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2018-07-15

豪雨災害について、書きなぐり

2011年3月に、大阪大学で行われた卒業式において、

当時、学長であった哲学者鷲田清一教授は、一通りの -文字数として数えると

240文字ほどの祝辞をを述べた後、

「途方もない災害が起こってしまいました」

との言葉で、卒業式スピーチをはじめました。

原発問題の有無や、テレビ流れる「亡くなった方」の数字の桁こそ違えど、

豪雨災害としては、「未曽有の」災害であった点、そして

これから対策根本的に見直さなければいけないという点、

そしてなにより、

近しい人を亡くされた痛切さが伝わってくるという点で、

今回の2018年7月豪雨、ぼくは、3.11と同質のものを感じています

また、途方もない災害が起こってしまいました。

今回の豪雨、ぼくは降水量としては3番目に多かった神戸に住んでおり

かにいままでにない雨の降りかたでした。

加えて、徒歩にして500mほどの場所土砂崩れが発生していましたが、

それでも、「災害に巻きこまれつつある」という意識希薄でした。

「雨が降っている」というのは日常範囲現象だもんなあ。

NHK広島の人が、こんなことを書いています

広島でも「当事者として行動する」ことは難しかったようです。

被害地域が広域であったこと、下手に現地取材を行えば自身被害者になってしまマスコミリスクに加え、

しかすると「雨の災害」だと、心のどこかでラベリングをしていた(し続けている)人も多くいたんじゃないかなあ。

現在は、豪雨災害ニュース一色、現地から報道ばかり、といった感じですけれど

実際の雨が降っているとき映像は、ほとんどが京都嵐山だったり

神戸大学の裏山のものばかりだった印象です。

それらのニュースをみて感じたことがあったので、書いておきます


取り返しつつあるように、豪雨災害一色となったニュースの中で

「ご家族を亡くされた方」に密着しているものが、目立ちます

家族を亡くしたお父さんの後ろには、画面を通じて確認できただけで

お父さんの後を追うように、20人ぐらいの「マスコミの人」がいました。

よく「心ないマスコミが!」という意見は目にするけれど、ぼくは今回

少し別のことを、その映像から感じました。

「このお父さんは、ひとりでこの時間を過ごすことにならなくてよかったんじゃないか?」

家族を亡くされた苦しみ。

自宅が浸水し、心の支えを失ったなか、  

いったいなにを支えに生活を取り戻していくんでしょう。

想像するだけで胸が引き裂かれそうになるよ。

そんな苦しみと喪失感のなか、あのテレビに写ったお父さんが

「だれにも見向きもされず、ひとり」だったら、どうだったのだろう。

もちろん、痛みから回復過程において、

「ひとりで悼む」という時間は、きっと、必要になるでしょう。

そのような時間が、最初必要なひともいるでしょう。

から一部の人たちから「クソマスコミが!」と呼ばれるのでしょう。

けれど、人間みんなが「苦しみをひとりで耐え忍ぶ」ことをできるように

デザインされているとは思えないのです。

ぼくだったら、どうだろう。

家族を失くし、立ち向かわなければいけない現実は山積み…

そんなときに、それがたとえ気遣いからでの「ひとり」であったとしても

その孤独に耐えきれないのではないか

そんなふうに感じます。きっと気が狂ってしまうよ。

カメラをかつぎ、マイクを握ったマスコミのみなさんではあるけれど、

自分ではない他者」に囲まれながら、

これもまた回復過程において必要な「言葉にする」ことを

きっと、しぼりだすように、されているお父さん。

きっとあの映像を、ぼくらが痛みへの共感を持ちながら

受け止めることができるか、それを試されているんじゃないかなあと思うよ。

ああ、痛い体験ですね。強くなろう。

3.11、多くの人がそうできたように、また今回も。

そう、3.11です。ぼくはニュースで水につかった西日本の街を見るたびに、三陸を思い出します。

みんな、元気かい? ぼくでもそうなんだから、みんなはきっと

ぼく以上に思い出すよなあ。

しんどかったら、テレビ、消していいからな。

逃げているように思わないで。

あれだけの傷をうけてまだ7年です、

「みんなが生活してくれている」それは奇蹟だし、

その事実が、関西を救うよ。もう救われてる。

みんなが絶望していないんだよ。それは、みなさんが、

暮らしている、その事実がおっきいと思うよ。

すっごいワガママを言うと、

笑って生活してくれていたら、もっと勇気づけられる!

「ただ、いてくれること」そのことがどれだけぼくらを救うか。です。

いつもありがとう(^_^)

みなさんがそういてくれるんだもの

きっと、ぼくらにできないはずはない。

なにもできない自分を責めてしまうみんなへ。

大丈夫役割がくるよ。

倉敷市市役所職員友達がいるんだけれど、

もう、寝る暇もなく働いてるって。

いま、できることがある人が、必死にやってくれてるから

そんな皆さんに敬意を持って過ごせたらいいよなあ。

そして、それが原因で心を痛めるかもしれないけれど、

「関心」が向けられていること、

さっきのお父さんの話のように、間違いなく支えになるから

FIGHT BACK!

それぞれの立場で、穏やかに、闘おうな。

みんなの状況が少しでも良くなっていきますように。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-07-04

無趣味

したいことも欲しいものもない。会いたい人もいない。

捻くれた人、暗い人のように思われるかもしれないけれど、そのような特徴すらない。と思う。

営業職でそれなりに評価されているので(必要がある場合の)対人能力は恐らく普通学生時代は少ないながら友達もいた。

でも休日、家から出られない。したいことがなにもなくて家でスマホをいじり映画を観て過ごす。その映画Netflixが私にすすめるさして興味もないもので、観てすぐストーリーほとんどを忘れる。友人たちと疎遠になっていくのが怖いのに、結婚式の誘いすら断ってしまう。趣味をつくる努力をしてみたけれど熱中できない。

昔々買った服をずっと着ている。食欲もない。お酒も飲まないしたばこも吸わないしギャンブルもしない。恋愛体質でもない。安いアパートに住んで、貯金ばかり増えてなんのために生きているのか分からない、と時々思うけれど、なにか嫌なことがあるわけでも、なにか具体的に変えたいものがあるわけでもない。満足して(しまって)いる。

