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はてなキーワード: 一次資料とは

2019-05-11

anond:20190511125053

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:信頼できる情報源&oldid=42902310#.E6.83.85.E5.A0.B1.E6.BA.90 

一般に、ウィキペディア記事一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。ウィキペディア記事一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版から公刊されている場合だけです。例えば書記官によって公刊された公判記録、編纂された全集の中に登場する歴史文書といったものがこれにあたります。信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。Wikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:検証可能性をご覧ください。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2018-12-08

安倍政権北方領土問題への取り組みが個人的評価できる理由

まず前提として、安倍政権歯舞諸島色丹島二島返還ロシアとの領土問題を決着させ平和条約を結ぼうとしている、ものとする。

二島返還論はそれなりの根拠がある。

1. 日本サンフランシスコ講和会議で択捉と国後を放棄している。よく言われる、「ソ連勝手宣戦布告して占領されてそのまま返ってきていない」というのは間違い。戦後処理を経て放棄している。

2. 逆に歯舞諸島色丹島戦後処理を経ていないので、未だ占領状態と言える。なので1955年から平和条約交渉とその予備交渉において、ソ連は一貫してこの二島返還するつもりでいた。

3. 上の平和条約交渉が最終的に頓挫したのはご承知の通り。最大の問題日本側が予備交渉の当初から歯舞諸島色丹島に加えて何故か択捉島国後島の四島返還にこだわったかである

4. 鳩山一郎内閣が四島返還にこだわったのは、主に国民への人気取りのため。「ダレス恫喝」は平和条約交渉間内に起こったとされる出来事であり、大した影響はなかった。そもそも事実かも怪しい。

5. 日ソ共同宣言後も日本面子を守るために北方四島日本固有の領土とする立場を堅持している。ソ連ロシアとの平和条約締結は未だならず

ここでスーパーリベラル安倍政権の出番である国内歴史的な経緯や面子無視して二島返還に舵を切ることができる安倍政権はとても評価できると思う。

## 追記

出典がなかった。

本文中の安倍政権評価鳩山一郎が四島返還にこだわった理由脆弱政権基盤を維持するための人気取りという推測は俺のものである

それ以外は「日ソ国交回復秘録」にもとづく。この本は日ソ共同宣言までの予備交渉と本交渉において全権大使を務めた松本俊一の回顧録注釈をつけたものである原本は「ダレス恫喝」の唯一の一次資料でもあるらしい。

2018-10-21

左翼ってミリタリ知識無いと三流だよね

太平洋戦争一次資料とか調べるのにミリタリ知識は不可欠なんで、自然と身につくんだけどね。

ネトウヨとの論争で、そう言った調べもの他人任せな奴が、ミリタリ知識持ってる奴や軍オタなんて軍国主義者とか言い出すのほんとクソ

2018-10-03

ゲンロン8のアレ

仕事中に酔っぱらないながら書いてるので読みにくいのはごめん。

ゲンロンDISってるブクマカそもそもこの聳え立つクソを読んだのかという話であって。オレは三度読んだ。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vSxI1scGmktUg6hqZoT-qbqdWAJvKMuwtCxm5xW4O2zRQmeCB_PfB120JT_7dg7T4hpBvZiBBcXSg_O/pubhtml

ブクマカ論調から見て、全部読んだ人一割もいないでしょうこれ。

かにゲンロン側の事実誤認もそこそこあって、それについての指摘はするべきなんだけど、それ以上に相当数のお気持ち表明や言葉尻を捉えるような話が含まれていて、電ファミ仕事しろよ感がすごい。
というか、指摘者が偉いので質問妥当性とかライターが指摘できないんだろうなとは思うけど。
(この辺SFオタクに似た「レア(と言われる)な情報アクセスできるオタクを上位とするヒエラルキー」的な話にも繋がると思うけど割愛で)
あと、すでに相当数ツッコミ入ってると思うけど、電ファミ指摘側の事実誤認も多少ある。ストIIの開発経緯とか俺でも知ってるぞ。ストIの続編でファイナルファイト出したらオモシロイケド、コレジャナイ!って言われて慌てて(というか短期間で?)作ったとか。

雑誌引けっていうブコメ散見されるけど、ゲーム雑誌メーカー広報が嘘流すので当てにならんです。
(ついでに言うと、ゲームスタッフロールもよく嘘混ざってる&適当&引き抜き防止のペンネームで書く場合があるので、開発者の同定とかもなかなか難しい。)
同一人物インタビューも時期がズレると矛盾する内容ある。某氏が指摘してるけど、アカデミック研究には使えた代物じゃないです。関係者へのヒヤリングをした上で資料読み込んで比較する必要あるんですけど、まだ日本ではそういう研究してる人殆どいないですよね。まだ資料集めに終始してる段階。

