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はてなキーワード: 歴史家とは

2019-06-07

百田尚樹特集面白かったな。

予想通り書いてる方、出版社は売れる時代小説だと言ってる。

明日あなたを元気にする本だから真面目に読むなよ的なことをさらっと言ってる。

大学教授とか歴史家じゃなくて純然たるギョーカイ人おっちゃんだし三国志感覚で読むならいいんじゃないのかくらいには思うけどな。

読んでる方はその前提をどこまでそう思って読んでるのだろうとは思う面はあるけど。

タバコの注意書きみたいにこれは学術書じゃなくて時代物です表記をつけなさいだとか、

此の本は学術書として売ってはいけない(学術書コーナーに置いてはいけない)と文科省がお触れを出す。

そういうふうなことをする時代も来るのかなと思ったりもする。

2019-05-28

性役割を降りて行った者たちは子孫を残せない

後世の歴史家たちは「こんな運動流行っていました」と記すだけであろう。

https://anond.hatelabo.jp/20190528124533

2019-05-18

幻冬舎炎上と今の時代教養

幻冬舎炎上で思い出した。ここ何年かの出版のことである

このたびのご炎上はここ最近出版界のお金の無さや、特定お国がお嫌いなお方たち向けビジネスサロンビジネスとかのまさに結実のようである

それはそれとして、もっと以前から気になっていたのだが、Amazonで本を探すと「教養」というジャンル自己啓発本が分類され、ランキングの上位をしめているのである

自己啓発本のいい悪いはともかくとして、この事象未来歴史家なり民俗学者なりが見出した時、彼らはこう思うのではないだろうか。

平成~令和時代の人たちにとっての『教養』とは「こういうもの」と考えられていたようだ」と。

しょうもないことではあるのだが、幻冬舎炎上でなんとなく思い出したのでここに放流しておく。

未来歴史家さん、別にそんなことはない、と思います

まあ俺が違うんじゃないかと思ってるだけで、そう売られている以上そう思っている人が多いのかもしれないけどね。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-04-19

anond:20190418193218

醜いを体現している世代が、私たちは美しいと言ってるんだから、後世の歴史家はこのことをどう皮肉ってくれるのでしょうか。それだけがせいぜいの心の慰めです。

ワーニャ伯父さん - Wikipedia

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかたこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様わたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…」

2019-04-08

anond:20190408212822

新卒カード大手に入っても45才を超えると退職勧奨される時代になってしまったのだよ。

45才というと氷河期の一番最初くらいだよな。

サムソンが40才定年とか、ファーウェイが下位10%は首切られるアップオアアウトだとかって話題になったりしてたが、日本企業もいずれはそうなる。

過去のことでグダグダ言ってて金が稼げるわけないだろう。

そういうのは歴史家じゃないなら、酒の席だけにしといたほうがいい。

2018-12-14

anond:20181214170306

歴史好きの失笑をかったからなんだというんだ?

そんなの意味ないことぐらい、それこそ歴史証明しているだろう。

しろそういう状況からは、人間心理傾向みたいなものを、歴史家には割り出してもらいたい。

2018-11-16

広島長崎原爆投下がなぜ悪いか自明でない理由

戦争で人を殺す兵器のものが悪い→自衛隊自明な悪ということでよろしいか

民間人が死んでいるのが悪い→日本も賛成したベオグラード爆撃やバグダッド爆撃も自明な悪ということでよろしいか

民間人犠牲が大きいのが悪い→日中戦争あるいは日露戦争自明な悪ということでよろしいか

民間人攻撃主体とする攻撃なのが悪い→重慶爆撃も自明な悪であるか、ゲルニカ爆撃をしたドイツとの同盟はどうなのか、風船爆弾自明な悪の兵器である

桁違いの威力兵器であり民間人犠牲が大きいのが悪い→米国核の傘から抜ける覚悟はあるか、北朝鮮中国東京に核を落としても日本人は核報復求めない宣言できるか


いずれも「他人から先に悪事をされた場合自分たちが悪になってもよい」という論破可能だが、それでは「悪」定義付けることがが個々人の気持ち問題矮小化されてしまうし、過剰報復いくらでも正当化するものになるだろう。この場合当然米国原爆投下も悪でありながら行動としては正当化される。

