はてなキーワード: 牧師とは
なんかオリンピック出場の肩書で仕事してるテコンドー人が謎に多いので、今までオリンピック(公開種目時代を除く)に出場した日本人選手を列挙していく(以下、敬称略)。
・男子58kg級 樋口清輝(一回戦敗退。現、全日本テコンドー連盟 熊本県テコンドー協会 理事。)
・女子67kg級 岡本依子(銅メダル。現、テコンドー指導者・牧師)
・男子58㎏級 鈴木セルヒオ(開催国枠出場。一回戦敗退。現役)
・男子68㎏級 鈴木リカルド(開催国枠出場。一回戦敗退。現役)
※ 団体戦はエキシビションであり、競技としては存在せず。オリンピック出場選手にはカウントされない。
こうして並べてみると、予選勝ち上がって出場する事の難しさを痛感しますね。
腐女子がプラットフォームの仕様を理解していない&SNSとインターネットの仕組みを理解していないのは
『知的な困難を抱えている人物』or『禅でも極めているレベルで物を考えない人物』だからで終わる話なので言及しない
(その見本のブクマカたち → https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220206222214)
>もしかして女性SNSユーザーは他人のことを自分の摂取する情報を自分でコントロールする能力がないゾンビかトロールか何かのように思っているんだろうか?
腐女子たちはあらゆる自己選択・自己責任から逃げているので "嫌なら見るな" だってもちろん出来ない
彼女たちにとってあらゆる情報は自分自身が取捨選択するものではなく、自分以外の何かに無理矢理見せつけられる物なのだ
児童福祉と親の教育の権利に配慮してゾーニングを徹底しようという意識から "無理矢理見せつけられる" 発言が出てくるならまだわからないでもないが、
基本的に腐女子たちは共同感覚が欠如していて海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
(ちなみにジャンプは過去にはスポーツ漫画の公式スピンオフを同作品のbl描いていた(る)同人作家に描かせていたりもする。
もちろんポルノファンタジーの対象になっていたキャラは"未成年"だ)
日本を代表する出版社ですらこの有様なので App Store も女性向け男性向けともにヤベーことになっており、
英語圏なら 17+であってもキックされるゲームが日本ではまさかの全年齢でリリースされている
Apple が lazy なのは今更指摘するまでも無い事だが、
金に物を言わせてレーティング無視するパブリッシャー(アニプレックスなど)の倫理観の無さもなかなかどうしてである
人類は所構わずセックスちんこまんこってやってる個体を積極的に淘汰してきたし、
お布団の中のこと(性癖)は男女ともお外では口にしないのは人権が生まれる前からの暗黙の社会ルールである
この暗黙の社会ルールを親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然に学ぶことができないとして、発達障害(特にADS) 向けの支援サイトなどでは、愛情・性愛表現を公開して良いシーン、ポルノの取り扱い方を明示的に示していたりもする
・・・にも関わらず、なぜ腐女子は大手を振って差別的なポルノファンタジーであるBLを愛好しているとネットで表明出来たり、オフ会や同人誌即売会に参加して自らの顔を第三者に晒す事が出来るのか?
社会インフラが発達し生活にゆとりが生まれ子育てコストが下がったので社会全体が性に寛容で奔放になった?
もちろんそんな事はない
今もなお子どもが成人するまでのコストは高く、子どもの人権が守られる国ではお気軽にセックスしてポコポコ作れないし、
児童福祉と親の教育の権利に配慮し、性表現には年々厳格になっていっている
性衝動は男女とも持つもの、女もBLなどのポルノ・ツールを使って積極的に自己解放すべきという一種のウーマンリブ?