旅行もしない。人と一緒だとなおさら億劫修学旅行は仮病で休んだ。卒業式の後のパーティー成人式も行かなかった。後悔もしていない。

イベントごとは苦手、人混みも苦手で、でも知らない人と話すのは好き。でも数度会って話すとそれでもうよくなる。友人未満で自然消滅

行けば楽しいかもしれないと思って行った旅行は思っていた通りの楽しさ具合で、早く帰りたいと思った。仕事で行った海外も知り合ったたくさんの人たちも人生観を変えてはくれず、とにかく時間けが過ぎて、なにを得ているのか、なにを得そこねなにを失っているのか、よくわからずに漠然不安不安?退屈?さみしい?と、いつか思うことになる予感で不安

労せずに得られるインプットだけで生きている自分の浅さがいやなのかと考えた。アウトプットするものがなにもない。話したいこと、言いたいことが特にない。語るべき自分がない。

でもじゃあたとえば休日フットサルをするとして、そこでできた仲間が、その時間が、私にとって私のなにになるんだろう。ぜんぜんおもしろいと思わない。なにもそんなにはおもしろくない。

子供用のスピログラフセットを買った。

何度目かの、趣味づくりトライ

ももうすでに、自分幾何学模様を描きたいわけではないことに気づきつつある。

一体なにが好きなんだろう。小学生の頃は父親何気なく口にしただけの「将来の夢」を語って、中学の頃は誰のことも好きになれずつらかった。高校記憶ほとんどない。大学は楽しかったけれど、ずっと一緒にいなくても会えば笑いあって過ごせる「友達」ができて、その関係の気軽さと、学生という身分の気軽さと、それが心地よかったのだと思う。ずっと一緒にいなくてもいい友達とはずっと会わなくてもよくなってしまった。もう学生はいられない。

でも会えば笑いあえる。ときどき誘ってくれるし、友達だと思う。仕事に不満があるわけじゃない。不満さえない。なにもない。

2018-07-01

乙女ゲーム恋愛の役に立つ※自意識及びアイデンティティと折り合いがつく場合に限る

昨日彼氏と別れた。

幸いにも円満に分かれることが出来たのでダメージ

この元彼氏が私の初めての彼氏だったのだが、改めて彼とのやり取りを振り返ると乙女ゲームってリアルでの恋愛の役に立つんだなと感じた。

特に乙女ゲームというものジャンルにもよるけど基本的には出会い交際に焦点が当てられたものが多い。

私は最近乙女ゲームはあまりプレイしていないが、パラメーターをあげて卒業式告白をしてもらうもの新選組隊士恋愛するもの不思議の国に迷い込んでしまものなど、そのあたりの時代の有名どころはだいたいプレイ、ないしは二次創作などを楽しんでいた。

乙女ゲームだけではないが、会話や行動において選択肢を選ぶことで好感度などが変動するというゲームはなんだかんだで実際の人付き合いにも応用できる。

勿論、実際には選択肢存在せず自由相手に話しかけることが出来るためゲームより自由度が高く難易度は上がる。

友人との会話は多岐にわたるが恋愛においてはある程度の

2018-06-24

色々きついモンペ相手に、愚痴吐きと相談

教職なんだけど、ランドイップスってグループの歌が問題になって

クラスの生徒達のスマホを詳しい先生と一緒にチェックする事にした

そしたら何人かスマホに入ってる生徒がいたので、指導の後、

私達の立会の元で曲のデータを消去させ、スマホも一時没収した


そこまでは良いんだけど先週から指導した生徒の親の一人(生徒Tの母)が怒鳴り込んできた

T母と私、副担任データを実際に消した若い先生と一緒に話し合ったんだけど、

話し合いが平行線で埒が明きません

A母は

・正直ランドイップスはどこが良いかからないが娘が好きなグループとは知ってる、

データを消したのはやり過ぎだし謝罪しろ

・(他の曲も消されたらしく)借りたCDデータもある為、再度借りる費用を弁償しろ

・せめてスマホは返却しろ、代えのスマホ買うにもお金がかかるし手続きも面倒だ

・いちいち誰が何を聞いてるかに学校が口出すな!

乱暴な形でいい、私達は冷静に

歌謡曲とは言えそのグループの歌には内容に問題がある、生徒には聞かせられない

上記の旨は生徒指導の一貫として集会でもちゃん指導済、その時点で消さない事がおかし

指導の一貫なので基本的金銭的なやり取りは出来ない

スマホは防犯の為に持たせていたが、そもそも学校校則として「携帯持ち込み禁止とある

校則に従うのであればスマホの返却は在学中は難しいかもしれない…

そうなれば卒業式の翌日に返却する予定だ

と言ったのですが、話し合いは不調に終わり、その後も電話等で対応する事もあり

ストレス不眠症が再発してしまいました…

そして今週末も土曜日なのに話し合いの為、学校に行かなくてはならず、

予定も狂って子供にも謝ったりしてクタクタです

私は一体どうすれば良かったんでしょうか?

学校方針に従わず、見て見ぬふりをすれば良かったのか…

2018-06-19

はてなって

卒業式で一回も泣いたことがない人多そう。俺もやけど。

2018-06-14

anond:20180613231212

儀式儀礼は状況を受容するための伝統技法だよ

冠婚葬祭など大きな状況変化には、相応の大きな儀式が行われるのはそれ

歓送迎会入学式卒業式なんかもそういった儀式一種

茶番感を覚えて嫌がる奴がいるのは当然だ、意味はないからね

ただこれ、組織への異分子の混入の予防という意味では、割と効率が良いんだよ

これに従えない奴は、日ごろの上下関係や横の繋がりにもドライで、ともすれば反抗的になりがちだから

から、従わない奴がいるのは、儀式としては成功なんだよ

そいつ排除すれば組織が安定するって分かるから

2018-06-12

anond:20180612122604

俺が通った田舎公立小学校入学式卒業式国歌斉唱しなかった。国旗も端っこに下がってただけだった。

ところが自分卒業式君が代を歌うことになって、そこで初めて練習したんだ。歌詞意味解説する時間もあったりして。子供ながらに何だか大変なことが起きているみたいだ、と感じた。

