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はてなキーワード: 市民社会とは

2019-06-08

anond:20190608162036

欧米はわざわざルール禁止しなくても成熟した市民社会で知恵を出し合って解決するんだね

いちいちお上の顔色を伺わないと何もできない日本とは違うな

2019-05-16

社会的地位や信用が高いけど人間性はドクズキチガイというPMN

高収入だったり一流企業出世頭だったりして、愛する妻と子がいて周りが羨む円満な家庭を築いている。

ただし、裏ではモンスター

飲み屋店員いじめ、駅員やタクシー運転手暴言を吐く。自殺ニュースを鼻で笑い、貧困層は野垂れ死んでもいいというイデオロギーを持っている。

『Poor Mind Noble』

こいつらがここ数年で増えてきているとシンガポール雑誌に書いてあった。

記事では「急速な経済発展によって一時的に発生した社会の歪みの象徴」として問題視されていた。

一時的??それは違くね??

そいつらPMNはずっと市民社会に巣くい続けるぞ。

だってこういう連中まさに今の日本にもウジャウジャいるもん。

バブル期でも以降のクソ不況でも相変わらずに。

タクシー待ちのサラリーマン暴行してくも膜下出血負わせて逮捕されたフジテレビ社員とかまさにPMNだろ。

大学アメフト花形選手で嫁がモデルだったとかいうやつ。

それともこういう連中って今後この社会進歩していって人間の心がより高次になっていくうちにゲマインシャフトから叩き出されるようになるのかなあ。

2019-04-27

日本正義の国じゃないよね

毎日新聞公文書クライシスっていう特集、読めば読むほど笑えてくる。

http://b.hatena.ne.jp/search/text?q=%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9

情報公開法では立派な理念が定められているけど、やっぱり情報開示はしたくないから、大臣の面会や会合の出席などを記録する日程表をその日のうちに廃棄する、それを防ぐためにNPO毎日開示請求する、って関係者がみんな真面目に無駄なことにエネルギー使っている感じがとてもよい。どちらも法律を守りつつ法の穴をつこうと攻防しているのが、生真面目な日本人らしい感じがよく出てる。

今の法制度はだいたい政府はまともなことをやるっていう前提になっているから、内閣法制局長官を挿げ替えたり、公文書偽造したり、下っ端公務員自殺に追い込んだりする政府と闘ったらまあNPOその他市民社会は負けるよね。中選挙区制下でうまく働いていた自民党内のチェックアンドバランス崩壊しているのに、それに代わるシステムがないんだから


残念だけど、日本アメリカみたいな正義の国じゃなくて、暴走を止めるシステムが弱いのだな、というのを再確認している。アメリカには日本よりずっと悪い人もいるし、国のトップとしては、今のところトランプさんは安倍さんよりずっとひどいとは思うけど、アメリカには自分良心に誠実な人も多い。

大統領周辺の人間大統領命令遂行することを拒んだので、特別検察官捜査に影響を及ぼそうという大統領努力は、おおむね不成功に終わった。(ミュラー特別検察官報告書)

The President’s efforts to influence the investigation were mostly unsuccessful, but that is largely because the persons who surrounded the President declined to carry out orders or accede to his requests.

https://www.ft.com/content/0cbf2628-61d5-11e9-a27a-fdd51850994c



安倍さんトランプさんより今のところまともとはいえ北方領土で変な妥協をしたら、神武天皇以来2600年の日本史上初めての、私利私欲自分名誉)のために領土を売り渡した日本トップとして燦然と名を遺すと思う。過去日本領土を失ったのは、白村江の戦い三国干渉第二次大戦くらいだけど、どれも戦争大敗したとか、到底勝てない列強から要求を断り切れなかったとか、やむを得ない事情があったときだけだからな。ちょっとした景気後退リーマンショック級(百年に一回レベル)と呼ぶ政府から、今のロシア政府からプレッシャーも、三国干渉並みの圧力だ、とか言うのかもね。

2018-11-06

anond:20181106222958

万人が眉をひそめるから社会の総意として殺していい

というポイント市民社会が二度と立ち戻ってはいけない通過点のはずだもの

2018-10-07

redditでDieOffだのPeakOilだののsubredditを購読してる(もちろんそれ以外にもたくさん購読してる)んだけど、やっぱりイケイケな経済成長論者とは空気感全然違うよね

石油天然ガス石炭が減耗(ピークオイル論者の間ではほとんど常識だけど、これは「枯渇」とは全く異なる概念であり「減耗」は「枯渇」なんかよりずっとあり得る現実的な脅威ではあるが)するというのはおそらく事実だろうけど、それに対する資本主義者の考えは端的にいえば「何も考えてないんじゃね?」だしそれ自体はしかたない

2018年だけでも異常気象日本でも何百人も死んだけど、それですら気候変動(あるいはそれを引き起こしたであろう産業活動のもろもろ)との関連を多くの人は否定するんだろうから死ぬべくして死んだ命なんだろうなとしか思えなくなってくる

とかうだうだいってる自分エネルギー分野で研究職になるのを目指したきっかけはそういうことながら、蟷螂の斧的な無力感でいっぱいでどうしようもない。

どんなに経済が発展しようが、人間が、この社会物理的な存在である以上、熱力学の教える物理法則から決して逃れることはできない、単純にこれだけなのに市民社会というもの経済熱力学的制約を何も考えようとしないんだから民主主義に従って勝手エントロピーを浪費して溺れ死ね、としかいいようがない。

2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

2018-10-01

anond:20181001191226

左派としては国家個人に口出しすることは禁忌としたいが、推しマイノリティのために他の国民奉公して欲しいんだよな。

それで、お前は国籍が同じというだけで他人への奉公強制するナショナリストなのか?

って聞いたら大体は、違う、国籍はどうでもいいが市民社会の一員として他の構成員を救う義務があるって答えるんだよね(この話を「藁人形論法だ!」と批判する向きがあれば、歓迎する。そんな論理左派が今後使うことはない、と確約できたことになるから)。

国籍ですら論争になってるのに、いつの間にやら市民社会なんて国より訳分からん組織に加入した覚えなどないし、むしろ海外の似たような市民社会の民に助けを求めた方が勝算が大きい。

2018-09-18

社会正義を叫ぶひとに対する一抹の違和感

一言でまとめると「自分が支持し、主張する立場恣意性(非論理性)に無自覚人間が多すぎる」。

青識亜論まわりでいま丁度燃えているけど、個人的な印象論の範疇で言えば、フェミニストLGBT側の立場人間は、「自分他者を抑圧している可能性」というもの無自覚すぎるんですよ。

自分が、自分自身にとって大事だと思う権利を守るために、それを侵害する他者権利を抑圧する」、これ自体別に珍しくもなんともない。だけど、それを無自覚にやるのは流石に問題がある。丁度、「ラノベの表紙が気持ち悪い」「LGBT気持ち悪い」「殺人」を等価に置いた社会学者がいたよねという話題でもそれは結構散見される。

今更こんなことを言わなきゃいけないくらいに人類の知性は発展してこなかったんだという事実を目の当たりにするのは悲しいけれど、「論理的に等価である」というのは別に珍しくもなんともないんですよ。

LGBT気持ち悪いと思う権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと思う権利」も、誰にだってあるんです。

そこから一歩進んで、「LGBT気持ち悪いと発言する権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと発言する権利」も、誰にだってある。ただし、そこには発言したなりの責任が伴う。「LGBT気持ち悪い」と発言することによって、LGBTである人々を抑圧することはあるでしょう。それと同じことで、「ラノベの表紙が気持ち悪い」と発言することによって、ラノベの表紙を描くことをライフワークにしているイラストレーターさん・ラノベの表紙によって生きる糧を得ている人々(ざっくり言うと女性から切断された「キモくて金のないおっさん」を例に挙げておきますが、もっと単純にそれを単純に「いいイラストだなー」と思いながら受容する人々[男女問わない])を、抑圧することもあるでしょう。

そこは、何をどう解釈したとして、論理的に等価です。

では、その二つの何が違うかって、「何かを気持ち悪いと発言することで、どれだけの存在保護しようとしているのか。そうすることで、どれだけの存在を切り捨てることになるのか」という違いでしょう。

LGBTへのヘイト発言禁止することで救われるLGBT当事者気持ち価値は、LGBTへのヘイト発言禁止された人々の気持ち価値を上回る。LGBTに対するヘイト発言は、LGBT当事者を下手すると死にすら追いつめてしま可能性があるし、そういった想像は容易だからだ。

では、それと論理的に等価であるところの、「ラノベ気持ち悪いと発言する」ことの場合はどうなのか。ラノベ気持ち悪いと言われることで抑圧される対象は、発言を受けたことでLGBT当事者と同程度に守るべきなのか。これは個人的見解だが、同程度の重みを持たせることは、少なくとも想像範疇では難しいのではないかと考えている(これは、あくま個人想像範囲である)。

だけど、そこから一歩進んで、「気持ちいか規制すべき」という話になると、話は別だ。

LGBT気持ちいからその権利規制すべき」となったら、まあ、少なくない人間直感的におかしいと思うだろう。「気持ち悪い」という内心の権利を守るために、他者人権制限するというのは、保護法益バランスが全く取れていない。

では、「ラノベの表紙が気持ちいから、ラノベの表紙を制限すべき」という話になると、直感的におかしいと思う人が減る、という印象が、本増田にはある。減る理由はわかる。当事者属性の違いだ。LGBTである人々の存在は、少なから想像がつく。フェミニズムが守ろうとしている「女性」という存在も同様である。それに対して、「ラノベを表紙を制限することによって抑圧される人々」の存在がやや想像しづらいというのは、まあ、わからなくもない。

ラノベの表紙は「娯楽」である。娯楽に対して、LGBTというのは在り方そのものである。在り方そのものと、娯楽とであれば、そこの比重が異なるのはわかる。だが、世の中には、少数であっても、「ラノベの表紙を書くのが生業である人々」「ラノベによって救われている人々」が存在する筈なのだ。そこにあるのは、人類の数%(1億人近く)の権利を守るために、数千人の権利を縛るべきかどうか、という利益衡量の問題である人類の半分である女性権利を守るために、何千万人と存在するミソジニーな人々を抑圧すべきか。あるいは、女性権利を守るために、ラノベ関係する人々の権利を抑圧すべきか。

ここで本増田が言いたいのは、「お前の発言で抑圧される人々がいるから、ラノベの表紙を気持ち悪いと言うな」という話ではない。

現実世界において権利権利がぶつかるのは当然であって、そのような現実において、ある特定立場の人々を「守らない」という選択をするのは、仕方がないことだとは思う。だけど、その「守らない」という選択したことから目を背けるのは、誰がどう取り繕ったとしても、欺瞞しかありえない。

