はてなキーワード: 法科大学院とは
法学部を卒業後、法科大学院進学に怖気ついて地方公務員になった。
最近やっぱり弁護士になりたい(正確に言うと、仮に仕事を辞めて弁護士にならないとしても司法試験に合格したい)と思うようになった。
学部生の時に予備試験に合格したり、法科大学院から司法試験に合格し実務家として働いている大学の同級生たちに話を聞いたり、各予備校の体験授業を受けたり説明会に行った。
当初は平日講義が夜間にあり、社会人が多く在学している某国立大学ロースクールを考えていたが、元々法科大学院進学を目指して勉強していた(所有者不明土地等関係の改正など短答分野で若干改正あり)ことや仕事があることも考慮。弁護士の友人の後輩で今年修習をしている方から予備校のインプット教材を貰った。
そして今日は早朝出勤早上がりの日であったため帰りに書店に寄り、予備試験の短答と論文の過去問、各科目の択一六法、今年度版の六法を購入した。ダンボール一箱分くらい。
頑張る。
俺は元々理系で法学部とは無縁な人生だった。教養で法学を学んだぐらい。
しかし最近Colabo問題に言及したら炎上して、政治家や弁護士をバックにつけた連中から因縁をつけられた。
そのときの経験から、自分でも弁護士の資格も持っておいた方がいいかな?と思った。
自分の知り合いで、社会人になってから弁護士になった人が何人かいる。
元々高学歴で頭が良い方だったかもしれないけど、自分と大差ないようにも見えたので、弁護士になるのは自分でも不可能じゃないと思えた。
幸い、今の自分はお金に不自由しない環境なので、勉強時間ならいくらでも取れる。
しかし、今の自分には他に時間を使うべき課題があるので、同時に司法試験へ挑戦するのは厳しい。
司法試験の勉強を始めたら、かなり時間が取られるので、二足の草鞋になる。
物事は「中途半端は一番良くない」と思っているので、もしやるならなるべく多くの時間を司法試験の勉強に割くことになる。
人間は期限を決めないとだらけるので、例えば一定期間やってみてダメなら撤退するという線引きは必要かもしれない。
もし俺が君なら、後悔しないために=未練を残さないために、可能な限り条件を整えて、もう1度だけ最後に挑戦するかも。
それでダメならキッパリ諦めて、他の道に時間を投下すればいい。
こういっちゃなんだが、法曹よりも価値のある仕事、事業はあるよ。
例えば俺がやっていること。(司法試験の勉強よりも価値があると思っているので、最優先にできると)
君が俺のリアルの友人なら、俺がやっていることを教えることができるけど、別に知る必要はないね。
ただ君自身が、自分の価値観に基づいて、弁護士になってやりたいことが、それだけの価値があるのか?
人生を、命をかける価値があるのか?が重要なのであって、俺のやりたい事とは関係がないから。
https://anond.hatelabo.jp/20230806214817
学生の頃、法科大学院に行って弁護士になろうと思っていたときがあった それを成し得るだけの適性はあったと今でも思ってる(予備はさすがに無理だったと思う、頭のスペック的に) こんなのただの戯言だけど (学生運動がなければ俺は東大だったんだと宣うおっさんが昔はよくいたらしいな、父親が言ってた)
自分は明らかに向いてなかった、その道に進まなくてよかったんだと思えた方が幸せだった 今でもなぜかそうは思えない
そもそも学習スタートしたのが大2で遅かったのに、ダブルスクールし始めた塾にも真面目に通いきらず、1年すこしで辞めて、親と大揉めして、無駄金だと謗られて(当然だ)、その負い目もあって就活では法律科目が使えるから公務員を目指すことにして、なのに公務員にすらならず就職して社会人3年目
大3のとき、付け焼き刃でもなんとか未修のローとかに潜り込めるように頑張ればよかった
今なら塾は通いやすさとか仲間がいるかとかを重視して選んで、勉強の進め方ももう少しどうにかできるのに、と思ってしまう
部屋を片付けていて、そろそろその頃の塾のテキストとか処分したほうがいいんだろうなと思いながら泣けてきた
どこで人生を間違えたんだろう
【追記】
もしも自分が弁護士の資格が欲しいと思うなら、政治家になりたい場合かな?