で、卒業式当日、いつもはそこにない日の丸体育館ステージのど真ん中にデーンと掲揚されててビックリした。

いつもより心なしか厳粛に式が始まって、いよいよ君が代斉唱。ところがここで体育館の後ろの方からハンターイ!とか叫んでるオッサンやらババアが湧いて出てきて、これまたどこから湧いてきたのか警察官がそれを静止していた。

騒ぎは一瞬の出来事だったので、そのまま式は時間通りに終わったんだけど、なんだか大変な卒業式だったと記憶している。

ま、そういう地域もあったんだぜ。

2018-06-11

親に愛されたかった

虐待を受けて育ったわけではないが、親が私に対して愛情があるか懐疑的だった。

子供の頃から親に嫌われまいと振る舞っていたような気がする。心配させまいと我慢した。

それがいつしか、親に相談はできないに変わっていた。勇気を出して相談したことを無碍にされたからだと思う。

服の趣味バカにされた。自分お小遣いで買った服を見て、私の母は激怒しそのままその服を服屋に返した。

今ならこれが毒親だと分かる。

父は自営業をしていた。稼ぎはよくなく、毎日不景気から」と言っていた。

その割には毎晩よそで酒を飲みに行っていた。家庭から逃げ、お酒依存していた。

父との思い出は少ない。父親らしいことをしてもらった覚えもない。

キャッチボールや、就職相談や、成人式卒業式に何かをもらったこともない。

たまに電話したときに「さみしいなぁ」とボヤくような父だった。

私はそれがたまらなく嫌だった。

社会人になって数年が経ち、私はいつも虚無感に悩まされていた。

何をしても虚しく、心が動くことがなかった。恋人がいたときもあったが、どうしても愛し続けることができなかった。

そもそも私は自分も含め、愛することができないのではないだろうか。

結局、私は親に対して絶望し、縁を切ることになったのだが。

たまにふと、親に愛されたかったと思っては涙が出る。

もう限界なのかもしれない。

2018-06-09

ルピー炎上について

TBSラジオ荻上チキSession-22」の、6/7放送分のアーカイブを聞いて、同じTBSラジオの「アルコ&ピースD.C.GARAGE」が炎上していることを知る。

ルピーラジオANN時代から、「不要な奴をあえて主人公にする」「半端なやつにこそ価値がある」っていうような企画をやってきた。今回は(勝手に)「不要」と見なした相手全然半端ではない、マーベル黒人ヒスパニック歴史を背負ったヒーローだった。そこを配慮せずに企画を発信してしまった「アルコ&ピースD.C.GARAGE」は、見識の浅さを批判されてしかるべきだろうと思う。全体的に、私もSession-22の荻上さんに同意だ。

という前提の上で、アルピーの一ラジオリスナーとして、アルピーラジオ文脈的ものを知ってほしいという気持ちもある。上にも書いたが、アルピーラジオは、ANN時代(=2012から2016までやってたアルコ&ピースオールナイトニッポン時代からずっと不要な奴を主人公祭り上げるという企画をやってきた。

ANNの「平甲子園」とかそうだった。平甲子園は、「我こそは不要」というリスナーを募って、野球チームを作ろうという企画

友達がいないから、教室地図帳の日本地図県境をずっとなぞっている。日本はすぐになぞり終わったか世界地図に移行した。

PTA副会長だけど、ぜんぜん意見が取り入れられない。私がいなくても行事会議も滞りなく進む。絶対私は必要ない。

卒業式サプライズで、クラスメイト担任先生が好きな歌を届けるという企画をしていたが、自分だけ知らされていなくて、一人だけ歌詞カードを持たずに俯いていた。

など、何か聞いてて涙が出てきそうなエピソードが集まり、数ある不要エピソードから選りすぐられたリスナーが、野球チームを結成。最終的に、このチームは甲子園を飛び越えてメジャーリーグレッドソックスと対戦し、「不要なやつなんていない」ということを証明する。

ルピーラジオには「何者でもない不要な奴」を敢えて中心に据える企画を打ち、アルピーの二人の演技力トークで「何者でもない」やつを「何者か」にしてしまう。という流れがある。

ルピーラジオは、学校でいうと、スクールカースト上位にはいられない、成績もよくない、オタクマニアというほど何かを極めたわけでもない、中途半端で居場所のない人を主人公にする。みたいなことをずっとやってきた。

から、今回も、「キャプテン」ではなくて、「キャプテンには内緒だぞ」というファルコンに価値が見出されたのだ。

ルピーラジオを聞いていると、端々に、学校の成績は悪くていじめられっ子だった平子っち、ガチ川崎ヤンキーには逆らえない酒井ちゃん、みたいな、「何者にもなれなかったアルピー二人の学生時代エピソードが出てくる。アルピーラジオには、パーソナリティ二人の、「男社会の中で男らしさを達成できなかった自分」みたいなものが流れていて、半端者たちがこのラジオに集う。佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』の主人公――大学を休学してコンビニアルバイトをする行き場を失くした青年――も、その一人だった。

このような背景があるからこそ、酒井ちゃんも「キャプテンには内緒だぞ」なファルコンを好きになったんだろう。

Twitterのアルピーファンが指摘しているように、DCGではここ最近、ずっとファルコンの話をしていた。酒井ちゃんは同じTBS放送しているうしろシティラジオゲスト出演した時すらファルコンの話を持ち出した。この回で、酒井ちゃんは、キャプテンアメリカ好きの金子さん(うしろシティ)に「キャプテンよりもファルコンがいいんだって!」と主張し続けている。酒井ちゃんがファルコンを好きなのは確かだ。

しかし、アルピーラジオにおいては、「不要さ」こそが「主人公」の証となる。この文脈炎上に繋がった。

かに、アルピーのファルコン理解めっちゃ「浅い」。マーベルを深く掘るでもなく、歴史的な文脈を踏まえて映画を見るような「見識」もない。

マーベルとかよく分かんないけど、この映画マジおもしれえ!

