はてなキーワード: 光文社とは
多産の家庭は大学を無償化、と言うアイデアが「少子化対策」として出てきたが、
https://digital.asahi.com/articles/ASRD67KLKRD6UTFL011.html
これは
といえるので、最低でももう少し工夫をしてくれという話をする。
簡単に言えば、少子化の主因を捉えていないから、少子化対策にならない。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」という抗弁は枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するにまともに取り組むなら晩婚化の対策が必要だと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理だと思われる。
もちろん、ミクロで金銭的理由を子どもをもうけない理由に挙げている人がいるかぎり、それをフォローする事は重要ではある。また経済対策として子育て支援は効率が良い施策なのでやるべきではあるのだが、これを有効な少子化対策として捉えられてしまっても困る。
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
まず、前提の事実を並べる
最新の統計はコロナ禍の影響があるとは言え、再配分が間に合っていない状況である。
その中で、最近は所得制限なしに給付を行うのがはやり始めている。高所得者層にはそれほど大きな金額ではいのかもしれないが、負担率という形でみると低所得者層ほどインパクトが大きいので、所得制限無しの上に、低所得者層に給付対象者が少ない助成金などをやったりすると、一気に格差が広がる。
つまり、言い方はあるにせよ
と言う事で、現在の状況をより補強し、子育て支援は本質的に少子化対策としては問題が多い。
特定の部分をターゲットにして単純に補助金を作ると、産業が補助金に対して最適化するので、全体として金額が上がって非効率になる。例えば、ネットで買うと5000円、地元で買うと8000円だが、1/2補助の地域振興券がつくので地元で買う、と言うような現象だ。この構造から、一見すると消費者に対する補助の様に見えるが、実際には店側の方への補助金としての性質が強い。
また、最近問題になっているのが、出産一時金である。出産一時金をはじめとして、出産に関する各種の補助は強化されて金額が増えているが、結果どうなったかと言うと、病院がそれに合わせて、出産費用を値上げをした。出産に関わる費用が上昇しているのである。
妊娠出産は自由診療であり、病院は自由に価格設定ができるためだ。結局、出産する人たちへの負担軽減には効果が限定的であるというばかりか、効果の怪しい代替治療のような者まで出ている。これを受けて政府は、出産を保険診療のように、標準報酬のようなものを定めようとしている。
これらから、何も考えずに補助を作ると、大学にも同じ現象が発生する。授業料分は補助が出るだろうが、全体としては助成金を充てにして値上げが行われるだろう。結果、補助の大部分は大学への補助として作用し、実際に支援したい子育て世帯への恩恵はわずかになる。
ではどうするかというと、補助をする対象を個人では無く、大学に支払うようにするべきだということだ。何故かと言うと、個人に給付するときに個人に条件を付けるのは難しいが、大学に条件を付けることは容易だからである。
例えば、便乗値上げをしない事、上限金額を決めた上で「追加で対象の学生から授業料を徴収しないこと」といったはどめをかけて、条件に合致する大学にだけ対応させるといった処置である。
再掲するが、せめて
が必要だ。
ばらまきはある程度民主主義のコストであるので、人気取りで分かりやすい施策をやろうとするのは、まぁ仕方が無いと思う。
ただ、それで「やった感」だけを醸し出して、あるいは、有限の予算の中で優先度を間違えて支出された予算になってしまって、本質的な対策が行われないがまずい。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
https://smart-flash.jp/entame/240978/1/
とぶち上げている
今年6月の時点でこの有様
【年収1000万円以下の小規模事業者が、消費税10%を新たに納めることになる】のはダウト
あえて書くなら
【年収1000万円以下の小規模事業者が、取引先の圧力で、適正業者にならざるを得ない可能性がある】だろうか
漫画家などが反発していたね
しれっと「消費税10%を新たに納める」とか書いてるけど、それを「させる」のは行政じゃなくて、取引先のオマイラだ
そう6月に至ってだ
単なる政局批判としてなされた批判だから、所詮こんなもんだった
それが、10月を控えた9月の記事ではこう
2500億円税収増にかかるコストは年4兆円…「生産性激落ち」で批判殺到
https://smart-flash.jp/sociopolitics/253480/1/1/
作業時間をベースに経理1人あたりの追加業務負担を計算したところ、月約1~2分、経理以外の従業員でも1人あたり月約7分、日本全体で月約1.4億時間の負担増となった
とか言い始めてる
もう、昔みたいにマスコミが「ドーン」とやって、世論を上書きするとかできなくなってる
結果として、昨今では、君たち国民一人一人が犠牲者足りえるのだとスライドしてきた
それも、零細は税金分を預かってなどいないとまで言ってね
でも、実体としては違う
仕入れた業者側が、免税業者で控除できなくなる、という企業増税だったんだよ
企業増税賛成とぶち上げて、「価格転嫁の違法整備」「圧力の根絶」に振ってれば、世間の反発を得ずに企業に増税をぶちかますという、政党理念にも沿った行動が出来たのに
「ポッケナイナイ」なる言葉が世間に広まってしまい、インボイス反対への批判が発生することになる
そりゃそうだ
消費者たる末端の市民は、商品に対して、10%の消費税が発生しているレシートで決済している
純然と、消費税分を払っている、にも関わらず
この欺瞞を内包したまま、うまく取り繕う言葉もなく、零細目線で闘った結果、どんな矛盾が発生したかと言うと
とかいう
お前らがずっと望んでた企業増税は、市民の生活を破壊するんか?というトンデモ発言
このインボイス騒動を初手から扇動した奴が【もし】いたとしたら
仕組みとしてオカシイ主張を、けれど弱者という立場の者にさせ、まんまと世論を分断せしめた
弱者救済を謳うものは、このオカシナ主張を支持せねばならず、論理が破綻し
このオカシナ主張を批判するものの出現で、視線を弱者攻撃に吸い取られ
誰も彼も、実際どういう手続きで、何が起こり、どう負担が発生するのか
大・勝・利で酒が旨い😋って奴だ
ざんねーん、まんまと踊ったはてなー共
結局、オレのインターネット力では、何がお前らを怒らせたんだか分からなかった。
❶ ryuchell の発信する父親像? が気に入らなくて炎上させて、
❷ 離婚した機会に喚き立てて、
一体どんなものだったのか…?
