なかった。綾香は同じゼミの男子学生に書いてもらった論文で単位を取り、おっさんのコネで不景気をものともせず就職していった。俺は綾香に置いて行かれたくなくて必死だった。
綾香の三軒茶屋のマンションで、一度だけ夢を語ったことがある。世界に通用するノンフィクション作家になりたい。文学部を選んだのだってそれが理由だ。きっと笑われるだろう、むしろ笑ってほしいと思って目を上げると、そこにはいつになく真面目な顔をした綾香がいた。それ以来、少しずつ綾香は俺から距離を取るようになっていった。俺は何が原因かわからず、綾香と離れたくなくて、デートに誘い続けた。
「昔のあたしを見てるみたいで嫌になる」――それが別れの言葉だった。俺は綾香との思い出から逃げるように大学を中退した。バイト先の一つであった小さな出版社に拾ってもらい、無記名や偽名でインチキな記事を書くようになった。やがてインターネットの大波に飲み込まれてそこも潰れたが、相変わらずインチキな記事を書くことで生計を立てている。
俺の書く女性はいつも綾香がモデルだ。高飛車で、美味しいものと綺麗なものが好きで、物を知らない男を小馬鹿にしている。編集には「また『アヤ』かよ」といつも笑われているが、20年経っても、きっとこの先も、俺が書けるのは綾香だけだ。この前ふとFacebookで綾香の名前を検索してみた。プロフィール写真では、年相応に落ち着いた綾香が、二人の子供とおそろいのボーダーシャツを着て笑っていた。俺にはユニクロにしか見えないが、きっとあれも名前のあるブランドなのだろう。
的な。
前に読んだことのあるノンフィクション作家。
以下、本人のtwitterプロフィールからひとつずつ突っ込んでいく。
作家。
死にかけ体験8回。
→前は3回くらいだったから数年で5回も死にかけたのか。
趣味兼仕事は旅と冒険。弓道、ジョグ、ジェットスキー、スノボ。
→前から旅好きな人だったようなきもするが、スノボしてたのは初耳。
懸垂毎日100回等。
→見るからにひ弱そうなんですがね…。
カジノと株はほぼ常勝。
→「ほぼ常勝」って日本語生まれてはじめてみた。たまに負けるってこと?
世界紀行120カ国余。
→紀行って旅行中の体験・見聞・感想などを書きつづった文章じゃないの?出版されてるんだろうか。
単著は約100点余。
→アマゾンで調べても100も出てこない。国会図書館でも100も出てこない。
→電子書籍は題名変えたり、章ごとにわけるなどして冊数稼ぎ。そしてどれも売れてない模様。
不定期有料マガジン1万7500部。
→Twitterのフォロワー数が17,200人くらい。メルマガ購読者数のほうが多いという謎。
著書累計725万部。
→調べようはないけど多分嘘。
→調べても全く出てこない。
という感じ。なんだか残念な人になっていた。
この他にも、ネット界隈を見てみると、
ノンフィクション作家の安田峰俊氏が、ツイッターでこう仰っています。
月サンは困ってます 第4話 http://yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html … 毎回のブコメが個人的にはすごく不快。計算は5点だけど他に120点の能力持ってるスペシャリストを、全能力35点のコモディティ化した人たちが無能者呼ばわりして集団で殴る構図。
https://twitter.com/YSD0118/status/577631743739457537
要するに「何の能力もない貧弱一般人どもがクリエイター様を批判してんじゃねえよ」ってことで、反論したいけどうまく言葉にできないから批判した人を『全能力35点のコモディティ化した人』と悪口を言うしかないのでしょうね。
井上氏は安田氏の著作「境界の民」や「和僑」についてツイートし、「和僑」では宣伝イラストまで描いています。同じ角川系で本を出している身、今回の安田氏の擁護に「大人の事情」を勘ぐりたくなりますが、事情にせよ本気にせよもうちょっと具体的にした方がよろしいのではと思います。
はてブのコメントには事実誤認や誤読も多いです(私もやられたことがあります)。でも批判的な意見を言う人を「全能力35点のコモディティ化した人」と否定するのはいかがなものでしょうか。
……だいたいこんな内容のことをツイートしたところ、安田峰俊氏にブロックされてしまいました。
リプライを飛ばした訳でもないのにわざわざエゴサーチしてブロックするなんて、案外デリケートのお方なのかもしれませんね。
ブロックされなければ二度と話題にすることも無かったのですが、全能力3点の私ごときに反応して下さったのでせっかくだからツイートと日記にまとめてみました。
ともあれ、全能力95点のブランド化したノンフィクション作家、安田峰俊氏の今後のご活躍を期待したいと思います。
第1話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/21927636.html
第2話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/22232353.html
第3話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/23632037.html
第4話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html
第5話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/25251335.html
※追記
大阪市の橋下市長が、週刊朝日にて掲載されている自身の出自をめぐる記事について吠えている。
メディアを通じてこの件について知った人も多いだろう。
多くの人は、また橋下市長が例のごとくメディアに喧嘩をふっかけて自身および維新会の露出を増やすための作戦と思っていることだろう。
彼のtwitterを見ても、ああまた火がついたんだな、という程度に思っているはずだ。
だが、今回のこの週刊朝日の一件については、自分自身この記事はありえないと思う。心底唾棄すべき記事だ。
この号の実物を見ていない人もいると思うので表紙の画像を貼っておく。
http://publications.asahi.com/ecs/image/cover_image/14316.jpg
内容を見る前にまず、このタイトルに注目して欲しい。
私は、このハシシタという表現は、橋下市長をあえて揶揄するために、こういう読み方にしたのだったと最初は思っていた。
先ほどふいに、田舎の父親がかつて部落差別のついて語っていた際に、被差別部落の人たちを「橋の下」という言葉で蔑んでいたという話を思い出した。
そこではたと膝を打ったようにこの記事のタイトルにかけられた悪意と下劣さが私には分かったのだ。
佐野眞一というノンフィクション作家については対象者のバックグランドを描く際にルーツおよび血縁にこだわることを特徴としている書き手である。
ノンフィクションとしてそういうアプローチの仕方があることは否定しない。たとえば、ソフトバンクの孫正義社長を扱った昨年の昨年、「あんぽん」などは同じように孫社長のルーツであるところの、福岡の朝鮮部落に始まり、親戚一同をそこまで描く必要があるのかというぐらい血脈にこだわった取材が行われている。
その結果、「あんぽん」という作品自体は孫社長も認めるほどのノンフィクションとして無類の傑作となっている。
いっぽう翻って対象者を橋下市長に変えた今回の週刊朝日の連載については、そのアプローチ自体は佐野眞一のいつも手法として認める側面がありつつも、父親不在という事実を前にすれば、そもそもそういうアプローチは成立しえないのではないかという危惧もいだいた。
その点では橋下市長が血脈主義を嫌悪して怒る理由も分からなくはない。
ただ、このハシシタという表現の意図が分かった現在では、週刊朝日は言論機関として自殺したにも等しいと認識している。
私としてはここにいたって橋下市長の怒りの原因がようやくわかった次第だ。
と、こんなことを書きながら、もしかして他にも同じことを思っている方がいるか思い、「ハシシタ」で検索すると以下の記事が見つかった。