はてなキーワード: 事実誤認とは
堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi
@Hidetoshi_H_
主語が不明瞭どころか、途中で頻繁に入れ替わっています。また、1つの文章が長くて一回で文意を捉えにくい。
全体として論理構成も雑。事実誤認も繰り返され、法制への知識も根本的に欠落。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632907596729581572
そんな!「読解力がない」なんて、暇空茜氏に失礼ですよ!!!
暇空茜氏に足りないのは読む力だけじゃなくて、書く力・聞く力・話す力のすべてです。もちろん、論理的思考力や判断力も足りていません!
読む力だけが足りていないかのような言い方は事実誤認ですよ!きちんと訂正してください!!!
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632909047035994112
国連軍?強制動員?何の話でしょうか。台湾有事への理解も不足。暇空氏は基礎知識が欠落しています。
また、東野先生やJSF氏とのやりとりから分かるように、読む力・聞く力・考える力も欠如。
それに、括弧や句読点の使い方も下手。
主語が不明確。読んでいてイライラします。書く力・話す力もない。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632918057596383234
これはメスの青識亜論である(メスの青識とは、この話の中でも何度も言ってますが、「性別が女性で、議論バカ」という以上の意味は一切ありません)(たとえば、青識本人には、アトピーや、アベマテレビに出た人、なりすましをする人ですが、そういった青識固有の事情までの意図はありません。僕は、もし、第二の青識(なりすましまでするバカ)が出たならば、それは、その人の固有名にクズをつけて呼ぶでしょう)
話がそれましたね、僕はこの東野とかいう人のことは一切知らなかったんですが、「画像引用で議論の必要性を呼びかける」という気持ち悪さに対してメスの青識だなと言いました。
そうすると、まずこのJSFという人が、「青識亜論にたとえるなんて名誉毀損だ!」とタックルしてきましたが、基本的にレスバになると短文でしかレスできない低知能で、飽きたとかいって去りました。
で、前述の通り、僕は青識仕草についてメスの青識といっただけだったのですが、記事を読めば誤解とわかるとか言ってくる人たちがいたので、読んでみました。
(略)
中国による日本侵攻を想定した場合、中国の国力や軍事力、他国との関係性などをふまえ、どうやって、その侵攻を開戦前に抑止できるかや、実際に起こった場合、どう対応すべきかをまずは議論すべきでしょう。
いかに、制海権、制空権を保ち、上陸を阻止し、国連などの援軍をまつ、またはそこから派生したWW3を戦い抜くか、でしょう。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n12d0137523c6
国連常任理事国の中国が日本を攻めるなどという事態が起きた時に「国連などの援軍を待つ」でええの?
ぼくが裁判官だったら、汚言症みたいな記事への評価として妥当だし、実際ゆってることがおかしいから論評の範囲でしょと棄却するけど
まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。
この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。
社名が映画RRRのエンディングテーマの曲名であったことから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。
私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。
「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。
個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれてしまったことが大きかったのでは、と思っている。
多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。
これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。
長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的なカフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベントや期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)
もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合は映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。
他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。
・「エッタラジェンダ」という言葉の日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)
・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファンの疲労。これをぶつけられたのは気の毒である
・設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある
などなど。
ただ、上記のいずれも反対する気持ちは理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくまで道義的(可能性)または気持ち的な問題がメインだ。
上記の線引きがどうの話も個々の感受性や思い入れのベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。
今回否定的な気持ちをツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更の希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉はほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)
新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?
