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2017-09-09

https://anond.hatelabo.jp/20170908230300

近親相姦法規制の是非について、いろいろ議論拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。

<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正

 2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>

近親相姦と近親婚の区別

まず、近親間の「性交」と「婚姻」を分けて考える必要がある。

前提の確認として、2017年現在日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。

ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)

18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例

また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)

成人した近親間の合意に基づくセーフセックスなら許容されるか?

たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見大勢を占めると思われる。

しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイ不快から反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件法規制を成しうるため、不快感法律根拠にするのは避けるべきだろう。

規制根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。

そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近大学教授学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。

慶応大教授女子大生を「洗脳不倫 “先生とだったら世界征服も”週刊新潮 2017年9月14日掲載

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09061659/?all=1

年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。

かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。

生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスタマーク効果

では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?

成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。

「両性の合意に基づく婚姻」の捉え方

現在日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。

日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。

ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在同性婚は認められていない。

しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。

アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。

保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー一夫多妻多夫多妻制)、児童性愛ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。

http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil

まり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。

親子ときょうだいの区別

次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。

一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。

きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。

しか最近LGBTを擁護する世論考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。

そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。

多様性絶対善」なのか?形を変えた優生学批判されないか?

「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。

ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。

もちろんハプスブルク家ロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子顕在することもありえる。

しかし、サラブレッド育成や家畜品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。

では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?

かつて優生学として批判されたのではなかったか

優生学」とは、表層的には「優れた人間人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。

同様に、遺伝子多様性を守るべきという立場は、(遺伝多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?

「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である

日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。

では、この考えを拡張した「人類繁栄遺伝子多様性のために、近親相姦子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見優生学として批判されないのだろうか?

なぜ、見ず知らずの他人社会のために、子ども遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦LGBTカップルにも襲い掛かる。

(※再追記)「遺伝子多様性」についてコメント重要な指摘があった。

要旨としては、「一個体単体での多様性存在しない。遺伝子多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。

まさに、そのとおりである

元増田コメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。

似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれ子どもは、その遺伝子一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。

これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝多様性」と表現した。

だが、「社会全体の遺伝多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。

社会全体の遺伝子多様性考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれ障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親からまれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである

どんな組み合わせの子もも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。

酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。

「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。


カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。

生物ミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。

しかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。

ミクロレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。

(※再追記ここまで)


互いに愛し合う両性は、人類遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。

多様性を善とするならば、近親交配で生まれ子ども多様性一種として認められないのか?

「生まれ子ども可哀想」という意見もあるだろう。

「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見のものである歴史は繰り返す

富裕層節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正対応すべきであって、税制設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。

意図的遺伝子編集は許されるか?

近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。

まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子編集し、発現する特質コントロールする時代がいずれ訪れる。

多様性が善」ならば、各人が好き勝手自分遺伝子編集することは許容されるのか?

自分の子希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。

果たしてデザイナーベビー子どもに対する人権侵害なのか。アメリカ宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子卵子状態から設計」し始めたらどうなるのだろう?

予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?

また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?

「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?

女性を交換財産としていた時代の名残

文化人類学観点から近親婚に反対する意見がある。

「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。

まり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交大事な贈答物が『キズモノ』になる」から近親相姦を禁じる論理だ。

これも現在では、前時代的家父長制と批判されないだろうか?

婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。

そもそも婚姻」の意味が変容しつつある

何のために婚姻をしていたのか?

家督」を守り繋げるため?

子どもを育てるため?

相続上の利益を守るため?

家族になったという感情的な満足を得るため?

婚姻制度形骸化し、婚外子一般化しているフランス北欧では、事実上多夫多妻制度に移りつつある。

皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体不自由が続くため、自由恋愛事実婚社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダル最近もあったね。)

一人の恋愛強者男性精子バラまき、多くの女性子どもを産ませる。恋愛弱者遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)

まり一夫多妻制の基では、社会遺伝子プール多様性を減らす方向に働く。

これは、社会遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?

自分の頭の整理のために書き散らしたので、結論はない。

※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまりフィクションお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!

http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/

相手クトゥルフ神だったらいいよね!自然に反したおかし衝動創作物で紛らわそう!

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709165332

結婚に相当する文化のない国や民族ってないんだよ。文化人類学的に言っても結婚っていうのは1つのあるべき形って意味では正しいと言える。

現代では価値観多様化して、そういう選択肢もありだよねとなってるだけ。

2017-07-07

研究者倫理って何だよwww

ブコメでは「周回遅れ」と言っている奴が多くてワロタ

著作権とか法律の話じゃなくて「研究者倫理」が問題になっているらしいけど、それ何? おいしいの?w

  

いやまあ、研究者倫理ってもの存在すると思うけど、基準あいまいすぎて意味不明になっている。

どんなにむちゃくちゃな要求でも、倫理って言えば押し通せるから便利だわwww

  

研究者倫理についての説明では文化人類学の例もでていたけど、腐女子はあたか未開社会原住民みたいに保護されたいわけ?

それはいくらなんでも甘えすぎていると思うぞ。

  

https://anond.hatelabo.jp/20170705220007

2017-07-05

立命館pixiv論文問題はもう著作権法を持ち出して全ツッパでいい

オタク研究者の端くれとしてほんと辟易してたんだけど,これ,やっぱ、一部のオタクが馬鹿すぎて害悪だなあという結論にしかならんわ.

作者さんたちがひどくショックを受けたのはわかる.仮に著作権法理解してたとしてもあれは不意打ちだもんな,そりゃ身構えるよな,と思う.

でもそれは,「晒された」わけでもないのに過剰反応して騒いでた一部のオタク免罪符にはならんわ.

男女問わず,わかってるオタクはちゃんとわかってた.まあ,引用は自由だから法的な問題はないよね,っていう正論を言ってた人は大勢いた.あるいは,正しい知識を提供されて冷静になった人もたくさんいた.でも,オタクの中には,著作権法をろくずっぽ理解せず二次創作をしてる・楽しんでる連中が一定数いることが白日の下に曝されてしまった.

素人だから詳しくなくても仕方ない,って擁護もたくさん見かけた.まあ,これが安保法制とか大店法とか銃砲刀剣類所持等取締法とかの話ならそうかもしれないし,八百屋おっちゃんや惣菜売り場のおばちゃんが著作権法に詳しくないのは別に問題じゃない.もしくは,著作権法でもすっごいマニアックな箇所の話なら,まだわかる.

でも,ふだんから二次創作を楽しんでる人たちが,著作権法イロハのイを知らなかったのは,やっぱりありえないと思う.

しかもそれで,じゃあお前らがやってる二次創作はどうなの? って言われたら,親告罪だから黙認されてればオッケーだの規約で認められてるだの二次創作にも著作権は発生するだのスラスラよどみなく喋るわけじゃん.なんだよわかってんじゃねーか.その通りだよ現状の著作権法の枠組みではお前らの言ってることは正しいよ.じゃあ同じように現在著作権法で認められてる無断引用も受け入れろよ,って話になると何故か怒り出すんだよな.馬鹿じゃねーの,って思うわ.

(念のために言うと,私は二次創作に関してはパロディ合法化する規定を導入するなどして完全にホワイトにすべきだという立場赤松先生たちが勝ち取った運用上の妥協では生ぬるく,絶対二次創作摘発されないよう著作権法に書いておくべきだと思っている)

論文っていう他人の著作物を,著作権法も知らないくせに違法だ違法だと吊し上げたり,引用を規制すべきだとか噴き上がるの,ふつう表現規制なんだけど,表現規制反対だの言ってる人たちがこんなアホな理屈にコロッと騙されてるのほんと衝撃だったわ.お前ら何のために闘ってたんだ?

で,自分らは「無断引用」してるなんて露とも思わず,件の論文解説記事の内容を引っ張ってきてあーだこーだと議論してたりする.なんだよ,無断で引用してもいいってちゃんと知ってんじゃん.じゃあ遠慮なく無断で引用していいよな?

私は,この問題が起きた当初は,やっぱりオタク界隈のマナーみたいなのを尊重すべきだよな……と思っていた.「私の作品を研究に使うな」というのは,法的には禁止できないけどお願いする分には自由だと思うし,研究者側もそれを尊重したほうがいいと思ったからだ.

でも,オタク界隈の「マナー」なるものが,著作権法も知らずに組み立てられた裁判では敗北必至の俺ルールだとわかった今となっては,そんな必要はないと思う.

