「文化人類学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文化人類学とは

2019-04-20

anond:20190420153817

質的研究自体への疑問は「あたりまえだから」とかい理由却下されるというもはや共産主義的な社会学部

もうこれだめだろ。

流石に読解力がなさ過ぎる。質的研究と量的研究客観性科学性が異なるっていう文脈だし、それは社会科学分野では当たり前のことだよ。

なんでこんなもの学問になってるの?芸能人研究学問なの?

文化人類学研究対象として松崎しげるの黒さを出すようなものを疑わないってちょっと学問としての姿勢が狂いすぎている。

2019-03-20

人間繁栄したのって

雑食でまずいから食べられなかったからじゃない?

いや文化人類学的にとか詳しいことはようわからんけどふと思った。

2019-03-11

anond:20190311072100

文化人類学的には、多様な家族形態がある。

https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001549.html

http://parentinghome.net/

2019-02-26

賄賂文化

中国文化では賄賂を送ることが文化的慣習としてある。」という

意見を聞いたことがあります。どなたかご存知の方、これは本当なのでしょうか。

文化人類学の視点からはモースの『贈与論』とかをふまえるとそのような文化

存在する可能性は現在でもあるような気がします。

30年前まではインドネシア入国するとき入国審査官がお金要求することは

よくありましたしね。

2019-01-24

anond:20190123214918

東大駒場キャンパス1989年一般教養文化人類学」の授業でF教授東京(もう少し絞れば、霞ヶ関官庁街とか大手町本社集積地)から自分居住地距離が増大すると心理的な優位性が減少するという特異な文化特性日本にはあるのではないかと言っていました。文化というのは変化が非常に遅いのだと思います

かに、長期的にはこの特性消滅していく可能性が高いと私も思います

2019-01-14

日本民話とか文化人類学みたいなアニメ漫画って最近見ない

90年代前半くらいまでは、まだ残っていたように思うんだが消えた気がする。

現代の習慣についていけなく、お金にならないからか。

2018-12-11

anond:20181211224335

捏造じゃないよw

それを言うなら「シミュラークル」でしょw

今日から覚えておいてねw

 

シミュラークルとは - はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B7%A5%DF%A5%E5%A5%E9%A1%BC%A5%AF%A5%EB

フランス思想家ボードリヤール提唱した概念ポストモダン社会における、オリジナルなきコピーのこと。

元来は文化人類学用語であり、ある土地伝統文化が滅びてしまった後、後世の人間がそれを惜しんで復活させた「まがいもの文化」を指す。

2018-11-18

anond:20181118184017

文化人類学の魅力のひとつは、仮説に迫る心的な動機づけプロセス表現した、得も言われぬ独特の文体にあるのかもしれない。

そうした心的な動機を、岩田慶治は【みえないもの】をみたい、と表現した。

学生の頃、そうした世界をどうしても見たくて、卒論指導教官相談した。

そして言われたのは、「目を覚ましなさい。法学部は夢をみる場じゃない。法的思考を訓練する場だ。学部生は特にだ。」

2018-11-17

百田尚樹の本に参考文献がないとかそういう話

はじめに書いておくと、『日本国紀』がデタラメの塊なのはかれの書くノンフィクションデタラメだらけなのを見ていれば容易に予想がつくことで、『日本国紀』がデタラメだというそ結論に異議を申し立てるつもりは毛頭ない。あんデタラメ本をわざわざ読み込んで批判されている識者の方々には心から敬意を表する。

だけど、ちょっと待ってほしい。参考文献がないという話だ。いや、参考文献が大事なのはわかる。研究書に参考文献がないのは論外だ。そして『日本国紀』にも参考文献が書かれていないということで、こんなん歴史書としてありえないとかさんざん言われている。『日本国紀』がクソなのはよくわかるのだが、参考文献リストがないからクソとか言われてしまうと非常に困惑する。

なぜなら、現に「参考文献が書かれてないけど、良い一般向けの歴史入門書」というもの存在しているからだ。

ぶっちゃけて言うと岩波新書で出た入門書の類である中公新書講談社現代新書最近「もう選書でやれよ」と言いたくなるくらいに参考文献リストを充実させており最近だと本文中での典拠明示もバッチリやっていたりするが、岩波新書は参考文献を載せていない一般向けの歴史の本というもの継続的現在に至るまで出し続けており、その内容がデタラメというならともかく出版から時間が経っても良質な入門書として評価され得るようなものだったりする。

百田批判したいあまりに「参考文献がないなんてありえない!」と言われると、過去岩波新書出版され私を現在研究分野に導いてくれた良書の数々が肩身の狭い思いをするので、もうちょっとこうなんというか、手心というか……。

参考文献は、当たり前だけどあった方がいいに決まっている。仮に知り合いが「これから一般書を書くんだけど、編集さんから参考文献は削ってって言われちゃった。どう思う?」って言い出したら「いや編集とバトルしてでも参考文献載せろよ」って言うだろう。だがもう出ちゃった本に対しては「良い本だけど、参考文献があればもっと良かった」としか言いようがなく、百田の本を叩きたいあまりに参考文献リストがないなんてありえないとか無価値だとかそんな言い方をされると、気持ちはわかるんですがそれはちょっと賛同できないっすね……とボソボソ呟くことしかできなくなってしまう感があり、あれだ、みんなもっと色んな本読もう……

本論とは違うが、ちょっとだけ言いたいこと。

参考文献は必要だが、「巻末参考文献リスト」はなくてもよい。あった方が便利なのは確かだが、本文中に典拠が明示されていれば、紙幅を気にして削ってしまってもよい。文系場合、参考文献を示すのに色々な表記方法が有り得るが(MLA styleとか)、脚注書誌情報を記すやり方もあり(具体的にはシカゴスタイル見てもらった方が早いかhttps://www.chicagomanualofstyle.org/tools_citationguide/citation-guide-1.html )、この方式場合参考文献リストは「あれば便利」という位置づけに過ぎず「必須」ではない。いやもちろんあった方が便利ですよあった方が。でも脚注だけでも「典拠を示す」という最低限の役割を果たし得る以上、紙幅が足りないねじゃあどこ削るとなったときに真っ先に参考文献リストを削るだろうなと思う。別にこれは日本語圏のみのルールではなく、英文査読誌でも脚注典拠を示させるスタイル場合は参考文献リストをつけない場合が多いんじゃないかな(author-date方式場合は当たり前だけど参考文献リスト絶対必要です)。たとえばこの雑誌https://www.tandfonline.com/action/authorSubmission?show=instructions&journalCode=fnep20脚注スタイルなので参考文献リストつけません。甚だしい場合書籍からも参考文献リストを抜くことがある。いやほんと参考文献リストをつけてほしいのだが、しかし出典表記義務はきちんと果たしているので、問題は単に「チェックしづらい」というだけだ。なのでめんどくせーと思いながらも注を丹念に辿って出典チェックをしたものです。ちなみに日本で出た一般書の話ではなくハーバード大学出版から出た英書の話なので誤解なきように。出典注とfurther readingはついてるけど引用文献リストはついてない、というのも見るな(MazowerのDark Continentとか)。

