「差別語」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 差別語とは

2021-06-20

anond:20210620095410

自由差別語を使いたいだけなのにうるさく文句を言うやつもいるもんだなあ

2021-06-16

https://anond.hatelabo.jp/20210616004242

エスキモーイヌイットとは限らんぞ。

一時期はエスキモー差別語かい運動があったけど、その一時期のタイミング学校教育を受けたおっさんしかそういうこと言わない。

2021-05-05

anond:20210505085717

当事者達がこれを言うのは、「キモイ」っていう存在全否定しているのに差別語にすらなってない言葉を、世間(特に異性)からカジュアルに投げられる存在であるという自嘲からきてるものやで。

2021-04-17

公立名門校が周辺の公立動物園化するって本当だったんだな

教育実習出身公立中学校に帰ったとき、あまりの変貌ぶりにびっくりしたんだよな。まさに動物園。寄声を発するものオラウータンのように動き回るもの差別語ガイジ、身障)を叫んで笑ってるもの、殴る蹴るの暴行職員室の前で行われても教師スルー

公立中高一貫校が出来てから急に公立中学校動物園化したと担当教師が言っていた。トップ層抜ける→トップが抜けて動物園化を恐れた家庭が無理をしてでも私立中学へ行かせる→残った生徒は貧困教育に興味のない親の子

こういうことらしい。悪ガキの割合は今も昔も変わらない。ただ彼らは学校では圧倒的にマイノリティで、それが抑止力になっていた部分が大きかった。事実、俺の中学時代の悪ガキは校外に居場所を求め、学校では寝てるかサボるか、おとなしいもんだった

しかトップ層と真面目な子供がゴッソリ抜けたあと、彼らの居場所学校になったとからしい

2021-04-12

差別用語「チョン」って既におっさん、おばさんが使う古い言葉なんだってね……

5ちゃんねる見てたら「在日チョン発狂www」みたいな煽りレスがあったんだが、チョンとか昭和かよ草とかいい年して掲示板差別語書いてる晩年虚しすぎだろとか哀れみのレスが並んで、そもそも人種差別主義者は来んなとか言われてたりで時代の変遷を感じたよね。特に意識高いスレでもないのに驚き

だったが、チョンという言葉昭和とか言われてたのには驚いた。ネトウヨの皆さん、チョンっておじさん、おばさんを彷彿とさせるそうですよ

2021-03-24

ネトウヨと言う言葉

そもそもこれ蔑視的な意味合いで使ってる人が多いので差別語なんよね。

それを逆手にとって自称している人もいるけど。

2021-03-21

anond:20210321121444

糖質気味』みたいな差別語ごまかしでしか表現出来ないのなら、偉そうなお題目を言うのは止めろ。

2021-03-18

はてな匿名ダイアリーには差別批判する刺客がないというお話

ジャップランドなんていう差別語を平気で使える増田差別批判的に語ることはできない。

anond:20210318104050

「あ、犬」ってのは昭和初期まで実際に使われていた差別語なんだよ

バカチョンカメラ」みたいに後付けで差別語にされてしまった言葉もあるけど

anond:20210317225338

ガイを育てるのはガイ

差別用語他人に向かって平気で使うな! 恥を知れよ差別主義

アンタがどういう考えを持ってるか知らんが、何であろうとお仲間の足を引っ張るだけだ。

差別語を含むレスを読んで「なるほど」と思う読者がいるか

シンプルに信用を落とすだけだろうが。

なぜそんな簡単なことに気づかない?

2021-03-14

anond:20210313160150

ITは他業種なら存在さえ許されないようなキチガイでもスキルあれば働かせてもらえるから

犯罪者率高いし

あなたの主張が正しいならあなたIT従事してるってことになるね。

差別語を気楽に使う自分自身正気をまずは疑ってみてくれ。

加えて、犯罪率に興味があるあなたは「統計的差別」についても知っておくべきだ。

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

2021-03-01

anond:20210301192907

このバカ何言ってるの?

差別の話で差別語を使うな」とでも言いたいの?

差別の話なのに?

2021-02-25

IT業界なんてほぼ黒人がいない差別業界なのに

お前ら黒人排除している加害者なのによく平気な顔して差別語れるよな。

2021-02-16

https://anond.hatelabo.jp/20210215032147

といっても積極的差別語を使って貶めるようなのは個人でも勿論駄目だと思うが。

増田場合はそうじゃないか差別とは言わない。

2021-01-22

anond:20210112181901

脳っていうかセンス問題はあるだろうな。

右翼善悪以前に言うことやることが下劣すぎてとても耐えられない。

よくもまああんなきったねぇ差別語を次々と作れるもんだ。

最低限の漢字語句も間違えるクソアホばっかだし。

よく右翼なんてやってられると思うよ。

さすがのJアノンの前についていけないと言い出す右翼も出てきたが。

例え右翼が正しいと思ったとしても支持することが憚られるね。

2021-01-17

anond:20210114173001

農民黒人自分百姓やにがーを自称する分はOKというのが

差別語を分かりにくくする

2021-01-08

anond:20210108001902

科学法律事件検証をせず、「糖質」という差別語を使って京アニ擁護するのはなぜですか?

科学法律事件検証をせず、「糖質」という差別語を使って京アニ擁護するのはなぜですか?

神戸市西区精神科病院「神出病院」で、

看護助手看護師複数入院患者虐待を繰り返していたとされる事件

身体拘束も認められる精神科病院では、患者は弱い立場に置かれかねない。

法律の不備を指摘する声もある。

https://www.asahi.com/articles/ASN3S3JSKN3RPTIL02G.html

anond:20210107160330

青葉も精神障碍者

精神障碍者だったら当人の言うことは全部嘘だと決めつけて尊厳を奪ってよいの?

なんで京アニ擁護する人たちは「糖質」という言葉を使って精神障碍者への差別をするの?

2021-01-02

anond:20210102205818

ネトウヨって差別語だったの?

ニガーは黒人、チョンは韓国人という適切な表現に置き換え可能だけど、ネトウヨってそれを適切に表現する言葉が他になくね?

インターネット右翼、とでも言えばいいのかな

2020-12-19

anond:20201218114645

そうなると、そのタワーの周りの住宅地

米英露欧人や中韓アジア人のものになっていて

東京人タワーとか差別語で呼ばれてしまうよ

2020-11-16

消えゆく表現:マリコナーダ

好きなスペイン語単語マリコナーダというのがある。

つづりはmariconada、「オカマ」くらいの侮蔑語であるmaricónの派生語だ。mariconeríaという同義語もある。

意味としては「オカマみたいな言動」「男らしさを欠く行為」みたいなニュアンスだろうか。敵前逃亡みたいな勇なき行動も指せるし、男がドレスを着るみたいな、旧来のジェンダーロールに沿わない行動も指せる。

どう考えても直球の差別用語で、擁護余地はない。

でも個人的にはけっこう好きな単語で、なぜなら日本語でうまく言い換えられないからだ。日常生活のなかで、ときどきこれは"マリコナーダ"だな、と思うことがある。「男らしくない行為」なんて迂遠表現より、一語で言えた方が嬉しい。

度胸があるのが男だ!って考え方には反対だし、ゲイには度胸がないってのにも全く賛成できない。だいたい度胸がなくても別にいいしな。男がドレスを着たっていいし、なんでも勝手にやりゃいいと俺は思う。

でもそれはそれとしてマリコネリーア・マリコナーダって概念は好きで、おそらく10数年のうちには差別語として消えてしまうんだろうなと思うとちょっと悲しくもある。

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