なんで法律をろくずっぽ知らずに勝手に決めた俺ルールを尊重してさしあげる義理があるの?

そっちの方がよっぽどオタクを馬鹿にしてない?

ていうか,支部二次創作やってた者としては,自分の書いた小説は世界中に公開したつもりでいたし,「これを書いたのはおれなんだ! もっと読んでくれ!」って思っていたから,pixivランキング上位に載っている小説を「公開されていない」と主張する連中の方が信じられんわ.

なんなの? 創作なめてんの?

挙げ句の果てには「でも法的には村上春樹といっしょだからなぁ……」という主張に対して「商業小説と一緒にするな!」なんて言い出すトントンチキもいる始末.

はぁ? 二次創作を馬鹿にしてるのか?

確かにジャンクも多いけど,本当に面白い二次創作小説は十分に商業小説と渡り合えるだけの力を持ってる.なんでよりにもよってオタクが,二次創作を貶めるようなことを言い出すんだ?

オタク二次創作は書店に並んでる純文学とは違うんだ同列に扱うべきじゃないとか,なんだよオタク差別かよ.同等に,対等に扱えと求めていくべきでは? 流通とかの面で一般書と同列に扱われないのは仕方ない面もあるけれど,せめて批評や研究には同等に開かれているべきでは? 我々はアパルトヘイトではなく同権を求めるべきでは?

文化が萎縮する?

公的に発表したもんを合法的に引用されて萎縮するような文化なら萎縮すりゃいいんだよ.

批判に耐えられないっつってクジラックス先生が筆を折ったらどう思う? LOが自主廃刊したらどう思う? 最終的には逃げるのかよヘタレだな,って思うだろ? それと一緒だよ.法規制で萎縮することには表現の自由観点から反対すべきだけど,表現の自由というフィールドに出ていくことに耐えられないっていう文化にはそもそも土俵に上がる資格がねえんだよ.pixivコミケなんぞに色気を出さずおとなしく仲間内で回し読みしてやがれ.そうすりゃ引用なんてされないだろうよ.

研究してくれなんて頼んでない? 誰もお前に公開してくれなんて頼んでねーよ.公開した=引用も研究も批評感想もどうぞご自由に,って意味なんだよ.

結論としては,オタク品位を落とす一部の馬鹿のことなんて,研究者諸兄は無視してよろしい.どんどん公表されたオタクの創作を無断で引用して自由に研究してくれ.それは著作権法で,研究者に限らず全ての創作者に保証された権利なんだから.頭の弱い繊細チンピラビビって自分権利を手放すこたぁない.なにせ相手は,プライベートな日記でも何でもない,小説なんだから.万人に読まれることを自ら欲しているんだから.

(作者? 公開された時点で作者なんざとっくに死んでんだよ)

オタク側も,気に食わん研究をされたら,著作権法で認められた引用を武器にして表現の自由というフィールドで殴り合えばいい.研究者論文を好き勝手に無断で引用して,興味深い発表ありがとうございました私はこの分野は門外漢なのですがお前の研究はここがなってねえんだよ研究なめんなよ,と手斧を投げればいい.その指摘が正しければ研究者は納得するだろうし,間違っていれば改めはしないだろう.それだけの話.

表現の自由ってそういうことでしょ? もっと自由にやろうぜ.

追記

enemyoffreedom ずいぶん遅刻した上に雑な駆けつけ擁護だ。研究倫理とかセンシティブビッグデータの取り扱いとか難所が多い分野なので院の1年が手を出すべき領域でなかったというだけ。まぁ本人というより指導教官のポカ

すまんな.問題発生直後はもうちょっとオタク寄りの立場で色々書いてたんだけど,未だに馬鹿な理屈でゴネてる連中が一定数いるのを見て考えが変わったんや.

この期に及んで大学はだんまりなのか責任をどう思ってるみたいなこと言ってる奴もいるんだよ? もうね,アホかと.馬鹿かと.未だに,著作権法をめぐる裁判の中で確立された「公表」とは何ぞやという法的認識を「研究者の内輪の認識」だと思っている奴がいるんだぜ? ちょっと調べりゃすぐわかることなのに.ダンス教室の生徒は「公衆」で300人に配られた卒業文集は「公表」っていう判例があるのに,pixiv公表にならないわけねーだろと.いや個々の判例なんて知らないのは仕方ないけど騒がれてからだいぶ経つのにその辺をちっとも調べずに騒いでるのありえなくないです? そんな馬鹿はもう著作権法で殴ってわからせるしかない.

研究倫理? 作者の意志で公開された小説の研究に際して何の問題があるっていうの? 夏目漱石全集を片っ端から調査するのとどう違うの? 村上春樹作品からセックス場面だけを抽出することになんか倫理的問題があるの? ONE PIECE全巻を分析することの何が悪いの? 私たち文化はそれらの作品と何か違うところがあるの? 同じでしょ? 等しく,文学あるいは漫画として尊重されるべき存在でしょ? 私たち文化は主流派文化と伍していくことのできる存在だし,主流派文化と対等であるべき存在だし,実際に著作権法はなんの区別もしていない.なんでそこで線を引こうとするの?

そういう態度の方がよっぽどオタク権利向上に反しているので,受け入れられない.

あ,研究の質はまた別ね.そこは容赦なく表現の自由というフィールドでブッ叩かれるべき.最初からそういう話ならなんも言わなかったよ.下手な論文が酷評されるのは下手な小説が貶されるのと同じだからね.でも下手な論文を発表する自由まで奪われるべきじゃないし(だって,私の書いた下手なSSを発表しても,中身はともかく「発表したことそのもの」に対する文句なんて誰も言ってこなかったし,それが当たり前でしょう? だったら論文もそうあるべきだよ.少なくとも,医学社会学文化人類学みたいな分野とは違って,完全にブッキッシュな研究である場合には),そこを同胞であるはずのオタク制限しようとするなら私は表現の自由を掲げて闘うよっていうだけの話.

bronson69 大筋同意なんだけれど、「範囲限定して公開された情報」と「無限定に公開された情報」の取扱いが同じでいいのだろうか、ってのは引き続き気になっている。

件の論文で扱われていたのは,住所氏名電話番号病歴逮捕政治思想とかの「個人情報」ではなく「著作物」だということを考えれば,同じでいいと思う.前者は,たとえば電話帳や連絡網記載されていたのを無制限にバラ撒くべきじゃないけど,後者はまた別だよね.だってそれは「他人に読んでほしくて公開する」ものなのだから.

そもそも,「メールアドレス登録してR-18表示設定にしないと読めないpixivR-18小説」って,「本屋お金を払ってシュリンクを破らないと読めないジャンプ漫画」「Amazonプライム会員にならないと見れない映画」「日本ではまだ翻訳されていないのでイギリスから取り寄せないと読めないハリー・ポッター最新刊」「レンタルビデオ店に足を運んで黒いのれんをくぐらないと借りられないエロビデオ」「空襲で焼けてしまって全国で数えるほどしか残っていない戦前の作家作品」とかと比べて,そんなに公開範囲限定されてるか? って思うけど.pixivの小説デイリーランキング上位って普通に閲覧者が万の単位でいるわけで,普通に世界にバラ撒いてるのと同じじゃね?(ちな,件の論文が発表された学会の会員は5000人.人文系マニアックな専門書だと,初版発行部数3桁はざら.「ぞうさつ」ってどこの国の言葉?)

asterpleo 異性愛ものとBLの内部ルールの違いや現在の周りからの扱いとかもろもろ絡んでるんですけどね。あと研究に使うならもうちょい無作為に、研究対象増やさないと。/そしてツッパという言葉を初めて聞いた。

女性が性的な創作をするときに向けられる好奇の目とかウェブ上の腐女子叩きとかは明らかに女性差別の一環なので,男オタクもそれとはちゃんと向き合うべきだと思うけれども,そもそも同じ公表された著作物なんだからルールの違いもクソもないよね,って話.私は女性が伸び伸びと性的な要素も含む創作をできる社会を望むけれど,堂々とやる以上は自由に引用され批評され得るっていう言論の自由大原則の前では男も女も関係ないと思うので.

ていうか女性創作者に嫌がらせする人がいたとして,それは嫌がらせする人が悪いんであって引用した人が悪いのではないと思うんですが.ネット上での嫌がらせに対する法的措置を厳しくしようみたいな話なら私は賛同しますよ.