自分にとって一番納得できるのは、「日本降伏直前であり、降伏きっかけもソ連の参戦であったため、原爆を投下しなかった場合に生じる米国軍人の犠牲はごく少数であり、人道的見地からして広島長崎における多数の犠牲者数と見合わない」という歴史家見方だと思う。

2018-10-30

歴史をめぐって、この国は右傾化している。

学校教育における愛国教育などはその典型例であろう。

歴史教育というのは、愛国教育など関係なくともある意味思想押し付けという性格を持つ。

そこに愛国という思想を加えたのである

そんな中で、学問としての歴史学、特に日本史学邪魔であろう。

よく、右翼歴史家を左翼だと言う。学術的に考えられていることを、左翼歴史家が捏造したことだと言う。

マルクス主義史観時代でもないのになぜそんな事が言えるのか。

歴史家が左翼なのではなく(左派右派もいる)、

歴史学こそが右翼にとって左翼なのだ

左翼的でない歴史右翼が納得する歴史、極論を言えばそれは古事記日本書紀のように国が定めた正史だ。

愛国教育というのは、これに近い性格の物であると私は考えている。

最後になるが、私は元々歴史家を志していたが近年の歴史を巡る情勢の変化に嫌気がさし、未来がないと踏んで飛び出して来たものである

また、歴史家が左翼でなのではないと言っておきながら私は左翼自称している。

歴史をめぐる右傾化への反発のつもりである

2018-09-06

もしもパン法律禁止されたら

パンバーターにすぎないイチゴジャム需要を失い、イチゴ農家が路頭に迷う

貧困を極めたイチゴ農家たちは暴動引き起こし、やがて国民を巻き込んで日本政府転覆を図るテロ組織となる

後の歴史家はこの事件いちご一揆と呼ぶだろう

2018-07-31

シャイマン

シャイニングスコーピオンみたいでかっこいい。

後世の歴史家からシャイスコもシャイマンも同時期に出現した概念のように語られるようになる。

そうなるとうれしい。

2018-06-24

anond:20180624150554

少子高齢化に関する何かも、後世の歴史家はそれに該当するものだったと評しそう

2018-06-05

anond:20180605153942

「先人の議論の正しさ」を確認、って増田が正しさを判断できるとは限らないよね。それに「議論の正しさ」とは何か、という問題もある。

「先人は正しいかどうか俺が決める」なんて言ってること自体が、知に対する多大な冒涜しかない。少しは恥を知れ。

増田に「正しさを判断する資格」があるかどうかを示してくれないどころか、児童発達心理学者の超初歩ビッグネームも知らない、「子供」を軸に歴史を読み直した歴史家の存在すら知らなかった増田が、客観的に「正しいかどうか」判断できる能力があるとは、思いにくい。

それに私がごく基本的な、大学一般教養で読むような初歩のレベルの本を提示しても、それでも私の提示した本が「正しいどうか」なんて勉強嫌いのガキの言い訳で逃げてる増田に、正しさを判断できる客観性があるとも思いにくい。

そもそも研究に対する正しさ」は、その時点での正しさでしかなく、絶対不変の正しさがあるわけではない。これは研究をする人たちや知を信じる者たちの共通理解

増田だって、今はロリコン迫害されているが俺論理では子供には自由意志があってロリコン迫害されるべきではない、という説を唱えているわけだけど、それと同じ。

今のところ、過去研究者の積み重ねや歴史や人々の知見の積み重ねなどによって、多くの近代国家において子供には独立した自由意志を持つのは難しいという判断がされていて、それがもう100年近く続いているというのが現在位置

