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2018-01-11

マイナーテーマ研究者結婚するべきじゃない

俺の研究は役に立つ。業界トップクラス査読に通ってるんだからそれは間違いない。が、金にならんマイナーテーマだ。敵がいないか業界トップに通せるが、敵がいないから金にもならんし引用数も増えん。

結婚さえしてなければ、もうちょっと金取れるテーマをやってる先生のところに、頭を下げていって

「年食っててすみません、でも研究能力は着実に持ってますし、お宅の学生指導します、ですので自分研究も片手間にやらせてください、独身なんで養う妻子もいないですし、やっすい給料でいいです」

って言いにいって、何とか立場を保てるのに。

40代、50代になっても、独身なら、研究能力さえ保ってれば、コイツは使える、とビジネスライクに拾って使ってくれる先生はいるのに。

結婚なんかしてしまうと、雇う先生の側も妻子のある人をこんなはした金で雇う訳にはいかないって気にさせてしまうではないか

マイナーテーマ研究者結婚なんかするべきじゃないよ。頭を下げて頭を下げて、卑屈にヘラヘラ生きながら、片手間に自分研究やるのが正しいよ。

結婚なんかするんじゃなかった、そう思いますよ、おーいわくんさん。

2017-12-31

anond:20171230152740

私も工学系の現役研究者だが、全般的にこの意見には反対。

自分目線でだけ考えた視野の狭い意見だという印象を受けた。

臭い実応用研究は認めないわけではないが、大きな評価にはならないという立場です。

以下長文で失礼します。

まずはじめに、産学の役割分担はきちんとなされるべきだと考えている。

大学あくま学術機関であり、本来は「学問」をする場であって、

産業界から見ても独立中立である必要がある。

工学部が実応用を軽視している」って言われてもそれは学問かという問題もあるし、

役に立つ技術企業のために用意してあげる下請け機関ではないので。

研究活動では、新しい方式理論研究し、学問として確立するところまでが大学役割で、

臭い実応用の問題解決して社会製品サービスとして世の中に還元するのは企業の役目。

ここを曖昧にすると、企業でやるべきことが大学でできてしまうなど、公私混同問題が発生する。

例えば、表向きは泥臭い応用研究をやりますよと言って公的研究費をもらえるのであれば、

実際は特定企業が自腹でやるべき課題大学やらせるとかそういうことが公にできてしまう。

「泥臭い」部分にもきちんと学術的な新規性独自性があるならともかく、

税金が使われているんだから特定企業作業下請けみたいなものを許さないためにも

ここはきちんと線引きしておくべき。

ただし、冒頭で「泥臭い研究は認めないわけではない」と言ったのは、

その研究自体価値があるのではなく、そういうことをやる過程で新しい問題気づき

大学でやるべき独自性のある課題に発展したりすることもあるから

(なんでもかんでもダメだと言いすぎると研究範囲が限られすぎるので)

あえて取り組む理由説明できず、ただ自分研究

正当化するために言っているのだとしたらちょっとそれは問題だと思う。

次に学術論文という視点から

論文研究成果)は、大学以外にも企業一般の人も読める人類の共有財産だが、

対象読者としては産学分離の観点からも同じ学術界(学術研究を行う人)に向けて書かれている。

論文を最もよく読むのは本職の研究者だし、論文査読評価するのも研究者

研究者というものは常にいい研究とは何か、どういう研究テーマを選ぶか、

また行き詰まった時に次どうするか、そういうことをずっと考えてるわけで、

論文というのはまさにそういう時の研究者アイデアの源泉としての役割が強い。

で、研究者として自分がその立場に立った時に

「当たり前のことを当たり前に努力して当たり前のものができました」

という論文があったとして、進んで読みたいと思うだろうか。

このように考えると、学術界への貢献とは何かが見えてくる。

論文(や研究者)の評価指標であるインパクトファクター

研究者の考え方や研究方針にどれだけ影響を与えたか」に重点を置いているように、

論文読み手に大きな影響を与えることが、学術界に対する貢献とされている。

学術界の誰もが読みたくない(影響を受けない)論文評価がどうしても低くなるのは仕方がない。

もちろん、たまたまその技術実用化しようとしていた会社がいれば

この論文研究結果はそのまま使えるってなるのかもしれないが、

それは学術界に対する貢献として評価できないし、産業界に対して中立とも言えない。

また、全ての分野ではないかもしれないが、

私の研究分野ではその技術を専門に扱う会社がある。

学会で知り合ったその会社社員は発表されている論文を全てチェックしていて、

製品化できないか検討を進め、(おそらく泥臭い部分を解決して)

製品化やサービス提供することでご飯を食べている。

これに関しては良い役割分担だと感じている。

企業というものは、儲かるとなれば少々泥臭くても大変でもやるもので、

大学生個人卒検の1〜2年でできる範囲の泥臭いことぐらい、儲かるとなればどこでもやってるからね。

大学が実応用を考えていないから世の中に還元されていないというのは勘違いに近いと思う。

(逆にいうと、別に就職しても、会社を選べば企業立場から研究みたいなことができるということ)

また逆輸入で、研究界で生まれ研究の泥臭い部分をある企業解決してサービス化し、

今度は研究室でそのサービス契約してさらに発展した問題に取り組むみたいなことはよくあるけどね。

>「企業でも出来る実応用のステップ企業に任せるべき」という点については必ずしもそうであるとは思いません。もしそのような姿勢を取り続けると、「営利価値がある」と企業判断したものしか一般人アクセスできなくなってしまます

その上で、これは自己矛盾してると思う。

そもそも営利価値がない」と判断されるものは世の中に還元する必要がない役に立たない研究では?