「全ツッパ」はもともとは麻雀用語なので,麻雀に縁がないとわかりづらかったかも.原義はこちらです>http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/k8-2.html

TakamoriTarou 解析の為の複製は引用ではなく、私的範囲でもなく、情報解析の為の複製にもあたらないので微妙とか、公開の範囲は実はネットのID認証等を加味した裁判例ないとか、著作権方面でも言い切れるような話じゃないけども

まだその論点で粘るの? 勘弁してくれない? 47条の7ちゃんと読んだ? ていうかそれを言うなら,元論文は人手で分類したってちゃんと書いてるよね? 分析にあたって複製したなんてどこにも書いてなくない? 「pixivを見ながら手で数えました」って言われたらどうすんの? まさかそれも違法だとでもいうつもり?

公開の範囲? じゃあHulu会員限定で公開されてる商業映画ドラマ公表されてないのかよ!

こういう無理筋批判がいつまで経ってもなくならないなら,やっぱり全ツッパしかないわ.馬鹿には原理原則論で対抗するほかないよね,っていう主張を補強してくれてありがとさん.話の通じない人たちの独自ルールなんて鼻で笑って粛々と法律に則って引用し研究し批評感想を言ったりするべき.

Re-birth 著作権の話では内って流れになってたのに今更なにいってんの。同人側の当事者側がヒートしてたのは確かに無理筋擁護しにくいけどだからって叩いてたら焦土やで

合法的な引用をされて焦土になる文化って何なの? 何でそんな脆弱文化に遠慮して著作権法で認められた自由制限しなくちゃいけないの?

それに,私たち文化もっと強いはずだと,一人のオタクとしては信じてるけどね.

newwaytodie 村の奇祭を調べる時に村人に嫌われる真似してどーするって話じゃないの?

奇祭の一部始終をニコ動にアップしておきながら「うp主に嫌われたらどうする?」と言われても,その,なんだ,困る.見られて困る祭りならワールドワイドウェブにアップしないほうがいいよね.

追記

「それを言っちゃったら解決策が見当たらない」という趣旨の意見があるけど,解決してるじゃん.「誰にでも好きに二次創作を書く自由があり,それを公表する自由がある」「誰にでも公表された著作物を好きに引用して批評・研究・絶讃・オススメ・酷評する自由がある」「気に食わない引用をされたら誰にでも言論という武器を駆使してバトる自由がある」「自由疲れた作品を引っ込めてもいい.誰も止めない」ってこの上なくシンプル解決じゃない? 余計な俺ルールを付け足そうとするからややこしくなるんでしょ.

私は風通しの良い世界が好きだし,オタク界隈がそうなってほしいと思ってるよ.

追記

wdnsdy 風通しの良い世界が好きと言うが、むしろあの事件後の方が逆に風通しが悪くなったという印象

換気扇をちょびっと回したら嫌気性生物が急に死滅しはじめただけやで.風通しはどう考えても良くなってるでしょ.なお最初から窓は開け放してあった模様.窓開けっぱの部屋に住み着く嫌気性生物さんサイドにも問題がある.

追記

研究対象に逃げられてもいいのか?」って言う人もいるけど,ちゃんとpixivランキング見てるのかしら.ふっつーにBL二次エロうpられまくってますが.一部の人が非公開にしても別の人が公開で書き続けてるじゃん.全員が隠れようとしているわけじゃなく,気にしてない人もいるってことでしょ.

あと,文学研究者だとか人類学者ならそりゃ研究対象に逃げられたら困るだろうけど,今回みたいな「文章フィルタリング技術の研究」って,特定のサンプルに逃げられてなんか困ることあるの? 別のサンプル使えばよくね?

逃げられて困るという研究者配慮すればいい.無断でじゃんじゃん引用していい,と言っているのであって,配慮してはいけない,とは言っていない.ただ他人に配慮すべきと強要することはできないよねって話.それはお前の都合だろっていう.

追記

とりあえず低能エスノセントリズムという概念勉強しようぜ

日本国の国法たる著作権法によって,あらゆる創作者に保証された引用の自由が,なんで自文化中心主義になるの?

「BL二次創作商業とは違う!」だの言ってる方がよっぽど自文化特殊だって幻想に染まってない? 私から見ればそれは普遍的な創作の一部で,特殊ものでもおかしものでもないと思うんだけど,これってエスノセントリズム

いや著作権法に従わず独立するっていうんならその意気やよしだけど,だったら著作権法で認められた権利も捨て去ってもらわないとねぇ.自分たちウェブ上の記事や論文を引用してあれこれ言うことをしない,二次創作同人誌を違法アップロードされても文句を言わない,作者騙りされても口を出さない,っていうなら,なるほどこれは著作権法とは無縁に生きていく意志のある共同体なんだな,と思うしそこまでの覚悟があるなら尊重してやるかという気にもなるけれど,現実は違うっしょ? 他人には著作権法保証された権利を認めたくないのに自分たち権利を行使したいってのは通らんよ.

2017-06-22

pixiv論文問題オタク立場から考えてみた

 1ヶ月が経とうとしているpixiv論文問題ですが、皆様もそろそろ忘れてきた頃合いでしょうか。

 備忘録として、書きたい。

 問題の経緯や、研究上の・法的な問題、および女性オタクの側の事情についてはだいたい下でまとまっている。

https://anond.hatelabo.jp/20170525145352

https://anond.hatelabo.jp/20170527202448

https://anond.hatelabo.jp/20170528113521

https://anond.hatelabo.jp/20170530031948

https://anond.hatelabo.jp/20170531012221

 前提として書いておくと私はヘテロ男オタで、全年齢向けの二次創作一次創作同人好きな人であるR-18にはあまり触れることはない。最近はめっきり海鮮になったがちょっと前に二次創作小説を書いたことがあり、即売会でも売ったことがある。ついでに言うと研究者の端くれでもある。そういう立ち位置

 なのでやっぱり、そういう立場としては、腐女子の側をどうこう言う前に男オタの側の過去を振り返ってみる必要があるだろうなと思う。キチガイじみた腐女子叩きに加担したことはさすがにないけど(ていうかそんな腐叩きが蔓延ってたことも、後になって知ったくらいだ。けどまあ、知らなかったことは言い訳にならんよな)、腐女子文化に対する偏見蔑視のようなもの自分の中にあったことは否定できない。それは女性差別同性愛差別の複合だという主張ももっともで、実際の行為に加担したわけでなくとも黙認・許容することでそういう連中が跋扈する土壌を作ってきたことは、謝るほかない。

 けれど、今回の件で、一部のオタク(これは男女を問わない。ヒステリック論文側を叩いていた男オタ、一山いくらってレベルでいた)が、著作権法について何もわかっていなかったり、引用表現の一部なんだという大原則を忘れて表現規制を主張したりするのは、本当に醜悪光景だったと思っている。

 そして学問の側からは、文化人類学だのといった喩えも飛び出す始末で、なんというか、オタク尊重している風でいてオタク尊厳を傷つけている人が多いなって思った。ていうか、オタクの側から同人商業と一緒にしないで! という主張が出てくるのが、ほんと残念だった。

 私は、いくつものジャンルで、私を夢中にさせてくれる、そこいらの商業作品よりも全然おもしろい、二次創作同人小説を読んできて、そのたびに心が踊った。ワクワクしながらページを繰った。読み終えて長い余韻に浸った。そういった経験があるから二次創作だろうが商業作品だろうが、良いものは良いし、アニメだって漫画だって、主流派カルチャーとなんら劣るところのない、遜色ない芸術表現だと信じている。

 でも、世間一般では、それは単なるオタク二次創作だ。マトモな文化人や識者は鼻にもかけない。最近だとライトノベルだんだん市民権を得てきつつあるが、二次創作はそうじゃない。それにオタクの中にも、まあ、でも、所詮俺らのやってることは二次創作だしな、っていう意識一定数ある。

 そんななかで、そんななかでだよ?

