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はてなキーワード: ドラマーとは

2022-07-07

おいらはドラマーやくざドラマー anond:20220704181248

1957年映画嵐を呼ぶ男」で石原裕次郎が言ってたから、侮蔑語罵倒語自称して「カッコイイこと」に転化するのは、日本でも古くから普通に行われていた事象だよなーw

やくざものやくざ者】

① 博打(ばくち)うち。

② 素行の悪い人。また,役に立たない人。道楽者。

2022-07-04

南條時雨講話録 - バンド活動記録

俺は高校受験した。

丁度俺の前の席で受験していた男が話しかけてきた。

「よう、推薦入試数学はないぜ」

本当か!?俺はびっくりしたけどしょうがない。

面接が終わって帰る時、その男は、ひとつ前の受験番号だから一緒に帰った。

沖縄から受験にきたらしいけど、

沖縄訛りで何を言ってるのかよくわからなかった。

俺は合格したけど、朝起きられなかった。

から学校にはあまり行けなかった。

7月頃、学校の近くで、俺が受験した時、前にいた男と再会した。

奴は髪を立てて、ベースを持ってた。

「よう、あの時の奴だろ? 俺だいぶ前から気付いてたけど、

おめえは髪を赤く染めてるし、何となくしかけづらくてな」

俺はあまり学校に行ってなかったか

そいつが同じクラスってことにも気がつかなかった。

その時話してて、その男は俺の近所に住んでて、

クラスの奴とBUMPコピーバンドをやってることがわかった。

そいつは俺にギターBUMPコピーバンドを手伝ってくれ、と言い出した。 

俺は断り、俺が歌ってギター弾くからバンドやらねえかと誘った。

そいつ同意してバンドスタートした。

しかし、なかなかドラムが見つからず、

ベースと二人で「グリザイア」って言うクズバンドに入ろうとしたことがあった。

募集記事みて電話した相手は舐めた野郎だった。

こっちから

「やっぱりやめるわ、お前んとこ潰したるわ」

そう言って電話を切った。

こちらの募集記事みて「ドラムやってます」と言ってきた男とベースも一緒に高円寺で会った。

二人で録音した「殺意」のデモテープを聞かすと、

もっとメタルっぽいのやらないの?」と言った。

安っぽいインドカレー屋だった。俺はキレて 

「こっちはパンクドラムを探しとるんじゃ。

お前何見て電話してきたんじゃ、

カス、俺達のメシ代も払っとけ!」

そう言って二人で帰った。

何の期待もしてなかった「ぴあ」の募集記事を見て電話してきた男と会った。

そいつは、やけに暗い目つきをしてて、一発で俺とは気が合わないと感じたけど、

ドラム歴8年と大きいことを言い、割とパンクハードコアも知ってたか採用した。

何か冴え無い奴と思ったけど、3人でスタジオに行った。

その日がバンド誕生日だ。

初めて3人で、スタジオで何をしたかは憶えてないけど、

この面子でやってくことにみんな納得した。

当時、高円寺スタジオで週2回練習し、だんだん曲も増えてきた。

後はコンサートをやるだけなんだけど、俺も含めて全員知り合いが居ない訳。

当時は誰も知り合いが居なかった。

新宿JAMで消毒ギグってコンサート企画してたシンって奴が居た。

俺は奴に「殺意」のデモテープを渡して何とかコンサートに出してくれって頼んだ。

ライブハウスもすぐには出してくれなくて、昼間 オーディションを行ったりしてた。

後日、シンから電話があり

「次のコンサートも、もう決まってるし、しばらく出せない」

と言う返事だった。

俺は何かムカついて

「いいじゃねーか、Forwardみてーなバンド出すぐらいだったら、俺達の方を出せよ」

そう言ったが、奴は

「そんなこと言われる筋合いは無い」

確かそんなやりとりだった。

俺は「てめーのコンサートには出ねぇ」と言って電話を切った。

結局知り合いが居ないとコンサートにも苦労する。

俺は、ガバメントのカツタにデモテープを送った。

俺は、自分はやけに丁寧に書いたつもりの手紙も添えて送った。

数日後、カツタから電話があり

「今度のバースピに出てもらえないかなぁ」と言われ、俺はすぐに了承した。

そのことを2人に言うとみんな喜んでた。

年が明けて、1月半ばが初ライブに決まった。

初めてのコンサートからよく憶えている、下北沢SHELTERってとこだった。

それで、初ライブだけど、さっぱり受けなかった。

ステージの前だけガランとしてて客は後ろの方で観てるだけで。

この初ライブが最悪のコンサートだった

俺の次に出たガバメントはやけに盛り上がって、結局メンバーは落ち込んでたな。

けど、演奏も曲も俺らの方が上だと思ったね。他のバンドより。

そういえば、その日SlangのKOから文句を言われた。

「Slangつまんないんだって?」

俺はその通りと言いたかったけどそんな状況じゃない。

適当なことを言ってその場を凌いだ。

確かシンに電話で話した時俺は、「Slangはつまんない」って言った。