まともなゲーム歴史資料は残ってない(一時期一次資料的な扱いを受けた電子立国のアレさ加減とか)、雑誌ダメゲームライター世代断絶がある、となると、メーカーに近い人間以外は基本、日本ゲーム歴史を正しくたどるのは不可能なんすよ。マジで
こういう背景の中で、ゲンロン側の人(とくにひらがなの人)あたりはよくやってるとは思いますけどね。もう少しマイルドな指摘にして、ゲーム好き側の人が一緒にやっていこう的な流れにならなかったのはとても残念。

海外ゲーム歴史が割とちゃんと整備されているのは、この辺の文化の違いが大きいと思うのだけど、よく知らんので誰か教えてください。

2018-02-22

川端裕人さんの記事古代日本マングローブ分布状況について調べる。

日本全国にマングローブ林がかつて広がっていたと言っていたが、日本(本州)とか日本(北海道を除く)とかよくある話で。津軽海峡は遠い。

はてさて、マングローブ一種であるヒルギの花粉化石は全国津々浦々から出土し、最北端だと岩手県の地層からも見つかっているそうな。

マングローブ林の植生に沿う形で亜熱帯性の干潟に生息する二枚貝や巻き貝ならさら北海道でも確認されているらしい。花粉は見つかってないけど、生息できる干潟もあるし一次資料発見が望まれる。

日本全国にマングローブ林がかつて広がっていたと言っていいだろう。日本(北海道を除く)とかじゃなくて良かった。それだけ。

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-06-28

とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話」とねとらぼ対応

https://togetter.com/search?q=%E4%BD%90%E5%80%89%E8%89%B2&t=q (参考)

一部でも話題になった色紙1600枚事件(そんな風に世間で呼ばれてるかどうかは知らない)の当事者である佐倉色氏の描いたエッセイ漫画を読んだ。

というのもたまたまトゥギャッターねとらぼ反論記事に関するまとめを見て本分に何が描かれていたのか興味が出たから。

問題記事だけだと何があったのかさっぱりだし、周囲の反応も漫画の方を読まずにあっちが悪いこっちが悪いと勝手な推論を言ってる人が多くてこりゃあ漫画の方も読まないと何がなんだかわからないぞぅということで即購入。本の内容自体面白そう(笑える方面じゃなくて好奇心を刺激される感じで)だったので。

で、読んだ感想としてはまあ色々ある。編集者さんヤバイなとか。

ただそのあたりは正直一般的感想として出尽くしているので、今回は場外乱闘的な部分であるねとらぼとのあれそれに絞って言う。ねとらぼという会社としてはともかく問題記事作成した個人の方とはあまり関わりあいになりたくないなあという結論

問題記事を「整然とした反論だ」と言っている人を見かけたけど、別に整然とはしてない。主張そのもの理解やすいけど。

おおまかな経緯

漫画家兼業作家)の佐倉氏は、当時の担当であるボーノ氏(仮名)との間にトラブルがあり、精神的にかなり疲弊していた。(このトラブル顛末をまとめたのがタイトルにも入れてるエッセイ漫画

そして編集とのトラブル疲弊していた時期に起きた「本来問題とは直接的に関係があるわけではないけれど、関連して起こったプチ騒動」がねとらぼの件になる。

佐倉氏は度重なるストレスから自身ツイッターブログで「色々あって疲れたので(今回問題にする部分とは関係ないので詳細は省く)商業から暫く距離を置くつもりでいる」という話をした。それを見たねとらぼ側が『「桜色フレンズ」の佐倉先生商業マンガ家引退を表明 月刊少年エース担当者とのいざこざが原因』というタイトル記事にした。

佐倉氏は該当の記事に関して不満があり、直接電話意見することになった結果、最終的に該当記事については削除されるに至った、というのがまあごく完結で客観的事実と言えると思う。

今回エッセイ漫画の中で騒動中の一幕としてこのねとらぼ記事や実際のやり取りに関する話題も触れられており、ねとらぼ側はそれに対して「事実と違う」と反論記事を上げた、という流れ。

佐倉氏の主張について

参考にできるものリンクできるところにないため解説。これは実際の漫画を読んで自分なりに解釈した内容になるので、気になる人は一次資料になる漫画を読んでもらった方が早いとは思う。