LGBT気持ち悪いと思ってしま人間にとって、それは仕方がないことだ。だが、発言した瞬間に、LGBTの人々を敵に回す覚悟必要だ。

それと同時に、ラノベの表紙を気持ち悪いと思う人間が、それを口に出し、主張する場合、「他人を抑圧する」という現実から目を背けてはならない。

況んや、「規制すべき」という話になると問題はかなりでかくなる。ここに来ると、「規制すべき」という形で、表現の自由問題が関わってくるからだ。

表現の自由」は、誰かが誰かから抑圧されないための権利である(それは主に公権力であることが多かったが、それ以外の私的権力からの抑圧を防ぐためでもあろう)。それは、どんな人間にとっても、本来的に備わっているものである、と法学人権定義をそのように構築してきた。それを制限するためには、それなりの整合性、具体的には「保護法益がどの程度大きなものなのか」を精緻検算しなければならないと、様々な判例の構築によってその線引きを見積もってきた。世の中の人々が考えている以上に、表現の自由ものすごく大きなものなのだ

それに対して、気軽に「ラノベの表紙が気持ちいからそれを制限しよう」と言い出す人たちは、その権利の重さをどの程度理解しているのだろう。「ラノベの表紙が女性扇情的に描くことで、女性蔑視・女性の「モノ化」・男尊女卑的な観念等を強化する」というのは理解できる。そして、それを守ることがそもそも男尊女卑的な、フェミニズム批判し続けてきた構造権力を強化するから全く擁護できない、という話もわかる。

だけど、それを主張することで、逆に自分たちが誰かを抑圧する可能性について無自覚か、目を背けているひとが多すぎやしないだろうか。

最悪、抑圧が発生するのはいいよ。民主主義ってもの絶対に少数派の意見を切り捨てる(厳密に言えば、多数派は少数派の意見を最大限聞かなくちゃいけないのだが、本題から逸れるので一旦措く)ので、仕方がない、避けようがない部分もあろう。でも、「そもそも自分たちは誰も抑圧していない」と言いはじめるのは、何か違うんじゃないか

俺が、青識亜論は少しむかつくけどそれ以上に彼を擁護したくなるのは、それが原因だ。青識亜論は特権性について何度も言及していた。市民社会において、どのプレイヤーも、プレイヤーとしては等価な筈なんですよ。市民市民を抑圧することはできない。市民は抑圧に対して抑圧に反発する権利がある。その権利が、あたか存在しないようにふるまう少数派が多すぎる。

せめて、「私は少数派の権利を守るために多数派権利を抑圧する立場に立ちます」くらいの大上段はふるってほしいものだ。本増田はその権利を守る。

2018-09-01

me tooに代表されるある種の「正義」と、その恣意性が孕む課題について

岡田斗司夫朝日新聞で連載している悩み相談を読んだ。

https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html

回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者岡田斗司夫である以上、「朝日新聞岡田斗司夫指導者という立場を利用したりして精神不安定女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚会社だと思ってる。 」というブコメがついている。

ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動のものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動判断する」。

これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価自身判断不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会完璧ではないので社会公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。

そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。

上記の例で言えば、岡田斗司夫評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分評価差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズ監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去不適切ツイート理由シリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーション存在し、「灰色は白である」=推定無罪価値観あくま刑事事件公的権力市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガン擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句アニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪

雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義一枚岩ではなく、黒と白の間には無限グラデーション存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。

社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的社会コミットしなければならない。あたか村上春樹デタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間矛盾する生き物だからね。

だがはあちゅうてめーは駄目だ。

2018-03-09

職場の悪評が表に出てくるようになってうれしい

いやー、うれしいわ。ほんと。あのクソ会社、ざまー。

ワイの前職の会社、ただの人売りメインの弱小SIerで、はてな名前を出してもほぼ誰も知らないような会社だと思うレベル会社だけど、去年のワイが在職してたころくらいまでは、ネット上に特に悪評はなかったんだな。

それが、自分が辞めた前後にぽろぽろと出始めた。自分が辞める前後自分以外にも退職ラッシュだったんだけど、そういった人たちの一部が、2ch(今は5chか)はじめ各地で、クソ会社の内情を書き始めてた。社外の人まで悪評書いてるのを見つけてしまったしw。最初は驚き戸惑い、元会社からワイが書いたと疑われないか心配だったが、書き込みがその後相次いできてた。みんな、我慢してたんやな。それらを読んで、一人でも多くの人が転職を思いとどまってほしい。あの会社にジワジワと効いていってほしい。

ワイの所属してた弱小クソSIer、いや、弱小クソ人売り、まぎれもない奴隷商人しかいいようのない奴隷商人のクソども、の連中、表向きは「IT社会貢献」を謳ってて、某経済学者提唱したCSV(社会貢献価値創造の方。ファイル形式やないで)を会社理念にして、われらこそはこれから市民社会企業の在り方を考えるIT企業だ、とかほざきまくってたけど、内情はただの人売り奴隷商人だったからな。しかも、自分たちが奴隷商人だと指摘されると、何を指摘しやがるてめーはCSV理解できないのか!と逆切れする非常に悪質で悪辣奴隷商人ゴミ連中。自分たちを本当に社会貢献企業だとでも思ってんのか。採用ページとかでは理想論ばかりほざいて、採用した奴は即客先に売り飛ばし文句わず客の言いなりになって働いてこい、のゴミ企業。多くの技術者が常駐先のことについてメールアラート上げてても、会社側の人間どもは助けるどころか、お前文句ばかり言いやがってうちのような素晴らしい社会貢献企業で働けてるのに何が不満なんだ?でねじ伏せといて、いや自分たちはねじ伏せてないと徹底して自己欺瞞を通せる厚顔無恥連中。

で、世の中の人手不足バンザイな状況と連動して、ワイの元会社も去年あたりから退職ラッシュが続いてた。そりゃまあ外面だけ綺麗面のゴミ企業だったし、技術者我慢して居続ける理由などない会社だったもんな。めぼしいやつらはみな辞めていった。で、去年後半あたりから悪評がぼちぼち出始めてる。ざまー。このまま人手不足倒産まで行ってくれ。地獄に落ちろ。

2018-01-05

身内に毒な家族を持ってしまった人へのライフハック 追記あり

わが実家でこの問題を抱え始めて早4年、まだまだ解決には程遠いですが去年末からようやく前へ進み始めてすこし希望が見え始めた増田おっさんです。

2017年にみた精神疾患抱えたお母さまを精神病院措置入院まで持ちこめた増田さんみたく、うちも解決してからこれまでの経緯を書こうと思ってたんですが、正直まだまだ解決までの道は遠いです。あと同じような問題を抱えている人に少しでも助けになればと思って俺なりの「毒家族対処法」をリストアップしたいと思います。なにぜ俺やほかの家族がこの問題に直面してネットでいろいろ検索しても、見つかったのは2ちゃんまとめサイト煽りエントリとか、明らかに非合法ひきこもり公正団体とか怪しげなアフェリエイトサイトかばっかで、まともな情報全然見つからないのです。(ググってもカス!)

ある増田ケーススタディ

大まかにうちのケースを紹介しましょうかね。俺はすでに結婚してよそで家庭もっている身なんですが、7,8年ほど前に借家住まいの両親のところに離婚して子供一人のシングルファザーしてた弟が合流、最初の3年ほどはみんなで助け合ってうまくやってたんですが、4年ほど前に弟が突然仕事をやめて自分事業を始めたのが終わりの始まり。彼の事業は1年もたたずに資金も底をつきて逆に借金地獄となり、しまいには自分の子供の世話や生活ほとんど親に丸投げ状態のうえ、いつの間にか自分境遇を親の責任だといい始めてまともな仕事もせずに高齢の親を働かせ金や車を巻き上げて好き勝手しているという状態です。家族の俺らからみても明らかに精神を病んでいるか精神科に診察してほしいのに本人の同意なんてもちろん得られるに何もできずに今に至ってます。ただあまりうちの個別のケースを持ち出すと「追い出せばいいじゃん」とか「児童福祉課に通報しろ」とか「精神病院つれてけ」とかそんな既にやってるし簡単に出来たら苦労せんわ!っていうクソリプが続くと思いますし、他の困っているご家族にも適応できる話から逸脱してくるのでこれくらいにしておきます

可能なら」まず逃げる!

まず最初に言いたいは、もし可能であればその毒な人間から一刻も早く逃げることです。ただこれはあくまで「可能であれば」です。よく長年家族間DV被害にあってたりブラック企業に勤めて精神を病んでしまった人に「なんでさっさと逃げないの?」「そんな会社やめちゃえよ」と言ってくる人がいます。そういう方に言いたいのは、そういった理不尽な暴力や状態から「逃げる」という選択をするにはある程度人間が強くないとできないのです。具体的には逃げるための経済的余裕、安定した仕事、頼れる家族や友達、そして健全な決断力。これらがないと「逃げる」という選択はできません。大抵の人たちはその絶望的な現実を前に「逃げる」という気力すらへし折られているのです。

家庭内でため込まず第3者に助けを求める。

上記のようにもし逃げたくても逃げれない状態でこのように家庭内DVで苦しんでいる場合、なるべく早い段階で同居している家族以外の信用できる親戚や公的な第3者に助けを求めてください。過去には普通に暮らしていた家族の一員だと、その人の変わりようが一時的わがままなのか、それとも完全に基地の外にいってしまった無敵の人なのかの判断は常に難しいです。一緒に住んでいるとじわじわと心を蝕まれてなかなか実感がわかないでしょうが、ほんの1,2日でもその対象から離れて生活した際にとてつもないストレス解放感を感じたら、あきらかにその人は一緒に住んではいけない人です。雑談愚痴話でもいいので誰か信用できる人に相談しましょう。俺のように同居してない遠くにすむ家族の一員でもいいですし、もっとおすすめなのは近隣の役所にいって公的サービスまたは地域見守り型のNPOを探してかたっぱしか相談しましょう。結局俺も遠く離れているとなかなか対処できないので、親が住んでいる地区高齢者見守りNPOを探してそこのソーシャルワーカー連携して対応してます。とにかく同じ家族内だと常に毒家族に振り回されて冷静な判断力だんだんと落ちてきます。だから定期的に家族とは関係ない第3者に連絡して、自分たちがおかれた状況について冷静な視点をもてる人を味方につけておきましょう。