(あるいは、ニッチすぎてお客さんが集まらず採算が取れない、であるとか)

言い換えると、企業価値のあるものはきちんと取り組んでいる訳で、

それ以外のもの大学研究してるとすれば、わざわざ税金を使って価値の低いことに取り組んでることになる。

(もちろん「すぐに役に立たない」研究もあるが、その場合独自性新規性のある学術問題があるはず)

企業場合はその技術に取り組むか厳しく審査を行い、

やるとなったら自社のお金で取り組み、失敗した場合自分責任をとるわけだけども、

好き勝手研究テーマを設定できる大学みたいな公的機関自分の好みでテーマを設定し、

企業も見ていないような技術の実応用に取り組んでいるとすれば、その方が税金無駄と思わないですかね。

>実応用のための泥臭い部分を投げっぱなしにしているから、世間一般から大学は好き勝手やって金を無駄にしている」みたいなことを言われてしまうのだと思う。

ノーベル賞受賞者研究Nature や Science みたいな

基礎科学系の雑誌でも工学系の雑誌でもいいけど、

実応用で新規性の少ない「泥臭い」ことで評価されてる論文がどれだけあるでしょう。

そう考えたとき、私には「大学は好き勝手やって金を無駄にしている」っていうのは

しろ実応用とか泥臭いことをやってる人のことを言ってるように聞こえてます

企業でもできることを税金でやる方が無駄遣いだと思うし、

税金を使うからこそ、大学しかできないことを模索するべき。

ただでさえ今は研究費もポストも削られ、学生数まで減ってるんだから

>眠っている研究成果を一般に届けるための「研究」に力を入れたほうがよほど産業界にも有意義

上にあげた理由で、企業がやるより大学でやる方が「有意義」という部分が疑問。

大学でやれば「無料」という発想をしてたりしてないですかね)

仮に有意義でも、産業界から独立中立であるべきであり、

大学では「社会に役に立つことをやっていれば何をやってもいい」というのも間違い。

つまるところ、大学などの学術界の研究成果では

本来産業界に対するメリットを言うべきでは無くて、

学術界に対して(学問として人類の知恵として)自分研究

どのように貢献しているかをうまく説明できれば良いと言うことであって

それを一言で表すのが「新規性」とか「独自性」っていうことかと思う。

あとは、大学は(多かれ少なかれ)税金が投入されている

(=研究お金がかかっている)という側面を考慮することかなぁ。

こういう立場自分研究見直してみるといいと思います

補足として、案外企業から増田さんがやりたいようなことをやってる企業

割と多いと思うので、そういう道を模索すると適職が見つかるかもです。

学術界に近い業務内容で、実応用研究をやるような会社職種ね)

2017-12-16

ABC予想解決

山下先生が、望月先生によるABC予想証明したとする論文査読して分かりやすくしたバージョンが出て、PRIMSに採録されるらしい。

http://www.asahi.com/articles/ASKDD5Q6MKDDPLBJ007.html

査読付きの論文誌に載るのは素晴らしい。

それはいいとして、山下先生HPに凄いことが書いてあるのだが…

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~gokun/footnote.html

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-06

編集者が書く、編集じゃない仕事でも役立った7つの編集スキル

https://adventar.org/calendars/2660

とかやってて乗り遅れた。乗り遅れたので増田に書く。

最初に少し自己紹介をする。新卒出版社、そのあとベンチャー2社を渡り歩いて、いまはわりと大きい会社Web仕事をしている団塊ジュニア出版社時代は概ね雑誌編集で、連載やったり特集やったり。ムック書籍も同時進行でやっていくスタイル。このアドベントカレンダーに参加してるやつらはだいたい友達(そうでない人もいる)。とくに仲が悪いのは……って、そういうことを増田からって書くのはよくない。

以下に書く内容はタイトルの通り、編集を辞めて違う仕事をしても、あー意外と編集者やってたときスキル役立つよなーって話。最初に目次的なものを書くとこうなる。

なんか真面目くさいな。最悪だ。最悪だと思っても書けちゃうのがプロ鼓舞)。

構造化と抽象化

別に言葉は「仕組み化」とか「見える化」「体系化」でもいいんだけど、乱雑にいりみだれてる言葉事象を、いい感じに整理して、まとめなおす作業一式。まとめた結果は図とか短い文章になってコミュニケーション素材として用いる。会議資料になったり、営業ツールになったり、報告書になったりする。

出版社じゃない場所仕事してみると、この「まとめなおす」機能が壊れていることがわりと少なくない。だいたい仕事はなんでもたいへんで、状況はかんたん明快!なんてこともあんまりない。だからといって、いい感じに整理しておきましよ!みたいなこともほとんどない。見てるだけで整理して章立てしたくなる。ラフを書くノリでホワイトボードにポンチ絵書いて、適当キャプションを口で言うだけで「わかりやすい」という反応が得られる。便利。

で、部下や同僚が同じことできないと不便だから教えてみると、抽象化能力とか、抽象化したモノとモノの関連を整理する能力に欠けているとわかる。デザパタみたいにして教えてあげると、すいすいできるようになったりする。まあ地頭はわりと効くけど、どっちかっていうと訓練。取材インタビューのまとめとかした編集者は鬼訓練されてる感じ。あとクソ原稿を直すのも似た作業ですね。量が質を作るジャンル

議論

だいたいどんな会社でも、会議などの社内コミュニケーションで残念なことをいうやつはいる。モチベーション下げる能力がすごい高い人、たぶんユビキタス存在するんだ。これはアレだ、どんないい記事で、売れて、読者の評価高くても、DISってくる人はいるアレ。元編集者的にはそっくり。そういえば売れたこともDISられたこともない編集者さんはがんばろう。