そもそもとして佐倉氏がねとらぼ記事に気が付いたのはボーノから電話によってであり、彼と話をしながらサイト記事を読んでいた状況であることが描写されている。ここは割と重要

まず、佐倉自身自分ブログでの発言について当時の心労や混乱、なるべく穏便に事を済ませたいといった様々な思惑から『「批判」と「フォロー」 「辞める」と「辞めない」が入り混じった不思議文章を書綴っていた』としていて、本人自身が分かりにくい点のある文章だったと認めている。

その上で、言いたかったことは『商業撤退。少なくとも当分はこりごり。もし縁があったら商業復帰したいけど当分は休みたい』であるとしている。

だが、ねとらぼ記事ではタイトルインパクトの強さや記事の要約の仕方から、この記事では本意が伝わらないだろう、ブログを読めば分かってもらえるだろうが記事を見た人がわざわざブログまで確認することは少ないだろうと判断

(補足:この時点で佐倉氏には「記者の人は本当に自分ブログを読み込んだのだろうか」「ざっと呼んだだけでセンセーショナル話題からと大雑把な纏め方をされたのではないか」といった不信感があったのでは?と思われる。)

また、ナイーブ話題であるのにブログ記事だけを元にされていて、発言の裏にどんな意図があったのか、ブログ記事事実なのか、といった詳細を確認しなかった、佐倉氏とは直接コンタクトを取ろうとしなかった点について『本人に事実確認もせず記事にする』と認識している。(補足:出だしの時点でねとらぼに対してよい印象を持っていなかったことがわかる)

こうして記事に対して不満を抱えていたところに、ボーノ氏がブログ掲載していた画像を使っていたことについてほのめかし、著作権に明るくない佐倉氏の画像を使ってよいものなのかという疑問に対して『普通にナシですよ』と発言

(補足:著作権的に引用範囲であれば無断で画像を使っても問題ない。問題画像引用範囲だと認められるかどうかはそれこそ権利に詳しくないと難しい、素人では判断ができないのではないかと思う。が、逆にそんなものを「普通にナシ」と軽々しく言ってしまえるあたりボーノ氏も著作権に明るくないと思われる。)

さらに補足:この適当説明のせいで佐倉氏はねとらぼに対して「人の真意を汲み取らずおざなりな要約記事掲載した上に普通にナシである画像転載までしたのか」とマイナスの印象を強めたと思われる)

そんな中で佐倉氏はボーノ氏にお願いされた「画像の取り下げ」(本人としても下げて欲しかったとは思う)を依頼するために直接ねとらぼ電話

(補足:佐倉氏がまず気にしていたのは大げさなタイトル記事だけでは氏の真意を汲み取れないことだったので、目的である画像取り下げとは別に個人の思惑として記事のものについてもどうにかして欲しいという思いはあったと推測できる)

会話の内容については

という流れだったとしている。

なお、折り返しの連絡を待っている間の描写の中には明らかに焦点のおかし自身の絵や、善意の気づかい言葉すら悪意に取ってしまうほど追い詰められていた、と自身が正常ではなかったことの説明も含まれている。

(補足:つまりこの時点で、電話の時も作者が冷静ではなかったことが読者に伺えるつくりになっている)

折り返しの連絡は編集長から最初電話をした人とは別人)であり、「許可は取っていない。今回の記事は削除する。しか記事タイトルは残す」という内容。

それに対して佐倉氏は漫画内で『私の希望無断転載された画像の削除と事実と違うタイトルの変更です』としている。

(補足:最初電話の部分ではタイトル変更を希望したということは描写されていない。タイトルを誇張だと認識していることは描写されている。)

しかこちらの主張は聞いてもらえず「(記事は消すが)画像無断転載ではない」ということを何度も言われ、『半ば怒鳴りつけるような強い口調』だったと描写されている。

画像の利用については佐倉氏の認識としてはお礼漫画(2ページ)全部を丸々掲載されたという状況で、これが無断転載でなければ何なんだろうと疑問に思っている。

また、記事の削除理由として佐倉から要請があったためと説明すると再三確認され、最終的に一方的電話を切られた、という流れだったとしている。

(補足:佐倉氏は名前を出すことを再三確認されることの理由がわからず、もしかして脅されているのではと受け取った)

そして記事は削除されました、という流れでねとらぼに関する描写はだいたいこのくらいだと思う。

ねとらぼの主張について

これは全文参照できるので直接見るのが早い。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/10/news018.html

