はてなキーワード: 痴呆症とは
元々姑は夫側親族全員が煙たがるような人で、わかりやすく自己愛性PD障害だった。
その上最近は歳のせいもあり軽く痴呆症も入ってきていて、気に入らないことがあれば一日中金切り声で叫んでる。
医療系自営業だった舅は姑のヒステリックと経済DVで20年も前に首を吊った。
首を吊っているのを発見したのはまだ年齢10歳ほどの夫だった。
急いで救急車を呼んだものの、出来る処置はなくそのまま亡くなったみたい。
そのとき駆けつけた舅の親族に対して、姑は「この人が死んだのは私のせいじゃない」とヒステリックを起こしその場で舅親族から絶縁された。
お骨のありかも教えてもらってないため、夫とは年に一回、舅なんて少しも埋まってない謎の集合墓地に墓参りに行く。
婚姻届の提出のために夫の戸籍謄本を見せてもらったら、舅は夏ではなく10月に亡くなっていたことがわかった。
夫は自分の家庭のことを私には話をしてくれた。
交際の時点で結婚を考えていたそうで、同棲の話が出る前から真剣に話をしてくれた。
特殊な家庭で育ったし、変わった両親を持ってしまったけどそれでもいいかと。
初めて夫の母親に会ったときも、変わった人だと思ったけど明るくてまあ大丈夫だろうと思った。
同棲、結婚、と「息子が私のものだけじゃなくなる」イベントがあるにつれ、夫の母親の様子がおかしくなった。
私への嫌がらせ、夫や自分の親族への恨みつらみを深夜から朝にかけて電話を掛けて話をしてくる。
私へも電話が来ていたが、あまりの様子のおかしさに一回出た以来居留守を使っている。
姑は一通り、電話した相手へ恨みつらみを吐いたあと、私を見捨てないでくれ・悲しくてさみしくて夜も眠れないと甘えた声で泣いてくるらしい。
その際は、あなたが孫を産んだらその子は私の家の子である、息子を取られて嫉妬している、言うこと聞かないなら離婚して婚外子を産めと金切り声で一方的に1時間も叫ばれた。
一体全体どういう話の文脈でそんなことを言われないといけないのか全くわからないし、夫にそのことを話すと「あの人はこれが普通だから」と言っていた。
姑の親族は「あの人は夫を自殺で亡くしたから、幸せそうな夫婦を見るとああなるの」とため息をついていた。
この電話をきっかけに、もう話が通じない人を相手しても人生損しかしないなと思って全ての連絡を無視している。
何か連絡が来ては夫が私に謝るというのが何回かあったが、夫が姑にきつく言ったせいか最近は一切来ていない。
高級なものや、少女趣味な姑が好きそうな派手な食器が夫と私の分で2組。
あんなにヒステリックに泣き叫ぶ人が、私の誕生日のために百貨店に買い物に行って、皿を選んでる姿を想像する。
自分の夫を首吊り自殺させるまで追い込むってどんな感じなんだろうか。
その後も全部を他人のせいにして、息子も結婚をして、老いた体を引きずって働きながら、息子夫婦に嫉妬して、でも嫁の誕生日に食器を送る。
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ
県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした
なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった。山崎兵八は運転免許があるので、警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、精神障害と診断されたために免許を剥奪された。
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって 大貫挙学 東洋大学非常勤講師 松木洋人 慶應義塾大学大学院
松木 洋人
大貫 挙学
間違い電話の折り返しで母と話したとき,祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.
祖父はかなり前に他界している.祖母は一人暮らしで痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.
最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.
年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子の一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.
母から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代や親族がそれを許さなかったそうだ.
おぼろげながら思い出せる会話からも教養の片鱗は覗かせていた.
2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.
理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父にレイプされたそうだ.
母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.
当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.
そのときの母の絶望は想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係は破滅した.
私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.
因果関係は不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.
短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.
小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.
いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神を病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁でお気に入りの自転車のサドルをめった刺しにした.
私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費も負担してくれる程度には父は稼いでいた.
勉強や研究は楽しかった.指導教員にも恵まれ,JASSOの奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.
私は病んだ.祖母を憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.
ほどなくして不登校となり,カフェインのLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.
上京した先で家庭を築き仕事をしていると、ふとした瞬間に20年30年後のことが頭をよぎる。
何不自由なくスクスクと育ててくれたことにむしろ感謝の気持ちで溢れているくらいだが、その親もいつまでも元気なわけでもない。
どんどん老いぼれていく親を見る度、痴呆症の祖父祖母の大往生と親の苦労を目の当たりにしたときに感じた気持ちを思い出す。
絶対に同じ目に遭いたくない。
足腰が立たなくなったり病気で入退院を繰り返すようになったら?関東から地元へ往復しなきゃならないのか?全部片付いたあと土地の相続とかどうすればいいの?
