はてなキーワード: 安倍内閣とは
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
政権交代あった当たりから第二次安倍内閣が終わるくらいまでずっと叫ばれてたんだよね
俺が認識してる中では、過剰な親自民が盛り上がったのは麻生内閣の時くらいだった
むしろネットでの政治への注目は2004年〜2010年がピークだったと思う
反中韓をポリシーに動いていた純粋なネトウヨは、第二次安倍内閣(2012)当たりでは既に興味を失っていた認識なんだが
反ネトウヨはそれから10年弱、反ネトウヨ・反自民・反安倍をポリシーに動いていたと思う
まったく気味が悪く、未だにこの人達の存在が解釈できていないのだが
後期はTwitterなどでは鳴りを潜めて、5chとはてな界隈くらいにしか残ってなかったけど
どうして安倍元総理以外には粘着しないのか、どうして安倍元総理にだけ粘着したのか、ただ飽きたのか
死ぬまでに知りたいことの一つ
いわゆる安倍シンパと呼ばれる人々は安倍晋三に「神」を求めていた。
意識してのことではない。
本人たちも気づいていない願望だ。
そして、どんな些細なことでも決して過去の過ちを認めようとはしなかった姿勢
これらすべて、人々が安倍晋三に神を求め、安倍晋三が神になろうとしていたことで説明がつく。
神道よりも創価学会よりも統一教会よりも上位の宗教、それが安倍一神教だ。
かぎりなくグレーに近い疑惑が噴出しようと、
国会でどれだけ嘘をつこうと、
神を疑ってはいけないのだ。
神は我々には理解できないことをなさるが、それは我々の理解が追いつかないだけだ。神が誤ることはない。なぜなら神は神だから。
ゆえに神は誤りを認めない。
だが神は評価されない。なぜなら我々不完全な存在が完全である神を評価することはできないからだ。
民主主義とは「人間は必ず誤るものである」という認識から出発する。誤るからこそ、憲法により統治者を制限し、三権分立によって相互チェック機能を作った。
それらは民衆による統治システムである。神聖安倍帝国にはなじまない。
遠藤周作の『沈黙』の中で、宣教師ロドリゴはひたすら神の福音を信じる。どれだけ厳しく弾圧されても、どれだけ理解されなくても、必ず神の福音は訪れるはずだと。
安倍一神教を信じた人たちの姿は、まるで神を信じ続ける宣教師ロドリゴだ。
どれだけマスコミやパヨクに攻撃されても、どれだけ神が国会答弁で支離滅裂なことを言って「沈黙」を貫いていても、神を疑ってはいけない。我々の理解を超えたところに神の真意はあるのだと。
彼の肉体は衰え、その不完全さを露呈するはずだった。
だが彼は死んだ。もう支離滅裂な発言をすることもないし、妻の暴走におろおろすることもないし、ゴルフのバンカーですっころぶこともない。
国葬とは何か。
これは「国家に功績ある臣下が死去した場合に天皇が指示して行う葬儀」のことだったが、
国葬令が廃され、天皇も主権者ではなくなった以上、戦前の「国葬」は完全に断絶したと言っていい。
直近の安倍晋三の「国葬」を除けば、戦後に行われた「国葬」は吉田茂の一例のみである。
その「国葬」は、国民が要請したわけでも、もちろん天皇が指示したわけでもなかった。
当時の総理大臣であり自民党総裁であった佐藤栄作の「強い意向」で決定されたものだった。
言うなれば「自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやったもの」である。
知ってのとおり、国会で決められたものでも、法律で定められたものでもなかった。
無理を通してやったから、野党への根回しに随分と苦労したらしく(でもちゃんと了承を得てるんだからまだ偉いよね)、
「国葬」の名を冠してはいるものの、「国葬」そのものではないので、正式名称を「国葬儀」として誤魔化したりしている。
極端に言えば「自民党内閣が国葬だと称する謎の儀式」にすぎなかったのである。
佐藤栄作が死去したときも吉田茂と同じく「国葬」が検討されたという。
しかしこちらは退任後3年しか経っておらず総理大臣としての評価が定まっていないことや(安倍は…?)、
国葬に法的根拠がないままだったこと、また野党の反対などもあり、「国民葬」という形となった。
簡単に言えば「国葬は政府がすべての費用を税金で賄うが、国民葬は一部を国民有志の寄付により賄っている」である。