維新を作った橋下徹弁護士のように法律=社会のルールの知識を武器にして、社会を再構築するために活用するとか。
政治を改善するには弁護士程度では無理だと思うので、他のアプローチを採用することにした。
俺は自分のアイデアの効力を信じているので、実現に必要なことは自分の力でやってみようと思っている。
(もし俺が司法試験に挑戦するなら、毎朝東京地裁の周りをジョギングして「3年後必ずここに戻ってくる」という誓いを固め、猛烈に勉強するだろう)
学生の頃、法科大学院に行って弁護士になろうと思っていたときがあった それを成し得るだけの適性はあったと今でも思ってる(予備はさすがに無理だったと思う、頭のスペック的に) こんなのただの戯言だけど (学生運動がなければ俺は東大だったんだと宣うおっさんが昔はよくいたらしいな、父親が言ってた)
自分は明らかに向いてなかった、その道に進まなくてよかったんだと思えた方が幸せだった 今でもなぜかそうは思えない
そもそも学習スタートしたのが大2で遅かったのに、ダブルスクールし始めた塾にも真面目に通いきらず、1年すこしで辞めて、親と大揉めして、無駄金だと謗られて(当然だ)、その負い目もあって就活では法律科目が使えるから公務員を目指すことにして、なのに公務員にすらならず就職して社会人3年目
大3のとき、付け焼き刃でもなんとか未修のローとかに潜り込めるように頑張ればよかった
今なら塾は通いやすさとか仲間がいるかとかを重視して選んで、勉強の進め方ももう少しどうにかできるのに、と思ってしまう
部屋を片付けていて、そろそろその頃の塾のテキストとか処分したほうがいいんだろうなと思いながら泣けてきた
どこで人生を間違えたんだろう
江頭憲治郎というクソジジイですかね今どこに住んでるかは分からないのですが私が法学部にいたときに何も習わなかったんですね。だからカスみたいな教授であったと。
私が習ったことは旧商法の中に列記されていた会社に関する体系が分離されて、商法から取り出されて、会社法というのが国会で制定された時期で
東大法学部では、法律学が技術であることを教えてくれた先生はいない。代わりに私は晴生からLECに行けと言われていたのでそのプロヴィデンスはもっているけど、そこには
法律は、幾何学のIntersectionのようなものがどんどん発達していったものとか技術であるとは書いているがその具体的内容は全然書いていない。
LECというのは民間司法試験予備校団体で、法科大学院に行かなかった人がいくところなので、法科大学院は新司法試験から裁判官になるところだが、LECの場合は、旧司法試験の
ルートで、裁判官になるところである。LECは水道橋に校舎があったんですが今はどうなんですかね、平成18年のことですが、電車で通ってましたね、今はないらしいんですよね
いろいろ勉強はしたんですが何が魅力的なのかというか、前段階で民訴法の先生から、民訴法の本質は目的規定と言われて、人権と公共のおぺちを調整するのが目的でそれがものとして
そびえたっていて、それをそびえたたせるための技術が各法律であると習ったような気がしますが法律自体は華麗に制定されて解釈されていても、憲法13条の個人の尊厳というのが
あまりに驚愕的な概念なので、各法律の制定技術と解釈技術がどうなってるかは分からない。今でも同じだと思うが文Ⅰに行った人はみんな遊び感覚で行ってるのでね
No1 高野伸 昭和54年任官 理由 民事、検察官経験あり、 学識見識が高い
No2 佐藤達文 知財高裁、 地裁民事44部 理由 民事および知財関係で実力があり
No3 にんかいたつや 東京高裁刑事6部判事 理由 Twitter で にんかい っていってるから
裁判所人気職員 しらちゃん 平成30年 東京高裁刑事3部事務
東京大学の状況
法学部 ?
