はてなキーワード: 映画監督とは
A:マジの素人。
モデルやグラドル、歌手などそもそも喋ることが仕事じゃない系。
ボソボソ喋るし棒演技だしキレそう。てかこいつら素人じゃねぇか。
ニュースキャスターや芸人、アイドル、映画監督など演技をメインとしない系。
シュレック浜田やワゾウスキ田中、ロケットラクーン加藤などハマることもあるので注意が必要。
主に俳優など実写演技をメインとするが声優活動は行っていない系。
ハマることもあるし、ハマらないこともある。
声優事務所に所属しなぜか実写で歌って踊れるユニットを組まされる系。
ハンコ演技はそれなりにこなせるが、こいつ前もいなかったっけ?別の奴か?ってなりがち。
花澤香菜とか悠木碧とか早見沙織とか深夜アニメから出てきた系。
いつの間にか中堅声優になっていて一般アニメでも見かけるようになってきた。
ずーっとやっててすごい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masato009/status/1533376068325089280
河瀨直美ってどっちかっていうと出羽守(フランスで賞もらってるから)だったり、個人的な映画だったりするのでリベラル系に評価されてる監督で右翼とは全然違う系統だと思ってた。
でもオリンピックでドキュメンタリーを引き受けたからまるで体制翼賛、極右の映画監督じゃないかって左派系の人に批判されてる認識だった。
それでコメント見たらなんかもうしっちゃかめっちゃかでわけわかめなんだが。
皆、河瀨直美をどういう人だとみてたんだ。
2012年5月9日、西方凌と自身4度目の入籍(西方は初婚)[4]。
西方との馴れ初めは、映画『ニセ札』の監督と女優としての出会い。
公開直後の2009年4月に交際発覚。同時期、西方は木村と同じ吉本興業所属となっていた。2011年10月26日収録、11月7日放送の日本テレビ系『芸能BANG!』で、2人そろって出演し、翌年に結婚することを発表した。婚約指輪も贈っており、番組では木村の大ファンだった西方から熱烈なアプローチをして交際が始まったことや、西方から何度もプロポーズしたエピソードなども紹介。また、西方姓を名乗っているという報道があった[5]。
例えば「性犯罪の疑惑がかかった映画監督」とか、ふつうに被害を告発した女性が全面的に正しいことを言っているかのように決めつけ、ものすごい初手の段階から性犯罪が事実と確定したような叩きが頻発していて、それなんらかの間違いがあったらどうすんの?ってどうしても思ってしまう。百歩譲ってここで間違いがあったら自分はそのことを全力で後悔し謝罪し拡散し続ける覚悟をもってやってる、というわけでもなさそうだし、仮にまあそうだとしても「一方の人間からの話があっただけで、初期の段階からもう一方を犯人と決めつけ叩く」が正しいとは思えん。
なんかこう、自分が間違っている側について、無辜の人間を糾弾してしまっている可能性があるから怖いとか、一瞬たりとも思うタイミングがないんだろうか?
湖東記念病院事件・国賠訴訟 無罪女性「一刻も早く証拠開示を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f14bc73effbaba3a2f207ab8112ed77213aa2b95
あくまで容姿に恵まれて男の性欲の対象となってAVに出たり妊娠をしたりするという、こっちから見たら全然弱者じゃないし十分強者な女性ばかりを弱者女性として扱って積極的に話題にするのに苛立つ
アンチフェミが真に「フェミだんまり」として糾弾すべきなのって、園子温のような映画監督の不祥事よりもこういう話題だと思うんだけど。
普段冤罪にやたらめったらに神経質になる人達が、殺人の冤罪という重大な冤罪被害に対しては何故か無関心。
4630万円誤給付 男性の代理人弁護士「現実的に返還は難しい」 | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220516/k10013629301000.html
この件もひどいけど、公職選挙法違反で当選したのに歳費を返還しない河井夫妻とどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。
????
なんで突然に河合夫妻?
今回の件となんの関係があるの?
記事本文のどこにも「河合夫妻」の話題なんて出てないし、ブコメ欄で河合夫妻について喧々諤々の論争になってるわけでもない。突然このブコメがついて、160もダントツのスターを集めてる。
さらにいえば歳費の受け取りは議員としての地位で働き正当に受け取ったもの、今回のは何ら契約に基づかず相手の誤った行為によって偶然に得た不当利得、事象自体も全く違う性質の話。
なにこれ?
映画監督の性的加害報道のブコメ欄で、「でも選手団会長だった橋本聖子が男性選手に強引にキスしたのどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。」なんてブコメがついたら、みな「そうだ、その通り!」とスターつけるん?