あえて重要と感じた部分を要約すれば

画像は一部使用であり2ページ丸々使ったという事実はない

電話の内容として書かれている部分が事実と違う

といったあたり。

ねとらぼ佐倉氏の共通認識事実とみなしていいだろう部分)について
食い違ってる部分についての勝手想像について

これらを確認した上での個人的な推測を述べる(もしかたらこういうことなのではないかという話でこれが真実だと言うつもりはもちろんない)。

まず、前提として確たる証拠が出ておらずどちらも当時の記憶を頼りに話しているのだろう、という判断しかできない以上、どちらの発言も「主観的事実に基づいたものであり、一定事実性はあるけれど真実を語っているわけではない」と考える。

まず、佐倉氏はねとらぼ電話をした。主目的としてはもちろん依頼された「画像の取り下げ」である

しかし、氏はねとらぼ編集部に対してかなりマイナス印象を持っており、個人的には画像の取り下げよりもこちらの意図が伝わらないと思われる記事の内容の方が問題だった。

そしてまず記事の作者と話をした。話の内容として恐らく

(2)佐倉氏は次のように主張しました。「1:自分に断りなく記事掲載されている」「2:画像無断転載である」「3:文章ブログから無断転載である

ここは間違っていないと思う。漫画での主張(会話の内容としてと言うよりは本人の認識部分)とも一致しているからだ。

そもそも漫画会話内容は実際の会話の要約だと思われる(あんな短い会話で話が済んだわけがないと思うので)だろうから、全体としてまとめたらそういう話にはなるだろう。

ではその主張を元にどのような会話が繰り広げられたのか。

繰り返すが本人も認める通り佐倉氏は著作権に詳しくなく、編集部として直接取材はしていないことも画像の利用に許可を取っていないことも認めている。であれば「裏取りもせずに勝手画像を使ったと認めるんですね。であればこちらに断りなく使用した画像を消去して下さい」と依頼して何の不思議もない。それが主目的だし。

ただ、ここで画像に絞って主張したかはかなり怪しい。繰り返すがボーノ氏の希望である画像の削除とは別に作者自身希望として記事内容のものに不満があったのだから

というか二度目の電話の時にタイトル修正希望だと言っているので、一度目の電話の時に画像の削除と一緒にタイトル修正も主張したと考えた方が妥当

で、無断利用したものを消して欲しい、という希望に対して、もし仮に「いやこれは著作権的にこれこれこういう理由別にさなくてもいいものなんですよー」とか「今回の記事転載ではなくて引用範囲なのでー」という話になったのであれば別だが、ねとらぼ側の主張を見るにそういった説明をしたという記述はない。あくまで「事実から報道したまで」「転載はしていない」という主張である

無断で利用したことを問題視しているのに、「そうですね無断です」と言えば「じゃあどうにかしろよ」と言われるのはある意味当然の流れでしかない。

ここで「無断ではあるが無断であることは問題にはならない」ということを説明できれば話は違ったかもしれない(佐倉氏が冷静ではなかったのでその説明に納得してもらえたかどうかは分からない)が、ねとらぼの主張ではそれを説明したようには見えない。こじれるのも残当である。(文面と漫画だけで判断するなら)

「無断で使ってるんだから消して下さい」(誤った著作権への認識と心労による疲弊による主張)→「事実を書いただけです。転載はしていません」(引用なので法的に問題はない)→「いや、さっき確認取ってないって言いましたよね?なんで消せないんですか?」(法的に問題ないことの詳しい説明がなされないため主張の意味が分からない)→「いやですから転載をしたわけではないので……」(著作権には違反していない)

といったような堂々巡りがあったのではないだろうか。それならお互いに「話が通じない」という認識になるだろう。

あと、電話内容の(4)についてだが、「商業引退ではないのか」と聞いても作者は「いや距離を置くだけって書いてあるやん」としか思わなかったのではないだろうか。佐倉氏の言う真相とはもっとブログに書かれていない情報を引きだそうとする努力はないのか、編集者の行動が事実だったのかの確認はしないのか(漫画で「漫画家一方的な主張を元に記事にするの?」という疑問を持っていた)という意味である可能性があるので、この部分は認識の違いのような気がする。

記事自体の削除云々については、佐倉自身記事の内容そのもの問題視していた(事実とは異なる、誇張された表現だという認識)ので、その認識からくる発言記事の削除を求めるものだと受け取れるものであった可能性は高いと思う。

ねとらぼ対応問題はあったのか

疲弊してパニックを起こしている作者から電凸である。口調も実際は漫画であるような冷静な口調と考えるよりは興奮してそれなりの語気だったと考える方が自然。なので編集部が「この人話が通じないな」とおざなり対応になってしまったとしても仕方ないというか割と当然だし、間違った認識を元に問い合わせている作者に対してわざわざ間違いを訂正する必要もない。