法科大学院 志願者が 78000→48000→8000人→10000人に激減して終了
たけしさん
人気警察官 新城ちさと 令和元年頃に南延岡交番に勤務 理由 かわいいから、それ以外に理由ない。
英語教員 井上修二 理由 まんこかぎまくっていたのが露見したから
典型的な40代オワコン警察官であり、生きている価値がない。俺が一番嫌いな者
(1)39歳東大女
(2)大沼保昭(国際法)、岩佐鉄男など、東大時代の教授がどんどん死んでいる
(3)全盛期の平成16年頃は絶好調だったが、実体関係上、平成18年あるいは19年の8月頃には駒場も本郷も終わり腐れていて最悪だった
※ 駒場がクソになったのは現在のデザインの建物が出来てからで実体関係上、それ以前と比べてマジでクソになった
※ 本郷は、法科大学院設立に伴い建設されたその隣にあるクソみたいな建物が立ったころにはスカスカだった
※ 平成30年頃に中央食堂改築工事が始まり、以前のような中央食堂は既にない
※ 近年の東大本郷の様子 工学部5号館にサブウェイが出来たが、 10:00ー15:00までで在学生でないとそこを利用するテクニックは存在しない
※ 東京近郊から東大本郷に行く場合、南北線しか通ってない、都営三田線の関係駅から歩いても行けるが地獄
刑法には特に趣旨目的を明示した条文はありませんが、刑法にも趣旨目的はあり、結局は、国民に対しての重要な禁止事項を明瞭に列挙してその法的安定性を強く確保するとともに
国民の人権及び公共の福祉に資するところを目的とすると思います。ここで刑法は道徳事項を垂範したものではなくあくまで社会のルールを規定したものであり、このような法律の目的が、
法的安定性の確保にあることは当然だが、法律の条文そのもの自体が憲法13条に規定する人権や公共の福祉を目的としているかというと疑問である。法律には人権や公益と言った
ナマの概念を直接的に保護する機能はないので、しかし、法律には一般に、目的規定が存在し、人権や公益に資することを目的とするとは書いている。
立法技術として誰にでも理解できるような概念を用いて社会のルールとしなければならないがその際に四角四面に規定すると憲法13条の最高原理を確保できないので、13条の最高原理
を確保するように条文を制定しなければならないがはっきり言って平成時代における法律教育において立法技術と解釈技術に関する教育は完全に欠如しており、法学部でそれをやらないのは
むろんのこと法科大学院のカリキュラムは何をやっているのか全く分からない。そして刑事法の中で各種の法律の目的に資するように条文を規定し解釈する中に、いわゆる技術哲学として、
ブサイクの悪人が必死こいてるけど、法科大学院の入学者数はこの15年で激減しており、この現実を変えることは出来ない。減少関数の傾きの値が大きい理由を横に併記する。
平成16年度 72,800人 民事訴訟法の高橋宏志が主導して法科大学院制度を創設し、大学入試センターの協力もあった。
平成17年度 41,756人
平成18年度 40,341人
平成19年度 45,207人 安倍政権の順調な経済成長の成功の下に、志願者が増加した。
平成22年度 24,014人 東日本大震災があるなど、世の中がどうでもいいという風潮の下、安倍晋三が顔を真っ赤にしたがそれでも減少に抵抗できなかった。
平成23年度 22,927人
平成24年度 18,446人 警察官による犯罪が爆増し、何の価値もないという世間風潮から一気に激減。
平成26年度 11,450人 公務員の犯罪性が高まり、激減に歯止めがかからない。
平成28年度 *8,278人
平成29年度 *8,160人
平成30年度 *8,058人
令和01年度 *9,064人
令和02年度 *8,161人
令和03年度 *8,341人
以下で言う、見る、というのは、英語で、seeということとする。Considerという単語もよくつかわれるが、哲学でConsiderというときはいきなりそれを考えているし私はちょっと分からないので
後回しにする。seeが大事なのは、哲学で頻繁に出てくる、特に、TheoremおよびSolutionはどちらも見るものである。
(1)一時期は金がゴミになったので、なんでもただで持って行っていいというサービスをしていたような店が大量にあった時代も明らかに見えているが、警察がなかったことにしている
(2)最近まで関東を中心に、越谷レイクタウンではわいせつ行為、ネットカフェ等でも同様の行為が大量にあったのを誰でも見ているが、知らないふりをしていて卑劣
(3)岡田克也は食べるものが明らかにゴミなので、レジゴーという、ただで持って行ってもよいというスマホを開発したが、さいたまのブスが邪魔していて意味が成立していない。