もちろんそんな事はない
もしそうならポルノの公開・共有の仕方はともかくまだ救いがあるが、
腐女子たちはポルノファンタジーを愛好しておきながらオナニーに使わないと言って憚らないだけでなく、
『わたしは性欲を持っていない』と言って憚らない
ちなみにこの『性欲を持っていない』というのは、
アセクシャル・デミセクシャルなどのセクシャルの話でも、生物における性欲とエロ(eros)は違うといった類いの話でも無い
腐女子らにとってセックスは、自己決定で望んで楽しくするものでは無くて、
"恋人" や "妻" という肩書きを得る為に、直球で "(理解ある彼くん等に) 養って貰うために"
だから腐女子らはキスやボディータッチやセックスのいずれかを必ず描写する。なにせ彼女たちにとっては肩書きを得るための義務だからだね
そして義務なのでわたしが望んでやった事ではない=性欲は無いという事だそうな
ここから既にコケている逃げているのに女性の社会進出もなにもねーのである
実際、はてブでヤベー言動をしている腐女子ブクマカを眺めていると、当たり前のように男に縋るしか無い思考であり経済レベルもヤバければ自己実現も他者任せだ
自己選択を楽しむ・責任を持つという発想がなく、当たり前のように化粧をすべき・化粧を強いられているとかならやっている
楽しすぎ
知らん奴がたくさん出てくるでやんの
レナード牧師があの女の人(テルマ)ちょっと苦手で…とか漏らしててワロタ
おばちゃんってそんなに意味のない便利キャラなのかと思ってたのに本編に絡んできてワロタ
みたいな…
脳が喜んでいる
いつもおばちゃんの壺を見逃すことを恐れながらダンジョンを探索してきた
外面斬り!兜割り!居合い!って道中の雑魚をぶっちぎってウホウホしてたのに
中ボスにスルッと勝てなくて怖…ってなった
道中に小さい分銅みたいな奴がでてきてたので
遠隔操作する感じか?と考え
ふしぎの木の実にもあった気がする磁石系か入れ換え系かと予想してたらコピーロッドでウキウキ
(コピーロッドは無双でゼルダが持っていたのでブツとしてはなんとなく知っていた)
ボスのクモの倒し方を把握するまでの間に2回の死を要した あの小さいクモ嫌すぎる
そこで鏡の破片をコンプリートするので
もう後半に入っているはず
これはもうボッシュートもされまい
ラスボスがおなじような感じのバトル形式だという予備知識があっあためにほかならない
投稿したら改行が消えてよみずらくなったが
続きは次回の講釈で
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/nogawam/status/1521713882733375488
ここのブコメで中絶禁止の考えはキリスト教由来、ってことで批判されてて、
中には宗教がサスティナビリティを損ねる、みたいな意見もあるけど。
こと“出生”というサスティナビリティに関しては宗教の力って凄いと思うなぁ。
その分男女交際に慎重な人も多いよ。
自分はノンクリだけど、友人のクリスチャン(プロテスタント、めちゃくちゃ善い奴)は、
まぁそれら含めて「なんか嫌だな」って思う人もいると思うけど。
んで、婚姻や出生に関して宗教的・倫理的に奨励しているっていうのもあって、
この流れが続いたら、いつの日がクリスチャンが多数派になったりすんじゃないの?
結局ローマ帝国と多神教は少子化でキリスト教に飲み込まれたし、
もともとが1941年のブロードウェイ演劇作品。ニューヨークのブルックリンを舞台に、冒頭ではヨーロッパで戦争が始まったけどアメリカは平和でいいわねえという、奇しくも時事性が出てしまった感じの会話で幕が開く。1幕目は「ハリーの災難」のような死体隠匿をめぐるお話が中心。2幕目になってからは主に殺人鬼の兄の処遇をめぐるお話……でいいのかなあれは。
ブラックコメディだの安楽死だのという触れ込みだから、なんかそういう社会派な中身なのかしらと思ったら、どうも本来はパルプ・フィクション的なゴシックホラーのパロディ作品だったっぽい雰囲気がある。フランケンシュタインとアインシュタインのコンビとかいうどうしようもないダジャレも出てきたりするし。作品のタイプとしてはラヴクラフトの「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」あたりが近いだろうか。主人公が自らの家族の秘密を知ることで、自分も呪われた血族の一員であることを知ってしまい絶望するが実は……というあらすじ。アメリカらしいピューリタン的な価値観が色濃く残る社会での実は私生児だったぜヤッホーというオチは「緋文字」とかあのへんのパロディとして見てもだいぶ面白い。というかお前牧師の娘と結婚しようとしてるのに私生児で大丈夫か?