2018-04-13

https://anond.hatelabo.jp/20180413085821

中国がすごいっていうのは、

国が好き勝手に開発事業をできたり

国が好き勝手規制と緩和を出来たり

国が好き勝手情報統制できたり

国が好き勝手人員整理できたり

そういうことの上に成り立つものでなぁ

インドみたいにいきなり高額紙幣を捨て去って、電子通貨が普及したのをスゲェって言うようなもの

都会がぁ、田舎がぁとか、そういうことじゃぁ無いんだよな

アリペイみたいなのを実現しようと思ったら、後の歴史家から何言われるか判らんレベルギャンブル規制緩和して

国民資産などどうでも良いとばかりに、保護政策も何もなく企業に好き勝手やらせ

それで初めて出来るから


やらせたいのか?

本気で言ってるなら、そいつ狂人だよ

今の中国アリペイ資金運用に失敗したら、何人死ぬと思う?

おそらく、世界恐慌の引き金レベルで荒れるぞ

2018-01-14

孝明天皇攘夷だのいって歴史を反復しなければその後薩長に乗っ取られることはなかっただろうし大戦は防げたんでしょうねえはてな匿名歴史家の皆さん

2018-01-02

故郷Wikipediaアマチュア歴史家に好き放題書かれている

誰も修正しないまま1年が経った。

1人の人物周辺地域Wikipedia編集しているようだ。

人口の多い項目はすぐ修正が入るが自分地域は誰も見ていないのだ。

2017-12-15

戦後民主主義の次の時代は何て言うの?

現在を名付けるのは、後の歴史家仕事なのか?

2017-09-17

先に殺してはいけない

タカ派の一部は先制攻撃を煽っているけどさ。

やっぱ、後世の歴史家()から悪者扱いされることはしたくないよね。

まあ、パールハーバーパールハーバーってしつこく言われてトラウマになってる分、ナーバス過ぎる部分はあると思うけどさ。

でも過去歴史特にWW2以降)を見ると、大体の場合において、戦争正当性()を主張できるのって「先に殺してない」側だと思うんだよね。

イラクアフガニスタンを見ても、アメリカ悪者っぽく見えるのは、やっぱり客観的に見て9.11との因果関係が弱いせいでしょ。

戦争する以上、口実が大事ってのは大昔から常識で、そこで失敗すると勝っても後ろ指さされることになるのは歴史証明してるはず。

勝てば官軍」は嘘じゃないけれど、正確には「負ければ賊軍」であって、勝っても非難を浴びることは往々にしてある。

この辺を失敗すると、例えば盧溝橋のように延々と禍根を引きずることになる訳だ。

まり何を言いたいかというと、どうしても攻撃なり暗殺なりをしたいなら、相手を罠にハメてでも、向こうが先に殺したという確たる証拠を作る以外にないよね、ということだ。

挑発合戦を繰り返しているのもそういう背景があってのことだし、その辺も理解せずに先制攻撃を煽るのは明らかな利敵行為なんだけど、本当に愛国心()があるのかねーと思う次第でございます

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091600374&g=prk

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170902235548

全てのツイッターデータアメリカ国会図書館自動収集されてるとどこかで読んだ

もしそうならツイートして削除したものも多分収集されてると思う

プライベートモードはどうなんだろ?

歴史家データの取捨選択は難しいと思う

でもみんな作家日記みたいに後世の人に読まれるに違いない

古代メソポタミアエジプトのあたり子どもテストの点数とか勉強愚痴とか残っているし

増田は間違いなく歴史に残っている

わりと世間動かしている

歴史書どうなるんだろうな

2017-03-22

聖徳太子しろ何にしろ科学政治バランスをとるべきではないのか。

https://togetter.com/li/1093213

なにやらはてなブックマークがあるツイートで盛り上がっていた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808

https://twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808

まとめはそれを元にしたまとめ(なんだろう)が、なんとなく観点がずれてる気がしたので、長文だが意見を書かせていただきたい。

100文字では書けん。

大前提として、まとめのほうのタイトルになっている

歴史学歴史学者の独占物なのか?」という「問い」に対しては「独占するべきではない」と思う。

歴史家特権階級になってはいけない。

そして、教授陣とはまた違った「在野で歴史を考える者」の意見も、また参考にされるべきなのだ

まあ、教授左翼云々は偏りだというまとめでの指摘も最もだけど。

しかし、歴史学も「人文科学」なのである。「科学である

科学」が「市民感覚」でないがしろにされて良いのだろうか。それは豊洲の件で大いに問題になったはずだ。

豊洲科学的に安全なのに、「安心」できないから駄目などと言われている。

これは「科学風評に負けた」例となりうるだろう。

まとめを読んで、豊洲の例を惹かれて説明されている、このあたりが自分としては特に心配に思った。



でも、だからといって、学者がすべてを決めてしまう、

エリート独裁」的なことが行われてしまえば、それはそれで問題である

大事なのは科学政治バランスをとるべきではないのか。

まとめ文中では軍事を例にして、専門家だけで暴走することの危険性が語られているが、これはある程度当たっていると思う。

この国は、関東軍暴走という自称から戦争が始まってしまった国なのだ。それは反省し、今後戦争をおこさないようにすべきだ。

でもその例で言えば、軍人絶対に無理という作戦政治家が指示してしまった場合はどうなるのだろう、とも思った。

戦前反省を元とした言説にこのようなことを突っ込むと、特にリベラルはてなーには、やれ軍国主義だのなんだの言われるのかもしれないが

現実問題政治家が専門外のことをそこまで指揮を取れるのか。それは歴史学だって言えると思う。

そこで思ったのは、「様々な説を検討する段階をオープンにすること」そしてそれによって「バランスを取る」ことである

結局、学者の独占も、過度の政治の介入も両方よろしくないのだ。今回の件は、ある一つの説を押し通そうとしてしまったというところに問題があるようにも思える。

所謂主流の説、「権力を持った学者」の説を押し通すのではなく、オープンにしていく。それが必要なのではないのかと思った。

そして、教科書に関しては、複数の説の併記必要なのではないか

東大京大で学派が違い、入試問題採用する説も微妙に違うということも起きているが、

これも両論併記でどうにか出来ないものなのか。

とは言えども、結局どうやってバランスを取るのか、現実的手段はあまり思い浮かばない。

このあたり、頭がいい人達が考え出してくれないかなあ、と思う。

2017-01-28

とある歴史情報サイトの参考文献がWikipedia

数年前に登場し、一時期はてブの新着エントリにも頻繁に記事が入っていた歴史情報サイトがある。

毎日大量に長文記事更新され、昔読んだ時には、参考文献に既存書籍名がちゃんと書かれており、(丸写しだとしても)「ちゃんと勉強してるんだなぁ」と思っていたが、久しぶりに検索でたどり着いたこサイト記事を読むと、複数提示された参考文献がほとんどWikipediaになっていた。Wikipedia以外の参考文献も既存書籍ではなく別のサイト名前提示していただけだった。

ああ、こんなふうに落ちぶれるんだなぁ…と思った。

 

※このサイト複数ライターによる執筆制になってるので、Wikipedia多用記事はこのライター限定の話かもしれない。試しに別の人の記事を一つ二つ見たら、名のある専門家郷土歴史家を名乗る人の独自記事だった。

2017-01-16

アートになりたい

俺の生き方のものアートだと後世の歴史家評価されて教科書に載ったり新潮の夏の百冊に俺の偉人伝が入るの

2016-05-04

そろそろ日本消滅後の歴史家のために正しい情報海外に残しておくべきではないだろうか。ネトウヨが暴れてノイズが混じりそうだし。

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20160417222728

なぜ なんて歴史家が後から調べて丹念に検証して初めてわかるものだろ。

それをマスコミに期待してはいかんよ。

マスコミはつねに真実ありのままに伝えるに徹するべし。



リメンバー天安門

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040313

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