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はてなキーワード: 女性自身とは

2020-08-07

女王女帝が少ないのは女性差別ではないだろうか?とふと思った

歴史上で女性が国を統べた例は男性が国を統べた例と比べるとあまりにも少ない

まあ女性生理的問題でどうしても最高指導者にはなりにくいという事情もあるのかもしれない

世界で一番有名な女王イギリスエリザベス女王だろうか?御年94歳、後6年で生誕100年になるそうな

それはさておき、現実女性君主が少ないのは現実的な問題から仕方ないにしても…創作物語の世界でも女王女帝と呼ばれる人物は少ない気がする

王様」という言葉を聞くと大抵の人は髭を生やして頭に冠を乗せたお爺さんを連想するだろうし、

皇帝」という言葉を聞くと今度はやたら偉そうで覇気に溢れた壮年男性連想するんではないだろうか?これは自分だけかもしれないけど

これはもう王様皇帝一般的男性を指す言葉になっているという事なのだろうか?男王や男帝なんて言葉はあまり耳にしないし…ダンテェーイ

大抵女性権力者といえば王様のお嫁さんである王妃様や王様の子である王女様として登場する事が多い

何故だろう?せめて空想世界でなら女性最高権力者として国や世界を統べる作品もっともっと多くても良い筈だ

不思議な事に女性自身も女性が最高権力位置する事より最高権力を持つ男性と親密な仲になりその配偶者になる事を望んでいる節がある気がしてならない…全く不思議だと思う

2020-06-25

anond:20200625141242

そうなんだ。

それなら確かに結婚する意味必要もなさそう。

しかし世話したくないってことは、やはり女性自身が世話しないといけない前提で考えているってことなのかな。

2020-06-21

anond:20200621124848

抑圧されてたんじゃなくて「可愛い」だけで全部せしめようとして他は重要視してこなかった女性自身の怠慢でしょう

他でも評価されたいなら3K労働とかちゃんとすればいい

2020-06-15

フェミ巨乳

あれだけ寄ってたかって女性自身を叩いていたにも関わらず未だ「広告巨乳女性を使うことを叩いていた」「巨乳広告を認めるのは巨乳エロと見做す社会を認めることで、それは許されない」と主張してるフェミはきっと昨日の夕飯のことも覚えていないのだろう。

ポスター広告を見て巨乳エロから何してもいいんだ!!なんて思うのは元からただのヤバい奴であり、三次元になど見向きもしないオタクを叩いて満足感を得たところで早慶の槍サーは今日合コンに行き多目的トイレ不倫の場となり羅生門はクソデカイままで何も変わらない。

2020-05-14

文春も好き勝手書いてるけど、女性自身も同じくらい好き勝手書いてる印象がある。知名度が多少低いのでスルーされてる印象。

2020-05-02

芸人搾取されていいの?

某I川氏、Twitterで「本人の意識が変わるかなんてどうでもいい、署名芸能人の影響力を自分たちが利用するため」という主旨のことを言ってるけど、これって正に性的搾取と同じ構図ではないの?

女性性を利用することについては女性自身が行うこと含めて蛇蝎の如く敵視するのに、自分たち芸能人の著名性を運動に利用するのは正しいと思っている。

こういうのがフェミなんですか?

2020-04-28

anond:20200428091619

フェミがどうのこうのは知らん。ただ一応は豊かになって「貧困ゆえに売春」が遠く彼方になった。一応は売春業は高賃金になって、恋愛結婚犠牲にしても高賃金からやるというようにはなった。

高賃金で裏でこっそりやるのまでは女性自身を罰しないと止められんよ。だけどそうすると貧困ゆえに売春をする女がますます隠れるから女性自身を罰することはできない。

そういうもやもやの中「高賃金自分意思でやる女なら仕方ないんじゃない?」という表向きの状態だった。

そこにコロナが来て、だいぶの不況。人余り、食い詰める人が増えることが見える。

そこに岡村が「食い詰めて性風俗をやるような女が増える。それがうれしい」みたいなことを発言した。ましてやコロナにより多数の女性解雇されて食い詰めることが見えている。これから就活を迎える女学生は相当就活に難航するのが見える。