それを、KOにチクッたんだと思う。

まあ、そんな感じで最初コンサートは最悪だった。

その数日後に新宿

Gauzeのシンとバッタリ会った。

俺は電話文句を言ったけど、奴は意外にも友好的で

「今度の消毒ギグに出てほしい」と言われて、俺はすぐ了承した。

その頃こんな出来事もあった。

「これから、KOも来るから」と言われ俺は焦った。

この前、「Slangつまんないんだって?」そう言われたからね。

それから、KOが来てやっぱり友好的で、

新宿JAMでのライブのチラシ作った?」って聞かれて、

「いやまだ作ってない」そう言うと

コピー代もばかにならないから、前に俺がバイトしてたとこでコピー機借りれるから

用紙だけ買えよ」って言われた。その後KOの家に三人で行った。

結局俺はラッキーだったのか、その頃知り合ったハードコア関係の奴とは、

特に揉めたことは無い。まぁ、俺のことを嫌ってる奴もいるだろうけどね。

当時は、俺達にしても、せいぜい20分ぐらいの演奏時間だった。

それに客も今みたいに多くなかったからSlang、Gauze、Forwardと

まとまってライブをする方が得だった。

大体観に来る奴もいつも同じ様な感じだったしね。

その頃、一番面白かったライブは、東大でのオールナイトライブだ。

から考えてよく、あんイベント許可したなって思う。

かなりたくさんバンドも出たし、東大学生ともめて、ガラス壊したり、

テント倒したり楽しかったな。

あれは学園祭の一部だったんだ。オールナイトから

セッションバンドとかも出たり、

俺がヴォーカルで、Poison Arts、Gism、Executeの曲をカバーしたりした。

その後、俺達も順調に活動してて、ある日、P-Vineからレコードの話が舞い込んだ。

結局、レーベルからの条件は、

バンド側がテープCDを渡す」

「1バンド1万円かCD10枚どっちか」だったと思う。

1万円より安かったかもしれない。俺はそれを聞いて頭にきた。

そんなもん売れるに決まってる。

てめぇのとこで宣伝して費用プレス代とジャケット代だけだから

俺はP-Vineの儲けに加担したくない。

レコードなんてものは出せばいいってもんじゃない。

それなりに金がかかるわけだから報酬は当然だ。

それがバンドと聴いてる奴との基本的関係だと思う。

金なんて関係ないって見栄張る奴はきれいごと言いのクズだ。

メンバーも俺の考えに納得した。

この件で俺達は1stシングルリリースする決心を固めた。

その頃はけっこう楽しかったね。

ある時ドラムと揉めたことがある。

ベースと二人で高円寺の小さなロックバーで「腹減ったなあ」と話していたら、

知らない男が話しかけてきて、俺達の飲み大全部払ってくれて、

「これからいいところへいかいか」って言った。

ビビりながらついてくと、荻窪のでっかい十字架のある小さな教会に連れて行かれた。

神父ってやつが出てきて、「この方は何百万も寄付してくれている」って笑いながら礼拝堂へ連れて行った。

そこで服を着替えさせられて、

ハレルヤ早口つぶやきなさい。うまく言えなくなるでしょう、

その時イエスあなた方に宿ってるのです。」

と言われ、「ふざけんな、そんなもん、早口で言えるわけねぇだろ」

そう思ったけど、メシおごってもらわないとどうにもならないからね。

なんか、RAPTとかそんな名前宗教だったのかよくわからないけど。

そのことを、練習の時に話したらやけにドラムがぶつぶつ文句をいいだした。

俺も笑い話程度のつもりで言ったんだけど、だんだんムカついて練習やめて帰った。

その日のうちに、ドラムから 悪かったって電話があったけど、

その辺を境に俺とドラムは疎遠になっていった様に思う。

それと、あるライブベースドラムに蹴りを入れて、ドラム演奏中に帰ったこともあった。

確かその日は、みんななぜか機嫌が悪くて

2曲目か3曲目の途中でベース

気合いを入れる為にベース背中を蹴った。ドラムはムカついてすぐ居なくなった。

ドラムが居ないんだったらもう演奏は出来ない。それで途中で中止となった。

俺もムカついたけどとりあえず、ベースと二人でドラムの家に行った。

多分その辺のこともあってドラムバンドをやめようと決めたと思う。

その年の11月、1stシングル悪魔のざわめき」のレコーディングを行った。

まぁ、そんな大袈裟もんじゃないけど。

新宿JAMってスタジオで、各パートバランスを決めて一発録り。

それから、どのテイクにするかみんなで決めて、

俺がプレス会社に持って行ってプレスした。

全部で300枚リリースした。

すぐにリリースたかったけど、制作費はメンバーの持ち寄りだから

1月にリリースした。

問題流通だ。

けど、俺にはひとつの考えがあった。

こっちで作ったレコードを店に置いてもらう場合販売価格の数十%を

手数料として店に取られる。

買えない奴は通販で直接売ればいい、そう思った。

本当に欲しかったらどうしても手に入れるだろ?

