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はてなキーワード: 姦通とは

2019-08-25

anond:20190825105048

署が絡む事なんか何もないはずだが

未だ姦通罪が存在する世界で生きてるのか

人妻に手を出す=レイプだと思ってるのかどっちだ

2019-08-17

anond:20190817190802

姦通罪が無くなっても、不貞離婚要因とされたり著名人が行えばイメージ低下したり責任取らされたりってのは普通にあるわけで

現実世界禁忌意識がなくなったわけではないし

しろ姦通罪の時代男性不貞行為については寛容だったけど、現代は男女とも同程度に禁忌とされてる故に

その裏返しとして不倫エンタメが盛り上がってるんでしょ

本当に不倫が全く禁忌とされなくなったら、エンタメ世界でも禁忌としては扱われなくなると思うよ

歴史物であれば残るだろうが

anond:20190816152215

結論から言えば

同性婚合法化されたって、禁忌だと思う意識はかなり残るよ

実際に欧米同性婚合法化された国でもゲイヘイト犯罪はたびたび起きてるし

地方じゃ「子どもを産まないと一人前扱いしない」意識が強いか

合法的同性婚しても親類や地域住民の目が冷たいとか

それが理由実家の親が自分の子同性婚に難色を示すとか

そういうのは絶対になくならない。断言していい

***

ところで、戦前は「姦通罪」というものがあった

既婚女性が夫以外の男性関係を持つと処罰されるって法律

(考えてみればずいぶんと男女非対称な法律だ)

戦後姦通罪は廃止されたわけだが

廃止されたら途端に不倫が大流行したわけでもない

はたまた不倫ドラマチックに描く文学映画が壊滅したわけでもない(ここが重要!!!!)

しろ不倫エンタメオープンになった

からしろ同性愛タブー視する意識が"相対的に"減少すれば

同性愛を描く作品ばんばん隆盛になって

そのなかに最初に触れたような「合法化されても残る禁忌感」を深く掘り下げたり

あるいは逆に禁忌だった過去時代雰囲気を深く掘り下げる作品

ばんばん出てくるかも知れない

***

そもそも黒人には一切楽器を持たせてもらえなかった時代

差別意識をバネにジャズレゲエヒップホップが隆盛した時代

どっちがマシかといえば後者がマシに決まっている

2019-08-07

少子化対策って簡単じゃない?

結局のところ団塊時代出生率が高かったんだから、その時代制度に戻せばいいんじゃないかな。

Wiki(団塊の世代)には以下の様に書いてある。

"1948年昭和23年)までは、一部の例外強姦姦通)を除き、一般的産婦人科での避妊中絶不妊手術などの行為は、刑法堕胎罪となり禁止されていた。1948年昭和23年)に優生保護法によって限定的容認して、さらに翌年の1949年昭和24年)に同法改正されて、「経済的理由」での中絶容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、1950年昭和25年)以降は出生率が低下していった。さら戦後結核など伝染病の予防法・治療法が確立されたことで青少年期における死亡リスクが低下し多産の必要性がなくなったことも、1950年代以降に出生率が低下した要因の一つであった。団塊の世代の母親までは、産婆による出産が主流であったが、昭和30年代には産婦人科医療による出産が主流となった[8]。"

ということは、

1, 産婦人科での避妊中絶不妊手術堕胎罪として、刑法で禁ずる。あるいはなんらかの処罰規定を設ける。

2. 産婆による出産を復活させる。より具体的には、助産師のみでの出産介助を前提とした産科診療とする。産婦人科医師への負担軽減にもつながる。

いいんじゃないの?

え?エンゼルプランとか保育サービスだって

なにそれ?無駄だし、実効性ないよね?難しく考えすぎだと思うけど。

2019-06-09

同性愛はお遊びだけど異性愛は真の愛だと俺は思う

から現行の結婚制度から離婚を無くさないか

姦通罪も復活させて、不倫したクズ犯罪者

潜在的同性愛者として扱うべきだ

  

 