黒人歴史とかよく分かんないけど、ファルコン、マジおいしいキャラじゃん!

みたいなノリしかない。だから、今回の炎上はなるべくしてなったと思う。でも、そういう軽くて半端なノリこそが、リスナーの居場所でもあった。アルピーラジオ学校の端っこでノリで話してたことが日本中、世界中に発信されてしまったみたいなところがあり、アルピーリスナーも「そういうつもりじゃない」と言いたいだろう。

だけど、パロディするなら、原作文脈に乗るのは当然であって、怒っている人たちに「そういうつもりじゃない」と言ったって、自分からその文脈に乗りに行ったのだから言い訳しようがない。アルピーにはアルピー文脈があるように……いや、それ以上に、遙かに長く、ファルコンにはファルコンが切り開いてきた文脈歴史がある。だから炎上させてしまった側から、「そういうつもりじゃねえんだよ」と言うようなものではない。指摘は真摯に受け取るべきだろう。

私は、「半端なやつ」と思って企画ネタにしようとしていた相手が大ヒーローだった、というこの滑稽さにこそ、アルピーDCGらしさを感じる。

ラジオ時代を作ってきたアルピー。アルピーらしさを持ってきっちり片を付けて、SWやり切ってほしいなと思う。

anond:20180609190019

昔の日本では鉄拳制裁体罰普通にありました。

体育教師竹刀で不良をバシバシ叩き、髪形や服装を正していました。

卒業式では生徒がバイク学校に乗り込み、ガラス窓を割って、教師リンチしていました。(お礼参り

旧車會(元暴走族の集まり)に参加すれば、オッサン体験談を聞けるでしょう。

厄介なおたく自己満

推しさんのラババンが増えた。

1月くらいから。

前にも緑が増えたけど気づいたらなくなってて

まぁちぎれたかなくしたかでしょって思ってんだけど

ラババンが2つになってから約4ヶ月

ついに初代の黒いやつがいなくなった

これはいよいよ新参の白色さんを買わねばならなくなったようで

別に買わなくてもいいし

なんでもおそろいにすんな気持ち悪いって思われる普通感覚の人もいるだろうけど

当方おたくなもんで推しと揃えられるなら揃えたいんだよばかーーーーー

じゃあなんで1月に買わなかったんだ

2つともお揃いにしなかったんだ

それは本題の筋になるので

これからその話と

いよいよ白色を買わねばならなくなったわたしによる、わたしのための、独り言しま

注意書きしとくと

以下全てどんちくしょうに頭がかたいおたく個人の考えですので、この推しさんや、推しさんのいるバンドや、そのファンの方方とはいっさーーーーい関係ないので、「なんだこいつうざいわ〜」とかなっても、その矛先を向けるのはわたしだけにしてください。

まず、なんで買ってないかという話

1月に新たなラババンを視認

バラード中に推しの手首をガン見し

NBC作戦」を把握後日特定

さ、買っちゃお〜となるところで

デザインをよくよく見ると

え、これ、ガチのヤツやん(語彙力)

なんかこう、今までのライブハウス作戦よりこう、ガチよりのガチなやつやん(語彙力)

え、これ、そんな、推しとおそろーーーいキャピみたいなノリで買っていいやつ?

いや、だめじゃね?

といわけで、黒と(いつの間にかいなくなっていた)緑とは違ってファッショナブルではないと感じられた、結構重めの感じに圧倒されたわたしは買いませんでした。買えませんでした。

こう、ノリでぴゃーーーっとつけていいもんでもないなぁと思ってしまったので。

否、きっと黒も緑もそうだったんだろうけど、そのファッショナブルから、考えることを避けてきたんだなわたしは。

しかし、やっぱいうてもただのお揃いにしたいおたくなので事情が変わると変わりますわ。

黒いやつどこいったん?推しさん?

ちぎれたのか、なくしたのか、つける気がなくなったのか、知らんですけど、おたくにとって大切なのは「白色だけになってしまった」という事実

買わなきゃ。

でも上記のように何も考えずにお揃いという目的のみでつけてしまう事に引っかかりを覚えてしまった。

そもそも推しさんはどっかで

普通の人よりも少しばかり知名度はある自分が、このラババンをすることで、知ってる人が増えればいいなって考えてる

的なことを言ってなかっただろうか。

これはちょっと幻かもしれんけど。

知ってるって、単純に知ってるだけでいいのか。

少しは考えてみることも必要ではないのか。

というわけで、白色ラババンさんのことについて考え、ここに書き出すことで、わたしが白色を買って、お揃い〜〜と浮かれぽんちにラババンをつけていくことを許されたいと思った次第。

視認した限りでは

3.11から被災地自立支援ってことなのかな。

かーーーるくわたし3.11を振り返ると

中2の3月付属高校卒業式わたしは家にいて、生まれて初めて起震車以外で経験した揺れに泣きながら机の下に入ってたのはなんとなく覚えてる

反射的に入れるようになる防災教育すごいなやっぱ

んまぁ揺れた揺れたといっても東京の西の方だし、本棚とか食器棚は詰まりすぎてて落ちることも割れることもなく、水槽の水が溢れるくらいで、家族もすーぐ帰ってきたし、すんげえ揺れたわ以外はなーーーんにも変わらなかった