 著作権法は、いっさいの差別をしていないんだ。

 いったん公表した著作物であれば、村上春樹だろうがピコ手エロ同人だろうが、同じ枠組みで保護し、同じ枠組みで義務を与えてくれているのは、大げさに言えば著作権法だけだ。

 著作権法は、村上春樹小説を無断で全文アップロードすることが違法なのと同じ理由で零細同人作家薄い本を無断でアップすることも違法なのだ、と言い切ってくれる。著作権法は、誰かが勝手村上春樹作品自分が書いたと偽って発表してはいけないのと同様にBL二次創作の著者名義を勝手に騙ってはいけないのだ、と保証してくれている。そして、今回問題になったように、村上春樹小説が好き勝手引用されていても拒否できないのと同じ理由で、合同誌に書いたヘボ小説引用されあれこれ分析されても諦めなさい、と告げてくれる。

 これは、考えようによっては、すごく誇らしいことなんじゃないか

 法律に守られた著作者である、というその一点で、私たち村上春樹と対等なのだ。同じ地平に立っている。少なくとも、著作権法という枠組みの中では。

 私はオタク文化は主流文化と対等だしそうであるべきだと強く信じている。けれど、著作権フェアユース規定がなかったり、オタク蔑視が残っていたり、オタク側の自虐自己防衛もあったりして、なかなか対等だということになっていないのも受け入れている。それはもう、仕方のないことだと思う。

 でも、だからって、既に得ている法的な対等の地位を捨て去ろうなんて主張に、頷けるわけがない。同人商業と同列に考えるな、って主張は、一見もっともらしいけど、でも、「立場の弱い作品」として保護しようとか保護してもらおうっていうのは、対等じゃなくなるってことだ。かつて私の胸を揺さぶったあの感動が、商業作品よりも面白いと思えたあの作品が、「しょせん同人」になるってことだ。

 創作の楽しさと苦しさを知る者として、それは、やっぱり嫌だ。創作は胸を誇れる素晴らしい趣味で、あらゆる作品は同じ地平に立っているんだと私は信じたい。私の書いたヘボ小説や、私を作ってきた素晴らしい二次創作小説を、私は貶めたくない。下手くそだ、と言われるのは私がヘボ字書きってことなので甘受するけど(くやしい! 次はもっといいものを書いてやる!)、そもそも商業とはまるで別物のお遊びなんだよ、と言われることは悔しい。だってそこには、紛れもない、本当の感動があったんだから

 だから、私は、同人小説だろうが好き勝手研究報道引用していいんだよ、と強く言いたい。これ引用していいの……? とためらっている研究者がいたら、いいんだよ、と背中を押してあげたい(もちろん、不安なら許可取れば? とアドバイスはするだろうが)。だって村上春樹小説は、好きに引用していいんだから私たち文化が主流文化と対等であろうとするならば、そうされることを受け入れるべきなんだ。

 私たち文化は、「保護」を与えてもらわないといけないほど、か弱く、脆弱で、稚拙ものではない。私たち文化は、そんなに惨めなものではない。

 同人作品には商業作品と違った研究倫理著作権に関する考え方を適用すべきだ、という主張は、オタク権利向上に反する。だから私は、オタクとして、その主張を否定する。

 私たちは、オタクは、もっと強くあるべきだ。

追記

daisya 余計なお世話。遊びでやってるだけだよ。

そういう遊びの領域はあっていいと思うのですが、遊びだというなら、真剣創作に取り組んで作品公表しているひとたちを、「勝手引用するな!」だのとわめいて邪魔するのはやめてください。迷惑です。公表せず存分に遊べばいいじゃない。

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531102922

政権交代は、文化人類学的にスケープゴート理論で読み解くべき。

世界には、年に一度の祭りの期間だけ、最も貧しい身分乞食と、現役の王様身分を完全に交代させて、乞食王が1週間ほど酒池肉林で大騒ぎした後、元王が乞食王を殺して政権奪取することで民衆フラストレーションを発散し、長期政権を維持していた民族もいる。

2017-05-28

宗教松」って何

http://dic.pixiv.net/a/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%9D%BE

言っちゃ悪いけど、めちゃくちゃ面白い

宗教という巨大な文脈に土足で乗り込んでるのが最高

 

部族風習ウォッチャーの方々による面白言及を見せてくれ

文化人類学歴史学宗教学に自信ニキ頼む

立命館炎上したあと当事者たちはどうすればいいのかアドバイス

http://anond.hatelabo.jp/20170528160221

pixivの件ってそもそもどうすれば炎上しなかったの?

事故った時どうすればいいのかって話がなかなか上がってこない。

試しにかいてみる

  • (B)論文執筆者たち
  • (C)Twitterなりなんなりで最初問題を騒ぎだてしはじめた人
    • 誰だか知らんけど、いちばん最初問題を表で騒ぎ立てはじめた奴はかなり問題だと思うよ。おれは。いきなりSNS上で騒ぎたてる前に問題に気づいたんだったら、内々で解決する手段もあっただろうに、そこで交渉が決裂してから騒ぐならともかく、たぶん交渉決裂もなんもなかった段階で騒いだバカがいると思うんだわ。
    • 表立って騒ぐ前に「これ、内々で解決できないかな?」とちゃんと段取り踏んでたら、だいぶ違ったと思うよ。内々に解決する手続きを踏む前に大きな問題なっちゃったら、問題構造が変わるじゃんか。なんでそういうことわかんないかなぁ、という話で。
    • まあ、正義感かられたのだろうし、ある程度まで問題顕在化しはじめてきたら、こういう人を抑えるのは難しいけどね。まだ世間に知られてない問題があった場合、それを騒ぎ立てる前に、「内々で解決できる話かどうか」「騒ぎ立てることがどういう結果をうむか」をほんと考えてほしいと思うけど、まあ、話通じねえわな。

自分機微情報論文掲載された際に問い合わせる窓口はあるのか(あったのか)。

通常、著者本人のメールアドレスが書いてある。

あとは学会への問い合わせだろうね。学会へは実際に問い合わせがあったわけだが。

問い合わせがあった場合対応は明文化されているのか。

うーん、人工知能学会とかだと難しいのでは。

社会学とか文化人類学とかだったらそういうガイドラインもありそうだけど。

今後、人工知能学会学習データネット上のデータをごりごりもってくるだろうから

こういうケースへの対応をきちんと明文化したほうがいいだろうね

2017-05-26

文化人類学ではあなた研究者研究する。

研究対象に敬意を払うなんて文化人類学ローカルルール、おしつけるなとかいわれてるの

もう文化人類学者は「研究者」という人間集団対象分類学的に研究するべきだと思うんだ。

分野ごとにどれ位研究倫理とかしっかりやってるのかとか分析してほしいわ。

2017-05-25

pixiv小説引用問題とそれぞれの論点について

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601


この問題、確かに出典を明記するべきではなかったし配慮が足りなかったとは思うけど、

それぞれの論点については疑問な点も多い。各論点についてどこが問題でどこが問題でないのか個人的な整理をしておく。


・「未成年が見れないようにしてあるのに、引っ張り出してきて有害呼ばわりする」について

有害」の定義について誤解が含まれている。

ここで言う「有害」あるいは「有害情報」というのは一種専門用語で、

たとえばWikipediaの「有害情報」のページには、

「主に青少年がその情報に接することによって健全な発達・育成を阻害する恐れが有ると考えられているコンテンツ総称とある

Wikipediaが信用ならないなら、「有害情報」「有害表現」で検索すれば、その意味で用いられている文章がたくさん見つかる。

まり、「有害な」=「未成年に見せるのには不健全な」という意味が、特に情報フィルタリング研究においては比較一般に用いられてる。

論文最初でもちゃんと「有害情報」の定義が述べられている。

そしてこの定義によれば、pixiv投稿されているR-18小説イラストは全て「有害表現」ということになるし、

別にこの文章は酷い、害だ、と揶揄する意味有害だと言っているわけではない。

ログインしなければ見れないような場所に置いてあるものを引っ張り出してきて有害呼ばわりする」ではなくて、

「"有害表現"だからログインしなければ見れないような場所に置いてある」。順序が逆。


・「BL晒し上げている」について

誤解。

論文中にある通り、ランキングのTOP10を拾ったら8件がBLだったというだけで、残り2件はヘテロカプ。

BL排除すべきだったとも思わないし、BLから選ぶべきだったとも思わない。

(じゃあなんでわざわざ「8件がBLで2件がNL」だなんて書いたのかという話ではあるが)