「巻末に参考文献リストを置いていない」ことと「いっさいの出典表示をしていない」は文系においてはまるっきり別の事柄であり、「参考文献がないのは駄目」という言説が後者意味で言われているならいいのだが前者の意味で言われているのならそれは明白に間違いなので勉強し直してほしい。いやだって文系研究書を乱読していれば絶対に「注で参考文献を表示しているけど、巻末に文献リストはない」本に一定数行き当たるでしょ……?(あー、社会学文化人類学のばっかり読んでたらそういう本には当たらないかも。文学とか歴史学とかだと稀によくあるんだよなー)

あと、新書とかエンタメ路線に振った本とかで注がないのは許せるのだが、ほぼ研究書並の分厚い本を書いておいて注を省くのは本当にやめてほしい自分の専門からは遠いから名指ししておくと最近出たやつだと『アイルランド革命1913-23』とか『ドイツ植民地研究』とかですね。新書とかは学識の折り詰めやエッセンスのようなものなので厳密な出典注を省いても別にいいというか対象読者が違うし……感もあるのだが、この厚みでこの内容で出典注ないのは勿体ないし価値を下げてしまっている。いやもちろん両方ともきちんと緻密な参考文献リストをつけてくれているのである程度は出典の見当がついたりするのだが、このボリューム、この内容で注なしは流石に……これなら、注をつけて文献リストを省いた方が100倍マシだと思う。だってどこを参照してるかわかんないじゃん……いちおう言っておくと英語圏でもこういう「なんで! この厚みで! この内容で! ちゃんと注をつけないの!」という本は存在するので日本文系ガラパゴスだとかそういう話を始めないようにね。でも注を省いてこのお値段なら注をつけたらいったいおいくら万円になっちゃうの……? というのも一方で思ったりするので難しいところなんだよな。ただでさえ日本語でも英語でも学術書は高いのにねえ……

2018-10-10

anond:20181010152800

お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベル査読が行われていなければ再検証対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文価値を実質決定する。

引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメ研究引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用多寡は直接的には論文価値リンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的リンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。

そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文価値があるとみなされる構造問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文クオリティ担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。

偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?

お気持ち明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算時間も考えられない程かかる。

先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークデータ依拠する以上原理的に完全な再現不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論から再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学天文学と生物学理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系スタンダード研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。

逆を言えば、文系場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。

ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアル新規性もあるし、独創的な理論解釈提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから引用数を重視する文化存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。

2018-10-09

anond:20181009051334

残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。

論文の内容の正しさはどうやって保証されてるの?

出版すること自体が業績になるなら、金持ち妄言論文だって言って出版したらそれも業績になっちゃうんだけどいいの?

それがだめなら出版たから業績ってカウントの仕方がそもそも問題だってことになるよね?

たとえば適当査読誌をでっち上げ査読してますと謳って実質無査読論文を垂れ流すことは同じく金があれば誰でもできますが、そうやって出来上がったもの研究者コミュニティにおいて信用を得られるか、というとまた別の問題

著者がこれまでアカデミックキャリアを積んでこなかった人だったりしたら、「あっ……(察し)」となって黙殺ルート一直線でしょうね。アカデミックキャリアを持つ人が書いたダメな本だったら、どこかの書評フルボッコにされた後になかったこ認定かな。学術誌って書評欄ありますよね? あそこ見るといいですよ。雑誌によるけど、権威のある雑誌だったらあれが足りないこれが欠けてる○○語も読めねえのかとか言いたい放題してます。もちろん後発の論文や本の中で批判されまくることもあるでしょうね。当たり前ですけど先行研究批判ちゃんとやるわけで。

出版だって、長年良質な学術書を出版してきた、ある分野での定評のある出版社、みたいなやつがあるわけですよ(cf. anond:20180828185404)。日本語圏でも英語圏でもそうです。そういうとこは慣れた編集さんがきちんとチェックするし、まあたまに事故ることはあります基本的に変なもの学術であるかのように装って出したりはしないわけで。あと最近科研費出版助成とかもあるんで、あんまりにもダメ研究助成されないし、単著出版に際して査読を科す出版社さんも出てきてますね。

まー、こういう評価の仕方は数量化しにくいですねえ。権威主義とか職人芸とか言われても仕方ないかもしれない。

ただ、こんな当たり前のことを説明しなければいけないのかと若干徒労感があるのですが、文系にも研究の出来不出来による評価軸というものはあり、また信頼性を重み付けしようというインセンティブ存在するわけですよ。

査読論文なら盲目的に信奉する理系の人なんていないでしょ? それと同じですよ。単著からって無条件でありがたがったりはしない。だいたい単著ほどのボリュームのものを書く以上はどこかに土台となるような論文(群)が存在し、それは何らかの形で人目にさらされていることが多いわけで(もちろんなんの予兆もなしに単著出しちゃう化物がいないわけじゃないですけど。あとはドイツとか特殊事情がある国もあるので、まあ……)、信頼に値する業績を挙げてきた著者なら「おっ! ついにアイツが単著を出すのか!」「あの研究ようやく本になったのか!」みたいに迎えられるでしょうし、怪しい著者はその段階でお察しな扱いを受けるんじゃないですか。実際に出来上がったものの出来は、それまでの研究の出来からある程度予想つくのはわかっていただけますよね。