税金100%だと反対が大きいから、寄付を募ることでちょっと税金の割合を減らして誤魔化す。
「国家儀式だから税金を使う」という手段と目的が転倒して「税金を使えば国家儀式になる」とでも思っているように感じるね。
大平正芳が急死したときに、特に「現職の総理大臣として亡くなったから」という理由で、「内閣と自民党の合同葬」という形で葬儀が営まれた。
以降、現職かどうかにかかわらず、自民党の首相経験者の葬儀を「内閣・自民党合同葬」で行うことが、しれっと慣習化したという。
こうして見ると自民党は、
と徐々に範囲をズラしながら国家予算の支出を正当化してきたように思える。
しかしながら、本質的に「自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやるもの」であるところは変わっていない。
たとえば不謹慎な仮定だが、民主党政権時の総理大臣経験者がたったいま亡くなったとして、
岸田内閣が(「国葬」でないにしても)その葬儀に国家予算を出すことはありえないだろう。
「国葬」「国民葬」「合同葬」などはどこまでいっても「自民党のセレモニー」でしかない。
にもかかわらず、「国葬」などと称することで、あたかも「国家の重大な儀式」であるかのように装おうとしているのである。
今回の「安倍晋三国葬儀の喪主=主催者を誰が務めるべきか」という問題の場合、
「国葬」が本当に「国家の儀式」なのであれば、安倍昭恵がつとめるべきではない。
(ちなみに安倍昭恵が「私人」であることは安倍内閣で閣議決定されている)
にもかかわらず喪主を安倍昭恵が務めるというのは語るに落ちている。
「国葬」がパブリックなのは「名称が国葬」「税金を使っている」といった表面的な部分だけで、
(しかし自民党支持者にとってはむしろ公私を混同したほうが良いのだろうなあ…根本にあるのが「安倍さんは頑張ったから盛大にお葬式してあげたい」という「私」マックスなお気持ちなので…)
正直、今回マスコミがこんなに統一教会に対して尻込みしている件については、自分も困惑している。
今まで、ネットで真実派の人たちがマスゴミっていうのを、そうはいっても裏どりして書くマスコミの情報のほうが、ネットでソースも曖昧に書き散らす人たちより信用できると思っていた。
なのに、前期高齢者の自分がこの目で読んできた新聞やニュースに書いてあることとは違うことを、テレビでコメンテーターが話している。
まずこれをベースにしよう。
https://anond.hatelabo.jp/20220712051434
1.「安倍晋三が祖父から3代にわたって統一教会の関係が深いことは事実」
岸信介と統一教会の関係性は、ソースはきちんと探せば過去の新聞記事などしっかりしたものが出てくるが探すのが面倒なので、
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220712-00305301
や
https://twitter.com/Booskachan_Ver2/status/1545938417825255424
が、思想傾向や党派性の違う人が勝共連合のあたりまではほぼ同じ内容のことを言っているので信じてもらえると思う。
安倍晋三自体の関わりは、NHK他メディアでも、統一教会のイベントに出した安倍晋三のビデオメッセージのニュースは報道しているのと、↓に出した被害者団体の弁護士の意見書があるので、自分は政治家と宗教団体の関わりとしては問題と考えるぐらい関係が深いと判断している。
これは昨日の統一教会の会見でそう回答されていたし、常識的に考えて信者にならないだろうから真偽不明だが恐らく信者ではないと思っている。
3.「統一教会が過去現在にわたって霊感商法などで信者を搾取しているのも事実」
被害者の会 http://e-kazoku.sakura.ne.jp/tk-higai1.htm
https://www.stopreikan.com/madoguchi_higai.htm
加えて、自分は過去の統一教会の霊感商法の被害の恐ろしさについて、新聞テレビで見聞きしていたし、大学時代にも周囲から警戒対象にする団体として教えられていた。
4.「統一教会が安倍政権下で公安の監視対象から外され(第一次安倍政権時)、名称の変更を許され世間の警戒を逃れられるようになった(第二次安倍政権時)のも事実」
2015年に名称変更したことは複数ソースが出てくるので事実。