よってねとらぼ対応は「間違ってはいない」し、仮に漫画の内容が正しくてもねとらぼ側に不利益な内容であれば当然反論する権利はある。

ただ、「漫画家編集者確執を取り扱った記事を裏取りせずに記事にした(電話取材は行ったが不在で話せなかったため漫画家ブログという片方の主張しか確認できない状況なのに記事を即公開した)」のに「当人が当時の精神状況は異常だったと再三繰り返しているエッセイ漫画での記述については事実関係が違うが裏取りはしたのかと反論する」のはなんともダブスタ構造だなぁと思った。(そして漫画家発言一次ソースとして掲載しました、編集者側の発言取材できなかったけど事実報道なので問題はないです、とするならそれこそ飛鳥新社の主張と何も違わないのでは?)

のでねとらぼ編集者ダブスタな人たちなんだなぁと個人的に感じた、という話。

2016-12-12

誰かアフィまとめキュレーションを徹底的に避けたgoogleに代わる検索エンジン作れない?

・アフィ対策

文面がかなり似通った感じになるので自然言語処理クラスタ化してまるごと排除

まとめサイト対策

まとめ先が時系列で先行してることが確定できていたら除外

趣味まとめ系は結構有用なのが少し悩むが…

キュレーションサイト対策

同上

記事類似性から時系列的に先行してる一次資料特定できる場合自動的に除外

2016-05-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352

音楽」と「音楽学」はまったく違うってみんな分かってる?

あと音楽学って人文科学系の学問のなかでも専門性も身につけにくくて、なにかときつい分野だよ。

音楽学というと音楽家についての研究作曲家、曲など)や音楽史(音楽ジャンルの変化など)が多くて、がんばってる人だと一次資料を読み解く労力と能力がすごかったり、まだ生きてる題材(作曲家や団体など)に対して情報を足で稼ぎまくっていてすごい人はすごい。

だけど、分野全体が文系研究分野の古いところが色濃く残っていて、大多数の(修士以上の学生の)研究一般化と論証がすごく弱い。文系研究で発生しやすい悪い部分が出まくったような研究がほんとうにが多い。

工学系あたりの手順をちゃんと踏んだ修士以上の研究なら、どんな人のでもある程度形になっていると思う。けど音楽学ってその手順の部分が弱く(ie. 身につけにくい、古くてアップデートされていない)、どうにもならない人が発生しやすいと思うよ。

2016-01-16

ネットにたくさんいる一次資料厨について

そもそもお前の能力じゃ一次資料プロ研究者が読み解いた以上のもの読めねーだろっていつも思う。

素直に、指くわえて黙って働いてなさい。

2015-08-09

ウィキペディア作るなってことか?

あるタレントさんのウィキペディアを新設したところ、修正が入っていた。

中身の修正は全くなく、出典の明記しろとか、単一出典だから困るとか、一次資料だけしかない、独自研究だろそれ、

特筆性あんのかゴルア、宣伝じゃねえか?というテンプレけが貼られてて心が折れてる。

まあ、そこそこ名前が出て来たから作ったらこんな仕打ちかよ。

しかしたら、そのタレントさんへのやっかみでああいテンプレ貼ってくれって頼んだ可能性もあるよな。

てか、もしああいテンプレ貼るくらいなら彼女と同じ事務所の他の子にもすべて貼れよボケが。

2015-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20150517171218

言い方がまずかったかな、みんなできないんじゃなくて、大学に入ったら大学勉強をするんだよ、って話をしてるんだよ。

英語だったら留学して語学能力を高めるとか、英語でも国語でもそこから発展して、専攻について一次資料をあたる能力を身につけるとか、「先に進んでる」んだよ。文系なら増田以上にTOEICの点数を高める人も、F欄でもいくらでもいるだろう。

増田はさ、文系エリートについて問われると「でも俺は文系より数学できる」って答えるし、理系や他全般について問われると「俺はTOEICが」って答えるけど、そこは別に誰も否定してない、否定してないが、大学行って就職して収入を得てる人間と比べて、それらの資格を持ってるから帳消しになる、ってどういう根拠で考えてるんだ?

社会的に見たら、無職空白期間が長くて多重債務者であるってことがほぼ障害者並みのハンデであることについてどう思ってるんだ?