もしもこれが日本だけの慣行なら、あるいは社会学だけの話なら、ガラパゴス非難されても仕方ないかもしれない。けれど実際には、アカデミック単著を業績にカウントするのは英語圏ロシア語圏も同じです。フランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが、単著学術的論集の1章は立派な研究業績。私の本棚には英仏独語で出た外国人の著書が並んでますが、どれもそれぞれの国で研究業績として立派に通用しています。私は社会学だけじゃなく歴史学文化人類学政治学学術書も読んだことがありますが、どれもちゃん研究業績として扱われていますし、内容もまっとうな研究でしたよ(ハズレがないとは言いませんが)。

文系出版したがりになんの問題もないかというとそれは違って、文系の中でも色々議論はあります。そしてその議論は非「文系」にも開かれているべきでしょう。ただ、そもそも論として、このへんの文系事情をろくに知らない人が自分野のローカルルールを振りかざして口を出してるのはほんとムカつきますね。文系研究書を1冊でも読んだことがあるのかと。外国語文系論文を手に取ったことがあるのかと。文系論文を読みもせず、英語やその他の言語での学術書を触ったこともない人たちに、文系慣行ジャッジする資格なんてあるはずがない。

追記

id:yuimoke ふむ。文系論文質的担保について。

論文じゃなくて著書の話です。ちゃんと読んで……

id:n314 えっと、内容の正しさの保証は、つまりどういうこと?著書、どこかの書評定評のある出版社、編集さん、出版助成査読、土台の論文群、過去の業績、これらから総合的に判断するということかな?

自分で読んで判断しましょうよ……理系だって査読を通ったんだから正しいに違いない! なんて思わず批判検討するっしょ? それともそういうプロセスをサボって無批判論文の内容を受け売りしてたひとたちが文系慣行ケチつけてるってことなんですか?

id:uturi 文系学問では査読するのは出版社ってこと? そういう文化なのか。

文系基準でも出版社の編集によるチェックは査読とは呼ばないです(査読をする出版社もあります。たとえば→https://twitter.com/saisenreiha/status/1049653174045270021)。一度もそのプロセス査読とは呼んでいないでしょ? 頼むからきちんと読んでください……

id:napsucks でも批判的な観点でチェックされてるかは疑問かな。堂々と立派なところから本出してた旧石器捏造みたいな例だってあるし。

そんなこと言ったら理系査読だって小保方晴子黄禹錫ヘンドリック・シェーンを見抜けなかったんだから、たいした意味ないんじゃないの? って話になりませんか。この3人、NatureScienceに堂々と載ってたんですが。

id:junmk2 金だけで動く会社から出版専門家からフルボッコにされても、そんな情報一般人アクセスしないので、論文があります単著があります権威は十分通用する。「まともな」専門家形式的には変わらない。

たとえばJournal of Nutritional and Environmental Medicineみたいに?(cf. http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20150220#p1

id:himakao この出版不況の中、論文の中身まで編集がしっかりチェックする余裕があるようにはとても思えないんだけど、文系研究者論文本って界隈で質が高いと評価されるとそんなに売れるもんなのか?

売れるわけないでしょ(涙)……とだけ言うのはアレなので補足すると、もちろんこれは本の内容によります現代思想とか戦国時代とか、一般読書家にもファンが多いテーマならひょっとしたらワンチャンあるかもしれませんが、マニアック文化人類学研究とかだったらまあまず売れないです。だから出版助成もらうわけですけど。著者にも金銭負担が生じることは結構あると思いますよ。

id:Dragoonriders なるほど。徒労感はあろうかと思われるけど、畑が違えば、みんなよく知らないんですよ。

徒労感があるのは、文系評価基準を知らない人が多いことに対してじゃなくて、文系の中にも研究の出来不出来があり論文や著書の信頼性を重み付けするメカニズムはある……という至極当然のことに思い至らない人が多いことに対してです。査読が重視されないならあらゆる研究フラットということになりその中で優良な研究を見分ける作業時間を取られるのだから効率だ! みたいな論を立ててる人とかね。人間社会なんだから何らかの形で評価システムが生まれてくる、ってことくらい、別に具体的な事情を知らなくてもちょっと想像力があればわかりそうなもんだけどなぁ。

id:hisawooo その「お前らはよく調べて論文読んでからじゃないとジャッジしちゃいけないけど俺たちは見た目だけで判断して良い」という奢りはどっからくるの?

ちょっとこのブコメで堪忍袋の緒が切れた。

あのなー! 俺はキズナアイ服装なんて公共の場に出して全然オッケーな露出度だと思ってるわ! 特設サイトだけじゃなくてNHKの夜のニュースに出てても批判せんわ! ラノベの表紙におっぱいを強調したチャンネーがいて何が悪いって思ってるわ! 社会学全体や文系全般を叩くやつがいたか反論してるだけ!

もうほんとふざけんな。どっち側もクソすぎて付き合ってられねえわ。

anond:20181009013051

社会学者査読も受けず、適当な作文が業績になり、同じく査読を受けてない作文を業績にしてきた、いい加減な人間の集まりである教授会で、承認されたら教授になれるとか言う、クソ教員の量産をしている態勢が問題だと言われている。

もうほんとこのレベルの難癖に応答するの疲れるんだけど、『社会学評論』にも『ソシオロゴス』にも査読あるわ。有名どころの社会学学術雑誌にはたいてい査読あるわ。

私は社会学者じゃないけど、私の分野(人文系)でも有名で評判のいい学術誌にはたいてい査読があるわ。フェミニズムなら『女性学』、文化人類学なら『文化人類学』、他にも詳しくは書かんが色々な分野で出てる学術誌に査読があるわ(つーか院生向け紀要にも査読があるわ)。私の周囲で採用された教授准教授はたいてい査読論文持ってるわ。私も含めて若手の多くは査読で落ちてるわ。

主だった雑誌のことも知らないくせに、目立った1人あるいは数人の社会学者言動と業績を取り上げて社会学文系全体を無価値断罪するの、リテラシー()とやらを持ち合わせている人間のやることとは思えんね。文系disるときだけ調査もしないエビデンスも重視しない理系()様って多いよな。ずいぶん気楽な商売だ。私はこれを書く前に主だった雑誌投稿規定を一応チェックして、周りの評判を聞くに査読をしているはずなんだが投稿規定査読をすると明記してない雑誌は抜いたりしたんだが、理系()様はどうせどういう雑誌があるかも知らなかったんだろうな。ろくずっぽその分野を知りもせず思い込みdisる自称理系()の皆様、どうすればそんな馬鹿になれるのか教えてもらっていいですか? 理工学部かに進めばそういう馬鹿になれますか?

