はてなキーワード: 排外主義とは
ネトウヨとは、インターネット上で右翼的・保守的・排外主義な発言や行動を取る人々の蔑称です 。ネトウヨは、自分の思想に反する意見に対して攻撃的なコメントを展開することが多く、特に韓国や中国などの隣国に対しては差別的な発言を繰り返します 。ネトウヨは、日本の伝統や国益を守るという名目で、自分たちの主張を正当化しようとしますが、実際には日本の歴史や現状に対する正確な知識や理解が欠けていることが多いです。
ネトウヨが日本の歴史や現状に対する正確な知識や理解をしようとしない理由は、彼らが日本国を憎み嫌っているからではありません。むしろ、ネトウヨは日本国を愛していると自負しています 。しかし、その愛情は盲目的で偏狭であり、他国や他者への敬意や理解が欠けています 。また、その愛情は自分たちの思想や感情に基づいており、事実や論理に基づいていません。このような愛情は、日本国の真の利益や幸福につながらないと考えられます。
ネトウヨが日本国の真の利益や幸福に反する政治的主張をしているということもありません。ネトウヨは自分たちの政治的主張が日本国の真の利益や幸福につながると信じています 。しかし、その政治的主張は事実ではなく、感情論や思い込みに基づいています。例えば、ネトウヨは日本の憲法や安全保障法制に対して批判的であり 、日本が集団的自衛権を行使することや自衛隊を軍隊化することを主張します 。しかし、これらの主張は国際法や国際社会との関係において問題があることや 、日本国民の多数が反対していること を無視しています。
このようにして、ネトウヨが日本の歴史や現状に対する正確な知識や理解すらしようとせず、日本国の真の利益や幸福に反する政治的主張をしているということは、彼らが日本国を憎み嫌っているからではなく 、彼らの思想や感情が現実や事実から乖離しているからだと言えます。ネトウヨは日本国の真の利益や幸福を考えていない人々であるということです。
葬送のフリーレンに関してはどうも海外でエルフはアスペルガー、魔族はサイコパスとか言われてるらしくて、そっちの方が無理だなって思う
アスペルガー(ASD)全然そんなんじゃねーし!って怒りが沸くし
おそらくサイコパスの方も一般的に言われるジャーゴン化した「サイコパス」であって、現実のサイコパスではないよね?
現実のサイコパスって寧ろその特質によって経営者や政治家などで成功している人が多いし、
アスペルガーに関してはよく巷でいわれる感情がないだの人の気持ちが理解出来ないだのは全くの間違いで
寧ろ定型よりも感情は豊かで人の気持ちは分かるからこそ社会に適応出来ずに困っているんだから本当に的外れ
個人的には葬送のフリーレンの魔族の描写って、どちらかというと排外主義を感じるなーと思う
見た目が人間とほぼ同じで同じ言語を話す相手を「理解不能な化け物」と切って捨てる設定には、在日韓国人差別とかそっちの文脈を感じる
母親を慕うか弱い子供の擬態をして生き延びようとするエピソードとかね、子供のように見えるけれど騙されるな、非常になれ、というのが強調されているのが示唆的
普通のファンタジーだと魔族ってもっと上位者として君臨するか騙すにしても戦略的なイメージがあるので、特徴的だなーと。
その1 → https://anond.hatelabo.jp/20231004185146
余談であるが、共同親権問題がおかしい連中のコンテンツになっているのも在特会が関係している。
この蕨デモが隆盛の頃、その活動家が児童相談所を攻撃するようになった。親権に考慮して児相はそれまでDVに関して及び腰だった。結局親の元で暮らすので強権を振るうのはナンセンスで親の説得メインだったのだ。
だがその方針を切り替えて国が積極的に家庭に介入、子供を連れて行って保護してしまうようになった。これは欧米先進国の流れに沿った路線変更だ。
すると子供を無理に連れていかれた親は困惑する。そしてそんな親の情報を在特会活動家達が聞きつけた。そして在特会傍流が児相攻撃デモをやるようになった。
しかし児相が強権で一時保護するなんてケースは当然虐待が関係している訳で、そんな親の側に立っていいのかという問題がある。そしてその正しい判断は当然に彼等には出来ない。
今でも児相で検索すると「何も虐待してないのに児相に誘拐されるって本当ですか」というシンパによるワザとらしい質問などが沢山ヒットすると思う。
そんな彼等がやがて片親の連れ去り違法化と親権の問題で共同親権を主張するようになった。
故に共同親権ではDVの有責配偶者の擁護という文脈を纏うようになったのだ。
連れ去りの違法化と共同親権はセットだというのは正論だが、こうしてDV擁護の文脈で活動する人士らのコンテンツとなったままなので正論を言っても仕方がない。