・「研究対象文化破壊してしまうのは問題だ」について

少しズレている。

たとえば文化人類学民俗学のような研究であれば、研究対象文化破壊してしまうのは「鯨を研究していたら鯨を絶滅させてしまった」ようなもので、

倫理的学問的に問題のある行為なのは間違いない。

ただ、この論文においてpixiv小説文化は「研究対象」というよりは「データセット」でしかない。

その場合でも倫理的問題はあるだろうけど、民俗学のような特別な慎重さが求められるような分野と一緒にして考えるべきではない。

このように目立たせることがタブーな界隈であることが想定できた/すべきだった、とまで言うのは難しいように思う。


・「二次創作グレーゾーンから隠れてるのに、わざわざ目立たせるようなことをしたのは問題」について

これって「お前がチクんなかったらバレなかったのによー」って言ってるのと何が違うんですか。


・「研究として使う以上作者の許諾が必要」について

一応公共の場に置かれている以上、十分に匿名化されていれば許諾は必要ないと思う。

たとえばchainerイラスト自動着色するシステムがあるけど、あれの学習に使うデータ全部に許諾が必要かというとそうは思わない。


・「公開情報をどう使おうと自由」について

それは言い過ぎ。

その理屈で言えば肖像権なんてものはない。「仮面付けないで街を歩いている方が悪い」みたいな話になる。

いくらネット投稿していると言っても、それが朝の全国ニュース勝手に紹介されることまで想定しているわけではない。


・「再現性のために出典を明示するのは当然」について

そんなことはない。

これは別に素材Aに触媒Bを反応させたら素材Cができた、というような話ではない。

たとえば100人アンケートを取ったとして、その100人個人情報全部を載せる必要があるかと言えば、「必要はない」し「プライバシー観点からも止めるべき」。

この件についても、「pixivから適当10件取った」以上の説明不要

そもそもサンプルが少なすぎる。

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2017-04-17

知能を上げる方法

わたしの知っている知能の高い人たち(wais-iiiでIQ140~くらい出す人たち)はみんな興味のないことが全然できない。

好きなことばっかりやってて、どうでもいいことに対してはすごく冷淡。

でこれまでわたしは彼らのそういう性質は知能の代償なのかなって思ってたんだけど、実は因果の向きが逆で、好きなことしかできないから彼らは知能が高いんじゃないかって思うようになった。

そう考える理由ちょっと説明してみたい。

まず人類学問の体系は、だいたいどんな分野であれ似たような方法論に依っている。

物理学でも文化人類学でも計算機科学でもやっていることはだいたい同じだ。

で、知能というのはそこで共通する一般的思考の枠組み、もの見方だと思われる。

少なくとも知能検査で測られる知能っていうのは、そういう性質抽象して測るために作られているはずだ。

そしてこの方法論を学ぶには、浅く広く物事を知るよりも、ひとつ分野を定めて深く掘り下げるほうが効率が良い。

というのも、分野に関係なく、ある程度の深さまで達しないと現れてこず習得もできない思考の仕方というものがあるからだ。

そう考えると、一つの興味をひたすら追求しそれ以外を無視するような知性のほうが、広くこつこつと学んでいく知性よりはやく高度な思考法を獲得するのは当然だということになる。

というわけで、賢くなりたい人はいろんな分野に浮気せず、ひとつ学問を究めてみると良いんじゃないかな。

おすすめ数学哲学です。

(追記)

なんか誤解されているみたいだけど、頭の良い人がみんな専門馬鹿だと言ってるわけではなくて、

一度一つのことを深く追求して得た一般的方法はわりと応用が効くよ、知能ってつまりそういう能力じゃない?ということが言いたかった。

で興味が偏ってる人はそういう発達過程を経やすいんじゃないか、というのがわたしの推論。

もちろん万能っぽい人も中にはいるけど、彼らは興味の幅がそれなりに広いだけで、

やっぱりそれ以外のところでかなり欠落してたりする。

それから、waisでほんとの知能を測定できるかって話になると、そもそも知性とはなんぞやという議論になってしまうわけだけど、

それはあまりに複雑な話題から書かない。

ただしwaisで高いスコアを出す人たちの能力思考法が傍から見ていてそれなりに便利なものであるのは間違いなく、

彼らがそれをどうやって身につけてきたのか、なにが要因としてあるのか考えるのには意味がある、と思った。

知能に直接関与する遺伝子は見つかってないみたいだしね。

2017-02-05

虐殺器官 ☆☆☆

人類がその営みにおいて性欲を昂める為パンツを見るよう適応していったというのは文化人類学的な定説でありますが、

本作ではあまりパンツらしいパンツは出て来ません。

我々はパンツ一方的に盗み見るよりもお互いに同意の上でパンツを見せてくれるような映像を望んでいました。

それはともかく本作では、ワンカットのみ娼婦黒パンツが見えましたので星三つとさせていただきます

2016-12-23

ヨーロッパ朝鮮半島(2)

http://anond.hatelabo.jp/20161221223403

ウェストファリア条約前のヨーロッパは、事実としてプロテスタント国と、カトリック国に分裂していたが、その状態理念としてあるべき姿であると捉えている訳ではなかった。皇帝あるいは教皇のような、国家を超えた存在ヨーロッパ統一している状態こそが理想であり、そのために邪魔プロテスタント存在を認めることなどできず、さまざまな手段プロテスタント否定していった。その最たるもの30年戦争であったが、その戦禍はあまりにも大きく、単一権威によるヨーロッパ統一という理念は諦め、諸国家が互いに干渉せず、国家よりも上位の権威を認めない、現在国際関係の基礎がここに出来上がったのである

現代朝鮮半島状態もこれに似ているのではないだろうか。現在朝鮮半島は、事実として北朝鮮韓国に分裂しているが、決してその状態をよしとしているわけではなく、統一された朝鮮半島理想としている。朝鮮半島統一のためには戦争というオプションでさえ放棄していない、非常に不安定状態である統一を諦めるという選択肢もあるのではないか?と思うが、朝鮮半島がそれを受け入れるには、また30年戦争のような戦禍が必要になるだろうか。できれば、そのような戦禍なしに平和と安定が実現できればいいのに。

参考資料

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84

この条約の成立によって、教皇皇帝といった普遍的、超国家的な権力ヨーロッパ単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国存在を前提として勢力均衡の中で国益めぐり合従連衡を繰り返す国際秩序形成された。この条約によって規定された国際秩序ヴェストファーレン体制とも称される。

ヨーロッパ統一の動きが、ウェストファリア条約によって潰えたという解釈は、国際関係論系の教科書では割と一般的記述であると思います事実として分裂していても、理念としては統一なのですよ。あと、ひとつ物事にはさまざまな側面があって、単に世俗領土獲得が目的ヨーロッパ覇権の獲得が目的と見えても、別の側面からは違って見えるということはよくある。

例えば、4℃アクセサリーを妻にプレゼントするという事象も、法的に解釈すると動産譲渡であり、経済学的に解釈すると消費であり、文化人類学的に解釈するとまた別の何かなのである。どうも、自分歴史に詳しいという自負が垣間見られる方がいるが、それは歴史の一側面でしかなく、別の解釈否定するものではないですよ。

2016-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20161004115728

文化人類学教授ヨーグルト好きで毎日食べていたと聞くが

ケツの穴を嘗めるほど服従しなかったので効果不明

2016-08-23

他人自殺を止める人の気持ちがわからない

死にたい」という相談には、

死ぬべきではない」「悲しむ人がいる」「生きたくても生きられない人が世の中にはいる」「個人的に死んでほしくない」など、

おおむね自殺しないでほしい、自殺するべきではない、という返信がつく。

もちろん、「死ぬべき」「死にたいなら死んだ方が良い」などという返信もつく。

それらは私には、全てエゴであるように見える。

相談する方もエゴであるからお互い様だと思う。

でも、どうして、そう言うのか知りたい。どうして人の自殺を止めるのか、その動機が知りたい。

エゴである事が問題なのではない。それはどのようなエゴであるのかが知りたい。

認めると自分自殺するべきだと思えてしまう状況にあるからだろうか。

その人の死が社会的損益だと思っているのだろうか。

見殺しはなんとなく気分が悪いかなのだろうか。

また話したいと思うからだろうか。

もっともらしい正義を語る機会だからだろうか。

過去に生死に関して、嫌な経験をしたからだろうか。

どちらかというと、生きていてほしいからだろうか。

止めておいたほうが人間っぽいからだろうか。

不快からだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分死ぬべき人間だと思う。

そう思った時に、次の行動としてとるべきものはどれか?