列車内での痴漢が多発してるって報道のブコメ欄で「でも強姦事件とどっちが悪質かっていったら圧倒的に後者だとおもうなあ。」てブコメついたらスターつけるん?
「は?なにいってんのこいつ?今の話とそれ何も関係ないじゃん。頭おかしいんか?」て白眼視してスルーして終わりでしょ。
河合夫妻~にスターつけた人たち、それと全く同レベルのブコメなの自覚してる?
高年齢向け漫画にありがちな、平凡的というかのっぺりしたルックスの中年以上の登場人物が現実的な世界観で過ごす漫画。
漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように、非現実的な美少女やイケメンを出せることだろう。
あるいはシグルイみたいなアクロバティックな構図で魅せるようなことではないか。
(スナッフ映画だと偽物っぽく見えるみたいなのも漫画だと漫画として見てるからリアルに感じるという効果もある。一般化すれば物理法則とかを非現実的に描いても漫画なら漫画だからで済ませられるという効果か。普通の登場人物が普通のことをする漫画はこの効果すら活かせていない)
高年齢向け漫画にはそのどちらもない。釣りバカ日誌みたいなのが典型。あれ作者自身師事してた漫画家に下手だから漫画家の道には進むなって言われてたようだしね。
やっぱヘタウマみたいな概念でゴタク並べてみても、漫「画」としてのうまさ下手さは結局登場人物の容姿を魅力的に描き込めているか難しい構図を正確に描けているかのどっちかに尽きるわ。
高年齢向け漫画はその両方から逃げている。俺は逃げていると表現したが、作者的にはプロットで魅せたいという心意気なのだろう。
でもプロットで魅せたいならドラマでいいじゃん。っていうのが俺の考え。なんか間違ってるか?
映画監督が夢だったような奴が経済的に無理と諦めて金がなくても映像作品と同様「物語」で楽しませられる漫画という媒体に逃げたようにしか見えんのよ。
だから俺は高年齢向け漫画は読まん。青年誌かTLまで。ドラマは見るけど。
dorawiiより
「たわわ」がNGで、園子温が無罪になる、フェミニストの不都合な真実
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417
lacucaracha
無罪なんて言ってるひと見たことないが、単に『100%有罪なので語るべきものがない』だけでは。
擁護する相手もいなければ戦う必要はないが、たわわは『触れてほしくない』と思う人がいることこそ戦う理由なんでしょ。
2022/05/07
なんじゃこれ?
直筆の謝罪文とされるものが公式サイトに掲示されているが内容はこんなんだ。
http://www.sionproduction.com/
この度の2022年4月5日発売号の週刊女性の記事におかれましては、関係者の皆様にご迷惑とお騒がせをしてしまいました事、
また作品を見てくださった視聴者の方を含め、皆様にお騒がせをしてしまっていることにつきまして、深くお詫びいたします。
映画監督としての自覚のなさ、周りの方々への配慮のなさを自覚し、今後のあり方を見直したいと思っております。
しかし、今回の週刊誌報道の記事については事実と異なる点が多く、
自分自身以外への関係者にも多くのご迷惑がかかっていることを考慮し、
この度は多大なるご心配とご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
二〇二二年四月五日 園子温
わかるな?
・変な記事が出ちまって自分の関係者・作品視聴者をお騒がせした。
「報道」って言い方してるけど報道内容は声上げた女優達の告発なんだだから
要するにあの女たちが嘘ついてるって言ってんだ。
はあ~~~~あ?
未だ双方の主張が正面衝突してる状況だから、
園の主張が正しく告発側が嘘ついてましたって可能性も残ってるわけだが。
lacucaracha や☆入れた人達は何をもって「100%有罪」としてるの?魔女裁判かよ?
全然「100%有罪」なんて決まってないし、真相なんかまるで究明されてねーんだよ誰がどう見ても。
日本映画界を代表する大監督園子温がパワハラセクハラ性関係強要をずーっとやってて周りも黙認や加担してたのではないかという
事実なら超悪質で日本社会の古い宿痾にして非アップデートそのものみたいな事件が勇気出して声上げた女たちによって明るみに出て
さあ事実なのかどうなのかという余罪はねーのか協力者はどこまで広がるのかという局面だわな!
全てはこれから、超超注目していかなきゃいけない事案じゃあねえのか????
「もういいんだ、語る必要はないんだ、はい終わり終わり―」って言うお前等のその態度、どゆこと?
園については語らない、語りたくないって言う自分達の一貫性欠いた姿勢や感情を説明するために
「もうすべて解決済みだから語る必要ないんだもん!」って言い訳を思い付きで口走っただけだろ?