2015-05-11

日本研究者が死んだ日

先日187名の日本研究者からある声明が出された。

以下の声明である

https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf

昨今の民族主義からくる争いに釘を刺し、日本の歴史家を賛美する内容・・・

なのかもしれない。

なのかもしれないというのはこの声明があまりにも不明瞭でいったい何を言いたいのかよくわからないからだ。

その結果としてこの声明は早速東洋経済記事朝鮮日報といった新聞社からそれぞれまたく違った角度で語られることになる。

残念ながら更なる争いを生むだけの特に意味のない声明となってしまった。

しかし、この声明のもっと重要な点はそこではない。

彼らが歴史について資料証言重要視することなくある種のイデオロギーに沿って考えなければならないと自ら表明してしまったことである

まり一次資料にあたることや生存者の重要証言などどうでもよい、と言っておきながら一方では偏見なき清算をというわけのわからないことになってしまっているのだ。

彼らは自らの出した矛盾に気づいているのだろうか。

あの声明を出したその日に彼ら187名は日本研究者として死んだのだ。

2015-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20150324095137

必ず一次資料にあたって万が一間違っていたら切腹する覚悟のあるやつしか発言しちゃだめだよな。

2014-10-28

文系馬鹿じゃないです。

今は一次資料よりも二次資料(二次創作物)の先行研究資料として挙げてるのが多いですね。

例えば、ある先行研究があってそれに対してある学者が甲であると主張するのに対して他の学者は乙であるという主張がなされている、

といった塩梅繋ぎ合わされてる論文基本的に多いです。

昔と違って大学図書館などで比較的入手しやす二次資料(学会誌機関誌掲載される論文など)の方が、研究論文執筆する上で楽だからというのがあります

重要なのは、「一次資料を照らし合わせ、その資料の正しさも検討し、それぞれの議論検討した上で、妥当結論を下す」といった作業だ。

概ねそうなのだけれど、問題は「結果があって過程を導き出すのが文系」という事に尽きると思います

要するに、どうしてこの結果になったのかを調べるというスタンスなんで、一概に「議論検討してから妥当結論を下す」が文系の作業とは言えません。

結果そうなってしまった、あるいはそうに違いないという推定がなされるので妥当かどうかというよりもまず結論を下す事に重きがあるように感じます

理系はむしろこういった曖昧さを捨てるので、さも確りと結論を下すように思いがちですが、その反面完璧な結果を求めすぎるためにその過程を疎かにする事があります

その例が小保方晴子です。

文系は逆に過程完璧であり過ぎるために結果が曖昧になりがちなのです。

それは過程である一次資料二次資料曖昧であるため、起こってしまうのです。

歴史は勝者の手によって作られるので矛盾が生じるためです。

そのため文系から理系からというのを突き詰めて考えるのはナンセンスです。

どちらもメリットデメリット存在します。

さて、自称文系についてなのですが、彼らは厳密には文系に属さないと考えます

彼らはどちらかといえば根性論精神論を全面に出していく体育会系タイプであります

こうすれば結果が良くなる、但し検証はしていない。だが大丈夫だ、俺が言うんだから間違いないといった、

彼らの経験則が土台にあるからで、文系理系が取り柄とする結果や過程完璧さを考慮しない所に体育会系の愚かさがあります

自称文系というのはあくま理系文系という二体系の中で妥当と思われる所に宛がわれたに過ぎません。

故に自称文系というのは誤りだと考えます

体育会系は結果や過程など気にしない生き物なので、文系のように過程に重きを為す学問には当てはまりません。

そのため馬鹿、もとい自称文系にはもっと適した体系に置くべきでしょう。

すなわち「自称文系」は、体育会系という文系理系に属さない第三の体系に組み込むべきだと私は思います

http://anond.hatelabo.jp/20141027193045

2014-10-27

無能文系っぽい人

無駄文系コンプレックスをこじらせている人ほど、文系学部必要ないと言い出す。

そして、その多くの「自称文系」は、文系としてもダメなことが多い。

確かに理系学部は、実社会における工学的な技術の基礎になっていて、実用的な印象になっているのは否めない。

けれど、それってその人が無能から役に立ってないというだけで、文系学問手法が役に立たないというわけではない。

恐らく、理系場合

  1. 仮説
  2. 行事例を研究する
  3. 実験
  4. データ検証
  5. 仮設へのフィードバック

という考え方を基礎としている。

実験において大切なのは再現性である。同じ手順、同じ環境を元にすれば、同じ結果が得られるということが大切だ。

しかし、歴史であったり、社会的問題、また文学に関しては、あまり再現性を前提とすることが出来ない。まず同じ環境を準備することが不可能であるのは間違いない。

では、文系学問においては何をするのか。基本的には、以下のような手順を取る。

  1. 仮説
  2. 行事例を研究する
  3. 一次資料をかき集める
  4. 一次資料をつなぎ合わせて、どのような結論を導き出すのが正しいかを検討する
  5. 仮説へのフィードバック