でも、ニュース見れば、大変なことなってるし、たくさんたくさんこわい思いして生きてる人亡くなってしまった人いるんだなぁと思い

はい、そして、現在だよ。7年たった。

え?それだけ?何もしてないの?って

してないよ。

大変なんだなぁ大変そうだなぁ

こわかったんだろうなぁ

そんなことを思ってただけの7年よ。

ボランティアもいってないし、この先行くか行かないかと言われれば9.5割行かないだろうし

寄付も〜してきなよって言われたら〜とかなんとなくお財布の中で半端にいる小銭はちゃりんとするくらいよ

これはただの言い訳しかならない

だって行ってる人がやってる人が1番正しいきっと

そこに暮らし続けてる人が1番偉いもん

でもさわたしわたしを生きるのに割りと必死というかそんな気を回せないよね

から身をもって分かってないことに自分の手と時間を使えないんだよね

娯楽の時間を削ればいいじゃんてまぁそうなんだけど

削れる人が削ればいいじゃんって思ってしまうからわたしは。

行きたい人がやりたい人が、行けばやればいいじゃん?って思ってしまうよ。

あとはさ、これはほんとにただのひねくれた考えなんだけど、

自分学習のために”とか“人生経験のために”とかそういうので手を出すのは違くない??って思っちゃうから

お前の学習人生経験のために被災地被災地になったわけではない人もまた然り。って思っちゃうから

ただただ、出来ることがあるならやりたいっていう思いの人だけがやってくれと思うんだよ。

ま、そんなん言ってないで手を貸せという話かもなんですけど。

こういう、考えと姿勢と何もしてこなかった過去があるからきっと白色を買うの躊躇ったんだな。

そんで、自立支援という話に戻ると、

わたしも、年齢的に来年には社会人になるので、そういった部分に直接的にも間接的にも関われる機会というのは今よりも格段に多くなるんでしょう

それに、昨今ニュースを見ていて、被災地に限らず、自立したいけどできないみたいな現場をみて、どうにかしてどうにかすることはできないの?という風に考えることもできるようになったのでわたしが、

ちゃんと考えてみようかなと思います

と、なるとやっぱ行政に関わるのがはやそうなんだけど、わたし就職先なんっっも関係なくて笑えてきた

まー「住」には関わるお仕事だしどっかで関われるのかな

とりあえずはやっぱり自立支援の微々たる足しにしかならないけど、ちゃりんとすることくらいしか今はできないのかもね

ちょっと今月はドリンク代がすでに支払えるのか分からないので、道のりは遠いっすね。

ま、こんなか。思ったより長くなったけど

これは読んでもらうとか発信するとかではなく、わたしわたしを許すための記録だからおっけーおっけー

よーーーーしじゃあ

給料はいったら

買ってきまーーーーーーーす!!!!!!

2018-06-08

思想を捨てて、美容整形をしたい

思想を捨てて、美容整形をしたいと思い大病院に併設された美容外科電話をした。

ニキビ跡をマシにしたいと言うと、自分たちのところでは対処できるレーザー設備がないから他のところの方が良いのでは?と言われた。

それで終わった。

仕方がないのでスマホを眺めると、リベラルがどうのとか、愛国がどうのとか、ネトウヨ表現規制とか様々なキーワードをが流れてくる。

そんな混沌とした空間自己肯定感を得ようとしているのか、胸がでかい女が自撮り写真を上げている。

誰が一番幸せかと言うのを考えた時に、この中では胸がでかい女だろう。

オタク系の趣味のやつがネトウヨ思想だったりすることを批判するのは実は簡単だ。

ガチ思想だったりすることが多い。だから理屈でしっかりと批判することができる。

ただ、美男美女カジュアルウヨ思想には理論やらでは立ち向かえないだろう。

一つは自分がどんなに一生懸命理屈をこねてもブサイクだし、イケメン美女の方が正義になってしま可能性が高いと言うことだ。

さらに、カジュアルだと思想というよりはノリなのだ

理屈批判すれば「なに本気になって批判しているの?ダサい」で終わってしまうのだ。

美男美女はどうであろうとセックスできるし正義になる。

そんな学術思想理屈も無力化されどうにもならない。

高校の時に容姿が良くて尻がでかいマナカちゃんかいクラスメイトがいた。

彼女は頭も良くて慶応大学に行った。

別に政治など興味もなく、ただ大きな世の中の流れにうまく適応していた。

RIGHTWINGSが良いという雰囲気になれば、右に。LEFTWINGSが良いという雰囲気になれば、左になる。

距離を置いて、良い思いをできるタイプだ。

デモ参加者もっと小綺麗な格好をするべきだ」という早稲田卒の現代文教師特定機密保護反対デモに行ったときの話を聞いて笑っていた。

一方の自分は考えが正反対の豚みたいな顔をしたネトウヨ口論になっていた。

お互い友人がいなかったから仕方なく一緒にいて、醜い容姿を互いに付き合わせ議論するのだった。

結局容姿が醜い自分高校時代に散々な目にあって関関同立底辺しかからなかった。一方のマナカちゃん慶応だ。

何も考えないで容姿が良いことが人生をうまくやるには一番だ。

卒業式の時に現代文教師関関同立底辺しか行けなかった自分をどこかバカにする態度を取られたが、おそらくマナカちゃんはそんな目にあっていなかっただろう。

自分はその後も国会中継を見て憤ったり、ネトウヨを見て呆れたりしたが結局容姿が悪いか社会に怒りを感じているというのが本音である

なにもかも思想を捨てて、容姿が良くなりたい。そう思う。

2018-05-30

不安で…セックスがやめられない

ふふふ・・・セックス・・・セックス・・・みんなセックスし続けろ。激しく。もっと激しく。

ペニスヴァギナを擦り合って、愛液と精液を混ぜあって、肉と肉がとろけ合うまで、交わり続けろ!

いずれは学校中の生徒も参加させてやる。善人面した教師たちもだ。

そうだ卒業式が良い。式が始まり、全員が講堂に集まった時、僕が電波を送ってやる。

学校中の女たちの穴という穴すべてに、精液を流し込んでやる。

校長教頭も、皆家畜のように善がらせて可愛い教え子たちの膣にペニスをぶち込むのさ!