ログが消えてるのか google で追跡しにくい場所にあるのか、見つけられなかった。
親の押し付けだとしても「社会から愛される子」に育てるべき? りゅうちぇるが目指す父親像 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
唯一、気になったのは
りゅうちぇるさん「感謝されたいって甘えすぎじゃない?」【夫の家事育児】 | 子育て|VERY[ヴェリィ]公式サイト|光文社
「5歳・3歳・1歳の子どもがいて専業主婦の妻に疲れが見えるので、平日は朝食、週末は洗濯、風呂掃除、夕食を自分が担当し、妻が一人の時間を取れるよう子どもたちと外出もしています。自分なりにサポートしていますが、妻に感謝されることはなく、やって当たり前という態度。世の中も家事育児を頑張る男性に対し、認めるよりも要求がエスカレートしているようで納得がいきません」。
感謝されたいって甘えすぎじゃない?パパとしての心構えが足りないのでは
40代だと自分の父親があまり家事をしない世代なので、自分は手伝ってあげてる感覚があるかもしれないけど、それは大きな勘違い。あなたのおうちではママが家庭を回してくれるおかげで自分は堂々と仕事ができてるわけだし、その代わり自分ができる時はやるのが当たり前なんだって頭を切り替えるべき。あと、心のどこかで、自分は他のパパより頑張ってるって思ってない? なんで比べるの? 自分の子も他人と比べるの? そうやって比べてると、子どもも真似するようになっちゃうからやめたほうがいい。要は、自分はこんなにやってあげてるのにっていう気持ちが全部ママにバレてるんですよね。
そもそも子育ては仕事と違って報酬がないもので、やって当たり前。ママはその覚悟で毎日頑張ってる。感謝や労いの言葉は大事だけど、言われたいならもっと自分から言えばいいんです。
…この回答が気に食わなかったのか?
一般的には、匿名に対して記名の有名人に、しかも絶対的な善人として名高い人に、悪とみなされて攻撃されると一撃で凄まじいダメージを受ける恐れがある。だから多人数で擁護する必要はある。
でも ryuchell の論理自体はフェミニズム的に見るとむしろ当然の理論だと思う。
父親としての当たり前の甲斐性。男の甘え。女性にケア役割を求めるズルさ。
まあ、「自分は他のパパより頑張ってると思ってない?なんで比べるの」とかママに十分に感謝を伝えてないだろう、とかは、根拠のない想像だと思うけど。
だけどそれなら、その時に指摘すればいいだけ。
この程度、匿名ダイアリーの「お前説教」とか人気ブックマーカーのクソバイスでよくあるレベル。
やっぱり、なにか他に、怒らせるような事を言ったんじゃないか。
@yasudakoichi
久しぶりに女性週刊誌に記事を書きました。「週刊女性」(主婦と生活社)今週号。Colabo代表・仁藤夢乃さんの活動をテーマとしたルポです。仁藤さんに対するバッシング、行政の不可解な対応、Colabo設立に至る経緯などに触れたほか、保護された女性たちの声も集めました。全7ページ、約1万字の記事です
ノンフィクション作家の書いた記事は大嘘でした。
https://twitter.com/yasudakoichi/status/1640555344199024640
著書に「ルポ 差別と貧困の外国人労働者」(光文社)「ネットと愛国」(講談社)「ヘイトスピーチ」(文藝春秋)、「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」(朝日新聞出版)、「『右翼』の戦後史」 (講談社)、「団地と移民」(KADOKAWA)、「戦争とバスタオル」(亜紀書房)など
それが結論です。
今後安田浩一は表に出てくることは許しがたい。
なぜなら自主事業になってもColaboは休んでばっかりです。
高橋雄一郎
@kamatatylaw
もうバスカフェはやめたのかな。自主事業だから外野が文句をいう筋合いはないから自由にしたらいいと思う。そういえば、1ヶ月半前にはバスカフェによって救われる命があるというセリフが散見された。あのセリフを信じていた人もいたのかもしれないけど。
https://twitter.com/kamatatylaw/status/1659331861544583168?s=20
営業していないのだから安田浩一は嘘つきであり、読者を騙している。
こんなデタラメをよく書ける。
合計特殊出生率は、20年で30%以上低下してるが、夫婦の完結出生児数は、1割程度しか低下してないんだよ。
