はてなキーワード: googleマップとは
昨日の事。買い物帰りにガラガラの電車で座っていたら、老夫婦が乗ってきて自分の正面の席に座った。
「なるほど、これがマスクから鼻を出す人間か」と思って凝視していると、婆さんの方が自分の視線に気づいたのかマスクを引っ張り上げ鼻をしまった。
「ふーん、鼻はわざと出してるわけじゃなかったのか。つけてるうちにズレ落ちたんだな」と思って見ていると、爺さんも婆さんが鼻をしまったのに気づいてマスクを付け直した。
「もしかして、マスクをつけると呼吸が苦しいから駅のホームとか外では鼻を出してマスクをしていたのかもな」と思ってしばらく見ていると、なんと、爺さんの方が一度しまった鼻を再びマスクから露出したのだ。
少し驚きはしたものの「ああ、爺さんは婆さんに合わせて仕方なくマスクしているってとこかな」と考え、目的地の確認のためGoogleマップを見ていると、今度は婆さんが動いた。
信じ難いことだが、爺さんが鼻マスクするのに合わせるように、婆さんも再びマスクから鼻を露出したのだ。何も言わず夫に合わせる様子はまさに旧態依然の女の姿。三歩下がって鼻を出す、とでも言うことだろうか……。
わたしはひどく混乱した。目の前の出来事はにわかに信じ難いことだった。かつてーーーまだくびれの無い腰にサスペンダースカートをさげていたーーー中学生のころ、みんなして靴下の長さまで周りと合わせようと必死だったことを思い出さずにはいられなかった。あの頃は、ヘアピンのさし方ひとつとっても人と違うことが許されなかったものだった。母に渡された柄入りの布マスクがどれほど嫌だったかことか。
爺さんと婆さん、いや、ジジイとババアは鼻を出すにも出さないにもお揃いじゃなくちゃいけないのだろうか。
もう70を過ぎているだろう老人たちが、まるで13の子どものようにマスクを上げたり下げたりしている様はあまりに衝撃的であった。
しばらくして電車が止まり、制服姿の学生たちがどっと乗り込んできた。その中には三つ子のようにお揃いのストレートヘアの女の子達もいた。今はお揃いの彼女たちも、10年後の同窓会では皆違った女性になるのだろう。周囲に合わせることに囚われるお年頃の彼女らが可哀想でもありどこか羨ましくもあった。
学生時代の友人とも、もうコロナで丸一年以上会えていない。白い不綿布のマスクの下小さく溜息をついた。
今朝2度寝したときの夢。
たしか求人のチラシに載っていて応募した。経験不問だった。電話すると「なかなか人が集まらず困っていた。すぐ来てくれ」と言われ、その通りGoogleマップで住所を調べ赴いた。
そこは三丁目の夕日テイストな古い商店だった。1階は商店、2階は居住スペースになっているらしい。ただ、商店はもう営業しておらず、すっからかんの棚が無造作にあるのみだった。
2階に上がると、しわくちゃの梅干しみたいなお婆さんがいた。どうやら大家さんらしく、浦沢直樹と血縁関係などは無いとのことだった。
そのお婆さんに奥の部屋に案内される。まさしくそこで浦沢直樹は漫画を描いていた。原稿やたくさんの本が散らばる和室だった。今PLUTOを描いていて、早速表紙に消しゴムを掛ける作業を頼まれた。
アシスタントの部屋はどうやら別らしい。手前の部屋の襖を開けると、小太りの青年が必死にベタを塗っていた。これまた昭和な部屋である。
私は空いている机に座り、消しゴムをかけ始めた。部屋の隅にテレビがあり、小さな音量で朝のワイドショーが流れている。