から噴火だよ。

といっても女性自身を罰することができない以上売春の根絶はできないんよ。

2020-04-27

岡村風俗発言の件で思ったがなんでホストって叩かれないんだろうか

岡村が絶賛炎上であるが、その理由自由意志でなく風俗で働く人が増えることに対し、純粋消費者目線のみから幸運表現したのがまずかったのだろう。

それではなぜホストクラブはあまり叩かれていないのだろうか。

ホストクラブでは客を経済的に困窮させ、いか風俗に落とすかがマニュアル化されているし実際多くの客は風俗嬢含め夜職の女性だったりする。

この場合最後の決定は女性自身がするにしろ自由意志でないのは確かだ。

しかホストクラブ存在軽蔑されず(むしろ最近メディアなどでも持ち上げられているが)、多くの人が分かりやす芸能人ちょっとしたコメントに噛み付いて溜飲を下げている。

深夜ラジオの一つの発言がこんなに炎上するのに、なんでホストってもっと叩かれてないんだろうか?

2020-03-24

ツイフェミさんはアホばっか

これ真面目な話だからな。

フェミニズム応援したいんだ。確かに男女格差、ていうか女性差別はある。

それは是正しなきゃならない。

しかし、ツイフェミにはアホしかいない。ていうか、フェミニストのうちでツイフェミ差別していい連中だ。

高輪AIさくらなんか、あれなんや? 可愛くすんな? セクハラ応答すんな? キチガイあいつら。

可愛い」などに「ありがとう」と反応するのは、ハラスメントになり得る表現だということくらい知ってるが、それは会社の話。

一般社会では、普通に会話として十分許容される会話でしかない。

んなこと言い出したら、「不快」や「苦痛」を理由にどんな会話も駄目になる。

女性表象すら自由に描けなくなる。

絵だけじゃない、小説やら広告などの文章だってやられる、実際広告はやられている。

それがフェミニズムになんの関係があるのだ?

フェミニズムそもそも女性社会で自立することに意義がある。

そのための障壁をなくそう、というのが本来趣旨である

しかし、あまりに行き過ぎたそれら規制方向への考え方は、もはや暴走と言っていい。

女性自身を「被害者」と見立てることは、フェミニズム本来趣旨とは大きく違う。

家父長制は女性奴隷にしたかもしれないが、被害者とは見ていない。そこから自立して平等人権を与えるというのがフェミニズム目的であったはずだ。

それなのに、表現自由という大事人権侵害しようとするのだから、アホとしか言いようがない。

ツイフェミを滅ぼさないと、社会死ぬ

人ではなく、ツイフェミ思想をという意味でだ。

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-10

ツイフェミをはじめとするミサンドリーが強いタイプフェミニストを名乗っているひとたちは、いわゆる名誉男性ではない普通女性によって傷つけられたことはないのだろうな。男からの加害を女性に助けてもらおうとした時に、被害者である自分の救いにも状況の改善にもならない雑な解決策をされたことなどないのだろうな。そういう雑な解決を行う=名誉男性とするひともいるだろうが、決して男や男性社会迎合した結果ではなく、単なるその女性自身の怠慢としか思えないことだってあるだろうに。女性からお茶汲みをはじめとした責任のない仕事以外もできるように働きかけたりした先人達には感謝だけど、今のミサンドリーを発散したいがためのフェミニストは大多数を救えているとは思えない。というお気持ち

2020-02-27

anond:20200227100237

二行目の意味わからんけど女性女性自身の不利益改善を訴えるのは当然やん

そんで婿養子として夫婦別姓同意するなら彼女らと協力してやってけばええやん

2020-02-16

特殊効果フェチ 4(完)

anond:20200216091138

これの続きです。今度こそ本当に終わります

分類不能

ここまで、割と分かりやすい例を挙げてきたつもりだが、最後に俺自身も分類が困難な例を挙げていこうと思う。自分で言うのはアレなんだけど、たぶんこの辺が本領発揮と言えるかもしれない。

https://youtu.be/4IyXLcYYncU

間違って1のときフライングしてしまったけど、これです。謎の生命体に飲み込まれて忽然と姿を消してしまうという異常なシチュエーションが、日常風景の中で行われているアンバランスさが良い。

https://youtu.be/tfKDFm9ffL4

これのどこ?と思われると思うが、パソコンから雑誌を出し、雑誌から携帯電話を出すという非現実的な行動を一連の流れで平然と行っているところに趣を感じてしまう。これは俺の性癖の特徴を良く表しているかもしれない。