法律の世界で正統的な議論で上書きされれば良かろうが、そうではない現状ではマズイ文脈と人脈をずっと引き摺っている。
2005~2007年頃に掛けて治安が著しく悪化していると感じる人が増加し、中には「怖くて家から出られない」等という人も出てきた。
だが実際には日本の歴史上かつてない程に治安は良く、犯罪認知件数は過去最低であった。
またこの数年前には少年犯罪が凶悪化しているとの感覚が共有されて実際に少年法が厳罰化される改正があった。
だが実際は少年事件件数もそのうち凶悪事件件数も過去最低だったのだ。
この体感治安と実際の認知件数の乖離問題はブログで数字を出して議論され、それがマスコミに参照されるようになり、体感治安の悪化に反して実際の治安は過去最高という事が周知されるようになった。
数少ないネット言論の生の功績だ。
こういう過去もあるのに、浅黒外人の行為は何でもかんでもクルドという単純な方法に引っかかっているのは単純に情弱バカであろう。
この手の外国人問題は排外主義の問題にも繋がるからセンシディブである。迂闊な行為で自分の評判が下がり兼ねず、それにはソーシャルメディアのアカウント凍結や利用禁止処分、会社での人事評価等の影響があり得る。
であれば普通は文春とか新潮とか、読売、日経が報じるのを読んで参考にしよう、口に出すのはそれらが書いてからにしようという態度になる筈だ。
そこで何故agora出身ライターなのか?また産経の記事を読んでも、その記事がちゃんと取材して書かれているのか?当該ライターの書き込みだけで書いてないか?は確認するものだろう。産経は2chの書き込みで記事書いたりツイートで記事書いたりという間抜けをしてきた新聞である。
そしてこういう問題に関してリベラルは向き合うべきだなどという意見が人気を集める。リベラルは多文化共生のような浮ついた意見を言うものだから責任を持てという事だ。
「市議会でクルド人の不法行為の取締り強化を議決した」という件の発議はここにある。https://kawaguchi.gsl-service.net/doc/2014072300126/file_contents/202306tsuukokusho.pdf
中身は見て判る通り、半分は犯罪認知数と納税状況の確認、半分は共生への具体策である。外国人の国籍の明示はしていない。
これに対して「共生とかの浮ついた」と言っている訳でバカである。意見書の取締り強化は警察への要請、半分はトラブルを減らす多文化共生の具体化を市に訴えている穏当な内容だから意見書が通ったのだ。
そしてこれをもって、川口市はクルド人への対決姿勢を示したと喧伝している奴がまともかどうかは自分で考えたらいい。
これはよくある方法だ。例えば幸福の科学は国連でスピーチをしましたという記事を出した。だがそれは国連本部のレストランで数人相手に話したものだった。
NHKはロシアのクリミナ侵攻の直後のサミットで「安倍総理が提唱する中国包囲網について話し合われました」と報道した。当然クリミア侵攻後にそんな事を議論する余地はない。議題に出しただけだ。そしてこういう報道でクリミア侵攻後にロシアへの経済制裁を緩めたり北方領土をエサにされる事の危険性は周知されなかった。
そしてセンシティブな問題への態度というのは己の身に降りかかる己の責任だ。リベラルがお墨付きを出して担保してくれというものではない。更にこういう態度は学校のホームルームの内面化である。
これで石井などの言説に引っかかってる奴らって都会に住んでいないのだろうか?都会では既に店員も客も外国人ばかりだ。建築現場なんて過半数が外国人になっている。安倍政権が移民政策に舵を切ったのだからそうなるに決まっていた。
増田は外国人が多い地域で大家をやっていて、外国人を入居させて起きた問題というのが結構ある。特に酷かったのが、中国人が勝手にまた貸しでシェアハウス化させていて、その勝手入居者が偽造旅券を売っていたという事件だ。空港警察から電話があり捜査に協力、当該契約者は追い出した(日本の大企業勤務だ)。その際、日本人の保証人の勤務実態調査の為に張り込みもした。
でもそれでagoraライターみたいなのの記事に賛同するかと言ったら絶対しない。何故ってクソの役にも立たないから。
危ないから賃借契約を渋くするだけだ。でも物件がボロイ場合は客付けが悪くなるから妥協する。都会ではそうやって共存してるのだ。甘い顔をするだけじゃなくて時に法律や殴り合いしてるのが共存なの。
そこで社会人に訴求する媒体で書けないような連中の単純なやり方を真に受けて「共生という綺麗ごとだけじゃ済まない」ってしたり顔で言ってるってどんな平和な田舎に暮らしてるんだ?