青年がおもむろにそう言う。
私は思わず手元の原稿を見た。PLUTOだ、すげ〜と感激しながら消しゴムを掛ける。
しばらく時間が経って時計を見ると、午後1時すぎだった。急に「そういや今の職場(現実で働いているところ)に辞めるって言ってなかったわ」と思い出す。アシスタント仲間に「すぐ戻ります」と声をかけて出ようとすると、「これ、先生から」とペラっとした付箋を渡された。
内容は覚えていないが、何かの指示だった。浦沢直樹の自画像が添えてある。しかしまあ後で見れば良い。それを机にほっぽって、私は商店を飛び出た。
飛び出て振り返ると、もうそこにあの昭和の商店は無かった。何もない、コンクリートの更地があるだけだった。一瞬の出来事である。
白い看板のような物が立っていて、中学生の男子が2、3人それを読んでいる。後ろから覗き込むと、「浦沢直樹仕事場跡地」と描いてあった。
周りに落書き、というか訪れた人が様々メッセージを書いていた。中学男子は言う。
「へ〜俺んちに20世紀少年あるよ」
「俺んちもなんか鉄腕アトムみたいなやつある」
それはPLUTOだ、そして何話目かの表紙は私が消しゴムを掛けたんだぞ、と口から出かけた時、ああもう幾年も過ぎてしまったんだなと悟った。
あの付箋にいったい何が書かれていたんだっけ、と考えたところで目が覚めた。
不思議な夢だった。
30代前半だがなんていうか心底からハマれるようなものが欲しい。
好きなもの
・漫画(気が付けば何かしら読んでる)
・映画(主に雑食、年に70本は見てると思う。ラブコメは基本的に見ない)
・ホラー(ドッキリ系じゃなくて分かればゾッとそるようなものが好み、SCPとか)
・読書(小説でもノンフィクションでも。最近は読む頻度は減ったけれど面白い本は常にチェックしてる)
・廃墟(実際に行くのは危ないのでネットで画像や動画を眺めてる)
・Googleマップ(山道に入ってそっからクリックしまくって町が見えてきた時は感動する)
・インテリア(1年に1回は部屋の模様替えをしたくなる衝動に駆られる)
・ボドゲ(最近はコロナで人集まれない代わりにオンライン版でやってる)
・酒(一週間に1回のお楽しみとして)
・乗り物関係(車は持ってるけど移動手段としか見てない。電車や飛行機とかあまり興味持てない)
・アイドルもの(僕はクラスの隅でおとなしくしているような子が好みなんだ)
・ソシャゲ(落としては消して落としては消して…を繰り返してるから合わないんだと思う)
・スポーツ観戦(ハマれば楽しそうではあるが試合の結果に一喜一憂するのしんどそうで)
・ギャンブル(ポーカーは心理戦としては楽しそうだけど、それ以外はやっぱハマる気になれない)
・音楽(前は聞いてたけどもうどうでもよくなった)
普段からよく行く小さめのショッピングセンターに行ったんだけど、頭の疲労感が大きくてしんどいと思ったで考え直した。
そしたら
幸いにも「年内にそこに行かなければならない用事」はないから行けなくても死にやしないけど、しんどい。
Googleマップで施設の混雑の目安が知れるので、混雑の回避は難しくないが、店のBGMが大きいかどうかを知る方法が無いのでキツい。
手持ちのカナル式イヤホンは音源に繋がないで耳に挿すだけでも遮音効果が得られるので、イヤマフ代わりにつけてもいいけど視線が気になる。
というか、音が割れたBGMって健常者でも不快に感じると思う気がするんだけど、まったく気にしないもんなの?