(4)三宅雪子(54歳)は、あるとかないとかいうことに絶望して自殺したのではなく、子供だから、高齢化に絶望して自殺しただけであることが明らかにseeである。
(5)32歳の松本という警察官のゴミがあるとかないなどと言っていていちいちウザい。子供にはそういう価値観が存在しない。
(6)Everyone can see that Japanese police is devil
(7)警察官という誰も信じていない宗教団体の警備員が子供に手を出しているという事実を理解できるとしたらお前の頭は終わっている。
(8)やっくんが、平成25年10月5日に山口で自殺したのが、事故ではなく自殺なのは、明らかに、seeである。
(9)H30年6月16日に、警察官が殺害されたため、佐藤の魔法が解除されたのは、The fact that everyone can seeであるが、認めようとしない。
(10) 安倍晋三が死んだかどうかは、Nobody knows 誰もseeしていない。誰も知らない。
(11)「ミサイルできた」「地獄みせる」 などと言って業務を妨害している人は明らかに可愛く言っている。
めちゃくちゃ昔に既卒就活やべえ!って話をしてそれっきりでしたが、それなりに落ち着いてきたので「こういう例もあるよ」の意味で久しぶりに日記を書いてみます。
思いつきでダラダラ書いてるので、「コイツほんとに業界の人間か?」という突っ込みはどうかご容赦を。
↓以下スペック↓
マーチKKDR法学部ストレート入学ストレート卒業→内部法科大学院進学→既習二年目に中退
中退した後に半年間就職活動→IT企業で内定→3年前後働いて転職、現在BIG4でシステムコンサル
↑以上スペック↑
中退した理由はいろいろあるんですが、法科大学院生なら「あるあるだよね」ってなるような理由です。プレッシャーやらお金の心配やら何やらがごちゃってメンタル死んだ系です。
当時は「司法試験受からないと人生終わり!」と結構本気で考えていましたが(というよりそれぐらいのマインドが無いと受からない試験だったと思います。今思えば)、いざ就職してみると割かし良い生活できるもんなんだな、と思います。
さて、法科大学院生の進路ですが、正直26歳ぐらいまでなら全然他の分野でも立て直せると思います。法務職なら確実余裕。
20代で最低限の学歴がある、というだけで世の中案外評価してくれます。書類ぐらいは割と通してくれます。
私自身の場合は、「もう法律ええわ、全く違うことやろ」「ほな今ITホットでええやん!」というノリでIT企業を対象にして就活をしていました。
とはいえ、やはりズブのIT素人を採ろうとする会社さんは中々いらっしゃいませんでしたね。当然ですが。
ITパスポートとTOEIC7xx点だけで勝負していたところ、何とか前職からお声がけをいただけました。前職からお声がけいただくまでの間には、多分50社以上面接受けていたと思います(書類選考だけなら100社近いかも)。
とはいえ、受検社数が100社には及ばずに済んだのは、20代で最低限の学歴があって、「未業界に挑戦したいです」というのを資格取って示せていたからなのかな、と思ったりもします。新卒の就活生なら当然やっていることでしょうが。
その後、情報処理技術者試験の資格や、民間資格をいくつか取得しつつ、何となく転職サイトに登録してみたら何となく転職できてしまった感じです。
前職絶対辞めてえ!という訳ではなかったんですが、カジュアル面談を受けてみたらあれよあれよと選考が進んじゃって、オファーが出ちゃったので挑戦してみようという感じでした。
「何か、法科大学院って中退しても何とかなるんだなぁ」と思った瞬間でした。勿論、周りの方々とのご縁があっての前提ですが。
勿論、現在法科大学院生の方・司法浪人されている方には司法試験を思い切り頑張って欲しいと思っています。
一方で、法務博士持ちでさえあれば、世間はより高く皆様を評価してくれます。私でさえ現職の面接時に法科大学院での学習を評価していただけましたから。
相当しんどいとは思いますが、まずは法科大学院を修了することを最低限の目標として頑張ってみてください。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
30代の一人息子。真面目でおとなしいのだが、不器用で要領が悪かった。
小学生時代、放課後の公園で何度練習しても逆上がりができず、家でどれだけ練習しても二重跳びはできなかった。中学受験では塾の仲良しグループで唯一全落ちしてしまった。