ドラレコ映像集みたいな雑な動画には「川口」なんてテロップ入れたサムネの動画がアップされてるんだよな。で、見てみると外人が事故起こしたってだけ。でもコメ欄には「クルド人が」というバカ米が並ぶ。15年来の符丁なので通じるって訳だ。サムネに「クルド人」と入れるとbanされるからそういう符丁を使う。もうそういうコンテンツになってるワケよ。で、ヤフコメ、twiiterに続くそういうコンテンツの一つの中心がはてななんよな。
“コミュニティノート批判に「コミュニティノートは素晴らしい者なのです」というコミュニティノートが付く時点でこの機能のクソさというか無意味さがあらわれてるよね。”
座るべきだと思うし鉄道会社もそう答えている。
>> 電車は時速100キロほどのスピードで走り、急ブレーキをかけることもあるので、「足元のおぼつかない幼児にはできるだけ座席に座ってもらいたい」とのことでした。 <<
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/200/411663.html
今日電車内で、60歳くらいのおばさんが座席に座っている幼児に怒鳴り散らすという嫌な出来事があった。電車は満員ではないものの割りと混雑していて、自分含め立っている人が大勢いた。後ろから子供のはしゃぐ声が聞こえたので見てみると外国人の母子が座っていて、子供は動き出した電車が楽しいようだった。よくある光景なので気にも留めなかったのだが、しばらくして怒声が響いた。「こどもが座るな!」と。
最初はよくわからなかったが、その後も「こどもは電車では立て!」「金払ってないこどもが座るな!」「お前外国人か!どこの国だ!」「日本語わからないのか!」「お前の国ではそうかもしれないが日本では金払った人間が座るんだ!」「こどもは座るな!」と怒鳴り声が続いた。お母さんは最初はそのおばさんに言い返したりしていたようだが、結局は折れて子供をだっこし、おばさんに席を譲っていた。
それで泣き出した子供に、おばさんが「うるさい泣くな!」「外国人は(ヘイトスピーチ)」とか怒鳴りだしたので、ついに近くにいた眼鏡のお兄さんが怒って「あんたが泣かせたんだろうが!」的なことを言っていた。その後は「私は足が痛いのに!」とババアがぐちぐち言っていたり、なぜかお兄さんを責める人が現れたりしたようだった。
この件で胸が痛むのは、自分が徹底的に卑怯な傍観者であったことで、仲裁に入らなかった自分たちが母子にどう思われても仕方ないと思っている。つくづく眼鏡の兄さんがいてくれて良かったと思うが、しかしどうすれば良かったのかも分からない。もし自分が座っていたら、ババアに席を譲ったのになとは思う。
母子は混雑しているのを踏まえて最初から子供を抱きかかえれば良かったのかもしれないが、いずれにしてもいきなり怒鳴り散らした上にヘイトスピーチまでかましたおばさんは酷すぎる。今回の件は排外主義的な思考も多分に関係しているが、こどもを電車で座らせるとぶち切れる人間の存在は子育て世代にとって脅威になりそうである。
で、このおばさんだけど恐らく割りと貧しいのだと思う。貧しいから金を払った自分が座れずに金を払っていない子供が座ることが許せないのだろう。そう考えるとおばさんを責める気にもなれずもやもやした気持ちでいる。
いやだから、昨今のリベラルはその「健全な行為」に不健全のレッテルを貼って規制活動してるって話だろ
このあたりに対してはきっとこんな感じの反論が出ると思うんだ
もう十二分に性は自由化されている
むしろ行き過ぎているくらいだ
みたいな
ちょっと前まで、ほんの数年前は、自己決定ってな言葉を使って二次元を批判してたんだ
曰く「表現の中の女性は自己決定を侵害され、男に性的消費をサれている」ってな
このときはまだ、女性の自己決定による性の商品化はオーケーというスタンスだった
そりゃそうだ、フェミニズムをベースにするのだから女性を蔑ろに出来ない
「彼女らの今の自己決定は正しい前提で行われたものではない、後に後悔するのだから規制が必要である」ってなって
今度の撮影中止では「たとえ自己決定でも性の商品化はイケません」ときたもんだ
ここまで僅かに2,3年だぞ
女性の中からも、先鋭化したラディフェミ(ツイフェミ)への批判が高まると
それらを「名誉男性」と括って切り捨てた
結果このザマ
古き良き家父長制の復権でも狙ってるのかね?
本来そりが合わない「社会正義」をリベラル(自由主義)に取り込むんだから、そりゃ歪みが出る
最初は「保守的な排外主義に対抗するのだ」みたいな詭弁でなんとかバランス取ろうとしてたけど
もう無理よね
そういうのなんて言ったっけ?
似非同和っていったっけ?
All-Rightかと思ったよ
オルタナ右翼の事ね
まぁ、これを使ってる時点で、真っ赤っかな左翼って事が分かっていい指標だと思うけれど
オルタナ右翼には定まったイデオロギーがあるわけではないが、白人ナショナリズム[2][3][10]、白人至上主義[7][11][12]、反ユダヤ主義[2][3][13]、反フェミニズム[2]、右翼ポピュリズム[10]、排外主義[14]、新反動主義運動[11][15] といった思想と関連性を持つと複数の論者は指摘している。
4chanや8chanなどのサイトを中心として、主にネット上でインターネットミームを多用しながら発展してきた運動であると言われている[11][13][16]。
つまりは、なんか気に食わない奴だが、古来の右翼と呼べるような思想傾向を持っていないから、新しく造語しようって話だべ
んで、人々が反感を持つイメージと関連付けておこう、的な
とかドヤ顔で主張されても
単なる市井の人をなんとなく腐したいってのはビンビンに伝わるけれどさ
(だって、それで世界ランクが上がるためには、自分はそいつらより下に居たことになるから)
個人的には
東大京大あたりは、大学入るまで特別だった輩が沢山いると思うのよ
で、同レベル帯で比較された時に凡人かともすれば愚鈍になった自分を救うのに
世の中は間違っているという認識のもと、自身を「正しい」と相対化でき
それらに乗ったられたスト権ストがその後の「デモ」や「スト」にどんだけの影を落としたか
彼らが総括することは無いだろう
https://anond.hatelabo.jp/20230505125453
hazlitt
釣りだと思うけどあえて乗っかると、ファンになる自由があるならファンを切り捨てる(選ぶ)自由もあるのでは。
あと非政治的であることも十分政治的であるよ/アイドル独身幻想みたいなのに近い気もするな
2023/05/05
itotto
そうやってファンが離れることも含めて発信者の自由でしょう。バカらしい。 雑記 増田 生活
2023/05/06
いや、
ファンが抗議したり離れると宣言したりすることをめっちゃ非難するじゃんあなたら。
これが人気2位になるのはおかしくない?