若いうちはなかなか難しかったり、傷ついたりするかもだけど、想定能力と、度胸、切り返し能力あたりが見についてくる。予測力っぽい感じ。これがめっちゃ効く。だいたい知的労働をする会社は、対人コミュニケーションが主たる仕事、かつストレッサになりがちなんで、そこの予測力や度胸、切り返し能力があると、とりあえずバカ扱いはされない。

あいまい定義を、ほどよく確認したり、論理矛盾をいらいらさせないように指摘したりってのは、取材インタビュー、あるいは査読した結果をフィードバックする感じとよく似ている。人格攻撃しないで、コンテンツのもの目線を向けながら品質を上げる行動みたいな。結果議論が進む。これ便利。

なお人格が壊れている編集者は、ここがだいてい壊れてる感じする。そういう人ほど優秀ってのもまたある。人格壊れたまんま、かつて優秀だった、みたいな人もいて、これはしんどい。若くしてこじらせちゃうのと同じくらいしんどい。ぼくにもしんどみがありますメンタルヘルス

マーケティングの基礎

メーカーっぽい会社場合プロダクトアウトが強すぎてマーケ不在ってことはわりとよくある。わりといけてる雑誌屋場合、ここがしっかりしてて、自分仕事がどう部数(=売上)に効くかを体で覚えてて、これがよい。例えば定期購読者増やしたいとか、ECでまったくおんなじ構造の話があるので理解がはやい。

プロの物書きやプロ編集者は「うけてなんぼ」の世界だということをよく知ってるゆえ、勝手に学んじゃうってことだと想像する。いまのWebマーケはいろいろ計測できるけど、impだCVRだCPAだってのは、知ってる概念がなんか別のアメリカ人言葉で言い換えられただけで「うけてなんぼ」を知ってて、自分でやってたって人は、たいてい難しくない。

広告仕事もしてた人だとなおわかりよいかも。Web媒体というか、読者さん課金がない媒体経験だけだと厳しいかもしれない。炎上だけやってる人のうち、インターネットを利用してインターネット価値を下げてるってわかってやってる人ははやくほろんでほしいな。でてくる広告マイナスクリックする技術まだか。

表現が伝わるとき想像力

なんかふつう会社の人をみていると、書くことで精神エネルギーを使い切って、読む人のことまで神経届いてないっぽい人が少なくない(全員だとはいってない)。いや出版社にもそういう残念な人いるけど、割合がだいぶ違う。あと、読む人をわりと簡単にダマさえると信じてる人も多い。ちゃんとした編集者のみなさんはよくご存じの通り、そんなわけない。

プロ編集者は目の前の文章が読者にどう読まれるかの想像力を発揮してる時間が長い。めっちゃ長い。結果訓練されまくって、文章を書く前に脳内読者の文句が想起されたりするまでゲシュタルトが鍛えられる。これがめっちゃ便利。結果として「まとめたもの」の生産性が高い。これに、最初に書いた抽象化能力構造能力が組み合わさると「優秀」って思われやすい。いや訓練の結果なだけなんですけど…。

逆にいうと、そこらへんを売りにしていくとうまくいきやすいってことかも。決められた手順の繰り返しより、乱打戦とかゲリラ戦に向くみたいな売り込み。いやせっかく編集やめるんだったらもう少し落ち着いて仕事したいってのはわかるんだけどもまあ(時代)。

コミュ力交渉

だいぶだるくなってきたので、ここから先は端折ってく。コミュ力とか交渉力はふつうにみんな使うし、編集者ノリのままでわりとOK会社業界によっては謙譲の度合いとか忖度の度合いとか変わってくるけど、まあ大事なところは本音ってのは間違いない。服装や出社時刻は違う。外資はいたことないのでよくわからん。なんだっけ、まあ誠実ならOK。不誠実なやつはすぐに編集者やめてくれ。

雑誌書籍にあった内容で学んだことそのまんま

世の中の人は恐ろしいほど、本も雑誌も読まない。Webも見ない。読み続けることに慣れてない。一方編集職の人は、大食いチャンピオンレベル文字摂取する。結果として知識量は多くて、かつ元ネタとして活用するように脳内におさまってるんで、そのまんま役に立つ。くそ便利。意識まらないようにしつつ大量に読む技術、まじで編集者を支える技術だと思う。なお筆者はいまでも奥付から読むみたいなクセが抜けない。習慣怖い。

お金計算

まあこれは編集じゃなくても仕事してりゃわかるか。てか編集スキルじゃなくね?

おしまい。こういう尻すぼみなスタイルよくないと思いつつも、読み直すとかあんまりしなくなってる元編集者なので初稿ってことで。どうせ編集アドベントカレンダーなんだから、もうちょっといけてる感じにだれか編集してくれたらうれしいかも。元原稿がこれじゃ、だれもやりたくないかw 送り仮名とかたぶんそろってないし。まあ項目5つくらいにして、順番入れかえたいよねふつう

***

編集を離れてもう5年ほどになる。やってたころは「編集はぼくに向いている仕事」って思っていたけど、まあそれ以外でも別に極端に向いてないってことはないなって感じ。たぶん知的活動コミュニケーションがない仕事ってほとんどないってことなんじゃないかなー。

ということで、まだ編集で消耗しているみなさんは、年末進行まっただなかな人も少なくないと思いますが、なによりご健康留意してほしいなと思いつつ、これからもよい仕事をぜひおねがいします。今はいち読者として、いろいろな記事や読み物を楽しみにしていますノシ

2017-12-01

イキリバイトうざい

■元編集者が書く、編集じゃない仕事でも役立った7つの編集スキル

https://adventar.org/calendars/2660

とかやってて乗り遅れた。乗り遅れたので増田に書く。

最初に少し自己紹介をする。新卒出版社、そのあとベンチャー2社を渡り歩いて、いまはわりと大きい会社Web仕事をしている団塊ジュニア出版社時代は概ね雑誌編集で、連載やったり特集やったり。ムック書籍も同時進行でやっていくスタイル。このアドベントカレンダーに参加してるやつらはだいたい友達(そうでない人もいる)。とくに仲が悪いのは……って、そういうことを増田からって書くのはよくない。