下がっていると行っても全然程度が違う。
では、合計特殊出生率と連動するように下がっている統計というと、婚姻率になる。これが概ね20ポイント以上低下している。
これと夫婦の完結出生次数が掛け算すると、ほぼ合計特殊出生率になる訳だ。
問題の解決に必要なコストは、100%に近づければ近づけるほど、指数関数的に増大する事が知られている。なので、パレート図というものを用いて、特に理想から乖離している差が大きいところ、影響が大きいところから重点的に対応する事が、よりよい問題解決に繋がるとされる。
今のところ、分析として影響が大きいのは
と言う風に分析出来るが、これが何故か逆転して主張されることが多くていつまでたっても効果的な対策ができないんだよ。
その理由は、子育てをするようになると行政サービスを使うようになるから、より政治に興味を持つようになって声がでかくなるからだと思う。効果よりもどれだけ声がでかいかで制度が決まってしまう民主主義の誤作動だな。
異次元の少子化対策とか言うなら、やれる事は全部やればいいのだが、現実には全部どころか効果の低い方ばかりに傾倒している。
これは量的な概念がないから。増田も、「上がっているか下がっているか」という0か1かではなくて、量的な概念を理解して考えてくれ。
ブックマークが集まっていたので、少し真面目に参考文献を上げておく。信頼できない資料を基にしていては話がおかしくなるので。
大量にアドレスを貼るとエラーになるので、一部 https を抜いてある。適宜補ってくれ。
#それからISBN記法が死んでるのなんなの。誰に言えば治るんだこれ
こういうガチの奴を上げても読みづらい人には、読み物として気楽に読める以下のものもおすすめする。
>いま本で売れるのは骨太な小説か、骨太なノンフィクション。軽い読みものが入る余地がなくなってきている。
2 スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子訳 980円 新潮社
4 人は話し方が9割 永松茂久 1400円 すばる舎
5 鬼滅の刃 塗絵帳−蒼−
6 52ヘルツのクジラたち 町田そのこ 1600円 中央公論新社
7 本当の自由を手に入れる お金の大学 両@リベ大学長 1400円 朝日新聞出版
9 呪術廻戦 逝く夏と還る秋 芥見下々 北國ばらっど 700円 集英社
10 鬼滅の刃 風の道しるべ 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
11 呪術廻戦 夜明けのいばら道 芥見下々 北國ばらっど 700円 集英社
12 鬼滅の刃 しあわせの花 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
13 ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人 東野圭吾 1800円 光文社
14 鬼滅の刃 片羽の蝶 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
15 おしりたんてい おしりたんていの こい!? トロル 980円 ポプラ社
17 よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑 大野萌子 1400円 サンマーク出版
「黒瀬深」運営者は20代男性!“ネトウヨの皇帝”は「僕のプロフィールは出さないように懇願します」と電話で繰り返した(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
「黒瀬深」運営者は20代男性!“ネトウヨの皇帝”は「僕のプロフィールは出さないように懇願します」と電話で繰り返した - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
上から「フェミ垢特定ダメゼッタイ」「黒瀬特定1」「黒瀬特定2」とする
表現の自由戦士さん達普通に殺害予告まではしてくるもんな。完全に反社存在だよ。タリバンと同じ方向性なんだから、対処も同じにせざるを得ない。
まぁDappiと違って普通にアレな人って話よな。そうだとは思ってた
何から何まで無邪気で幼稚。
「暴力肯定」に対する批判的な言論をよく思わない人達が、その言論を止めるため暴力を用いるのは、自然な流れ。「タリバンを止めて来いよ」という彼らこそ、暴力で女を従える社会への憧れがある id:entry:4707115688371390178