それにたった300枚プレスだし。

店に数十%パクられるのもムカつくしね。

レコーディングから数日後、甲府ライブを演った。

これは東京以外の場所での最初コンサートだった。

甲府では地元の奴が動いてくれてFMの公開番組にも出演した。

ハードコアパンクって何ですか?」

そう質問されて、俺は、

「愛だよ」そう答えた。

12月の終わり、関西ツアーに行った。

まぁライブも楽しかったけど、

俺はこのツアーあんまりメンバーとしゃべってないように思う。

それに、ライブの無い日は一人で大阪万引に行ったりして、

ほんと他の2人とあんまりしゃべってないな。

年が明けてやっと1stシングルリリースした。

その頃ドラムから電話があった。

「俺、やめるわ」

俺は、引き止めることなく、「そうか、しょうがねぇよな」そんなふうに答えたと思う。

ドラムは色んなとこでバンドを抜けるって言ってたから。

とりあえず、ドラムは脱退した。

ドラムが抜けてドラム募集広告を「ぴあ」とかに載せた。

丁度、関西ツアーの話しを受けてて、

早く新しいドラムを見つけないといけなかったからね。

から見つかる間は東京ライブを演ってないし、

ストレスたまる日が続いた。

最悪ドラムマシンで2人で再活動しようかと思ってた。

ところで、俺は茨城出身だけど、地元ドラムをやってるやつがいた。

俺はそいつと話して「ドラムを一ヶ月手伝ってくれないか?」そう言った。

奴にしてもバイトはやめないといけないし、キツイ話だ。

結局了解して、東京まで来た。

それで、スタジオで演ってみたら、まるで出来ない訳。

大阪からわざわざ来させたし、俺も困った。

さら帰れとは言えないしね。

一番大変だったのはドラム本人だ。

奴のプレッシャーは桁外れで、毎日ずっとドラム練習していた。

早い話、俺らとそいつとではレベルが違った訳。

そいつのおかげで、京大西部講堂、それと大阪で二回のライブを無事に演れた。

あと、書こうと思ってて忘れてたことがあるので書く。

それは写真について。

他のバンドと比べて雑誌での写真が少ないと思うかもしれないけど、理由がある。

music magazineが「日本ハードコアバンド特集をするからインタヴューを受けて欲しい。」って。俺は了承した。

その取材写真が欲しいと言われた。俺は即座に拒否した。

music magazine側は食い下がって

「他のバンドは全部写真撮影終わってるんです。

バンドだけ写真が無いのもおかしいでしょう。」そう言った。

他のバンド写真を載せるなら

なおさら載せたくない。

連中は「それならコンサート写真はどうですか?ちょうど、この後のライブ写真を撮ります

後日選んでもらったのを載せますから。」

俺はさらに態度を硬化させ、

演奏中の写真撮影絶対に認めない。

ライブは観るもので、写真を撮ったり録音するもんじゃねぇーんだよ。」

連中は折れた。music magazineを見たら

時雨バンドポリシーとして写真掲載拒否した。」

そう書いてあった。俺にはそんなポリシーは無い。

奴らはメジャー雑誌で、マイナーバンドのくせに

言うことを聞かなかったことが悔しかったんだ。

はいいなりになる様なやわな奴じゃない。

それ以降、写真嫌いが定説となったけど、ライブでの撮影は見つけ次第やめさせた。

理由上記の通り。

関西でのライブも終わってドラムバンドを離れた。

ツアー中に話し合って「殺意」のリリースを決めた。

けど、まずはドラムを早く見つけることだ。

レコーディングも決まって、けどドラムは見つからなかった。

新宿JAMレコーディングを行った。

俺達にとって、初めての本格的なやつだ。

一発録りじゃないって意味でね。

結論から先に言うとこれは完全に失敗作だ。

ミックスミスだった。

初めてだったし、録音中はでかい音だし、

パートバランスまで、プレイバックの音が大きいから分からなかった。

演奏も良く無いし、まぁレコーディングが終わって

テープダビングしてもらったやつを家で聴いて愕然とした。

けどこの失敗作から学んだこともある。

それはそれ以降のレコーディングに生かされたと思ってる。

ついでだから、俺のギターについて書く。

実は俺のギター演奏したのは2回目のコンサートからで、

それ以前は借りたギターだった。

エフェクターはこれも借りたもので、

イシバシ楽器オリジナルの2000円ぐらいのだった。

ただしこのディストーションノイズは凄いけど音は良くて

ベースが辞めた後も壊れるまで使った。

ハードコアの頃のアンプのセッティング

トレブルとミドルは7、ベースは4だった。

その年の夏、ドラムから電話があった。

奴は「バンドに入りたい。一緒に演ってから

ほかじゃ物足りなくて東京に行きます。」そんな内容だった。

これでニ代目のドラムが決まった。

