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はてなキーワード: 映画監督とは

2021-06-20

追記した」好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて

追記 

たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。

教えてもらった映画の中で観た+好きなのは

トイレット」「百万円と苦虫女

作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田はてなも親切な人ばかりで素晴らしいな

追記ここまで

好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて (みての通りニワカです)

敬称略

森田芳光

荻上直子

西川美和

内田けんじ

山下敦弘

青山真治

竹中優介

新城毅彦

統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光荻上直子山下敦弘など

すごいエログロホラーあんまり。 

特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?

アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメ最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン91daysジョーカー・ゲーム

ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。

好きな監督湯浅政明今敏


何も考えず大好きな映画邦画)羅列する

(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部

「めがね」かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし

サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ「ゆれる」花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ「好きだ、」「3年目のデビュー

ご覧の通り2000年代ばっかです。

映画趣味は周りにいるんだけど似た好みの人がいないどうしたらいいんだろうか。

破壊屋さんのツイッターとかブログとか見て情報収集してる

2021-06-11

anond:20210610193805

こういう事

DJなんてCDレコードをかけてるだけじゃん!!って思うかもしれないが曲を沢山聞く、色々聞くことは良い作曲家に繋がる

 

 

 

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2021-06-07

anond:20210607224820

まあねー、たくさん摂取して自分の好きを見つけられるといいよね

しかエド・ウッドかいう最強の映画監督は熱意だけで語り継がれてはい

クオリティーは…察しだしね

anond:20210606213802

芸術家は、あなたが今まで欲しいとも思わなかった「何か」をあなたに与えてくれる人です。それは、知る以前には欲しいとも思わなかったけれど、一度知ってしまったら、次回からは欲しくてたまらない「何か」です。”

デビッド・クローネンバーグ映画監督

http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/magic/singen/si_cronenberg.html

2021-06-06

anond:20210606095940

実際舞台装置って金かかるし

幻想的な表現とかするならアニメのほうが安上がりって結構昔に読んだ

世の中の映画監督気づいてくれ〜〜〜〜〜いやまじで

2021-06-01

anond:20210601182828

2009年愛知県で起こった、男子生徒女性教師流産させる目的給食に異物を混入させた事件モチーフとして、

加害生徒の性別女子生徒に改変した設定の『先生流産させる会』という映画を、内藤瑛亮という男性映画監督が撮るくらいだから

この映画を観て、実際の事件も加害生徒が女子生徒であったと勘違いしたままになっている愚者もいて、男性の策略は大成功と言えるね

女性悲劇に見舞われると事実を捻じ曲げてでも「女の敵は女」という解釈に嵌らせようとする男性が必ず現れる。本当に、さすが男性!という感じ

2021-05-17

anond:20210517205623

黒澤明環境心理状態を表すのが好きだったからだよ

当然、悲しいシーンでは雨が高い確率で降ってる

そのフォロワー映画監督どもが手あかのついた演出をこれ見よがしにやってんの

しかハリウッドでさえ、黒澤は無視できないからこの演出大好きという まさに病理

2021-05-12

anond:20210512100808

レベルEの高評価は、外国映画監督黒澤明に感銘を受ける話と同じで、格好をつけているだけ

特定作品特定作家固執しない、漫画文化全般の古くからファン自称したい人が高尚ぶっているだけ

2021-04-19

監督とかそんなのどうでもよくない?

女の映画監督が少ないことがいったいなんの社会問題になるのか理解できない

女だろうが男だろうが映画を楽しむ側からするとどうでもいいし監督オカマでも同性愛者でも全然どうでもいいし

10代の監督でも90代の監督でも本当全然どうでもいいんだけど

2021-04-14

anond:20210414111529

それが現実でどのくらいありえるかの体感東京大阪で差がありそう。

読書家のビートたけしと本を読まない松本人志の違いが典型的

本業お笑いじゃなくて、映画監督ニュースコメンテーターなどに未経験者として参入するときスタンスの違いね

2021-04-05

お花見に参加しました

スタイルの癖を隠すために再翻訳され、さらテキスト意味復元する程度に修正されています

私は大阪に住んでいるのですが、3月末、仕事が終わって買い物をしていると、近所の人に会い、「今日公園お花見に行くんだけど、一緒に行かない?」と言われ、思わず「えっ!」と思いました。吉村だって第4波だと認めているのに、何を言っているんだ?非常識だと思いましたが、近所の人たちもみんな来ると言っていましたし、お世話になっていたので、断るとややこしいことになると思いました。ジャイアンリサイタルの誘いを断る勇気のある人はそういないだろう。今思えば、「今日は友人と電話約束があるので、......」というのがベストな答えだったと思います。当時はそんなこと考えもしませんでしたが。また、正直なところ、私は料理上手な彼の美味しい料理を久しぶりに楽しめることを期待していました。