以下に書く内容はタイトルの通り、編集を辞めて違う仕事をしても、あー意外と編集者やってたときスキル役立つよなーって話。最初に目次的なものを書くとこうなる。

まとめ力。つーか構造化と抽象化能力

議論力。いわゆるファシリテーションみたいな

マーケティングの基礎

表現が伝わるとき想像力

コミュ力交渉

雑誌書籍にあった内容で学んだことそのまんま

お金計算

なんか真面目くさいな。最悪だ。最悪だと思っても書けちゃうのがプロ鼓舞)。

構造化と抽象化

別に言葉は「仕組み化」とか「見える化」「体系化」でもいいんだけど、乱雑にいりみだれてる言葉事象を、いい感じに整理して、まとめなおす作業一式。まとめた結果は図とか短い文章になってコミュニケーション素材として用いる。会議資料になったり、営業ツールになったり、報告書になったりする。

出版社じゃない場所仕事してみると、この「まとめなおす」機能が壊れていることがわりと少なくない。だいたい仕事はなんでもたいへんで、状況はかんたん明快!なんてこともあんまりない。だからといって、いい感じに整理しておきましよ!みたいなこともほとんどない。見てるだけで整理して章立てしたくなる。ラフを書くノリでホワイトボードにポンチ絵書いて、適当キャプションを口で言うだけで「わかりやすい」という反応が得られる。便利。

で、部下や同僚が同じことできないと不便だから教えてみると、抽象化能力とか、抽象化したモノとモノの関連を整理する能力に欠けているとわかる。デザパタみたいにして教えてあげると、すいすいできるようになったりする。まあ地頭はわりと効くけど、どっちかっていうと訓練。取材インタビューのまとめとかした編集者は鬼訓練されてる感じ。あとクソ原稿を直すのも似た作業ですね。量が質を作るジャンル

議論

だいたいどんな会社でも、会議などの社内コミュニケーションで残念なことをいうやつはいる。モチベーション下げる能力がすごい高い人、たぶんユビキタス存在するんだ。これはアレだ、どんないい記事で、売れて、読者の評価高くても、DISってくる人はいるアレ。元編集者的にはそっくり。そういえば売れたこともDISられたこともない編集者さんはがんばろう。

若いうちはなかなか難しかったり、傷ついたりするかもだけど、想定能力と、度胸、切り返し能力あたりが見についてくる。予測力っぽい感じ。これがめっちゃ効く。だいたい知的労働をする会社は、対人コミュニケーションが主たる仕事、かつストレッサになりがちなんで、そこの予測力や度胸、切り返し能力があると、とりあえずバカ扱いはされない。

あいまい定義を、ほどよく確認したり、論理矛盾をいらいらさせないように指摘したりってのは、取材インタビュー、あるいは査読した結果をフィードバックする感じとよく似ている。人格攻撃しないで、コンテンツのもの目線を向けながら品質を上げる行動みたいな。結果議論が進む。これ便利。

なお人格が壊れている編集者は、ここがだいてい壊れてる感じする。そういう人ほど優秀ってのもまたある。人格壊れたまんま、かつて優秀だった、みたいな人もいて、これはしんどい。若くしてこじらせちゃうのと同じくらいしんどい。ぼくにもしんどみがありますメンタルヘルス

マーケティングの基礎

メーカーっぽい会社場合プロダクトアウトが強すぎてマーケ不在ってことはわりとよくある。わりといけてる雑誌屋場合、ここがしっかりしてて、自分仕事がどう部数(=売上)に効くかを体で覚えてて、これがよい。例えば定期購読者増やしたいとか、ECでまったくおんなじ構造の話があるので理解がはやい。

プロの物書きやプロ編集者は「うけてなんぼ」の世界だということをよく知ってるゆえ、勝手に学んじゃうってことだと想像する。いまのWebマーケはいろいろ計測できるけど、impだCVRだCPAだってのは、知ってる概念がなんか別のアメリカ人言葉で言い換えられただけで「うけてなんぼ」を知ってて、自分でやってたって人は、たいてい難しくない。

広告仕事もしてた人だとなおわかりよいかも。Web媒体というか、読者さん課金がない媒体経験だけだと厳しいかもしれない。炎上だけやってる人のうち、インターネットを利用してインターネット価値を下げてるってわかってやってる人ははやくほろんでほしいな。でてくる広告マイナスクリックする技術まだか。

表現が伝わるとき想像力

なんかふつう会社の人をみていると、書くことで精神エネルギーを使い切って、読む人のことまで神経届いてないっぽい人が少なくない(全員だとはいってない)。いや出版社にもそういう残念な人いるけど、割合がだいぶ違う。あと、読む人をわりと簡単にダマさえると信じてる人も多い。ちゃんとした編集者のみなさんはよくご存じの通り、そんなわけない。

プロ編集者は目の前の文章が読者にどう読まれるかの想像力を発揮してる時間が長い。めっちゃ長い。結果訓練されまくって、文章を書く前に脳内読者の文句が想起されたりするまでゲシュタルトが鍛えられる。これがめっちゃ便利。結果として「まとめたもの」の生産性が高い。これに、最初に書いた抽象化能力構造能力が組み合わさると「優秀」って思われやすい。いや訓練の結果なだけなんですけど…。

逆にいうと、そこらへんを売りにしていくとうまくいきやすいってことかも。決められた手順の繰り返しより、乱打戦とかゲリラ戦に向くみたいな売り込み。いやせっかく編集やめるんだったらもう少し落ち着いて仕事したいってのはわかるんだけどもまあ(時代)。