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-02

東京工業大学学費値上げ騒動と立看板について

2015年学士課程入学文系教養に乏しいとされる世代から2016年度以降の文系教養に明るい素晴らしい学生たちへ

教養

私は君たちが豊かな文系教養科目を受講できていることを羨ましく思う。

自分たちまでの世代文系教養科目というと、オーソドックスで最高の座学か、“学士しかないのに都の西北教授になった金髪胡散臭いインターネット昔話”くらいしかなかった。

ああ、悪魔祓いの話をしてくれるオタク蔑視クレイジージャーニーもいた。

彼は文化人類学が専門らしいが、弊学のオタクたちの情緒理解できなかったのかな。

あれほどまでに他者と向き合ってきた学者オタクとなると未成熟なヒトとしか捉えられないらしい。

自分石川台人間なので彼が今どうしているかは知らない。

立看

さて2016年以降入学聡明学生諸氏においては、最近の立看板張り紙など学費値上げに関連した様々な活動を展開されているようで大いに結構である

しか2016年以降入学学生リベラルアーツ教育無限教養を手に入れているというのは自分の誤解であったのか、もしくはあの素晴らしいリベラルアーツ教育ではあまり社会学に触れる機会がなかったのか、はっきりとはわからないが、ここはひとつ景観」という概念について述べたい。

景観

学生諸氏が知らないのはNHKニュースおじさんが教えてくれなかったのが悪いのだが、「景観」というのは社会的に共有される財産の一つである

景観とは誰もが参加しうる実体に関わる価値であるために、スワンボートまことちゃんハウス批判されていたのだ。

そもそも大学キャンパスというのは実際には難しい公共的な立場にある。

完全に公共に開かれた場所ではなく、指定国立大学法人管理する土地である

しかしその法人性質上、ある程度まで公共に開かれて地域に貢献することが望ましい。

また近隣住民銀杏を拾っているだけで烈火のごとく怒り出す理学部教授と、自転車走行禁止区域の傘さし子連れ自転車マダム調停するのも大学法人責任ではないかと思うが、その問題自体はここでは無関係である

大学

ここで大学キャンパスには上記のような公共性が求められているということがわかるだろうか。

まり学内から地域社会とは独立である、もしく国立大学なので自由市民が利用できる、という言説はどちらも間違っていて、端的に不寛容価値観だと言わざるを得ない。

このような状況の中で「景観」について考えると、大学の中にあってもその景観破壊することが何を意味するのか。

社会

景観社会的な共有財であることは先に述べた。

ここから明らかなように、景観破壊することはそれを共有する全ての人々の財産破壊しているということになる。

もちろん大学キャンパスの中では大学許可があれば自由看板を建てられるし、百年記念館の素晴らしい扉にポエムを書きつけることだってできる。

しかしそのような行為によって景観破壊することは高等教育を受けているような知性の持ち主に要求される倫理において当然許されることではない。

そもそもあの立看板無許可であったのだが、それは今回述べたこととはあまり関係ない上に、この大学学生による自治概念絶望的に欠落していることと文化的京都大学を経由していることによって私の語りうるところではない。

ちなみに社会工学科の人は、川喜田二郎によって弊学の学生運動が懐柔させられたという噂の真偽をコメントしてほしい。

環境

話が脱線したが、大学において求められる景観について十分に説明できただろうか。

私は景観とは都市的な文脈の中で位置付けられるものであると考えており、そのため京都大学に立看板を立てることを問題視する立場にはない。

この大学景観を良いとは言えないが周辺の住宅地は幾分マシな方である

主張

端的に言おう。

景観破壊するのはやめてほしい。

特に百年記念館の扉にダサいポエムを貼ったり、80周年記念館の壁に「ここは80周年記念館です」などと意味不明のダサい案内を貼るのはやめてほしい。

ダサさが問題なのではない。

それがどれだけ格好良くとも、周囲と調和が取れておらず景観破壊しているのが問題なのである

施設管理課の人間がどれほどの教育を受けた人間なのかは知る由もないが、おおよそ高等教育を受けた人間のすべきことではないので中卒だと思う。

大衆

意図せず大学批判になってしまったが、この日記目的2016年以降入学聡明学生景観について考えてほしいということである

実はポピュラリティ問題なのかもしれない。

今や街にアニメキャラクターの巨大な広告があってもそれほど問題にはならなくなったことや秋葉原ではそもそも問題ではなかったことを思い出してほしい。

教育

大学教育というものについてよく理解できていない人間が多いようだが、大学教育を受ける機会を与えるのみである

「〜を教えてくれないのはおかしい」や「〜を教えるな」など批判にもならないような意味をなさなヒステリーtwitterに書き殴るのも本当はやめたほうがいい。

そもそも現在行われているようなリベラルアーツ教育意味をなしていないのは学生教養が足りていないかである

高等学校までで教わるような基礎的な知識をロクに覚えてもいないから、議論をしても無が展開されるのみであるのだ。

文系科目を雑に批判して自らの無教養を醜く晒すのではなく高校教科書などを読むとよろしいかと思う。

かにクレイジージャーニーNHKニュースおじさんの施策は最悪だが、大学という場所自分勉強することができる場所でもある。

皆さんは優秀なので、必修の文系科目など適当にこなすくらいでちょうどいいのではないか

2018-08-25

性犯罪者二次元治療しろ

二次元オナニーすることで性欲を発散できるように訓練をさせるべきである

「もし街中で突然性欲が溜まって変な気を起こしそうになったら、急いで家に帰ってクジラックス先生の本でオナニーしなさい」

そう語るのはエロマンガ博士ことスケベ・ニンゲン氏。

彼の語る『二次元性欲発散法』によって今までに救われてきた患者は1人も居ない。

何故なら彼の論文は世に出てきていないからだ。

三次元に性欲を向けるから犯罪行為選択肢に入る。二次元で抜けば犯罪者になるのは防げる」

彼がそう主張すると決まって

知るかバカうどんのような作品を読むから変態性癖が蓄積して暴走する』

反論される。

「こんな社会論文を余に出せば、私の文化人類学者としての人生は終わってしまう」

そう語りながらスケベ・ニンゲン氏はぷにあなDX(オナホール)をろくろのようにグルグルと回していた。

「今はオナホールラブドールクオリティも上がっている。肉体的な欲求をぶつける手段として生身の人間を選ぶ必要も無くなってきている。二次元で抜くのにはとても都合が良い環境が整っている」