とにかく、私は愚かにも彼に付き合ってしまったのである。彼の言うとおり、近所の人たちがほとんど集まっていて、予想通り、食べ物はたくさんあった。桜は満開ではなかったが、ちゃんと咲いていたし、我々のような馬鹿集団は他にいなかった。公園椅子が空いていたので、せめて距離をとって静かに食べようと安心していたのですが、いつの間にかマスクを外した主催者が桜の近くにブルーシートを敷き始めていました。そうそう、そうなんですよ。こんな時期に近所の人たちを招いて花見をする人は、コロナ対策ちゃんとしていないのだ。

しかし、それにしても、近所の人たちのほとんどが本当にそこにいるのだ。どことは言いませんが、近所に大学があって、若者がたくさんいます無名お笑い芸人、お騒がせな自称映画監督、ユニバのスタッフもいる。最近特にお金に困っているらしいので、彼らは食事をするチャンスを逃したくない。医師国家試験合格したばかりの幼馴染とその両親(医師看護師)を見つけたときは、勘弁してくださいと思ったが、今さらコロナ理由に断るのはもっと大変だと思い、すべてを諦めた。自称監督が撮った集合写真には、4人どころか10人以上が写っており、料理を前にしてマスクをしている人はほとんどいない。料理をつまむ箸がないので、直箸で食べることになる。

それでも、ほんの少しだけだが抵抗してみた。マスクをして、黙々と逆さ箸で料理を皿に盛り、小さなブルーシートを出て、公園のベンチで(つまりブルーシートに出入りするたびに靴を脱いだり履いたりしなければならない)、口元に持っていくとき以外はずっとマスクをして、静かに食事しました。こんなことをしていたのは私だけだったが、喫煙者の中にはタバコを口実に距離を取ろうとしている人もいたようだ。前述の医師とその家族は、全員がアルコールスプレーを常時携帯しており、その習慣を知っている私も常時携帯し、動くたびにスプレーをした。

すべての料理を一通り食べ終わった後、一人が帰ることになったので、私も一緒に帰ることにしました。それでも1時間半ほど滞在しました。帰宅後すぐに、手洗い、うがい、スプレーシャワーなどをして、まるで風邪を引いたかのような格好でベッドに入りました。

幸い、私は4月から自宅で仕事をしているので、まだ一人で家にこもっています。その気になれば、すでにあと3週間は持ちこたえられるだけの物資を持っているし、食料品をオーダーすれば、さらに長く居座ることができるだろう。昨年から続けているように、滋養強壮の薬をおまじないのように飲み、毎朝体温を測り、花粉症の症状をコロナ可能性を気にしながら過ごしています。今のところ、参加者感染したという報告はありませんが、もし感染していたら私も感染しているだろう。そんなことを考えています。先日の集合写真では、桜の木の幹に何かが巻き付いていました。よく見ると、「ブルーシートの下で飲食しないでください」と書いてあるんです。もう、大阪バッシングに何か言い返す権利はありません。皆さんも、急なお誘いに断れるかどうかシミュレーションしてみてください。私と同じ轍を踏まないようにしてほしいものです。

雑誌映画秘宝』の記憶(42)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】

 枕から始めますが、世の中には「勝ち負け」を付けたがり、その基準として「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉を持った異性の人数(の多寡)」を持ち出したがるタイプ男性存在します。

 一つの例を挙げます

 某男性お笑い芸人は、過去に「オレのことを批判したり嫌ったりしている人間よりも、オレの方がいっぱい女たちを抱いとるねん!」という主旨のことを著書に書いていました。つまり、これを言うことによって「オレよりも異性との性交渉経験人数が少ない奴には、オレを批判する資格が無い!」と彼は言いたかったわけです。他にも似たような物言いで「オレを批判する人間は、オレよりも金稼いどるんか?」等も有りましたね。そのように言いながらも、彼とは段違いと言っても過言ではない『才能が有って、しか興行収入の実績も有る映画監督』のことを「この監督は『映画の基本』が分かってませんねえ」と批判していたのだから面白いものです。5本目の映画は撮らないのでしょうか?