もちろん、全ての文系学問がそうではないが、このような経路を辿ることが多いように感じる。

重要なのは、「一次資料を照らし合わせ、その資料の正しさも検討し、それぞれの議論検討した上で、妥当結論を下す」といった作業だ。

から別にコミュニケーション能力とか、そういうのが重要ではない。

みてみると、「自称文系」と名乗る人ほど、この当たり前の作業が出来ない人が多く感じる。

2014-07-15

自分勝手理屈を披露し他人の褌で金儲けしてるまとめブログについて

2chまとめブログテレビ雑誌業界で注目されて久しい。

ただ、それは極めて限定的情報源2ちゃんねるソース元に勝手理屈を披露してるに過ぎない。

自分の主張を伝えるために2ちゃんねるの大多数ある賛否の意見から自分に近い意見だけをまとめて発表するのである

なるほど、これはある意味学論や投稿論文のそれに近いが果たしてそれに信頼性とか信憑性があるかというと疑わしい。

先の学論などは賛否の意見をまとめているのに対してまとめブログ自分理屈正当化するため片方の意見しかまとめられていないからである

もともと2chまとめブログこと通称アフィブログはその呼ばれる所以が、自分意見を代弁によって(経済的にも)賄っている事である

例えば経済ニュース政治ニュースに関連して、こいつは悪だ、金の亡者だと非難しているまとめブログがあるとして筋は通っている、と仮定する。

しかしその実自分他人に拠ってアフィリエイト広告アドセンスなどで金儲けをしているのである

まとめブログテレビなどの媒体業界で賛美されればされるほど違和感が生まれるのはここにあるといえよう。

何故なら批判する事自体お金は掛からないし、掛けてはならないのである

ジャーナリズムを行うにあたってそこに既得権益が転がっていたら、自分の説を捻じ曲げてでもそこに群がるのは残念ながら必定だ。

清廉なジャーナリズムが為されるには、どうしてもそこにお金が発生しない事が条件になる。

そのため、自分意見他人の褌で代弁する事は合っても良いが、だからといって他人を利用して代弁意見で金儲けをするのは言語道断である

そこにジャーナリズムなど存在しない。

一次資料一次資料として用いられるべきで、創作されて誰かに代弁された二次資料に資料的価値がないのは当然、というのが学説上の常識なのであり、

その点では今のまとめブログ賛美は、自ら拝金主義に傾倒している事を認めているに同じである

まりまとめブログには、一つもジャーナリズムがあるわけがないし、またそれを称賛する事は称賛した本人の性質に関わる事である

故に関わるべきでない。

2013-07-05

違和感

インターネットで調べたことや流れてきた情報を、自分の目や耳で感じず、一次資料さえ探さずに、大多数の意見鵜呑みにして、異端意見は叩きのめす風潮には、違和感を感じる。

2013-06-23

レフト横浜



70 レフト横浜 [] 2013/01/28(月) 22:06:28 ID:DAkT9RmI Be:

で、ところで今回の原発爆発で放射能汚染で誰か死人が出たか

日本が本当に放射能で汚染された時期は1960年代だ。その頃に比べれば

今の放射能問題なんてゼロだ!

ソース自分で調べろ、一次資料とかソースなんてものはオレは信用しない。

懐疑はコテ通り懐疑を貫け、ただお前のケンヂ君へのレスは見識が浅すぎる。

社会人やったことないだろ、お前?

つか、福利厚生のちゃんとした会社で働いた事ないだろ?

タコ部屋所属かw



原子力発電所

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1358943673/

2013-03-03

レフト横浜「今回の原発爆発で放射能汚染で誰か死人が出たか?」


70 レフト横浜 [] 2013/01/28(月) 22:06:28 ID:DAkT9RmI Be:


巷で反とか脱とか言う前の遥か以前から、オレは原発には反対だった。

理由はガチガチ利権とやたら放射能に対する恐怖心を煽って社会を欺いてるからな。

手配師 原発」で検索してみろ。


綺麗な綺麗な東電様がこんな汚くて阿漕な人員手配をし、国と一体とな

って血税を吸い上げている。もちろん、汚れ仕事893が引き受けてる。

で、ところで今回の原発爆発で放射能汚染で誰か死人が出たか

日本が本当に放射能で汚染された時期は1960年代だ。その頃に比べれば

今の放射能問題なんてゼロだ!


