はてなキーワード: 逃げられないとは
板橋区は無名の街だ。昭和54年に亡くなった人たちが作り上げてきた平凡な街を、かれこれ40年間、普通に維持してきた貧乏人のひしめく街。
西台には書店があるが、もはやほとんど出来上がっている人のための書籍ばかりで、規格外、枠外の人のための本はほとんどない。
「出来上がったから維持するのは当たり前」 そういう感覚につつまれたなんともつまらない街。しかし、 出来上がったからといって、どうやって維持しているのかは
全くの謎である。
インターネットの進展で、法律違反のエロ本が大量に売られている。中にはもう読まれる余地がない文系向けの書籍も大量にある。また誰が買うのかという文房具なども
多い。
昔は流行ったが、閑古鳥が鳴いていてもう誰も利用しない店もある。しかし、昭和22年から始まった法治国家、タテマエ体制からは逃げられない街。
親が居て、兄弟が居て、友人が居て、恋人がいる。壁越しに隣人の音が聞こえて、定期的に仕事のミーティングがあり、メッセージに返信しないと心配される。
逃げられないような気がしていた。どれだけ一人になりたいと思っても、わたしは孤独にはなれない。コンビニで店員から袋を受け取るときや、自分の Twitter のプロフィールがまだ存在することを確認するとき、「わたしという何かしら」への視線がまだそこにあることを感じ、一人になれていないなと肩身狭く感じてうすら笑いを浮かべる。それが唯一の生きる術のように感じて。
その日の夜、わたしは洗濯機が布団カバーを乾かし切るのを待っていた。2万円で購入した乾燥機能付き縦型洗濯機は乾燥こそできるものの異様に時間がかかり、わたしはその日深夜2時まで待たされることが確定していた。分かっていてどうして夕方に洗濯を始めてしまったのかは自分でも謎で普通に後悔していたけど、始めてしまった以上待つほかないのでひたすらに待っていた。洗濯機のあるリビングは音がうるさく湿気もすごいので自室にこもり、何をするでもなく。
いつの間にか絨毯の上で寝ていたようで、背中にじっとりした汗を感じて目が覚めた。クーラーを強めてから、頭の上にあったスマホに手を伸ばして時刻を確認すると1時を回った頃。確かにまだ洗濯機の音も続いている。起き上がって、無為に時間を過ごしても仕方ない、なにかすることはないかとぼんやり考えた。そういえば大家さんに連絡するのを忘れていた。窓の木枠に虫が湧いているのを言っておかなければならなかった。明日起きたらやろう。明日はほかに何かすることはあったか。友人が家に来るんだった。その友人にさっきメッセージを送ったけど返信は来たかな… そういうとりとめのないことを、暗闇の中で一人考えているうちに、ふと、孤独はここにあった、と思った。
孤独を求めるわたしは、つまり自由を求めていた。他者の視線から逃れ、自身の「こうありたい」の理想像から逃れ、着の身着のまま、身体の赴くままに生きたいという欲求だった。洗濯機に寝る時刻を縛られ、いつもは起きていないイレギュラーな時間の暗闇に体を預けたわたしは、つかの間、「こうありたい」の像が無かった。そのときわたしが起きているとは他の誰にも想定できる事態ではなかった。わたし自身でさえ予期せぬものだった。だからわたしはつかの間孤独になれた。予期せぬ自由に、一人で着の身着のまま放り出されるという不条理感によって。
ヤろうと思えばヤれるのって女にとっても大きなメリットだよねって事。
相手が必ずしも避妊して身体を気遣って優しくしてくれて自分の性欲より女性を優先してくれるか分からないし
仕方なく好きな人を体で繋ぎ止めたりそんなに好きでない人とやった場合、雑に扱われて終わりだし
相手にはタチの悪いのもいるから、避妊に失敗した場合は育てる気も金出す気もない連絡つかなくなる(あったとしても渋々)の男と結婚しても離婚またはシングルで愛せない子供と出産費用育児費用と逃げられない子育ての懲役20年生活という地獄が待ってる人生棒に振る
僕の人生は基本的に悪夢によって規定されていると言ってもいい。そのような悪夢が初めて自分を襲ったのは四歳だか五歳だかの未就学児だった時期である。
この悪夢について僕は詳細を語るつもりはない。
それは明確に僕にとっての呪いであり、そして僕の人生を根本的に規定している夢だからである。
このような夢を安易に語ることによって、これまで僕が人生を運営していく上で必要としてきたシステム――要するに倫理――に悪影響が出ないとも限らない。僕はこの悪夢を基本的に墓場まで持っていくつもりである。もし、僕がこの悪夢を誰かに語るとすれば、それは僕が誰かに呪いを移し替えたいという、純粋な悪意によって衝き動かされる時に限られるだろう。
そのようにして、四歳だか五歳だかの時に、記憶に残る上では人生で初めての悪夢に見舞われ、僕の人生はある種決定付けられた。