「わざわざ犯罪リスクを犯し、刑務所禁欲的な生活を送るよりも、自分の部屋で安心して二次元オナニーするほうが幸せであるという事を多くの性犯罪者理解して欲しい」

性犯罪者社会復帰において一番必要なのは性犯罪をしないほうがメリットの大きい生活がこの社会に既に用意されている事に気づかせること」

スケベ・ニンゲン氏の早口は止まらない。

二次元オナニーをさせてみて、それで満足できるという事を教えて上げる必要がある。性欲は三次元で発散するものだという思い込みが人を性犯罪に走らせる」

彼の語る理想が実現する日は、彼の理論の正しさが証明される日は来るのだろうか。

エロ漫画社会立ち位置はとても弱い。緋鍵龍彦代表作が断裁分離のクライムエッジ だと言われているのが何よりの証拠だ」

全てのロリコン子供安心して幸せに生きられる時代を目指し、今日も彼は誰にも発表することが出来ない理論について研究を進めている

民明書房刊「これから性犯罪治療 二次元オナニー療法のひ・み・つ」より

2018-08-11

パンティーを作るのが趣味

元々ブルマ競技選手社会人になったら維持に手間かかるからできなくなったが

それでもなんか似たようなのあるだろと思ってパンティーに行き着いた

英語の文献を漁り、ベトナムラオスに住むモン族パンティーやパンティーの歴史に至るまでを調べて真似て、卒論書くとき以外で使ったことのないCiniiから中国の怒族やリス族の文化人類学論文を探し出し(原始的な弩を昔から使ってる少数民族から)ホームセンター材料を集めて制作して試着をする

1500円もあれば、鉄鍋の底やステンレスパットを紙切れみたいにぶち抜くパンティーを作れるようになったけど

なんか学生やってる時より研究勉強している気がする

このあまねく知的探求の成果を世に出したいけど、そんなの研究したり発表できる学会学部なんてないんだよね、多分この分野にかけては日本で一番の知識を持ってると断言できるのに

なんでポスドク増田たちが絶望しているかわかった気がした

研究でもお金稼げるものじゃなきゃ価値がないんだもんね

俺のこの研究成果を金に変えようと思ったら変態仮面くらいしかやれることないもんね

2018-07-19

アマゾネス

古代に男を交換するアマゾネス社会がなかった(存在したが淘汰されたのかも)のは文化人類学の謎の一つよ。

2018-07-06

クロスボウを作るのが趣味

元々射撃競技選手社会人になったら維持に手間かかるからできなくなったが

それでもなんか似たようなのあるだろと思ってクロスボウに行き着いた

英語の文献を漁り、ベトナムラオスに住むモン族クロスボウクロスボウ歴史に至るまでを調べて真似て、卒論書くとき以外で使ったことのないCiniiから中国の怒族やリス族の文化人類学論文を探し出し(原始的な弩を昔から使ってる少数民族から)ホームセンター材料を集めて制作して試射をする

1500円もあれば、鉄鍋の底やステンレスパットを紙切れみたいにぶち抜くクロスボウを作れるようになったけど

なんか学生やってる時より研究勉強している気がする

このあまねく知的探求の成果を世に出したいけど、そんなの研究したり発表できる学会学部なんてないんだよね、多分この分野にかけては日本で一番の知識を持ってると断言できるのに

なんでポスドク増田たちが絶望しているかわかった気がした

研究でもお金稼げるものじゃなきゃ価値がないんだもんね

俺のこの研究成果を金に変えようと思ったらテロリストくらいしかやれることないもんね

2018-05-15

anond:20180515001824

女性評価される基準って若さ容姿が8割ぐらい占めるわけで、女性側もそれを理解して育つから価値観ベース容姿になるのは仕方がない。

残りの2割は気の利いた従順さとか愛嬌特に日本では。

顔立ちだちは微妙でも男ウケがいい女はいるし、

顔立ちは整っているのにそれを活かすことができない気質や知能の女はいるが、

基本的に女の評価は外見。

社会学文化人類学研究に、世界2ケタ国、つまり文化が違う国々での男女別異性の何を重視して評価するかを調べた物がある。

文化が違っても男が女の何を評価するかというと「若さと美しさ」で、美しさにはオッパイかオシリが大きい、とか入るわけ。

女は男ほど異性の容姿重要視しない。

まり男の金と権力に相当するものが女にとっては容姿

その上女には心理学で言う成功恐怖っていう心理がある。

要するに金と権力を手に入れても女としての幸せ、端的に言うと繁殖寄与しない。

それどころかむしろ遠のく。

コンプレックスについていえば、そこそこの金と社会的地位がある男でも

 「学生時代青春できなかった」とか「他の男ほど女を自由セックスできない」というところをこじらせてる人は見かけるな。)

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2018-01-31

備忘録 男はみんなロリコンだ3 Lolirights

チャップリンは、自分の映画の出演女優ミルドレッドハリス(16歳)に手を出し妊娠させたというスキャンダルが発覚し、急遽できちゃった結婚をしたが、この妊娠話自体が狂言であった。

次の結婚も、自分の映画の出演女優リタ・グレイ(16歳)に手を出し、本当に妊娠させての出来婚である

好きになったら年齢は関係ない!