学校の次は、この町全てを巻き込んでやる。ただすれ違っただけの見ず知らずな奴ら同士をいきなりセックスさせてやる。

たとえそれが、親子であろうと、兄弟であろうと、女同士だろうと、男同士だろうと、子供だろうと、老人だろうと、赤ん坊だろうと。

全員のこらず性器を結合させて、愛液と精液にまみれさせてやる。

・・・セックス・・セックス・・・セックス・・どいつもこいつもセックスさせてやる。

膣やペニスが擦り切れて、血まみれになっても、腰を振り続けさせてやる。

血と精液と愛液にまみれながら・・・

喉が渇けばそれを啜らせ、腹が減ったら互いの肉を噛みちぎらせる。そして永遠続けさせてやる。セックス・・・

くくく・・・セックスだ。 

 

セックス セックス セックス セックス セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックス

僕は・・・正常だよ

2018-05-28

anond:20180527212910

毎年やってるなら情報仕入れとけ。卒業式でよくわかんない台詞言ったりするみたいな、一種茶番劇だろう。

結果的にドッキリになってしまたかもしれんがやってる方は伝統劇のつもりだと思うので、いじめだとは思わない。ナマハゲみたいなもの

はい時代遅れバカらしい伝統だという意見には同意する。わざわざ増田に書く気力があるのなら最上級生になったとき廃止を提起してはどうか。

2018-05-20

「許されるかどうか」という基準で服や髪を考えるようになってから、欲しい服もしたい髪型もなくなってしまった。

ただ毎日、生きるために生きている。

目的がないので求めるものもなく、誰かの人生物語客観的に見ているような感じ。

いつから虚無ってきたのかな〜と考えたけど分からなくて、でも確かに言えることは、まだ私は自分の中で高校卒業式を終えることが出来ていないということだ。

あの「教室」という閉ざされた空間に取り残されている。

いつになったらあそこから卒業して、大学を出て、大人になれるのだろうか。

実際にはもう「大人」なのに。

当たり前のように子供卒業して、大人として真っ当に生きている大多数の人間が眩しい。

子供の頃思い描いていた大人には、なれなかったよ。

2018-05-12

可哀想だね

卒業式が終わり、アメリカ人がいなくなった寮の部屋

その日を境に日本人中国人が共有スペースに集まってくる

そこまでは全く問題ない

夜9時ごろ、中国人訛りの「死ねー!」が2回、部屋中に響き渡る

その横では笑い方の気持ち悪い日本人のウヒヒヒという笑い声(本当に気持ちが悪い)

この部屋内で過ごしている人に向かって叫んでいるのは明確である

そしてそれを言わせているのは日本人ということも分かる

どうしてそういうことが出来るのか、わたしには理解ができない

そして逆に、なぜアジア人しかいない時にしかそういうことをしないのだろうかと思う

最初の状況でできないのであれば、それを後からやっても小さい人間なのは明らかだと思う

2018-05-09

ただの絵の描けないひがみ。

中学生の頃、絵を描く仕事に就きたいと考えて、高校美術科のある高校へ通った。一時期は絵の予備校にも通っていたし、高校の授業外の絵の講習も3年間行って、課外でもみっちり描いてきて、今、美大に通っている。

高校の時、天才と呼べる友人に出会った。

高校一年出会った時、既に私よりずっとイラストも、デッサンも上手かった。

魅力がある絵とは、この事なのか、と思った。

私が見ても、なんとなく形がズレていたり、プロポーションおかしいことはあったが、そのズレや歪みすら、魅力的に見えた。

彼女は間違いなく、将来的に名の知れた絵描きになると思う。

彼女とは約2年半仲良くしていた。

精力的に絵を描いて、絵に関する努力努力と思わず、全力で楽しんで制作している姿を私は間近で見ていた。

しかしながら、私は仲良くする反面、なんとなく僻んでもいた。努力を苦と感じず、グイグイ絵にのめりこめるその才能が、欲しかった。

私は高校の同学年の中ではよく言って中の上レベルの実力しかなかった。

自分では、しっかり頑張っているつもりだったし、なんなら彼女と同じ練習メニューをこなしてもいた。それでも足りなかった。

周りはみんなコンクールで賞を取る中、私は3年間一度も、何の賞も得られなかった。

コンクール搬入手伝いと、作品選考手伝いをした後、私の作品落選と分かり、先生からかけられた「頑張ったね」の言葉が重かったし、悔しかった。

そんな中、彼女は一番高いレベルの賞を取っていた。

自分自分のペースで、と思いつつも、近くにいる天才の力を感じずにはいられず、焦ってばかりいた。

今も、焦っている。

私が大学で、迷って、悩んで描いている間も、多分彼女進化しているし、何かしらのアクションをしている。

私はというと、この一年、新しい環境に疲れ切ってしまって、制作に身が入らなかった。

夢に向かって邁進する彼女と、同じところをぐるぐるずっと回って迷っている私。

このままではダメだと何度も思って焦った。

彼女とは、三年の夏頃からまりさなくなった。なんとなく、合わなくなったのでお互い離れたという感じだった。

合わなくなった理由としては、多分受験だろうと思う。それだけとも言い切れないが。

彼女国内で一番難関の国立美大を目指していたので、春の一般受験まで気が抜けない状態だった。

対して私は比較的難関と言われる私大を秋の推薦で受けるつもりでいた。

この頃から、なんとなく、絵に対するモチベーションや、考え方が合わなくなったのだと思う。お互いに、それは違うんじゃないの?と、思うことが多くなった気がする。

私は推薦入試で、なんとか合格を勝ち取れた。クラスの他の推薦組も、殆ど合格していた。

そこから、なんとなくクラス雰囲気がぐだっとし始めた。

それを感じ始めた彼女は、余裕がないのもあって、一般入試を控えた人達と推薦入試批判し始めた。

噂で聞いただけなので、本当に批判を言っていたのかどうかは定かではないが、彼女の放つ雰囲気でなんとなくそう言いたいのは私にもわかった。

推薦で楽して受かる貴方達と私は違う、と言いたげな態度を取られた。

私の主観なので、なんとも言えないが。

私は、行きたい大学に行くチャンスが増える、という理由で受けた推薦入試批判される筋合いは無かったし、受かったあとの過ごし方をとやかく言われる筋合いも無かった。推薦には、推薦の大変さがあった。推薦も、一般も、自分の決めた道だ。