悪夢とは――端的に落とし穴である。それは闇夜の落とし穴であり、夜になれば我々は必ず眠りに就かなくてはならず、つまり、闇夜の中を目印無しに歩かなくてはならなくなる。無事に夜明けまで辿り着ける場合もあれば、真っ逆さまに穴の中に転落することもある。それが我々にとっての――少なくとも僕が五歳だの六歳だった時の――悪夢だった。そのような悪夢を避けることは、基本的にはできない。偶発的に穴には落ちる。歩く限りで、そしてそこが闇夜である限りで、また、その闇夜の道に無数の穴が掘られている限りで――必ず我々は穴に落ちることになるのである。すなわち、悪夢を見ることになるのである。マーフィーの法則を持ち出すまでもなく、それが僕にとっての悪夢というものの在り方だった。
いかにしてこの悪夢を避けるべきか――という思考が芽生えたのはいつのことだったか、それは流石に未就学児の時ではなかったと思う。僕はその後も順調に、人生の岐路において悪夢に見舞われ続けた。つまり、積極的にこの悪夢を退けようとする姿勢――僕にとっての倫理的姿勢――を身に着けるのは、もう少し後のこととなる。
六歳だか七歳だかの時には、ランドセルほどのサイズの大きな蛾が、背中にしがみついた状態で、闇夜を歩く夢を見た。そして、その夢の中で僕の手には鎖と鉄球が結ばれており、それを引きずっていた。
以前その夢について増田に書いた時があったのだけれど、それは僕にとっての「カフカ的な重み」であったと増田には記させてもらった。六歳だか七歳だかにして、過負荷(当時のブコメからの引用)を背負うことは、はっきり言えばそれなりにハードなことだった。何でまた僕はこんな幼少期からこんな重みを引きずって歩かなくてはならないのだ? 僕はまともに歩くことさえ困難な状態におかれてしまっているじゃないか、と。
◇
時に美しい夢を見ることもあった。意中の女性を抱き締め、愛を語らう夢。そんな夢から覚めた直後には、朝の静かな空気の中で僕は幸せを噛み締めていた。
とは言え、そのような美しい夢に比して、同数以上の悪夢を見ることに、青年期の僕はうんざりとしていた。その殆どは、僕が所謂゛カフカ的重み”――つまりは゛過負荷”を背負っていることを突き付けようとする悪夢であった。
荷物が重すぎるのである。それを何度となく、僕は僕自身の悪夢によって示されることになった。゛お前はここから逃げられない”と。゛荷物を下ろそうとしたところで、それは無駄なのだ”と。゛お前の背負っている重みを常に直視し続けろ”と。
さて、僕はどうするべきだったのだろう。
勿論、僕のやるべきことは一つだけだった。つまり、荷物が何であるかを見定め、それをできる限りパージしていく――円満に背中から下ろしていく――ということそれだけだった。
僕は自分の重みから解放されなければならなかった。その手順を、一つ一つ確実に踏まなければならなかった。間違ったやり方をしてしまえば、その重みが加速度的に増して、自分の背中を押し潰すことは、僕にとって殆ど自明のことだった。
そう、゛間違えてはならない”のである。
正しいことをし続けなくてはいけなかったのである。何故なら、そこで間違った選択をすれば、僕は更に゛過負荷”に晒されることとなったであろうからである。
この場合の゛正しいこと”とは、繰り返すように、゛過負荷”について正しく理解し、目を逸らさず、誠実にその重みを扱っていくことである。幸か不幸か、僕は自分にとってのおぞましい重みが眼前に提示された際、その重みを瞬き一つせずに眺めてしまうという性向を持っていた。そのような性向はある意味では僕の青年期の情景に影を滲ませることになったが、同時に、その時の僕にとってこの上なく必要な事柄をもたらしたのである。
僕はそこから目を逸らしてはならなかったのだ。
僕が正しいことをしなくてはならない、そのために、全力を注がなくてはならない、そう決意したのは、悪夢の影響だった。自分にとって正しいことをし続けること、自分の素直な気持ちを大切にし、本当に大切なものだけを搔き集め、そうでないものに囚われないようにすること――かかる方法のみを以てしてしか、自分の重みを取り除くことができないことは、僕にとって明らかだったのである。シンプルに言えば、僕は正しいことをし続けなければ死んでしまっていたのである。僕自身の過負荷によって。
◇
僕自身にとっての倫理とはかかるものである。つまり、『死にたくなければ(悪夢の過負荷に押しつぶされたくなければ)、正しいことをし続けろ』というシンプルな命題。それが、僕にとっての倫理だった。
僕は、そのような倫理を個人的な格率として保持し続けた。僕が人生を生き切るためには、自分の夢を敵に回すのではなく、自分の夢に味方になってもらうことが、必要不可欠だったのである。