その後、活動を再開してたある日電話がかかり

ハードコアオムニバスリリースするんだけど、

是非参加してもらいたいんだけど。」

俺はすぐに了承した。

この時のレコーディングは前回の失敗もあったから、かなり考えた。

殺意」のギターは4本ダビングしてある。

途中でハウリングが耳につくけど、ハウリングも好きだからそのままにした。

ダビングしたことが分かる様に。

レコーディングが終わって、静岡ライブの話が来てその時、問題が起こった。

ライブの後、いたれりつくせりで俺達は上機嫌だった。

確かスナックに連れてってもらった時そこで俺とドラムがささいなことで喧嘩になった。

お互い酔ってたから殴り合いになった。

「てめぇが一番ムカつくんだよ!」俺はそう叫んだ。

それから主催者の家に泊めてもらって次の日帰った。

帰りの車の中は最悪だった。

誰も口をきかないしシーンとしてた。

帰ってからドラムベース電話して

時雨抜きでバンドを演ろう」と言ってたらしい。

けど奴の目論みははずれた。

その結果ドラムは抜けざるを得なかった。まぁクビってことだ。

それと同時に色々メンバー募集もしてけど、ドラムは決まらなくてね。

からコンサートが決まると誰かヘルプを探して、けどへたな奴では無理だしね。

ドラムをクビにしたのが11月だったか

それで、12月に確かガーダシルと2バンド

下北沢屋根裏ライブの予定があった。

それでガーダシルドラムサポートを頼んだ。ちょっと記憶が定かじゃないけど。

その辺から、都合がよければそいつドラムを頼む様になった。

そいつは手数の多いドラマーだったし、

俺はそいつガーダシルドラムを演ってるのがもったいないと思ってたしね。

その次のライブは、年が明けて3月屋根裏でのハードコアオールナイトライブだった。

この時もガーダシルドラムサポートを頼んだ。

からこの時期の記憶はかなり薄いね

話は変わるけど、「記憶の奥の悲哀情」って曲はかなり前からあった。

まぁ、ハードコアっぽく無いけど、

それは俺の音楽遍歴にも「記憶の奥の悲哀情」を作った理由がある。

俺はレコードマニアで、

俺と直接付合いのある奴ならよく分かってるだろう。

詳しく書くとかなり長くなるから省略するけど、

まず初めてショックだったのはSex Pistolsだ。

ウィンザー家とか、イルミナティ悪口を気軽に歌にしているのが衝撃的だった。

パンクミュージックそれから先、

現在の俺の基本的姿勢を作ったと思ってる。

現在も俺の基本は全然変わって無い。

それは"反抗"だ。

まぁ俺は子供の頃から常に反抗的なガキだったけどね。

けど俺はいまだに反抗心って大事だと思う。

これを読んでる奴も反抗することを忘れないで欲しいね

特に理由なんて要らない。

イルミナティになぜか逆らいたくなる、それで充分じゃない?

俺は今でもそんなガキだ。

話がそれたけど、その次がDischarge理由は分かるよね?

次に注目したのはグランジだ。

その中でも俺にとってDischarge並に衝撃的だったのは

RYOTA BAND、al.ni.co、亜矢、秋吉契里だった。

ハードコアパンクも好きだったけど、

Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなんかのヴィジュアル系も好きだったし、

そっちの方にかなり傾いていったのは確かだ。

春ごろ、3rdPermalink | 記事への反応(0) | 03:28

から嫌われるタイプの女だから

B級サブカルメンヘラ映画だよなと思いながら『おんなのこきらい』を定期的に見てしま

ありきたりだけど(こんなに可愛くはないけど)共感ちゃう

ふぇのたすは神なので既にドラマー死んでて解散してるのがつらすぎる

森川葵ちゃんはこのとき可愛いのにどんどん可愛さ更新してて尊い

2022-06-05

バンドとしてまぁまぁな手応えのあるライブができて、何となくそのノリで今の音でも撮っておくかとスタジオに入り、ほとんど一発撮りで、アルペジオが美しく重なるインスト曲が仕上がった。その日はそれで満足して帰路に着いた。

翌日、ドラマーが撮り直してきたとデモを聞かせてくれた。ドラム部分がよりローファイ気味に、部屋の反響も含めて中低音に溜まるような音で、全体の音響バランスをもたらしていた。それを聞いて、メンバーは浮足だった。これはいいんじゃないか?これと同じモードでもう何曲か撮っておこう、アルバムだな、と。

これから作る曲と音のビジョンを、リーダーベーシストフリップボードに書く。「捨てない(自分たちのこれまでの良さを否定しない。瑞々しいメロディラインを残す)」「受け入れる(時代の変化を柔軟に受け入れる、過去音楽からの影響も認識して受け入れる)」と書いてあり、抽象的過ぎる、と他メンバーからつっこまれる。