なんでこうやって「その場しのぎのウソ」に近いブコメを上位に持ってきちゃうの?
「漫画家の発言はOKで嫌がったり離れたりするファンはNG」っていう態度だったんだから、その感じ方や気持ちに沿った論陣で反論しなよ。
反論の為に自分の立場や気持ちをスライドさせる反論て意味あるの?
とにかく言われてることに向き合わない・自分と他者の衝突点に向き合わないんだよね。
その「ただこの場の言い合いで勝った雰囲気出せばいい」っていう姿勢、子供の口喧嘩じゃない?
あと具体的な根拠もなくしょっぱな「釣り」認定して優位に立つのもどうかと思う。
t_kei
これ自体が政治性むき出しの発言で、その自覚がないところが笑える。
発言しないこと、そしてそれを求めることすら政治的意思表明なわけで、その基本がわからないならあなたには民主制は早すぎたんですね、としか。
2023/05/06
みんなと同じように本名の生身の1人として地道にやってけと。
むしろそっちの方が民主主義の理念に沿うんじゃね?民主主義ってそういうもんじゃね?
他の理由で有名なだけのやつが知名度使って自分の意見を増幅させちゃうのは民主主義ってよりポピュリズムに近付かん?
客観的に見て
あなたは相手の言ってることすら読んでない・ちゃんと考えてないように見える。
ハッキリ言えば知能指数80くらいの人が知能指数100くらいの人に向かって
「あなたには民主制は早すぎたんですね、としか。」とか吐き捨ててる感じで、
cinefuk
「ネトウヨのラノベ作家は排外主義ヘイトスピーチで中国と取引のある出版社から切られたのに、左翼にだけ言論の自由があるのか!」という怒りのブコメを見て。はあ、差別と政治の違いがわからん人が憤っているのねえ 政治 ウヨサヨ 表現規制 オタク
2023/05/05 リンク yellow37yellow
この人も故意に話を逸らしてるよね。
「あなたの好きな著名人が突如目覚めてすんげえウヨっちいこと言いだしても気分を害したりせずちゃんと耐えるの?」
って聞かれてるわけじゃん。
あなたの大大大好きなミュージシャンが「憲法改正賛成!普通に考えればそう思う!」って言っててもいいの?と。
この人も耐えられない人だと判断出来る。
じゃあちゃんとその耐えられない話とこそ向き合いなよ。
つまりさあ、
全体的に自分のスタンスや思考の「辛い部分」での応答や反論を避けて
その場しのぎの嘘ついたり話を逸らしたりして言い返してるのよ。
現実の商談とかならあるいはそういう機会主義的なスタイルでもいいかもしれない。
けどほぼ匿名でやってるネットの議論でそうやって目先の「勝った雰囲気」を出すための小手先テクニックやって何の意味があるの?
それやって言い返してるなら脳に何の不可もかからないし少しも頭が良くなっていかないでしょ。
CIA1942
あの手の「やめてくれ」発言が大体「俺の思想に合わないことを言うな」でしかないのが一番の問題だと思ってる派
/好き嫌いなら伏せててくれた方が嬉しいけど、その上で発言するかどうかは当人の自由だからなあ。
2023/05/06
そりゃあそうでしょ!
特に「やめてくれ」って声をあげる人はきっと思想が合わない人だよ。
でも元増田は「自分と同じ方向だけど嫌だ」って気持ちを説明してるじゃん。(個人的にもそれはわかる)
なんで相手の話をスルーして反論しやすそうなサンプルの話だけをするの?
全部これなんだよね。
相手の言い分にまるっきり背を向けてでも、別のサンプルを持ってきて反論しやすい仮定もくっつけてから「反論」する。
shinonomen
タバコ好きだと言ったらタバコ嫌いな人が離れるかもしれないし、アイドル好きだと言ったらアイドルに批判的な人が幻滅するかもしれない。
2023/05/06
これが一位ってマジ?
同等だと思ってるわけ?政治的な意見の自由なんてその程度のことなんだと。
何マジになってやがんだよと。
絶対そうは思ってないよね?
そういう風には教育されてきてないよね?
ごく少数派の凄いアナーキーな人の意見としてならわかるよ。そういう人もいていい。
「何党支持かなんて、タバコ吸うか吸わねえかの差と同じだろ!」
「政治参加意識を落とそうとする工作員だ」「自民や創価の固定票を守ろうとしている!」とかなんとか。
絶対自分達の普段のスタンスや気持ちと正反対のこんなコメントを
その場の言い合いに勝った感じにするために支持して一位にする。
心底情けなくなるんだけど。
・親露派陰謀論アカウントが、オーストリア議会におけるウクライナ・ゼレンスキー大統領のオンライン演説の直前に、ほとんどの議員たちが一斉に席を立った(ように見える)動画を投稿
・東京新聞の記者がその親露派Z脳の投稿をいいね・リツイート(ちなみに立憲民主党・原口議員もリツイート…)
・しかし席を立ったのは、実は元ナチス党員が設立した極右政党の議員のみであるとのツッコミが多数入る(普通にNewsweekや YouTubeで確認できる)
https://m.youtube.com/watch?t=305&v=S0sRzXfuAI8&feature=youtu.be
オーストリア、元ナチス設立の極右政党が政権入り 中道右派首相は親EU強調 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/eu-104.php
これ、どうするんですか?