彼女とは卒業式前に顔を合わせてから今まで、一度も会っていないが、浪人したらしいと風の噂で聞いた。

彼女の絵は、私も好きなので、頑張って欲しいと影ながら思っている。

多分、これから先も、彼女より魅力的で上手い絵を描く人とは出会わないと思うし、心から尊敬している。頑張ってほしい。

出会ってからずっと、彼女背中を追いかけたり、彼女自分を比べて苦しんだりしたが、もう踏ん切りをつけたいと思って、気持ちを整理するという意味で、この文章を書いた。

これから私は、彼女の歩いた道をあとからいかけるのではなく、私の道を歩く。私にしか描けない作品を楽しく描いていく。そう決めた。

2018-05-06

anond:20180506151753

女だけど、座るときジャケットの裾が引っ張られるから、一番下のボタンは開けて着てるよ。実用を考えたらそうなるよ。それに、ファッション雑誌見ても、ジップのある服ならダブルジップ採用デフォなのを見ても分かるとおり、カジュアルダウンで、服の前を全部留めない着方も割とあるっつーか、既に定番だし。

はじめての得意先に行くときは一番下ま留めるけど、普段はこんなもん。全部開ける着方をしないのは、胸があると、フルオープンは決まらいから。女のジャケット事情ってこんなもん。

高校生の設定なら、セレモニー(朝礼レベルではなく入卒業式レベル)以外は一番下開けてる方がリアルな気がする。

2018-04-29

面接官「特技は毒電波とありますが?」 学生はい毒電波です。」 面接官「毒電波とは何のことですか?」

毒電波とは、空から降り注いで人を狂わせたり、おかしな行動をとらせたりする、言葉通り毒のような電波のことさ。

目には見えないし、知らないうちに脳内侵入するから防ぎようが無いんだ。

もともと人間意志とか感情とかは、電気信号の集まりだろう?

毒電波はそれを歪め、汚染してしまう力をもっている。どうだい?面白いと思わないかい?

人間の心が外から歪められてしまうなんて。

そんな毒電波を、もし仮に自分意志で操ることが出来るとしたら、とても面白いとは思わないかい?

他人の脳を、離れた所から直接操作できるんだよ?リモートコントロールみたいにね。

それが僕には出来るんだ! 僕が壊してやった。 あはは!壊してやったんだ!!

お前の精神・・・木っ端微塵にしてやる・・・

んふふ・・・セックス・・・セックス・・・みんなセックスし続けろ。激しく。もっと激しく。

ペニスヴァギナを擦り合って、愛液と精液を混ぜあって、肉と肉がとろけ合うまで、交わり続けろ!

いずれは学校中の生徒も参加させてやる。善人面した教師たちもだ。

そうだ卒業式が良い。式が始まり、全員が公道に集まった時、僕が電波を送ってやる。

学校中の女たちの穴という穴すべてに、精液を流し込んでやる。

校長教頭も、皆家畜のように善がらせて可愛い教え子たちの膣にペニスをぶち込むのさ!

学校の次は、この町全てを巻き込んでやる。ただすれ違っただけの見ず知らずな奴ら同士をいきなりセックスさせてやる。

たとえそれが、親子であろうと、兄弟であろうと、女同士だろうと、男同士だろうと、子供だろうと、老人だろうと、赤ん坊だろうと。

全員のこらず性器を結合させて、愛液と精液にまみれさせてやる。

・・・セックス・・セックス・・・セックス・・どいつもこいつもセックスさせてやる。

膣やペニスが擦り切れて、血まみれになっても、腰を振り続けさせてやる。

血と精液と愛液にまみれながら・・・

喉が渇けばそれを啜らせ、腹が減ったら互いの肉を噛みちぎらせる。そして永遠続けさせてやる。セックス・・・

くくく・・・セックスだ。 

 

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僕は・・・正常だよ。

2018-04-27

anond:20180426222047

直接関係ないけど、卒業式とか結婚式とか儀礼に重きを置きすぎな気がする。

やるなとはいわないけどもっと簡素いいんじゃないかと。

会社の送別くらいいちいち会なんて開かず、特別に何かやりたい人だけで食事でもすればいいのに。

2018-04-24

あのとき死ねなくてよかった

小学校卒業して入った先は、神奈川田舎にある公立中。援助交際を行う女子先生ともめて暴力走る男子、学期ごとにターゲットを変えてクラスみんなでいじめ合う。教師教師部活の生徒に体罰を行う……。

メチャクチャに荒れてるそんな中学で、自分も虐めのターゲットになった。無視、陰口、暴力暴力エトセトラエトセトラ

不登校になれるものならなりたかったが、周囲に理解してもらえず、わたし暴力を振るわれるために毎日登校していた。学校を休むと親に叱られ、登校すればボコボコにされ、「死にたい」以外の感情を失うのにそう時間はかからなかった。

その後わたし自殺未遂を起こした。失敗して生き残りました。

そうして虚無を耐え抜き、学校をぽつぽつ休みつつもわたしはなんとか卒業した。卒業式では涙も出なかった。

そうしてまともな高校に滑り込んだものの、勉強する気が起きず偏差値は30を切り、先輩の名前も覚えないうちに部活をやめた。

中学時代いじめ抜かれたおかげでわたし精神はずたずた。無気力で、何もする気が起きなかったし、自分に何かできるとも思えなかった。

もういじめられるまいと周囲に適応しようと必死で、目線のすべてにびくつき、笑い声は自分嘲笑うように思えた。

いじめから逃げ切ってなお、わたし精神はぐらつき続けていた。

そんなとき熊本で大きな地震が起こった。そこで、被災した男の子が、よくある『季節外れの転校生』として隣の席にやってきた。

これがマンガなら不思議物語が始まるのだが、彼はごく普通高校生で、わたしによく話しかけて、よく笑っていた。

彼はドイツ人ハーフで、あだ名は『進撃の巨人からとってエレン。彼は復興に携わる仕事を目指していた。

 「――という訳で、この人は二回の戦争かいくぐり、生き残ったんですね。しかし周囲の人間や職を失い、差別に遭った――これは不幸でしょうか、幸福でしょうか。考えてみましょう」

英語の授業。教師の問いかけに、エレンわたしを見やった。

 「あまり辛い夜は、いっそ殺してくれたほうがまし、とか思いそうなもんだけど」

プリントを2つ折りにしながら、エレンはくすくす笑った。

 「それはよっぽど病んだ時だけだね」

瞳には真剣な色があった。

 「生きることに不幸なんてないよ」

エレンはよく笑う。

エレンクラスに馴染んで、しばらくした時のことだった。

 「揺れてる」

教室がざわめく中、エレンはまっさきに机の下に逃げ込んだ。わたしもそれに合わせて机の脚を掴み、体を縮めた。

この地方地震は少ない。揺れが収まってから一気にクラスメートが這い出てきて、ニヤニヤ笑いながら談笑する。揺れたね、感じなかったよ、なんて。いつもはひょうきん者の男子が怒鳴った。