主張の恣意性や偏向性を突っ込まれたらその釈明の理屈もまた思い付きそのまま口から出す。
そうやって常に何のチェックもせずに喋ってるから
「告発が出た、被告側が徹底抗戦姿勢示した、って段階の疑惑が100%有罪確定で解決済み」だとか
「日本映画界の超大物監督によるまるで未解決の悪質なセクハラ・レイプ疑惑が語る必要もない些事」だとか
繰り返すが、
仮に告発が真実なら園もその周辺もそれを許してた映画界全体に至るまでとんでもねえ話だろうが。
セクハラやパワハラや枕営業を強要された女優やそれを断って冷や飯食わされた女優どんだけいるんだ?
そんなことするやつらは女優に限らずもっと弱い立場で頑張る女性スタッフにも何してるかわかんねえな?
しかも園は全然裁かれてないどころか謝罪すらしておらず居直りながら鎮火を待ってる(「謝罪文」の相手は”ご心配ご迷惑をかけた皆さま”だ)。
現実に枕強要されたりキャリア潰されたりしてる女の怒りや苦しみはどうでもいいわけか?
十代美少女描いて楽しむキモオタは許されざる社会のエネミーだが
立場を利用して女に嫌がらせや性行為を要求する強い男は問題ないわけだな?
こうやって聞いてやれば気まずそうに「いや問題ないとは思ってない…」ぐらいはゴニョゴニョと言うのは分かってる。
でもお前等がキモオタに向けてなら0秒で発火するいつもの怒りや嗜虐心が
園みたいな男には全然湧いて出てこないんだろ?
リベラルの良心たるハフィントンポストもこの件に触れる記事はゼロだ。
普段見せている女性差別に対する高い感度と見識は急に品切れになったみたいだ。
それまでなんども園を持ち上げる記事載せてたのに、疑惑自体を報じる程度の道義心すら湧かないらしい。
柔軟性に優れて恣意性豊か、
硬直した一貫性などに持たず天真爛漫
あくまでハッとして感じる瞬間のセンセーションで正邪が決まる取り組み
なわけ。
「私の素朴な気持ちと直感でいともたやすく社会を良くしたい」という憎悪と怒り。
データ出されるの大嫌い。データは私の直感や欲望に敬意を払ってくれないから。
発する言葉を最小限にし、威嚇と居直りで世間に出る情報を抑えて息を殺してる。
非常に賢いやりかただ。
これがうまく行くのは
「語るべきものがない」などと言いながら話題にすることを否定し牽制までしてくれる市井のリベラルの方々、
完全ダンマリ追加報道なしを決め込む報道機関の方々(普段なら女性差別に感度の強いリベラルメディア含む)、
皆さまのご理解協力があってこそだ。
こうして「語らない自由」「報道しない自由」によってまんまと疑惑の鎮火・風化が進めばどうなるか?
告発は無になり、白黒つかないまま全てが落ち着き、権力持ってる側の勝ちで確定するわけだ。
いやーこれでもし告発が本当で園が悪質な性行為強要常習犯だったら大変だな!
多重レイプ犯やその共犯者たちを逃げ切らせて、やっぱりあれぐらいやっても大丈夫なんだと思わせて、
勇気出して声をあげたレイプ被害者達を「お前等の声なんか無なんだよ?」って言いながら殺すわけだ。
『語るべきものがない』と抜かして口を拭ったお前ら一人一人がな!
でも全然気にならなーい
そこをつつかれたらイライラした被害者ヅラで「語るべきものがないだけ!」と逆切れまでするー
あくまで問題は女の子の絵や漫画を描いてるキモオタどもなんですう~~~
社会に悪影響があるに決まってるんです! エビデンス?そんなもの要求するな!
以上見てきた通り
もうわかってんだよなあ。
だってあいつらは我々が若い頃ならいくら攻撃してもいい被差別階級だったのに!
そういうあれだろ?
黒人にシビルライツが与えられたの見て震えてた南部の白人の正義の怒り
お前らを突き動かすモチベーションってそれだろ?