 ところで、その某お笑い芸人は、自身が司会を務めていた音楽番組の場で、番組ゲストミュージシャンたちから以下のような暴露トークをされて、全国放送電波で流されました。

 曰く「後輩芸人たちがセッティングした合コンの場で、その某お笑い芸人が『お持ち帰り』の対象として狙いを定めた合コン参加者女性を、後輩芸人たちが複数人で囲んで『✕✕さんに抱かれたいと思ってんのやろ?!』『✕✕さんに抱かれたいて言え!』と囃し立てる」(※飲食店で、その某お笑い芸人合コン現場を目撃したと云う、番組ゲスト男性ミュージシャン)

 曰く「劇場出待ちをする女性ファンたちの間では『中学生ぐらいがストライクゾーン』と云う噂が共有されていたから、自分(=音楽番組ゲスト女性ミュージシャン)も中学生の頃に、その某お笑い芸人からナンパされるのを狙って劇場出待ちに行った」(※番組ゲスト女性ミュージシャン)

 そういえば、その某お笑い芸人番組に度々ゲスト出演していた梅宮辰夫が、若い頃の話として「狙っている女性がいた時は、自分の所有するプレジャーボートに乗るように誘い、逃げられない沖合の海に連れ出してから行為に及んだ」と語っていましたね。梅宮辰夫は「面白おかしい話」として語っていたようですが、私は「身の毛もよだつ、おぞましい話」と思いました。

 こういう「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉の人数(の多寡)」を矢鱈と持ち出したり、面白おかしく語りたがり、自慢したがる人間には、警戒した方が良いと思います。それは兎も角。

 この手の男性は「『経験人数』や『経験場所』や『風俗店遊んだ話』などを自慢したがる一方で『紳士的な方法で異性と距離を縮めていった過程』を話さない/話せない」と云う特徴があります

 彼らが何故それを話さない/話せないのかを考えるに、彼らが「女性と『対等な関係』の下で『一対一で向き合う』ことを怖れている/避けている」もしくは「女性と対等な関係になることは『男としての恥/屈辱である」と云う考えの持ち主であることが理由ではなかろうかと、私は推測しています。おそらく「上下関係」や「力関係」が介在しない場では、彼らは自力女性口説くことも満足にできないのではないでしょうか?相手が「弁えない女性」の場合には特に

 さて、長い枕から本題に移ります

 はてな匿名ダイアリー引用するために『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』その他を読み返し始めたところ、町山智浩らが話す「女性に関する話題」に関する『或ること』に改めて気づきました。

 曰く「ラムちゃんみたいに、奥さんの方から転がり込んで来た」

 曰く「高橋ヨシキが『自分女性パートナーの胸を揉んでいい』と言うから、揉ませてもらってキスもした」 

 曰く「女性から聞かされた話を(聞かされたことも忘れて)、その女性当人に対して上から目線で教えようとした」

 曰く「どこそこの風俗店が云々」

 曰く「誰それのオコボレを目当てに、後から着いて行って云々」etc.

 このように、町山智浩らの周囲から出る「女性に関する話題」には「『対等な関係』として『一対一』で女性と向き合った話」が乏しいことに気づきます。聞かれてもいないのに、わざわざ自分の方から女性に関する話題」を持ち出しているのにも関わらず、明らかに乏しいのです。「奥さんが転がり込んで来た」という話も、要するに「棚ボタ」なのであって、決して「自ら主体的能動的に動いた話」ではないことにも注目して下さい。

 おそらく、町山智浩自身にも「自分たちは『きちんと一対一で対等に女性と向き合った』と云う経験に乏しい」という自覚と、それに伴う「劣等感」が有るのではないでしょうか。そのことが、目下の者や読者に対して頻りに「オレたち『大人の男』ってのはさあ」という『説教』をかまそうとする町山智浩らの動機になったように思えます