【悲報】とわざわざつけるのも変な気がしたので、外しておきました
標題は「~理由を国際関係論という学問の用語を使って説明したい。」とした方が正確である。
しかし、それでは読んでもらえないと予想したので標題のようにしている。
自民支持されるのはおかしい( https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DocSeri/status/1342720709873692672 )というエントリが人気だ。
それでも自民党が支持されるのは、外交と安全保障政策を任せることができる政党が自民党しかないからだ。
学術的に言うと国際関係論という学問では、High and low politics ( https://en.wikipedia.org/wiki/High_and_low_politics ) という言葉がある。
High politics とは、外交や安全保障といった分野を指す。
Low politics とは、High politics 以外の分野を指す。
High politicsでの失敗は、国としての存在に関わる。
Low politics もまた重要であるが、Low politicsが成功するには、High politicsの領域で国が安定していることが必要不可欠である。
そのためHigh politicsはLow politicsにまして極めて重要である。
High politicsで失敗するとどうなるかは、パレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベット、【イラク】(2020-12-28 10:48追記)、そういった国々ないしまたは"地域"から学ぶことができる。
立憲民主党・その母体である民主党系の政党は、High politics を軽視している。
例えば鳩山首相(当時)は、日本中央政府・沖縄県・アメリカのいずれもが同意していた辺野古移転案を白紙化し「最低でも県外」を推し進めようとした。
それは失敗に終わり、期待を裏切られる結果となった沖縄県は辺野古移転案さえも拒否する結果となった。
例えば蓮舫副代表(当時)は2019年、F35の105機の購入計画を爆買いだと批判した。
2020年の数字になるが、中国は第4・第5世代機を1080機保有していることに対して、日本は309機しか保有していない。
( https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/R02/img/s2.pdf )
これを踏まえれば、必要な装備水準について現実的な対案を提起することなしの批判は支持できない。
こうした例から、立憲民主党とその母体はHigh politicsを軽視していると私は判断している。
不祥事を繰り返す自民党の議員たちは実に不快であり有害であると個人的には思う。
だからといって、High politicsを軽視した政党を支持することはできない。
そのためHigh politicsの分野で信頼できる政党ができるまでは、自民党を消極的に支持するしかない。
2020年9月10日の毎日新聞によると安倍政権への世論調査で
「最も評価が高かったのは外交・安全保障政策で、「評価する」が57%で、「評価しない」の27%を大幅に上回った。」という。
( https://mainichi.jp/articles/20200910/ddm/012/010/100000c )
2020年9月3日の朝日新聞でも、世論調査で最も支持されたのは「外交・安全保障 (30%)」であった。
(https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html)
こうした調査からも、自民党が支持される理由がHigh politics を重視し現実的な安全保障政策を取ってきたことにあると考える。
いただいた人気コメントと、新着コメントのうちいくつかにたいしてコメントしたい。
そんな大上段の話ではなく、ドブ板(冠婚葬祭や学校・地域の式典・イベントに顔を出す等々)と地盤(後援会)の過去からの累積が効いてる、って話では。単純接触効果は偉大ですよ。天下国家論じるだけでは選挙勝てない。
ドブ板地盤看板鞄が55年体制から現在まで自民党を支えたことは、私もそう思う。
しかしドブ板地盤看板鞄では、安倍政権が終了時に世論の支持率が上昇し、その評価する政策として「外交・安全保障政策」が一位となったことを説明できない。
北方領土が返ってこなくなったり,拉致被害者が返ってこなくなったり,Googleマップでミサイルサイト決めたり,自衛隊幹部一同が会食して一斉感染したり,high politicsってスゲェな!