きちんと撤回した方がいいのでは?
東京新聞もその記者も、一貫して国内外の排外主義を批判的に報じてきたのではありませんか?
いやね、いくら今ウクライナで展開している現実が憲法9条の護持や集団的自衛権の否定といった従来の日本の左派の主張を吹き飛ばしてしまうものだったとしても、オーストリア極右政党の肩を持ってまでそれら内向きの議論を守ろうとするのはどういう了見なんだって思うの。
たとえオーストリア議会で席を立ったのが極右議員であることを知らなかったとしても、そもそも何でゼレンスキー大統領のスピーチがオーストリア議会で歓迎されなかったことを嬉々として親露派陰謀論アカウント越しに賛意を示してんだよ。
もうお里が知れてるだろ。
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
つい先日、レアル・マドリードの先発にスペイン人が一人もいないという状況が起きた。
と聞くと「リーガ・エスパニョーラって外国人枠無いの?」と思うかもしれないが、半分は正しい。今のリーガ・エスパニョーラやセリエAに『外国人枠』はない。というか作れないのだ。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。むしろレアル・マドリードはよく持った方だ。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
コロナワクチンの副反応が微妙にしんどくて気を紛らわしてたら変に思考が回ってしまい,最弱の男性のペルソナを思い浮かべてしまった.
もし小説など創作的なことをされている方がいたら自由に本設定のキャラを作ってください.
年齢:36歳
身長:165cm
体重:61kg
視力:裸眼視力は0.05であり,太い黒縁のメガネをしている.
容姿:思春期のニキビ跡により顔中穴だらけかつ苺鼻.表情筋は未発達でいわゆる不自然に幼いチー牛顔(かつタラコ唇).歯は歯石に満ちて黄色く出っ歯.6等身なほど顔が大きい.
服装:一張羅のスーツをクリーニングに出さず着続けている.休日は上下ジャージ.
家庭:
父親はアル中以外には疾病がない無職,いつもストロングゼロを昼から夜まで飲んでは中核派のような発言をして母親を叩いている.
母親はその実家含めカルト宗教の信者であり,専業主婦を自称しているがマルチ商法の会員として日々カフェで情報弱者をだまそうとしている(入会以降の収支は大赤字).
父親の実家については祖父が大日本帝国陸軍の軍曹でありシベリア抑留で死亡(遺骨無し),祖母は強度の認知症だが資金不足によりアパートで孤独に暮らしている.
父親は祖父の経歴を「アジア侵略に加担した者の当然の報い」だと息子であるMに幼少期の頃から言い聞かせており,安保闘争に参加して警察官にレンガを直撃させ後遺症を残したことに自信と誇りを持っている.
経歴:
中学まで地元の公立学校にて低いスクールカーストとして過ごす.一定程度の成績を残していたため自称進学校に進学するも落ちぶれる.1浪して地元のFラン大学に目的もなく入学し,第2種奨学金を借りた.
大学では単位取得をろくにせずに過ごし2回留年する.最終的には中退し,就職課の紹介で上記のような職場の非正規社員となる.
以後は人手不足に助けられて契約を更新し続けている.肩書こそシステムエンジニアだが社内雑用がメインであり,横展開可能なスキルは持ち合わせていない.
生活:
週休は不定期の1日で就業日は朝9時から夜9時まで勤務.自分は休みとボーナスを貰えるだけずっと良いと下を見て過ごしており,マクドナルドやコンビニの店員や介護士やAmazonの倉庫管理従事者を見下している.
特に店員が中韓の人であれば露骨に嫌な顔をし,日本人店員に対応されると聞き取れないボソボソ声で「やはり日本人が良いな」などとつぶやいている.
父の反動としてMはネトウヨと化し,今日も終業後はTwitter上で国士を自称して大日本帝国と大東亜共栄圏の復活を目指すと言いながら,排外主義的で支離滅裂な陰謀論をまき散らしている(ツイートの95%がRT).
毎日,朝ダチ処理と就寝前にマスターベーションをかかさない性豪.おかずは高校時代に3年間ずっと好きだったクラスメートの女性,或いはそれに似た女優が出演している制服モノAVで,レイプシチュを特に好む.
オタクの彼女がチャラ男やジョックに寝取られるシチュエーションは地雷であり,滅べと時々ツイートしている.度重なるオナニーにより男性ホルモンがやや過剰に分泌されており,腋臭はもちろん,朝に髭を剃っても夕方には無精ひげができるほど.
上述したような立場とスキルの無さから,業績不振になれば直ちに解雇される候補の一人である.にもかかわらず,一切の自己研鑽をせずTwitterにかじりついている.親の介護のことは一切考えていない.