真の愛なら離婚をちらつかせるのも一時の気の迷いだし

少子高齢化に対抗するには法で縛り付ける必要がある

2019-06-02

姦通罪が廃止になったように、民法上も不倫慰謝料理由にならなくなってほしい

2019-05-27

死刑反対、あらゆる犯罪への抑止力に反対した者だけが

安全ピンで男を姦通した女に石を投げなさい

                   A.D.20 キリスト

2019-05-19

anond:20190519154156

自分ゲイではないのだが、同性婚が認められると「同性愛可視化される」のは

長期的視野ノンケにもメリットがあるかも知れない

現状では、同性愛を隠している人間が非常に多い

そんで、普通の友人と思ってたらゲイだったとか

自分が思いを寄せていた異性が「同性しか愛せません」という場合もあり得る

ノンケとしては「だったら最初からそう言えよ」と言いたくなるが

当人にとっては、言うに言えない空気があるからだろう

こういう面倒くささは、「同性愛は隠さねばならない」という暗黙の了解があるせい

同性婚が認められれば、このめんどくさい問題がかなりオープンになるのではないか

当然、同性婚が認められてもなお表に出さない人は一定数いるだろうが

表に出しやすくなれば、それだけでいろいろハッキリしてすっきりする

あと、同性婚が認められたら、ブライダル産業だのデートコースになる観光地だの

指輪だのといったリア充向け業界経済効果がどれだけあるとかの試算もどっかで見た

むろん俺個人の腹の足しにはならんが、日本経済の景気振興になるのなら良し

***

あと、「まともな普通同性愛者」が世にオープンに出てくるようになれば

同性愛をクッソ汚いイロモノとして描く不快淫夢厨は淘汰されるかも知れない

一部の腐女子には、「同性愛タブーでなくなったらBLがすたれる」

と主張する者がいるそうだが、法制度で同性婚認められても

相対的少数派に変わりはなく、タブー自体はそうそうなくならないのではないか

(現に同性婚が認められている外国でもオープンにしにくいという人はいる)

それに、戦後日本じゃ姦通罪が廃止されたが、おかげで不倫物の文学作品ドラマ

が衰退したかと言えば、ちっともそんなことはないではないか

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-02-28

anond:20190228133918

日本姦通罪はないから、事実上重婚許可されてるよ

正妻以外に愛人を持つ金持ちなんかいくらでもいるし

当事者全員がそれを認めているなら何も問題ない

2018-12-27

どうかみんな見てほしい。私刑ということ、世間というもの

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-10-04

男性側の経験医学知識を合わせて考えてみた

看護師で、複数人に対して処女喪失相手となった側の男性です。大変お疲れ様でした、、。

女性にとって破瓜は1回きりのことですが、男性は0回から複数回経験する可能性があります

なぜか当時の彼女処女の方が多かったので、現在医学知識と合わせて少し書いてみようと思います


経験した当時は医学知識などまったくなかった頃なので、この記事過去経験現在知識統合して考えた内容ということになります

私は処女喪失を4名分経験していますが、1人を除いてみな初めてのときはとても痛そうで、1人はあまりに痛がるので結局途中で断念しました。


結論から言うと、「サイズを選ぶ」「先行鎮痛」「リラックス」「翌日は休めると良い」です。



ずいぶん前の話にはなりますが、当時調べたときには、「破瓜の痛みは処女膜が破れる痛みは少しで、膣壁が初めて男性器を受け入れ押し広げられる苦痛と、恐怖など心理的苦痛が大きい」ということでした。

医療職で、創傷を扱う現在では、「普段刺激がない敏感な粘膜がちぎれて、その後も摩擦されるとかめっちゃ痛いに決まってるやろ!」と思うのですが、それ以外にも膣の大きさや心理的な構えが関係しているように思います


サイズを選ぶ】

「僕も童貞彼女処女」という初めて同士のときの方は全然痛くない様子で、彼女は僕より背が高かった(>170cm)し、他の女性と比べるとナカも広い(狭く感じない)方でした。

膣の大きさは男性器のサイズのようにわかやすくはありませんが厳然として存在し、人によって狭さ・深さともかなり違います主観的には狭い方は浅いことが多いように思います

私の男性器サイズは変わらないので、このサイズで余裕がある方、狭めで窮屈に感じるという方、大きすぎて痛いという方(非処女)など様々です。

自身サイズを見極めるのは難しいですが、指を入れてみる、タンポン使用時の感覚、ご自身身長などから類推して使用するものサイズを調整してもいいかもしれません。


物理的には「荒廃したトンネル」との表現にあるように、経験のない部位を異物で押し広げられる圧力違和感は避けられません。

これに対しては、上述の通り必要以上に大きなサイズを選ばないという対策がメインになります

また、2回目は1回目より痛くなかったとのことですが、粘膜損傷の痛みと「押し広げられる痛み」は別物に思います。これは慣れです。クスコはそれほど大きくないので、2回行う必要があるかわかりませんが、、