コミュ力交渉

だいぶだるくなってきたので、ここから先は端折ってく。コミュ力とか交渉力はふつうにみんな使うし、編集者ノリのままでわりとOK会社業界によっては謙譲の度合いとか忖度の度合いとか変わってくるけど、まあ大事なところは本音ってのは間違いない。服装や出社時刻は違う。外資はいたことないのでよくわからん。なんだっけ、まあ誠実ならOK。不誠実なやつはすぐに編集者やめてくれ。

雑誌書籍にあった内容で学んだことそのまんま

世の中の人は恐ろしいほど、本も雑誌も読まない。Webも見ない。読み続けることに慣れてない。一方編集職の人は、大食いチャンピオンレベル文字摂取する。結果として知識量は多くて、かつ元ネタとして活用するように脳内におさまってるんで、そのまんま役に立つ。くそ便利。意識まらないようにしつつ大量に読む技術、まじで編集者を支える技術だと思う。なお筆者はいまでも奥付から読むみたいなクセが抜けない。習慣怖い。

お金計算

まあこれは編集じゃなくても仕事してりゃわかるか。てか編集スキルじゃなくね?

おしまい。こういう尻すぼみなスタイルよくないと思いつつも、読み直すとかあんまりしなくなってる元編集者なので初稿ってことで。どうせ編集アドベントカレンダーなんだから、もうちょっといけてる感じにだれか編集してくれたらうれしいかも。元原稿がこれじゃ、だれもやりたくないかw 送り仮名とかたぶんそろってないし。まあ項目5つくらいにして、順番入れかえたいよねふつう

***

編集を離れてもう5年ほどになる。やってたころは「編集はぼくに向いている仕事」って思っていたけど、まあそれ以外でも別に極端に向いてないってことはないなって感じ。たぶん知的活動コミュニケーションがない仕事ってほとんどないってことなんじゃないかなー。

ということで、まだ編集で消耗しているみなさんは、年末進行まっただなかな人も少なくないと思いますが、なによりご健康留意してほしいなと思いつつ、これからもよい仕事をぜひおねがいします。今はいち読者として、いろいろな記事や読み物を楽しみにしていますノシ

2017-11-13

高専5年で,来年卒業して,IT企業就職するんだけど,今後の学歴をどうしようか悩んでいる.

夜間なり通信なりで,学士を取るか

はたまた,

もしかして修士課程博士前期過程)に入ろうと思えば入れてしまうのだろうか.

ちなみに,査読付き論文は持っている(日本語だけど).

なにかうまく学歴をいい感じにする方法はないだろうか…

最終学籍高専卒ってのは,大変なのかな.

2017-11-05

anond:20171105204126

唯物論って科学的に証明されたわけじゃないよ?(証明した論文があったらURL教えて。査読してみるからw)

文系ってデイヴィッド・チャーマーズとか読んだことない奴ばっかなの?

2017-11-02

https://anond.hatelabo.jp/20171102021651

論文の人と同じなのかね。あまり結論ありきであるように感じるが、論文査読という制度の中では音の研究は出てきえない。

それは論文という形式自然言語研究に与える制約でしか無い。自然言語人間が使うもの理論的に解明されていない。客観的なんていうのは最初からあり得ない。

質問に答えると


>thのθのところだけど、音を重視するのに、tとhと、字面の方が意味判断で用いられるのはどうしてでしょうか。

タイトルへのツッコミだろうか。この理論日本語にも適用される。だから音が根拠だと考えるべきだ。

例えばcはkyであると同時にsとも発音するが、どちらにせよ「空間におけるフローチャート(地点/存在)」を指し示している。

その時、ky解釈しても、sと解釈しても、「空間におけるフローチャート(地点/存在)」という概念の近似にはなっている。

あくまで音の意味根拠になっている。


クロアチア語ガイラテンアルファベットにはć /tɕ/(キリル文字だとЋ)とか出てくるけど

知らんな。それが問題とも思わん。

https://anond.hatelabo.jp/20171102015354

>そのリンク先で説明してる個々のアルファベット意味をどんな事実から帰納したのか説明できないといけない

そりゃあ英単語からでしょう。


帰納的な議論を展開する論文もあれば演繹的な議論を展開する論文もある。

じゃあ仮に英単語からこの法則見出したとして、何を根拠にそれを査読するわけだ?

帰納というのは本質的に飛躍があるもんだぞ。音の意味なら根拠になるのは文法でなく単語しか無いし、そこから法則見出した以上のもの理論上あり得ないなら仕方ないでしょう。

2017-10-22

anond:20171022084423

ま、経済かじっただけの人間は多いが、だから相手理論相手がわかるレベルで適正な「批判」を加えて修正する必要がある。

啓蒙主義といえばカッコはいいかもしれんが、結局は世の中のその修正積み重ね。

で、いつから学者」の理論が正しいと思ってた?