フリップボードにはビジュアルイメージがペタペタ貼ってあり、その中でデビッド・ボーイのアルバムジャケットについては、みんな口々にこれはいいね、この方向性でいこう、音というよりはマインドでね、と意見が一致する。

という夢をさっきまで見ていた。楽器も弾けず、バンドやったこともないのに、謎の夢である

2022-05-20

90年代前半のオリコン月間ランキングを眺めて知らなかった歌手ピックアップしていく

オヨネーズ麦畑

1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。

地方出身アーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種コミックソングの扱いだったようだ。

CoCoはんぶん不思議

1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。

おニャン子モー娘あいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。

高野寛「虹の都へ」

1990年2月の13位。線の細い感じの男性シンガー

パッと聴いた感じは徳永英明稲垣潤一と似たような印象を受けた。

THE FUSEBoysGirls」

1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。

かにそれっぽい曲調。明るくノリのよいビートロック

AURA「愛・オーランド

1990年4月の19位。イカ天出身ヴィジュアル系バンド

当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、

このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。

NORMA JEAN「GET A CHANCE!! 」

1990年5月20位。イカ天出身ガールズバンド

いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。

ribbon「あのコによろしく

1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。

永作博美ってこれでデビューした人だったのか。

SHORT HAIRS「トランジスタグラマー

1990年9月の18位。レベッカNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカ解散直前に一曲だけ出したもの

ギタリストの人がNOKKOのヘアメイク担当していた繋がりらしい。

BY-SEXUAL「FLAPPER」

1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド

Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。

丸山みゆきFIRE

1990年11月20位。テレビドラマスクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。

他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。

晴山さおり「一円玉の旅がらす

1991年1月の18位。NHKみんなのうたからヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。

消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。

BAKU「ぞうきん」

1991年2月の16位。ホコ天出身らしい。

学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。

児島未散ジプシー

1991年3月の6位。物悲しい雰囲気歌謡曲

先日亡くなった俳優宝田明の娘らしいが、宝田明あんまりピンと来ないな…。

KATSUMI「Just time girl

1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガービーイング系っぽい(ビーイングではない)。

障子久美「あの頃のように」

1991年6月の13位。松任谷正隆プロデュースデビューした女性シンガーソングライター。

歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。

上田知華I WILL

1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。

当時からいろんな歌手楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。

昨年亡くなったらしい。

L.L BROTHERS「L.L BROTHERSのテーマ

1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。

テレビ企画高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。

SUPER CHIMPANZEE「クリといつまでも

1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズ桑田佳祐だった。

加納さん「加納さんのいいんじゃないっスか」

1991年10月20位。何だと思ったらウッチャンナンチャン南原清隆だった。

楠瀬誠志郎「ほっとけないよ」

1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。

ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。

山本英美Christmas in the Blue

1991年12月の16位。名前女性かと思ったら男性シンガーだった。

「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。

中西圭三Woman

1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲

ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。

デイト・オブ・バース「ユー・アー・マイ・シークレット」

1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞英語洋楽かと思った。

妖しげでトリップ感のあるサイケ楽曲時代を感じさせない。個人的いちばん気に入った。

島田歌穂ステップバイステップ

1992年3月12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。

エリート一家に生まれ英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。

GAO「サヨナラ」

1992年7月10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別わからん

RABBIT「Thank you my Girl

1992年7月17位。当時としてもオールスタイルだったのではないかと思われる正統派ロックバンドっぽい感じ。

イカ天出身バンドの中では最初メジャーデビューしたらしい。

KIX-S「また逢える…」

1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。

ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプ女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。

でも楽曲あんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。

陣内大蔵「心の扉」

1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。

西川幸一リキッドマン

1992年10月の15位。ユニコーンドラマーらしい。

当時、ユニコーンメンバー連続ソロシングルリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。

なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。

浜田麻里Cry For The Moon

1993年2月11位。女性ロックシンガー草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。

雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。

久松史奈天使の休息」

1993年2月の18位。こちらも女性ロック歌手らしい。

なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。

USED TO BE A CHILD「僕らが生まれあの日のように」

1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビーキャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。

メンツ小田和正チャゲアス飛鳥カールスモーキー石井玉置浩二徳永英明浜田麻里山本潤子となかなか豪華。

ちなみに翌年1994年出生率ちょっと回復したらしい。

MULTI MAX勇気言葉

1993年4月17位。こちらはチャゲアスチャゲを中心としたユニットらしい。

チャゲの歌い方って単体で聴く井上陽水に似てるな。

THE WAVES「WE ARE THE CHAMP 〜THE NAME OF THE GAME〜」

1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。

ZYYG「君が欲しくてたまらない」

1993年6月の3位。グループ名と曲名ビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。

デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。

コルベッツ「瞳を僕にちかづけて」

1993年6月20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。

本城裕二「夢 with You

1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。

Z団「江ノ島

1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん

Voice24時間の神話

1993年9月17位。男性二人組ユニット双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。

久宝留理子「男」

1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞おもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。