貞子はテレビから出てきてくれるよって言われそうだけど、あれは怖いからヤダ。

https://imgur.com/a/BC4gfZW

これもまたどの辺?となってしまうかもしれないが、マスト君という現実はいないキャラクター対峙し、さも当たり前のようにマスト君の内部に入り込んでいるところが良い。こういうのに反応してしまうあたりが俺自身性癖説明することを難しくしている。

https://youtu.be/EN5YIHb2qc4

日常の中で突然、女性ガラスあられもない姿でベチャッと貼り付いてしまう非日常さが良い。

https://youtu.be/n54F8s4B9Qw

ふーん、エッチじゃんと思われると思うが、そこではない。みっちり詰まって隙間のないグレープフルーツから立体的な女性が現れるというところが良い。2Dだった女性が一瞬で膨らんで3Dになっているのだろうか。そう考えるともしかたらこれは変形の一種と言えるかもしれない。

https://youtu.be/WmlMa86FYh8

これも上と同様のパターンかもしれない。0:04〜0:05の瞬間に2Dリア・ディゾン3Dになって飛び出してくる瞬間がいい。もちろんそのあと増殖してるのもいい。

ごめんね。おちょくってると思われても仕方ないよね。

いやこれならきっと分かってくれる方はいると思う。これは全然女性自身への特殊効果とかないんだけど

https://youtu.be/5A3FhDJBz7k

凛とした女性が突然の出来事に戸惑って、髪が乱れてしまっているところにエロスを感じる。すまない。ただの俺の好みでしかない。この場を利用して何ぶっこんでんだと怒られても何も反論できない。でもきっとこういうのに反応してしまう瞬間は誰しもあるんじゃないかと思う。(見苦しい開き直り

こう振り返ると俺は日常の中に突如飛び込む非日常に弱いんだなと感じる。

この際なので

ところでほんとに全く話は変わってしまうがこの際なのでぶっちゃけると、実はこんな記事を書いたことがある。

anond:20170218154801

自分性癖を掴みきれてない俺がいるが、映画マスク主人公女性だったらなというのは未だに夢見ている。主人公じゃなくても、キャメロン・ディアスがほんの数分でもマスクかぶって、ぺちゃんこになったり目ん玉飛び出したりとかアゴ外したりとかしてくれたらなと思ってたが、まあないよね。突き詰めていくと、これも変形とか変身と同じカテゴリーなのかもしれない。目ん玉飛び出すというとトータルリコール(これで2回目)にそんなシーンがあったけどあれは生々しすぎて気持ち悪くてあかん。ぺちゃんこになるのも、今のところマリオカートピーチ姫ドッスンにぺちゃんこにされるところで止まってる。

でも探してみるとこんなことやってる人もいるようだ。世の中は広い。https://youtu.be/GylCP5_QC2I

そんなことを考えていたらこんなのが出てきた。

※閲覧注意!見る人によってはグロいか

https://youtu.be/cDPRRH0F4vo

(これの0:20〜)※閲覧注意

こんなきれいな人がこんな役回りさせられちゃうというのが俺としてはたまらんのだが、案の定YouTubeコメント欄には「キモい」「女の子がかわいそう」という言葉が飛び交っていた。しかし中には「これは誰かのフェチになるかも」というコメントもあって心臓まりかけた。

記事ではなんとか情報を得ようと必死画像を貼っているが、的外れではないものの無理してる感は否めない。なんせ漫画アニメからね…が、ディクシーのはいいなと未だに思う。ディクシーというと昔読んだ4コママンガで、ディクシーがクモに変身していく過程ギャグリアル描写している漫画に興奮してしまたこともあった。実写にこだわりがないあたり、思春期節操のなさの名残りを感じる。

突き詰めると、俺は漫画アニメしかできないようなことを実写でするというところにフェティシズムを感じてしまうのかもしれない。今までこんなものに反応するなんて俺はヤバイ奴なんじゃないかと思うことは度々あったが、今回記事に起こさせていただいたことで自らを振り返ることができた気がする。