この週末、都内では中国共産党に抗議する中国人による路上集会が行われたようだ。
その集会を取材しているジャーナリストのツイートを眺めていると、ネトウヨアカウントというか、排外主義的というか、そういう人たちが、中国共産党を批判する中国人を批判している。
戦前の右翼だと、清朝打倒の辛亥革命を支援したりしたものだが、現代の右派や保守というのは、権力に逆らう人たちがとにかく嫌いで、逆にそれだけなんだなと。
あれだけ普段中国共産党を嫌っている人たちだから、中国人が共産党への抗議活動を始めたら手のひら返しするかと思っていたら、そんなことなく、抗議活動に参加している中国人を批判する。
この調子だと今ウイグルの人権問題から中国共産党を批判している人の多くも、ウイグル人が立ち上がって、独立運動とか始めたら、絶対ウイグル人を批判しそう。
なんかこういう人たちをネット右翼というのも変だね。
昔のネット右翼はフジテレビデモとかして、自分なりに見出した権力に抗おうとしていたんだから。
在日特権とか、中華の陰謀論とかそういうのを言いがちなネットの勢力だから
チゲ鍋を出しただけで執拗に責められた「さくら荘のペットな彼女」は異常だった
こういうのもあり、オタクと右翼的排外主義は相性が良いとも思われていて
「表現は清く正しく」という昨今のポリコレが保守的な懐古思想なのか、先進的で自由な思想なのかは、各人によって判断が異なるだろう
こうした主張に反対する勢力をネトウヨなのだとするのは、ズレを感じる向きもあるだろうが
↑左翼
左翼。
資本主義は格差が激しくてついていけないから、もっと平等で公正な社会を目指そうぜ、という感じ。
資本主義によって、土地や工場などを私有する資本家が労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等な社会を目指す。
そのためには、労働者自身が土地や工場などを管理する体制(プロレタリア独裁)を武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。
暴力革命を志向するテロリストや、スターリン・毛沢東のような独裁者を生み出した。
マルクス主義を反省して、暴力革命やプロレタリア独裁を否定し、民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。
政治面においては「俺たちには自由に生きる権利があって国王や貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。
民主主義や共和主義を志向する。フランス革命時における「左翼」。
経済面においては「俺たちが自由に商売すれば自然とバランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。
資本主義や市場主義を志向し、個人の権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。
「社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。
古典的自由主義のように野放しにしていると、差別や格差が広がって個人の自由が制限されるから、むしろ国家権力が介入して積極的に差別や格差を是正すべきだ、という感じ。
社会自由主義の反動から、一周して古典的自由主義に戻ってきた感じ。
自由な市場を実現するために、規制緩和をしたり、法人税を下げたり、国営企業を民営化したりする。
右翼。
何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。
それぞれの政治体制や歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、現在の日本においては、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。
もとは自由主義と連動していて、誰かに支配されたりするのではなく「俺たち」が中心となって行動すべきなんだ、という感じだった。
しかし国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。
「俺たち」を結びつけるものは「民族」「家族」「宗教」「伝統文化」などであることが多い。
さらに行き過ぎると「個人の権利よりも国家の利益が優先される」という「全体主義(ファシズム)」となる。
↓右翼
イーロン・マスク氏の Twitter 買収は Twitter の終わりの始まり、とか言う意見を見聞きする様になったんだが、
個人的に Twitter はこのまま消滅した方が社会的に良いと思ってるので、その点について書こうと思う。
※ 追記: スマホで読み返したら読みづらかったし、文章が雑だと感じたので全面的に改稿しています
ちなみに三行しか読みたくない人に向けて話をまとめておくとこうなる:
あと最期のおまけの話は Twitter の代わりはない。諦めろ と言うのが俺の考えです。
まず第一に今の Twitter が無い方が良いと思う理由がこれ。
直近で思い出すと木村花さんの事件が代表的だが、今の Twitter での炎上は一般大衆が DM やリプライ、
リツイートで 誰でも簡単に 他人に悪意をぶつけられる様になっている。
つまり誰でも手軽に集団で精神的暴力を見ず知らずの相手に振えるようになってる。
そしてこの文脈で言うと、10年以上前の昔は炎上の舞台がブログのコメント欄とか 2ch だったため、
炎上させるには自分から相手の領域へ殴り込んでコメントを残さない限り暴言を吐けなかった。
しかもコメント欄も当事者が閉じれたから、そうなったらそれこそ 2ch でギャーギャーと騒ぐぐらいしかできなかった。
まず炎上の現場が自分の領域(自分が管理するブログ)から他人の領域(この場合 Twitter)に変わった。
その上、誰が見ても酷い暴言を吐いた連中の IP とか分からなくなったし(とは言え自前ブログだと今でも大体 IP は分かる)、
Twitter は一度ひどく炎上すると二度と社会復帰できない惨事の現場になった。
と言うのも Twitter でパブリックエネミーとして炎上すると、顔が割れて本名バレしたら就職や進学に影響が出るのが常になったし、
パブリックエネミーではない理不尽な炎上でも、 Twitter が他の SNS での関連付けされていたらすべての SNS から丸ごと退場、と言う結果になる。
つまり一度追い込まれたら SNS に復帰できないどころか、現実社会でも人を追い込める構造になってしまった。
んでさらに性質の悪いことに、一度 鍵垢とかアカ消しなどで Twitter から逃げだしたとしても炎上案件を面白半分で拡散するアルファ垢とかが普通にいるし、
そう言うクソアルファのツイートを対した思慮もなく拡散するバカがアホみたいに居たりするんだよな。
そしてそう言う連中がいるから、一度炎上で火が付くと余程燃やした側に非が無いと炎上は止まらなくなったし、
その結果として、Twitter は人を追い込んで自死(自殺)へと仕向ける事が出来るプラットフォームになった。
つまり昔の放牧的で日本語すら通らなかった Twitter は気がついたら無くなってて、人を死に追い遣ることも出来る惨状の SNS になった。
なんで俺は死人が出る、と言う理由で今の Twitter は無くした方が良いと思ってる。
次の理由がこれ。
直近のニュースで、複合的な理由が要因となって「いいね(like)」だけで民事の名誉毀損が認められた、
いわゆる「いいね罪」が発生する様になった、と言う事が表現の自由戦士界隈で話題になってたみたいだが、
俺はこれを当然の結果だと思ってる。
と言うより、さっきも木村花さんの事件に言及した様に Twitter で死人や人生を破壊される人が出れば出るほど、
司法や国家権力は「個人を守る」ために、特定の言論へ一定の圧を掛ける判決や規制を出さざるを得なくなる。
なんでかって言えば SNS で死人や被害者が出ている現状を放置する社会、なんて被害者の側からしてみればたまったもんじゃないし、
そう言う社会悪の放置は、往々にして政治の現場へ一定の圧になってくる。んで、この政治側に掛けられる圧が「大義」に化ける。
そしてそう言う「大義」が大手を振って歩ける様になった結果、侮辱罪は厳罰化されたし、それでも SNS で個人への精神的暴力が止まらず、
より酷い状況を生み出すんであれば、たぶん名誉毀損罪とかも厳罰化されるだろう、と俺は思ってる。
んでそう言う「大義」にかこつけて「言論の自由」を規制したい連中は暗躍するわけで、今の惨事が罷り通る Twitter は既に言論の自由の敵になった、と俺は考えている。
そしてこの手の話が最終的に極まって行けば、極論だけど Twitter みたいな SNS は規制省疔直轄の許可制とかになりかねないでねーの、と俺個人は思ってます。