結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。
そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ちを蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ちの集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構な割合の人が同じように感じている気持ちを無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。
つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。
行動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまうタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動そのものから撤退されるのは惜しいと思う。
何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外の否定的な意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから。
実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師(表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。
また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。
追記。
今回の騒動を異なる価値観と気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめの加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。
人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。
自分が理解、共感できる痛みは尊重すべきもので、自分が理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人の気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。
その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちそのものの否定は争いしか生まない。
もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。
設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセスや問題提起されてからの設立者さんの対応にはいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。
しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDMで捨て台詞の暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーにユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。
これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。
サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的な選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。
もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
石川県が来るなって言ってるのに行った!←現地で被災者のために実際に汗をかいて働いているNPOの要請を受けて能登入り。つまり必要だし急を要する。6党合意(笑)にれいわはいないので
被災地でカレー食べた!←本人の文章読めばわかるが、被災者が誰かに喜んでもらうことや被災者を世話される立場にばかりさせるべきではないという考えがあってのこと
教会知能(統一教会自民党を脳死で支持してる境界知能のバカ)のネトウヨには理屈は通用しないんだろうけどさ、山本の文章をせめて読めよっていう(笑)
たかが一杯のカレーでヒスってる境界知能どもって羽田で飛行機いっぱいの支援物資が燃えたことについてどう思ってんの?
つーか石川県庁って馳浩だろ?IOCの委員に20万のアルバム渡しました~w←事実誤認です文科省から言われたので撤回します。←やっぱり文科省から何も言われてないです撤回します。の馳だろ?
こいつの言うこといつ撤回するかわからんやんwwwwつーかボランティアくんな!とか言ってて今人手が足りません!とかギャグなん?6日になって緊急事態宣言wwwボランティアも今から募集しまーすwww
実際に今日長文のレポートを山本太郎が出していたが、これだけでカレー一杯分以上の価値はあったよね。ほんま山本太郎は仕事してるわ。「野党は対案を出せ!提案をしろ!」←してるよね?
なんか苦し紛れに「こんなこと現地に行かなくても書けるだろ」とか言ってる奴らもいたけど、実際に現場を見たという説得力が違うよね。境界知能は東スポのこたつ記事でも読んでろよ
ていうかさ、避難所で一人亡くなったよね?今情報が錯そうと言うか、言うことコロコロ馳浩のおひざ元での公式発表がどうなるのか知らんが、低体温症で死亡。避難所でウイルスも広がってるってさ。どうすんの?ビニールハウスに避難してる老人共もいたけど、今日石川県雪降るよね?どうすんの?
まあ、極論石川県って自民王国じゃん。自分たちが選んだ自民党が新年会でどんちゃんしてる中で投票した本人たちがビニールハウスの中で凍死しようがどうしようが自業自得だよね。彼らは今わの際にこれも自己責任だったって思うんだろうね、きっと
で、れいわアンチの教会知能はこの俺の偽悪的な書き方を見て「れいわ支持者はモラルが終わってる!こんなやつらが支持しているれいわなんかありえない!」とか言い出す(笑)
お前ら境界知能に「感情を極力排して政策を見て投票先を決める」なんて芸当最初から求めてないからwww
「むきー!れいわ支持者が不謹慎なこと言った!論破された!くやしいかられいわには絶対に入れないもん!」←期待してないからw
つーか支持者のモラルとかで投票先決めるんならまさしく統一教会が自民党支持してんだからその点でも自民党が一番あり得ねえだろwww
ちなみに国会議員として一番モラル終わってんのが自民党なwどんだけ逮捕者出しとるんwww今日も一人逮捕されたwwww
教会知能さん 「自民党議員が政治資金規正法違反で逮捕!」←しーん・・・ 「山本太郎が一台の車で渋滞に寄与!カレー一杯を被災地からゲット!」←ギャーギャー
お前らの親ってクズだよね。遺伝子から腐ってるからそうなってるんだろうな
論理的思考ってのができないんだろうな
ブコメに福島ガ―とか言ってる奴いたけど、福島にはれいわの市議会議員がいますけどね。きっと福島に住んでるわけでもないお前らが福島のことを山本太郎の叩き棒にするのいい加減辞めたら?当の福島県在住の人々は普通に山本太郎のれいわ選んでるけど?