虚言癖のイキリオタクと思うけど『取材申し込みに対して「できるだけの協力はさせていただきたい」と話していた男性は11月5日に態度を一変。代理人弁護士を通じて、東京地裁に「本誌掲載禁止の仮処分」を申し立てた』
はてなの反フェミも、フェミは皆キ○ガイとか○ねとかよく言ってるしな。保守・右派・表現の自由バーサーカーが暴力的言論で相手の言論をつぶそうとする事象はよく観察される。
虚偽による印象操作を行ったり、エコーチェンバーでの承認欲求充足はハテウヨも大好きだからな。彼らは黒瀬とそれほど変わらん。
(なし)
無視すればエロ図画で嫌がらせをし、抗議すれば暴力で嫌がらせできる、女にどっちにせよ視線貰えるから鉄板だもんな。表現の自由戦士は。インセルが狂うはずだよ。
(なし)
cleome088 オトナ(強者)に媚び売ってイキリ散らして棄てられたのか。
「黒瀬深」なる垢の人物について広く明らかにして論評や非難や議論されるべきことがあるとすれば、それはあくまでも当人が公の場で書いた内容、やった行為やそれらに関連する事項であって、当人の経歴とか身元とか家族構成ではない。
grdgs 俺のあのコメを「特定賛成」と異次元論理で読み取るような国語力が超絶低い増田。党派性で頭がやられてるとよくわかる。最近こんなハテウハが増えてんな。いや、元からか。
黒瀬特定記事への反応として取り上げたがそれを「特定に賛成」とは増田のどこでも評していない
zyzy 正式な手続きと取材を得て開示するのと、非合法なストーキングで殺害予告飛ばすのとでは真逆の前提だが、やっぱ前提が理解できず「だぶすたがぁ」するのは包含を理解する機能がないせいで反転で代用するせいなんだな
それともフェミ垢だろうが黒瀬だろうが特定までならOKってスタンス?
(2階から)zyzy 「ついふぇみもいやがらせしているもどうぜんだぁぁぁ」という名分の元最初から実名のフェミに殺害予告してる人達が、実際は開示請求されて取材される側だろうから、ま、それが怖くて発狂してるんだろうなぁこの件。
cleome088 ああ、フェミの発言を暴力的男性性(文化的だから黙認とか無視含む)からの防衛ととらず俺への攻撃ととると私が出てくるのか。個人的にフェミもイキリ倒し過ぎると仲間から捨てられると思ってるので一貫してるんだけど
特定に対してどういうスタンスかの比較であって発言の解釈は無関係
イキリフェミもイキリウヨも特定は自業自得ってことなら一環はしてるな
quick_past?? 「まともなことを言ったら潰されるのが日本のSNS」だってのを、黒瀬にあてはめるのがすごい。あのデマゴギーは、誰にとっての「まとも」なんだそれは。内容で批判されるべきだから批判されてるんだろう。
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
『ジャーロ』誌(光文社)で連載中の、架空のアンソロジーや叢書を作る持ち回り企画。書籍化希望。
No. 55 (2015 Autumn-Winter) 第1回 千街晶之「戦争ミステリ傑作選」
No. 56 第2回 鷹城宏「異論理図書館(ビブリオテカ・パラロジック)」
No. 57 第3回 巽昌章「死のカードあわせ――可動式アンソロジーのすすめ」
No. 58 第4回 千野帽子「ミステリのフロンティアはここだ――K文社ミステロイド文庫・創刊!」
No. 59 第5回 蔓葉信博「ライトミステリーの源流と現在」
No. 60 第6回 法月綸太郎「パリンプセストの舟――メタハードボイルド全集(第一期)」
No. 62 第8回 小田牧央「ポスト真実と現代の本格ミステリ」
No. 63 第9回 波多野健「暗号解読――ミステリと現実」
No. 64 第10回 廣澤吉泰「昭和五十年代アンソロジー(国内編)傑作選」
No. 65 第11回 羽住典子「春を売る本格ミステリたち」
No. 66 第12回 諸岡卓真「『そして誰も』系ミステリの世界」
No. 67 第13回 横井司「墓場へ持ちこまれた謎を解く」(テーマ…未完作品)
No. 69 第15回 浦谷一弘「飛行機ミステリ全集(第一期)」
No. 70 第16回 円堂都司昭「ベスト本格ミステリ21世紀」
No. 71 第17回 大森滋樹「『人面瘡』幻想ミステリ全集」
No. 72 (2020 Summer) 第18回 佳多山大地「鉄道ミステリー選集(二巻本)」