公的サービス限界認識せよ

さて先に「公的サービスに頼れ!」といったそばから絶望させますが、残念ながらこれらの団体相談しても現在あなたが抱えている家族問題解決することは極めて難しいことを覚悟してください。その毒な家族包丁をもって暴れるとか殴り掛かってくるとか直接的な危険があったらある意味簡単なのですが、大抵のケースはもっと日常じわじわとした言葉精神の暴力でほかの家族の気力を削り取っていきます。これらの事例はグレーゾーンであり直接的な被害でないかぎり警察通報しても警告されるだけで終わりです。(ちなみに俺は警察相談した際、弟の薬物依存可能性も指摘しましたが、具体的な証拠がないと調査できないといわれました)おそらくやっとの思いで見つけたNPO団体相談しても、聞く人によってはただの家庭内喧嘩しか取り合ってくれないこともあるでしょう。うちも弟が狂ったように暴れて両親や甥っ子(弟の子供)が泣きながら電話してきたときに何度も警察を呼びましたが、家に警察がつくと弟はきゅうに大人しくなり、警察も警告を与えるだけで帰っていくというケースを何度も経験しました。一応かれらNPOや役所の人たちの立場からすると、彼らも明確な証拠がないかぎり、具体的な対処はできないのです。我々にとっては完全に毒な人だちでも、公的にはみな基本的人権ってのがあるのです。それを無視してして「自称被害者の話だけを重視して行動すると一昔前の座敷牢痴漢冤罪事件のようなことが起こりえるわけです。我々としては納得いかない点もありますが、ある意味でこれもちゃんと法律ベースにした市民社会機能している弊害だと割り切らざるをえません。

大事なのは「あきらめずに助けを求め続けること」

大事なのは、それでも何度もあきらめずに公的サービスに助けを求め続けることです。うちのケースでは、これまで様々な児童福祉課、高齢者見守りNPOや役所サービス経由で10人以上のソーシャルワーカー相談しましたが、うちのケースに真剣に向かい合ってくれる方に出会うまでに3年以上かかりました。5人目のソーシャルワーカーでようやく電子メールでの連絡を受け付けてくれる方と出会い、日々の家庭内でのトラブルを詳細に説明できるようになりました。そして過去に行ってきた役所警察への通報記録は、後々裁判沙汰にまで発展したとき重要証拠記録として残ります暴力事件などわかりやすい事例がないので、こういった第3者への通報記録は後々強い武器になってくるのです。ただ警察通報するには、家族内でつねにコミュニケーションをとっておく必要があります特に思春期の子供がいる家庭では「警察通報」は子供にとって大きなストレスですし、また警察を呼んでも事態ほとんど解決しない現実への絶望半端ないです。実際俺も甥っ子に「もう警察よんでも無駄からやめてほしい」「同級生にうちのことがばれちゃう」と泣きつかれて、それ以降は警察通報できませんでした。

安易に金を使っても事態悪化させるだけ

続いて「金は極力使うな!」と頭に叩き込んでください。このような毒家族に蝕まれた家庭では遅かれ早かれ生活費が回らなくなってくるので金が足りなくなってきます。それこそ俺のように離れて暮らす家族に金の工面をしてくることもあるでしょう。ただここで安易お金をだしても、事態解決に何も進展しません。むしろあなた金銭ヘルプをすることで生活自転車操業でも継続可能になると、根本問題がどんどん先送りになるだけです。あなた金銭ヘルプをしている間は生活が回る状態になると逆にあなた貯金が底を尽きるまで何も解決しません。あなた自分以外の誰か信用できる友人に相談して、冷静な意見を聞いて金の無駄使いは極力減らしましょう。個人的には「毒実家生活が回らなくなり引っ越しせざるを得ない状態」になったら引っ越し費用くらいを助けるのはアリだと思います。また毒家族に苦しむほかの家族を定期的に外食に誘ったりして短期間でもリフレッシュさせるのもいいと思います

毒な家族あらたな毒を回りにまき散らかす

たこ問題がやっかいなのは毒な家族本人の問題が一向に解決しない状態が続くと、その周りにいるほかの家族関係もどんどんギスギスして喧嘩が絶えなくなる点です。うちの実家の例をいいますと、「無敵の人状態の弟と彼の息子の生活費を稼ぐために70歳を超えたうちの父は今もタクシーコンビニバイトなどで週に6,7日働いています。たしかに大変で感謝してもしきれないのですが、その結果残された母がその弟と直接向き合う状態になります。逃げる機会が限られている母は次第に「お父さんは自分だけ仕事に逃げて、私に次男問題押し付けてる!」と恨みつらみをいうようになり、また弟の息子も断端と彼の父親をまねておばあちゃん(俺の母)への対応乱暴になって喧嘩ばっかになってます。本当に負のスパイラル状態になりますので、これも定期的に同居してない家族や第3者が入って落ち着かせてください。

家族問題は長期戦。合わないソーシャルワーカーはすぐにチェンジ

これまで何度も書いてきましたが、毒家族問題について早急な解決法は極めて稀です。結婚した配偶者からのDVだったら離婚すればある程度は逃れられますが(それでも逃げ切るのが難しいのは承知です)、血を分けた親族間のトラブルは縁を断ち切るのが非常に困難でとにかく時間がかかります。ただうちのケースでいえば、去年末から担当してくれてる児童福祉課のソーシャルワーカー(3人目)がようやくうちのケースを深刻に受け取ってくれて、現在甥っ子の親権を弟から俺の両親に移す手続きを進めてます。これまでの通報記録や弟が大量に滞納してる交通違反切符、そしてソーシャルワーカーが何度も弟との面談希望しても、弟がそれを拒否&逃走しつづけるのが決め手になりました。

家族問題に明快な解決法なんてない。常にケースバイケース

うちは甥っ子の将来があるので、できるだけ毒な弟をほかの家族から遠ざける方法を探しています。ただもしうちの弟ほど酷くなくて自室で大人しくゲームしてくれるだけの人畜無害な存在だったら、経済力の余裕があるうちは現状維持放置でもいいんじゃないんですかね。実際いろんなとこに相談して、そういったご家族のケースを何度も耳にしました。俺としてはその家族が長年さんざん悩み続けてるのは想像にたやすいので、その結果の決断として現状維持選択されてるなら、もうそれは尊重するしかないですよね。ただ俺はもうこういったダメ人間には非常に冷淡な人間になってしまったので、彼らの親が他界してから人生なんてホームレスにでもなればいいというスタンスなのでそこらへんの心情は忖度してください。

とにかくうちらみたいな困った家族って日本中にけっこうな数いると思ってるんですが、ネットいくら検索しても具体的な対策法がなかなか見つからないんです。だからせめてうちのケースでよければ少しは参考になるかと思って書き起こしてみました。

思えばうちの弟や毒になってしまった人たちも哀れな人だとは思うんです。おそらくいろんな問題が折り重なって社会や家庭で居場所を失って、本当は助けを求めているのにそれすら素直に言えなくて家族に甘えて乱暴に接することでしかコミュニケーションが取れなくなっているんでしょう。頭ではわかっているんですが、それでもやられてる側はたまったもんじゃありません。「本当は助けを求めているんだな」って思いながら、なすがままに殴られレイプされ続けるのを耐えられる人はいません。絶対にそこから逃げなければならないし、逃げれないならその毒な対象排除するなりで強引に沈静化させるしかないんです。このどうでもいいライフハックネタとして楽しめる人はきっとこういう問題に無縁な幸せな人なので素直にうらやましいです。何かの間違いでこういう事態に巻き込まれないように自身幸運感謝しつつ神様に祈っててください。

追記

id:novak777 “合わないソーシャルワーカーはすぐにチェンジ”これは広く知られてほしい。

これ正確には自分たち意思で違う方に変えてもらったというより、各施設ソーシャルワーカー多忙なため一度「そこまでの緊急性はない」と判断されると数週間たらずでその案件は終了になってしまうんです。そこでめげずに違う案件で児童福祉課や老人虐待などで通報して、違うソーシャルワーカーに来てもらってとを繰り返した結果が今です。

id:kpkpkpchang "家に警察がつくと弟はきゅうに大人しくなり、警察も警告を与えるだけで帰っていく"こういう時に、レコーダーでの音声や、動画を撮っておくことがどの程度有効なのか知りたい。

音声や動画を撮っておくはとても有効です。ソーシャルワーカーにも可能なら音声や動画の記録をすすめられました。ただこれも思ったほど簡単じゃないです。うちの場合は機械に詳しい父がほぼ毎日仕事に出かけているので機械オンチの母にはなかなかセッティングできない。また母は弟が逆上すると泣いてパニックになるほど怯えている状態です。何度か小型の録音機を渡していざという時にポケットに忍ばせて録音ボタンを押すようにとお願いしたのですが、目の前に弟がいると恐怖でそういった行動がとれませんでした。また隠しカメラマイクなどで録音するのも悪くないですが、後々膨大の音声データからこまめに問題個所のチェック&編集するのはなかなかの手間です。

2017-12-20

日本人道徳感情日本社会自身を傷つけるブーメランになっている

外国人日本社会民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人右派の満足した社会意識"を、市民社会合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派SNSに "我々は、道徳的社会観の象徴である安倍政権現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。

ヒステリック道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。

第二次世界大戦敗戦後のアメリカ保護国化のもと日本先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情ほとんど全員に共有され、社会物語とされている:日本社会栄光は、自由価値観とは反する道徳思想妨害された。

日本蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動不倫なんかがそう)。特定日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要問題無視するための、便利な弁解を提供している。

道徳感情はまた、教育文化問題凌駕している。1990年代2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。

未成年あるいは高齢化する貧困公共インフラ破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。

アメリカ保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システム見直し検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情独自生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬ブーメラン日本社会を傷つけている。

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-10-27

anond:20171027144735

メンバーシップ雇用って、いつ頃が源流なのかね。

江戸時代後期~明治時代とかかなと思ってんだけど。

近世になって資本が蓄積されてくるのに合わせて、丁稚方向から番頭のれん分けへといういわゆる日本型雇用形態になったのかなぁとか。

江戸時代近世市民社会が長く続きすぎたせいだろうかなどと、妄想

同じように資本が蓄積し市民社会が成立したヨーロッパは、日本ほどは資本メンバーシップが強く結びついてない感じもする。

ヨーロッパはその頃に革命とかで忙しそうにしてたから?とか、貴族血縁メンバーシップの方が強かったから?とかうんぬんと、妄想

2017-09-16

https://anond.hatelabo.jp/20170916184756

駅野みちかの萌え絵バージョン排除するのも、受容するのも、どっちも自由だわ。

鉄道利用者OKNGかの意見を出し合って、最終的には鉄道会社が決めればいい。

  

まあ、鉄道っていうのは公共施設から私的にやっている宗教団体コミケとはその立場が違う。

そこでは「差別ダメ」という市民社会ルール適用されるよ。

  

(あの萌え絵を「女性差別」と言っていいかどうか分からないし、むしろ逆に、偏見萌え絵を叩くことこそが「オタク差別」と言えるかもしれない。

ともかく公共施設差別をやってはダメだよ。)

差別する自由」はある

イスラム教モスクに、酒や豚肉を持ちこもうとしたら拒否されるだろうし、女性露出の多いファッションで入ることも拒否されると思う。

ここではイスラム教価値観絶対視されていて、それにもとづく作法強制されている。異教徒は客人として扱われ、その作法に従わないとき排除されるだろう。これは「差別である

  

私は他者危害にならないかぎり「差別する自由」を擁護する。イスラム教徒モスクの中で異教徒差別してよいと思っているし、それは当然だ。

同様に、キリスト教教会キリスト教徒のために存在し、仏教寺院仏教徒のために存在すればよい。そこに市民社会ルールを持ちこむべきではない。

  

大切なのは政教分離の徹底と、信教の自由である

「嫌なら出ていけ」「差別されたくないなら退去せよ」というのが原則だろう。

  

参考

差別から自由」は「差別する自由」に優先する。よって「差別する自由」などというものはない

  

しいたげられたしいたけ

http://www.watto.nagoya/entry/2017/09/11/220000

  

追記

そういえば真木よう子コミケ出展騒動で、一部のリベラルが「オタク不寛容だ」とか「オタク差別主義者だ」と言っていたけれども、もし皮肉冗談で言っているのでないならば頭が悪すぎる。

文化されているかどうかにかかわらず、村には村のルールがあるんだから、それを守らない者が排除されるのは当然だ。

コミケ独自ルールはたしか理解不能で、オタクのやっていることはキモいと思うが、まあそれだけの話だろう。そこに「差別」があろうとなかろうと、リベラルがしゃしゃり出るべきではない。

  

  

追記2

トラバのほうに書いたけれども、宗教施設の内部でおこなわれているマナー作法強制は、「差別」と呼ぶべきものである

もしそれが差別でないとすれば、私たち公共空間で起こりうる差別を「差別」と呼べなくなってしまう。

モスクでは、性別という「本人の力ではどうにもならない物」を根拠にして、人のファッションを厳しく制限している。

例えば女性けが露出の多い格好をしてはいけないとか、スカーフを顔につけないといけないとか……。これは差別じゃないの?