あとレポートに中身がないってのはそもそも反論にはならない。それってお前の感想ですよねなんで具体的反論とは思わなかったんだが一応補足するけど
レポートの中身を言い出す奴ってのは「中身がないレポート」と「車一台の渋滞寄与・カレー一杯」を天秤にかけてるわけだけど、よしんばレポートの中身がゼロだったとして、山本太郎は被災地での手伝いや情報発信はできているので、それだけで車一台の渋滞寄与・カレー一杯分の価値はある
そろそろ車一台・カレー一杯とかいうあまりにも些末なもので大騒ぎしてきた愚に気付いてきた?天秤にかけるにはあまりにも軽すぎるよね?教会知能にはそこら辺の計算は難しいか
そこからレポートの提案の価値でどれだけこの能登訪問の意義を上乗せできるかっていう話なので、そこは各々評価の違いはあるだろうね。提案の価値については教会知能たちはテコでも認めないだろうがそれはそれでいいとして、
山本太郎を叩きたいがためにレポートの中身がないとか言っても、そもそも訪問すべきだったのかの議論のフェーズは終わってるから。車一台・カレー一杯で叩くのは最初から無理があるからw
ま、反応はあっても具体的反論はないって言うのが、アンチれいわ教会知能たちの震え声だったんだろうなあw
悔しいね?
再追記
ちなみに境界知能って言葉は堀江貴文あたりが言い出して、こないだ池田信夫が「れいわ支持者は境界知能」と言っていたんですね
https://anond.hatelabo.jp/20240107061612
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『あの子もトランスジェンダーになっているSNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の発売中止騒動周り。
私はトランスについていわゆるアライ(理解者・支持者)というのか過去にもトランス擁護の増田を書いたりしているけど本の出版はまったくの自由だと思っている。
事実誤認、デマ、トンデモの出版はダメだと批判する人たちは本屋に足を運んでいるのだろうか?
本屋にはそんな本が普通に並んでいるしオカルト本も詐欺みたいな本もあるし新聞の一面にはそれらの広告も堂々と載っている。
韓国籍・中国籍の人やその血縁は日本におそらくトランスの人よりたくさんいるというのに。
審査されエビデンスもあり素晴らしく正しいものが出版されるのではなくもともと玉石混淆。
「間違っている(と私が思う)から出版してはいけない」は自由の否定だ。
もちろんもし「○ね」「××を△せ」のような直接的な攻撃や扇動だったら出版は難しい。
しかし件の本は原書を読んだ人の紹介を見る限りそうではなさそうだしなにより伝聞や憶測で批判されている状況はあまりに恐ろしい。
https://querie.me/answer/ST8s9I6rozezVXc5z41p?timestamp=1702007027
既に回答欄で必要なことは書かれているが、「有害な本を出さない道徳的義務があるに決まってますよ。」等の表現にひっかかってしまう人はいるようだ。誰がその正しさを担保するのかというような噛み合わない指摘がブコメには散見される。そもそも、質問自体が少し混乱した内容になっているように思われるので、前段の「事実誤認や著しい誤りがある本は出版するべきではない」という主張について、少し内容を変えて「(ある書籍を)出版するべきではない」という表現に表現の自由が認められるだろうかという観点から考えてみたい。
まず、おそよどのような主張であれ、その内容に一切かかわらず、言う(表現する)ことが正しく、言わない(表現しない)ことが間違っているという価値観を持っている人は、恐らくいないだろうというところから始める。「どのような」という中身は、回答者のいう「デマ」や「他人に害を与える」内容のものかもしれないし、名誉棄損(他人に害を与えるに入るだろうが)やステマ広告かもしれないし、ある表現をするべきではないという内容の表現かもしれない。その範囲に関しての価値観はそれぞれに違いがあっても構わないし、むしろ違うはずだが、およそ常に表現がされることが正しく、されないことが正しくないという主張は、誰にも支持されないだろうとういことは前提にできると思う。
その中で、具体的にどの表現がされるべきでないものなのかということについては、社会の構成員間で価値観の違いがある以上、社会的に決定せざるを得ない。その決定は、各々の異なる意見を表現によって交換すること、すなわち、議論によって形成されていくべきだ。そうやって、名誉棄損や著作権法違反への表現の規制は認められてきたわけで、その議論を担保するからこそ表現の自由は民主主義社会において重要性があると言える。つまり、表現の規制についてもその限界は議論によって定められるべきだということも前提にしていいだろう。
