はてなキーワード: 事実誤認とは
堀口がインスタで載せた写真を転載しながら買春報告してるアカウントは
堀口が清谷と揉めた時期に急に出現したから素直に堀口のものだと断定するのは危険だぞ
わざわざ垢分けして買春報告なんてするならインスタと写真使いまわしなんて普通せずちゃんと別人としてやるし
イケメン俳優の私物を特定しては同じもの買って載せるファンとかいるけど、あいつらを一々彼女認定するようなもの
これは明確に事実誤認
堀口は暇空に絡んでいなかった
ネット有名人となっていた暇空についてミリオタ同士で雑談していたらエゴサで暇空が絡んできた
また暇空堀口訴訟において地裁高裁ともに「東野篤子への中傷を先にやってミリオタ界隈への煽りをやったのは暇空。攻撃的発言に厳しい論評がつくのは甘受すべき」と判断されている
中国が国連常任理事国なのを知らないレベルの知識で国際情勢を語った暇空が「書き手の頭の悪さがよくわかる」と書かれるのは妥当
そのほとんどがこの記事のように「マイナカードに発信機があり使ったらデータが蓄積し政府に筒抜けになる」そんな事実誤認で妄想を拗らせており
批判するなら最低限の知識をもって批判してほしいものだ。ロジカルシンキングを放棄して批判してる異様さに呆れ返ってしまった
仮にチケット販売者にマイナンバーを渡して、国が民間のチケット販売者のサーバをどういう理屈でみるのか?
民間業者がチケット作るたびに国に申請して参加者を一覧をマイナンバーとセットで提出させる気なのか?
そもそもインボイス+消費税があるからマイナンバーなんて不要で徴税できると考えられない点で終わってる。
チケットの転売防止策として、Jリーグと提携してサッカーのチケット販売にマイナカードを利用する方法も、試行するそうだ。
これらが実現し普及してゆけば、国民の誰が年に何回サッカーや野球を見に行ったか、観劇やライブに足を運んだか、徴税側は把握できる。年間に一定回数(10回とか)以上、サッカーや野球を見に行った人からは「スポーツ振興協力税」を、観劇やライブに行った人からは「芸術助成協力税」を徴収するすることも可能になるだろう。
政府発表みれば裏表なんて無く、犯罪集団が精巧な偽造免許証を作り最早既存の本人確認方法が陳腐化してるのが問題になってるとわかる
マイナカードはICを使った本人確認が今のところ鉄壁であるから利用するのである
実は本人確認にマイナンバー自体は全く関係なく、マイナカード更新部会では本人確認に使われる場面のほうが多いなら表面から消してしまえばという話まである言うので国民のデジタルアレルギー対策も大変だとつくづく思うのである
「マイナでロマンス詐欺防止を」河野太郎デジタル相の呼びかけ、大丈夫? 婚姻、収入情報も業者が把握可能に…
マイナ以前に婚活アプリは独身証明や年収証明など公的証明書を出すよう求めてる。マイナで把握出来るようになるというのはミスリード。
で、嘘情報に釣られてカモられる人が増えてるから認証を厳にして犯罪を減らそうと言う話。
「ロマンス詐欺」。被害防止のため政府は、マッチングアプリ登録時にマイナンバーカードによる本人確認を行うよう業界団体に要請した。個人情報を事業者が取り扱うことや犯罪防止の効果には疑問の声が上がる。(山田祐一郎)
現状でもマッチングアプリなどは独身証明書とか戸籍抄本とか課税証明書(源泉徴収票)を提出して各種個人情報も登録してるが
徹底してない事業者や偽造や虚偽で登録する詐欺師が紛れ込んでる。
「マイナンバーカードを利用することによって、氏名、住所、生年月日、性別、顔写真といった券面情報のほかマイナポータル経由で既婚、未婚の別、年収などの情報についても、信頼性高く確認ができ、より安心して婚活が可能となる」
ー省略ー
デジタル庁は、マッチングアプリのアカウント開設時にマイナカードによって「より厳格な本人確認が可能となり、不正防止につながる」と説明。
現状個人情報を婚活アプリに登録するのが嫌なヤツはマイナ連携以前にサービスの利用登録出来ないから抵抗あるとか以前の問題。
一方で詐欺被害の防止効果については懐疑的な声も。業界関係者は「全ての利用者がカードを所持しているわけではないし、所持していても個人情報を提供することに抵抗がある人もいるはずだ」と話す。
政府は「国民を詐欺から守るための総合対策」で、携帯電話契約や口座開設とあわせて、マッチングアプリの本人確認の場面でマイナカード活用を事業者に呼びかけた。「詐欺防止を名目としたマイナカードの普及策でしかない」と指摘するのはマイナンバー制度に詳しい清水勉弁護士だ。「すべての本人認証をマイナカードで行え、というのであれば民間事業への不当な介入だ。本人確認の一つの方法とするだけなら、犯罪組織がマイナカードを使って本人確認するわけがなく、詐欺の防止にならない。
これ本当に専門家か?