【先行鎮痛】

1回目は粘膜の損傷を伴いますので普通にケガです。自らケガしようとしているので、手術後の方がリハビリ前に痛み止めをするよう、予防的鎮痛をしたほうがいいですね。

キシロカインゼリー(表面麻酔)、と言いたいところですが、キシロカインショックに至る可能性も0ではないので素人さんにはオススメできません。

ロキソニンなどを30分ほど前に服用してからことに至るのをおすすめします。


リラックス

最も苦労し、ついに完遂できなかった方は、指だけでもとても痛そうで、「指から慣らし、2~3回目で挿入」という当時の僕の対処作戦も全く通じませんでした。

この方は、心理的セックスに対して恐怖感もあり、全身は力み、僕はそれを緩和することができませんでした。

がん医療などの現場でも、痛みは学習される、痛みは身体的なものだけでなく、心理的社会的・霊的な要素で構成されるとされています彼女場合はその恐怖感が苦痛を相乗的に高めてしまったのでしょう。


筆者さんの場合は、自らディルドでもってこじ開けようとされる程の方ですので、心理的な恐怖などは少ないように感じました。

行為に対して恐怖や不安が強い方は、できるだけリラックスできる環境を整える必要があるでしょう。

ゆっくりできる場所音楽・アロマなどリラックスできる環境を整え、気持ちを整えましょう。


【翌日も休めると良い】

また、複数の方が、姦通後も、帰り道は歩くだけでも痛い、足がガクガクする、股間の違和感、何かが挟まっていて足が閉じている感じがしない、などの訴えがあり、翌日も自転車に乗れないなど影響は残っていました。

風呂などを済ませ、もう寝るだけの状況で。できれば翌日もゆっくりできる日取りを選ぶといいと思います


【洗浄と消毒】

まず、ご自身シャワーを浴びて清潔になり、道具も流水で洗浄、消毒します。

マキロンの成分はよくわかりませんが(調べてみたけど)、手術に使用するヨードが良いように思います

イソジンうがい液7%を原液のままディルドにぶっかけ、乾くまで待ちます(消毒は乾くときに殺菌効果を持つ)。これにコンドームを被せれば完璧です。

使用したディルドは石鹸で洗ってください。ヨード長期間皮膚についていると良くないのでコトの後もシャワーを浴びてくださいね


長々と書いてみましたが、、、僕はいったい何を書いているのだろうという気分になっていますが、同様の経験をされた方が複数名いるようですので今後の参考になる方もいるかもしれませんね。

処女さん、処女相手をする男性向けの記事と言えるかもしれません。

2018-08-29

anond:20180829173000

姦通シャリーアではズィナーなのでハッド刑(死ぬまで石打ちか斬首か)が処される。

日本でよかったねえ。

2018-08-25

私刑について

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-07-22

国家による非モテ支援可能だし、やるべき

非モテっていうのは恋愛市場で勝てないか、勝つ見込みが小さいために本人が諦めてしまっている状態なのだから、勝てる見込みを増やしてやるのが支援の内容になる。

で、なんで勝てない奴がいるかっていうと、

  • モテない(本人に魅力がない)
  • 実は妥協すれば相手が見つかる可能性があるが、本人にとって妥協が多すぎるので望ましくない

の二つが個人的理由で、マクロ的な視点から見れば

だったら対策は、

ということになる。

どれも実現可能だ。

まず、市場参加者を増やすには、妥協したくないために最初から諦めて参入していない人たちに、妥協するインセンティブ提示して参入させれば良い。これで二つの問題解決する。

具体的には結婚インセンティブを増やせば良い。税制改革可能だ。また、恋愛市場全体を個人にとって居心地の良いものにする対策有効だだろう。セクハラを含む性犯罪の取り締まりを強化し、厳罰化すれば良い。

