はてなキーワード: 縁起とは
倍速で見るか論あるじゃない。
あれって倍速で聞く論は私分かるけど、
音声でも間がなんとも言えない鴨しか醸し出す論あるので、
その間を味わえないなんてもったいないわ。
あそこが物語の旨味だったりするじゃない。
だから
朝ドラの総集編って見ないのよね。
とりあえず、
時間の損もなく知っておけば良い味わい方なら
今はその方が多いのかも知れないわね。
間が抜けないけど間抜けだわ。
そんでさ、
オーナーの女将さんが暢子の持っていた包丁に刻印されている賢三の文字を見て、
なんともいえない
演技かもし出して目線を何も言わない味わい深いところを味わうのが私は美味しいので、
そこのがしたらもったいないんだな!って思うのよ。
週末のその週のまとめはあれは、
どうしても総集編は面白味に欠けるのよね。
なんか最近は時間を持っていなく使いたくない失敗したくないって無駄な時間に割くのを恐れている症候群の人が多いので、
とりあえず短期間で摂取できるものを好む傾向にあるのカモシカ。
だから私考えたの。
1.1倍速!
1.1倍速モードで細かく調整できるプレイヤーがないところがなんともないんだけど、
音声アプリとかだと再生モードを細かく1.1倍に出来たりするけど、
映像ではなかなかそういった芸当のできる
ハードディスクレコーダーなんて無いわよね。
時短は許さないマンと時短するマンの妥協点が私1.1倍だと思うんだな。
これだと早いけどその速さがあんまり実感できない通常速度としても感じるので、
まあこれぐらいがいいのかもしれないわね。
1.1倍!
おすすめよ!
音声再生アプリでなんかちょっと前のバージョンだと3倍速まであったけど
あれはあれで超集中して聞かないと、
逆に聞き読み取れないわ!
鬼気迫る感じよ。
あの早さは。
聞き取れないわ、
字幕も付けて追っかけるけど
お湯かける暇も無いぐらいよ。
盛り上がるまでの前半の何話がかったるくて、
1話も見きるのに耐えられなかったわ。
あまりに何も起こらなさすぎるのも、
うふふ。
早く着たからせっかくだし
それに厚切り輪切りマジレモン斬りしたモノをそえて、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
文字のスライドだけで心配といわれていましたが、書かれているところから少し逸れたり端折ったりしながら話し続けて45分、時間ぴったりですごかった。
堅苦しく書かれている手元テキストで見ると、鎌倉中期の戒律復興に対する小乗仏教と大乗仏教の立場の違いに触れてから、戒家で重要視されている興円の前段階、恵尋の「一貫抄」に書かれている思想についてとなっていて、確かにその通りに語られてたなぁとは思い出せるのですがスライドでの印象が強かったのはこれ。
上層部ばっかりいい思いしてるブラック企業だ!正しい祈祷ができないせいで元寇とか国難に合うんだからちゃんと言ってくれ。上の取り分を1/3にしてくれたら立て直せる。みたいな。出世街道から外れてたとか、いうほど下に力がなかったわけでもなくて、内輪揉めにお叱りの文書があるとか。
2時間目の興円の後はどっちだ、からの分派と、最澄の頃の行いを戒律にするだけでなく日本中に教えを広めるための行いも踏襲しようとしていたのではとか。
3時間目は愛媛の等妙寺と縁起では一緒に書かれている歯長寺の関係と独立、発掘調査ではその前の太子信仰のころから霊場として知られていたのかもとか。
等妙寺で60年に1度の秘仏や、天皇の勅使が来ないと開かない唐櫃に、入ってる袈裟、単眼鏡でも読むのが大変な細字法華経とかがよかった。
休日の暇つぶしに思い出すまま語る、基本的にだいたい20年前の話
童貞を捨てたかったがお店に行くのはなんか怖い……と出会い系で知り合った子。童貞を捨てた相手。当時多分25くらい。
※お店に行くようにもなってわかったが、自称素人よりお店の方が色んな意味ではるかに安全である
確か別3だったが行ける範囲のホテルが全部埋まってて野外で立ちバックでやった
やってる最中にゴムが破れてて気づかずがっつり中出ししてしまったが、元々向こう手持ちのゴムで装着も向こうがしたので、破れたの気付かなかったの?とあきれられただけで済んだ
言い訳をすると当時童貞で、そんな感覚の違いに気づくほど冷静ではなかった
二日後に「もう金がなくなったので今度は2で良いので会えないか」と連絡あり、あーこういう金銭感覚なんだと恐怖を覚えブロック。
機械的に入れるだけだとセックスってぶっちゃけ大して気持ちよくないんだなと俺に教えてくれた子でもある。
あんま可愛くなかったけど、けっこうノリの良い子で割と楽しくセックスした覚えがある
ホテル備え付けのゴムの装着がうまくいかず困っていたら、外出ししてくれるなら生で良いよと言ってくれたのでそうした
別2で会ったが、事後に値引き交渉してみたら、家の最寄り駅まで送ってくれたら1.5でいいというので送った
出会い系で会った子の中では当たりの方だった
当時の家の割と近くに住んでて、車で拾いやすかったので4回くらい会った
真剣に金に困っていたせいか、むしろガンガンに値引きしてくれた
「今日マジで5000円しか出せないんですけど」と当然断られるだろうなと思いつつメールしたらOKでむしろ困惑
マグロなんだけど喘ぎ声が妙にエロくてけっこう楽しくセックスできた
数年後、子連れで道歩いてるのをたまたま発見し、はー無事?に生きてましたかと妙な感慨を覚えた