マイナシステムと民間事業者の話を意図的に混同させる書き方だ。
例えるなら「バスが過去事故を起こしてる(マッチングアプリが流出した)がドラレコに不備があれば事故を起こすのではないか?」という書きっぷり
事業者が婚活相手がマイナ認証マークを付けたりしたらマッチング側は安心して相手を信用できる。
その程度の発想が出来ないITジャーナリストとは程度が相当低いか御用学者だ。
ITジャーナリストの星暁雄氏は事業者が個人情報を取得できる点を問題視する。「マイナカードによる公的個人認証は信頼性が高い個人情報を扱う。これらの情報が事業者のシステムから漏洩(ろうえい)する危険は本当にないのか」。2015年には海外の不倫目的のマッチングサイトで3000万人以上の個人情報が盗まれてネット上で公開された事例もある。「マッチングアプリ事業者に悪意がなかったとしても、システムに重大な不備があれば情報が流出して利用者の尊厳を損なう事態に至る可能性がある」と危ぶむ。
その上でこう強調する。「マイナカードは本人確認の手段のひとつにすぎない。一方、個人情報を盗もうとする攻撃者や詐欺師はあらゆる手段を使う。マイナカードをあたかも詐欺や個人情報盗難など犯罪を防ぐ決め手であるかのように宣伝することは、人々の警戒をゆるめ、逆に被害を増やしかねない」
言いたいことはわかるし同意する。
けど、性犯罪が男よりも女にとって事実(リアル)である、とすると事実誤認が産まれると思う。
というのも、哺乳類のメスには、レイプを怖がる気持ちが本能的に含まれているんだよな。
性犯罪と言う事実に、同じ量だけ同じ現実に接しても、女のほうがより恐怖を感じるようにできている。
被害にあったかとは関係なく、主に頭の中で起きることなんだよな。
被害体験のない女性だって、男よりも性犯罪を怖いと思っているよ。
別に、それが悪いとか空想だから価値が無いとか言ってるわけじゃなくてさ。
ここの事実誤認が入ると、クソ悪意しかないツイフェミが「男だってレイプを体験すればわかるよ」みたいな雑発言しだすんだよな。
アサクリ問題で「歴史が誤認される」 「文化盗用だ」って騒いでるけどさ。
いや、史実を基にしたってどんだけ言ってようがフィクションだからいいじゃん。
しかしこれに対して「フィクションじゃん」という反応の方が多かった。
つーか、ほぼそうだった。映画評論家ですらそういうことを言っていた。
実はアメリカの日本人コミュニティを中心にブレット・トレイン文化盗用問題は盛んに取り上げられていたが
この温度差がどこにあるかって言うとさ、日本で日本人に囲まれて生きてると
「文化盗用されたことで事実が誤認されても気にならない」っていう、そんだけなんだよね。
だって日本にいたら周りにいる奴はみんな「あれが間違ってる」ってわかってんだもん。
ブレット・トレインを見たアメリカ人から「日本ってあんな感じなんだろ」と平気で言われる。
本当の日本を見たことない奴らは普通にあの映画に登場する日本を日本だと思ってるよ。
そりゃ多少は誇張してるだろうなとは思ってるだろうけど、全部嘘!とは思ってない。
「ブラックサムライヒーローヤスケ」が実際の弥助と同じだと思ってるのと同じように。
ブレットトレインは当然フィクションだ。登場人物は実在の人物じゃないし、作品内で起こった出来事も全て事実じゃない。
だからと言って舞台である「日本」やそこに登場する「文化」まで全て事実じゃない、とはみんな思ってない。
俺たちが南アフリカや東南アジア、中東を舞台とした映画を見たときにそこに移ってるなんでもない市民の暮らし、市街や市場の様子のどこまでが事実で、どこまでが事実じゃないかを判断することが難しいように、外国人にとってフィクションの中の「日本」がどこまで事実でどこまで事実でないかを判別することは難しい。
俺たちがなんとーなくで知ってるつもりの海外は事実とは全く違うかもしれないよ?