残りの課題需給ギャップを減らすことだけだが、これは需給ギャップを拡大させる行為に負のインセンティブを与えれば良い。二股不倫などの行為だ。

姦通罪を復活させ、男女平等適用する。二股刑事罰にしても良いかもしれない。現在結婚前のお付き合いには法制度が全くないが、婚姻の前段階の関係を法的に認め、税金給付金などのインセンティブを与え、二股などの行為不倫に準じるものとして厳しく取り締まれば良い。法的に認められていない関係のものが性行為を行うことを法律禁止してもいいだろう。一夜限りの関係で満足し、特定相手を持たないような人が特定相手を見つける誘引になる。

これら全ての対策を行えば、恋愛市場参入者が増え(最初から参入しないものが減り)、需給ギャップが小さくなり(あまり者が減る)、インセンティブのために妥協して相手を見つけるものが増える(魅力がないために相手が見つけられない、妥協したくないために相手を見つけない者が減る)。

ついでに性犯罪も減るし、少子化対策にもなる。

2018-03-26

anond:20180326153124

中世ファンタジーなら騎士道精神でいいのでは

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/騎士道

特に貴婦人への献身は多くの騎士道物語にも取上げられた。宮廷的愛(courtly love)とは騎士貴婦人を崇拝し、奉仕を行うことであった。相手貴婦人主君の妻など既婚者の場合もあり、肉体的な愛ではなく、精神的な結びつきが重要とされた。騎士側の非姦通的崇拝は騎士道的愛だが、一方、貴婦人からの導きを求めつつ崇拝するのが宮廷的至純愛である

騎士道西欧の社交術にも影響を与えた。例としてレディーファーストが挙げられる。

2018-03-03

恋愛市場において私はオケラだった

 平成の世に青森山村で生を受け、田舎者としてのアイデンティティを育みながら高校卒業。現役で都内大学文系学部入学し、初めて覚えたお酒タバコ麻雀に塗れて遊び呆けること4年、かつて純朴たる津軽っ子だった私は3度目の留年危機に晒され、平穏無事に3度目の留年が確定したのが、つい先月のことだった。

 

 入学時、私が胸に抱いていた”憧れの大学生活”とは、椎名誠作品に見られる”酒に振り回される共同生活”や、森見登美彦作品のような、”汚い豚小屋みたいな下宿”に住まうことであって、このように退廃的な大学生活を希求して一人暮らしを始めてしまったが故に、大学単位はことごとく落とし続け、すべからく留年を3度、他人から見たら紛れもない奇行に突っ走る人間となってしまった。しか自分でさえこ行為を”そろそろヤバイな”と感じ始めたのは、精神的な成長の一歩と数えて片付けるよりは、むしろ目の前にある現実的な要因を検討するべきであり、その要因とは単純明快自分と同期の女の子、つまり今年卒業する女の子に愛の告白を断られたかであるしかも2人。

 

 恋の終わりの始まりは1ヶ月前に遡る。春休みに入ってから、いよいよ卒業する同期の友人たちの事を考えていたら、お互いが学生であるというまたとない機会に一度飲むべきとの結論にたどり着き、この4年間何がしかの付き合いがあった友人たちに”酒を飲もう”と、DM配達員ばりに無差別メールを送りつけた。多様な返事、または声無き返事が返ってきた中で、”暇なお前を相手にする時間は無いよ”と、事実暇な私に対する軽蔑を露わにする内容もあれば、”暇だけどいいや”と、私への嫌悪を隠そうともしない内容までもあった。そんな辛辣電子のやり取りにおいて、慈善事業の一環なのか、この私と酒を酌み交わしたいと申し出る者も数名いた。ありがとうありがとう。君らだけが友人だ。では飲もうじゃないかと、ここ1ヶ月間、相手を代わる代わる酒宴を開いていた中で――20代前半の青っちい我らである若い男女が杯を重ねれば当然のように――情事は常に避けられない。この1ヶ月、何度かの姦通があり――これもまた必然――、男女が淡い恋の色を見出すこともあった。一度ならず、二度。つまり、私はこの1ヶ月の間で二度の恋を経たのだった。そして、既に明かしているが、二度フラれた。

 