これはまあオマケみたいは話ではあるんだけど、Twitter も含め 、例えば Facebook とか Instagram 、
YouTube とか TikTok とかなんでもそうだが、国外の SNS は前提として 日本国における言論の自由は無い。
と言うのもこれらの SNS はすべて諸外国の法律下に既にあって、その上で日本の規制とかが入ってるから、
他国の規制と自国の規制、その両方の法規制の元に置かれている。
で、これの何が都合の悪いか、と言うと、例えば日本の法律では許されている言論であっても、
サービス提供を行なう本社がある国では違法となる言論があった場合、日本に居ながらにして他国の法律が適用される、とかそう言う事になる。
なんで例えばアメリカでクソったれな言論規制法が出来上がって施行されたとすると、
その法に対し違憲判決が出ない限り Twitter などのアメリカ系 SNS は、日本を含めどの国に対してもそのクソったれな規制下に置かれてしまう。
なのでそう言った意味で、そもそもとしてアメリカ企業が運営する Twitter には日本の言論の自由はない。
そしてさらに性質の悪いことに、Twitter 社はトランプ大統領が現役だった時、トランプ大統領が無茶苦茶を言い出したことに対して、
マニュアル運用でトランプ大統領を黙らせようとし、最終的にトランプ大統領が退任した後、アカウントを凍結して Twitter からトランプ元大統領を叩き出した。
んで、自国の要人、しかも大統領にさえ(抵抗権として)牙を向いた Twitter 社が、他国の要人が似たような事をしだした時、
同じ様な行動を取らない、なんて保障はあると思うか?思う思わないは個人の意見に相異はあるだろうが、俺としてはそうは思わない。
つまり Twitter と言う会社は、自社や自国にとって都合の悪い意見 を政府要人が言い出した場合に相手を黙らせた前科があり、
そう言った意味で日本の政府要人、あるいは公共機関の Twitter アカウントが凍結されない、なんて保障は俺は無いと思ってる。
なのでそう言った意味で俺は今の Twitter を信用・信頼すべきではないと思うし、イーロン・マスク氏の暴走がどう影響するか分からんが、
自体がより悪化する方向へ傾くのであれば、俺は Twitter にご退場を願った方が良いと考えてます。
そう言った理由で俺は Twitter と言うサービスは、ある面では無くなった方が良いんじゃないかと思ってるんだが、
では Twitter の代わりになるサービスはあるか?と聞かれたら、それはたぶん無い。諦めろ、と言うのが俺の結論。
と言うか第二・第三の Twitter もどきが出てきたところで、 Twitter の二の舞になるからそもそもそんなサービスは存在すべきではない、と思ってる。
あと Twitter の代用、と言う文脈でマストドンなどの連合系インスタンス群(Fediverse)が代用候補に上げられるが、
マストドンや misskey 、Pleroma なんかでも同じで、連合系インスタンスであっても、規模がデカくなればなるほどTwitter と同じ末路を辿るだろう、と考えてる。
と言うか連合系インスタンスが比較的平和なのは、ユーザー数が少なく良識のある面々が多数派だからであって、
そうではないクソみたいな連中が雪崩れ込んできたら、あっと言う間に Twitter の様な荒廃した世界になるのがオチとしか俺は思えない。
しかもマストドンとかは技術的な面倒を見れるのであれば誰でもインスタンス立てられるから、
誹謗中傷や暴言、陰謀論、排外主義や差別主義、と言った最悪な言動に特化したインスタンス「も」立てられると言う面もあったりする。
とは言えそう言った最悪系のインスタンスは他のインスタンスの連合から弾き出せるし、
Pawoo みたいに海外の法律的に連合を組めない(主にえっちなイラストが原因)もあるから、これが一概に悪いとは思わない。
が、ユーザーが増えれば増えるほど SNS 系のサービスは治安が悪くなるから、俺としては大規模な Twitter もどきを増やす利点を見出せない。
なんで俺個人としては、連合系インスタンスは行儀の良い面々だけで運用されるインスタンスでもない限り治安は最悪になるだろうし、
Twitter で誰とでも暴言吐いて論戦出来る場なんて用意すべきではないと考えてる。
そのためこの節の最初の方でも言ったけど Twitter の代わりは無いし用意すべきでもない。素直に諦めろ、
と言うのが俺の結論です。なので誰にとっても救いはない。
この卒研やりたくない増田とそれに対するブコメとかの反応を見て思ったが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220816014148
「こんな奴は採用するな」「こういう馬鹿を焙り出す」「嫌なら他の場所へ行け」という排外主義の論調が多数派になる事に違和感がある
この増田は卒研についての個人の意見を言っただけで、ここまで必死になって罵詈雑言を浴びせる理由がわからん
そもそも既存のルールや決まりに疑問を持って追求する事自体が学問の真価なので、それを実行している増田とそれにちゃんと付き合って議論してる増田の教授は良い事をしていると俺は思うよ
「ルールなのだから従え」が正しいならそれこそ自分で考える必要は無いし、突き詰めればブラック企業や独裁国家ですら肯定出来てしまう
この異なる価値観を(多分)良い歳した大人が過剰反応とも言える勢いで攻撃する所に、世界から遅れて衰退した日本の縮図を見ました
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s
57:08~1:05:19
抑圧側と被抑圧側との逆転の構図
抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派、
あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンラインの男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます。
もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、
その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力を正当化していくっていう、
その形というのはもちろんその以前から、
例えば排外主義において、あるいはモラル・パニックにおいて広く見られてきたものではあります。
9.11の同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビアの暴力っていうのはこういうものだったわけですし、
あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイ・バイセクシャル男性というのを、
当時は性的捕食者、セクシャル・プレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルスの拡散元として、
非常に激しくバッシングしたのが英米のモラル・パニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。
じゃあそのオルト・ライト勢力やオンライン・ミソジニー・アカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、
これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、
マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由を侵害されている」という形で、
はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。
そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、
今のところ最新の形がいわゆる「キャンセル・カルチャー批判」というものになります。
- CAMBRIDGE DICTIONARY
- MERRIAM-WEBSTER
キャンセル・カルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、
2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、
キャンセル・カルチャーの意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります。