4つの反論のうち拉致被害者の奪還の困難さを評価するのは難しいが、その他3点について言及する。
まず一般論として他国が実効支配している領土を交渉で返還できるのは極めて稀なケースで、北方領土が返還されなかったからと言ってただちにhigh politicsを軽視しているということにはならない。
ただし安倍政権がロシアのナイーブな善意を期待して対露譲歩(2島先行返還論への転換)をしたことが何ら成果をあげなかったことは特筆すべきであり、安倍政権が対露外交で大きな失敗をしたことに同意する。ロシアには善意や信義は通じない。国際関係論でいうところのrealism学派の外交理論を全面採用すべきであったし、せめて今後はそうあるべきである。
イージス・アショアの配備予定地の選定に防衛省担当者がGoogleマップを使用したか、及び自衛隊幹部一同が会食したかどうかについては、自民党がhigh politicsを重視しているか否かという論点には関係がない。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
「学術的に」という言葉に違和感を覚える方がいるのは理解できる。
というのも、「学術的に」とは曖昧な表現であって、この場合は「国際関係論という学問の用語を使って」という方が適切なのが正しい。
そうしなかったのは、そのタイトルだとたぶん読まずにスルーされてしまうだろうと予想したため。
例として挙げた辺野古政策、F-35、世論調査結果の全てにおいて議論が単純化され過ぎていて、「学術的??」となる。居酒屋の隣の席のオッチャンが言ってた。
単純化しなかった場合の議論とはどのようなものか説明してほしい。
「学術的に」は先述のとおり。
3点の反論にそれぞれ解答する。
1点目、普天間基地問題の解決は日米安全保障条約の運用の安定性に寄与することであり、日米安全保障条約の運用の安定性を向上させることはhigh politicsな課題にあたる。
2点目、戦闘機について。蓮舫氏は35に変わる代替機種などの提案した上で批判したのではなく対案なき批判となっている。
蓮舫氏が代替機種、あるいは戦闘機の購入よりも安全保障を向上させる装備体系の提案をしたのであれば、その内容に応じて賛成または反対をする。
3点目、防疫は安全保障の問題ではないか、という指摘はそのとおりだと思う。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
結論から先に考えてないかな?書かれていることは仮説でしかない気がします。データの根拠が弱い(30%って)ので、追加のレポート期待しています。
ただ、実験のできない、さらに統計もとれない分野ではこれ以上の根拠を持ってくるのは難しい。
「それでも自民党が支持されるのは」ではなく「それでも俺が自民党を支持するのは」だろう。太宰メソッドだ。Objectだけを分析してもSubjectの行動の理由を説明したことにはならないだろう
元国際関係論の学徒だが、もう大学の図書館にも電子ジャーナルにも入れない、本も経済的な事情で売ったので
そこは多めに見てほしい。
①筆者の挙げるパレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベットの置かれている状況を日本に当てはめるのが妥当と言えるのかどうか。(経済力・人種・宗教・資源・地理)
High politicsに失敗した場合、例えば北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合に
それらの国々と日本の状況に大差はなくなると私は考える。
②外交・安全保障をHighとして、内政をLowと位置付ける概念は、政治学の中でメインストリームなのか、またそれは軍事関係者などのイデオロギーに影響されてないものなのか(引用にWikipediaっていうのも?だし、Wiki自体にも引用文献が少ないから疑問に思った)
国際関係論には、大きく分ければ2つの学派がある。1つはrealismで、もう1つはliberalism。
realism は、High politicsだけに関心がある。
liberalism は、High politics以外にも関心がある。だが、最も重要視するのはHigh politicsであるという見解はrealismと共通している。
これはliberalismの中心人物であるJoseph Nyeという学者が「安全保障とは酸素のようなものであり、それが希薄になり息が苦しくなるまでは、人々はその重要性に気づかないが、実際にそうした状況になれば、それ以外のことは考えられないほどに重要なのである。」と著作である「国際紛争ー理論と歴史」という本で述べている事実が端的に説明している。
「政治学」まで広げた場合はメインストリームかどうかはわからない。
「日本の、国際関係論を除く、政治学者」の間でのメインストリームではないとは感覚的には思う。
民主党政権時、外交側を軽視していた事例があった、としか書いてないような…。自民党が外交を重視しているとも、その結果が支持に繋がるという根拠もちとわからず…。
ご指摘のうち、「自民党の外交が支持されている」のは朝日・毎日の世論調査の結果で説明できていると思う。
「自民党が外交を重視している」例がないのはそのとおりだと思ったので追記する。
例として最も適切なものは、「自由で開かれたインド太平洋」構想の定着だ。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は、麻生外相が2006年に行った演説にある「自由と繁栄の弧」 (https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html) 構想、ないしは2007年の安倍首相のインド国会での「2つの海の交わり」「安全保障ダイアモンド」(http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2020/2020-01_003.pdf?noprint) に起源がある構想だ。
これが、例えば2020年のアメリカ共和党の国家安全保障戦略報告書でも日米豪印(Quad)協力の継続・支持が提言(https://jp.reuters.com/article/idJP00090300_20200618_00220200618)され、アジア版NATOであるかと議論されるまでに定着した。
国際政治学者の細谷教授は、自由で開かれたインド太平洋に対して「過去1世紀半の日本外交の歴史の中で、これほどまでに日本が提唱した外交構想が国際社会に浸透して、幅広い支持を得たことはなかったのではないか。(https://apinitiative.org/en/2020/12/21/14345/)」と述べている。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は自民党外交の最大級の成功であり、自民党が外交を重視している根拠としては最も適切なものだと考える。
「ないし」は漢字では「乃至」と書く.