出会い系やってる男用の雑談掲示板みたいなとこで知り合って、酒飲むに行く程度には仲良くなったオッサンから紹介してもらった子
そのオッサンの定期さんで、でもオッサン一人だとなかなか金がたまらなくて、安心に会える別の男を探していたんだとか
超良い子で普通に明るい大学生で、セックスもノリノリで、「えっこんな子がどうして円を?」と真剣に困惑した
半年ほど仲良くさせてもらったが大学卒業で円とかそういうのを完全に辞めるってことでお別れ
単純な見た目ならプロの嬢含めて会った中で一番良く、アイドルやってましたとか言われても違和感無いレベルであった
円とかやらずにその見た目を活かして真っ当に稼げる職で頑張る方がいいんじゃなかったかと今でも思う
ただまともな教育とかあんま受けられなかったのか、とにかく自己肯定感が低くて
と何故か信じ込んでいた
何気に今でも時々メール交換……というか向こうの愚痴聞き役が俺くらいしかいないらしく
ついこの前言われたのは、なんとも微妙な気分になった
同じアカウントでまったく見た目の違う子が来たとの情報があったので、
やんわり聞いてみたら、どうやら大学の友達同士で円グループを運営していたようである
まあまあ可愛かった
ホテルでの別れ際に
と言っており、こっちがその辺で晩飯食べて歩いてたら、たまたまその友達と一緒に歩いてる姿を目撃
はー、オッサンと金でセックスして、その後に男友達と飲みに行けるくらいのメンタルじゃないとこういうのやれんのやな、と妙に感銘を受けた
見た目だけならベスト3に入るがマグロかつ喘ぎの演技も無く激萎え。
縁起で良いからやっぱ喘ぎ声ってある方が盛り上がるんやなと強く思った。
だから送迎車を(略
見た目もサービスも良かったのだが、妙にカサついた肌と変な口臭をしており
今にして思えばあれはひょっとしてクスリやってたんじゃないだろうか?
1回だけ会ってセックスする対象としては悪くなかったが、そういうプロとは2回目会いたくても逆に会えない
出会い系に業者がガッツリ参入し始めた時期だったのか、一時期プロばっか引いていた
だからその送迎車を(略
妙に辺鄙な場所の薬局の駐車場で待つよう指定されたこと以外覚えていない
悪くはなかったと思う
ノーパンノーブラで待ち合わせ場所行きますよ!と向こうから言われ、実際やってきた子がけっこう可愛くてビックリ
高校卒業したばっかの新社会人で、若く、見た目は良かったがあまりにもマグロ過ぎてきつかった
これが10代の肌の張りってやつなのかー、と思ったことは覚えている
その子のSNSを見ていたら、案の定、常連ができなかったようである
演技で良いから愛想良くできない子は見た目良くても常連つかなくてだいたいヤバいことになる、これ真実やで
とある金の稼げない仕事をしており、割のいいバイトとして円をしていた子
金のためにやってる感をとにかくめっちゃ表に出してくる子で、こういうことやってるオッサンキモいよねみたいなことを平然と言ってくる
いや、そんなん言われんでもわかっとるわい
他にもいるけど最低限印象に残ってるのはこれくらいだなー
ガラケーで停波まで頑張ろうかと思ってたけど、半導体不足とかインフレとか縁起の悪い話が聞こえてくるから、いっそ現金をスマホに変えとくかと。
そんで、スマホ買って電話かけたらこれが使いにくいのなんのって。
ガラケーなら、通話ボタンを押して通話開始。終話ボタンを押して通話終了。これ文明の利器。
ところが、スマホでは通話履歴の番号を触ったとたんコールバックしている。
もうね、先走り度が黒電話。ワン切り業者の回し者かよてめーは。
で、肝心の詳細画面は極小ミニマムちっこいアイコンを触らんと出てこないというね。
さらに、通話中、着信の時間を聞かれたので調べようと思って触ったら通話切れる。
終話ボタン以外で切れるようなら警告をしろと。馬鹿かとあほかと。
さらにさらに!焦ってなんか触っていたらコールバックした上にその画面がどこかへ消える。
そうなると、そのほかのどこを触ってもコールバックがゴーイングマイウェイ止まらないこの気持ち。死ね。
もともとが1941年のブロードウェイ演劇作品。ニューヨークのブルックリンを舞台に、冒頭ではヨーロッパで戦争が始まったけどアメリカは平和でいいわねえという、奇しくも時事性が出てしまった感じの会話で幕が開く。1幕目は「ハリーの災難」のような死体隠匿をめぐるお話が中心。2幕目になってからは主に殺人鬼の兄の処遇をめぐるお話……でいいのかなあれは。
ブラックコメディだの安楽死だのという触れ込みだから、なんかそういう社会派な中身なのかしらと思ったら、どうも本来はパルプ・フィクション的なゴシックホラーのパロディ作品だったっぽい雰囲気がある。フランケンシュタインとアインシュタインのコンビとかいうどうしようもないダジャレも出てきたりするし。作品のタイプとしてはラヴクラフトの「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」あたりが近いだろうか。主人公が自らの家族の秘密を知ることで、自分も呪われた血族の一員であることを知ってしまい絶望するが実は……というあらすじ。アメリカらしいピューリタン的な価値観が色濃く残る社会での実は私生児だったぜヤッホーというオチは「緋文字」とかあのへんのパロディとして見てもだいぶ面白い。というかお前牧師の娘と結婚しようとしてるのに私生児で大丈夫か?