REV抱きしめたい

1993年11月の15位。ビーイング系。クソイケメンやな。

もともとZYYGベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。

ちなみにZYYGベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。

松田樹利亜「だまってないで」

1993年12月の16位。ほのか90年代後半っぽさが混じってきた気がする。

何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。

高山厳「心凍らせて」

1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。

東野純直「君だから

1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガーいかにも90年代っぽいバラード調の曲。

いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報ラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントおもしろい。

熊谷幸子「風と雲と私」

1994年3月12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。

この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。

池田聡「思い出さない夜はないだろう」

1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。

藤川賢一「大切な君の胸へ…」

1994年3月20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系DEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。

To Be Continued「君だけを見ていた」

1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカル岡田浩暉俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。

ICE BOX「冷たいキス

1994年5月12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチ森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。

しかボーカル女性以外のメンバーは、中西圭三池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。

点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。

橘いずみ永遠パズル

1994年5月の19位。「女・尾崎豊」と言われたらしい。

暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。

GEISHA GIRLS「Grandma Is Still Alive

1994年8月17位。お笑い芸人ダウンタウン白塗り芸者コスプレして歌うという企画らしい。作曲坂本龍一

Be-B「憧夢~風に向かって~ 」

1994年8月の14位。ソロ女性シンガー

見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか

しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。

山下久美子DRIVE ME CRAZY

1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。

この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。

Wikipediaによると「胸キュン」という言葉最初に発した人物だとか。マジかよ。

Dual Dream「Winter Kiss

1994年12月20位。男性ツインボーカルというのが特徴的だ。雰囲気TUBEっぽい。冬だけど。

ソースhttps://cd100.net/oricon/

2022-03-29

車椅子より

今の時代人間椅子だと思うんだ

ドラマーすべからく銅鑼を叩くべきだと思うんだ

2022-02-14

知名度と言われたらそれまで

これはラルクに飽きて今はPlastic Treeファンをやってるから思うことなのだろうが。

どうしてラルクばっかり「4人全員が作詞作曲できる稀有バンド」扱いされるんだ?先日のアメトークもそういう紹介をしていた。別にラルクだけの特色ではないのだが。そう言って持ち上げてるドエルは自分無知さを晒してる気がしてならない。

ジャンルの幅なんかラルクよりPlastic Treeの方が広いだろう。大半が暗いけどな。暗いのに幅広いってなんなんだよ。

ので、そういうドエルを大海を知らないという意味で蛙と呼んでみたりしている。

かにPlastic Treeドラマーの曲がシングル表題曲になったことはない。俺はケンケンの書く曲が殊更好きなので、1回くらいケンケンシングルを書いてみてほしい。ありえないだろうけどな。名曲揃いなんだが。月に願いをの美しさといったらない。

全体的に病的で脆弱から、それが合わない人は徹底的に受け付けないのだろう。もったいないアキラの書く意味分からん曲だけでもいいから聴いてほしい。

他にも全員が曲を書くバンドはあるが最推しPlastic Treeなので。イタい海月なのは分かりきっている。

それはそうと

2週間ほど前にYouTubeワーナー時代PVがいくつか公開されたんだが、絶望の丘の読みがキボウノオカになってるのはい修正されるんだ?公式から言及がないのは通常運転から構わん。

2021-11-06

2次元の女オタクジャニオタになった話

わたしはある美少女バンドゲームアイドルバンドドラマーがだいすきで、所謂架空女の子に恋する女の子だった。過去形にしたとはいえ今もすきなことに変わりはない。Instagramアカウントには文化の日誕生日を迎えたその子誕生日会の写真だって載せている。Twitterアイコンもヘッダーもその子統一しているし、LINEステータスメッセージだっての子ガチャ演出のことばをまるまる引用している。だけど以前のような、例えるなら自分の命だってかけられるような、そんな気持ちはもうない。冷めてしまったのでは無いと思うのだがわたしにはこの気持ちになった原因に心当たりがある。もうひとりの推し存在だ。

から1年前くらいのことだろうか、たまたまテレビに出ていたジャニーズの男の人が目に止まった。ありえない歌唱力に整った鼻筋。ひと目で好きになってしまうような、どこかの王子様のようでわたしは手当たり次第に周りのジャニオタに声をかけた。名前を知った。年齢を知った。誕生日を知った。そしてたまたまグッズを頼もうとしていた友人のジャニオタが「割り勘する?」と言ってグッズの購入を勧めてきた。財布には都合よくお金があったので購入したいものリストアップしてみた。そのどれもが顔がめちゃくちゃに良かった。

それからとんとん拍子でアクスタを手に入れ、公式写真を手に入れ、ファンクラブに入った。母親わたしジャニオタになったことを一緒に喜んでくれた。わたしが撮り忘れたMステも録画しておいてくれたし、幸いここまで彼の所属するグループが出演した歌番組は全て見ることが出来ている。ここまでのオタ活での唯一の後悔は半裸のハンガーを買い忘れたことくらいである。