最後

ここまで無駄な話に散々付き合っていただきありがとうございました。今まで友達にも話したことがありませんでした。おそらくここでも理解されないでしょうが、本望です。あまりディープすぎて引かれそうなのは避けましたがほぼ語り尽くしました。ありがとうございました。それではまたどこかで。

(完)

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-02-08

なんかこれが叩かれてるけど、これ自体別に間違ったことは言ってないでしょ。単に「現実が見えてない綺麗事」ってだけで。

フェミニストを名乗ってるだけのただの差別主義者」が決して無視できない数いて、そうした人々が反感を買ってることは、認めるしかないと思うんだけどなぁ。

「たとえそれが事実だとしても、フェミニズム責任を求めるべきではない」と堂々というなら、まあそうだよなと思うし、支持もするけど。

「そんなフェミニストは見たことないなぁ」「どこにいるのか具体的に教えて欲しいなぁ」「1人か2人しか上げられないの?それで多いという証拠にはならないなぁ」とか、青織メソッドでのらりくらりと逃げ続けるだけだから余計にムカつくんだろう。

2020-01-29

日本人美女の8つの基準

1. 白い肌

日本美白現象は私にとって本当のミステリーです。

それは伝統的な日本芸者と結びついているのでしょうか?

あるいは肌が白いということは貴族の特徴なのでしょうか?

あなたが夏に日本に来れば、おばあちゃん忍者を見かけるでしょう。

おばあちゃん忍者とは、露出した肌のすべての部分を覆っている年配の女性のことです。

アメリカでは日焼けクールだと考えられていますが、日本ではそうではありません。

2. 高い鼻

私は、若い女看護師に高い鼻を賞賛されたことを覚えています

日本で「高い鼻」を望ましいものにしているのは何でしょうか。

美容整形比較すればちょっとしたヒントが得られます

アメリカでは、顔の自然輪郭に合わせて、鼻を小さくするために整形します。

日本では、あるいはアジアでは、より高く、大きな鼻が好まれます

3. 小さな

日本の友人に休暇のことをたずねたとき、彼は北海道女性がどれほど美しいかを語りはじめました。

彼女たちは肌が白くて顔が小さい」と彼は言いました。

私は「小顔」という表現を何度も聞いたことがあります

かつて、私が「ゴージャスな容姿」だと感じた女性がいましたが、彼女自分の大きく丸い顔を嫌っているようでした。

あなたは美しいと言っても、彼女は信じられないと言って一蹴するでしょう。

4. 小柄

ボンキュボン」という表現を知っていますか。

これは日本語のオノマトペで、胸が大きく・腰が小さく・お尻は豊満であることを意味しています

日本の美の基準では、しばしばスリムで小柄な女性は、グラマラス女性よりも勝っているとされます

これはややこしい問題です。

私が日本人の女性に尋ねたとき彼女は小柄であるよりもグラマラスなほうがいいと言いました。

男性に同じ質問をしたとき、彼は小柄な体格のほうがいいと主張しました。

どちらが一般的かを判断するのは難しいところです。

5. カールされた睫毛

私が電車に乗ったとき、その場で化粧をしている若い女性に出くわすことがあります

彼女は、拷問器具のようなアイテムを取り出して睫毛をカールさせます

そのアイテムは、睫毛をカールさせるために作られたものです。

明らかに付け睫毛をしている女性も見たことがあります

偽物であることが明らかなのに、それに意味があるのでしょうか。

もちろん、こうした美的特徴は普遍的ものでもあります

アメリカヨーロッパで数えきれないほどの女性マスカラ使用しています

6. 二重まぶた

さて、この部屋にいるもっとも大きなピンクの象に言及しなければなりません。

(「部屋にいるピンクの象」とは誰もが気付いているが指摘したくないもののこと)

それは「二重まぶた」です!

なぜ二重まぶたが求められるのでしょうか。

私が聞いたなかで最も良い答えは「二重まぶたは目を大きく見せるから」でした。

これについては完全には理解できないと思います

「うわあ、彼女は一重だからぜんぜん可愛くないよ!彼女とはデートできないな!」

ちょっとクレイジーに聞こえますね。

7. 長い脚

電車の中で、素晴らしい脚を持つ日本女性をこっそり眺めたことがありますか?