最近の辞書には「または」の言い換えとしても見えるが, 「または」とか「やら」を使っておくのが賢明だろう.
「ないし」を使うと高尚で学問的な感じが出るためかネット論客はむやみに使いがちだが, 諸君, 漢字の意味をきちんとわかってて使ってるだろうか.
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
コロナでネットは阿鼻叫喚だが、コロナのおかげで都内のあらゆる店舗の接客が良くなりとても過ごしやすくなってきたと最近とても強く感じる。
これに同意いただける都内在住の老若男女は非常に多いのではないか。
コロナ以前は飲食店を始めとしたさまざまな店舗で、態度の悪い店員が目も合わさなかったりやる気ない感じで接客したりと気分が悪くなることが非常に多かった。
飲食店行っても無言でテーブルにドンっと皿を置いて立ち去るクソホール店員、レジの後ろででかい声で駄弁りながら適当にレジ打ってるクソコンビニ店員、会計終わったとたんありがとうございましたも言わずに黙って自分の持ち場に戻ろうとするクソ雑貨店員、などなどあらゆる態度の悪いクソ店員にへきえきさせられていた。
それが、コロナが出てきて飲食店等の店舗の接客が格段に向上した。もうどの店に行っても良い思いしかしない。
態度の悪いクソ店員がいて普段は避けていた店も、コロナ後は店員の態度が明らかにめちゃくちゃ良くなった。
コンビニしかり、おしゃれな飲食店であったり、ありとあらゆる販売店でそうだ。
接客態度の悪い店員はクビになったか、コロナにビビッて田舎の実家にUターンしたかだと思われるが、はっきりした理由は事務職である私には全くわからない。
頭を振り絞って考えてみると、
接客適当にやって客が一人減ることで得られる楽ちんさ <<<< 新しい客を一人得るための労力
になったためだと思われる。
感じ悪い接客して客が一人減ると、当然店の売り上げは減る。
だが、コロナ下でありとあらゆる店舗は売上が激減していて営業時短も効いてバイトのシフトもフルで入れなくなり、
自分の給与明細の手取り欄を見れば嫌ほどコロナの影響を実感できる今、
自分の感じ悪い接客で店の売り上げが落ちるとリアルに店がつぶれて解雇されたりシフトが減ったりして自分自身の収入にガチで響くのがアイツラクソ店員のちっぽけな脳みそにもめちゃくちゃ効いたんじゃないだろうか。
そして失った客1人を±ゼロにするためには新しい客を1人連れてこないとならないが、営業時短や外出自粛、コロナ感染リスクなどの要素のおかげで普通に仕事していても新しい客を獲得するどころか毎日のように客足は減り続けていく。
それなら客一人を店につなぎ留めておく方が100倍楽ちんだ。だからクソ店員が改心してベロ出してじゃれついてくる子犬のごとくワンワンと客になびくようになったんだろう。
いやー本当に笑いが止まらないwww
今までは「なんかうざいんで辞めま~す」みたいにテキトーこいてたクソ店員も、コロナで新しいバイト先が簡単に見つけられなくなり、バイトで収入があるというそれだけでラッキーだと思えるような時代になった。
これが功を奏し、舐めた仕事をしているとダイレクトに自分が死ぬ、という竹中平蔵が涎を垂れ流しながら待ち望んでいた社会構造になった。
俺はハワイやグアムに旅行に行ったことがあるのだが、むこうはチップ制だからか旨そうな飯屋に入るとホールの店員はチップ目当てですごいサービスしまくってくる。
客を楽しませるために気分よく鼻歌歌いながら配膳したり、超笑顔でゴマをするような手で客をリラックスさせたり感じの良い接客で食事を楽しませてくれる。