No. 74 (2021 January) 第19回 小松史生子「ミステリの中の『忘れえぬ女(ひと)』名場面傑作集(クラシック編)」
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
藤井風の新曲《青春病》に「青春はどどめ色」という歌詞があり、エッチだなあと思った。
周知のように、「どどめ色」は官能小説の専門用語で、年齢と経験を重ねた女性器に対して使う。
近所の出戻りお姉さんとか、同級生の母親とかに使うことが多い。
見たことないので知らんけど、やや黒ずんだサーモンピンクだと推察される。
…と思って朝日新聞の記事を見ていたら、全然違うことが書いてあった。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14519316.html
「紫になった唇や打ち身の痕などに使われたようです」などと上品に述べているが、女性器については一文字も言及していない。
Wikipediaにも「どどめ色」という記事があり、そこだと女性器との関係についても簡単に触れている。
でも、「どどめ色=女性器」という私の認識からすると、ずいぶん控えめだ。
《青春病》に対するネットの感想を見てみると、私と同様「どどめ色」を性的な言葉だと認識しているコメントも多い。
けれども、比較的若い人なのか、「どどめ色」ははじめて聞く言葉で、調べて意味が分かったと書いてる人もいる。
そういう人たちが読む解説は、「桑の実に由来する言葉で…」という調子だから、どうもあまり性的な言葉だとは思わないらしい。
「あざに使う言葉だそうで、青春の傷を示しているのでしょうね」とか「文学的な言葉です」とかいう発言まであった。
そこで、「どどめ色」の使用例はどの程度エッチなのか、簡単に調べてみた。
仕掛りなので全然少ないけど、これを見る限りでは、非エロの用法もけっこうあるようだ。
ただ、私が調べたのはちゃんとしたコーパスや新聞記事なので、上品な用例ばかり拾われすぎている感も否めない。
エッチな用例をもっと見たい方は、たとえばウェブコーパスで検索するとよいだろう。
気になるのは、1997年生まれの藤井風がこの言葉にどういうイメージを持っていたのか、ということである。
彼はセクシーなアーティストなので、この語の性的なニュアンスも十分知っていただろうと私は思う。
いずれにせよ、「どどめ色」を知らなかった人でさえ、この仰々しい語感には大変感心するだろうし、それだけでも効果的な歌詞だと言えるだろう。
「川崎名物●トルコまんじゅう さわっただけで、ジャムがドバーッとはみ出す、ドドメ色のまんじゅう。」
出典:島田洋七、島田洋八『B Bの仁義なき戦い』ベストセラーズ、1980年
「少納言」で採集。私のイメージする「ドドメ色」の典型的使用例。
「だからほら、そんなケンカはもうお止め! 女の子がドドメ肉なんて言葉を使っちゃいけません!」
出典:竹宮ゆゆこ『わたしたちの田村くん2』電撃文庫、2005年
「渇くドドメ色の夏」
出典:DIR EN GRAY《獣慾》、アルバム「DUM SPIRO SPERO」(2011年)収録
「歌ネット」で採集。歌詞全体が性的な意味になっているようだ。
「脂肪肝の場合はこの色にオレンジと紫を足したような色合いをしている。やや青みが強いドドメ色といったところか。」
「少納言」で採集。前後不明だが、焼肉に対する形容と思われる。
「梅5キロを一晩水に漬けてからザルにとって乾かす。赤ジソ2束の葉をちぎって洗い、少量の塩でよーくもむ。もーみもみしちょると、ドドメ色した汁が出て来る。」
出典:魚柄仁之助「梅の一発漬け」『朝日新聞』2001年6月13日夕刊、7面。
「防腐剤のせいかドドメ色のしなびた二つの小柄な男女は日本人の老人。」
出典「わたしの主張あなたの意見」『沖縄タイムス』2002年8月11日朝刊、5面
投書欄に寄せられた文章より。著者が見学した人体解剖実習の描写。
「どどめ色になるまで泳ぎ[…]」
出典:「歌壇・俳壇」『朝日新聞』2020年8月14日栃木朝刊、22面
加藤宜立氏の俳句より。同紙記事でも典型的とされていた、紫がかった肌の色に使う例。
「ドドメ色の昼下がり」
出典:CD「NG騎士ラムネ 40~俺は今猛烈に熱血しているっ!」1990年、トラック7のタイトル
「国立国会図書館オンライン」で採集。同ディスクには、「セピア色の夕暮れ」「トキ色の朝ぼらけ」という曲も収録されている。「昼下がり」なので、ちょっと性的な含みがある?