ただまあそのへんのアメリカ文学的な骨組みはコメディとしての演出で追加されたドタバタ劇でうまいことカモフラージュされてる感じがなくもない。まあ、呪われた血族ネタは今となってはクリティカルにポリティカルコレクト案件だし、作品の賞味期限的にも相当ギリギリな感じもするからね。精神病院収監オチなんて今時バットマンじゃないと許されないのでは(偏見)。
コメディとして見た場合、流石に古い作品だけあって笑いのテンポがのんびりしている感じがあるが、そこはまあ演出と俳優の力で追加されたドタバタ劇でだいぶ補強されている。まあ観客の大半はこっちを期待して見に来ているようなものだろうし。自分もまさかアメリカンゴシックホラー的なものが見られるとは思っていなかった。
2幕目で劇作家を目指すアルバイトの警官がメドレー一人芝居を披露する場面があるのだけれど、これがなかなかに見事。瞼の母から、こいつは春から縁起がいいわえで三人吉三、平手がどうとか言っていたからたぶん天保水滸伝、それとおそらく一本刀土俵入りと続けざま。演じているのはの嘉島典俊という人。ぐぐったら歌舞伎の経験も大衆演劇の経験もある人らしい。新橋演舞場という和風な舞台を生かした実にいいものだった。
「ぼけ酒」というのがキーアイテムとして出てくるのだけれど、飲むとボケるとかそういうのではなくて、梅酒の要領で木瓜の実を漬けた果実酒のことらしい。子供の頃によく飲んでいたというセリフがちょいちょいあって、そういやうちの親も梅酒を水でうすめたやつを昔はみんなジュース代わりに飲んでたと言ってたっけなあと思ったり。
「白蛇;縁起」 は 続編 https://note.com/nejimura89/n/ncdf62f9fdc96 があるのでそれも公開しろブシロード
※注意 死ぬほど長いです。
俺は映画が好きだ。
だけど映画は好きなだけであって、「映画が好きな俺」に特に思い入れはない。ゲームも好きだし、読書も好きだし、美術も好きだしカラオケもバイキングも友達とあてもなく街を歩くのだって同じくらい大好きだ。
映画はその中の一つでしかないけれど、それでもやっぱり好きなもんだから、結果的に多くのものを見てきた。そのくらいだ。
見たい時に見るし、興味がなければ見ない。
見るものを指定されるのが大嫌いなので、「映画が好きならこれだけは見ろ」と言われたらどんなに名作だろうと以降の人生それは絶対に見なくなる。こいつ損な性格してやがる。
だけど、そんな俺でも最近思うことがある。
「邦画と洋画を比べて、邦画は面白くないという意見が多いなあ」ということに。
「邦画は資金がないからなあ」「漫画原作実写はコスプレ感が酷くて」「それに比べてやっぱり洋画はクオリティが高い」なんて言葉を聞いたことはないだろうか。少なくとも俺はめちゃくちゃある。だから筆を取ったわけだし。
特に、つい最近公開された邦画の出来がかなりアレだった故に、再びそんな意見が噴出されていて、俺は「いやいやいや、ちょっと待ってよ!」と思うのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220206022647
その「思い」を、長くはなるが少し聞いてほしい。
※ここから先の「映画」並びに「邦画」「洋画」は、【大小問わず正規の映画館のスクリーンで放映されたもの】を指し、ソフトのみの販売や配信での公開は含まないが、これは文章の意図をわかりやすくするためであって、他意はありません。
そもそも、海外で作られた映画が日本に入ってくる際、字幕がつけられ吹き替えが行われポスターが刷られてメディアが広告を打つという流れが入る。
多くの人手とお金がかかるが故に、「日本で売れなさそうな映画」はこの時点で脱落する。
よくて規模の小さいスクリーンでの放映。
悪くてソフトのみ。
最悪日本に来ない。
つまり、日本全国のスクリーンで大々的に放映されるような洋画は、そもそも「日本で売れそうだから」放映されているのだ。クソつまんねー洋画は、そもそも日本人の目に触れないのだと俺は思っている。
まとめると、「日本に来る時点で選別されてるだけで、洋画も洋画なりにきっと死ぬほどクソ洋画があると思うよ」、ということだ。
それから、これはちょっと、怒る方も多いとは思うのだが、「漫画原作とする実写版映画における、俳優のコスプレ感」に関しては、同じく漫画原作の実写版映画であるところのマーベルとかDCとかも……その、あんまり変わんないと思うんですよね。もちろん、クオリティは段違いに高いとはいえ。
俳優で売るために顔を出させることの多い邦画と違い、マーベルの方はフルフェイスのヒーローがかなり多いとはいえ、スパイダーマンがマスクをとった時とか、アイアンマンのフェイスシールドが解除された時とか、フィクション感全開のコスチュームからはみ出た生の人間の顔面に、ちょっとも違和感がないとは俺はどうしても思えないんですよね。