そういえば仏教神道だって女人禁制修行場とかあるぞ。

そもそも特定宗教団体が定めているマナー作法なんてものは、まったく合理性がない。それを強制するということは、他宗教の人たちへの差別となる。

宗教団体施設内でこの「差別」をやっているだけならば、私たちはひとまずそれを自由として尊重するべきだろう。しかし、国家権力がそんな差別行為に加担してはいけないし、学校職場では差別を固く禁じなくてはならない。

  

すなわち、宗教趣味のような私的コミュニティは、その内部においてのみ「差別する自由」を有する。

からこそ逆説的に、学校職場のような公共空間における差別禁止可能になるのだ。

  

  

追記3

モスクが様々なルールをもうけていることに対し、「差別ではない」というブコメが多くて唖然とした……。

べつにこれはイスラム教に限らないけど、宗教教義とか、作法やしきたりが差別を含んでいるのは明白だ。そこに差別があると感じ取らない奴は、さすがにちょっと頭がおかしいと思う。

そのうえで、宗教団体はその差別的方針に基づいてコミュニティ運営してよいが、国家運営学校職場においてそれをやることは許されない。要はそれだけの話なのに、なぜこんなに反発されているんだろうか?

(もちろん公共空間と、非-公共空間の境目はわかりづらく、厳密に考えていくと厄介な問題になるとは思うが。)

  

  

追記4

id:taka37564 なんで差別問題になると、こうも頭の悪いことを言う人が出てくるんだろう。お前は「差別」を「殺人」や「強姦」に置き換えても同じ事が言えるのか?

え? 同じことが言えるわけねーだろ?

はてなリベラルって、こんな頭のおかしいヤツばっかりだなww

  

モスクの中で殺人強姦をする自由はない。だが、差別をする自由はある。

例えば、「女は露出の多い格好をするな、顔にはスカーフを着用しろ。この命令に逆らった女は排除する」などというルールは、まぎれもなく女性差別だ。しかし、イスラム教徒モスクをこのようなルール運営することを、われわれは彼らの自由として保障するべきである

  

無論、このために世間から女性差別という評価を受けるだろうが、それはイスラム教がそういう宗教だということにすぎない。

彼らが改革をして近代的な宗教としてアピールするもよし、昔ながらの閉鎖的な古臭い宗教としてやっていくもよし、どちらの道をとることも我々は容認するべきだと思う。

2015-11-29

「緑の行進」40周年ロイヤルスピーチ

神に讃えあれ

平安と祝福が預言者とその一族にあらんことを

国民よ

この「緑の行進」四十周年記念式典は、いつもの行事や通過的祝典ではありません。それどころか、王国領土保全を完成させる過程における重要な局面なのです。

我が国土の解放、そして平和安全の強化の大いなる達成に続いて、我が国サハラの人々がれっきとした国民となり威厳のある生活を楽しめるようにしようとしてきました。

今日、「緑の行進」の40年の後、我々は、その有利不利にかかわらず、サハラ問題についてこれまで対処されてきたやり方からの、金利生活者経済や特権からの、民間部門の参加が貧弱であることからの、そして中央集権的なメンタリティからの、根本的な決別を求めます。

何故今日、40年の後なのでしょう?

そう、何年もの犠牲と、政治的かつ開発志向の努力の後に、我々は成熟を達成しました。

今、国家の一体性統合過程における新時代夜明けと、我々の南部地域祖国への完全なる統合の達成のために、機は熟しています。

南部地域開発モデル」の実行と進歩的地方分権化の適用は、その過程の一部です。

国民よ、

私は是が非でも、南部地域我が国民達へ彼ら自身仕事をこなすの必要なすべての手段を与えて、彼らが彼らの地域を開発できることを確かめたいのです。

太古の時代から、このサハラの人々は学者や季節的交易者として知られてきました。彼らは額に汗をして生計を立て、威厳と誇りを持って暮らしていました。厳しい生活環境にも関わらず、誰からの助力も期待していません。

私が話しておりますのは真のサハラウィ、彼らの祖先モロッコの王との間にいつも存在していた忠誠の絆へと身を捧げて続けてきた本物の愛国者のことです。

我等が敵たちのものの見方に乗せられて彼らを支持する少数の者についていえば、それらを許す余地は我々の間にはないのです。しかしながら、本心に立ち返り悔い改めた者に祖国は、概ね寛容かつ寛大であります。

国民よ、

南部地域開発モデル」を実行することは、これらの地域の我が同国民への我等の義務を果たすことに我々がどれほど身を粉にするかを示すもので、それゆえに統合的開発のモデルとなるでしょう。

我々はこの「開発モデル」に、統一祖国へとこれら地域を統合すること、そして、経済的ハブとして、またモロッコとそのアフリカルーツとの間の決定的な絆として、サハラ地域の影響力を拡大することを望んでいます。

そのために私は、利用できる全ての手段を集めること、全能の神の御恵みにより、ラユーン=サキア・エル=ハムラ、ダフラ=オウド・エッダハブとゲルミム=オウド・ヌーンの諸地域にて社会・医療・そして教育のプログラムとともに、多数の主要計画を遂行することを決断しています。

インフラに関しては、この地域の道路ネットワークが拡大されるとともに、国際標準に準拠した二車線道路がティズニットとラユーン、ダフラを繋ぐために建設されることになります。

私はまた、アフリカ各地とを結ぶハブ空港南部地域に設ける検討をすることも、政府に求めました。

私の念願の一つに、アフリカ他地域とモロッコを繋ぐためにタンジエとラグイラを結ぶ鉄道を実現することがあります。今日マラケシュラグイラ線完成のために今必要となっている資金の確保に助力いただけるよう、全能なる神に祈ります。

我々にはまた、「偉大なるダフラ大西洋港」を建設し、南部にて主要太陽光及び風力エネルギープロジェクト遂行して、ダフラと国立送電網とを接続する意思があります。

我々の目標の一つは、これらのネットワークインフラアフリカ諸国へと繋げて、これにより諸国の発展に寄与することであります。

もちろん私は、これらのインフラが、それ自体では、国民の生活状況を向上させることができないと理解しています。それゆえ私は経済発展を推進し、人間開発計画にてこの行程をサポートすることを切望しているのです。

強調しておきたいのは、この点について天然資源からの収入は、この地域の人々の便益の為、そして彼らとの協議と協力にて、この地域へと投資され続けるであろうということです。

地域の資源と製品の利用と振興のために、ダフラの主要海水脱塩プラントや、ラユーン、エル・マーサ、ボジュドーの産業区と施設類の設立のような、幾つかの計画が遂行されるでしょう。

これらのイニシアチブサポートするために、国内及び海外投資家のために明快さと競争力とが共存して、彼らがこの地域の発展に貢献できるよう、投資やすい法的枠組みが制定されることを切望しております。

経済構造を拡大し、事業と社会経済をサポートし、定収入を発生させ、特に若い人々の雇用を創出するために、経済発展基金も立ち上げることになりましょう。

国民よ、

私にとって、最も重要なこととは、サハラにおける我々の同国民の尊厳…とりわけ、若い世代の尊厳…が保護されることを確実とし、彼らの愛国心祖国への傾倒を強めることであります。

よって私は、人口の殆どのセグメントで要求されている公平と社会的正義原則を維持するため、社会保障システムに立ち戻り、これをさらに透明で公平なものとするよう、政府に求めています。

さらに、サハラの人々の心臓と心の中で特別な位置を占めているハッサーニ文化を考慮して、サハラ伝統の保存と推進のために必要となるメカニズムを、とりわけ、この国の南部に劇場美術館カルチャーセンター建設して、強化することを切望しております。

人権についてですが、モロッコは、全能の神のお恵みにより、国家の動員、良好な治安統制、そして国民社会組織との建設連携を通して、たくみに我が敵の目論見を打ち砕きました。

そのうえ、憲法にて定められた機関であります国家人権協議会とその地域委員会は、権利と自由の保護を任務としておりますが、如何なる違背があろうとも、これに対し、公的機関市民社会組織、そして国民との対話と協力を通じ、取り組んでおります。

国民よ、

進歩的地方分権化を遂行して、モロッコの信用を強化するとともに、公約を重んじる国であることを示すのです。

私が国会開会式で強調したように、この地域で選ばれたオフィシャル達は、国民によって民主的に与えられた正当性により、国家機関だけでなく国際社会とも向かい合う、南部地区居住者の真なる代表者となります。

進歩的地方分権化の遂行南部地域が最優先であることを確かなものとするために、一連のプログラム契約が、中央政府と本地域との間で、開発プロジェクトの実行に関する其々の義務をはっきりさせるために、締結されることになりましょう。

私はそれゆえ、王国の他の地域の経験が繰り返されることを期待して、権限委譲立法文書の採択を急ぐこと、適任な人的資源資金とを移転してこれをサポートすることを、政府に対し命じています。

我々はまた、地域部局に対し、この地域の物事を地方レベルで動かしていくのに必要特権を与えるための、本当の行政権移譲勅許状の準備を急がねばなりません。

私はそれゆえ、我々の南部地域居住者とその代表者達が、彼らの責務を遵守することを期待します。今や、彼らが自らの物事を執り行って自身要求を満たすために、制度化された開発関連のメカニズムを設定しているのですから。