 恋の遍歴に関しては誰も興味無いだろうし、思い出すだけで地獄業火のような苦しみに焼かれるので、端折って私が敗北を喫した台詞まで飛ぼう。それは、二人とも――まるで示し合わせたかのように――、全く同じ文言で――ホントに示し合わせたんじゃないだろうかと疑うほど――、「増田君、卒業するの3年後でしょ?私そんなに待てないから、ごめん」と。なんという悲劇!私が自ら求めて送った退廃的な学生生活の終着点は、モテないという事実だったのか!一人目まではよかった。仕方あるまい、次に進もうと、滑稽なまでに楽観的な自分を保つことが出来た。しかし二人目まで同様の言葉を吐いた時にはもう、私の精神は切り刻まれバラバラになり、じっくりコトコト煮込まれて、三留陰気クソ野郎シチューが完成した。こんなドロッドロで塩っ辛いシチューを食べたがるバカ舌の妖女は今後現れるのだろうか。私は二人から留年理由にフラれたことによって、自分恋愛市場における価値の低さをようやく認識するに至ったのだった。

 

 ”留年たからフラれた”というのは本質的には”将来性が無いからフラれた”という事実に直結している。確かに私は”将来性”なんてなんの根拠も無い信仰みたいなものしか無いと考え、”俺は今なんだよ”とツッパリ続け、この4年間、それを育む行為を一切放逐した生活を送ってきた。この事実は自認しているのだが、まさかこんなにも早く、”将来性”のビハインドが影響する年齢に達するとは想像もしていなかった。三留って世間的に見てかなりヤバイんだなと自認するには二度の恋の敗北が無ければあり得なかったというのも、またヤバイのだが。

 

 恋愛市場非情な一面とは、同年代の男女の需給が年齢によって一致しないところである。男はいつまでも恋を求めるが、女性はそうではない。どこだかの著名な先生が言っていたが、女性大学卒業するタイミングで、男を評価する視点を”恋愛から婚活”へとスライドするらしい。すなわち男に求める要素が変化する。それも驚異的に。私がここまで絶望しているのは、奔放な大学生活において比較モテる立場にあったのが、加齢に伴う恋愛市場の変容によって、唐突オケラ級にモテない立場にすり替わったかである。未だに自分モテると信じたいのが本音だが、実際に同期の女の子からしたら、私はオケラだ。彼女からしたら、将来性なんて一ミリも感じないだろう。私も感じていないのだから

 

 私は高をくくった羽ばたく鳥であったが、恋愛市場の神の見えざる手は飛ぶ鳥をはたき落として、地面にめり込んだ私は三留オケラ野郎として慎ましく穴でも掘って生きていくことを余儀なくされている。人生つら。

2018-02-06

anond:20180206142809

極論もなにも始めから中世との比較で話ししてますから

それを極論と言われても何が?って感じです

自分はさっきからずっと過去から現在進歩してきた、進歩してきている最中ということを言ってて

例えば現代不倫に関する法や社会通念は明治期の男女不平等姦通罪より進歩してるはずです

また姦通罪も江戸期の状況よりはまだマシです

そういう流れを女性権利に絡めて話ししてますが何か間違えてますかね?

どう考えても姦通罪の方が女性に不利だと思います

2017-12-19

anond:20171219190225

聖書の話は姦通の罪を犯した女を石打刑にしようとしてる時の言葉

まり石を投げようとしていた人々は女から直接被害を受けた人じゃないんだよね

2017-05-12

俺が考えた最強の表現規制法案

まず児童ポルノ二次三次を問わず禁止な、設定上ではなく20歳未満に見える創作物はすべて単純所持でアウト

罪のない児童性犯罪被害から守らなくちゃならないからな

ただし6歳以上14歳未満かつ実在しない男性であれば25歳以上の女性との組み合わせに限ってセーフ

あと痴漢レイプセクハラ暴力売買春描写犯罪助長するから禁止

ただし加害者が25歳以上の女性被害者が6歳以上14歳未満かつ実在しない男性であれば例外的にセーフとする

それから姦通・援交・いじめ近親相姦描写社会の秩序を乱すから禁止

ただし近親相姦当事者に6歳以上14歳未満かつ実在しない男性が含まれていれば例外的にセーフ

やっぱ創作物性犯罪に与える影響は大きいからな、性犯罪を防ぐためには厳しい規制もやむを得ないよな

次の国会でこれ通しといて、はい、ヨロシクゥ

2016-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20160521040953

三省堂大辞林より

わ かん [0] 【和姦▼】

男女の合意の上での姦通。 ↔ 強姦(ごうかん)

2016-03-26

そんなに不倫が嫌いなら

姦通罪を復活させるべき。ただし、旧刑法規定をそのまま復活させるわけにはいかないので、

男女双方に姦通罪は適用されるものとする。

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