岡田将生が12歳の美少女 吉田里琴純愛プロポーズ

岡田将生は #小児性愛

#ロリコン

#小児性愛者は差別用語ではありません

#禁断の愛

#許されざる恋

#純愛

#一億総ロリコン活躍社会

https://youtu.be/zTKzMz-tqec

日本人の体格は江戸時代の後期が最も身長が小さく成人男性平均が150cmだったが、戦後の栄養状態改善で体格は大型化した。これに伴い思春期も早期に発現するようになり、女子は初経年齢つまり性成熟の時期も早期化した。

つまり13歳くらいで結婚していた昔の方が、未熟な子供に欲情していた。

「心を開こう、誰にでも」

Open your heart to everyone

https://youtu.be/xMGAaDHel3o

必ず両想いになれるなんてことはない。というかむしろ、両想いになれる確率の方が少ない。でもいいじゃない。好きだってhttps://twitter.com/ren_i_bot/status/817637053294788608

だって好きな人のことを幸せにしたいって思ってるんじゃないかな。

https://twitter.com/ren_i_bot/status/817788049253765120

君は君らしく生きていく自由があるんだ

#大人たちに支配されるな

初めからそう諦めてしまったら僕らは何の為に生まれたのか

誰かと違うことになにを躊躇うのだろう行動をしなければNOと伝わらない

NOと言いなよ

#サイレントマジョリティ

https://t.co/xdDkirVDcl

「nudist」をGoogle先生に聞いてみると、けっこう若い女性とか老若男女の裸体を見つけてきてくれるぞ!

nudistは楽しく爽やかなことなので、児童虐待等に当てはまる訳が無いと、児童ポルノには厳しいGoogle先生も公認だぞ!

ヌーディストって基本的エロではありません。小さな子供連れでヌーディストビーチに来て開放感を楽しむ方も多いです。

子供も映ってるヌーディストビデオってヌーディスト団体自らが販売していて、欧米では文化として合法になっています

キャンプとかの遊びのお金を裸の映像で稼いでるわけ。

メイジーの瞳」という映画らしいです。

素敵ですね。

pic.twitter.com/RDfIgRETsk

#一億総ロリコン活躍社会

Youにゴチュウサの絵を踏ませ、踏んだら児童虐待者として逮捕し、踏まなかったら児童ポルノ愛好者として逮捕だっ!!

#ご注文はうさぎですか

#ロリコン

#ロリノミクス

pic.twitter.com/GDHwwGzawz

子供時代にレイプ被害にあったある女性は「子供に対する性暴行事件を起こすのはポルノではない。ポルノの有無にかかわらず、そのような嗜好を持つ人が犯罪を行う。当局インターネット監視をやめて、外に出て本物の犯罪者を捕まえるべきだ」と述べた。出世目的警官が効率よく偽犯罪者を捕まえる

韓国のアチョン法でマンガアニメ児童ポルノ扱いされるようになって

2012年韓国警察が児童性犯罪に関連して捜査に着手した事件は2224件

漫画規制が盛り込まれる前に比べて22倍に増えた。捜査対象者の相当数が学生や女性である

警官効率的に点数を稼ぐ児童虐待法案であった。

明治16年福岡県統計書の現住結婚者年齢ノ對照(国立国会図書館デジタルコレクション p.51)

妻年齢15歳未満と夫年齢18歳以上は564組

妻年齢15-17歳と夫年齢18歳以上は1428組

妻年齢18歳以上と夫年齢18歳未満は101組

夫婦共に18歳未満は697組

全7072組

2011年日本性教育協会が全国の7682人の学生にアンケート調査したところ

女子中学生の4.8%、男子中学生の3.8%

女子高校生の12.5%、男子高校生の14.3%

が性交経験済みという結果になった。

性的同意年齢は13歳ですが、性行為は青少年保護育成条例禁止されています

これって逆に言えば青少年管理されないと自己判断は全て信用できない。と言われてるわけで、

ある意味青少年に対する人権侵害ですね。

まあ騙したり脅したりする大人は100%悪いのですが。

セーラームーンは、日本でも海外でも女の子から大人気のアニメですが、

主人公セーラームーンの正体は中学2年生で、恋仲のタキシード仮面の正体は大学生です。

#ロリコン

#ロリノミクス

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http://masterbiero.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

l o l i-con光源氏の完成だ!

1011年 紫式部による「源氏物語」完成。

#年号

光源氏18歳の時に、9歳ぐらいの美少女を見つけて連れ帰り、理想の女性に育て上げつつ添い寝をして暮らしていたが、5年後に性行為におよんだ。

光源氏は #ロリコン

ピュリツァー賞の写真を「児童ポルノ」として削除 Facebook検閲撤回へ

#ナパーム弾の少女

#ロリコン

#ロリノミクス

http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/10/kiddie-porn_n_11946664.html

トトロも名画も児童ポルノ規制ですか?

#ロリコン

#ロリノミクス

ジブリに #来いよアグネス

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悟り」という文字を分解すると

       小  ( ゚д゚)   吾り

       \/| y |\/

         ( ゚д゚) 小五ロり

         (\/\/

つまり我々は既に悟りを開いた賢者というわけだ

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現代でも一部のポリネシア社会では12歳を過ぎると性行為の同意能力があるとみなされ、多くの女性が12歳から15歳の間に初出産を経験するという伝統が受け継がれている

サブサハラアフリカにおいても同様の状況にあると言われている

常に妊娠出産を繰り返し、初潮を経験しない者も少なくない

割合は少ないけど、おじさん好きの女子中高生もいるんですよ。

ロリコン犯罪者予備軍として差別することは、彼女たちも犯罪者予備軍として差別することにもなります

昔は15歳ともなれば世界中で大人として扱われ、結婚することができた。

15歳の人とのセックスはダメ!犯罪!ということに世界中でなったのは、ここ20~30年の間の変化である

#ロリコン

20~30年前の日本では、オカマキモいやつ、ロリコン若い子好きのスケベ、小児性愛者は変態という扱いだった。

今やオカマ社会的配慮されるべき健常者に格上げされ、ロリコン小児性愛者は犯罪者予備軍に格下げである

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

煙草など、多くの人が嫌悪する物や表現があります

しかし、全ての自分の嫌いなものを法律で縛るという考え方は間違っています

法律あくまでも最終手段です

多様な価値観文化を許容できる寛容な 社会が望ましいのです

嫌いだからと法規制するのは、それを好きだと思う少数派の権利の侵害です

ゲイの友人がいたとしても、その人のいないところでホモネタで笑ってたら「寛容」とは言えない。

小児性愛者の友人がいたとしたら、「寛容」に接するのだろうか

https://t.co/FDRsU5RXIJ

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

韓国死ねヘイト

中国死ねヘイト

北朝鮮死ねヘイト

オカマ死ねヘイト

安倍死ね→許される

アメリカ死ね→許される

ロリコン死ね→許される

日本死ね2016年 新語・流行語大賞ノミネート

フランスでは、1994年に実在する未成年者のポルノ写真の製造配布が禁止された(それ以前は児童ポルノは合法だった)