それでも進んだ区立中では楽しく過ごしていたし、高校受験では所謂名門都立高校に進んだ。しかし、大学受験では再び挫折。浪人したものの国立に落ち早慶に進んだ。国家公務員志望から法曹志望に切り替え、予備校に通い一生懸命やっていたようだが予備試験には受からず、法科大学院修了後も司法試験に受からなかった。
3回目の司法試験の際に初めて短答試験に合格し、私や夫が心配するくらい勉強して論文に挑んだが、残念ながら不合格だった。リビングの椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。
それから息子は二日ほど部屋に篭っていた。三日目の朝にリビングに降りてくると「司法試験は諦めて就職する」と言ってきた。
息子は企業の法務部で働き始めた。職場環境は良かったようで本人も楽しそうにしており、私や夫は安心していた。社会人になって以来、息子は帰宅が遅くなり、休日の土日も殆ど家を空けるようになっていたが、忙しいのかと思い気に留めていなかった。
社会人になってから3年ほど経ったある日、息子から自身が主催しているセミナーを手伝うように頼まれた。夫も休日だったため、よくわからないまま二人で会場に赴いた。すると、先に集まっていた人々から「先生のご両親ですか?」と聞かれた。そうだと答えると突然周りが慌ただしくなり、恭しく部屋に控え室に通され、ソファの上でお茶やお菓子を出された。そして、みんなから口々に息子の凄さを聞かされた。「先生のおかげで人生が変わった」、「先生のおかげで世の中の構造が見えるようになった」、「先生のおかげで人生に意味を見出せた」というように。
息子が遅れて控え室に入ると、私たちの周りに集まっていた人々は一斉に息子を囲み、また口々に挨拶と賛辞を繰り返した。息子はそれをあしらい、準備をする様に言うとみんな解散していった。息子から「今日のセミナーの終わりに会場の外で本を売るから、レジをやって購入した人に僕の両親だと言って挨拶や握手をして欲しい」と言われた。
時間になり会場に人が集まってきた。私と夫は後ろから立ち見していたが、来場数は100人ほどで若いカップル、小さな子供を連れた若い女性、私たちと同じ中年の男性、80過ぎの女性など年齢層はバラバラだった。息子が登壇すると、ある人は勢いよく拍手し、ある人は「先生!」と勢いよく叫び、ある人は立ち上がってお辞儀した。息子が話し始めると場が静まり返った。話してる内容は陰謀論だった。息子曰く、世界を支配しているのはビルダーバーグ会議で、日本はビルダーバーグ会議の意向を受けた日米合同委員会が支配している。みんなから事前に集めた悩みを発表し、その悩みの根本原因にはビルダーバーグ会議と日米合同委員会があり、自分は愛と真実によってこれらから世界を解放するのだという。
正直聞いていて呆れてしまった。息子はオカルト話と陰謀論を混ぜこぜにしたような話を披露し、来場者はそれを真面目な顔して聞く。
息子が一通り話し終えると控え室にいた女性が登壇し、「これまでの先生の指導集がいよいよ完成しました。ご希望の方は会場の外の物販コーナーにてお求めください」と言いお開きとなった。来場者はすぐに外には出ず、息子の元へ行列を作って何かを質問したり相談していた。
私と夫は控え室にいた別の男性に案内され物販コーナーに立った。先程女性が紹介した息子の指導集が並んでいたが、なんと文庫本サイズで発言と日時がまとめられただけのものが一冊25000円である。会場から出てきた人々は今度は物販コーナーに列を作り、老若男女迷うことなく購入していった。そして私と夫に握手を求め、息子を讃美した。ある年配の女性からは涙を流してお礼をされた。全てを売り尽くし、私と夫はよくわからないまま帰宅した。
息子が知らない間に教祖になっていた。
19歳 浪人
21歳 勉強
22歳 勉強
26歳 修了
27歳 不合格
我が家は金持ちではなかった。家は小さな戸建てでしかも借家。父は中小企業のサラリーマンで母は専業主婦。なぜ上記のような甘えた生活が可能かというと俺が一人っ子だから。
俺は同じ地区に住む同い年の幼馴染が小さい頃から好きだった。彼女の祖父や父は医師で、大きな自宅に住んでいた。4姉妹の末っ子の彼女はとても優しく、純粋で可愛かった。小さい頃は格差など気にせず遊んでいた。彼女の両親は優しかったが、彼女の祖父母は俺を見下して蔑んでいた。だから勉強して偉くなりたかった。別に勉強して偉くなった所で幼馴染と付き合える保障など何も無いし、そもそも男としてすら見られていなかっただろうが。それでも某都立校に受かった時や、一浪で東大落ちだが早稲田に進んだ時彼女は自分のことのように喜んでくれたし褒めてくれた。それがとても嬉しかった。しかし、認められたい一心で不相応な目標を立てたが故に一度きりの人生を破壊してしまった。