今までジャニーズに触れたことがなかったわたしにとっては公式写真の1枚160円など全体的に安すぎる価格や何ヶ月おきかに発売されるCDというのは新鮮で、舞い上がったわたし客観視すれば痛いオタクなのだろうがジャニオタの友人と割り勘したライブうちわを受け取るやいなや教室で高々と掲げてみたりしていた。

そんなある日ご縁があってその方が座長を務める舞台観劇した。

わたしはその日、双眼鏡越しに彼の顔を見た。存在を見た。

存在はしていたものの彼は違う世界人間だった。股下は地球を包み込めるくらい長かったし、神様が彼を創った時アイビスペイントの対称定規を用いて顔を造形したのではないかと疑うくらい整っていた。歌声はのびやかで芯があって、上手く言い表せないくらい素敵で、わたしスタンディングオベーションの間涙をこらえるのに必死だった。

家に帰ってきてチケットの整理をしていたらふと机に飾ってある女の子と彼のアクスタが目に入った。

女の子は絵だった。彼は写真だった。どちらもアクスタという平面を組み合わせた立体に存在することに変わりなかった。

しかし彼はいたのだ。確かにそこに「いた」のだ。

わたし収納ケースに入った女の子缶バッジを見た。苦労してひとつの絵柄で40個集めたそれは既にただの絵の印刷された金属しか無かった。

ああ、と思った。

わたしの3年間はこの絵に吸い取られていたのか、と。たぶん女の子に抱いていた夢からその瞬間に醒めてしまったのだと思う。

勿論2次元にも3次元にもいいところはある。だが、存在するということを知った途端に全ての世界が変わってしまったような気がした。この感情はどうにか残しておきたくてこの日記を書いている。

ライブの開催が告知されたいま、様々なことが重なりわたしの財布はスカスカになっている。ライブに当たっても入金が出来ないだろうし、紙袋収納ケースの缶バッジを入れて、家の近くのブックオフまで自転車を走らせようと思う。

2021-09-27

ミスチル桜井さんに比べるとバンドマンは遊び方が下手

漢の中の漢だよね。金銭的・社会的成功して若い女に憧れるわ(^^♪

anond:20210927164745



注目バンド「ALI」ドラマー不祥事逮捕謝罪呪術廻戦」ED曲など

バックナンバー 「back number」のボーカル清水依与吏が、過去二股交際をしていたことを「週刊文春」のインターネット番組「直撃! 週刊文春ライブ」が1日に報じている。 清水は実は既婚者で幼稚園に通う男児いたことを11月16日発売の「フライデー」が報じ、清水は同バンド公式サイト結婚事実を発表していた

バンプオブチキン ベーシスト直井由文が既婚であることを隠し、元タレント女性不倫


Floompoolとかも売り出し時には既婚だったとか。

2021-08-28

anond:20210828214112

みんな太鼓の達人で超絶ドラマーになってて、リングフィット身体ムキムキになってて、

フィットボクシングでシュッシュッって感じになってるんじゃないのか?

2021-08-27

anond:20210826165444

先月ドラムセット買って70万円程使っちゃった

なおベース弾きであってドラマーに非ず

2021-08-26

チャーリーワッツ

ドラマーです。

世界中ドラマーチャーリーワッツグルーヴを聴きながら彼を偲んでいる。

ポールマッカートニーをはじめ各国のロックスタープロアマ楽器を問わずストーンズを聴いただろう。

Facebook, Twitter, Instagram 色々なところで、彼への愛のメッセージに触れることができる。

私はShs's a Rainbowを聞いた。

60"s British Rock簡単なようでなかなか上手くはいかない。だけれど絶対に出来るようになる、そんな自信を持たせてくれるシンプルさがある。

ワッツジャズ上がりのドラマーだとか、じゃあイギリスにおけるジャズは50'sはどんな感じだったかとか、

ミュージシャンはいろいろと伝聞していく。そういう伝統みたいなものを大切にしていきたい。

2021-08-10

ポニーテールはふり向かない

私立文系大学中退してバンド活動に身を投じた私であってもわからないところがたくさんあるドラマだった。

ドラマー志望の主人公伊藤かずえは、ドラムスティックでよく喧嘩をする。

今では30年落ちのシーマ大事レストアして乗っている伊藤かずえだが、この頃は喧嘩っ早かったのである

しかドラムスティックが果たして喧嘩の得物になるだろうか。

長さは40cmほど。重さは材質によって差があり、ヒッコリー材よりオーク材のほうが少し重いものの、いずれにしてもせいぜい数十gである

まともにしばかれればたしかに痛いが、怪我をするほどではない。

そもそもリーチが短すぎてかなり接近しないと相手に届かない。

殺傷能力的にはたぶん「ひのきのぼう」より弱いだろう。先端が多少細くなっているので的確に相手の眼を突くことができればそれなりのダメージが期待できるが…(なお、ヒノキ東アジア原産の樹種であり、なぜドラクエメジャーな素材として扱われているかは謎である