公安監視対象から外れ、云々は、当然そんな発表を公安はしないのでアウトプットを比較するという方法でこの増田が2006年で公安レポートに統一教会の記載がなくなったと書いている。つまり監視対象外になったかどうかの真偽は不明だが、監視度合いが低くなったことは事実と推察される。
https://anond.hatelabo.jp/20220710213029
第一次と二次の安倍内閣の時期は自分でググってもらいたいが、時期的に上記の年と合っている。
統一教会以外の要因で崩壊したのではない?と考えることもできなくはないが、自分が若いころ見聞きした事例+↑の被害者情報でも山上のように統一教会で一家離散の事例は多い。
8.「山上が統一教会との関係をもって安倍に対して憎しみを抱いたのも事実」
青汁に親を殺されたら青汁宣伝しているタレントを憎むのと同じと考えれば、事実。
以上、大体事実と考えていいという整理になったわけだが、問題はこの後だ。
今、真偽が不明なのは、4の安倍晋三の関与度と、山上供述の「統一教会は、安倍と関わりが深い。だから、警察も捜査ができないんだ」の真偽だ。
「安倍さん(自民党)と統一教会はずぶずぶだった」と主張しているのは、宗教団体の広告塔になる行為自体が問題と思う人もいるが、これらの特別な扱いを統一教会にしたのではないかと思っている人たちだ。
この真実は今素人が調べてもわからないので、自分の頭で「あり得る」「ない」「判断保留」を決めるしかない。
自分はやや「あり得る」派だ。理由は森かけ桜と昏睡レイプ無罪の情報から、安倍晋三は法を超えても身内に便宜を施す政治家だった可能性が高いと考えているからだ。
もう一つの「大手マスコミは統一教会に配慮して情報を絞ってる」は、歴史的な事実である1と3をきちんと報道していないので、その通りだと考えている。
575川柳
ようするに、定番の各局放送スクショくれ、という話じゃないんだが、
空気を大切にする感覚、あるいは、一斉に同じ方向を向こうとする感覚、
この日本人の底に流れている感覚ってどうしたら克服できるのかな、と考え込んでしまうわけだ。
https://twitter.com/ochyai/status/1545282099963625472
政府で働く人の悪口をみんなで言うと,その悪口を聞いた誰かが,日本を良くしようと思って銃でその人を撃ったりするんだよ.その人が撃たれた後にみんな暴力はいけない断固として許せないって言うんだよ.言葉の使い方は気をつけようね,みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね,メディアも個人も.
主語と述語を入れ替えたら、戦前のぜいたくは敵だ、というスローガンとなんら変わらないメンタリティ。
このツイートをみて、表現の自由について少しでも考えたことがある人なら、すぐさま、この発言の危うさに気が付くんじゃないかと思う。
「政府で働く人の悪口をみんなで言う」空気への落合氏の懸念は、「みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね」という形で、一億総ざんけにつながってゆく。
しかし、こうしてあるべき「みんな」がひとつのツイートに4回も強調され、プレッシャーになってゆく社会の危うさに気が付いていても、あるいは
表現の自由が脅かされると気が付いても、
残念ながら、というか、ひとたび憲法に結び付けて議論するやいなや、普通の人の感覚から離れたズレた議論になってゆく。
日本の憲法学は腐っているので、公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じてもほとんど生産的な議論はできない。
むしろ、ただ単に、ヤバいぞ、と気が付くだけで正直、十分なのだ。その感覚は戦争中に起きたことなど過去の思い出から引き出されるものかもしれない。
戦前の痛みを受け止めていれさえすれば、それが原点となる。共有できる、歴史という思い出が必要なのだ。
しかし、実のところ、それも心許ない。
増田でこれ以上、脱線した演説をしたくはないのだが、ひとつだけ俺が好きなアメリカ連邦最高裁の判決中のフレーズを置いていく。
空気がときには言葉の不協和音に満ちていることは、弱さではなく強さを表している。
COHEN v. CALIFORNIA SUPREME COURT OF THE UNITED STATES 403 U.S. 15June 7, 1971