しかしそれは、「キャストが外国人だから」という点も強いと思うのだ。「キャストが実力のある有名俳優だから」ではなく。
日本という国にほとんど日本人しかいない中で、スクリーンに映る「外国人」というのはどうしても特別に見えてしまうのではないかな、と。
外国人が外国を舞台に外国語を話しているだけで、日本人にはそこがある程度「見慣れない異世界」イコール「特別なもの」に映ってしまうのでは、と思うのだ。
現に(この「現に」とは俺の実体験なのでこれを読んでいる方には信憑性が無いことはわかっているがそれでも)、俺は以前「シャンチー」というマーベル映画を見た。これは主要キャストをアジア系でまとめていることも特徴の一つだ。つまり、キャストに日本人のような面影がないわけでは無い。
ここは内容や感想を長々話す場では無いので手短にいうが、俺はとても楽しめた。が、違和感がすごかった。
なんで違和感がすごいって、主人公である「シャンチー」がマジで本当にびっくりするぐらい俺の高校の友達に似ているのだ。念のために今ポスターを再確認したけどやっぱり似てる。すげえ似てる。彼女を茶化したら喧嘩になった時のあいつの顔じゃん。あのときはごめん。
俺に人の心とネットリテラシーがなければその友達の顔写真をここに貼り付けてみんなに見てもらいたいくらいマジで似てるのだ。
もしあなたが街中で「シャンチー」のポスターの男性を見かけて声をかけて、「なんでしょう?」と言われたら俺の友達。「what's?」と言われたら緊急来日しているシャンチーだ。俺の友達が「what's?」って言ってるんだったらもうお手上げだ。そのくらい似ている。
「高校卒業してから連絡取り合ってなかったけど、君はそんな壮絶な戦いをしていたのか……言ってくれれば良かったのに」
まさかテン・リングスを巡ってお父さんと壮絶なバトルをしていたとは……。
俺の友人、アベンジャーズだったとは……。
なんの話だっけ。
そう、まとめると、「洋画の良さって外国のものでできてるから特別感が出てるだけってのもあると思うよ」ってことだ。
シャンチーの例にしても、見ている間他のキャストを「あれ?あの芸能人に似てない……?」なんて思った人もいるんじゃ無いだろうか。その「違和感」は洋画にもやっぱり、実はつきまとっているのかもしれないということだ。
さて、ここまでに読んだ人の邦画と洋画への物の見方を同一にしようとするために明らかな「洋画sage」をしてしまったのは申し訳ない。もっとうまい方法はあったと思いしばらく悩んだけど、ちょっと思いつかなかった。正直に謝ります。気分を害した方は本当にごめんなさい。その悪感情に関しては俺の文章力の無さが引き起こしている。
俺があげた要素はそっくりそのまま邦画にも跳ね返っていく。「放映に際して洋画ほど手間がかからないから駄作も市場に流れて目に写る」し、「画面を構成するものに既視感が強いからチープに見える」
俺が言いたいのは、「洋画は洋画ってだけである程度の特別感があるし、面白い洋画が日本に多く入ってくる構造になってるから面白い映画ばっかりに見えるけど、邦画だって捨てたもんじゃ無いんだぞ」ということだ。
「でも、洋画は日本に入ってくるけど、邦画は外国に行ってるという話を聞かない」
という意見もあるかもしれない。だけど俺としては、「邦画に限らず中国製も台湾製もイタリア製もロシア製も、この場合の洋画の生産国であるハリウッドのある国アメリカで大ヒットしたという話を聞いたことがない」と言いたい。
数本くらいあるのかもしれないけど、数本くらいあるというなら邦画だってそうじゃないのか。なんて思うのは少し都合が良すぎるだろうか。
そもそも。
俺は少しみんなに聞きたい。そもそも。
洋画、邦画という括りから始まって、資金が潤沢に注ぎ込まれている映画、たくさん賞を受賞した映画、素晴らしい脚本家が書いた映画、ハリウッドスターが出演している映画……。決め手は色々あるけれど。
俺にとって、これらはただの【保証】でしかなく見える。「ある程度の面白さは保証しますよ」という情報。「これだけお金をかけたんだからある程度は面白いですよ」「みんなが好きって言ったんだからあなたもきっと好きですよ」という。
なんかちょっと、気障ったらしいね、恥ずかしくなってきた。でも俺にとってはマジなんだ。
だけど、俺にとって、俺が面白いと思う映画は「俺が面白いと思った映画」だけなんだ。これ以上でもこれ以下でもないんだ。
熱く燃えたりゲラゲラ笑えたりベソベソ泣けたり、チケットを便所に捨てるほどムカつくクソ映画だったり、ぽかんとするような実験的映画だったとしても、結果俺が面白かったらそれは面白い映画なんだ。
ここに「資金がかかってるから」とか「俳優が豪華だから」とか「賞がどうのこう」「脚本がベラベラ」「撮影の背景がグチャグチャ」「映画史に歴史をモチャモチャ」とかそういうのは関係ない。全く関係ない!まっっっっったく関係ないんだ!