ただまあそのへんのアメリカ文学的な骨組みはコメディとしての演出で追加されたドタバタ劇でうまいことカモフラージュされてる感じがなくもない。まあ、呪われた血族ネタは今となってはクリティカルにポリティカルコレクト案件だし、作品の賞味期限的にも相当ギリギリな感じもするからね。精神病院収監オチなんて今時バットマンじゃないと許されないのでは(偏見)。
コメディとして見た場合、流石に古い作品だけあって笑いのテンポがのんびりしている感じがあるが、そこはまあ演出と俳優の力で追加されたドタバタ劇でだいぶ補強されている。まあ観客の大半はこっちを期待して見に来ているようなものだろうし。自分もまさかアメリカンゴシックホラー的なものが見られるとは思っていなかった。
2幕目で劇作家を目指すアルバイトの警官がメドレー一人芝居を披露する場面があるのだけれど、これがなかなかに見事。瞼の母から、こいつは春から縁起がいいわえで三人吉三、平手がどうとか言っていたからたぶん天保水滸伝、それとおそらく一本刀土俵入りと続けざま。演じているのはの嘉島典俊という人。ぐぐったら歌舞伎の経験も大衆演劇の経験もある人らしい。新橋演舞場という和風な舞台を生かした実にいいものだった。
「ぼけ酒」というのがキーアイテムとして出てくるのだけれど、飲むとボケるとかそういうのではなくて、梅酒の要領で木瓜の実を漬けた果実酒のことらしい。子供の頃によく飲んでいたというセリフがちょいちょいあって、そういやうちの親も梅酒を水でうすめたやつを昔はみんなジュース代わりに飲んでたと言ってたっけなあと思ったり。
腐女子がプラットフォームの仕様を理解していない&SNSとインターネットの仕組みを理解していないのは
『知的な困難を抱えている人物』or『禅でも極めているレベルで物を考えない人物』だからで終わる話なので言及しない
(その見本のブクマカたち → https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220206222214)
>もしかして女性SNSユーザーは他人のことを自分の摂取する情報を自分でコントロールする能力がないゾンビかトロールか何かのように思っているんだろうか?
腐女子たちはあらゆる自己選択・自己責任から逃げているので "嫌なら見るな" だってもちろん出来ない
彼女たちにとってあらゆる情報は自分自身が取捨選択するものではなく、自分以外の何かに無理矢理見せつけられる物なのだ
児童福祉と親の教育の権利に配慮してゾーニングを徹底しようという意識から "無理矢理見せつけられる" 発言が出てくるならまだわからないでもないが、
基本的に腐女子たちは共同感覚が欠如していて海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
(ちなみにジャンプは過去にはスポーツ漫画の公式スピンオフを同作品のbl描いていた(る)同人作家に描かせていたりもする。
もちろんポルノファンタジーの対象になっていたキャラは"未成年"だ)
日本を代表する出版社ですらこの有様なので App Store も女性向け男性向けともにヤベーことになっており、
英語圏なら 17+であってもキックされるゲームが日本ではまさかの全年齢でリリースされている
Apple が lazy なのは今更指摘するまでも無い事だが、
金に物を言わせてレーティング無視するパブリッシャー(アニプレックスなど)の倫理観の無さもなかなかどうしてである
人類は所構わずセックスちんこまんこってやってる個体を積極的に淘汰してきたし、
お布団の中のこと(性癖)は男女ともお外では口にしないのは人権が生まれる前からの暗黙の社会ルールである
この暗黙の社会ルールを親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然に学ぶことができないとして、発達障害(特にADS) 向けの支援サイトなどでは、愛情・性愛表現を公開して良いシーン、ポルノの取り扱い方を明示的に示していたりもする
・・・にも関わらず、なぜ腐女子は大手を振って差別的なポルノファンタジーであるBLを愛好しているとネットで表明出来たり、オフ会や同人誌即売会に参加して自らの顔を第三者に晒す事が出来るのか?
社会インフラが発達し生活にゆとりが生まれ子育てコストが下がったので社会全体が性に寛容で奔放になった?
もちろんそんな事はない
今もなお子どもが成人するまでのコストは高く、子どもの人権が守られる国ではお気軽にセックスしてポコポコ作れないし、
児童福祉と親の教育の権利に配慮し、性表現には年々厳格になっていっている
性衝動は男女とも持つもの、女もBLなどのポルノ・ツールを使って積極的に自己解放すべきという一種のウーマンリブ?