 しかし、いくら説教をかまそうとしたところで「経験していないこと」や「体現できていないこと」を語るのは土台不可能なわけですから、いずれどこかで無理が生じます

 一時期の町山智浩は、頻りに「恋愛論」を語っていました。あれだけ『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等で自ら何度も「若い頃はモテなかった!モテなかった!」と書いていたのに「今さら正気か?」と私は感じたものです。それでも町山智浩は、自分に都合が良いように捏造/美化した記憶を語って流布させることで「過去を上書き改変すること」が出来ると考えていたのでしょう。

 しかし、某地方映画関係者などから情報漏れ出した途端、町山智浩は「恋愛論」を語るのを止めたようです。おそらく、自分実像を知る人間から情報暴露をされたら、薄っぺらい「恋愛論」による目眩ましなど一溜まりもないことを理解たからだと考えられます

 例の騒動の時には「女性から教えてもらったことを、その女性に教えようとする『マンスプレイニング』の気質の持ち主である」ことをも示唆されていましたが、このマンスプレイニング気質も、根本に「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」という気持ちが有ることの顕れだと思います

 この「女性(を含めた他者)との『対等な関係』を構築することができないのではないか?」という疑いは、高橋ヨシキてらさわホークについても同様に向けることができます

 現在高橋ヨシキてらさわホークは、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家ヒップホップミュージシャン等とばかりつるんで配信に勤しんだり、あるいは、自分たちよりも知識が乏しい人間が集う『共感シアター』など「上から安心してマンスプレイニングすることができる場」に閉じ籠もってばかりいますが、これは何故でしょうか?

 私はこれも、結局は彼らが「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」ことの顕れだと推測しています

 対等な関係に堪えられないから、自分理解できないコンテンツ/ジャンル自分女性パートナーが楽しむ姿に我慢ならず、その価値観否定したり、馬鹿呼ばわりしたりするのです。

 そんな高橋ヨシキ著作悪魔が憐れむ歌――暗黒映画入門』が、ちくま文庫から目出度く再刊されました。同書に田野辺尚人が寄せた解説を読むと、高橋ヨシキは「魂の自由を重んじている人間」とのことです。

 そんな「魂の自由を重んじている」人間が、自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上したところを見ると、高橋ヨシキは「女性には魂が無い。したがって、女性の魂には自由が無い」と考えていると見ても、さほど間違いではなさそうです。

 よかったら皆さんも一度、高橋ヨシキの本を読んでみて下さい。

 長くなったので、とりあえず今回はここまでにします。

 ヘイル・サタン

2021-04-01

anond:20210401130133

女子いじめはめんどくさいってよく言われるじゃん

現実だといじめ件数が多いのもそれによる不登校自殺が多いのも男子の方だけどな

女子いじめってそれ自体が男向けエロ・娯楽コンテンツになってるからやたら強調されるんだよな

先生いじめ男子生徒がやってたという現実ニュースに対して

男性映画監督が「加害者女子のほうがリアルから」と加害者女子に変えて映画化したって件もあったな

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-22

anond:20210322150244

悪い映画じゃなければ、客は入る時代になったということ。

もちろんとんかつDJみたいなダメ映画では入らないだろう。

けれども、当たりさわりのない出来にしておけば客は入る。

どんな映画監督も、年齢を重ねると客入りを計算して撮るようになる。

2021-03-21

なんで男性ですら避ける弱者男性女性が救わなきゃいけないのか

男性は、実力のあるスポーツ選手や、売れている映画監督や、注目が集まっている経営者や、

過去を生きて既に死んだ人だと戦国武将三国志登場人物のような、強者男性ばかりを好むよね。

男性強者男性だけを好んで弱者男性を笑うか無視するかしてるくせに、

なんで同じことを女性がすることは許されないわけ?これこそ女性差別じゃん。

2021-03-16

町山智浩映画監督とかアニメ作家とか漫画家、物書き、なんでも売れてる人がいたら絶対コイツのところにエロい女が来てる!」

吉田豪(笑)。そういう目で見たほうがいい?」

町山「絶対思ったほうがいい。なんかすごくリアルキャラクター漫画とかアニメに出てきたらこいつ実在と思ったほうが」

吉田漫画はまずそうですもんね」

町山「大抵実在です。結局そういう人たちって女について想像力いから、実在以外描けないんだ」

町山「俺は庵野秀明監督とは直接知り合いじゃないけれども、俺から見ると全部実在だもんね。アニメに出てくるキャラクターね」

町山「けどどっかでその話したら、アニメしか知らないような人たちから『何言ってんですか』って反論されたの。はあ、君ら何も知らないね。大抵実在だよ。ホント

吉田漫画家さんはほんとわかりやすいですよ。花沢健吾先生とか全部そうですもんね」

町山「なんかこの女の子の描き方すごいリアルだな、こんな人がホントにいる感じがするな、と思ったらいるか(笑)。大抵いるか(笑)