古いとか新しいとか関係ない!
男も女も関係ない!
俺が面白いと思う映画の条件が「俺が面白いと思った映画」である俺が、「面白い映画」に出会う方法はただ一つ!
洋画に関してもそうだ!何日本に来る途中で「日本人に受けなさそうだな〜」とか言って弾いてんだクソ配給が!全部流せ!全部見せろ!受けるか受けないかは俺が判断する!
そもそも言葉の壁が厚くて仕方ねえんだよクソ!吹き替えも字幕も何そこで派閥が生まれてんだよ意味わかんねえ!間に人が入ってる時点で元からニュアンス変わってんだから同じだよ!アンゼたかしか戸田奈津子かの違いだよ!あぁあ〜!またジョークが日本向けに置き換わってやがる〜!!!!!!!!!!!!原語ではなんて言ったんだろう〜!!!!!!!!!!!!(字幕か吹替派かで言ったら、DVDで吹き替え流しながら英語字幕流す派です。それが簡単にできるネトフリ、サンキュ)なんで俺は日本人なんだよ!なんで俺は日本語しかわからねえんだよ!クソが!!!!でも邦画も好きだ!!!!!!!!!!!!愛してる!!!!!!!!Kiss……。
各界から大絶賛を巻き起こしてスタンディングオベーションで歴史を変えた映画がマジでクソつまんなかったことだってあるし、賛否両論で感想は否定一色な映画に痺れるほど感動したことだってある!
2000円を賭けて自分のお眼鏡に合うものを得れるかという大博打!
外れれば2時間と2000円はドブに流れて戻ってこないが、少しでも当たれば楽しい時間が押し寄せてくる!それにもし【大当たり】を引いたら人生が変わる大ギャンブル!脳汁がジャックポットのように溢れ出る!鼻息荒く足速に家まで帰ろうぜ!おいおいどうしたんだい映画館に来るまで嵌めてたイヤホンが今はポケットに入れっぱなしじゃないか!
だから!俺は!映画が!好きなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
……。
みんなは……違うのかな。
なんか後半すごい熱くなっちゃったけど、まあそうだよね〜……二時間2000円で周りに人がいる中集中してスクリーン見ろ、だもんねえ。短くないし、安くないし、楽じゃない。だからこその「せめて映画は良いものが見たい」という思いの保証となる事前情報は確かに必要だよねえ。
大体俺は趣味の一つとして映画が手近にあるからたくさん見てて、知ってる映画が手広くて分母が多い分、「面白い邦画もあるもん」と駄々をこねてるだけで、映画の出会い方によっては、つまんない邦画を立て続けに引いた人もいるかもね。だったらそういう意見になるのも仕方ないのかも。
だけどやっぱり、冷静になっても俺は思う。
たまにはギャンブルしてみてほしい。
邦画とか洋画とかでも、お金がでも賞がとかでも、ポスターやあらすじや予告でもなんでもいいからちょっとでもあなたのアンテナが動いたら、誰がなんと言おうと、ええい!と二千円を放り込んでみてほしい。
そして、変に斜に構えず、「よっしゃ、この俺を楽しませてくれよなっ!」って席についてほしい。そもそも見る側が楽しもうとしなければ、大体楽しめないから。
騙されたと思って、なんて文句は無責任だから嫌いだし言わないけど、面白そうだと思って見て騙されたと思ったら「騙された!」って怒っていい。「ふざけんな!」って喚いていい。あんまり人を傷つけない範囲で。そこに悪意があったらせっかく感じた感情の説得力がなくなっちゃうので。
少なくとも、見ないくせにアレコレ言う人よりよっぽど真摯だと思う。
超長くなっちゃったけど、そろそろ終わろうと思う。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
スパイダーマンもあとしまつもノイズも真夜中乙女戦争も見たし、次はウエストサイドストーリーと嘘喰いまで待ちかな……。今見たら二月Deemoやるじゃん。超いいじゃん……。
見てえ〜……。
【余談】
個人的に、2021年一番面白かった邦画は「ベイビーわるきゅーれ」、並んで「映画大好きポンポさん」、次点で「キャラクター」「あなたの番です」は意外なくらい面白かった。わざわざ映画のために見たドラマ版あんまり面白くなかったから期待してなかったけど、二時間の尺でシュッとして、それでいて映像のトリックが施されていたのが良かった。多少無理があるとはいえ、死体の死に様が派手なのはGOOD。
洋画で一番面白かったのは「サイコゴアマン」、次点で「フリーガイ」、「トムとジェリー」も面白かった。サイコゴアマンマジでずっと笑ってた。グロは少し苦手だけど、爽快感とチープさで見れた。下二作はエンタメとして良かった。いつ画面を見ても楽しいのは素敵だね。家族で見てもドライブの時のモニターでもおんなじぐらい楽しいと思う。
あー、ヴェノムもよかった。続編やってくんねえかな。あの二人をもっと見たい。
「白蛇:縁起」はどこの映画だ……?中国かな。これも面白かった。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。中国は最近アニメが強い。ちょっと前だけど羅小黒戦記は是非見てほしい。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。なんかなんとかっていう人形劇のアニメもすごいらしいんだよな。忘れたけど探そう。