マルク・デュトルー事件をうけ1996年に仏マスコミペドフィリアに対するモラルパニックに襲われ

児童ポルノの描画は1998年に、単純所持2002年禁止された

文化人類学者による無文字社会民族研究では、女性の平均初婚年齢は15歳くらいであ社会が多いことが明らかになっています。文明社会でいわゆるロリコンタブー視されるようになってきたのは、高学歴化によって女性の社会的自立可能年齢が上昇したからです。

小児性愛が問題なのでは無く、そこに伴う人権侵害虐待が問題

性的多数派からの逸脱と人権の問題は切り分けてるべき

児童の合意を得たと言えるのはどのような条件か

意思無能力とした児童や知的障害者との恋愛違法

では児童や知的障害者恋愛する権利の侵害はどう解決するか

等を議論すべき

この手の話題キモイって言う人多いけど、現実で面と向かって言われたら「お前も○○な部分キモイじゃん」って100%反論できそう

キモイ部分は誰にでもある

ネットは、誰しも自分のキモイ部分には目を瞑り、他者キモイと呼ぶことで対照的に自分はキモクないと言い聞かせられる

自戒を込めて

少子化の今、児童誘拐なんかの事件が多発している現代では子供の身が危惧されている。

かと言って世間では子供がちゃんと大切にされてるかと言えばそうでも無い。

親に大事にされない故に家出をして生きていく為に身を売っている子供さえいる。

近年、マスコミの取り扱いが変わった。同性愛差別は許されないが、小児性愛を肯定することは決してない。マスコミが変われば社会的風潮として小児性愛は叩かれる。少し前まではマイナージャンルとして存在していたけども、例の連続殺人のせいで、悪い意味で認知されて、その後はロリコン犯罪者

虎舞竜楽屋に来た14歳の三船美佳に、38歳だった高橋ジョージ一目惚れ結婚を前提にした交際に発展したという。

交際を2年間続け、三船美佳の16歳の誕生日結婚結婚生活は18年続いた。

この当時の三船美佳には責任能力が無く、性的に蹂躙されたのだろうか?

大人と17歳の恋愛犯罪者扱い、18歳以上ならエロい事し放題というのは確実に変

法的線引きは必要だろうが、18歳まで責任無能なのは確実におかし

刑法では14歳から、民法では小学校卒業から責任能力があるとされ、子供でも商売をし、親の許可無く運営資金の借金等は法律上認められる

小児性愛は、妊娠・出産に死の危険があるからダメっていう人は、

さわりまでならOKって考えってこと?(笑)

#ロリコン

Santa Fe

宮沢りえ(撮影時17歳)ヘアヌード写真集 篠山紀信撮影

日本の芸能人写真集の最高売上部数155万部を記録

宮沢は撮影前にはヌードの話を聞いていなかった、嫌だった思い出はひとつもない。と語った。

goo.gl/UyN3f9

小児性愛差別者は「差別感情的な拒絶はダメだが私が嫌いな対象にはそれをやっても良い」という人が多い

1950年代手塚治虫ロボット等の描写は、荒唐無稽デタラメを描く子供の敵と非難され

明治中期、近年の子供は夏目漱石等の小説ばかりを読んで漢文を読まない、子供の危機だと言われた

成熟身体女児性的感情を抱くのがキモい非難するのなら、

50代の妊娠不能な熟女性的感情を抱くのもキモい非難しなければならない。

もちろんLGBT非難対象になる。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

人口増加に寄与しない」「生物として不自然」という人が責められるのだとしたら

「宗教に身を捧げて、生涯伴侶を持たない」っていう人も責められなければならない。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

児童ポルノ漫画ドール規制すべきとの主張があるが

それで慰められて犯罪が抑制されているという可能性は考えないのだろうか

それが有ることで犯罪助長されるというなら、痴漢・強姦もののAVやヤクザ映画の方が問題では?

漫画なんて単なる線と点の描画だし、ドールもただの人形に過ぎない。

小児性愛者を「合法的に手助け」する人形

http://thailog.net/2016/04/08/340189/

「こんなものはあってはいけない。この人形少女を愛する練習をして、実際の少女が欲しくなったらどうするんだ」という批判の声も上がる

格闘ゲームで練習して、実際に殴りたくなったらどうすんだ!

小児性愛者も、LGBTと同じように、カップルデモ行進できるようになれば良いけど、同性愛よりは大人と子供はカップリングが難しい。

だから、小児性愛者はLGBTより性的マイノリティであり、性的欲求の解消が難しい者として配慮されるべきなんだ。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

小児性愛者は、相手が大人になると興味が無くなる期限付きの愛で無責任だという意見があるが、

多くの人は結婚をする気がない相手との恋愛を楽しむし、真実の愛があれば何でも乗り越えられる。

「ホモ=欲求のおもむくままに男を襲う犯罪者またはその予備軍」

と言ったら差別主義者だと言われる。

ロリコン=欲求のおもむくままに少女を襲う犯罪者またはその予備軍」

という扱いは当たり前のように行われる。

これは差別だ。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

ロリコンは、ロリコンであることを公言し、それは社会的に認められるべきだ。

もちろん、合意の無い性行為は、老若男女問わず犯罪であり許されないということは言うまでもない。

#ロリコン

2017-12-06

日本竹島慰安婦で、外交で負けるのは語学力がなく情報もないか

日本広報はきわめて不十分だし、情報も発信できない。

 

たとえば、アメリカアマゾンで「takeshima」で検索しても英語日本立場を主張した本は見つかりません。

https://www.amazon.com/s/ref=nb_sb_noss_2?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=takeshima

一方、「dokdo」で検索すると多数の英語の本が見つかります

https://www.amazon.com/s/ref=nb_sb_noss_2?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=dokdo&rh=n%3A283155%2Ck%3Adokdo

アメリカエド・ロイス米国下院外交委員長慰安婦問題だけでなく、「独島韓国領土」と発言しましたが

韓国系ロビーももちろんあるでしょうがそもそも日本立場を詳細に説明するような書籍がないのです。

これは、慰安婦問題でも同様です。

https://www.amazon.com/gp/search/ref=a9_asi_1?rh=i%3Astripbooks%2Cn%3A283155%2Ck%3Acomfort+women&keywords=comfort+women&ie=UTF8&qid=1512556009

また他の歴史問題もそうです。(中国韓国の主張が載った本が山ほど見つかる)

尖閣諸島竹島ほどではありませんが、中国の主張のもの翻訳されて売られています

https://www.amazon.com/s/ref=sr_pg_1?fst=p90x%3A1&rh=n%3A283155%2Ck%3ADiaoyu&keywords=Diaoyu&ie=UTF8&qid=1512556117

日本と違い、米国人種差別に厳しいためいわゆるヘイト本絶対に売ってはいけませんが。

竹島 ―もうひとつ日韓関係史 (中公新書)」「竹島日韓どちらのものか」「竹島問題とは何か」

また、慰安婦であれば

朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦真実文化人類学者が読み解く『慰安所日記』」「従軍慰安婦 (岩波新書) 」など良書があります

韓国問題であれば

韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか―「中立派文化人類学者による告発と弁明」

韓国の大量虐殺事件を告発するベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実

翻訳すればよいでしょう。

このようなもの翻訳出版できるようにするなど、何らかの働きかけをしてほしいです。 出版社の人にはね。

2017-11-22

anond:20171122105049

だって面倒くさすぎるだろう。文化人類学関連あたりで、共同体の成立条件についてとか

勉強してくれれば多少は分かるかもしれないが、これも色んな意見があるわけだが、多分理解できる脳みそ付いてないだろうから

面倒くさすぎるんだ。

2017-11-11

anond:20171111180022

男尊女卑がなぜ起こるのかは、生物学的な配偶システムが大きく関わってきます

動物社会には男尊女卑オットセイなど)、男女平等トキなど)、女尊男卑アンコウなど)のいずれのタイプ存在します。

なぜそうしたいろいろなタイプが生じるのかというと、♂と♀との間に繁殖適齢期までに生き残る数(これを生物学では「第三次性比」という)にあまり差が出ないタイプや大きな違いが生じるタイプ動物があり、少ない側の性に希少価値が生まれからです。

ではそもそも性別によって適齢期までに生き残る数に差が生まれるのかというと、少し専門的な話になります潜在的繁殖スピード性差が生じるからです。潜在的繁殖スピードが他方の性より遅いと、出産育児によって次の繁殖までにかかる時間が長くなり、配偶者獲得の場面であぶれにくくなります。逆に、他方の性は配偶者獲得の場面であぶれやすくなるので、配偶者獲得競争が生じやすくなります。そこで、大きく筋力の強い体を作って同性が繁殖するのを邪魔したり追い払ったりして配偶者を独占しやすくなるのです。しかしながら、大きく強い体を作るのにはそれなりのコストがかかるので、生存率が犠牲になります

例えば、トラは♂が♀より体重が1.5倍近くあり、テリトリーの広さで♂が♀の3倍ほどありますが、♂と♀とのテリトリーの広さの違いはそのまま生存率の違いによるものです。独立して自分テリトリーを獲得するときに同性同士で争って死んでしまうことが♂は♀と比べてはるかに多く、♂は♀と比べると壮年期までの生存率が1/3程度になります。つまり、♂の方が体が大きくて力も強く、支配できる土地が♀の3倍ほどもあり、♂のテリトリーには数頭の♀のテリトリーが重なる形になります。このため、生き残った♂一頭当たりの経済的資本繁殖機会は生き残った♀の3倍ほどもあるということになります

まり、生き残って次世代を生み出す年齢帯で♂♀一頭当たりの食糧獲得機会と繁殖機会に格差が生じる動物は、男尊女卑女尊男卑タイプといえます

ライオンなども同様で、繁殖適齢期まで生き残る確率は♀の方が高く、少数の♂が多数の♀を従えるという構造の群れを成します。

オットセイアシカなどはこの傾向が非常に強く、数頭の♂が数十頭から百頭もの♀を従えるハーレムを作り、配偶者獲得競争に敗れた(不戦敗も含む)十数頭のあぶれ♂がハーレムを奪うか、ボスが狩りに出かけたり睡眠に入った隙を狙って♀と交尾する機会をうかがうためにハーレムの周りを取り巻くという形態が生まれます

人間はトラやライオンほどではないにしても、♂の方が潜在的繁殖スピードは速く、構造的にやや男尊女卑になりやすタイプ動物だとは言えます

また、文化人類学見地からは、ジョージマードックによる無文字社会研究から結婚適齢期における男女比(生物学では第三次性比という)が1:1から大きくずれてしまうことが一夫多妻制や一妻多夫制といった複婚制ができる土壌となることを明らかになりました。

ヒトの一夫多妻社会は、無文字社会では狩猟戦争などで死亡率において男性の方が高いこと、女性は性成熟した15歳付近結婚する人が多く、男性社会的自立を確実なものにした25歳くらいで結婚する人が多く、婚姻年齢に差があるため、15~25歳の年齢帯で男性の死亡率が高いことが多い無文字社会では結婚適齢期の男女人口比で女性の方がはるかに多くなることが原因で形成されるとされています

ヒトの場合も、第三次性比が偏ることが配偶機会の性差をもたらす点で、他の動物基本的相違はありません。また、経済資本争奪戦も異性間より同性間で強くなる傾向があり、これに勝った少数の男性が多数の女性経済的にも支配し、敗れた多数の男性排除されることから経済面でも男女格差男性格差が顕著になる点も他の生物と同様です。

そして、富や繁殖機会の偏在は狩猟社会より農耕社会の方が顕著になりやすいです。こうして富や繁殖機会をより多く占めた男性権力をふるうようになり、男尊女卑社会形成されるのです。

また、文明化の恩恵によって男性の死亡率が下がり、結婚適齢期の男女人口比が1:1に近くなって性別による経済的利得と繁殖機会の不平等をもたらす生物学的基盤が失われても、一夫多妻婚姻制度男尊女卑文化社会制度として強く根付いてしまうと、なかなか解消されずに継続されてしまうことが多くなります

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