そういう店に行って$10とか$20とかのチップを払うのが本当に気持ちが良かった。
クソ店員には1セントだけポイって置いておいてBAD評価をし、良い店員には食事を楽しませてくれてありがとう、あなたの接客の評価は30分の接客で$10です、というように具体的な金銭で評価する。
大して日本社会では大部分の店員の接客の質はクソ糞ANDクソ!1円でさえもチップをあげたくなるような評価できる接客をできないような底辺店員だらけ。
日本にはチップ文化がないため、感じの良い店員にチップを渡そうとしても金を返されてしまうため接客を金銭で評価できる仕組みがない。せいぜいGoogleマップのレビューで星を増やしたり減らしたりする程度だ。
店員側だって接客頑張ろうが金にならないのだから、底辺店員は仕事を真面目にやったら損だとでも思ってるのか、本当に手を抜くやつが多い。
自分の給料は店長が払っていると思い込んでいて店長には忠実だが、客は頼んでもないのに向こうから勝手に来て自分達に面倒な仕事をさせる面倒くさい奴ら、と思っているかのようだ。
俺は思うのだが、これはコロナ感染のリスクを嫌って地方に逃げたのではなく、単純に店舗閉鎖で収入ゼロになり家賃が払えなくなった地方民が実家に帰った分が大多数なのではないか、と思っている。
俺自身は観光業や交通、飲食業界ではない会社の事務職であるが、なんとこのコロナ禍で年収が100万円近く増えた。冬のボーナスも前年より増えた。
周りを見ていると、ぶっちゃけコロナで利益を増やして前年並み以上の年収を得ている友人がとても多いことに気づく。
日本を動かしている東京のキャリア官僚や国会議員、都議会議員、市長、区長、都知事、大臣も報酬が変わらない。
つまりこれってコロナの影響が無い仕事をしている人にとっては、竹中平蔵氏が実現しようとしていた社会を数十年早く体験できるチュートリアルのようなものだろう。
世界最高の生活水準を維持しようと思ったら、それにふさわしいだけの能力を付ける必要がある。そうでなければ、生活水準が下がるのは当たり前です。もはや、そういう世界になっているんです。それが嫌ならば、努力するしかない。
あなたには「貧しくなる自由」があります。でも「貧しくならない自由」もある。何事も、自分で決めるということです。大事なことは、チャンスを自分でつかむこと。
という言葉がどれだけ日本社会を素晴らしくする名言だったかよく理解できるのではないか。
そのへんのハンバーガーショップのクチコミを見てたら、ニコニコしながらハンバーガーを食ってる白人の兄ちゃんの写真が出てくる
良い笑顔なので興味を惹かれてその人のアカウントに飛ぶとウェディングフォトが大きく出てきて、一年くらい前に結婚していることがわかる
結婚のあと日本にちょっと旅行に来てたらしい クチコミは基本的に星5ばかりで、わりと優しい人っぽい クチコミを書いてるのは奥さんのほうらしい 最近タトゥーを入れたらしい 嵐山にサルを見に行ったらしい ハンバーガーは夫曰く人生イチうまかったらしい
こんなことわかってええんか?と思いつつも、面白いのでしばらく見てしまった
近所の有名なたこ焼き屋のレビューに「また来たい!」と書いてる人のアカウントに飛ぶと、福岡から旅行に来ていたらしいことがわかる この人はわりと星3つとかもつけることがあるらしいが、トイレを借りたスーパーに星5をつけたりもしていて、やはり良い人っぽい
他人のレビューを辿ってその人生に想いを馳せるのはかなり楽しい
インターネットで思う存分人間観察ができ、大変よろしいと思う まあGoogleマップにクチコミを書く人種しかいないのは弱点ではあるが…