映画じゃないけどアジア系なら韓国のイカゲームが良かった。ただやっぱり内容が既存の作品に似ているってのもあったし、ラストもやっぱり既視感。独特の味と面白さ、テーマがあっただけに、外側をもう少し捻ってほしかった。ただやっぱりデスゲームものは単純に面白いから続編も期待。
韓国はゾンビものが強いね。新感染よかった。去年の続編は見てないなあ。舞台が変わって少し求めているものとずれてしまった。「新幹線×ゾンビ」ってのに惹かれたので。見たほうがいいかな、見ようかな。
スクリーンではやらなかったけどコロナで配信行きになった「ミッチェル家とマシンの反乱」は人生ベストに入るくらい面白かったな。みんなも見てほしい。見ている人を楽しませようとする意欲がすごくて、その圧に負けて笑っちゃう。愉快な映画。洋アニのクレヨンしんちゃんって感じ。ネトフリ独占だよ。今からでもスクリーンでやらないかな。
「ガンズアキンボ」を見てないじゃないか……クソが……なんでだろう、金なかったのかな。配信あるかな。ダニエルラドクリフのヘンテコ映画、いい加減ちゃんと見たい。スイス・アーミーマンとか。
人生で一番面白いと思った映画は「Too young to die!若くして死ぬ!」というクドカンの映画だったりするあたり、どう言う好みをしているかをわかってほしい。
俺の中で不動の一番。
後は「We are little zombies」は衝撃だったな。これ全てが真新しい映画で最高に面白かった。まさに令和の映画。けど人を選ぶしアマプラの配信は先日終わっちゃった。残念。15回は見れたからいいか。
「地獄でなぜ悪い」もいいよな……。
「初恋」もいい……。
「東京ゴッドファーザーズ」もいい……。
「逆転裁判」かも……
そう、実は俺、実写版「逆転裁判」がかなり好き。原作が好きすぎて見たけど、シナリオを原作の2話と4話に絞ったのは良い判断。確かに演者にコスプレ感はあるけれど、あの映画は「端っこに映るモブ」まで逆裁っぽいトンチキ衣装を着ているので、「こう言う格好が普通なんです」という世界観がちゃんと作られている、作ろうとしているのがGOOD。さらに、「地方裁判所では証拠を移すのはブラウン管のモニターだけど、東京裁判所ではホログラムを使ったメカメカしいモニター」っていう違いがあるのも、世界観に妥協がなくて好印象。原作を再現しているのではなく、映画として面白くなるように解釈を変えているのは、良い。そのくせ「インコに尋問する」とか言うシーンは、リアルで見る Permalink | 記事への反応(12) | 08:39
去年までブラック務めだった。
元々精神は強い方だと自負していたのと、給料が同世代と比較して良かったのがあって、精神を削りながら出社していた。
キツいのは今だけで昇進さえすれば楽になるだろうと同僚の1.4倍くらいの仕事量をこなし、それを積極的に上司(彼は今となってはうんちだ)へアピールしていたが、昨年の9月頃からじわじわと精神がおかしくなっていき、結局最後に残った僅かな力を振り絞って11月に退職届を提出した。
当時から増田やはてブに入り浸っていたが、退職し十分な休息とたっぷりの栄養を与えられた脳で考えてみると、はてなで費やしている時間を趣味や勉強に使った方がはるかにQOLの上昇に役立つことに気がついた。
冷静になってみれば当たり前のことだ。
去年までは業務によって脳のCPUやらRAMやらが圧迫され、正常な思考ができなくなっていたんだろうと思う。
というわけで本日をもって増田とはてブを卒業し、1月28日(128は2の7乗で縁起がいい)以降はてなとは距離を置くことにする。
オープンリーチを知らない人がこの記事を読むとは思わないが、念のために説明すると麻雀のローカル役の一つであり、リーチ宣言時に手牌を全て公開することだ。通常のリーチは1翻役だが、オープンリーチは2翻役となる。
オープンリーチに賛成する理由として、麻雀の戦略性が広まることにある。例えば終局間際において、トップ取りなりラス回避なりでそれなりに大きな得点が必要な場面を考える。手牌が安くなってしまい得点のためにはあと1翻か2翻欲しい、というやきもきする経験は麻雀を打つものなら誰もが理解できるだろう。セオリーとしては2通りあり、たとえ向聴数が伸びても高い手を作るのか、リーチをして一発や裏ドラといった懸賞役に賭けるのかである。しかしながら前者の手段を取った場合は、手が遅く捨て牌から読まれやすくなりトップ目の他家にとっては有利に働くので、逆転の要素が小さくなり麻雀の競技としての楽しみも薄れることだろう。一方、リーチして懸賞役に賭ける場合でも失敗したら場がしらけることになる。リーチしてロン和了では点数が足りないので、ツモ和了のためにロン牌を見逃すこともあり得るだろう。こんなときこそ、ルールとして認められているのならオープンリーチがしたくなる。場が盛り上がるだけでなく、公開された手牌によってチー・ポン・カンの副露よりも牌の情報公開が増えて他家にとっても戦略性が増すだろう。このように、オープンリーチを認めることで麻雀の競技性は高くなる。