「肌の色が白かったから、メラニンが少なかったんでしょうね。メラニンが多いとすぐにどどめ色になってしまうと言いますからね。」
出典:峰隆一郎『西鹿児島発「交換殺人」特急』講談社文庫、1993年
「用例.jp」で採集。肌の色の話らしいが、前後不明のため、はっきりせず。
「流れる景色に目を奪われながら、もはやレレナはこの電車の色が赤だろうが青だろうがドドメ色だろうが知ったこっちゃない。」
「用例.jp」で採集。性的ではないけど、アイロニカルに使っている。
「あまりに突然突きつけられた事実に、俺の産卵期に入ったイソギンチャクみたいなドドメ色の脳細胞が付いていってないのである。」
出典:小北清人「橋下追い詰める包囲網」『AERA』2011年11月21日号、22ページ
橋下徹の発言として紹介している。ダイレクトに性的ではないが、極めてネガティヴな意味に用いている。
「ほらドドメ色の雨が降って 視界を塗り潰した」
「歌ネット」で採集。初音ミク。歌詞は他にもいくつかあったけど、当たり前ながら意味の曖昧なものが多い。
国立国会図書館オンライン https://ndlonline.ndl.go.jp/
一般社団法人日本雑誌協会の公式サイトで印刷証明付き発行部数が公開されている女性ティーンズ誌・女性ヤング誌・女性ヤングアダルト誌
に区分
媒体資料で読者の年齢層が公開されていない、且つ雑誌の内容からターゲットの年齢層が絞り込めないFUDGEとNumero TOKYOは除外
部数が多い順にソート
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 | 年齢層 |
ニコ☆プチ | 新潮社 | 94,300 | 小学生(9~12歳) |
nicola | 新潮社 | 176,425 | 中学生(12~15歳) |
Seventeen | 集英社 | 140,000 | 高校生(15~18歳) |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
non・no | 集英社 | 117,500 |
ViVi | 講談社 | 89,000 |
Ray | 主婦の友社 | 61,250 |
JJ | 光文社 | 45,200 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
MORE | 集英社 | 170,000 |
CanCam | 小学館 | 55,667 |
ar | 主婦と生活社 | 54,000 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
anan | マガジンハウス | 137,500 |
with | 講談社 | 83,333 |
GISELe | 主婦の友社 | 78,900 |
Hanako | マガジンハウス | 54,167 |
GINZA | マガジンハウス | 46,000 |
mina | 主婦の友社 | 39,726 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
CLASSY. | 光文社 | 143,900 |
BAILA | 集英社 | 115,000 |
Oggi | 小学館 | 93,333 |
and GIRL | エムオン・エンタテインメント | 70,400 |
SPUR | 集英社 | 60,000 |
madame FIGARO japon | CCCメディアハウス | 55,167 |
ELLE JAPON | ハースト婦人画報社 | 41,113 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
VERY | 光文社 | 222,200 |
&Premium | マガジンハウス | 76,833 |
VOGUE JAPAN | コンデナスト・ジャパン | 54,000 |
Domani | 小学館 | 42,500 |
25ans | ハースト婦人画報社 | 42,037 |
CREA | 文藝春秋 | 35,000 |
Harper’s BAZAAR | ハースト婦人画報社 | 29,573 |
小泉進次郎、なぜか霞が関で評判上昇「名大臣の素質あり」 | Smart FLASH[光文社週刊誌]
「小泉大臣は、若手官僚とランチミーティングを重ね、職場環境の改善を進めているんです。
打ち合わせや会議を、『多くて無駄では?』と指摘し、“テレビ会議” に代えさせたのが、その一例。大臣自身も自宅にいながらブリーフィングを受けられますし、私たちも、いちいち大臣室や会議室に集まる必要がなく、助かっています」(環境省職員)
「厚労省は、長い業務時間のわりに手当が少ないことが有名で、昔から『強制労働省』なんて揶揄されてきた。それを改善するため、2019年8月に、厚労省の若手職員が当時の根本匠厚労相に、『緊急提言』を提出したのです。
しかし、その提言が “老害” の省幹部たちに反対され、提出そのものを潰されかけました。それを、関係各所に働きかけ、提出できるようにしてくれたのが、大臣就任前の小泉さん。若手からは、『うちの大臣にならないかな』という声も聞こえてきますよ」(厚労省キャリア)
そのうちはてなーも手のひらを返しそうだな。
https://togetter.com/li/1329791
ブコメを見ていて、この件の問題点を取り違えている反応がいくつか見受けられたので、女性目線で解説してみる。
なお、私は普通程度にファッションに関心のある一般人であり専門家ではないので、記述に間違いがあったらすみません。悪気はないので煽らずに教えてください。