国民よ、

モロッコが何かを約束するときは、言行をともにします。我が国は、履行できないことは公約しません。

ですから、我々は世界に向けてこう言いたいのです:他とは違って、我々、モロッコに居る者は、空疎スローガンを使うこともなければ、幻想を売ることもしないのだと。我々が何かを公約するときは、その内容を履行して、大地の上で物事を執り行うのだと。

今日モロッコは「モロッコサハラ」をサブーサハラアフリカ諸国との通信及び通商のハブとすること、そしてそれを達成するのに必要インフラ建設することを誓いました。そして今一度になりますが、我が国はこの約束を守るでしょう…敵たちが好むと好まざるとにかかわらず。

ところで、ティンドウフでは…アルジェリアのですが…人々が、貧困や、絶望収奪そして基本的人権の侵害に苦しみ続けています。ですから、私はこう問うべきと思うのです:

「何百万ドルもの人道的な援助はどこに行ってしまっているのか…一年あたり6千万ユーロも?…分離主義者たちの装備、プロパガンダ、そして弾圧に費やされる莫大なユーロについては言うに及ばず。」

分離主義者の主導者たちが腹立たしくも裕福で、欧州やラテンアメリカ不動産銀行口座を所有しているという事実を、どう説明できるのか?」

「どうしてアルジェリアは、人口がせいぜい四万人のティンドウフ・キャンプ生活条件を…例えば、アルジェの中程度の人口区域と同程度にまで…向上させようとしないのか?」

これはつまり、彼らの威厳を守る住宅6,000軒を、アルジェリアは建てることができていない…もしくは建てるつもりがないのだ、40年にも及ぶのに…ということなのです。

どうしてアルジェリアは…モロッコ軍事・外交で対抗するために莫大な額を費やしているのに…ティンドウフの住人達をあのような恐ろしい、非人間的な状態生活させておくのでしょうか?

かのサハラの、自由で立派な息子たち・娘たちを、人道援助を乞う者に変えてしまった者どもには、歴史が裁きを下すでしょう。

彼らがサハラ女性子供たちの集団の悲劇を利用して、彼らを戦利品に変えてしまっており、違法な商業活用だけでなく外交的論争のための道具としても使っているという事実を、歴史は物語ることになるでしょう。

ティンドウフのキャンプに居られる人々に問います:ご自分たち生活状況がすさまじいというのに、あなた方はそれで良いのでしょうか?このキャンプに居られる女性は、息子さんたちや娘さんたちの間に広がっている絶望と落胆の意味理解しておられるのでしょうか…期待できる展望未来もないというのに?

あなた方は、このような非人間的な状態などよりも良い扱いを受けるに値するものと、私としては信じております。あなた方がこういったことに耐えるのだというなら、誰を責めるわけにもいかないでしょう。そうしている間にも、あなた方の目前でモロッコは、その南部地域の発展を強力に推進していき、この地域の居住者が自由で威厳のある人生を楽しむのを確実にしていくのです。

国民よ、

この「サハラ問題」は、モロッコがその歴史のなかで初めて直面した問題ではありません。この国はシバ(無法)と混沌を知っています…保護領統治のもとで生きながらえ、占領を耐え抜きました。この国は、現代国家を築こうとして独立を勝ち取るうえで、不和と争いの時季も経験しました。

困難な状況に直面する度に、モロッコがいつも昂然として、強固であり団結していることが判ります。何故かといえば、モロッコ人は、自分たちが同じ運命のもとにあると信じ、自らの普遍の価値と領土保全を維持しており、この王と民との間にある密接な絆と団結へと、全面的に委ねているからです。

進歩的地方分権化の遂行と開発モデルの適用を開始することにより、モロッコは、我々の領土保全に係る不自然な論争に対する不変の解決策を見出す機会が多くなることを望んでおります。

そのように信ずる理由はただひとつ2007年モロッコは、国際社会の呼びかけに積極的に応じ、この袋小路から出る道を見出すための案を編み出したからです。

そうして我々は「南部地域の為の自治イニシアチブ」を提案しました。その国際団体からは、真剣で信頼できる提案であるとの判断が出ております。

昨年私が「緑の行進」の記念日を祝う式辞にて指摘したように、このイニシアチブは、モロッコ提供できる精一杯のところなのです。その遂行は、国際連合機構の枠組みでの最終的な政治的解決の達成にかかることとなります。

モロッコの一部について何か別の譲歩を待っている者たちは、思い違いをしています。それどころか、モロッコはそこで与えるべき全てを与えています。モロッコは、このサハラを守るために、自らの息子たちの血を惜しみなく捧げています。

我々は、それ以上の譲歩をしなければならないのでしょうか?一部の国際非政府組織たちが、我々に望んでいるような?

我々は、こういった敵対的態度の裏にある理由を知っています。彼らの狙いは、この国を分割することなのです。しかし当の彼らには我々のことに干渉する権利などないことも、我々は知っています。

これは、国際組織内のある団体がモロッコの歴史を知らないままシナリオを創り出そうとするのに対処するうえで、我々が支持しているのと同じ原則です。そうしたシナリオは、エアコンの効いたオフィスで創り出され、現実から遠く離れて、モロッコサハラに係る地域紛争の解決のための提案として示されているのです。

モロッコは、如何なるものであれ、深刻な結末をもたらしかねない愚かで危険な行動方針も、「自治イニシアチブ」で生まれた前向きな趨勢を転覆することが狙いでしかない実行不可能な提案も、いずれもお断りいたします。

モロッコ製品への敵対的キャンペーンに対しても、モロッコの団結と不変の価値を守る政治と防衛のセクターで発揮されたのと同じ、犠牲と献身精神に則って、立ち向かっていくことになります。我々の製品のボイコットを求める者たちについては、歴然とした国際法違反でありますが、彼らにはそうさせておきなさい。とはいえ、彼らは自ら決めたことの責任を執らなければならなくなるでしょう。

モロッコには、立ち上がるであろう大規模プロジェクト恩恵で、この地域に生まれ投資機会から利益を得るために、自らのパートナーを…国家も、グローバルカンパニーも…招待する権利があります。

丁度、我々がモロッコ北部と南部とを何ら区別していないように、トマトにおいてアガディール産とダフラ産の間でも、イワシにおいてララシュ産とボジュドー産の間でも、燐鉱においてコウリブガ産とボウクラア産の間でも…広く知られるデータ裏付けられているように後者我が国の埋蔵量の2%に満たないとしても…我々の目には何らの違いも、みとめられないのです。

同様に強固な意志と揺るぎなさをもって、モロッコサハラの法的状態を疑おうとする企てにも、この国の北部地域でと全く同じように、この土地、この南部地域にて力と特権の完全なる行使を行う我が国の権利へ疑問を投げかける企てにも、モロッコは立ち向かっていきます。

これはつまり、我々の正当性を良く知らしめ、我が国がなしている進歩をスポットライトで照らし、我々の敵のもくろみに対抗するための、取り組みの強化と警戒の維持、これら全てを、我々は総動員で行っていかなければならないということです。

国民よ、

緑の行進を特徴づけたのと同じ献身と犠牲の精神を保ちつつ、我々の南部地域の開発を推し進め、その地方の息子たちや娘たちの尊厳を護ること、そしてこの国家の領土保全を維持することは、我々の集団的責務です。

そのようにすることが、「緑の行進」の考案者…私の尊敬する父であって後の王ハッサン二世陛下…安らかにお眠り下さい…と、この国の栄誉ある殉教者たちへの、忠節の証しとなる筈です。

アッサラーム・アライクム・ワロマツロー・ワバラカア-トゥ

2015年11月6日

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813151101

芸術って自分たちが住んでる時代社会がどういう価値観を持っているか。を、

上手いこと絵とか写真とか、様式とかで表現する芸だと思う。

から現代の絵とラスコーの洞窟壁画とか、昔の絵画とか比べてもあんまり意味ないと思う。

確かにどれだけ写実的に描けるかという技術の優劣はあって、

それができないよりはできる方が有利なのは確かだけど、別に必須ってわけでもない。

サッカーやるなら足が速い方が有利ぐらいのものだと思うんだよね。

ウォーホルの価値って、いち早く現代の大量消費社会世界の均質化を表現して見せたことだと思うし、

ベラスケス理解するのに、封建社会キリスト教関係理解せずには語れないだろうし、

印象派近代的な市民社会、個人の自由とか人権という概念抜きにはありえなかっただろう。

芸術家時代を越えた、万人が感動できる究極の美を目指してるというのは幻想だと思うんだよ。

日本だと芸術は個々人が心の赴くままに見て、素直に感動を受け止めればいいとか、

目の前の作品と鑑賞者との間だけで感動を成立させるのが芸術作品だ、とか思われてるけど、

実際はその作品が成立した時代とか文脈とかも込みでないと価値がない。そういうもんだと思う。

2015-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20150804210051 http://anond.hatelabo.jp/20150804205902

どこで破綻しているかを俺が指摘してあげる義務はないと思うよ。

最終的にチミの主張にいたったことは、俺がチミを

おまえみたいなのを殺せばいいわけだよな

などという市民社会是認されることのない発言をせざるを得ないところまで追い詰めたことで十分。

どこで破綻してしまたか自分で考えてもらえないかな?そういう他人依存する根性から君の暮らし向きがよくならないんじゃないかな?

2015-02-08

去年1万件以上の電話が盗聴された日本人

日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家だ。

なぜなら日本には盗聴法があり、年間1万件以上の盗聴捜査警察官によって実施されているからだ。

理屈の上では、組織犯罪幹部逮捕するために盗聴するという当初の立法者による「大義」があり、立法目的がある。

理屈の上では「大義」や「目的」は正しいかもしれない。

しかし、「結果」や「実績」はその正反対事実証明している。

 

内閣国会報告によれば、2014年1年間に実施された1万3778回の盗聴捜査逮捕された人数はわずか72人しかいない。

しかもそのほぼ全員が組織犯罪幹部ではない一般犯罪で、組織犯罪幹部逮捕は皆無だった。

しかも72人という数字あくまでも逮捕者数であって、起訴された数ではない。

有罪になった数でもないし、実刑になった数でもない。

盗聴されて逮捕されても、起訴されない人もいるし、有罪にならなかった人もいるし、実刑にならなかった人もいる。

盗聴の「大義」を裏付け逮捕実績は、ほぼ無い結果だった。

盗聴捜査組織犯罪壊滅につながらないという批判は、もはや警察捜査成果として現実のものとなったのである

麻薬の売人の運び屋や送金屋を何人逮捕したところで、犯罪組織にはなんの影響もないし、市民生活犯罪に脅かされる市民社会は少しも良くならない。

これは警察がなまけていたからではなく、そもそもそういう制度を作ったことが誤りだったのである

 

政府は、1年間で1万3778回の盗聴で対象となった事件数も公表した。

1000件? 100件? 