学者なんて、アカデミックに籍をおいてるってだけの定義よ。

アカデミックメンツもあるから、それなりにまともなやつを取るだろうという理屈で信頼されるだけで。

その条件に最近博士号を条件にすることもあるだろうけど、そんなの査読論文1,2本で、関連教授がOKと行ったレベルな。分野によっても違うが。

まあ、その理論には批判を加えられる。その中当てはまる範囲、正しい範囲が洗練されていく。

その意味で、長く正しいと言われてた理論批判に耐えられた部分については正しい可能性が高いということは言えるぐらいかね。

2017-10-15

anond:20171015153132

論文たくさん書いたなら、査読依頼が多くて忙しいはずだが、全部リジェクトされたのか。

2017-07-26

だいたい金と東京が悪い

2010-01-04 C++0x本:執筆必要もの

査読者は必要だが、残念ながら、対価をはらうということはできない。私は、払いたくても、金がないのだ。

2010-02-28 理想主義者には金がない

金がない。絶望的に金がない。

2010-03-02 カネを得る方法

カネだ。カネが必要だ。それも、今すぐ必要だ。すでに貯金は五桁、このままでは、遠からず、今の生活破綻する。

2010-03-09 寄付のお願い

私のC++0x本の執筆活動のため、寄付をお願いします。

2011-11-03 Skyrimがやりたい

Skyrimは是非ともプレイしたいゲームだ。しかし、残念ながら、今プレイするわけにはいかない。金がないのだ。

2013-10-28

日本語C++参考書の行く末

私はもう時間切れで、三週間後にはインターネット接続はおろか、コンピューターすら失う身だ

2013-11-14

夜行バス東京にやってきた

安価交通手段として、貧乏人にもてはやされてきた。私はツアーバスにはとてもとても詳しい。

2015-03-16

金の使い道が分からない

金の使いどころがなくて貯金額のみむなしく増えていく一方

2017-07-24

濫用にあたる職務質問を受けたと考えたので弁護士現場検証してきた

61万円は少ない額ではない。幸い、私には貯蓄と収入がある

 

2017-07-06

anond:20170706013629

違うんだなー、それが

全く根拠もなく、全く何の実績もない査読付き論文一本すらない「自称研究者」が社内に部署作ってずっと研究してて、でも何一つ論文を書かず、成果も出さず、時々取材の人が来るけど専門誌にはバレちゃうのか一切記事にならず(記事にならずに助かってる。会社とその従業員には大恥だからな、マジで)、でも社長以下上層部が信じ切ってて、会社の金で研究(笑)を続けてるの。ほかにも色々書きたいことあるけど、まあ書くとばれたりしてどんな災いがあるかわからんからやめとくけど、これだけでも凄い会社だと思うだろ?w

なんせお題目自体ノーベル賞級の凄い話だからなw 本当ならなw

2017-05-30

人工知能研究の話

http://anond.hatelabo.jp/20170529081025

感覚的には"全国大会"って同人に近い。

同人小説フィルタリングしてみたwww」というちょっとガチブログ記事レベルの話なんだよ。

査読もないし、国際的な成果として認められない、だから多忙指導者の目が届くわけがない。

全国大会の予稿には、ある程度研究稚拙だったりしても、しょうがないよな…という雰囲気がある

(もちろん投稿者はまじめにやるポーズはとるけどね)

でも、その先の査読付き論文を出すプロセス練習としては必要なんだ。だから大目に見てくれ。お願いだ。

今回のことも、大きくニュースにしなければ、

同人サイドがゾーニングされた場所であれやこれやしても結果的になにも起こらないように、

なにも起こらなかったのではというつらみがある

2017-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20170528192750

査読無し媒体には最低限の規定だけある

商品宣伝ではないかとか

犯罪予告も多分ダメ

名誉棄損も多分ダメ

例えば病気とか普段生活生命維持に不可欠なもの個人情報を紐づけてたら多分はねられたと思う

表現物として公開しているものから多分通った

多分ね

本当の所は中の人しか知らん

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527174157

「どうなんでしょう」と聞かれているので答える。長さについての感覚が知りたいなら、人工知能系はトップ国際会議査読付き論文PDFで転がっているので、ホンモノ見て下さい。

https://aaai.org/ocs/index.php/AAAI/AAAI17/paper/view/14746

基本的に、A4のダブルカラム8ページがfull paperと呼ばれて、査読付き国際会議論文の標準の長さかな。図や数式の量によるので、論文の長さはページ数の上限で規定される。概要査読への返答はワード制限あるけど。英語8,000 wordsだと、多分A4ダブルカラム10ページぐらいあるが、それだと一番長クラス査読付き国際会議論文一本分ぐらいかな。数式ではなく、新しい概念を導入するような話だと、やはり、それぐらいの枚数は必要になる。数式は、長い時はだいたいAppendixに回せるので、本文に数式の土の部分を表示するのかそのものが、著者の選択

査読付き国際会議論文は、査読付き英文論文誌に出せる。査読付き論文誌はだいぶ長く書けるので、英語8,000 wordsぐらいの論文普通にあると思う。

英語じゃないと業績にならない、は言い過ぎた。実は、査読付き国際会議に出した論文は、国内学会査読付き論文誌に投稿できる仕組みになっている。前者は予稿集・後者論文誌なので、枠が違うので二重投稿ではないという理屈になっている。国内査読付き論文誌は業績になる。国際論文誌に比べると見劣りするけど。

ただ、内容的に、日本語オンリー日本社会事情に特化した内容で、国際的評価されにくい内容があるというのは、こちらも分かっている。そういう場合は、国内論文誌に直接出してしまうこともある。しかし、こういう場合でも、英語化しないと基本的国際的には全く論文がなかったことにされるので、レベルの低い査読付き国際会議でいいから、どこかで英語で発表しておく必要がある、と個人的には思っている。

まとめると、基本、国内査読なし会議査読付き国際会議査読付き論文誌という流れで投稿する。後の2つが査読付き。国内査読なしと国際査読付きで同じ内容を投稿しても二重投稿にはならない。

国内会議予稿論文役割は、萌芽的な研究興味の交換と、国際的査読に通った論文日本語化して宣伝・紹介なんですよ。発表を聞いていると、発表によっては、「この内容はxx国際会議に通りました」とか言ってたりする。あと、論文を書くのにWordを使う人が非常に少ない。基本、LaTeXで書かれる。