件の問題は以下の2点に集約される。
1. 美容雑誌であるにも関わらず、パーソナルカラーの説明がほぼすべて間違っている
それぞれ見ていく。
■
まず1から。
>『美ST』(ビスト)は、光文社から発行されている女性向け月刊美容雑誌である。
参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8EST
wikipediaによれば美容雑誌である。はてブに元々そういう雑誌なんだろ(おそらくはゴシップ誌と同じような)というようなニュアンスのコメントがあったが、(中身はどうであれ)多くの読者は普通の美容雑誌と思って購入しているはずである。
正しい部分を探すのが難しいほどなのだが…。
そもそもパーソナルカラーとは、『人それぞれ、自分に似合う色味を知ることでファッションやメイクの参考にしよう』というものだ。
パーソナルカラーの診断はとても難しい。自己診断はだいたい間違っているものだ。正確な診断を知りたい人はお金を払って診断してもらいに行く。
なぜ難しいか。それは、パーソナルカラーが、ぱっと見て肌が黄色いか青みがかっているか、などという分かりやすいものでは測れないところにある。
・化粧を落としすっぴんになる
・自然光または白色光の元で、顔の下に様々な色の布をあてる(赤系だけで数十枚あるような枚数なので自己診断よりも正しく判定される)
つまり、パーソナルカラーとは肌の色ではなく、似合う色味なのだ。
「あなたは、こういう色味の(くすんだ、クリアな、パステルな、ビビッドな)色を顔の近くに持ってくると肌がきれいに見えますね」というものだ。ただそれだけだ。
なお一般的に、パーソナルカラーはブルベ・イエベだけでなく、四季(ブルベ夏冬、イエベ春秋)の4分類で診断される。
参考: https://allabout.co.jp/gm/gc/190836/
美STの「イエベさんってこんな人!」の部分を見ると、7つの項目が書かれているが、イエベを正確に表現している点はなんと一つもない。
性格にまつわるものは論外だし、かろうじて色に関して説明しているものもすべて間違っている。
→似合う赤色があるはずだ。茶系の赤リップはイエベ秋の人にはハマりやすいだろうが、イエベ春の人にはハマらないかもしれない。
→こちらもイエベ秋の人の傾向であり、イエベ春の人にくすんだアースカラーはあまり向かないとされる。イエベとまとめて表現するのは軽率である。
以上より、「美容雑誌であるにも関わらず、パーソナルカラーの説明がほぼすべて間違っている」となる。
はてブのコメントには、パーソナルカラーをエセ科学だと言うコメントさえついていたが、これはエセ科学だろうか? これは色彩学に分類されるものだと思う。学問分野については詳しくないが、実際に布をあてて自分に似合う色味を見つけていくことをエセ科学だと、私は思わない。
■
1のように間違った説明だらけな上に、見開きを使って両者間の対立を煽っている。
多くの人は、パーソナルカラーを自分のために知りたいと思うものだ。何十色もあるアイシャドウや口紅から、自分にいちばん似合う色を見つけるための参考材料だ。
あの人はイエベだから、ブルベだから、なんて発想がそもそもなかった、という人が大半だろうと思う。
一部界隈ではブルベのほうがすごいとかブルベを羨ましがる風潮があるような気もするが、あれはおそらく「ブルベ=美白」という思い込みと日本の美白信仰が混ざった結果であろう。
パーソナルカラーは、「あなたはイエベだから青やピンクを着てはいけません」というように何かを強制するものではない。
「あなたに似合う青やピンクはこういう色で、顔色がよくなりますよ。もしも不得意な色を使いたい場合は、例えば顔から離れた場所に使うといいでしょう」といったように、むしろ色とのちょうどいい付き合い方を教えてくれるものだ。
それを、勝手に性格をこじつけたりお互いを対立構造にして表現するのは、不要な争いを生み出している行為で、大手の雑誌がやるにはあまりに品位に欠けると言わざるを得ない。
余談だが、自分は地黒で結構黄色い肌だがプロ診断でブルベである。ずっと自己診断でイエベだと思っていたが、黄色い布を当てたら明らかに肝臓の悪い人のようなひどい顔色になってしまって驚いた。パーソナルカラーの自己診断は本当にあてにならないものだ。
だらだらと長文になってしまったが、分かった風にパーソナルカラー自体を馬鹿にしているブコメもいくつか見受けられたので書いてみた。
はてなーの皆さまこんにちは。今日も元気にウンコ漏らしてますか?初めて投稿します。
物心ついたころからずーっと気になっていたことがありまして。それはズバリ、「みんな作家の文体をどれくらい識別できてるんだろう?」という問題です。
気になった方は、まずは以下の問題に挑戦してみてください。
★以下の①~④と(ア)~(エ)の文章は、それぞれ同じ作家の書いた別の小説作品から、一部抜粋したものです。①と(イ)、②と(ア)...のように、同じ作者の作品どうしを組み合わせてください。
① そして彼が知ったのは、彼等の大部分が、原発というものの実態を把握していないらしいということだった。どこにどれだけの原発があるかも知らず、それが止まるということはどういうことかイメージできないようすだった。原発が止まっても大して困らないんじゃないかという意見もあれば、ろうそくを買うべきだろうかと異常に心配している声もあった。
② この人は母とは本当にお似合いだ。言葉に表現した瞬間、それが的を射ていても、本当のことを言っていても、なぜか必ず嘘っぽく聞こえ、薄っぺらい印象になる。この人のこの言葉と僕の事実とに挟まれて、僕のあの放火未遂っぽい事件は行き場を失ってしまったようだった。