認めてください。誰にも言いませんから女性自身も認めるでしょう。

これは日本が持つ最大の長所だと思います

日本女性は美しい脚を持っている!

女性たちはその美脚を見せびらかします。

私は冬の電車の中で震えているミニスカート女性を見たことがあります

同じジムに通う女性たちからは「もっと脚が長ければいいのに」と何度も聞きました。

8. 物静かな性格

とても落ち着いた、礼儀正しく、優雅女性は、ワイルドクレイジーで出しゃばりな女性よりも美しいと考えられています

私は、電車のなかで中年女性とその友人が、やや大きな声で会話をしていたことを覚えています

それを見た年配の紳士は、ため息をついて「馬鹿みたいだ」とつぶやきました。

2020-01-18

性的モノ化」の議論のまずさ

フェミニズム視点では「胸の大きい女性転職情報のPRに起用する」のはまずいようだ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yomogidango0909/status/1218363032004329478

 

上記のような意見を「本当のフェミニズムじゃない」と感じるとしたら、それは間違いである。

それどころか、現在日本フェミニズムの主流やアカデミズムの主張から必然的に導かれる結論である

このような意見はいわゆる「性的モノ化」(あるいは性的客体化、対象化)の議論立脚している。

 

フェミニズムを専門とする社会学者小宮友根と、宇崎ちゃん問題の時にイラスト付きで不適切さを分かりやす解説していたふくろさんによる以下の記事を読んでみよう。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864

性的女性表象の持つ差別性は、フェミニズムの中では「性的客体化(sexual objectification:対象化やモノ化と訳されることも)」の悪さという観点から議論されてきました。

(中略)

たとえばポルノグラフィ批判で有名なキャサリン・マッキノンアンドレア・ドウォーキンが繰り返し主張していたのは、ポルノは「わいせつ(性欲を刺激するもの)」だから悪いのではない、ということでした。マッキノンたちのポルノグラフィ定義には、女性が「人間性を奪われ」「辱めや苦痛快楽とし」「性暴力によって快感をおぼえ」「特定身体部部位に還元される」ような「性的な客体として提示されている」という項目が含まれています。要するに、女性を「性的な客体」として提示することが悪いと考えられているのです。

最初ツイートでの「女性性的記号を利用してPRする」ことへの批判は、上記のように、女性性的記号還元するような悪さへの指摘として正当化できる。

なお、上記引用にもある通り「エロいから悪い」「胸が大きいから悪い」のではない、あくまでそれが表現の中で強調されるなどして、記号として利用されることがまずいのだ。

このように(ブコメでは散々な言われようだが)ツイート批判は、実はフェミニズムとして至って正気批判である

ところが、そこにまずさがある。

 

フェミニズムがこのような批判正気にし得るということは、フェミニズムは、時と場合によっては(件のPRのような)本人の意思に基づいた女性の行動や社会活動をも批判し得る、ということだ。

ここで一足飛びにフェミニズム批判に走ってはいけない、まずはそのような主張がどのようにして正当化されるのかを考えるべきだろう。

 

例えば仮に、件のPRの立案からカメラマンからモデルに至るまで、すべて女性がやっていたとしても、フェミニズムはそれを批判する必要がある。

女性ミソジニーを持ちうるし、性的記号不正利用も行える、レズビアン場合を考えれば女性性的欲望し消費するケースもあることも分かるだろう。もちろん男性との共犯関係もあり得る。

行為者が女性であることで(男女の非対称性から)悪さを軽減することはできるかもしれないが、免除することはできない。

ここで問題になるのは主に以下の2つ。

1.女性イラストレーターや女性漫画家のような表現者が女性をモノ化して表象する場合の扱い

2.キャンペーンガールグラビアアイドル、AV女優風俗嬢等が、自身身体を「性的な客体」に還元する場合の扱い

件のPRは2に該当する訳だが、その悪さはともに「性的モノ化」によって説明できる。

まり表現であれ自分身体であれ、女性性的にモノ化、客体化することが悪いのだ。(※1)

 

ここで「1はともかく2は自分身体自分意志でやってるんだからいいじゃないか」「被害者はいないじゃないか」と反論するならそれは間違いである。

直接的な被害者がいなければいいのであれば1も、宇崎ちゃんやその他のあらゆる表象問題化できなくなってしまう。

問題は、モデルのいないイラストであれ、合意済みの女性自身身体であれ、「女性一般に対するイメージを歪めたり利用したり、モノ化できてしまう、その悪さなである

 

こう言い換えてもいいだろう、「女性」のイメージ女性全体の言わば共有財産なのであり、イラスト女性自身身体もそれを傷付け得る。

例え女性個人合意していたとしても、それ以外の合意していない女性へもダメージが波及するために、女性身体性的にモノ化することは許されないのだ。

従って、個々の女性身体女性表象もまた、女性全体の共有財産だと言えるし、共有財産である限り、個々の女性が(集団の意に背いて)それを好き勝手にすることは許されない・批判される必要があるのだ。 

このようにしてフェミニズムは、女性に対するある程度の自由抑制批判、そしてそれによる全体主義正当化できる、できてしまう。

 

このようなフェミニズムの在り方に対して、フェミニズム自身による更新は難しい。

何故なら上記のような論理は「性的モノ化」のような基礎的な概念から論理的に導出できる以上、その更新フェミニズム全体を大きく変えざるを得ないし、

その過程で、これまでのフェミニズム批判しえていた(主に男性たちの)行為や現状を批判不能にせざるを得ないようなケースも出てくるだろう、そうしたことは、多くの女性フェミニストにとって受け入れがたい。

あるいはアカデミズム側のみのマイナー議論としてはそのような更新も期待できるかもしれないが、運動としてのフェミニズムにそれを輸入することは恐らく出来ないだろう。

例えば件のツイートに対しても、フェミニズムによる(その女性身体を共有財産化する全体主義的な傾向に対しての)批判は期待できない、という事からもそれは分かる。

こうした問題を、フェミニズムはこれからも抱えていかざるを得ない。

そしてそこから目を逸らし続けないわけにはいかない、例えそれが欺瞞でも、解決する能力がない以上は。

 

※1 なお1に該当する女性エロ漫画家フェミニズム肯定しえないことについては以下を参照

https://anond.hatelabo.jp/20200116204747

2020-01-17

anond:20200116212423

自身が「痴漢や性被害に遭うのは美人可愛い女だけ」と思っているんでしょ。

女性同士の分断をやっているのは女性自身だといういい例。

こう言うのを見るとマスゴミって感じがするね

香川に続き大阪も…子どもゲーム時間制限条例案に抗議の声

https://this.kiji.is/590516105410217057?c=539383836944122977

大阪市の松井市長ゲームスマホ利用を規制記事不正確。真相解説しま

https://otokitashun.com/blog/daily/22414/

産経に続き女性自身も…って所だね。

これは音喜多議員頭抱えていそうだ(苦笑)

ただ一番悪いのは寄りにもよって香川県で炎上している最中なのにわざわざミスリードを誘う様な返答をし、火に油を注いだ松井市長なのだが。

喜多議員がどう言おうが松井市長自体どう考えているか判らないからね。

もう松井市長福島汚染水の件と言い喋らない方が良いんじゃないかしか思えないね

明らかに維新と言う政党自体ダメージを与え続けているでしょ、彼。

2020-01-15

anond:20200115135324

出版社伝統から

週刊誌も「男性誌」の週刊文春週刊新潮普通に男女とも読んでる想定で作られてるし読者ページも女性が多いけど

女性誌」の女性セブンや女性自身は女性しか読まない前提じゃん

2020-01-12

育児もそうだけど

産後女性の様子をみると、出産の打撃から心身の回復が追いつかず、その状態ハード育児家事や早期の職場復帰している率が高い。育児支援よりも前に、産後女性が最低限の睡眠栄養をとれるようになってほしい。

身体栄養がなく疲れ切って思考力や判断力免疫力も弱って性格も変わったようになるお母さんたち、急に様子が変わった妻に戸惑うお父さんたち。

出産の打撃と対策はあらかじめ知識がないと男女とも分かるはずがないので、知識を得る機会が欲しい。生理についても、女性自身がどのくらい理解しているか私自身も仕事勉強をするまで自分生理が重いと理解していなかった。

子どもが一歳に満たない家庭には配食サービスくらいあってもいいと思う。

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