もし仮に本当に投資先として良い物件であってもあなたは買うべきではない。
投資の格言で有名なものの一つに「卵を一つの籠に盛らない」というものがある。
未来は予測できないのだから一つの投資に集中すべきでない=分散投資をするべきという意味。
幾ら良い物件でも、地震や火事のリスク、自殺などで事故物件になるリスク、隣の部屋で民泊が始まるリスクなどは無くならない。
あなたの貯金と年収では、その物件一つしか買えないだろうから、何かあった時に建て直しが効かなくなってしまう。
最近の話題で言うなら「ヘイトスピーチやった作者の作品の出演者を攻撃」とか
何かと思えばただの感情論だった。
日本の法制度は犯罪者に優しすぎるというのは一体どこの国との比較か分からない。
本来受けるべき刑罰との差と言っているところを見ると、日本では刑罰が甘いとの認識のようなので、そこで主張すべきなのは犯罪の厳罰化ではないか?
あと、家族を批判することが何故分断になるのか分からない。本当に分断なのか?
この問題について何か知っているわけではないので、想像になるが。
単に世間から隠れようとするだけで、分断とか分断じゃないとか関係ない気がするが。
何故なら、家族を批判している人は無責任な第三者なので、その家族が被告とどういう関係を現在持っているかなんてそもそも分からないのでは?
であるなら、非難されるから被告との面談を止めようとは家族は思わないと思う。逆に、家族が被告を絶縁して関係ありませんみたいになっても、そんな事はどうせ無責任な第三者は知りもしないので、
意味がない。というか、絶縁しましたと発表してもまた叩くんでしょ?家族批判が、被告と家族の分断に繋がってくる気がしないんだが?
増田で人を殴っても殺されなくてよかったね。
個人的な経験から言いますと、標準語を話す人が訛りの強い方言を話す地方に行くと、かなりの確率で訛りが伝染ります
逆に訛りの強い方言を話す人が東京に住んだりすると、今度は訛りが薄まります
訛り、つまり特徴的な言い回しやアクセント、イントネーションは普段聞いている言葉の影響を強く受けるという事なのだと思います
https://twitter.com/shino_nk/status/1004356062923767808
こういうこと言う奴絶対出てくると思ったけど
「絶歌」は表現の自由によって出版停止にならなかったのに、と嘆いてる馬鹿は
もし「絶歌」が同じことになったらそれはそれで表現の自由に逆らうことになるとお気づきなのだろうか?
意図的な「論点ずらし」や「はぐらかし」などの不誠実な国会答弁の手法。
例と解説
Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」
「朝ごはんは食べなかったんですか?」と問われて、パンを食べていたのなら、誠実な答弁は「食べました」だ。
それなのに、「食べました」と答えたくないために、「朝ごはん」について問われているにもかかわらず、あたかも
「ご飯(白米)」について問われているかのように勝手に論点ずらしをして、「ご飯は食べておりません」と答弁する。
実際に朝ごはんを食べたかどうかは、答えないまま、朝ごはんは食べていなかったのだなと相手に思わせる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/uenishimitsuko/20180520-00085438/
一般的な子供より2年近く発達が遅れていると言われ、それを親は十字架のように背負ってずっと育ててきた。
こんなシーンを見た覚えがあるんだが、果たしてなんていう作品だったか思い出せない。
文明が絶えたあとみたいな荒野で、でかい不恰好な帽子をかぶった少年が暮らしている。
この少年、アンドロイドだかなんだかでずっと少年のままで生きてきた。
でかい不恰好な帽子は、もともとは誰かにもらった麦わら帽子で、ずっと修理を繰り返す
間に原型をとどめなくなっている。
こんなのを見たような気がするんだが、だれかわかるやついるか?
よく、「犯罪者だけでなく、その家族を攻撃するのはおかしい」とか「家族は関係ない」とか言われるが、
私は犯罪者の家族を攻撃するのは正しい、というより効果的な行動だと考える。
まず、犯罪者に人権なんて無いと考える者にとって、日本の法制度は犯罪者に優しすぎる。
そのため、本来受けるべき刑罰と実際に課される刑罰の間には著しい差ができてしまう。
なんとか犯罪者にダメージを与えたい…しかし、犯罪者本人には攻撃ができない。
そこで出てくるのが、「犯罪者の家族を攻撃する」という方法である。
凶悪犯罪を犯し、ニュースで報道された時点で、犯罪者にとって社会の殆どは敵になる。
この家族を攻撃し、分断することで、奴らは数少ない味方を失い、更に苦境に立たされることになる。
社会に出ても誰も味方がいない…針のむしろ…そうなる状況を作り出すことで、多少は本来あるべき刑罰に近づくというものだ。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」