死ぬべきである証拠を集める

・死なないべきである証拠を集める

私は、自分のことを、死ぬべき人間だと思っているが、自分ではそれを選べている気分にはなれない。

人間、どんな言葉からでも自分の欲しい情報を探そうとするものではないだろうか。

人の言葉で救われる人は、人の言葉に救いを見出す力を持っている人なのではないだろうか。

救われるか、救われないかは、事の当人が既に決めている事で、説得者は、あるいは説得の定型は、本当には無力なのではないか

そうでなければ、鬱になるべくして鬱になる人がいるのではないだろうか。

相手言葉をそのまま受け止めようとする気持ちは、ほどほどのスルー力無しでは維持が不可能だ。

相手言葉をそのまま実行しようと努力する人は、大人数の発言を前に、混乱してしまうがゆえに、憂鬱に陥るのではないか


まり自殺を止める言葉は、説得としては、そのままの意味では、

もし自殺を止められたとしても、発言者意図では、通じていないのではないか

あらゆる言葉は、自殺志願者のかすかな衝動を引きだすだけのものではないのだろうか。

そうならば、自殺をやめろという説得は、いったい何故行われるのだろうか。

自殺を止める人は、自分の説得を、有力だと思っているのだろうか。

結局のところ、成功した説得の大部分は、誤解や語弊、拡大解釈で出来ているのではないだろうか。

だとすれば、人の自殺を止める人は、それを無力に感じないのだろうか。

その無力さは、説得という行為問題にならないのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間、生きるために、自分を保つために、何かしらの無視をしている。

自分が生きるためのルール発見し、生き延びるために利用できる意味の選定をしている。

その人が放つ言葉意味から逆算して、その人を知る事は、できると思う。

私は、意味の選定の、本当の理由が知りたい。

あなた日常で感じている、生存におけるルール。つまりあなたの生をあなた自身規定したものが、あなた言葉を選定しているはずなのだ


何故あなたは、人の自殺を止めるのか。

自殺をやめてほしいと願うのか。

あなたには何故、人の自殺を止めたいと思う欲望衝動があるのか。

あるいは、ないのか。


多分学問領域では、社会心理学とか、脳科学だとか、文化人類学とか、生物学とか、いろんな方面から自殺について語られた論文があるんだろうと思う。

多分、大方の言動は、何がしか研究に分類されうるものだと思う。

それは面白い。でも、だからどうした、とも思う。

そこにあるものを分類することで、何か進展があるのだろうか。

自ら自己類型化し、分析した上で、死ぬべきではないという結論が、どうして出るだろうか。

そうは思えない。私は今、何を読んでも、自分死ぬべきだと思う。

目に映るもの全てに死ぬべき理由を探している。

自分は、自殺志願者で、人の自殺を止められなかった事がある。その人は未遂に終わったが。

私は衝動的に、他人自殺を止めようとした。今でも、今から自殺をすると連絡が入れば、警察を呼ぶと思う。

なぜ自殺を止めようとしたかは分からない。

自分は、自殺したい、自分自殺しなければならない、と思っている。

自殺という概念は、他者に向けた時、自分に向けた時で、相当意味が違う。

他者自殺自分にとっての不快感であり、自分自殺解放なのだ


しかしなぜ、自分を変えられるからあなたは変われるから死ぬべきではないと言えるのだろうか。

はいったい、何に変わるというのだろう。

死にたくない状態で生きていられる、あなた生存ルールを参考にした身体に変わるのだろうか。


自殺を止めようとしたその人が、死なない事で楽になるなんて、まったく思っていない。

私は、ずるい、お前だけ楽になるなんて許さない、という気持ちで、警察電話したのだろうか。


自分気持ちが分からない。

2016-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20160531003700

文化人類学とかをかじると、いつごろに人類発情期が年がら年中になったのかというのが説がぽつぽつあって

なかなかおもしろい。

人類起源ミッシングリンクで解明されていないけれど、初期の類人猿はおそらく近親相姦をして増えていったであろう、というような話をどこかの本で読んだ。

経血カップというのがあるけど、かなり快適なので合う人にはおすすめ

2016-01-17

手話言語条例・法について

手話言語条例というものがある。

知らない人も多いかもしれないが、日本の30以上の地方自治体で成立している。先日大阪市でも成立した。

https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap

ここまで多くの地方自治体がこういった条例を作っているのなら、国が手話言語法を制定してしまえばいいじゃないかと思う方もいるかもしれないが、国がやってくれないのである

一部の聴覚障害者関係者が制定運動をしているのだけれど、なかなか実現しない。

仕方ないので、地方から国を動かしたろということで2013年に鳥取県が制定したのであるそれから全国に手話言語条例が乱立し、世はまさに手話言語条例戦国時代状態になったのである

そんな手話言語条例・法について書いてみる。

とりあえず手話言語条例がどのようなものかを理解したければ、実際に条文をよんでみるのが一番だと思う。原典アタック

最近はいろんな手話言語条例が成立したので変わったものもあるが、ベーシックな原点の鳥取県手話言語条例でいいかな。

http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm

23条しかないので、全文を読むのにも大して時間はかからない。法律に出てくるような難しい言い回しもないので簡単に理解できる。

最近は変わった手話言語条例を制定しよう(京都市観光客向けの手話言語条例とか)としているところもあるみたいだが、基本は大体この鳥取県条例と似たようなもんである

結局のところ、総合的に見て各地の手話言語条例に書いてあることの基本をおおざっぱにまとめると以下の2点のようになる。

手話を一つの言語として認め、尊重する

手話を普及させることで聴覚障害者やその関係者等の暮らしをよりよくする

 (具体的には、鳥取県の例でいえば手話通訳者を育成したり関連の事業者サポートしたり県民のための手話講座を開いてみたり小学校手話を教えてみたりしているようである。)

こうして見ると、①はあくまでも理念的なものであって、この条例本質は②にあるのだろうと思う人が多いだろうと思う。少なくも鳥取県のケースはそのようになっている。

しかし、一部の聴覚障害者にとっては①、つまり手話言語として認めてもらうことは②と同等、あるいはそれ以上に大事なことで、彼らの人生にとって極めて重要なことであると考えている。

手話言語である条例や法で認められたとしたって何が変わるのか?どうでもよくないか?」そう考える人もいるだろう。

なぜ、「手話言語」が大事なのか?

手話言語条例理解するにあたって最も重要ポイントである

しかし、そのことを考えるにあたって、まずは手話というものについて掘り下げなければならない。これは非常に厄介な問題なのだけれど、がんばって簡潔に説明してみる。

手話というもの世界中にある。アメリカであればアメリカ手話があり、韓国韓国手話、そして日本にも日本手話がある。

ここまでは普通言語と変わらない…のだが、日本手話は少なくとも2種類のものがある。(もちろん方言とかではなくて)

A日本手話 と B日本語対応手話 である。どう違うのか。説明する。

Aの日本手話一言でいえば、「日本語とは異なる、一つの独立した言語であるといえる。

私は言語学には疎いので言語定義もよくわからないが、重要なのは独自文法を持っているということだろう。

手話文法の具体的な説明は難しいが、まぁ英語に似ていると思う。

日本語の「私は  手話を 勉強 しています」という文を無理やり日本手話にしてみると、「私 勉強 している なに? 手話 です」とかそんな感じ。

実際にはこれを踏まえてこまかい表情や首の動き、眉の動きなんかも文法の一要素としてあるようで、日本語をしゃべる人間にとってはややこしいし難しいしわかりにくい。

手話言語学とか文化人類学とかで研究されているので、興味のある方はそこらへんの本でも読んでみるといいかもしれない。

とにかく、日本手話というのは聾者と呼ばれる人が使う独立した言語なのだ日本語とは違う言語。これが重要テストに出るぞーレベル

そして、Bの日本対応手話はどうか。「日本語文法手話単語をあてはめただけのもの」とでもいえばいいだろうか。

こちらは日本語でしゃべるのに合わせて手話単語を出せばいいので簡単に習得できる。

日本語で「私は 手話を 勉強 しています」と口で言うときにそれぞれの単語のところでその手話をだせばおしまい。表情や首の動きもいらない。楽ちん。

この手話日本語文法ありきのものであって、独自文法を持たない。言語学をよく知らなくても、それでは独立した一つの言語ではないということはなんとなくわかるだろう。

しろ、これは言語というよりは筆談ノートテイクのようなコミュニケーション補助のためのものと解したほうがいいかもしれない。

大学手話サークルとかはだいたいたぶんこっち。Aの日本手話をやっているところもあるのかもしれないが、そちらは難しいので手話勉強しようと思うと最初はこれを使うことになるだろう。