正解はたったの10件だ。

たったの10しか解決していない。

たったの10件の事件のために、無関係の無実の市民通話が、たった1年間で1万回以上警察官に聞かれていた。 

 

しかも、盗聴されていた事件のすべてが重大組織犯罪というわけではない。

たまたま手に入れた薬物をオバカチンピラが売ったような突発事犯で盗聴捜査成功しても、本物のヤクザ組織はびくともしない。

まり盗聴法による盗聴捜査は、捜査実態結果から見た場合

その捜査はわたしたち無実の市民通話(電子メールネット電話を含む!)に対して向けられている。

罪を犯している犯罪組織幹部は盗聴されない。

そもそも犯罪プロ幹部たちが電話などで犯罪計画を連絡しているはずがない。

盗聴法による盗聴捜査ターゲットは、わたしたち無実の市民携帯電話電子メールネット電話であって、

罪を犯している犯罪組織幹部電話ではない。

そういう批判法律制定前にもあったが、その批判はい安倍政権のもとで現実のものになった。

  

「盗聴事実当事者に知らせているから盗聴ではない」という批判が、盗聴法を作る側の警察官僚の側にはある。

しか盗聴法は、盗聴法によって盗聴された通話当事者に対して

盗聴記録が裁判に使われる場合にだけ、盗聴したという事実当局が告知することになっている。

しかし、盗聴が犯罪無関係で、盗聴記録を裁判証拠として使わない場合は、

盗聴された人には盗聴事実の通知はされない。

まり事件化されない大多数の盗聴捜査で盗聴された無実の一般市民は、

盗聴されたことを知らないまま警察官に盗み聞きされ、

会話内容警察官に使われている。

誰のためになんのためにどのようにに盗聴通話が使われているのかは、警察の闇の中だ。

 

盗聴法には、無関係通話を盗聴させないようにするためと称して「立会人」という制度がつくられ、

盗聴捜査の際には「立会人」を置くなどの運用がなされている。

「だから安心してください」と、盗聴法を作るために与党入りを決めた公明党指導者は訴えていた。

当時の政権批判野党だった公明党には、政府に盗聴されたくない犯罪陰謀事件などの弱みがあったと言われている。

過去には公明党は盗聴事件脅迫事件なども起こし確定判決存在判決は公開されている。

盗聴される側ではなく盗聴する側になれば安心だという公明党判断なのだろう。

 

しかし、「立会人」という制度は、意味が無い制度だった。

立会人」は盗聴法規定により盗聴会話を聞くことができない。

から警察官が盗聴したり録音したりしている電話の内容が犯罪の理立証に不可欠な証拠かどうかを判断することは100%不可能

しかも「立会人」は、消防士事務職警察OBなど、治安関係のお仲間が担当している。

から警察違法不当な盗聴をしていても問題になることはない。

そもそも「立会人」は、立ち会うだけの義務しかなく違法な盗聴捜査の中止を命令する「制止権」が無いから

立会人」はお金をもらって隣の部屋でお菓子などを食べながら意味の無い時間をすごすだけの人になっている。

まり盗聴法における「立会人制度は、

違法な盗聴捜査意味の無い危険な盗聴捜査の「歯止め」としてまったく機能していない。

 

おそろしいことに、日本では盗聴法による傍受礼状が無くても事実上の盗聴ができてしまうことがある。

その一例が「逆探知」と「通話特定」だ。

会話を録音して裁判証拠として使うためには盗聴法を使わなければならないが、

録音しない場合、会話を裁判証拠として使わない場合は、警察組織は傍受令状なしにいくらでも盗聴してもよいことになっている。

 

逆探知誘拐などのときに使うものだと一般市民には信じられているが、実際はそうではない。

官僚組織などに質問意見電話をかける市民団体参加者に対して、電話をかれられた側の官僚たちが、

電話をかけた者がどこの誰かを特定するために、当局に「行政執行暴力事件」として内偵を依頼し、

逆探知捜査実施されるということが起きていたのだ。

たとえば沖縄では基地問題をめぐってたくさんの沖縄県民が「暴力組織犯罪容疑者」とみなされ

一般の沖縄県民電話が「逆探知」された。

もちろんそれらの事件は、盗聴法によらない「通話特定」だから

盗聴法による報告はされないし、情報公開法による公開も除外規定により公開が制限されている。

から闇に葬られる沖縄県民たち。次は自分かもしれない。

 

このようにして、一般市民は「盗聴されているかもしれない」という事実によって管理され、

支配され、恐怖の統治を受けて公民権言論は萎縮していくのである

   

盗聴法による盗聴捜査による「効果」について言うならば、

その捜査組織犯罪幹部逮捕効果をあげるものではない。

しろその逆に、組織犯罪必要な人的・予算的・組織的リソースを縮小させ、

組織犯罪温存に効果を発揮している。

これは警察にいる警察官の大半がそういう認識だ。

成果をあげる捜査プロ刑事には、盗聴権限など不要というのが常識である

盗聴捜査対象は、罪の無い一般市民が大半であるという事実から

市民の通信活動に対する不要な萎縮が起り、基本的人権である通信の秘密破壊される。

したがって、盗聴法を制定した当初の立法意思立法目的は、完全に破綻した。

制定当時に言われていた「安心材料」は、結果的にすべて否定された。

   

問題は、このようになんの意味もなく成果もあげなかった盗聴制度永久に維持させるために、

安倍政権組織犯罪ではなく一般犯罪に対しても警察権力に「盗聴権」を付与させ、

警察権限だけを強めようとしていることだ。

 

まさにキチガイ刃物である

 

そしてなにより盗聴法には、公務員犯罪を取り締まるために使うことができないという制約がある。

警察官自衛官刑務官による密室暴行、それらの密告を監視するために盗聴法を用いることはできない。

なぜなら公務員犯罪だけは盗聴法適用対象外からだ。

宗教団体犯罪適用対象外となっている。

  

盗聴法は完全に破綻した。こうした恐怖政治のための危険な道具を日本は持つべきではない。

バカ刃物を渡すな」だ。

だが、いまはまさに「バカ刃物をふりまわす」状態になっている。

危険だ。日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家である

盗聴法実施絶対に許すな。盗聴法改悪絶対に許すな。

盗聴法改悪を許す安倍政権を許すな。バカ刃物を渡すな

   

それでも盗聴法を維持させなければならないのなら、政権交代を実現し、

自民党公明党関係者に対して盗聴捜査実施し、

盗聴法に賛成してきた自民党幹部公明党幹部有罪にする実績をつくればよい。

テレビで彼らの処刑を中継をやってもよいだろう。

そうすれば、「それはやりすぎだ。盗聴法には歯止めが必要だ、警察権力の強化は危険だ」という正論が出てくるに違いない。

そのとき「だったら盗聴法を廃止してしまいましょう」と議論してもよいだろう。

     

2月6日 13時06分 NHK定時ニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150206/k10015260271000.html

上川法務大臣は6日の閣議で、捜査当局携帯電話などの傍受を認める「通信傍受法」に基づいて、去年1年間に違法薬物の密売など10の事件通信傍受実施し、これまでで2番目に多い72人を逮捕したことを報告しました。

平成12年に施行された「通信傍受法」は、違法薬物の密売など組織的犯罪捜査する際、ほかの手段では事件の解明が難しい場合に限り、捜査当局電話電子メールの傍受を認めるもので、捜査の行き過ぎを防ぐため、通信傍受実施した件数や逮捕者の数などを、毎年、国会に報告するよう政府に求めています

上川法務大臣国会への報告に先立って、6日の閣議で去年1年間の実施状況を報告しました。

それによりますと、去年は、違法薬物の密売拳銃の所持など10の事件で、携帯電話通話を合わせて1万3778回傍受するなどした結果、これまでで2番目に多い72人を逮捕しました。

この結果、法律施行後、通信傍受実施した事件での逮捕者は525人となりました。

通信傍受を巡って法務省は、新たに振り込め詐欺組織的窃盗、それに誘拐事件などの捜査でも行えるようにする通信傍受法の改正案を、今の通常国会に提出する方針です。

2014-07-25

話題の「ヘイトスピーチ禁止を勧告 国連委、従軍慰安婦も」報道

<報道された報告書のダウンロード

http://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CCPR%2fC%2fJPN%2fCO%2f6&Lang=en



以下Google翻訳

アドバンス未編集バージョン

人権委員会

日本の第六回報告に対する最終見解

1。委員会は考慮さ15と16日開催の第三千八十と第三千八十一会合(CCPR/C/SR.3080とCCPR/C/SR.3081)、日本(CCPR/C/JPN/6)から提出された第6回報告書2014年7月。2014年7月23日に開催された第三千九十一と第三千九十二会合(CCPR/C/SR.3091、CCPR/C/SR.3092)、ATは、次の最終見解を採択した。

A.はじめに

2。当委員会は、日本の第6回報告書の提出と、その中に提示された情報をお待ちしております。それは、締約国規約の規定を実施するために、報告期間中に撮影している措置について、締約国代表団との建設的な対話を更新する機会のために感謝の意を表している。委員会は、代表団と補助のために提供経口応答によって補足された問題のリストへの書面回答(CCPR/C/JPN/Q/6/Add.1)と補足情報については、締約国に感謝している情報は、書面でそれを提供した。

B.ポジティブな側面

3本委員会は、締約国がとる次の立法制度の手順を歓迎。

(A)2009年12月に、人身取引と闘うための日本の行動計画の採択;

(b)は、2010年12月の男女共同参画のための第3の基本計画の承認;

(C)2012における公的運営住宅法の改正、同性カップルはもはや公的に運営住宅システムから削除され効果;

婚外子に対する差別的な条項を削除した2013年2008年国籍法と民法(D)改正。

4本委員会は、以下の国際文書の締約国による批准を歓迎。

(a)は、2009年の強制失踪からのすべての者の保護に関する条約;

(b)は、2014年障害者の権利に関する条約

懸念と勧告のC.主な事項

前回の最終見解

5。委員会は、締約国の4番目と5番目の定期報告書を考慮した後に行われた勧告の多くが実装されていないことを懸念している。

締約国は、現在のようにだけでなく、その前の最終見解に委員会で採択された勧告に影響を与えるべきである

国内裁判所によるコヴナント権の適用可能性

6。締約国が批准した条約は国内法の効果があることを指摘しているが、委員会は、規約の下で保護された権利は、裁判所(項による2)で適用されている例の限られた数に関係している。

委員会は、その前の勧告(CCPR/C/JPN/CO/5、段落7)を改めて表明し、保証するために、締約国に要請することで、弁護士裁判官検察官職業訓練のコヴナント一部を形成するの適用や解釈下の例を含め、すべてのレベル、。締約国はまた、効果的な救済は、規約の下で保護された権利の侵害のために利用可能であることを確認する必要があります。締約国は、個々の通信手順を提供する規約の選択議定書に加盟を検討する必要があります。