実際、例えば辞書の定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、
「社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、
「自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、
あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。
それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、
「不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団でキャンセル行為」、
このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、
「集団でキャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。
またピュー・リサーチ・センターによる2020年時点の調査では、
リベラル寄りの人々は、
キャンセル・カルチャーというのは、ある人に自分の言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。
それに対して保守派に寄っていく人ほど、
同じキャンセル・カルチャーを検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます。
つまりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的に問題があると思われる言動を、
放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、
より保守的な別の人々にとっては、これがつまり「キャンセル・カルチャー批判」の文脈になるわけですけど、
そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。
言い換えれば、「キャンセル・カルチャー批判」という形でのキャンセル・カルチャーってのは、そもそもの最初から、
しばしば多数派である鉤括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、
「私たち」の言動を検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。
だから先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセル・カルチャーだと言えると思います。
「正義と開かれた議論についての書簡」(通称「ハーパーズ・レター」2020)
153の署名: ノーム・チョムスキー、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど
「人種的、社会的正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような「必要な過去の清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」
保守派による「キャンセル・カルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからはほとんど枚挙にいとまがない。
毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、
ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います。
何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。
一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、
この公開書簡は、当時のトランプ大統領に代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、
同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、
ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアのポリコレ評価と、
用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、
とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、
この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど、
非常に有名な人たちを含む153名の研究者・作家・ジャーナリストが署名しているんですけども、
この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、
公開されるとすぐに「キャンセル・カルチャー自体をキャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、
人種的・性的マイノリティを中心とする若い左派層から大きな批判を受けることになります。
キャンセル・カルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。
じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、
「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような
「必要な過去の清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、
だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、
一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、
この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、
Racial Reckoningって人種的な過去の清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、
人種主義への批判そのものを不寛容だと見なす「キャンセル・カルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。
同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネスの批判者として知られていた、
ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバード・ロースクールの学部長職を退くことになった、
この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動に批判が集まっていた、
この公開書簡が「キャンセル・カルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います。
この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派の代表的知識人と見られてきたチョムスキーが署名をしている。
同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。
つまり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。
にもかかわらず先ほどから申し上げているように、
実際には、より若手のマイノリティのライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。
恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、
近年では力のある地位にある人々が、自分たちの差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、
その批判や糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、
フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、
その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います。