リーチという役は元々中国麻雀になく、緑一色や七対子と同じくアメリカで生まれた役である。聴牌したことの宣言・リーチ棒の供託・和了までツモ切りする、といったリスクを背負うリーチが生まれたことにより、競技としての戦略性が増したことは想像に難くない。さらに、リーチという役から派生して一発や裏ドラも生まれて、これまで競技に使われなかったドラ表示牌の真下の牌も使われるようになった。オープンリーチもまた同じく、リーチから派生した役として戦略性を高める役として普及してきたことだろう。
しかしながら、一発・裏ドラと違ってオープンリーチは現在主流になっているリーチ麻雀ではルールとして採用されていないのだ。せいぜいがローカル役として紹介されるだけの扱いである。
長い歴史を持つ囲碁や将棋の様なボードゲームと違い、麻雀は戦後の動乱期に勃興した競技なのでルールの確立にもさまざまな葛藤があったことだと推測できる。現在ローカル役として扱われてる役は、見た目などは華やかであるものの戦略性が乏しく、単に覚える役が増えるだけの煩わしい役といった類の役が多い。例えば、大車輪は役満として扱わなくとも高い翻数の和了になるのでわざわざ役満と位置付ける価値はないし、三連刻や四連刻も同様だ。一方で緑一色は、現在扱われている役の中で最もローカル役的な雰囲気の強い役と言えよう。牌色が全て緑でアメリカ人にとって縁起がいいからといった理由も、オールグリーンという英名が由来になっていることも、いかにもローカル役っぽさが漂う役だ。個人的には緑一色がローカル役に留まらず正式な役として認められているのは釈然としない。一方で七対子もアメリカ由来だが、4面子1雀頭という和了形の原則を大きく崩すものの麻雀の戦略性を増す良い役だと思う。ローカル役として最も有名な役として人和があるが、説明すると長くなってしまうしオープンリーチの是非を問う本題とはかけ離れてしまうので割愛する。
このように、ローカル役と正式な役との境目を考察してみても、オープンリーチがローカル役に留まっているのは残念でならない。オープンリーチの麻雀をやりたいのならば勝手にやればいいのではと言われるかもしれないが、雀荘でもネット麻雀でも採用されていないルールを身内だけで導入してもむなしいだけだ。
もちろん、オープンリーチの導入に対して反論もある。リーチには一発・裏ドラという偶発役がからみ、さらにオープンも加わると競技としての偶発性がますます高まり、麻雀としての戦略性は逆に下がってしまうのではないかという意見もあるだろう。しかしながら、囲碁や将棋の様な完全情報ゲームとは違い、そもそも麻雀は全ての情報が公開されない不完全情報ゲームである。伏牌の偶発性によって、初級者が熟練者に勝つこともあるのが麻雀の魅力だ。一発や裏ドラなどの偶発性を小さくした競技麻雀があまり普及してないことからも、麻雀には偶発性があることが好まれることの証とも言えよう。麻雀の発達とともに向上した点数のインフレをさらに向上するのではという意見もあるだろう。かつて、麻雀は満貫が最高点であり、清一色でも3翻しかなかったのだ。点棒も現在の100点棒・1000点棒がかつては10点棒・100点棒として扱われていたのだ。しかし、認められる役が増え、場ゾロ(バンバン)が常態化され、満貫で打ち切りだったはずの最高点が四倍満(役満)までにインフレしたのだ。こうしたインフレも麻雀競技者が望んだことでルールとして確立されたことだろう。それでも、オープンリーチを導入したとて単なるリーチに1翻追加されるだけなのでインフレがさらに加速するとは到底思えない。
麻雀勃興期の頃の麻雀団体は、進化し続けていくルールを確立していくことに苦労したことだろう。一方で現在の麻雀プロはただのプロライセンス発行団体になっており、麻雀の競技を普及するつもりはあってもルールを改定する気は無いのだろう。現在のルールを守り続けていくことはもちろん大事なことだが、ルールの改定が麻雀がより面白くなることにつながるなら一考の価値はあるだろう。オープンリーチを今すぐ正式なルールに採用しろなどと横暴なことを主張するつもりはないが、ローカル役の導入について意見を交わしたり試行するなどして、ただただ現在の麻雀ルールを盲目的に追従するだけの姿勢を改めてはもらえないだろうか。
うちの婆ちゃん、福祉施設とか介護施設とかに積極的にボランティア通ってて周囲の信頼も厚かった最強聖人だったのに、
いざ自身がボケてデイサービス使う、グループホーム入るってなったとたん、「あんな情けないところに私が入るだなんて信じられない」みたいなNGワードたくさん言い出したのなんか思い出した
症状が進んでからは、「ボランティアとしてお手伝いがてら、ついでに食事や宿泊を提供してもらってる」みたいな設定で幸せそうに毎日過ごしてた
(顔出すたびに「本当はあんたたちと帰らなきゃだけどもう少し居てほしいって言われたから今日だけ泊まる」みたいなこと連呼してた)
縁起でもないけど、最初嫌がってても進化すると楽しそうになる場合もあるから、そういう様子を現地で見せられれば心配とかも減るかもね
トラ!トラ!トラ!狙い撃ちよ~
トラ!トラ!トラ!勝負よ~
なんだか今年はこの曲がかかりまくるような気がします!