もちろんそんな事はない
もしそうならポルノの公開・共有の仕方はともかくまだ救いがあるが、
腐女子たちはポルノファンタジーを愛好しておきながらオナニーに使わないと言って憚らないだけでなく、
『わたしは性欲を持っていない』と言って憚らない
ちなみにこの『性欲を持っていない』というのは、
生物における性欲とエロ(eros)は違うといった類いの話でも無い
腐女子らにとってセックスは、自己決定で望んで楽しくするものでは無くて、
"恋人" や "妻" という肩書きを得る為に、直球で "(理解ある彼くん等に) 養って貰うために"
だから腐女子らはキスやボディータッチやセックスのいずれかを必ず描写する。なにせ彼女たちにとっては肩書きを得るための義務だからだね
そして義務なのでわたしが望んでやった事ではない=性欲は無いという事だそうな
ここから既にコケている逃げているのに女性の社会進出もなにもねーのである
実際、はてブでヤベー言動をしている腐女子ブクマカを眺めていると、当たり前のように男に縋るしか無い思考であり経済レベルもヤバければ自己実現も他者任せだ
自己選択を楽しむ・責任を持つという発想がなく、当たり前のように化粧をすべき・化粧を強いられているとかならやっている
明日より今日、今日より今すぐ日本に原爆を落とすべきだって言ってたノイマンも
原爆実験の影響で53歳と若くして癌になった。当時は放射能の影響なんて今ほど知られていなかった。当然の帰結だろう。
ノイマンはあらゆる分野の学問で名を馳せ、それらを統合し数多の成果を出し続けた。ノイマンは紛れもなく20世紀を代表する天才だった。
だけど、癌になったんだ。頭脳明晰で悪魔の頭脳とまで恐れられた男も癌の影響で脳みそがぶっ壊れしまったんだ。
最後には牧師に会いたいと入院していた軍病院で嘆願するも叶わず、死の恐怖と癌の痛みに耐えながら最後は死んでいった。
小田急サラダ油には難しいと思うけど自閉症・発達障害・ボーダーでなくば自然に学べる
繰り返すが常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、引火点・発火点を知らない or 忘却していても
『サラダ油を炒め物・揚げ物に使う=燃えにくい(引火しにくい)』を理解できるんだ
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、化学熱傷を知らない or 忘却していても
パイプ掃除に使う強力洗剤の働き(タンパク質が溶ける)とはつまりどういうことなのかを理解できるんだ
それとセックスは同じなんだ
自閉症・発達障害・ボーダーは兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできない
それで様々な親向けの資料、当事者向けの学習資料がアメリカや先進国であるし
細かいレーティング(性描写・暴力描写・死の描写だけでなく医療や冒涜の概念)がある
健常者でも成長速度はさまざまだから親の教育権利を守る上でも必要だからな
https://help.apple.com/app-store-connect/#/dev269f11291
年齢制限指定は、必須の App 情報のプロパティであり、App Store のペアレンタルコントロールで使用されます。App の年齢制限指定を設定するには、 こちらを参照してください。
4+ | この年齢制限指定の App は好ましくない内容を一切含みません。 |
9+ | この年齢制限指定の App には以下のコンテンツが含まれることがあり、9 歳未満の子どもには不適切な場合があります。 ・アニメまたはファンタジーバイオレンスが、まれ、または軽度に含まれる ・冒とく的または下品なユーモアが、まれ、または軽度に含まれる ・成人向けコンテンツ、露骨な表現のコンテンツ、ホラーや恐怖を題材にしたコンテンツが、まれ、または軽度に含まれる |
12+ | この年齢制限指定の App には以下のコンテンツが含まれることがあり、12 歳未満の子どもには不適切な場合があります。 ・医学や治療を取り上げたコンテンツが、まれ、または軽度に含まれる ・アルコール、タバコ、ドラッグの使用に対する言及が、まれ、または軽度に含まれる ・性的内容およびヌードが、まれ、または軽度に含まれる ・争いや闘争が頻繁、または極度に行われる ・冒とく的または下品なユーモアが、頻繁、または極度に含まれる ・ホラーや恐怖を題材にしたコンテンツが、頻繁、または極度に含まれる ・アニメまたはファンタジーバイオレンスが、頻繁、または極度に含まれる ・リアルな暴力的表現が、まれ、または軽度に含まれる ・まれ、または軽度の疑似ギャンブル |
まあネットにはポルノというものが溢れ返っており、我々は無自覚のままポルノを摂取してそれをメインストリームだと勘違いしながら生きている。