アメリカの最高裁で意見が書かれる時には、建国時の200年くらい前の精神をふりかえって書かれることがしばしばある。
この不協和音という言葉も、フェデラリスト81論文(1788)で、A.ハミルトンが書いたとされる、「多くの関係者の不調和は・・討議を進展させるであろう」という言葉に源をたどることができる。
アメリカ建国当時のJ.マディソンは、民主制を擁護すればするほど、多数の圧政を招き、民主制の基礎を掘り崩してしまう、民主主義のジレンマに強い問題意識を持っていた。
落合氏のツイートのような、この空気感が、民主主義をどう動かすかを想像し、多数の圧政を招くメカニズムの克服について考えなければならない、これがマディソンの問題意識だったといっていい。
多数決のもたらす結果を克服しつつ、いかに民主政治を適切な方向に管理・誘導するか、これが匿名論文として執筆されたフェデラリスト論文のポイントだった。
空気の多様性を擁護する、ということのアメリカ的な原点は、ヨーロッパでの苛烈な宗教的な対立にさかのぼることができるが、建国に至る思い出が憲法起草に反映され、代々引き継がれてゆく。
このように、歴史というのは憲法上の原理を考えるうえでとても重要で、原点となる記憶が、その時々の重要な判決で繰り返し呼び戻され、継承されてゆくことが必要なのだ。
憲法の考え方をさかのぼってたどっていったら建国者にたどり着くアメリカと、たどっていっても芦部や清宮の古臭い基本書で行き止まる日本との違いを思う。
日本では、というと、やはり戦前、戦中になにが起きたか、ということをしっかり心に刻むのが重要だと思う。
というか現在の日本社会を方向付ける、歴史という思い出が、それ以外にない。
戦争体験にこだわらず、つくる、という発想もまあ大切かもしれないが、
自民党起草の憲法改定案のように大切な原点となる体験をなかったかのようにしてしまおうとする動きには警戒する。
しかし、原点があったとしても、それを頼りに、社会を同じ空気にしてはいけないと、どこまで切実に思えるか。ここに日本社会の弱さがあるようだ。
安倍さんは、日本の政治を大きく変えた人物。安倍さんだけのせいではないが、小泉構造改革以降、正直、あまりよくない方向に日本が進んでいったと思う。
首相官邸の強化は小泉さんの置き土産、そのおかげで恩恵を受けた第一次安倍内閣から、随分と政治と官僚との関係も変わった。安保法制も最悪だった。
先ほど述べたような憲法改正のその動きの先頭にたっていたのも安倍さんだった。正直、あまりいいことを思い出せない。
哀悼を表する。
決算発表やアンケートで円安が自社の業績に悪影を及ぼすと回答してるニュースなどを一切見なくても
会社へ行ったりお買い物したりフツーに生きてるだけで感じ取れそうなもんだけどな
なんていうか、日米金利差・ロシア・ウクライナ情勢・ハイテク株の決算どうこう以前の話なのですわ
そもそも自称保守もネトウヨも自民党に親でも殺されたのか?って人たちも
是非はともかく彼らがやってたのはMMTだぞ
MMTじゃないもん!がわくけどシンクタンクも証券会社もMMTだって評価しているし
そもそも元総理大臣本人がMMTだといってるし、黒田日銀総裁もMMTと似ている()ことは認めている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220119/k10013437951000.html
ブコメから適当にピックアップ、ネタっぽいものは除外しました。
id:BigHopeClasic 積雪を妥協すると旭川マジおすすめ
軍都に選ばれた経緯もあり良さそう。
ただ、観光に行った真冬の夜にホテルの外に出て、本当に生命の危機を感じた記憶が…。
id:mitimasu 復興になる。
1000年の実績あるから良さそうだけど、歴史的建造物含めて土地がなさそう。
id:casa1908 象徴である富士山もあるということで
id:otoya_kyo 象徴である富士山があるのは山梨だが?
id:kumonoko 災害が少ない場所
id:edechang 日本の首都移転先は富士山より西側かつ内海で、新幹線と空港の両方がありつつも人口密度が高くないところが良いと思う。…岡山?
id:triciax 災害が少なく、新幹線の止まる
しかし、歴史を見ても選ばれることが少ないような。なにか理由があるのだろうか?