この時期ってさ、
そんで年明けて
カレーのルーをか買うとお節に飽きたヤツか!って思われかねないし
迫る7日は七草粥!
これらの食材を当日に買うと、
なんだかその日に対してもの凄く張り切ってる人だと思われるのよね。
だから最低でも3日前ぐらいにそれぞれの食材を涼しい顔して買っておけるのはそのぐらいの期間開けなきゃ買えないわよね。
そんなことより、
ふと思ったんだけど、
あんまり初詣にお寺って私の中にそう言った文化がなかったもんだから
例の二礼二拍手一礼ってやつ。
お寺だとどういうバージョンでやったらいいのか
ふと直前になってもう引き下がれないところで気が付いたの!
これ幸いと前の人を真似てみて事なきを得た感じがセーフなんだけど、
そういえば、
人は日々勉強ね!
でもしかし、
もう早くない?
お正月三が日がもうよもう!
まだ私年越しうどんもお節に飽きる前というか
そもそもとしてお節食べてないかーらーのーお節に飽きた体裁で食べるバーモンドカレーに
結局お休みの日に
人は変わらないのよ。
昨年の目標だったドラクエVをクリアするってのもとうに忘れてお話進められてないし、
今その話をして思いだしたけど、
ゼルダの伝説も結局オープンワールドすぎて何をして良いのか分からなくて、
木を倒して谷に橋を渡して渡る往復をしていたし、
一向に序盤の序盤の序盤である
4つの祠のうちの何もかも見付かってなく、
なんだか最初のステージを脱出するための空飛ぶアイテムすら手に入れていないところで、
さんざんなぜんぜんプレイしてないゼルダの伝説のことも思い出したわ。
詰まれてないけど、
ダウンロードした覚えも無い私が買ってダウンロードしているはずのゲームとかあって、
こんなのあったんだ!?って
いったいどうなっちゃってるのよ?ってところよね。
現状維持ってのが一番何でもないようなことが幸せだったと思うように
私も今年のロードを512章ぐらい綴っていきたいところよ。
しかし、
お休み中の処理をパパッとパパがイヤがルほどの勢いでこなして、
そうそう!聞いてよ!
まあ当たり前っちゃー当たり前の休日なんだけど、
そしたらどうなるか分かる?
幸いサンドイッチ屋さんは商魂たくましく3日から開いてオープンしているという素晴らしさで飢えを凌ぐことが出来たけど、
おかげでなぜかパン屋さんなのにお年賀のお正月台所スポンジをいただいちゃったわ。
餅がモチーフ!ってそれを言いたかったのかしら?ってふと思ってしまったわ。
あーあよく寝た!って思って起きたらまだ今日だった!って感じがお正月って感じで
本当によく眠れたわ!って思うし、
逆に寝過ぎなのも逆にダメだったりするわね。
あ!
ちなみにまだ年賀状は書いていないので、
この感じラッパーみたいじゃない?
アンサーって言ってるだけでラッパーって随分都合の良い話かも知れないけど、
年明け早々
ズーン!!!
短時間でパパッと処理して出るために、
そう思っていたけど寒さ厳しい津軽海峡のようで
結局「天城越え」か「津軽海峡冬景色」なのかどっちだったのかしら?見なかったけど
どっちを歌う勝って言う賭けのオッズが高かったのはどっちだっけ?
逆に色々な媒体とかあってそれでも30パーセントをキープしているのも凄くない?って思うし
もうまた視聴率がアップして120パーセントぐらい行くんじゃないかしら?って思うんだけどね。
そろそろ温かい
矢野顕子さんの食べ物シリーズの3品を美味しく食べたい気持ちを持って
なにか美味しいものでもありつけたら良いわ。
うふふ。
縁起が良いじゃない?
まさしく新年にふさわしい感じね。
鉄は熱いうちに打て!って言うけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり