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はてなキーワード: 査読とは

2019-01-05

現在ストレス一覧

論文の締切、来週にずらした帰省査読の結果待ち、パートナーとの将来、人生プランの構築

2018-12-20

片瀬久美子は査読論文さないの?

http://warbler.hatenablog.com/entry/2018/12/06/214656

サイエンスライター片瀬久美子がEM菌類分析したってイキッてるけど、なんで査読論文にしないのかな?

いつも査読査読とわめいているわりにはブログお茶を濁すはいただけないよなあ

2018-12-18

anond:20181218151313

フェミニズム実践論専門誌の査読ってどうやってるんだろうな。

そりゃ査読がなくて書きっ放しよりかにいいと思うけどさ。

「男社会に対して論調が甘すぎる」とか、男性投稿者には「自己批判が足りない」なんてコメントが返ってくるのかな。

いずれにしろ査読と聞いて思い浮かぶ他の分野のイメージで考えるのは危なそう。

anond:20181218145952

ついでに糞フェミ社会学者twitter使うとかやめてほしい

持論は論文かに書いてほしい。査読付きの。

2018-12-17

金を貰うとは 仕事責任を負うことだ。 金の介在しない仕事絶対無責任ものになる。

まり論文査読無責任仕事

2018-12-16

https://anond.hatelabo.jp/20181216002718

社会学査読論文よりも著書が評価される世界なら著書の執筆に力を注ぐだろうし

著書を出したらツイッター炎上マーケティングするのがわりと有効という悪循環

ましてや雑に扱うと炎上やすジェンダー論が専門ならなおのこと

anond:20181216002718

140字の細切れ文で言いっぱなしするのがツイッターなんだからまともに自説を述べられるわけがないっつー

自説を世間公表したいんなら(ちゃん論理的査読を経る)論文でも出せや研究者だろお前と思う

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-17

百田尚樹の本に参考文献がないとかそういう話

はじめに書いておくと、『日本国紀』がデタラメの塊なのはかれの書くノンフィクションデタラメだらけなのを見ていれば容易に予想がつくことで、『日本国紀』がデタラメだというそ結論に異議を申し立てるつもりは毛頭ない。あんデタラメ本をわざわざ読み込んで批判されている識者の方々には心から敬意を表する。

だけど、ちょっと待ってほしい。参考文献がないという話だ。いや、参考文献が大事なのはわかる。研究書に参考文献がないのは論外だ。そして『日本国紀』にも参考文献が書かれていないということで、こんなん歴史書としてありえないとかさんざん言われている。『日本国紀』がクソなのはよくわかるのだが、参考文献リストがないからクソとか言われてしまうと非常に困惑する。

なぜなら、現に「参考文献が書かれてないけど、良い一般向けの歴史入門書」というもの存在しているからだ。

ぶっちゃけて言うと岩波新書で出た入門書の類である中公新書講談社現代新書最近「もう選書でやれよ」と言いたくなるくらいに参考文献リストを充実させており最近だと本文中での典拠明示もバッチリやっていたりするが、岩波新書は参考文献を載せていない一般向けの歴史の本というもの継続的現在に至るまで出し続けており、その内容がデタラメというならともかく出版から時間が経っても良質な入門書として評価され得るようなものだったりする。

百田批判したいあまりに「参考文献がないなんてありえない!」と言われると、過去岩波新書出版され私を現在研究分野に導いてくれた良書の数々が肩身の狭い思いをするので、もうちょっとこうなんというか、手心というか……。

参考文献は、当たり前だけどあった方がいいに決まっている。仮に知り合いが「これから一般書を書くんだけど、編集さんから参考文献は削ってって言われちゃった。どう思う?」って言い出したら「いや編集とバトルしてでも参考文献載せろよ」って言うだろう。だがもう出ちゃった本に対しては「良い本だけど、参考文献があればもっと良かった」としか言いようがなく、百田の本を叩きたいあまりに参考文献リストがないなんてありえないとか無価値だとかそんな言い方をされると、気持ちはわかるんですがそれはちょっと賛同できないっすね……とボソボソ呟くことしかできなくなってしまう感があり、あれだ、みんなもっと色んな本読もう……

本論とは違うが、ちょっとだけ言いたいこと。

参考文献は必要だが、「巻末参考文献リスト」はなくてもよい。あった方が便利なのは確かだが、本文中に典拠が明示されていれば、紙幅を気にして削ってしまってもよい。文系場合、参考文献を示すのに色々な表記方法が有り得るが(MLA styleとか)、脚注書誌情報を記すやり方もあり(具体的にはシカゴスタイル見てもらった方が早いかhttps://www.chicagomanualofstyle.org/tools_citationguide/citation-guide-1.html )、この方式場合参考文献リストは「あれば便利」という位置づけに過ぎず「必須」ではない。いやもちろんあった方が便利ですよあった方が。でも脚注だけでも「典拠を示す」という最低限の役割を果たし得る以上、紙幅が足りないねじゃあどこ削るとなったときに真っ先に参考文献リストを削るだろうなと思う。別にこれは日本語圏のみのルールではなく、英文査読誌でも脚注典拠を示させるスタイル場合は参考文献リストをつけない場合が多いんじゃないかな(author-date方式場合は当たり前だけど参考文献リスト絶対必要です)。たとえばこの雑誌https://www.tandfonline.com/action/authorSubmission?show=instructions&journalCode=fnep20脚注スタイルなので参考文献リストつけません。甚だしい場合書籍からも参考文献リストを抜くことがある。いやほんと参考文献リストをつけてほしいのだが、しかし出典表記義務はきちんと果たしているので、問題は単に「チェックしづらい」というだけだ。なのでめんどくせーと思いながらも注を丹念に辿って出典チェックをしたものです。ちなみに日本で出た一般書の話ではなくハーバード大学出版から出た英書の話なので誤解なきように。出典注とfurther readingはついてるけど引用文献リストはついてない、というのも見るな(MazowerのDark Continentとか)。

「巻末に参考文献リストを置いていない」ことと「いっさいの出典表示をしていない」は文系においてはまるっきり別の事柄であり、「参考文献がないのは駄目」という言説が後者意味で言われているならいいのだが前者の意味で言われているのならそれは明白に間違いなので勉強し直してほしい。いやだって文系研究書を乱読していれば絶対に「注で参考文献を表示しているけど、巻末に文献リストはない」本に一定数行き当たるでしょ……?(あー、社会学文化人類学のばっかり読んでたらそういう本には当たらないかも。文学とか歴史学とかだと稀によくあるんだよなー)

あと、新書とかエンタメ路線に振った本とかで注がないのは許せるのだが、ほぼ研究書並の分厚い本を書いておいて注を省くのは本当にやめてほしい自分の専門からは遠いから名指ししておくと最近出たやつだと『アイルランド革命1913-23』とか『ドイツ植民地研究』とかですね。新書とかは学識の折り詰めやエッセンスのようなものなので厳密な出典注を省いても別にいいというか対象読者が違うし……感もあるのだが、この厚みでこの内容で出典注ないのは勿体ないし価値を下げてしまっている。いやもちろん両方ともきちんと緻密な参考文献リストをつけてくれているのである程度は出典の見当がついたりするのだが、このボリューム、この内容で注なしは流石に……これなら、注をつけて文献リストを省いた方が100倍マシだと思う。だってどこを参照してるかわかんないじゃん……いちおう言っておくと英語圏でもこういう「なんで! この厚みで! この内容で! ちゃんと注をつけないの!」という本は存在するので日本文系ガラパゴスだとかそういう話を始めないようにね。でも注を省いてこのお値段なら注をつけたらいったいおいくら万円になっちゃうの……? というのも一方で思ったりするので難しいところなんだよな。ただでさえ日本語でも英語でも学術書は高いのにねえ……

2018-11-12

anond:20181112205525

ホックシールドは「アカポスゲットしたら査読論文なんて書きません」なんて寝ぼけたこと言わないぞ。

ホックシールドから見たら千田なんてさぼってるだけの社会学者自称する蛆虫しか見えないだろう

インタビュー 米中間選挙2018)心の奥底の物語 米社会学者、アーリーホックシールドさん:朝日新聞デジタル

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S13761007.html

kani_nemuru_M 「語り」を基盤にした社会学仕事。非常に重要だし社会学仕事典型だが、こういう仕事に対して「査読」の有無を云々したり、「お気持ち」などと揶揄することは無意味だと知性がわずかでもあれば理解できる。

これは本当にその通りで、「お気持ち」を分析することは決してアカデミズムから離れた営みではないし、

研究対象としてのお気持ちと、研究者個人的に抱く規範意見とは大抵明確に区別されているものである

日米の著名な社会学者を例にとると、アメリカホックシールド氏はトランプ支持者の思い、日本千田氏は自身思春期の思いをそれぞれ「お気持ち」として研究俎上に載せた。

最終的な意見としては、たまたまホックシールド氏はトランプ支持者らと同じ意見には至らず、千田氏の場合研究対象同意見に落ち着いたというだけ。

この辺りは本当に混同されており、感情研究対象とする分野自体が現状では不当に貶められていると言わざるを得ない。

2018-11-01

anond:20181031201700

まり勉強とは何かってことだと思う。

頻繁にベストプラクティスが変わっちゃうような、たとえばReactやらVueみたいなやつの情報だったら、古い本などを参考するよりは、コミュニティ評価ソースコードを追ってったほうがいいし、

マーケティングフレームワークを学びたいなら、断片的なweb記事をみるよりはそこそこ売れている本を読むほうがいいし

あるいは誰それがなんと言ったみたいな情報であれば、Twitterでも実名の人を信頼するし

アカデミック理論業務に取り込みたいなーと思ったら査読付きでそこそこ引用されている論文をやはり信頼して読んでみる気になるし

一回だけ使うワンライナーみたいなどうでもいい話ですぐ試せて副作用がないならgoogleで一番上にでてきた情報で試してみるのもいいし。

結局責任を取るのは自分から 説明責任が果たせるやり方をする

2018-10-25

anond:20181025164436

社会学査読論文があるから評価するって言ってしまって大丈夫なのだろうか

また怒られたりしそう

anond:20181025112517

古市氏はまともな論文を書いたこともないけど

古市さんは査読論文持ってるよ!

https://ci.nii.ac.jp/naid/130004549943

いやもちろん少なすぎだけど論文いたことないは言い過ぎだよね。

anond:20181025113148

どういう発表形態論文なのかによるのでは

学会論文誌に乗るようなものや、同格とみなされるレベル雑誌に乗ったとかなら(査読がなくても)学者認定して悪いことはないと思うけど

ちょっとここにてきとうに書いたとかじゃなあと

2018-10-24

anond:20181011010934

結構よくまとまっているとは思うんですけど、博士学生からか少し偏りがあるので、もし参考にする学生が居たときのために、少し補足させてください(ちなみに私は本職です)。

分野について

挙げられている分野は、いわゆる古典的CGの分野の一部で、そこに当てはまらないものも沢山あります。例えば、3Dプリンタに関する技術とか(fabrication)、建築関係VR/AR、HCI、HPC/ハードウェア、computational photography、アート数値計算言語処理(CUDAの元はSIGGRAPH論文ですよ)などです。実際のところ、かなり色々なトピックがあり、この分野の研究者でも全てを挙げられる人は居ないと思いますトピックが違うと同じCG研究者でも話が通じない事もあります。他分野の専門家と組んで研究している人も多いので、かなり懐が広い分野だと思います自分の興味のあるもの+CG、という研究をしている人が多数居ます

なお、西田先生日本では有名なのかもしれませんが、国際的に著名な研究者は各分野で違いますSIGGRAPH/SIGGRAPH AsiaなどのTechnical Paper Committteeの名前をチェックすれば、最近勢いがある若手や著名な人がだいたい分かると思います自分の興味のある分野の研究者海外に居れば、留学しましょう。

論文事情

これは訂正された点を含めると、だいたい合ってます。訂正にあるように、基本的には、大きな学会のProceedingの論文 = ジャーナル論文なので、その場合ジャーナル論文としてカウントする人が多いです。ジャンル別の会議理論的な研究が発表されるかどうかというと、そうでもないでしょう。どちらかといえば、研究としてのインパクトが小さいが発表したいとか、SIGGRAPH/SIGGRAPH Asiaに落ちたので、再投稿というケースが多いです。国内学会雑誌はアレなので、英語文章が書けないと死にます

IFと業績事情

CGではIFを気にする人はあまり居ません。研究者としてのアウトプットは、国際的にはSIGGRAPH/SIGGRAPH Asia/TOGを含めた、主要な学会での論文の本数が重要です。Pacific GraphicsおよびEurographicsは、それぞれの地域ではそれなりに評価されますが、国際的には評価されない場合があります。あと、勘違いされているケースが多いので強調しますが、SIGGRAPH/SIGGRAPH AsiaでカウントされるのはTechnical Papersだけです。その他のプログラムは、参加したいなら出してもいいけど、研究業績にはカウントされません。その他のプログラムばかりで発表していて、Technical Papersで論文が出て無いのに、SIGGRAPH活躍していると強調している研究室(国内外にあります)は注意しましょう。分野全体の業績評価実態と違います

学位取得難易度は、研究室および大学によって大きく違います上記の著名な国際会議に通すことを期待している研究室だと、アイデア重要な分(データモデルを少し変えて、少し性能が良くなったぐらいでは論文は通りません)、他の分野より要求される能力は高めです。ただ、懐が広い分野なので、自分の得意なことを生かして研究ができれば、研究に没頭できて楽しく過ごせると思います。実際、活躍している人はそういう人です。標準的アウトプットとしては、1年あたり、ジャーナルになる学会に1本ぐらいでしょう。博士課程が3年なら3本ですね。リジェクトされるので、その倍ぐらいはプロジェクトをこなす必要があります

実装力は超重要です。アイデアを形にして実験出来ない人は苦労します。言及元に書いてあるものの3倍は実装します。

各分野の所感

研究歴史が長いトピック既存研究に対して新規性を出すのが難しいので、その分論文を書くのは難しいという、ごく当たり前な状況です。書かれているように、レンダリングや流体は難しいと認識はされていますが、それは歴史比較的長く、劇的な性能向上が難しいからです。逆に最近出てきたトピックの中だと、新しい応用を見つけてそれを古典的方法で解く感じの研究が多いです(3Dプリンタ向けのデザイン最適化など)。そのようなトピックであれば、面白い応用さえ思いつけば、既存研究との比較をあまりしなくても通る論文が書けるでしょう。いずれにしても、如何にして新しいアイデア(新しい理論手法であったり、新しい応用であったり)を思いつくかが重要です。

各分野の所感については、言及元は一学生感想で、それが分野全体としての共通認識かというと、そうではないように思います一口CGと言っても研究分野が多岐にわたるので、それぞれの分野の専門家に話を聞くのがベストです。

研究室で育ててきたエンジンがあるかどうかは(そしてそれを弟子に使わせるかどうかは)研究者によります。進学する際には、その辺をチェックしましょう。ただ、現在活躍している人には、自分で書きたがる人が多いです。「レンダリスト」という言葉は聞いたことがありません。

査読とか

だいたい正しいと思います。応用的な研究と言うと、表面的な印象を受ける人がいるかもしれませんが、ただ何かを達成すればいいというよりは、実際の問題を解けて理論的にも面白いという研究を目指す人が多い分野です。査読ではその両面が評価されるので、査読者によってどちらに重きを置くかも違い、皆を納得させる成果を出すのはなかなか大変です。

最後

CGは、研究を頑張って学会等に論文を沢山出せれば就職先も引く手あまただし、研究成果は専門外の人(例えば家族とか)にも分かりやすいし、自分の興味のある事をコアにして研究できる懐の広さがあり、とても楽しい研究分野です。どの分野で研究しようか迷っている人はぜひ!

2018-10-20

政治家の経歴・業績・汚職等を第三者がまとめたサイトってないの?

車いす市議に「ブルジョア障害者」、審議紛糾

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181019-OYT1T50157.html

こんな記事を見る度に思っているのだが,政治家汚職とかこういう悪事をまとめたサイト(もちろん善行も含める)ってないのかな?

選挙とき名前検索して,↑のようなのがすぐにわかれば,知らずに投票するのを避けられる.

選挙法に違反する懸念がある?

現行法でどうかはともかくとして,そういうサイトに何か問題があるか? 何も無ければ法改正すべきだし,法改正までは外国サーバを使うとか漫画村的な方法法律回避できるのではないかな.

誰がやる?

有志が集まってやる,って感じかなあ.

ウィキペディアでいいんじゃね?

っていうのは一理ある.懸念があるとすれば,編集合戦になる恐れがあり,政治家側が悪事隠蔽を図ろうとすることか.

誰でも編集できたら,政治家自分のいいことだけを書くのでは?

善行悪事政治活動の成果等を事実に基づいて(ソースを明示して)書くことを義務付け,執筆者以外の複数名(ランダム指名)が査読,一度登録された行為は審議を経ないと改変できない,ような仕組みを作れば対策できるかもしれない.

 

時間があれば自分でやりたい.

時間がないので誰かにこのアイディアを託す.

 

p.s.雷がひどくなってきた.怖い.外にいる人は気をつけて.

アデュー

2018-10-13

anond:20181013041957

いや

から

数学的に実証できないことがある

っていう話をどーして無視するのかよく理解できないんだけど

数学的に実証できず、査読をしても検証できないことってのが

理系においては「実験真実性や妥当性」なんでしょ?

で、査読検証できないからといって小保方論文みたいなのが大量発生してるの?

(あ、してんだっけ?

https://toyokeizai.net/articles/-/237652

まあ現実的にはごく少数を除いてそんなことしないよね

ならば文系も同じだよ、単純にそういう話

anond:20181013041154

あのさぁ・・・またループすんの?

査読には無論、再検証機能を持たせてない以上は、完全な証明ができないという問題がある。けど、完全に査読がない場合、いい論文も悪い論文再検証すべき対象になってしまうし、質の低い論文が質のいい論文を圧倒する量で出てくるのは明らかな事。レベルの高い査読があれば、事前に質の悪い論文は、低ランク会議雑誌しか発表が出来ず、誰かが研究を開始する時に、よりレベルの高い会議の先行研究があれば、質の低い研究再検証必要がない論文として捨てることが出来る。この差が、学問としての信頼度と発展の速さの差になると言ってるだけ。

繰り返されている批判キモはここね。

何度も言わせないで欲しい。査読効果的に論文理論系、実験系を問わない)の質をより分けられる理由

数学には、長い歴史の中で作られてきた絶対的に正しい定理がある、これは証明なしに何度でも使える道具。新たな証明問題を解く時には、その便利な定理を出発点に、新たなロジックを組み上げて問題を解くんだけど、定理が正しいからこそ数学勉強している人には、その後のロジックの正誤を判断できる訳。

研究もそれと同じで、十分に検証された既存の先行研究を出発点にして、新たなロジックを組み上げていった場合に、追加されたロジックの尤もらしさを判断する事は出来る。そして、そのロジックの結果として得られたデータは、数学的な手法正当性評価しているので、数学的な知識を共有する科学者の間では、その数字でいいのかどうか?は容易に判断できる。だから査読の段階で、明らかに間違っていたり、正しくても程度の低いロジックと結果で構成されている良くない研究成果については判定ができる。数学理論物理などの理論系の科学は、この段階でほぼ100%嘘は分かるし、査読を通ればほぼ正解。

これね。


まり社会学場合は、査読も行われているけど、市場があることが理由で、無査読の著書が出版されているし、別の理由で無査読の招待論文が発表されているよね。それは社会学研究者が仰ってた事だね。

https://anond.hatelabo.jp/20181011160144

以上の事から社会学において無査読の著書と論文が当然のように出ている事は、学問信頼性を下げてはいいか?という問題提起がされてきたんだよ・・・

それが、この記事( http://www.afpbb.com/articles/-/3193041 )の様な結果を招いている理由の一つではないのですか?と問題提起されてきたんだよ・・・

この増田が、俺から君に説明できる決定稿なので、これが分からいか論点をずらすようなら、ちょっともう会話にならないと思うんだよね。。。

anond:20181013035457

査読のない論文でも、編集者による「明らかな間違い」のチェックはある程度機能してる

そもそも、これはダブルブラインドではないか価値は低い。

査読には無論、再検証機能を持たせてない以上は、完全な証明ができないという問題がある。けど、完全に査読がない場合、いい論文も悪い論文再検証すべき対象になってしまうし、質の低い論文が質のいい論文を圧倒する量で出てくるのは明らかな事。レベルの高い査読があれば、事前に質の悪い論文は、低ランク会議雑誌しか発表が出来ず、誰かが研究を開始する時に、よりレベルの高い会議の先行研究があれば、質の低い研究再検証必要がない論文として捨てることが出来る。この差が、学問としての信頼度と発展の速さの差になると言ってるだけ。

研究者間の相互検証によって、再現性検査される点が、分野によって手法の差こそあれ同じである事には異論はないよ。ただ、査読がない分野で、どれを検証するの?という所で、前述の理由で指摘されてきているだけ。

いい加減、これくらいの理屈は分かって。

anond:20181013035115

数学的に検証できることだけで世界が回ってたらよかったね

あと誰ひとり査読が無価値とか言ってないか

ただ限界があることも認めたら?

その上で研究妥当真実性の検証は、論文発表後の研究者による相互評価を待つしかないなら

その点は同じだろって話

anond:20181013033735

凄く変わるよ。その辺は、数学ちゃんとやった人と、そうでない人との間の感覚の差が懸絶してるんだと思う。

数学には、長い歴史の中で作られてきた絶対的に正しい定理がある、これは証明なしに何度でも使える道具。新たな証明問題を解く時には、その便利な定理を出発点に、新たなロジックを組み上げて問題を解くんだけど、定理が正しいからこそ数学勉強している人には、その後のロジックの正誤を判断できる訳。

研究もそれと同じで、十分に検証された既存の先行研究を出発点にして、新たなロジックを組み上げていった場合に、追加されたロジックの尤もらしさを判断する事は出来る。そして、そのロジックの結果として得られたデータは、数学的な手法正当性評価しているので、数学的な知識を共有する科学者の間では、その数字でいいのかどうか?は容易に判断できる。だから査読の段階で、明らかに間違っていたり、正しくても程度の低いロジックと結果で構成されている良くない研究成果については判定ができる。数学理論物理などの理論系の科学は、この段階でほぼ100%嘘は分かるし、査読を通ればほぼ正解。

実験系の場合は、研究者が騙すつもりか、騙すまでも行かなくても隠している事があれば、正しいはずという前提が崩れるから、見かけ上正しく構成されているロジックを追うだけでは分からないだけ。

ロジックを追って結果を検証して、まぁ正しいんじゃないか?と思った結果は、再検証してもそれなりに結果が出る。理論系の数学物理以外の実験科学は、手元で再検証しなければ本当に正しいかまでは言えないけど、まぁ大丈夫なんじゃって所からでないと再検証をしようとすら思わないから、査読にはやはり価値がある。

以上の理由で、科学にとって査読は極めて重要役割果たしているし、学問にとって査読重要だと断言できる。

anond:20181013000150

理系であっても「ロジック展開の明らかな間違い」しか査読では明らかにできなくて、研究妥当性や真実性は後から批判を待つしかないのなら、やっぱり文系と大してかわらんのでは…

査読のある論文はもちろん同じ環境だし、査読のない論文でも、編集者による「明らかな間違い」のチェックはある程度機能してる

そのあとは、研究者同士の相互の参照によって淘汰されていくのもおなじじゃん? 実験という手段はないけどそんなんジャンル差の問題体制問題じゃないし。

ますますなんであんなに自信満々で叩いてたのかわかんねーわ

つか小保方さんの論文はつまりよほどレベルの高い嘘だったんですね

anond:20181012210428

結論を導き出すまでの明らかな論理矛盾と、答えを丸々捏造している事まで見抜くことは別物。

ロジックの展開として蓋然性が高く完成度が高ければ、実験まで含めてすべてが捏造だった場合には分からないという弱点は査読にはある。それらは、後発の研究者が行う再検証実験で露見するもの

研究者が誠実に研究を行ったとして、ロジックの展開に明らかな間違いがある場合には、査読判断することが出来る。

査読科学者によるスクリーニングであって、詐欺刑事捜査ではない。最近詐欺対策盗作対策ソフトも導入されてきているけど。

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