 「放送がある!静かにしろ!」

 「携帯の電源は付けておいて。窓は開けたほうがいい」

神妙な顔つきでエレンが立ち上がる。学級委員長カーテンと窓を開くと、冷たく焦げ付いた匂いが吹き込んで来た。

やがて待機の放送流れると、エレンは立ったり座り込んだりを繰り返して落ち着かないようだった。

熊本地震の恐怖が癒えない中、避難先での地震。怖くて当たり前だ。

 「今日の小テスト範囲どこだっけ?」

エレンは気を紛らわすように、いつものようにわたしに話しかけてくる。教科書を持つ手が、ぶるぶる震えているのに気付いた。

 「……平気?」

 「大丈夫

 ――そんなに手を震わせて、何が大丈夫なもんか。わたしはその言葉を飲み込んだ。

傍にいたいと感じつつも、彼が経験した地震の凄絶さはわたしにはわからない。PTSDに苛まれエレンに、何と声をかければいいのかも。

エレンは真っ青な顔で自分右手を見やり、大きな目に涙をいっぱい溜めた。そして彼はそのまま、保健室に行ってしまった。

 しばらくして帰ってきたエレンは顔色が悪かった。早退するらしい。鞄の支度をしながら、神妙な表情で切り出す。

 「これ、余震かもしれない」

 「もっと大きな地震が来るってこと?」

 「うん。もし本震が来るなら、明日明後日

 鞄を取り去って消える背中を、わたし呆然と眺めていた。また明日、と言うこともできないまま。

空っぽになった隣の席を見ながら、わたしは何も言えなかった自分について考えていた。

わたしは生きる苦しみをエレンほどに知らず、生き残る美しさを知らない。

復興の進む故郷を懐かしむ彼が、生き残ることに不幸などないと言い切る彼が、手を震わせながらも変わらずに笑う彼が、人としていとおしくて、器と視野が小さな自分が汚くて、ひどく切なかった

エレンは死を前にしながらも必死で立ち直ろうとして、故郷復興のために尽力している。それなのに、いじめっ子たちから既に逃げ切った自分無気力のまま怠惰な日々を過ごしている。比べるようなことではないにしろ、情けなく思えた。

「このままではいけない」

モヤモヤが心に爪痕を残した。

高校3年生に昇級してエレンとは別のクラスになり、目線を交わすこともなくなった。

そしてわたしは、その年の夏にアメリカ短期留学する。

アメリカといえば、前年、トランプ大統領就任した国だ。人種差別的な主張を繰り返す彼が選ばれた土地。正直、有色人種として差別されるのではないかという恐怖もあった。

けれどアメリカは思いのほか楽しい場所だった。(まだ『お客さん』扱いだったか差別を受けなかったのだろうが)

アメリカにも慣れたわたしは、ホストブラザーショッピングモールに買い物に行った。そのおもちゃコーナーで、彼は短く呻いて足を止める。

「うわっ、ヘイトスピーチ……」

彼が手に取ったのは、真っ赤なパッケージカードゲーム黒人奴隷使役して儲けよう!みたいな内容。

ホストブラザーはかなり憤慨していたので、わたしは「自分差別されるのではないか」と懸念していたことを話してみた。すると彼は笑って、

「そんなこと絶対にしないよ、人間として間違ってる!肌の色や性別に、人間本質関係ない!」

彼は留学生ホストファミリーとして受け入れるくらいだから、あまり差別的な考えを持っていなかったんだろう。

肌の色と性別が同じ人達からグシャグシャいじめられていたけれど、海を超えた先でこんな人に出会たことが嬉しかった。

ホストブラザーとの別れの日はただただ悲しかった。頬を伝う涙を感じながら、やっと人間の心を取り戻してきたような気がした。

あれから1年。

いまだに私は人間不信が抜けきらず、人と上手にかかわることができない。過去の苦い思い出が脳内を駆け巡って鬱状態に陥ることもある。けれど、たくさんの人の温かさに触れてきた。

復興に尽くすエレン差別ダメだ、とはっきり口にしたホストブラザー

びくつく私を「あーしがあんたのこと馬鹿にすると思ってんの?そんなことするわけないじゃん」って笑い飛ばしギャルちゃん

成績を上げようと奮闘するわたしに、つきっきりで勉強を教えてくれた教員志望の男の子

誕生日に登校して、黒板に「〇〇、お誕生日おめでとう!」って書かれてて、みんなから祝ってもらったときには泣いてしまった。学校はもう地獄ではないと。

人間は人との関わりで傷つくことも高めあえることもある」、本当にそう思う。

今、わたし社会問題解決する仕事につくため勉学に励んでいる。

歪んだわたしを助けてくれたみんなのように、傷ついて「死にたい」って追い詰められている誰かを助けられるような人になりたい。

あのとき死ねなくてほんとうによかった。

2018-04-22

中学校卒業式で泣いた?

あれで泣くタイプの人ってどういう気持ちになって泣くの?

2018-04-21

上司が有能過ぎて吐きそう

子ども入学式卒業式に参加するどころかPTA会長から積極的学校イベントに参加するし

休日家族PTA仲間とキャンプに行ったりするし

妻の代わりに二人の娘の弁当まで作る

 

その分仕事がおろそかなのかというと上司がいなくなったら絶対回らなくなるくらい持ってる範囲が大きくて

もし普通にこのまま定年でいなくなったらサービス運営出来ないレベルだし凄い有能

それでいて誰かに威張り散らすこともなく自分上司も定時で帰れる

 

俺はと言うと自分のことで精一杯でまだまだ勉強しなくちゃいけないことも多くて

結婚なんて考える余裕も無い…そもそもできないとも思っているけど

上司は俺が来たおかげで残業が減ったと言ってはくれるがどれだけ貢献出来ているんだろうか…

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