国内人権機関

7。委員会は、人権委員会法案の2012年11月中の放棄以来、締約国は、連結国内人権機関(項による2)を確立する任意の進歩を遂げていない、ことを後悔して指摘している。

委員会は、その前の勧告(CCPR/C/JPN/CO/5、段落9)をリコールし、締約国が広範な人権任務を独立した国内人権機関を設立再考し、適切な資金と人とそれを提供するために推奨してい資源、パリ原則(国連総会決議134分の48、附属書)に沿って。

男女平等

8。委員会は、離婚、以下の女性は6ヶ月で再婚を禁止民法の差別的規定を改正する締約国継続的な拒否を懸念し、根拠に基づいて、男性と女性のための結婚の異なる年齢が確立され、それができることを(arts.2、3、23および26)、「結婚制度や家族のことの基本的な考え方に影響を与える」。

締約国は、女性と家族の中で、社会における男性の役割に関する固定観念が法の前の平等と女性の権利侵害正当化するために使用されていないことを確認する必要があります。締約国は、そのため、それに応じて民法を改正するために緊急に行動を取る必要があります。

9。男女共同参画のための第3の基本計画の採択を歓迎する一方で、委員会は、政治的機能を実行する女性は、低レベルの観点から、この計画の影響は限定的で、懸念している。委員会は、政策決定の位置に、部落女性を含む少数民族の女性の参画に関する情報がないことを遺憾に思う。それは、女性がパートタイム労働者の70パーセントを表し、平均で同等の仕事のために、男性が受信した給与の58パーセントを稼ぐという報告を懸念している。委員会はまた、妊娠·出産(arts.2、3および26)にセクハラや女性の解雇に対する制裁措置の欠如に懸念を表明。

締約国は、効果的に監視し、男女共同参画基本計画の進捗状況を評価し、そのような政党法定クォータとして暫定的特別措置を含め、公共部門への女性の参加を増やすために迅速な行動を取る必要があります。それは、評価し、サポートして部落女性を含むマイノリティ女性の政治参加を、フルタイム労働者としての女性の採用を促進し、男女間の賃金格差を閉じるための努力を倍加するための具体的な措置をとるべきである。また、セクシャルハラスメント犯罪や禁止や妊娠·出産による適切な罰則不当な扱いで制裁するために必要な立法措置をとるべきである

ジェンダーに基づく家庭内暴力

10。当委員会は、その前の勧告にもかかわらず、締約国が13歳以上の性的同意年齢を設定して、レイプを起訴する、刑法におけるレイプの定義の範囲を広げるためにどんな進歩を遂げとしていない、ことを後悔他の性犯罪職権。また、家庭内暴力が保護命令を発行するプロセスが長すぎると、この犯罪のために処罰された加害者の数が非常に低いことがあることを、流行ままであることを懸念して指摘している。委員会は、さらに、同性カップルと移民女性(arts.3、6、7、26)に与えられる保護が不十分との報告で懸念している。

委員会の前の勧告(CCPR/C/JPN/CO/5、パラグラフ14及び15)に沿ったもので、締約国は、職権、さらに同意年齢を遅らせることなく、高めレイプや性的暴力の他の犯罪を訴追するために具体的な行動を取る必要があります男女共同参画のための第3の基本計画に定められた性的行為のために、そして、強姦の犯罪の要素を確認します。締約国は、同性カップル家庭内暴力を含む、すべてのレポートは、徹底的に加害者が起訴されていることを、調査され、有罪判決を受けた場合、適切な制裁を処罰ことを保証するための努力を強化する必要があります。そして被害者が緊急保護命令を付与し、その在留資格を失うことから、性的暴力の被害者である移民の女性を防ぐことによって含め、適切な保護へのアクセス権を持っていること。

性的指向性自認に基づく差別

11。本委員会は、レズビアンゲイバイセクシャルトランスジェンダー(LGBT)の人と実質的自治体作動住宅制度(arts.2及び26)から同性カップルを除外差別的規定の社会的嫌がらせや非難の報告を懸念している。

締約国は、性的指向性自認を含め、すべての理由、差別を禁止し、効果的で適切な救済策で差別犠牲者を提供し、包括的差別禁止法を採用すべきである締約国は、LGBTの人々に対するステレオタイプ偏見と闘うLGBTの人々に対する嫌がらせ申し立てを調査し、それらを防ぐために適切な措置をとるための活動を高め、その意識を強化する必要があります。また、公的に自治体レベルハウジングサービスを運営に関して同性カップルに向かって適用される適格性基準の観点から残りの制限を削除する必要があります。

スピーチ人種差別を嫌う

12。当委員会は、韓国人中国人や部落、扇動憎悪し、それらに対する差別などの少数民族メンバーに対する広範な人種差別主義者の談話に懸念を表明し、不十分な保護は、刑事と民事のコードでこれらの行為に対して付与された。委員会はまた、許可された過激デモの数が多い時に懸念を表明、嫌がらせや暴力は、このような19、arts.2(「日本語のみ」などの記号の民営事業所で開かれ、表示だけでなく、外国人留学生に対してなど、少数民族に対して犯した20および27)。

国は、人種的優越や差別、敵意や暴力への扇動憎悪を提唱し、すべての宣伝を禁止するべきであり、このようなプロパガンダを広めることを目的デモを禁止する必要があります。締約国はまた、人種差別に対する意識向上キャンペーンに十分なリソースを割り当てて、裁判官検察官、警察当局が憎悪人種的にやる気の犯罪を検出することができるように訓練されていることを確認するための努力を増やす必要があります。 、有罪判決を受け、適切な制裁を処罰した場合締約国は、また、人種差別的な攻撃を防ぐためにすべての必要な措置を取るべきであると主張した加害者が徹底的に調査し、起訴されていることを確認します。

死刑

13。当委員会は、19資本犯罪のいくつかはに死刑を制限する契約の条件を遵守していないことを懸念している«最も重大な犯罪»は、その死刑囚はまだ前に最大40年間にわたって独房に保存されてい実行、彼らもその家族もないことは、実行日の前に、事前の通知を与えられている。委員会は、実行が直面する人物は「心神喪失の状態に「あるかどうかについての精神的な検査が独立していないこと、死刑囚弁護士間の会議の機密性が保証されていないこと、さらには、メモ、およびその再審恩赦の要請執行停止の効力を持っていないと有効ではないでください。また、気に(arts.2、6、7、9、14)は、死刑は巌袴田例を含めて、強制的に自白した結果、様々な機会に課されていることを報告します。

締約国は、必要があります:

(a)は、死刑廃止配慮したり、別の方法では、生命の危険を引き起こす最も深刻な犯罪への死刑の対象犯罪の数を減らす。

(b)は、死刑制度が上の独房を課すから死刑囚とその家族への実行、控えの予定日時の合理的な事前通知を与えることで、残酷、非人道的若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を達するいないことを確認してください死刑囚が最も例外的な状況で、厳密に制限された期間に使用されていない限り、

(C)はすぐにすべての起訴材料に防衛の完全なアクセスを保証し、拷問や虐待によって得られた自白は証拠として呼び出されないようにすることで、死への不当判決、とりわけに対する法的保護措置を強化する。

(D)前回の委員会の最終見解(CCPR/C/JPN/CO/5は、段落17)、再審恩赦請求の猶予効果、資本のケースで審査の義務的かつ効果的なシステムを確立するに照らして、そして再審要求に関する死刑囚弁護士間のすべての会合の厳格な機密性を保証する;

(E)死刑囚の精神的健康の独立した審査メカニズムを確立。

(F)死刑廃止を目指し、規約の第二選択議定書に加盟を検討してください。

慰安婦」に対する性的奴隷制の慣行

14。本委員会は、「慰安婦」はなかったことを、締約国矛盾位置によって懸念される慰安所でのこれらの女性の採用、輸送および管理»多くの場合で行われた「強制的戦時中しかし、それは日本軍»強制送還"一般的には軍事のために行動する軍やエンティティによる強制や脅迫を通じて意思に反して。委員会は、被害者の意思に反して行わような行為は、締約国の直接の法的責任を伴う人権侵害としてそれらを考慮すれば十分であると考えている。委員会はまた、公務員が見事と締約国あいまいな位置によって奨励されているものも含めて自分の評判への攻撃による慰安婦の再被害を懸念している。委員会はさらに、アカウント日本裁判所の前に犠牲者によってもたらされた賠償金のためにすべての請求が却下されたという情報を考慮に入れると、加害者に対する刑事捜査と訴追を求めるすべての苦情は、時効を理由に拒否されている。委員会は、このような状況は、進行中の被害者人権侵害のほか、過去の人侵害(arts.2,7および8)の犠牲者としてそれらに利用できる効果的な救済の欠如を反映していると考えています。

締約国は、確保するために迅速かつ効果的な立法、行政措置をとるべきである性的奴隷や「慰安婦」に対する戦時中日本軍が犯した他の人権侵害のすべての疑惑は、事実上、独立かつ公平に調査していること(I)加害者が起訴され、有罪判決を受けた場合、処罰されること; (II)司法へのアクセス被害者とその家族への完全な賠償; (ⅲ)利用可能なすべての証拠の開示;教科書の適切な参照を含む(IV)学生教育や問題について一般市民、; (V)の公開謝罪と締約国の責任の公認の発現; (VI)被害者を中傷したり、イベントを否定するあらゆる試みの非難。

人身売買

15。人身取引に対処するため、締約国の努力を鑑賞しながら、委員会は、この現象の持続性だけでなく、加害者に課された実刑判決の数が少ない約懸念したまま、強制労働例がないことは、もたらした裁判に、被害者の識別の減少、および不十分なサポート犠牲者(項による8)に付与された。

委員会の前の最終見解(。CCPR/C/JPN/CO/5、パラ23)に沿ったもので、締約国は、必要があります:

(A)は、特に強制労働被害者について、被害者の識別手続きを強化し、労働監督官を含む全ての法執行官に専門的な訓練を提供する。

(b)は精力的に調査し、加害者を起訴し、、有罪判決を受けた場合には、行為の重大性に見合った罰を課す。

(C)通訳サービスと補償を主張するための法的サポートを含む、現在の被害者保護対策を強化する。

技能実習プログラム(TITP)

16。委員会は、外国人研修生·技能実習への労働法の保護を拡張する立法の改正にもかかわらず、性的虐待、労働関連の死亡·強制労働に達する可能性がある状態の多数のレポートが残っている、との懸念を指摘TITP中(項による2および8)。

委員会の前の最終見解(CCPR/C/JPN/CO/5、段落24)に沿って、締約国が強く能力開発に焦点を当てて、新しいスキームで現在のプログラムを置き換えるのではなく、低賃金労働力を募集して検討すべきである。一方、締約国は、立入検査の数を増やすの独立した苦情メカニズムを確立し、効果的に調査し、起訴や労働人身売買事件やその他の労働違反を制裁する必要があります。