フィクションの中で語られた「嘘」がいつの間にか本当のことのように誤認される恐れがあるから。
でも、問題なかったんだろ?
ハリウッドが描く、日本を小馬鹿にしたとしか思えないナンチャッテ日本で。
史実と言っていなければ許す?アホなのか。
https://anond.hatelabo.jp/20240712184211 続き
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政は有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。
(17)
nippon.com版
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かって「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。中国の歴史書・十八史略に登場する、「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
(18)
nippon.com版
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
(19)
nippon.com版
(無し)
たぶんこれからも民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである。
(20)
nippon.com版
今回の選挙の混乱の再発防止のために、一部からは立候補時の供託金を高額に引き上げることや推薦人を一定数確保することを立候補の条件とする案も出ている。だが、私は立候補を困難にする条件をつけることには原則的には反対である。一部の「性善説制度をハックする人たち」を何とかするために、今私たちが享受している政治的自由を規制すべきではない。
というのは、性悪説に基づいても、違法行為も完全にシャットアウトできるシステムを作ることは可能だし、それに類するものを作ってみても、システムの設計と維持に膨大なコストがかかり、かつ効果は大してない。「ハッカー」というのは「穴を見つける専門家」なのである。性悪説にシフトすることが民主政にプラスをもたらすことはない。
規制を設けるなら、法律で網をかけ監視や取り締まりをしなければならず、システム構築に膨大なコストが必要になる。だが規制を設けても、相手は新たな穴を探してくる。おそらく終わりなきいたちごっこになるが、これによって民主主義に関する新たな価値を生み出すことは無い。
(無し)
(21) 最終部分
nippon.com版
私たちがなすべきなのは、「市民社会の常識」を再生させることである。「君がやっていること、それは非常識だよ」という言明が、現実に強い規制力を持っていれば、法律を作る必要はない。
米国では2016年の大統領選挙の時、ワシントンポスト紙が候補者たちのステートメントにファクトチェックをかけて、「ピノキオ」という単位でその真実含有量を表示したことがあった。「一部誤認や事実のつまみ食い」が1ピノキオ、重大な言い落としや誇張は2ピノキオ、重大な事実誤認や明白な矛盾は3ピノキオ、大うそが4ピノキオ。前大統領のドナルド・トランプ氏は「底なしピノキオ」の称号を贈られた。信頼できるファクト・チェッカーがその威信をかけて「誰が真実を語っているのか」を査定するならば、法的規制は要らない。
今回の都知事選が改めて示したのは、「常識あるまともな大人」が一定数存在しなければ、民主政は持たないということである。今は「大人になれ」も「礼儀正しくあれ」も「非常識であるのは恥だ」も、どれも強い指南力を持つメッセージではなくなってしまったが、それでも私はこれからも忍耐強くそう言い続けるつもりである。
(無し)
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42