 

なお、そんな武器で街の不良少年たちを相手に毎回大立ち回りを演じていた伊藤かずえの愛車シーマレストアの様子は日産自動車公式サイトで紹介されています

https://www3.nissan.co.jp/first-contact-technology/restore-cima.html

anond:20210809210539

2021-07-28

メタラー死ぬの早すぎ問題

ヘヴィメタルは、ガンに効くかもしれないが、それ以前に問題があるだろ

2021-07-26

anond:20210726145133

私はその映画実際に見たけど、教える側の狂気には吐きそうなぐらい嫌気がさした。

最後もその狂気への賛美はないし、主人公も育てられた感謝はなかったと思う。

主人公はその状況を耐えて耐えて自分自身で成長する。

ドラマー映画なのにしょっちゅう血が流れる

ひたすらに辛く重い映画

映画は名作なのは間違いない。

映画好きには見てよと勧める。

でも自分自身はもう見ない。

人間受け入れがたいものをそのまま受け入れるのはものすごく難しいということ

セッション」という映画をご存じだろうか。


まず言っておくが、自分はこの映画を見ていない。

ストーリー公式http://session.gaga.ne.jp/intro/から引用

名門音楽大学入学したドラマーのニーマンは、伝説の鬼教師フレッチャーバンドスカウトされる。彼に認められれば、偉大な音楽家になるという夢と野心は叶ったも同然と喜ぶニーマン。だが、ニーマンを待っていたのは、天才を生み出すことにとりつかれ、0.1秒のテンポのズレも許さない、異常なまでの完璧さを求めるフレッチャー狂気のレッスンだった。さらフレッチャー精神を鍛えるために様々な心理的ワナを仕掛けて、ニーマンを追いつめる。恋人家族人生さえも投げ打ち、フレッチャーの目指す極みへと這い上がろうとするニーマン果たしてフレッチャーはニーマン栄光へと導くのか、それとも叩きつぶすのか─?


もう7年の前の映画なので、結末を軽ーく言ってしまうと、最後はニーマン決死演奏をして、フレッチャーが微笑むというラストらしい。その時に「褒めは甘えへの一歩だから」という理由絶対口にしない「よくやった」を言ったとか言わないとか。


この手のスパルタ教育オッスオッスオラオラソイヤソイヤ!みたいな教育論、反吐が出るほど嫌いなので見ていないのだが、

結末もなんちゃらの王将社長新入社員が抱き合って号泣するだとか、和解するだとか…結局そういうお話かよ。と思ってさら反吐が出た。

タイトルの通り、到底受け入れられないものだった。


そんな時、ある映画レビューを見かけた。


フレッチャー最後笑顔は、ニーマンを称えるものではない。」


あの笑顔は、賞賛ではない。

フレッチャーは『世界最高のドラマーを育てる』ということに狂ったように取り組んでいる。

あの笑顔は、まるで「マッドサイエンティスト世界破滅に導くような兵器を開発した時に出る高笑い」のようなものだ。

決して賞賛ではない。自らの狂った欲望が叶ったからの笑顔なのだ、と。


これだああああああああああああ!!!!ってなった。

さらさらに。


https://www.youtube.com/watch?v=yec5Ima5eHY


アカデミー賞ノミネートされたときの、フレッチャー俳優へのインタビュー


うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!そうだ!!!そうなんだよ!!!!!ってなった。

もう受け入れ態勢完璧。これは、問題提起だ!と受け入れてしまった。



かくして、全く受け入れられない映画は、受け入れられる映画になりましたとさ。


人間、嫌なものを見ると、見て見ぬふりするか、何とか好意的解釈して受け入れざるを得ないもんかな。やっぱ。

2021-07-18

あれ

あれって悪趣味カルチャーとかの文脈もあるんだろうけど、それは編集側で、本人たちは、お父さんが窃盗して楽器調達してくれたハピマンとか、最初の下手くそドラマーを首だけ出して埋めてみたオアシスとか、そういうハマータウンの野郎どもみたいのへの憧れもあったんだろうなーとか思う。

ジョイディビジョンもうんこネタあった気がする。バーニーが、イアンって結構明るいやつだったんだというエピソードとして、でけーうんこでたとき、すんげーでけーの出たからって見せにきたとかなんとか話していた記憶

2021-07-08

anond:20210708152917

CASIOPEA桜井さんツインベースときは先輩ベーシストとの共演なのにサボって弾かないときがあるし、脱退後に元同僚ドラマーと当時の耳タコヒット曲で共演したらすっかり忘れてたらしいし、でもそのドラマーCASIOPEAに受かった時は梨を手ずから剥いてくれたらしいよ

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