「おお!そうなんだ。サイトの地図見たけど、ネットカフェがあったとこね。しかしこれだと近くのカラオケアミは経営大変だね。」
「アミって懐かしw もう閉店してね?てかアミってどこにあったっけ?」
「イトーヨーカドーからもうちょっと東に行ったほうだよ。マガジン2の道渡ってイエローハットの奥あたりにあったはず。」
「マガジン2懐かしw てかもう潰れて10年以上経つんじゃないか?あとイトーヨーカドーも3年前に潰れて、いまヨシヅヤになった。」
「なんとw イトーヨーカドーも潰れてしまったんだ。駅西口側のユニーも潰れたし、ついにイトーヨーカドーも潰れてしまったのか。これで昔から残る市内の大型スーパーは清水屋だけか。」
「ユニー潰れたって20年以上前w あと清水屋も耐震基準満たしてないとかで今年の2月いっぱいで閉店したぜ。」
「なんと!まさか清水屋まで潰れたとは…。これで昔からの大型スーパーは全滅か。」
ラインを終えたあと、twitterで「清水屋」を検索したら建物に解体作業中の写真があがっていた。
過去にさかのぼると昭和レトロなスーパーということではるばる訪れた投稿もいくつかあった。
モザイクアートの壁画や、階段の丸窓など、確かに昭和レトロ感があって良い。
地元にいたときはただただ古いスーパーと思っていて全然良さに気づかなかった。潰れる前に行っておきたかった。
イトーヨーカドーも検索したら確かに閉店していた。店のロゴがヨシヅヤに変わってるけど合成写真みたいだと思った。
カラオケアミとマガジン2は情報すら出てこなかった。マガジン2があった場所をGoogleマップで見てみたら、もはや建物すらなくなっていて眼科の駐車場になっていた。
地元を離れて10年以上経ち、昔行ってた場所はどんどんなくなっている。
けれど、駅東のスーパーはイトーヨーカドーで、眼科の駐車場はマガジン2で、地元でカラオケと言えばアミと、きっと10年後も20年後も自分の中ではそうなんだろうなと思った。
Yahooカーナビも、食べログも捨てて愛用していたGoogle Mapだが、最近の体制に疑問を感じるので元に戻るつもりだ。
そもそもGoogle マップを愛用するようになったきっかけは、細い路地裏でも一方通行の道はきちんと判別してそれを元に経路案内をしていたことと、ローカルガイドによる口コミの信憑性の高さだった。
それが昨年、マップデータをアップデートし、今までのマップ精度の高さは単にゼンリンがすごかっただけと判明した上に、2020年からはローカルガイドによる口コミもかなり恣意的になってきたことが私をGoogleマップから卒業させる決定打となった。
以前までの口コミはポジティブでもネガティブでもすべて表示をされていた。写真も特に制限はなかったように思う。
そこが、否定的なレビューは消されてしまう食べログやホットペッパーとは異なっており、好感を持っていた。
もちろん否定的なレビューを書かれた物件所有者としては納得できないところもあるだろうが、それはオーナーからの返信で説明をすればユーザーはそのレビューの真偽を自分で判断できるので問題ではない。
しかし、最近ではGoogle マイビジネスの拡販を進めたいことからどうにも店側が一方的に有利になってしまっている。マイビジネスオーナーは、低評価の口コミを「ガイド違反だ」という理由をつけて非表示要求をする。Googleとしてはそのオーナーが担当付きであればあるほど優遇をし、明確なガイド違反でなくとも非表示をするし、レビューや写真の表示を承認制にしているようだ。
オーナーは気に食わないレビューに対して、「お店からの返信」として散々罵倒をしても、その後すぐに非表示申請をすれば他の客には見られることなく、いい評価だけを保つことができるのだ。