ここで、「出版(表現)するべきではない」という主張に表現の自由が認められないとすれば、表現に関する規制について、常に片側の議論の主張を欠く状態になってしまう。無論、あらゆる表現において表現されることに価値があるとか、表現すべきではないことについては議論の余地なく決めることができるという前提があれば、そのような表現規制も許されるだろうが、これは今まで書いてきた前提とは反する。つまり、出版するべきではないという表現にも表現の自由は認められ、一定の尊重がされるべきであるに決まっている、ということになる。
その上で、質問者に戻るのだが、出版するべきかどうかという判断に「事実誤認や著しい誤りがある」かどうかという観点を入れた場合、いわゆる思想の自由主義市場の問題、すなわち、誤っているかどうかという判断自体が表現を戦わせることによってしか得られれないものではないかという問題が出てくるという側面がある。その点から、およそと事実誤認等を理由にした表現の事前の抑制は行うべきではないという主張はあり得るだろう。ただし、医薬品に関する虚偽の効能の広告規制のように、実際には事実に反することを理由に法規制される出版行為がある場合もあることからわかるとおり、少なくとも現行法解釈上は思想の自由主義市場的な価値はほかの価値との相対的な衡量の中で認められるものにすぎない(出版という一行為態様が禁じられるということが直ちに表現そのものを封じられるわけではないということも考慮すべきだろう。)。抽象的な議論を離れ、個別の事例の判断になれば、消費者保護等の観点からの規制をおよそ認めないという人は少ないのではないかと思われ、そうだとすれば、その限界の判断は批判を含めた議論の中で決められるべきという上述の議論に戻ることになる。
インターネット上では、いわゆる反キャンセルカルチャー的な文脈から、批判表現自体ですぐに表現の自由を持ち出し反批判を行う意見が散見されるが、批判表現は表現の自由で認められるべき重要な表現である。少なくとも、近時話題になっている角川の事例においては、表現の自由な交換による意思形成を超えた、事実上の表現規制的な圧力がかかったとは私には到底考え難い(まあ、そう考えたい向きがいることも仕方がないことだなとは思う。)。他方で、個人のツイッター(X)上の大したことのない発信に鬼の首でもとったかのような大量のリプライが付くような場合など、この時代において考えるべき問題も存在しないわけでもない。批判表現という表現の自由にとって重要な表現を一般論で封じ込めて「論理的にすっきり」しようとするのではなく、一つ一つの事例にきちんと頭を悩ませることが重要なのではないかとふわっとさせて終わりたい。
「一部の異常者が犯行予告をする等の犯罪をした」という点を除いて、すべて正当な抗議だったとKADOKAWAの出版中止の件で確定してスッキリしたわ。
行政が多数のクレームを受けて不自由展を中止しても、あくまで明らかな事実誤認に対して抗議しただけであって、
行政の自主的な判断で展示を中止し続けても何も問題がないんだね。こんな圧力があってもあくまで自主的な判断ってフザケた主張してるんだから当然。
例えばロシアのファクトとアメリカのファクトは全く違いますけど、それを一方的に正しいと断罪できる万能な神様か何かなんですか?
10代がLGBT手術をして誤った診断を基に不可逆な加害をした事例があるってのも、ロシアとアメリカの立場位には不確かな正しさの程度の話ですよ。
こんな程度で一方的に断罪するのがOKだって主張されてしまったわけで、
id:cinefuk マスコミの捏造!と言ってた陰謀論者どうするの?"陸自守山駐屯地(名古屋市)によると、不適切行為があったのは、第35普通科連隊に所属する20代男性隊員。聞き取りに対し、「軽い気持ちでやった」と行為を認めている"
cinefukくんって知ってるワードを意味も理解せず、陰謀論を罵倒ワードで使えることだけ学習して使ってるよね。
IQ80くらいしかないよ多分
https://x.com/yuruhuwa_kdenpa/status/1721476238550897143
前日までの映像の解釈レベルでは中指立ててない解釈も無理やりでない程度の話でしかなくて
根拠もなしにあることないことを言う本来の陰謀論とは次元が違う話なのはバカでも分かるはずだけど