例えばスタンダールの『赤と黒』なんかはフランス文学史に燦然と輝く金字塔的文学とされているけど、実際読んでみたら完全にポルノやんけコレ、となる。当時欧州の文学界には姦通文学の嵐が吹き荒れており、玉石混交のグロテスクなモザイク画が出来上がっていたんだけど。まず、その最高レベルのものから言えば『アンナ・カレーニナ』である。貞淑な女性が徐々にぶっ壊れていき、自分の命さえ省みなくなる生々しいまでの過程はリアリズム小説の真骨頂であった。後はエミール・ゾラの『居酒屋』もいいね。首尾一貫した自然文学小説。それから、翻訳で読んでるからかやや粗い印象だけど(そして『赤と黒』同様にややポルノ臭がするけれど)、バルザックの『谷間の百合』。これは疑似姦通小説とでも呼ぶべきもので、母性的なものの没落を示唆している攻撃的な文学なんだ。
でもね、『赤と黒』は申し訳ないけどただのポルノだ。『ボヴァリー夫人』はアンナ・カレーニナより格が一段落ちるけど、『赤と黒』はそのボヴァリー夫人より更に一段下だ。
「おっす! オラ、ジュリヤン! 田舎の材木屋のしがない子せがれで、日々ぶん殴られながら生活してたんだけど、町の牧師に徹底的にラテン語を叩きこまれた結果、町一番の市長屋敷で家庭教師をすることになった! その結果、お屋敷の奥様に気に入られて、話の行きがかりでその奥様を旦那様である市長から寝取ってやった! そのことがほんのり露見したんで、オラ奥様から遠ざかるという意味合いで都会の神学学校に通わせられた! 都会に着いてからは暫く頭を冷やしてたんだけど、話の行きがかりで社交界の重鎮である侯爵家の世話になることになった! やがて侯爵の秘書としてパリの社交界にデビューしたんだけど、その侯爵家の娘さんは聡明な社交界花形の美少女で、最初はツンケンされたけども、最終的には行きがかりでその美少女をもモノにしてやった!」というものになる。
いやポルノやんけと。
というか、もうなろう小説だよね。『材木屋の子せがれの俺、ラテン語は完璧で聖書のありとあらゆる箇所を暗唱でき、市長家のお屋敷の奥様に気に入られてしまうも、最終的に社交界デビューし、侯爵の秘書としてスパイじみた任務をも任せられてしまい、戻ってこいと言われてももう遅い!』的な。
なろうだよこれ、と。
ちなみに同じスタンダールでも『パルムの僧院』は面白いです。まだ読んでる途中なんだけど。ただ、少なくともこの『赤と黒』に関してはどう控え目に言ってもポルノだし、スタンダール自身通俗小説としてこの小説を書いてたと思う。
とにかく、いかに権威ぶられてもどう見てもポルノ、ってものがあるように、いかに厳粛に見せかけてようが、結局は自分の主張を都合よく擁護してるだけのポルノ作品ってネットにはありふれてんだよね。「なろう」作品がポルノであるのと同じで、都合の良いポルノ作品に頭すっからかんにされてるとどうしても認知歪んでくるよね、って話。
https://mobile.twitter.com/hiranok/status/1456466860715634699
ジョーカーの事件に関する話題で上記のようなものを多く見かけて、前回の内容とかなり重複する部分があるのだが少し補足したい。
前回の内容というのは「池田小事件から今年で20年経つが、学校安全以外の影響・変化はあまり語られていない」「宅間を死刑執行して以降あらゆる形で模倣犯が出ている」という感じの趣旨の投稿をちょっと前にして、それが結構大きな反響だったのだが、その中で「それならさっさと死刑にした方がいい」だとか「死刑廃止しても変わらない」だとか、要するに自分が死刑制度反対に持って行くためにこの話をしているのだと一部の人から誤解されてしまった(ちなみに自分は死刑反対派ですらない)ようだが、別にそういう話がしたかった訳じゃない。むしろ死刑制度反対に利用するために、死刑制度を設置しておくと死刑になるために人を殺す犯罪者が現れるというのがあたかも一般論であるかのように語られて、池田小事件以降変わってしまったものの大きさがあまり認知されていないように思える。事実、この死刑制度反対論は日本では一番最初かその次くらいに出る一般的なものだが、最近の海外で起きた殺人事件を調べても、日本よりなりふり構わず速攻で死刑を執行する中国や死刑の代わりに射殺を積極的に行っている欧米の方が頻発してもおかしくないはずなのにそういう話や死刑反対論はあまり出てこない。(スーサイド・バイ・コップという言葉は昔からあったが)
それで上記の事件一覧を確認すると、宅間が異例の早さで死刑執行されたのが2004年の9月。そして死刑になりたいと供述した事件の中で最も古いのは2004年の11月で、それ以降ずっと根付いている。これ因果関係としては、一般に死刑制度に犯罪を誘発する効果があるというよりは、宅間に死刑執行までの犯罪のプロセスとして上手く行かれてしまって以降、そういう流れの犯罪が日本においてのみ作られてしまったという方が正しいのではないか?