ソース自分で調べろ、一次資料とかソースなんてものはオレは信用しない。

懐疑はコテ通り懐疑を貫け、ただお前のケンヂ君へのレスは見識が浅すぎる。

社会人やったことないだろ、お前?

つか、福利厚生のちゃんとした会社で働いた事ないだろ?

タコ部屋所属かw












原子力発電所

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1358943673/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家2【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50

2011-07-25

潜在的ナチス支持者のはてな民のみなさま、こんにちは

どうもこんにちは。重度知的障害者兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます

出生前診断で異常発見中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm

いやあ、日本って民度いねえ。ヒットラーもびっくりですよ。

まずこれ読もうね。

T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチスドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判検察側による見積もり)。(略)

この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者精神障害者組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。

T4作戦 - Wikipedia

読んだら次にいってみよう。君らが1930年代ドイツにいたとして、自分が「ナチス投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。

出生前診断中絶って違法なんですけど?

まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。

第十四条  都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一  妊娠継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体健康を著しく害するおそれのあるもの

二  暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2  前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

母体保護法

子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体危険がある場合か、貧乏で育てられないかレイプ被害の場合のみだよ。日本中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供中絶するのって違法ですからね。堕胎ですから一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。

中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者

そして倫理的にもそうだよ。胎児はいえ命は命。まさにレイプとか母体危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?

「健常者」の自分は一生「健常者」だと思ってるの?

で、ここまでは割とどうでもいい。イントロここからが本題

皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。

もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?

うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミス脳出血起こして、それでその後遺症知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイルヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。

ちなみに、メガネコンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?

障害者は生まれながらに不幸だって

で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイルヒットラー

ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。

それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロット宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは保険と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかいねハイルヒットラー

障害者を育てることなんてできないって?

あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな

謝れ。日本全国の障害者の親に謝れ。さっさと謝れ。

みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。

でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。

ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。

何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカユダヤ陰謀なんだ。ハイルヒットラー

まとめ

長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。

この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。

追記

はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。

なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供病気事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者引きこもりニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。

大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気事故に遭った子供、あるいはDQNニートが親の子供も育てられないか育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?

要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供ダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。

以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)

md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないか社会倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョ意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25

「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。

ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄児童虐待殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。

sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える

じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。

send (略)無理に育てようとして家庭一つ壊れるより中絶の方が良心的だと思う

自分子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。

p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです2011/07/25

いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。

zedosho あるいは、間引きの考え方はナチスに限らず、人類の中で脈々と受け継がれてきたものだし。(略)

虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイルヒットラー

egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。

いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから

私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。

とにかく、特定の子供に他の子供奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。

tikani_nemuru_M 個人レベル優生思想と共同体レベル優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25

そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。

fatpapa (略)障害児産まれて逃げる男親が多いのも現実2011/07/26

産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。

tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26

そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。

mujin これは完全に同意イヌときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間ときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2

愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。

annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)

くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。

junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)

じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。

FAEB 少ないコストで避けられるリスクを避けるのがそんなに批判されることか?

まり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイルヒットラー

border-dweller (略)”普通の人”ができることをできない人もいる訳だし(略)

自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。

yoko-hirom 増田自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26

それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。

Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)

自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。

orihakat-71 (略)障害児を回避しようとする親心への洞察力が無さすぎで途方に暮れる。。

「障害児を回避」というそ目的が「生存圏の確保」並に間違っているという洞察が君こそ足りてないよ。

2011-03-25

自然災害リーダー層に与える心理的インパクトについて

安政年間に起きたの連続地震が、倒幕側および幕府側にどのような心理的影響を及ぼしたのか考察した資料はないでしょうか?できれば当時の書簡などを一次資料にしているものが望ましいです

また同じく、大正時代関東大震災当時政治リーダー層及びその予備軍に与えた心理的影響の考察なども。

現在、色々なところで、影響力のある人々が色々な行動や発言をしています。今こそ甚大な自然災害リーダー層に与える心理的インパクトについて、過去に学ぶことが重要はないかと思うのです。これから日本を良い方向に導けるように。リーダーはない我々がリーダー層の動揺に惑わされないように。

リーダーと呼ばれる影響力・発言力のある人々は「心理的に動揺しないこと」「動揺を表さないこと」を良しとしていて、またフォロワーもそれを望んでいるのではないかと私は考えています。だから見えにくい。しかし今回のような危機がリーダー層に心理的に大きなインパクトを与えないはずがないと思うのです

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