メチャクチャむきになってキモオタに執着して叩こうとするのが大概40代以上なのな。
彼等彼女等は若い頃に「オタクなら幾らでもイジメてもいい」という相場と快楽を刷り込まれててそれが忘れらんない。
影響が証明されないキモオタ漫画の100分の1ほども触れる気がない。
もちろん掲げてる「サベツハンタイ」のお題目からすりゃ矛盾だらけなので
突っ込まれると「もう有罪と決まったし(嘘)」「語るべきものがないだけ!(大嘘)」「それよりキモオタガー(絶叫)」
https://anond.hatelabo.jp/20220506182417
邦画業界が改善されずに腐ったまま落ちぶれていくと言う事だからね。
是非このまま崩壊していってほしい。
40歳を越えてから初めての小説を出版し、さらにそれから3年以上の時が経過した
あれから唐突に地球を半周したり、なぜかいきなり九州の工場に働きに行ったり、いまさら結婚したり、唐突に3DCGを勉強したり、いろいろやった。
なんだか基本的に迷走していた気もする。
最近になって、前作を気に入ってくれた方から原稿を頼まれた。忘れ去られてないだけでもありがたいことだ。
少し苦労して、自主的に書いていた時は完成しなかった短編をなんとか書き上げた。どうやら締め切りがないと書けないタイプらしい
書き終わって原稿をメールで送って一息ついたまさにその日の朝、書いた話とまったく同じアイデアの漫画がwebで公開された。
ういてるふたり
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496895224892
あわててTwitterに、「ネタかぶりした」とアリバイ投稿をする。こういう時、内容の修正ができないTwitterはありがたい。
それにしても、タイミングが悪い。
実は前作も、ネタが被った。
応募しようと思っていた小説コンテストの投稿締め切り1ヶ月ほど前に、「世界中が突然長期間停電してしまう」という自分の小説とほぼ同じネタの映画「サバイバルファミリー」が公開されたのだ。
映画の内容次第では、応募すらできないかも。と、戦々恐々としながら劇場に見に行った。
結果としては、大丈夫だった。題材は同じなのだが、書き方が違う。ある部分では負けているが、ある部分では勝っている。
具体的に言えば、世界停電の理由付けやリアリティの部分では勝てた。
コツコツ調べて積み上げた小説内のディテールが、「これを世に出しても意味がないのではないか」という思考から自分を守ってくれた。
今回の漫画を読んだところ、今回も同じことが起こっているように見える。
食材は同じだが料理法が違う。そんな気がした。まあ自分の作品ゆえの贔屓目なのかもしれないけど。
世間の大体の創作は、おそらくアイデアレベルではオリジナルじゃない。
有名映画監督や、「○○節」と言われるような独自の歌い方をする歌手など、作風、芸風を極めた場合、ひょっとしたらどんなアイデアでもオリジナルの作品として消化できるのではないだろうか。
わかりやすい例えでいうと、「シン」シリーズ(シン・ゴジラ以降がまだ未公開なので庵野監督が成功パターンが作れてるかどうかはまだ謎だけど)。
これはむしろ福音ではないだろうか。もし世にある様々なアイデアを自分流に作り直してオリジナルに消化できる、ということなのであれば。
後出しが遅ければ遅いほどパクり認定されやすいのでは、という考えで、早々に公開することにした。
こうやってここに書くのも、なんだか言い訳がましいなあ、と自分でも思う。
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
こっちに移動
筒井康隆の短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊(昭和45年)」がある。
女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性が革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。
一方くたばれPTAの方はSF作家が教育上不健全な漫画ということで出版を規制される話である。
どちらもフェミニストやPTAに否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)
さてさて、私が気になったのは現在のフェミニストの主戦場「不健全な表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。
昔のフェミニストは女性の地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである。
女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニストを表現していた。
(筒井氏はフェミニストの当事者ではないため、認識が不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)
対して今のフェミニストは表現規制が主な活動のように見受けられる。
最近の活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判や献血でのキャラクター利用などだ。
現フェミニストは昭和のフェミニストより、昭和のPTAの方が近いのではないか。
ここで「PTAは漫画やゲームといったものを全般に不健全としたが、フェミニストは女性を性的搾取した媒体のみを不健全と定義しているため異なる」といわれるかもしれない。
明治自体においては小説は不健全なコンテンツであったが、昭和、平成では高尚な芸術だ。
漫画やゲームの昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本を代表するカルチャーになっている。
そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロと解釈された「萌え」ということになる。
フェミニストもPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。
PTAは家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。
近い思想は青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原元都知事は右派の人間だ。
つまり、国家社会のために不適切なコンテンツを抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である。
一方フェミニズムは女性を社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。
どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。
ややこしいので、以下では昔PTAで表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。
つまり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、
「表現規制」という思想を社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。
こうすると現在の表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。
ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督の性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。
表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ。
というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。
表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。
なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人の問題なので分からないが、
自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。
その不愉快に社会的正義を見出してバッシングするかしないかの違いである。
ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。
これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。
未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。
このハードルを越えられなかった表現規制派の女性に親和性が高かったのがフェミニズムだ。
フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。
地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚も出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。
そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。
フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。
よって現在の思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれてしまったと考えられる。
こうして表現規制派が無理筋な批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。
昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。
このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合、
表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。