文系単著にこだわるのは知っているが、情報系の多くでも、第一著者がほぼ全部書くのが通例。今回の論文でも、著者リストから第一著者が学生で、第二著者以降が論文添削指導した人…と普通は見る。まぁ、学生グループ指導者論文書くこともあるので、最初の何人かが学生、なんていうのも普通にあるし、優秀な研究者複数人で協力して二人とも著者…という形態普通にある。その辺は、色々な形態が混じっているが、ここは、単に表示の問題だと思っている。逆に、うちの分野で学生単著で書いていると「この学生指導者と何かトラブルでもあったのだろうか…」と心配してしまう。論文の著者名は、指導者が「うちの学生を私がちゃんと指導しましたよ」というのを示す役割を担っている。

著者の並べ方についても、分野によって色々違って、数学系だと共著の場合は必ずアルファベット順に並べる風習がある。だから数学から人工知能業界に入ってきている人は、自分論文として出し、"with 誰々"という形で共著表示する。この慣習は、人工知能分野でも基礎分野じゃないと知らない人が多い。

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

長すぎたようなのでこっちで増田に応答。

http://anond.hatelabo.jp/20170527122912

人工知能学会全国大会論文査読なしだ。これは、人工知能学会けが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会査読なしである

ただ、その理由が「本会議ボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。

この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。

AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要査読付き国際会議にどれぐらい通したか研究者の業績が決まる。

まり英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメ論文は、国際的評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。

この辺の常識は分野によって違うので私もわかってなかったです。教えてくれてありがとうございます

文系だと和文でも立派な業績になるので、その辺の感覚の違いというのはあるかもですね(もちろん、英文やその他の外国語で書いた方が評価されるのはその通りなんですが)。

ただ人文系論文って、文章だけを並べて数十ページとか普通に行くやつも多いです。歴史系だと、ちゃんとした和文学術雑誌文字数上限は30,000字ちょいくらいで、20,000字未満だと「あそこ短いから書きにくいよね」とか言われる世界なんです。英文だと8,000 wordsくらいかな? この辺、理系情報系の人たちとは「論文の長さ」に関する感覚がけっこう違うと思うんですがどうなんでしょう(あと、基本的単著)。

英語じゃないといけないっていう縛りもなくて、たとえばフランス研究ならフランス語で書いた方が評価されるだろうし韓国研究なら韓国語で書いても立派な業績になりますよ、って感じです。最近は若手研究者の国際化が進んで、英語博士論文書く人も増えてますが、ドイツ語博士論文書きましたって人も増えてきてるんですね。そういう意味で、そちらの分野とは国際化の感覚は違うのかな、と。

http://anond.hatelabo.jp/20170527162549

今回の論文というのは査読を経たものではなく、渋にクソ小説をアップしたのと大差ない。

論文だって創作物なので「君の小説はドヘタクソなので非公開です」とは普通ならないし。

したがってクソな小説が出るのと同じで、クソな論文が出ることもある。

でもこんなことがあったから今後はどこかでチェックされ、いくら査読なしといっても通らなくなると思う。

24日の夜には一部で騒ぎになっていたしその頃はあの論文普通に見られた。そのときダウンロードしといた人ってどのくらいいるんだろう。あれよあれよと大騒ぎになっていて、今日ようやく読んでみた。こういう分野はまったくの門外漢なのでただの感想

今は非公表になってるらしいけど、内容の書き写しをするつもりはないので問題はないですよね?

無学なものいまいち理解できている自信がないんですが、つまりは従来の猥褻単語のものフィルタリングするのではなく、なんら猥褻意味を含まない単語がある文脈において猥褻暗喩表現として用いられたとしても猥褻表現として判断できるAIによるフィルタリングの実現を検討するために、巷の猥褻文章を持ってきて考察しました、ってことでいいでしょうか。

意義は理解できます悪用されて文章検閲として利用されるところまで妄想できました。さすがAI

で、これがpixivのある時期のR18ランキングからトップテン持ってきて公表して考察していて炎上したと。トップテンの8割がBLという特殊な状況下で学習させたら、AIはどんなフィルタリングするんだろうなあというのはたしかに気になります。気にはなるんですが、まずそこなのか?とも思います

猥褻表現のあるドメインとして、なんでまずpixiv選択したんでしょうか?いっぱいあると思うんだ、猥褻ドメイン。なんでpixiv狙い撃ち。

そもそもこの論文の時点では結局猥褻表現の分類と考察しかしてない。AI学習させる以前の段階。そこで8割BLしか素人小説というサンプルははたして適当なのか。

BLを含む女性向けの猥褻表現を扱うドメインもたしかに巷にはだいぶ多いことでしょう。でも、それは男性向けを大きく凌駕するほどのものなのか。そして、女性向けにおける猥褻表現男性向けとでは大きく差があると思う。

BLを含む女性向けはとにかく婉曲表現が多い。下品は嫌い、雰囲気重視。男性向けは直接表現が多い。わかりやすさが第一伏字になっても淫語は使いたい。おおまかにこういうイメージです。間違ってますかね?

実際、前文では特定ドメインにおける猥褻表現の例としてハピメでの「*交」とかも上げていて、伏字による淫語表現研究者認識しているはずなんですが、これらのサンプルではそんな表現出てこないでしょう。考察すべき対象の足りていない考察ってなんの意味があるのだろうか。

目的方法がとっちらかってる気がする。これ本当に査読を経ての発表なの?関係者の方こっそり教えてくれませんか?

http://anond.hatelabo.jp/20170527131917

情報系でも、その辺の慣習は分野によってまちまち。情報処理学会だと、おっしゃるような物理学会の仕組みと同じように、大会参加者と会員だけが論文を見られる仕組みになっている。

ただ、情報系でも人工知能系は、日本だけでなく国際的にも、AAAIやIJCAIといったトップ査読付き国際会議が、採択論文を全部無料で見られるようにする方針を取っている。日本人工知能学会だけ変えようとしても、「何でわざわざ国際的な流れに逆行するようなことをするのか」という人は当然出るだろう。