次に死刑になりたいという意思で引き起こされた犯罪は死刑制度反対の例としてさらっと引き合いに出されるくらいで、その具体的な実情はあまり出ないので説明しようと思う。
「死にたくても自殺できないなら人を殺して死刑になればいい」という思考回路は広まりすぎて日本の犯罪者に定着しつつあるため、自殺願望からそういう悪魔の囁きに突き動かされて衝動的にやってしまった犯罪者もいるのだが、そういう節のある人は基本死刑執行されるところまでは行かない。突発的な要素が考慮されて、心神耗弱で減刑されることも少なくない。茨木市ひき逃げ事件や心斎橋・イオンでの通り魔事件、さらに仙台のアーケードトラック事件がこれに該当するだろう。まあ人を殺傷するところまで行ってしまっているので無視して良い訳ではないのだが。
もちろん死刑になりたいと確信的に事件を起こした犯人もいる。自殺サイト殺人事件の前上博は窒息と白いルーズソックスに性的興奮を感じる異常性癖の持ち主で、過去100人近くに性的暴行を繰り返していたのだが、一方で犯罪を止められない自分に罪悪感を感じでおり、最後に強制的に自分が死ぬために自殺サイトで繋がった自殺志願者を絞殺するという形で自分の人生を終わりにした。
そして土浦連続殺傷事件や上記に書かれていないが、奈良小1女児殺害事件、大阪姉妹殺害事件、京都・神奈川親族連続殺人事件の特に犯人の事件後の供述や心理、その後の顛末等をwikipediaなんかから一つずつ確認した後で下記の記事を読んで貰いたい。
"怪物"にはしない
2007(平成19)年1月 『方法としての親鸞』(「親鸞」研究会編 永田文昌堂刊) 所収
2004年9月14日、池田小児童殺傷事件という惨劇を起こした、宅間守被告の死刑が執行された。ついに遺族への謝罪の言葉を一言も発することなく。事件発生から三年余り、判決確定からわずか一年足らずの異例の早さだった。大量殺人に飛躍する理由を、彼は「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかったから」と語ったそうだが、その人生の幕引きを国が手助けすることになったとは、何とも皮肉なものである。まさに彼の思惑通りになってしまった。
しかし、これで終わったのだろうか。本当にこの事件は終わりなのだろうか。このことに関して、『群像』2004年12月号に、作家雨宮処凛と佐木隆三の興味深い対談が掲載されている。
(中略)
最後まで世の中を呪って、呪い尽くして死んでくれることによって、さらにカリスマ性みたいなものが出た。あれで途中で謝ったり反省したら、一気に宅間嫌いになりますね、宅間信者は。だから、あれは一つの物語としては、信者にとっては完璧であったような。
※参考資料
https://www.google.co.jp/amp/s/w.atwiki.jp/takumamamoru/pages/15.amp
・・・僕たちは、とんでもないことをしてしまったのかもしれない。宅間を怪物のままに、死刑を執行してしまった。それは同時に彼を神聖化する儀式でもあり、新たな怪物を生み出す儀式であったのかもしれないのだ。事実、2004年11月、奈良市内で有山楓ちゃんを誘拐・殺害した罪に問われた小林薫被告は、「早く死刑判決を受け、第二の宮崎勤か宅間守として世間に名を残したい」と語ったという。
この雨宮の言葉に対し、佐木隆三は『汚れた顔の天使』というアメリカ映画を紹介した。この映画は、1938年の作品。マイケル・カーティス監督、ジェームス・ギャグニーが主演のギャング映画だ。
出所したギャングのロッキーは、町の不良少年のヒーローとなる。牧師として不良少年たちの更生に力を注いでいた彼の幼なじみのジェリーは、少年たちを危ぶんでいた。そんな時、裏切り者の悪徳弁護士を殺したロッキーは、逮捕され死刑宣告を受ける。嘲笑うかのように平然としている彼の姿に少年たちは一層感化されてしまうが、そんな彼等の未来を案じたジェリーはロッキーの元へ行き、ある頼みをする。
いよいよ死刑当日。電気椅子に進んだロッキーは、それまでの態度とはうって変わって「おれは死にたくない」と泣き声を上げ始めた。ロッキーの最後を新聞記事で読んだ少年達は、落胆しロッキーを軽蔑しはじめる。本当のことを知っているのは、ジェリーとロッキーの2人だけだった。この作品、実話が元だともいわれている。
あれで途中で謝ったり反省したら、一気に宅間嫌いになりますね、宅間信者は。
雨宮の指摘した通り、私たちは、宅間を人間にしなくてはならなかったのだ。怪物のまま死なせてはならなかった。ANOTHER MONSTERを生み出さぬためにも。
怪物・・・?怪物なんておらんよ。ヨハンは人間だった・・・・。特にミュンヘン大学図書館を炎上させて以降は、彼は人間になるために生きていた・・・そう思うよ。少なくとも人を殺すことを何とも思わない人間を、総称して?怪物?と呼んでいる間は、われわれは殺人という行為をなくすことはできない。彼らを同じ人間と思い、見つめることだ。怪物と呼ばず、われわれと同じ、名前を持つ人間だと考えること・・・・。それが、ヨハンが何であったかを理解する鍵なんです。(『ANOTHER MONSTER』)