その後、僕は様々な人生のトラブルに見舞われることとなった。最も最近のトラブルは今年の初めくらいから生起しており、正直なところ正気を保つのに随分苦労しているのだが、しかし、ここまでやってきた努力の成果もあってか、夢だけは常に味方になってくれていた。
朝目覚め、少しだけ悲しい気分になるのだけど、でも、少なくともそれは悪夢の目覚めに比べれば、五千倍はマシなのだ。
◇
増田は男に夢を見過ぎやで。
ワイは強者フェミ女やが、半分の男は女に何かを与えるためではなく、女から何かを奪うために接近してくるんや。主に若さ金労力出産能力な。
男は幼稚園から権力闘争(俺最強ごっこ)しとるからな。若い妻はステイタスシンボル、妻の年収も俺の権力!や。
女のために改姓して、我が子のために女と同等の長期育休取って、睡眠削って夜間授乳やって家事育児しっかり折半なんて誰もせーへんで。
夫婦別産と言うなら女のキャリアも大事にしないといけないはずなのに、ほぼやらん。最近の統計でもフルタイム共働きで家事育児分担2:8や。
女も稼げる弊社でも離婚が捗っとるわ。弊社女性は半分くらい離婚しとる。
8年越しの花嫁の夫みたいな奴ほんまなかなかおらんで。あれ外れ値や。あんなんなったら普通の男すぐ逃げるで。統計上も配偶者の病気を理由に逃げる奴は男の方が多いんや。
まともな男は半分しかおらんから、女の上半分に入れんと幸せな結婚なんてできへん。1割以上の夫は複数回妻にDV振るってるってデータもある。逃げられないと地獄が待っとんで。
だから非モテ女に必要なのは男に縋らず生きていける(1〜2人くらい子供を養えると尚よし)『経済力』一点や。
分かるか?男に搾取目的で言い寄られても幸せにはなれないんや。殺して食ってやろうとしてるマタギに追いかけられるウサギが羨ましいか?モテなんてそんなもんや。
男からの評価で女の強弱は決まらん。『選んだ男』『本人の経済力』の掛け合わせや。
増田は仕事持ってんだから経済的に問題無いやろ。何が弱者やねん。
ワイのパイセン男(見た目ほぼつぶらな瞳の熊)、非モテやったけど娘につぶらな瞳だけ遺伝して超可愛いわ。
高学歴非モテ男狙えやサッサと。ちょっとだけ年齢差飲めば全然いけるやろ。
1人でええねん。低身長でもハゲでも家にするな。利他的な行動を取れる男たった1人でええ。死ぬ気で捕まえろ。それが無理なら仕事を頑張れ。
ストレスのせいで……
貞操観念がぶっ壊れて収拾がつかないほど派手に異性関係を築きまくる
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本陰は異様にコスト意識が高いのでやれない。アイドルの追っかけと同じでこういうことできるのは根が陽キャの奴
過度の飲酒に逃げる
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本陰はいついかなる時でも辛い記憶や悩みから逃げられない性質があるので「束の間でも酔って忘れる」という誤魔化し自体できない
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本陰は物心ついた時から常に精神的ストレスに晒されているので社会の荒波に立ち向かうには到底足りないが、
デートなんてマッチングアプリ入れて雰囲気の近いイケメンの写真使ってYouTubeとかで出てくるプロフの書き方丸パクリして恋愛工学っぽい会話すれば簡単に出来ると思うのだが。当日逃げられないように美容院に行くなりサイズのあったシルエットの綺麗な無難な服を着るなり。
マッチングアプリを入れる、別人の写真を使う、プロフは丸パクリする、恋愛工学的なアプローチをする、無難なお洒落をする、全て下らないプライドやありのままの自分を愛されたいという気持ちを捨てる必要がある。
4割の若者はそれができてないという話だが、逆に今はわざわざそれらを捨ててデートやセックスをしなくても、もっと楽に楽しめる娯楽が沢山あるという話じゃないか。少子化は良くないが性愛以外の娯楽が増えているのは良いことだ。
俺は今、看板が少なくて、アナウンスが必要最低限の地域に住んでる。
よく眠れるし、自分の時間が増えたような気がしている。24時間って、結構長いなと思っているぞ。(以前は24時間では足りなかった)
ニコニコして生活してるし、ありがとうとごめんよをよく言うようになった。
キレてる人もたまにいる。ゼロではない。
同世代に相手にして貰えない人も自分の子どもなら相手してくれるし慕ってくれる
あと自分の人生の何もかも子どものせいに出来る。『子どものために』『子どもがいたから』ってね
犯罪者にはならなくても自立してない親の介護者になることが生まれながらに決まってる
ただまぁ生まれてこない方がよかった人はおらんので
子どもが毒親・バカ親から逃げ込める施設の創設は早急になんとかして欲しいとは思いつつも
子ども作りたい人は作ればいいと思うよ
繋げておきますね