国際的な情勢も、分野によってまちまち。人工知能に近いところで言えば、KDD知識発見トップ査読付き国際会議)やICDM(データマイニング査読付きトップ国際会議)は、採択論文を見られないようにしている。

これは、他の情報系はACMという国際学会のSpecial Interest Groupとして活動しているが、人工知能系はAAAIという別学会になっていることも絡んでいると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

人工知能学会から返って来た人工知能研究者。例の論文の著者の1人とも知合で今回もご挨拶した。家族文系研究者あり。

多分理解されていないところをいくつか書く。

小説分析研究対象ではない。

これは工学論文なので、あくま分析対象フィルタリング手法であり、小説手法入力するデータに過ぎない。

文学研究と異なり、小説の内容については評価を下していない。あくまで、データにどういう文字列が含まれていると、手法がどういう影響をうけるのかについて分析しているだけ、という立場だ。

分析対象手法であって小説ではない。だからこそ、「有害」という内容について評価を下しているかのような表現不適切なのだと思う。

人工知能学会全国大会論文査読なし

人工知能学会全国大会論文査読なしだ。これは、人工知能学会けが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会査読なしである

ただ、その理由が「本会議ボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。

この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。

AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要査読付き国際会議にどれぐらい通したか研究者の業績が決まる。

まり英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメ論文は、国際的評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。

今回の人工知能学会も、多くの論文が、今年、同内容でどこか良い査読付き国際会議投稿された英語論文原稿を、日本語翻訳したものだ。

国内学会査読なしにしているのは、多様な論文を受け入れる意味もあるが、一番の理由は、査読者を確保する事が難しいからだろう。

査読者になるのは国際的活躍するトップの優秀な研究者たちだ。彼らの時間を、国内学会論文査読などに使わせてしまっては、国際競争力が落ちる。

ただ、一応、賞を出す制度があるので、全論文に対し、誰かが読んで評価はしている。

全国大会では学生普通に発表する

そういうわけで、全国大会で発表することに大した業績的意義がないので、学生普通に発表する。

企業研究者全国大会大勢来ているので、優秀な学生が入ればインターンに呼んだり就職勧誘したりする。

全文一般公開するかどうかは学会による

多分、今回問題になったのは、ここだろう。人工知能学会は、全論文PDF一般公開してしまう。

このあたりの対応は、情報系でも、国内学会によってまちまちだ。昔は、CD-ROMを配るだけで、CD-ROMを持っていないと論文が見られないなんて会議や、電話帳みたいな紙の予稿集を配っていた会議もある。

今は、会議参加者しか見ることの出来ない専用のサイトから論文ダウンロードさせる会議もある。

2017-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

この問題は「学会引用の仕組についてまったく知らないひとがここまでいるのか!」という点で興味深い話だよね。

大学全入時代とか大学進学率が半数とか言うくらいなのに、引用転載区別がまったくなかったり、修士学生が出て来るような国内学会発表に対して「論文としては……査読が……」みたいな発言が出て来るし、学会発表を一度でもしてるひとには常識なことを把握してないひとが多く見受けられる。なんだろう、その分野に親しんでいるひとの大学進学率が低いのか、年齢的に22歳未満が多いとかなのかな。

就職予備校としての大学なら高卒でも云々と少しは考えていたけど、研究学会引用あたりの話で前提が共有できていないのひとがこんなにいるのを見ると、大学進学率はもっと高いほうが良いよねーってなった。

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

記事を見ながら考えたこと。

今回の分野がどうだったか知らないけど、私が見てきた分野だと使ったものは閲覧日も添えてURL載せるべきだと思う。閲覧日は今回みたいに作者が引っ込めたら困るじゃん。困るっていうか、本だったら第何版みたいな話。あと他の人が"オラもやってみっぺ"ってなったら元データ必要じゃん。

ただ載せるべきだと思うからこそ、発表者側が「配慮」として作者に使用確認できればよかったよねとは思うよ。こういうデータの扱いについて、所属大学研究倫理指針としてどういう考え方を持っているか確認していないけど。

あと「学術論文」を前提とした話をよく見るけど、アレは「全国大会論文集」だろ。それを学術論文として話を進めるのはどうなの。雑に言えばレジュメじゃん。査読なんて入ってないじゃん。そりゃ、指導教員何やってたとは思うよ。筆頭が学生だし。M1ってことはおそらく卒論ベースの発表でしょ。URL載せるかどうかという問題以前に、ゼミ発表レベルで突っ込んでおいてよ、というところはあると思ったもん。

でも会場にいたと思われる人のツイート

猥褻とはなにか」「BLNL差異」が大真面目に議論される会場M. #jsai2017

https://twitter.com/lup2015bot/status/867246267000213504

ってあって「学術論文」になる前に揉めなきゃいけないところはもめてるじゃん。アレに対するツッコミがその2つだけかって言ったらそんなことないけど。でも学会発表の場なんて、時間制限もあるだろうし。





同人屋としての感情論を言えば、そんなわざわざ(無料はいえ)会員サイトまで来て掘り起こして研究に使わないでくれと思う。そりゃね。でも両手で足りるような会員数ではない企業サービスに何かしらの形でアップロードしておいて、一般に公開してない!って言うのは確かに無理があったなと考え直している。変な話だけど、今回学会に参加しただろう人数よりずっと多数のユーザーに公開していたのではないか

作品」が個人情報か、と言ったら心情的には個人情報に近いものはあるのかもしれない。twitterアカウントも載せてることも多いし。「作品」に紐付けられる形で、同一のサービス上に「個人情報だと感じるもの」を出してるのも、結果的不用意だったかもしれない。

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