強制入院

17。委員会は、精神障害者の多数は非常に広い意味で、それらの権利の侵害に挑戦するための効果的な救済にアクセスすることなく、非自発的入院の対象となることを懸念して、その入院が伝えられるところによれば、代替が存在しないことによって不必要に延長されるサービス(項による7,9)。

締約国は、必要があります:

(a)は、精神障害者のためのコミュニティベースまたは代替サービスを増やす。

(b)は、強制入院が必要な最小限の期間の間、最後の手段としてのみ課されていることを確認し、必要な場合にのみや危害から本人を保護するか、他の人にけがを防止する目的で比例;

(C)を効果的に調査し、制裁侵害をし、被害者やその家族への補償を提供することを目的とした精神病院のための効果的かつ独立した監視およびレポートシステムを確認してください。

代用監獄(代替拘禁システム)と強制自白

18。本委員会は、締約国が利用可能なリソースの不足におよび犯罪捜査のために、このシステム効率代用監獄の使用を正当化し続けていることを遺憾に思う。委員会は、資格の欠如が救済することを懸念しているか、起訴前に国選弁護を受ける権利は、代用監獄での強制的な自白を抽出する危険性を強化する。また、委員会は、取調べの実施に関する厳しい規制が存在しないことに懸念を表明し、2014年「改革プランのための報告書」で提案されている取調べの必須ビデオ録画の限られた範囲(arts.7、9、10および14)を遺憾に思う。

締約国は、代替拘禁制度を廃止するか、保証することですべての記事9における保証や契約、とりわけ、の14に完全に準拠していることを保証するためにすべての措置をとるべきである

(A)は、保釈などの勾留に代わるが、正式に起訴前の勾留中に考慮されていることを;

(b)は、すべての容疑者が逮捕の瞬間から助言を受ける権利を保証されていて、その弁護人が尋問中に存在していること;

(C)完全にビデオを記録すべき尋問の期間及び方法に対する厳格なタイムリミットを設定する立法措置;

(D)都道府県公安委員会から独立しており、速やかに、公平かつ効果的に尋問中に拷問や虐待の申し立てを調査する権限を持っている苦情レビュー·メカニズム

追放や亡命希望者と文書化されていない移民の拘留

19。委員会は、2010年には、人の死をもたらし強制送還中に虐待の報告された症例についての懸念を表明。委員会にも関係していること、出入国管理及び難民認定法、無原則の改正にもかかわらず、 ·ルフールマン、実際には効果的に実装されていません。委員会は理由の十分な与えないと勾留決定(arts.2,7の独立したレビューのない行政拘禁の長期間の猶予亡命にマイナスの決定に対する効果だけでなく、持つ独立した控訴メカニズムの欠如でさらに懸念している、9,13)。

締約国は、必要があります:

(a)は、移民が彼らの送還中に虐待を受けないことを保証するためのすべての適当な措置を講じてください。

(b)は、国際的な保護を申請するすべての人を決定するためのおよび送還に対する保護のために公正な手続きへのアクセス権を与えられていることを確認し、否定的な決定に対する猶予の効果を持つ独立した控訴メカニズムへのアクセス権を持っています。

(C)その勾留最短適当な時間に頼ってのみ行政拘禁、既存の選択肢が十分に検討されたか、その移民は彼らの拘禁の合法性を決定するであろう裁判所訴訟を提起することができていることを確認するための措置を講じてください。

イスラム教徒監視

20。本委員会は、法執行当局によるイスラム教徒の広範な調査(arts.2、17および26)についての報告を懸念している。

締約国は、必要があります:

法執行当局によるイスラム教徒の広範囲の監視を含む文化的意識や人種プロファイリングの承認し難い上に、(A)鉄道法執行担当者、;

(b)は、被災者が虐待のケースで効果的な救済へのアクセス権を持っていることを確認してください。

拉致と強制解除変換

21。委員会は、拉致の報告を懸念し、それら(arts.2、9、18、26)を解除変換するための努力で自分の家族のメンバーによって新しい宗教運動に変換の閉じ込めを強制されます。

締約国は、持っている彼または彼女の自由を損なうか、宗教や信念を採用することを強制の対象にならないすべての人の権利を保障するための効果的な措置をとるべきである

公共の福祉」を理由に基本的自由の制限

22。委員会は、「公共の福祉」の概念曖昧オープンエンドであり、規約(arts.2、18および19)の下で、それらの許容を超える制限を許可することができることに懸念を改めて表明。

委員会は、その前の最終見解(CCPR/C/JPN/CO/5、段落10)をリコールし、思想、良心及び宗教の自由や表現の自由の権利を何ら制限を課すことを控えるよう、締約国を促すない限り記事18及び19条第3項に定める厳格な条件を満たしています。

特別指定秘密保護法

23。委員会は、特別指定秘密の保護に関する最近採択法は分類のための秘密の、一般的な前提条件として分類することができる事項の漠然とした広義の定義が含まれており、上の萎縮効果を発生させる可能性が高い刑事罰を設定していることを懸念しているジャーナリスト人権擁護(項による19)の活動。

締約国は、特別指定の秘密とその応用保護法がそれを保証することで契約、とりわけ第19条の厳格な要件に適合することを確保するためのすべての必要な措置をとるべきである

(A)分類できる情報のカテゴリは、狭義の情報を求め、受け及び付与する権利上の任意の制限は合法性、比例および国家安全保障への具体的かつ識別可能な脅威を防止するための必要性の原則に準拠していている。

(B)いいえ個人は国家安全保障に悪影響を及ぼすことはありません合法的公共の利益の情報を広めるために罰せされていません。

福島原子力災害

24。委員会は福島の締約国、および避難区域の一部を解除する決定で設定された暴露レベルの高い閾値は、高度に汚染された地域(arts.6、に戻りますが、人々に選択の余地を与えないことを懸念している12および19)。

締約国は、福島の原発事故の影響を受ける人々の生活を守り、放射線レベルが危険にさらされて、住民を置かない唯一の避難場所としての汚染された場所の指定を持ち上げるために必要なすべての措置をとるべきである締約国は、放射線<

2013-12-24

おおかみこどもの雨と雪 感想

家族物語は常に未完である

1.本作の主題

 大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊事情母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道家族劇であろう、と私は予想していた。

 しかし実際には、冒頭でおおかみおとこ主人公の花が「哲学」の講義きっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である

2.おとぎ話から現実へ?

 13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子もの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。

 しか出産子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本アニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのであるしか医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。

 親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産子育て環境リアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在リアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。

3.本作の根底を貫く3つの近代概念:①選択権としての自由観

 社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会から排除である。雨と雪を隠し続け、医者児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画クライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。

 「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマである。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事ものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たち存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。

 いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマ価値あるものとして社会的に承認されることである黒人女性差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である自分の非自発的なアイデンティティ差別迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。

 「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである

4.本作の根底を貫く3つの近代概念:②家族を壊す個人観

 取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである

 家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会国家世界史へと繋がっていく人倫弁証法スタート地点を家族においている。そして王道的な家族物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマ踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族のものを対自化、対象化しなければならないかである毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。

 しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族現実的な絆も、現実的幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語家族ドラマ王道スタイルである弁証法構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語家族弁証法プロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているかである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。

5.本作の根底を貫く3つの近代概念:③価値放棄する平等

 そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまたからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからであるしかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体肯定的表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体重要価値のあることであり、その選択自体尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等である。これも近代以後の社会には欠かせない重要概念である職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズテイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念のものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間生き方には価値序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんもの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方平等価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者生き方も、高名な僧侶生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである

 このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである人間人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみのこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2013-11-20

これが民主主義の基本理念である


547 :ソーゾー君:2013/11/19(火) 19:08:51 ID:vE4S6Trk

1,行政決定を管理する選挙された官吏

2,自由で公正な選挙

3,普通選挙

4,行政職に対する公開性

5,表現の自由

6,代替情報(反対意見)へのアクセス

7,市民社会組織の自治


↑これが民主主義の基本理念である

殆ど守られてねーな・・4は殆ど機能してなかったけど新たに悪法設立して

1~7全て破棄するんですか・・





中央銀行・発行権】黒幕銀行家3【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50

中央銀行・発行権】黒幕銀行家37【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/

2013-10-26

デザイナー正義感。「最初にすべきことを最初に」宣言(1964)

ここに署名する我々は,グラフィックデザイナー写真家,そして学生である。我々は広告技術機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界に育った。キャットフード,胃薬,合成洗剤,毛生え薬,縞模様のついた歯磨き粉,髭剃り後ローション,髭剃り前ローション,痩せる食品,太る食品,におい消し,ソーダ水,タバコ,伸縮下着,ゴム入りズボンスリッポン。こんなようなものを売るために技能想像力を売り飛ばす人々を賞賛し,広告こそが正しいと主張する出版物に我々は責め立てられてきた。このような,この国の将来にほとんどないしはまったく貢献しないどうでもいい目的のために,広告産業従事する人々の途方もない時間と労力が無駄になっている。

市民社会の拡大とともに我々はある飽和点に達しており,もはや押し寄せる消費者向けの販売攻勢は騒音以上のなにものでもない。我々は我々の技能経験を活かすより価値のある仕事があると考える。例えば道路標識看板書籍,定期刊行物,カタログ,取扱説明書工業写真教育補助のためのツール,映画テレビ番組科学工業出版物,我々の産業教育文化,そして世界の人々の意識に貢献するすべてのメディアがそうだ。

我々は消費者向けの激しい広告を廃止せよと主張しているのではない。そんなことは不可能だ。楽しい仕事がしたいというのでもない。より有用で持続的なコミュニケーションのために優先順位の反転を提案しているのだ。我々は販売のためのギミックセールスマン,悪辣な隠し広告,そういったものに人々が辟易とし,そして我々の技能有用目的のために活用されることを希望する。この考えの下,我々は我々の経験と考えを共有し,関心を持つ仲間や学生等に供することを提案する。

 

 

簡単な解説:この宣言はイギリスグラフィックデザイナ-,ケンガーランドによって63年11月29日に起草され,翌年4月,22人の署名とともに発表された。発表後400人以上のグラフィックデザイナーアーティストが支持を表明し,デザイン雑誌を中心とした多くのメディアに掲載された。また,共感した英国議員トニー・ベンによってThe Guardian紙にも掲載された。当時,グラフィックデザイン経済成長に後押しされた広告産業の拡大によって急速にその主とした職域を広告産業へと移行しており,その形態・質が大きく変化しつつあった。ガーランドを始めとする一部のデザイナーはこの変化に危機感を持っており,ある種のバランスのとれた世界を目指した。この宣言は「グラフィックデザインは伝達されるメッセージに対して常に中立的であるべきなのか。あるいは中立的であることが可能なのか」という今日まで続く議論を引き起こした。後にこの宣言はカナダのAdbusters誌に再度掲載され,2000年に改訂版が各主要デザイン誌上で発表された。

 

 

http://d.hatena.ne.jp/kimurasatoru/20060624/1151156857

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