③ 船長主催の晩餐会は、さんざんなていたらくであった。夕刻から、この時期には珍しい西風が吹き始め、それは次第に客船を上下に揺らした。乗客の中でもとりわけ過敏な者は、晩餐会のための服に着替える前に、すでに船酔いにかかって、各自のベッドに臥してしまった。
④ 札幌の街には今年最初の雪が降り始めていた。雨が雪に変わり、雪がまた雨に変わる。札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというと、それは評判の悪い親戚みたいに見える。
(ア): 夢の中の俺はまだ子供で野球のバットか何かを捜しに来たのだ。暗闇の中で金属バットが触れ合ってカランコロンと甲高い音を響かせる。俺は広いフロアを見渡す。たくさんの影はしんと静まり返って何も動かない。
(イ): バーは、二階に著名なフランス料理店があるビルの三階にあった。長い一枚板のぶあついカウンターと、四人掛けのテーブルが二つあるだけだったが、いかにも酒を飲むところといった風情で、助成の従業員はいなかった。
(ウ): 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。
(エ): 十九年前にさらわれた赤ん坊がどこにいるかを、早く彼女に教えてやらねばばらない。白血病で苦しむ息子が助かる道があることを示してやらねばならない。言葉を発しようと息を吸い込んだ時、小さな疑問が彼の胸に宿った。それは瞬く間に大きくなり、やがては衝撃となって彼の心を揺さぶった。
・答えは↓
【答え】
①- (エ) 東野圭吾
②-(ア) 舞城王太郎
③-(イ) 宮本輝
④-(ウ) 村上春樹
①: 東野圭吾「天空の蜂」(講談社、2015年、p124、ハードカバー版)
②: 舞城王太郎「イキルキス」収録「パッキャラ魔道」(講談社、2010年、p193、ハードカバー版)
③: 宮本輝「海辺の扉(上)」(角川書店、1991年、p151、ハードカバー版)
④: 村上春樹「カンガルー日和」収録「彼女の町と、彼女の緬羊」(平凡社、1983年、p50、ハードカバー版)
(ア): 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社、2004年、p117、文庫版)
(イ): 宮本輝「海岸列車(上)」(毎日新聞社、1989年、p162、ハードカバー版)
(ウ): 村上春樹「風の歌を聴け」(講談社文庫、1975年、p77、文庫版)
(エ): 東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、2010年、p204、ハードカバー版)
いかがでしたでしょうか?
なぜこんな問題を作ったのかといいますと、自分はけっこう文体に敏感な方なのではないかと、密かに感じてきたからです。
同じドラッカーの作品でも、上田惇夫訳の「マネジメント」はすごく好きなのに、上賀裕子訳だとなぜか全然頭に入らなかったりします。趣味で読む本は、好きな著者のおすすめで買ってみたものの、文体が気に入らなくて読み進められないことも多いです。(村上春樹はすごい好きなのに、おすすめのサリンジャー「ナインストーリーズ」は受けつけない、など。翻訳版をよく読む方にはあるあるなのでは)
それぞれの作者ごとに、「この人は勢いがあって脳が活性化する感じ」とか「クールな感じで読んでいても全然感情を感じない」とか「頭の中に繊細で暖かいイメージがふわっと浮かぶ」とか、料理でいう味みたいなものがあります。
小説じゃなくても、エッセイでもビジネス書でも、どんなジャンルにも作者ごとの「味」がある。そして、これはその人の持つ「文体」が決めている部分が大きいと思っています。(本の装丁も全体の1~2割くらいは関係してる気がします。料理を載せる皿によってちょっと味の感じ方が変わる感じ?)
でもこの「味」って、大まかにはみんな感じるところがあるはずだけど、誰もが全く同じように感じていることはあり得ない。みんなで同じ料理を食べていて、「おいしい」「苦い」「熱い」などの大まかな感じも方向性は決まっていても、それをどこまで感じているかは人による。(同じ「辛い」カレーを食べても、人によってピリッとする辛さなのか、喘ぐくらいの辛さなのか、という辛さのニュアンスは異なるはず)
これって料理の味ならみんな共感できると思うんですけど、文章の「味」についてはほとんど議論されない。これって実際はどうなのか、という実験でした。
今回挙げた作家について、個人的に感じる「味」はこんな感じ。(あくまで個人の感想です。前者二人の文体は大好き、後者二人はうーむ。ストーリーはそれぞれ面白いと思います。)
・村上春樹: なんの抵抗もなくすっと頭に入って、胸にふわっと煙みたいに広がって染み渡る。イメージが幻想的ながら、ありありと脳裏に浮かぶ。もう村上春樹っぽいとしか言えない。
・舞城王太郎: 「文圧」のすごさ。リズムと勢いで、パンパン読ませる。胸が暖まって脳が活性化する感じ。文体で読ませる作家。天才。
・東野圭吾: 必要最低限の情報量。情報は伝わるが、感情はあまり伝わってこない。マックのハンバーガーみたいな感じ。
・宮本輝: いいところのお坊っちゃん。淀みなく流れる川のように流麗。美しい文章だが、あといま一歩感情が胸に迫ってこない。脳の活性化がいまいち。
最後までお付き合いいただいたはてなーの皆さん、ありがとうございます!皆さんのやってみた結果は、コメントで教えていただけるとありがたいです。あと余裕のある方、同じような問題作って自分にもやらせて...!!