生存のために他人の扶助を必要とするようになったり、鬼籍に入ったのちの面倒なやり取りでこちらの生活に牙を剥いてくるかもしれないと思うと憂鬱になる。
そんな気持ちに付き合っているうち、隣国から頻繁に発射される兵器とけたたましく響くスマホのアラートを耳にする度に「実家にピンポイントで落ちてくれたらな」と思うようになった。
今抱えているぼんやりとした不安や将来への憂鬱な気持ちが一気に晴れるのに。
実際にそうなれば、楽以上の悲しみや怒りが強く湧いてくることと思うが、想像の中では自身に降りかかりうる問題を埒外のパワーで事前に解決されることを期待してしまう。
親は今年で65。
15年ぶりに実家に戻って2ヶ月くらいたつ。
ずっと一人暮らしだったので、家に自分以外の存在がいるというのになかなか慣れない。
で、父がおそらく65~68歳くらいなのだが…「ボケてはいないけど、近所のうざいおっさん」くらいになっててしまって非常につらい。
昔から少し怒りっぽいところがあったが口に出る前に抑え込めていたのが我慢できないようになってしまったみたいで、
「自分が理解できない話をされると機嫌が悪くなる」「自分の意見が聞き入れられないと怒り出す」という加齢かなあと思うものもあれば
「深夜に掃除機をかけはじめる」などのわりと痴呆症入ってきてるんじゃないかという行動もするようになっていた。
あと母に暴言…とまではいかないが喧嘩腰で話すことも多くなっているように感じる。
おばあちゃんが非常に穏やかな人でボケずに大往生したのもあり、身内がこんな風に変化してしまったのに驚いている。
兄と弟もいるのだが、この二人はずっと実家にいたので、こんな状態の父とは冷戦状態で勢力図が父・母弟・兄・の三国志状態になってしまっている。
このまま加齢が進んでいったらテレビでよく見る暴言をはいて周囲に当たり散らす老害になってしまうのではないかと不安だ。
自分にできることはなんだろう…と考えてみたものの、一刻も早く家を出て遠いところで働き始めるしかないという結論がでてしまった。
育ててもらった恩はもちろん、ありがたいと思うけど「近所のうざいおっさん」の面倒を見る気にはどうしてもなれなかった。
メガバンクや商社の後輩(1990年代)で顕著だなぁと感じたのは、20代で結婚、出産している点かな。
(この20年ぐらいで、女性行員が本当にそれ顕著だなぁと感じる)
ワシ等の世代は20代は遊びたいという意識だったのだけど、彼らの意識は子育てを先にクリアして40~50代以降を自分の人生を生きようというらしい。
子飼弾さんも似た事言ってたのを思い出した。
アラフィフになったけど、後輩らの思想がベターだなと感じるよ。
もちろん、十分な福利厚生と経済的基盤があればなんだけど……。
ブコメには子供を自分のQOLに利用するなとか、子育てのリスクもあるので隣の芝生とか意見もあるけど、
はっきり言うと今の日本の高齢者福祉や、一般人の高齢者に対する意識(件の高齢者は自決しろとか)を鑑みるに、相当な資産が無いと老後の人生はかなり難易度が高いと思う。
ちょっとした骨折は、10年ぐらいのスパンで100人に1人ぐらいの割合で発生すると思うが、30代の骨折と50代の骨折と80代の骨折は本当に訳が違う。
80代の骨折は、部位にもよるがほぼ死刑宣告だからね。落ちた筋力は、並々ならぬ努力人で無いと回復しない。そのまま寝たきりになり痴呆症になり看護もままならず死ぬ。
そういった現実は、20代では本当に判り辛く、歳を追うごとに友人知人や家族の問題として現実として実感してくる。
いや、キリスト教の様に「死んでも主の元へ」なら、高齢者は皆死ねで良いんだけどね。僕らの宗教観は死ねば電源Offな訳じゃん。)
俺のイメージだと子孫が資産管理して毎月の利用料収めてくれないと成立しない気がするんだよな。
保護者である子供が老人の金を預かった上でその中から払うって形だよな?
違うの?
でもそうなると老人ホームの中で老人が金の管理することになりそうなんだが、それって無理でしょ。
一部の人が痴呆症の最終処理場として利用している以上は、あの空間の中で金銭を安全に管理することはできないと思う。
じゃあ独身の人間って老人ホームにも入れずに死ぬしかないのかな?
俺なんとなく自分はアルジャーノンのラストみたいな感じで自分が入る老人ホームの手続きをするものだと思ってたんだが、よく考えるとそういうシステムなのか知らねえって気づいた。
教えてくれよ。