吉田「『ボーイズ・オン・ザ・ラン』のヒロインいるじゃないですか。あれが今の奥さんってすごい話ですよね。ビッチだなんだと罵り続けた相手(笑)

町山「ホント女性経験いからまったくフィクション女性ってのを作れないんだよね。オタクの人、サブカルの人、映画監督作家。皆そうだけど大抵本物だよね(笑)

町山「けど普通の読者は大抵知らないわけだ。特にアニメとか見てる、アニメファンの人たちとかホント知らないよね」

町山「まさか皆作ってると思ってるだろうけど、作ってません!作る能力ありません!オタクの人には、女性というキャラクターを」

吉田想像つかないですからね」

町山「想像つかないもん。全部本物ですから

吉田「身近なサンプルを使うと」

町山「そういう気持ちアニメを見ること!この女とヤってるぜェ~!監督このあたりでヤった!ヤってるからホントにヤってるからはい(笑)

2021-03-15

anond:20210312213210

あのねぇ、オッサンの言う通りに純粋映画だけを楽しんだら

間違いなく「駄作」なわけで

から庵野で盛り上がってんでしょ

 

新劇場版ですら、解説無かったら序の時点でゴミ同然

そういう独りよがりのクソ作品をどう褒めるかっつったらね?

作者の思想とかを褒めるしかないのよ

作品は思わせぶりなスカスカから議論余地もない

 

稀代の糞映画監督評とか見てみ?

作品のものより監督哲学の方が面白おかしく取り上げられてるだろ

そういうもんで、ゴミ映画ってのは監督ガー!監督ガー!で盛り上がるしかないんだよオッサン

2021-03-12

anond:20210312123553

映画監督美人ばかりではマズイ。ブスを連れてこい」

マネジャーはいフェミニストを連れてきました」

2021-03-11

Qアンノ監督最近アニメを作らなくても不動産運用収入だけで余裕のある生活ができる」

「いい歳してアニメとか特撮なんてみっともないですし、日曜の朝を子供と楽しむだけで十分です。もう映画監督趣味でいいかなと」

更に大人になったQアンノ監督トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み、演出家映画監督を続ける気力がなくなったという。

エバーでは陰謀論フリーメイソンとか死海文書あくまネタとして、物語に深みがあるように見せかけるための道具として使いました。本当は物語の中身なんて最初からないんです。アドリブでいきあたりばったり付け足していっただけなんです。敢えてそうすることでこの世界に謎と真実があるように演出する。でも、不動産運用から始めて、映画監督趣味になるぐらい富から富を再帰的に生み出せることを実感するようになると、もしかしたら陰謀論は本当で、この世界の裏側には見えない支配層が存在し、それがディープステートとして表の合衆国を操っていてもおかしくないのではないか、そう思うようになりました。そしてトランプ大統領はそのディープステートと戦っていた、つまり碇ゲンドウのような存在ではないか

次回作である「帰ってきたエバンゲリオン」ではネルフやゼーレと戦うトランプ大統領を描きたいと息巻くQアンノ監督

78歳になった今でも映画監督としての情熱を失ってはいない。

2021-02-20

anond:20210220132728

チェンソーマンで、インディー映画監督メジャー大作映画を撮った!みたいな変貌があったよね。どっちも好きだけど。

チェンソーマン2も楽しみだし、その次も何を描いてくれるのかなぁ〜わくわくが止まらね〜

2021-02-15

嫉妬してしま

大人気の女性フードエッセイスト

慶應卒で博報堂。夫も若いから活躍中の有望カメラマン。夫の父親も有名映画監督

本人の実力はもちろんあって、顔も良くて、センスも良くて、実家も太そう。もろもろの仕事や縁に恵まれるということは性格も良いんだろう。

こんなん嫉妬するしかないじゃん。

ないものねだり。ここまで全部揃わなくても良くない?ってくらい揃ってる。

この人だけは憧れとともに嫉妬ちゃう

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