ローカルガイドが他のユーザーの検討材料のためにわざわざ時間をかけてアップロードした写真や投稿を削除あるいは非表示にするというのはあまりに失礼な話でもある。
何より、「悪意のある情報をユーザーは信じ込んでしまうからこのレビューは削除しよう」という考えは全ユーザーをバカにしすぎではないだろうか。
いつだかのアップデートから、検索エンジンでもGoogleが一部の検索ワードを勝手に除外した上での検索結果を見せるようになった。
これには少なくない数の人々が不満と悲鳴をあげているが、まさにこれこそが近年のGoogleの姿勢を示す代表例なのだろう。
「ユーザーに素晴らしいUXを」ではなく、「ユーザーは馬鹿だからこちらが適切な情報を与えないと」という考えにシフトしつつある昨今のGoogleは到底好きになれない。
自分がかつて熱意を持って働いていたころのGoogleはもうそこにはいない。仕事を変えたことに間違いはないと改めて思うのであった。
いきなりだが私はビリヤニが大好きだ。パラパラの米に染み込んだスパイスの旨味、そして中から出てくるゴロゴロの肉、カレーとは一味違った食感。たまらない。大好き。ここまで書いただけでもうビリヤニが食べたくなってきた。
ところが、世間におけるビリヤニの地位は未だ微妙な状態である。これだけ日本中がインド料理店だらけになっても、ビリヤニが一大ブームになったという話は聞いたことがない。そこら中にあふれている量産型インド料理店ではメニューの隅っこに追いやられているし、場合によっては存在すらしていない。
そもそも、メニューの隅っこに小さく載ってるやつ。あれは大抵の場合ビリヤニではなく、「ビリヤニ風ごはん」なのである。バスマティ米(タイ米よりも更に細長いインド・パキスタンの米。ビリヤニには必須)が使われてないし、モノによっては炊飯器で作られている。おそらく、あれを食べて「ビリヤニはまずい」って思った人が日本中にいると思うんだけど、あれはビリヤニとは違う。焼きそばとカップ焼きそばくらい違う。炊飯器で作るとどうしてもベチャッとしてしまうのだ。本物は専用の鍋で作るし、炒飯のようにパラパラな仕上がりになるのである。
さて、せっかくなので貴方でも確実に美味しいビリヤニが食べられる方法を教えたい。Googleマップでも食べログでも何でもいいから、とにかく店名に「ビリヤニ」と入っている料理店を探すこと。そこは間違いなく本格ビリヤニが食べられる店だ。厳密にはハイデラバード式とかカルカッタ式とか細かい種別があるけれど、全部おいしいから問題ない。
さあ、君達もビリヤニを食べてブームを巻き起こそう。そうすればビリヤニ専門店が沢山増えて、もっと手軽にビリヤニが食べられるようになる。お願いだから明日の昼食はビリヤニにしてくれ。流行れ!ビリヤニ!
最近ずっと食いたいと思ってて、でも時間が合わずに逃してきていた
いまから行けばたぶん食える
でもGoogleマップみたら「コロッケ二個頼んだら明らかに愛想が悪くなった、出てくるのも遅かったしギトギトで気分悪くなった」ってレビューがあってビビってしまった
どうなんだ うまいってレビューも多いんだよな だから味に関しては多分ネガキャンなんだろう
でも肉屋からしてみりゃ安いコロッケだけ頼んでいく客がウザいっていうのはありそう
その場で揚げるってことは商店街で少なくとも5分とか立ち尽くしてないといけないってことでもあり、罪悪感を抱えながらそれをやるのはなかなかきつい!
ガキだったら許してくれるよな多分
ハア〜 自意識過剰すぎるのか
コロッケ……食いてえな……