聴覚障害者の中でも軽度のものだったり、聾学校ではなく普通学校に通っていた人や中途失聴者は日本語の会話(口話)の補助としてこれを使う人が多い(と思う)。

ただし、この二つはきれいに分かれているわけではない。二つが混ざり合うこともある。

けれど、この二つは対立関係のような部分もある。Aの日本手話の話者によってはBの日本対応手話はまがい物である!という人もいる。

これを巡ってはかなり論争があるというかめんどくさい感じに聴覚障害者の中(聾者難聴中途失聴)で内ゲバっちゃってる。ここでは書かないけど。

とにかく、大事なことは手話の中でも日本手話というのは独立した言語であるということである

そして、言語があればそれに対応する文化がある。

私は言語学文化人類学もまったく勉強したことはないが、言語というのは文化と密接な結びつきがあるというのは間違いないだろう。

そして、上に挙げたAの日本手話という言語は「ろう文化」というもの形成する。そしてそのような文化圏にいる人は自らを「聾者」と名乗る。

逆にそうした文化圏に入らないような聴覚障害者を「難聴者」と呼ぶ、あるいは自称することがある。

(「聾者」「難聴者」の定義不安定で人によっては違うのだけれど、とにかくここではこのように理解しておく)

それでは、この「ろう文化」と聾者はこれまでの歴史においてどのように扱われてきたか

結論からいうとひどいものだった。マイノリティとして抑圧されてきた。

特に酷い例でいえば、彼らは日本手話という自らの言語を奪われることもあったのである

かいところはここに載っているが、(http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub4-3.html

日本社会において日本手話は役にたたない、要らないということで聾学校手話禁止され、口話(残存張力と唇の読み取りで頑張るだけ)を強制されたのである

その結果、上手に喋ることができるようになり、聞こえるようになった聴覚障害者がたくさん出てきたかというとそうではない。良い効果はあまり得られなかったのである

それどころか、生徒は学校で自らの言語をつかうことを禁止されたことに苦しむことになる。

手話を使えば手っ取り早く友達と楽しく会話ができるのに、不慣れで不自由口話強制される…。

手話を使えるのは、登下校等、学校外の時間だけ…。

手話を使ってしまうと、先生から厳しく叱られる…。

これは聾者と「ろう文化」に対する抑圧である

そしてこの抑圧は当時の生徒に大きな悲しみと怒りを植え付けることになる。

このことは「ろう文化」の名誉を著しく傷つけることになる。

そして、この抑圧が彼らを固く結束させる。自らの誇りある言語日本手話を守ろうと。

もうおわかりになると思うが、このような歴史の中でマイノリティとして抑圧されてきた事実に対する憤り、それこそが手話言語法制運動の原点である

いまいちからないなら例を考えてみよう。例えば日本語禁止されたとしたら。

敗戦直後にGHQ学校で「ジャパニーズ言語としてダメ!これからは君たちはイングリッシュをしゃべるんだ!ジャパニーズ禁止!」とか教える。

そんな感じだろうか。だいぶちがう気もするけれど。まぁ、でもすごく不快だよね。

日本手話マイノリティだったという点で日本語とは異なるので不適切な例だろうと思う。)

そんなことが実現したとは思えないけれど、とにかく大事なのは自分たち言語が奪われるというのはその言語文化に属する人間アイデンティティにとっては大いなる損失になるということである

ゲームでも「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。」なんて言葉が出てきたしね(ルーマニアかどっかの思想家言葉らしいけれど)。

手話言語条例・法というのはそうしたろう文化に属するものアイデンティティ名誉の復活を意味するものでもある。

からこそ、手話言語として認めてもらうこと、それ自体に大きな意義があるのである

しかし、それが正しく伝わっているかというと微妙である

まず、手話言語条例の「手話」というのが何を指すのかという点で微妙である

例外はあるけれど、基本的にどこの条例手話というものがAの日本手話だと明記していない。

これは各自治体が二つの違いを理解していないということではない。

つの違いを理解した上でBの日本対応手話を使う難聴者に配慮しているという形になっている。

上にも書いたけれど、この二つは対立関係にあってものすごくこじれている。

から、片方だけを優遇してしまわないようにするという形にしている。

ちなみに、例外としては、埼玉県朝霞市の「日本手話言語条例」で、こちらは日本手話と明記している

https://www.city.asaka.lg.jp/uploaded/attachment/29886.pdfpdf注意)

『第2条 この条例において「日本手話」とは、手、指、体、顔の部位等の動きにより文法表現し、日本語とは異なる文法体系を有する言語のことをいう。』

という風に定義している。

しかし、こういった条例というのは、私の知る限りここしかない。

もっといえば、聴覚障害者自身でさえどうして手話言語条例を制定しようとするのか、そこの目的が人によってぶれている。

実をいうと、聴覚障害者の中で日本手話を使うろう文化圏に属する人間は少ない。多くは難聴者と呼ばれる人間だと言われている。

当然だが、こうした人たちは手話言語条例を「生活がよくなればいいな」ぐらいにしか捉えていない。

そして、聾者の中でも若い人は上述した日本手話歴史に疎い人も多いので、中にはも「生活がよくなればいいな」くらいにしか捉えていない人もいる。

もちろん、それが悪いわけではない。ただ、本来目的からずれ始めているのだ。

そして、結局のところ、世間(聞こえるひとたち)での受け取られ方というのはつまりだいたいこんな感じだ。

手話言語条例?これで聴覚障害者たちの生活がよくなればいいね!」とかそんな感じである

この受け取り方がまずいとは思わない、思わないけれど少し浅いというか、これでいいのだろうか。

聴覚障害者について知る機会もあまりないのだから仕方ないだろうとは思う。けれどもやっとするところである

というわけで、長くなったけれど手話言語条例・法について書いてみた。

何かの参考になればいいかな。

2015-08-14

プロデザイナー存在意義って……

私は大昔に美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、デジタル以前から現在まで、デザインで飯を食ってきたが、

つの時代でもデザイナーというのは(就業人口の少なさという意味で)マイナーなので、

一般からは業務の実際を知られていないなあと思う。

オリンピックエンブレム問題から派生した諸問題に、周囲のデザイナー界隈は今、みんなウンザリしている。

そんな中で、とある記事ブコメ典型的な「普通の人」の意見を見つけ、

ああ、残念だなあと思った。

曰く、「デザインという感性世界作品に、コンペで優劣を付けることが可能か?」

私の答えは「はい。優劣の評価は可能です。点数を付けることだってできます

ただし、一定得点を越えると”感性”の差ではなく、一種の”政治的判断”で得点が変わります。」となる。

デザイン感性みたいなふわっとした物言いに、とても違和感がある。

感性」とは置き換えればカッコイイ・美しい・訴求力があるものの選択能力だが、

商業デザインプロは、それらを理論化・数値化・データ化して考えるものなんだ。

プレゼンに勝つためにもね。

上記のブコメのような質問は、プロフェッショナル否定論につながる。

コンペで好き嫌い当落を決めてたら、

審査員がただのどシロウトということになるし、

好き嫌い選考されるものに応募するデザイナーはいなくなる。

デザインを構築する要素の大部分は、実は厳密な理論や、歴史から学んだハック、

あるいはマーケティングから得られたデータであって、

わりと理系寄りな教養トレーニングの積み重ねがないとプロになれない。

また、そうでなければ、安定した職業として成り立たない。

例えば、話題多摩美術大学の、2014年度履修科目の中から『共通基礎教育科目』を見てみるといい。

絵ばっかり描いているわけじゃないのだ。

一部抜き出すと、

心理学芸術心理学/造形心理学歴史学日本文化史論/文学美学概論/美学考古学文化人類学民俗学芸術科学/図学/日本美術史概論/東洋美術史概論/西洋美術史概論/宗教学人間工学/色彩論/芸術材料学/近代デザイン史/染織史/文様史/写真論/社会心理学マスコミ心理学映像メディア論情報論/情報工学演習(コンピュータ基礎、情報機器操作3DCG)/総合講座デザイン論/現代工芸論/服飾文化