災害だけ考えるなら立川が現実的だけど、首都移転とは別の話か。
id:sds-page 首都機能だけ長野あたりに移せばいいんじゃね
政治も似たようなもんでしょ
本当は自分が支持する政党の内閣や知事がベストだけど、そうじゃなくても支持するって人は結構いるよね
小池都知事は自民党支持層にも立憲支持層にもかなりの支持者がいる
(自民支持層の70% 立憲支持層の58% 2021年6月 朝日新聞調べ)
安倍内閣を支持する民主党支持層は一時期36%もいた(2012年12月 朝日新聞調べ)
リベラルが立憲の方が良かったというのはわかるし、そう主張するのは当然だろうが
いついかなる時でもリベラル以外を少しでも支持した者は敵とみなす
そりゃ嫌気が差して離れていくのは当然でしょう
立憲民主党の「この国に生きるすべてのあなたへ」というのが、はてブで盛り上がってるから見てみた感想
https://change2021.cdp-japan.jp/100movie/
以下、枝野議員のビデオメッセージを『』で示し、⇐で所管を書いていく。
『あなたの仕事は日本を支えていく仕事です』『官僚と政治家はパートナー』『官僚は奴隷ではありません』
⇐まぁ誰に聞いてもこう言うよね。でも、民主党議員に風が吹いてた頃、罵倒された挙げ句「悔しかったら当選してみろ」と言われたのは忘れてないよ。
⇐官僚の長時間労働の原因は国会・予算・法律なのは枝野議員なら知ってるよね。で国会対応の大変さってのは与野党問わず、①根回し、②国会答弁対応の2つに分かれる。①にしろ②にしろ、立憲民主党議員がこちらの負担に配慮してくれてると感じたことは少ないよ。個別の少数の議員は、質問通告をギリギリにしないなどしてくれるけどね。
今立憲民主党の幹部になってる議員が日曜深夜に提出した質問通告「日本の内政について」「日本の外交について」は半ば伝説になってるよ。役人は金曜から泊まり込んでこれを待ってたわけだけどずっこけたね。
民主党政権の時に「民主党に従えない官僚はクビです」って宣言してたけど撤回でいいのかな。まぁ枝野議員は「『政治主導』なんてうかつなことを言ったら大変なことになった」「与党がこんな忙しいとは思わなかった」って反省の弁を述べてたけど、党としてそういう見解なのかな。
⇐そもそも政治主導を強硬に主張してたのは旧民主党で、内閣人事局も成立は安倍内閣だけど原案は旧民主党政権時だったよね。それは間違ってたってことでいいの?
というか内閣人事局ができる前は幹部人事は大臣及び族議員の了解がないと成立しなかったってのも枝野議員なら知ってるよね?つまり、現場としては人事権が族議員から官邸に移っただけって感覚。
で、族議員によっては役所案に口をだす人も居れば善きに計らえって人もいただけの話。
全体を通して総花的で美辞麗句に彩られてるけど、「何を」「どうやって実現するのか」に欠けてる印象がある。
政策決定ってのはどうしても利害が絡んでその調整が必要なのにその難しさから逃げてるって感じ。
民主党政権時代に、民主党の連れてきた某省顧問が退任の際に「政府が動けば金も人もすぐにつくと思ってた。実際は、どの省庁もそれぞれが抱える重要な課題について優先順位を付けて動いていて、こちらの言い分(例えば生活保護の拡充とか)を通せば、一つ重要な施策(インフラの補修とか)ができなくなる。それをようやく理解できた」って言ってたけど、そこからの成長を見せて欲しい