ちなみに彼女は幼稚園から大学までエスカレーターで女子大を卒業した後に、父の医療法人に職員として入り、昨年医師の男性と結婚した。つまり俺がこれからどのように努力しようが、幼馴染と何かが発展する可能性はない。
正直受かったところで自分の現状だと法曹職は無理だろう。つまり仕事を探さなければならない。受からなければ勿論仕事が必要になる。
絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護、製造、土木、物流、営業。しかし、ここから探すことになるだろう。つまり父親よりも低賃金な人生となる。また、ジャック(レオナルド・ディカプリオ)のようなイケメンコミュ強なら底辺でもローズ(ケイト・ウィンスレット)のような上流の女性を射止められるが、自分はイケメンでもなければコミュ力もないので上記の職に就いた瞬間に生涯独身が決定する。
人生100年といわれる時代(上記の職に就けば100年生きるなど不可能だが)に生きていながら、20代で人生が終了した。人生は10代後半から20代前半までの「10年かけたスタートダッシュ」で結果が決まる短距離走である。
刑訴の証拠法に関する論文問題を解き、インスタントラーメンを食べながらこれを書いた。最後まで読んでくれる人がもしいたなら、敗残者の長い長いつまらない駄文に付き合ってくれてありがとうと言いたい。
26歳。早稲田文系を卒業し大手印刷会社に総合職として新卒で入社した。大手なだけあって福利厚生も給与も良いが、なんとなくボケっと先輩の真似して生きてる人生が嫌になった。給与だって年功序列だし、技術職と異なり目に見える成果もあげにくい。上司や先輩をみてると自分の人生の先がわかる。人生を変えたくなって知恵袋で色々質問してみた。
簿記も持ってない人が仕事しながら勉強して何年かかるやら…。受かる頃には年齢で監査法人落とされますよ。
法科大学院を考えていない場合、予備試験は相当な難関です。仮に予備試験と司法試験を働きながらパスしても30を過ぎているでしょう。任官も不可で事務所への就職は厳しくなります。悪いことは言わないので辞めましょう。
絵の練習もネーム作成もその歳までしたことない人間が独学でプロと戦えると思ってるんですか?誰がそんな人の作品にお金払うんですか?無理に決まってます。甘いこと言わないでください。
※漫画やイラスト系の質問に対する回答が一番手厳しくて言葉もきつかった。選ばれし人たちの領域なんだと実感。
無理。インディーゲームは供給過剰で飽和状態。技術がなくても面白いようなコンセプトやアイデアのゲームは出尽くして、稼げてるのは元々ゲーム制作に携わってた元プロとかだけ。
英語力しか武器が作れず、文系で専門性も少なく、日系大手の総合職などでしか職歴がない場合専門的な実績が示し辛く門前払いが殆どでしょう。外資で報酬も良い企業は雇用も不安定ですし日系より厳しいです。
結局、俺は知らない間に人生の可能性を潰してしまったらしい。怠けて生きてきたつもりはなかった。小学校では良く遊び、中学高校ではサッカーや学校行事に明け暮れ、受験期には一生懸命勉強し、大学でも授業はサボらなかったし思い切り遊んだし就活だって頑張った。でも結果的に俺がやってきた遊びや勉強や就活は周りの大多数の人がやってることをトレースしてるだけだった。大人になってから面白い生き方をしている人たちは、クラスのみんなが遊んでる放課後も遊ばず必死に勉強や習い事をしてた人、みんなの輪に入らずクラスの影で漫画を描いたり作曲をしていた人、学校を休んで芸能活動してた人とかみたいに「10代の時にみんながやってることをトレースしなかった人」なんだよなあ。
10代の時に尖った生き方が出来ず、親や教師の思う「理想的な学校生活」をしてしまったが故に人生の可能性が「社畜として賃金を貰い続ける」以外にゼロになった。
祖父2人
小卒、中卒
祖母2人
中卒、中卒
パッパ
小学校知らん公立 → 中学校知らん公立 → 高校知らん公立 → 関西大学
マッマ
小学校知らん公立 → 中学校知らん公立 → 高校知らん公立 → 近畿大学
俺
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 京大 → 京大院(修士) → 東大院(博士) → 京大助教 → 国研准教授
弟
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 東大 → 東大院(修士) → 東大院(博士) → 理研ポスドク → 東大助教
妻
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 阪大 → 阪大院(法科大学院) → 弁護士
どや