過ぎた時を引き戻すことはできない。たとえ過去に返ることができたとしても、宅間の心がそう簡単に変わるとも思えない。しかし、しかし・・・彼を怪物ではなく、一人の人間として見つめていくことは出来る。なぜ人間である彼が、そんなことをしてしまったのか。どんな環境が彼をそんな生き方に向かわせたのかと。それが私たちにできる、たったひとつの怪物退治の方法なのではないだろうか。
前回貼ったものと全く同じコピペで申し訳ないのだが、事件の本質を一番よく表しているものだと思うのでもう一度。この件の死刑執行でそれまで万全だったはずの日本の死刑制度の意味を懐疑的にさせられてしまった訳だが、「反省もなく関係者に暴言を吐き続け」「死にたいと宣言した失う物のない犯人を」「特例措置を認めて異例の早さで死刑執行した」ことで、犯人の希死念慮や思想・主張も含めたメッセージが届いてしまったのではないか。だから日本に突如として現れた彼らのような犯罪者には単に自殺願望だけでなく、ある種の復讐心や抗議の意志のようなものも含まれているのではないかと考える。その意味で、こういう議題でアンチテーゼとして出されるようになった新幹線殺傷事件の小島(無期懲役になるために人を殺した)も同質のメンタリティを持つ犯罪者だと思う。(彼がこれまでの犯罪の慣例を覆して取った選択が今後吉と出るか凶と出るかはまだ分からないが)
最近はこの手の犯罪は下火になってくれているように思うが、こういう犯罪の歴史がある以上また再燃するかもしれないし、その一連の経緯は多くの人が知っておいて損はないはず。(植松の控訴取り下げ死刑確定等もあるし)
最後に、池田小事件に衝撃を受けた自分の個人的感情として「学校の安全管理のあり方が変わった」ということでしか重大性を広めようとしないメディアの方針がどうしても納得できない部分はあった。他の人の記事やコメントから察するに、(他の重大事件と比べて)加害者に焦点を当てた話に中々なってくれないのは、犯人の事件前までの境遇が特殊・異常すぎて典型的な犯罪形成論に落とし込めずに敬遠されているということなのだろう。その一方でコロンバイン高校銃乱射事件と双璧で、「テロ組織・過激派勢力やそれに属するローンウルフですらない、ただのバラバラの犯罪者のままでありながら、社会に影響を与える脅威となりうるレベルで、犯罪の意味や模倣性を与えてしまった事件」だったとも思っている。そういう啓示を与えてしまったこの事件こそ、犯罪者の観点から語り継がれるべきだというのは、くどいようではあるが強調したい。
発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識をキモヲタは空気読めで片付けない
日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。
それどころか、日本は性的に露骨な表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。
非常にセクシュアルな作品や表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。
元ネタは2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである。
下ネタの解釈を文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペは空気読めで片付けないために解釈のひとつを書いておくと、
この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなたの作品・表現はセクシーだったという、
下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブな賞賛として使われる。
アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここから先である。
この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現のニュアンスを理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを
誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである。
なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、
『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである。
これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
彼らは、親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料、当事者向けの学習資料があるよ。