基礎学問を学んだ上で、自分の手を動かして作品を作る実践授業を受ける。

特に「造形心理学」「色彩論」あたりは、自分が学んだ頃よりずっと進化している学問分野だろう。)

すると、おのずと他人作品を見て、「こういう背景をふまえて、こういう意図で作ったな」という

コンテキスト、というか文脈が透けて見えるようになる。

かかってる予算すら、読めてしまう。

プロなら分かる」って、どこの分野でも同じだろう。

プログラマならコードを見ればわかる。八百屋なら野菜を見ればわかる。

でも「何をどうわかってるか」を他人に伝えるには、膨大な説明が必要になる。

しかもいざ説明しようとすると「長い、3行で」となって聞いてくれない。

多くのデザイン関係者が今でも「オリンピックエンブレム盗作に当たらない」と断じているのは

まさに上記のような、職業人としての訓練の結果(及び法的手続きの結果)だが、

ネットでそれを言うと、手斧を持ったモヒカンが大挙して襲って来るよね。

何でもかんでもポジショントークに見えてしまうんだろうね。

その様子を見ていて、「多数決文化を殺す」って感じるよね。

2015-05-22

想像力の欠如は罪。

こういう知恵や価値観が親によって植えつけられているなんて…

子どもの心の成長を妨げていると思う。

人の気持ちを考えることのできない大人になるんでしょうね。

え?野ねずみ?…擬人化って知ってる?

息子の国語テストを見たら、漢字を書くとこ以外は全部マルだった(笑) 漢字は相変わらず半分くらい書けない。読む方はバリバリから別に将来困ることも無いんだけどね。

あと、配点が無い暇つぶし問題みたいなので

「のねずみたちはどんな気持ちだったでしょうか」

というのがあって何も書いてなくて、なんだこれと聞いたら「わからないから書けなかった」との答え。父ちゃんにはわかるのと訊かれたから、

「野ねずみの感情なんか人間にわかるわけないだろ。」

「じゃあどう書いたら良いの?」

人間は野ねずみじゃないから、野ねずみの気持ちはわかりませんと書いておけ」

「そうする!」

なまじ脳科学の本なんか読んでると、ネズミ人間のような意識があるかどうかというとこから考えちゃうんだよね。異文化コミュニケーションとか社会学文化人類学・・・そういった人社系の学問でも文化圏が違えば相手の考え方感じ方は全く違うというのが現代常識なんで、野ねずみ人間なんて異文化過ぎて

「わからない」

という前提から議論しないとバカアウトプットしか出せないですよ。

2015-02-17

副業としてウェブショップ経営して1年

職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。

ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。

たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい

ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。



カラーミーで十分すぎた。

カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。

しかし、現実ショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。

オンライン現実世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。

ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである

これを楽天などで商品検索した場合、あるいは楽天ネットサーフィン()したと考えてみる。

キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。

そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。

そんなショップ跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。

真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。

から、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。

ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。

ただイプシロン、あんたの手数料は高すぎる。

ウェブ上の卸販売は役に立たないし、流行ものや被服は扱わなくて良かった

オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww

流行個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。

均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。

まるで諸行無常激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。

ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。

最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。

から、正直に自分が欲しいと思ったものしか仕入れない。

流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。

服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。

廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。

普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。

輸入品を扱うなら通関だけはしっかりやれ、わりとマジで

すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから

ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。

輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。

消費税関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格計算するのかが異なる)。

稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。

ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局手数料であって税金ではない。

オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。

オークションの利用料と関税率消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。

利益度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。

まり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。

ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます

だって、偽りの輸入申告で脱税しているわけですから

大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。

何をどの時期に輸入しているか郵便局税関接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。

ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます

それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。

個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます

日本人の誠実さ()キャンセル言い訳について

会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。

キャンセル理由第一位は「入院病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である

多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。

きっと、このような理由休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。

それくらい、使い古されてカビ臭いいいわけなのである

本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったかキャンセルという理由根拠が分からない。

転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。

要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。

これを本音と建前という日本人文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。

「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。

いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである

そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。

それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。

あと、お客様神様だけど貧乏神もいる。

追記(2015.02.17)

1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。

学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章統一が取れていませんね。

自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります

貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。

さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます

追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています

副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語習得して、クメール語も覚えました。

これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。

それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語勉強しました。

というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらから借用語が多い言葉です。

ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。

名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!

…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉ルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています

率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。

実に恵まれていると思っています副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています

というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます

「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます

しかし、その経験が職場於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています

通関業者税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。

ですが、通関業者収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。

それがドレージ費であったり、税関検査費であったりまます

(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)

相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります

そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当費用か否かが判断の一助となります

というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろ上司から言われます。(もちろん任意)


  • 自分の方法が全てではない

というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。

ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。

ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています

ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています

現在ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります

しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。

続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)

それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。

「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。

これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。


これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。

しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います

密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。

オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています

実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。

もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。

しかし、購入者一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。

例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから

ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化形成されるのかもしれませんね。

本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。

いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。

これは例外なく私にもあてはまり私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。

深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります

そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります

その時のショップの対応は素晴らしかったですね。

そして、自分がその立場になってみて「はいはいたか」と思いながら、受注キャンセルボタンポチりしているわけです。

相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。

この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます

舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議感覚です。

忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセル!!!

いらなくなったから、受け取り拒否ってどうなの?

あれだけは本当にやっちゃならん。

マジでこちらは一方的に損失しかでない。


  • 「誠実で真面目な日本人」について

なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。

これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。

これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。

また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。

しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います

というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているかであると思うのです。

私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。

そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます

反論として提出されるであろう統計的データを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。

私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータコミュニケーションをしていないのです。

そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。

なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。

自分の脳内補正をかけて書いた典型的な悪い文章でした。

しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。

Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。

私にはそれが足りないため、宴会場にいるやさぐれた酒飲みの説教みたいなものとなってしまいました(ブコメ回収2つめ)。

ということで、仕事から帰って、今日の分の出荷も記帳も終わったので長々と追記を書いてみました。

2014-11-14

物々交換儀礼お金基本的お話

人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。

で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリー話題さらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。

「暮れの元気のご挨拶」と「スーパーでの買い物」

人類学宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK問題というのがある。

日本人って、デート神社縁日金魚すくい彼女浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?

まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。

例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。

いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠学説全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。

トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。

Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。

というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、

彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。

単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。

また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアン伝統的な贈与経済だと言われている。

ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。

簡単に例えよう。

日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元お歳暮無視する気かよ」と返しているのと同じだ。

普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。

古代物々交換の話

というかだ、人類学チョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。

フランス文化人類学であるマルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。

文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。

で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的儀礼的だったり政治的だったりする。

そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。

で、この物々交換お金起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミス国富論(The Wealth of Nations)だ。

ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。

じゃあ、お金ってどこから来たの?

言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。

が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。

信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的義務政治的権威とは切り離される。

この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。

古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。

それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。

これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)

ここで、巡り巡って、原始的な村人の相互扶助形態に戻る。

まり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、

「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。

その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。

お金の話と、評価価値経済

譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。

実例の積み重ねと、演繹から論述は、方向性が違うからだ。

文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。

あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、

そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。

極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてな流通させても良いわけだ。

ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモン

ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。

これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位しか無い。

「今回は私が解説したので、3シナモン相殺ですね」とかできるわけだ。

それが「5シナモンくれたら、Microsoft戦略について語るよ」とか

10シナモンで家を建てます」とか他人が入ってくると、

これはもう、評価価値経済になる。

そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金本質になる。

シナモンという評価価値無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。

この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。

ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨金本位制でなくなった時点からお金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。

まとめ

沈黙交易代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。

ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。

しかし、クラ交易ポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的権威を背景にした贈与文化であるとされている。

それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。

まり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。

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なお蛇足ながら、集団内の物々交換煩雑から媒介物としてタバコが用いられた近代の記録なら、あるよ。

(The Economic Organisation of a P.O.W. Campでググると良いよ。超面白いよ)

2014-11-13

貨幣経済の発達と文化人類学って、定説も定まってないしとても示唆的で面白いジャンルだというのに、

ブコメが「引用長すぎドロボウ!」ってのと「物々交換のためのもんだろ馬鹿が!」っていう割とレベルの低いものに☆が集まっていてわろた。

引用長すぎってのは心底同意するが。

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