「歴史家」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 歴史家とは

2020-07-28

後世の人語りが嫌い

戦記ものとか歴史ものので後の世で〇〇といわれるのだった。とか書かれてるのが苦手になった。

今読んでる物語の中の今の時間に進行する話を読んでるんであって、お前が作った物語上の歴史教科書が見たいんじゃないんだ。

それに、後世の歴史家が存在して評価する描写が入ってしまった時点で確定した未来存在してしまっている感覚になる。

物語描写されている時点で未来は未定であってほしいんだ。そうでなければ作品人物たちは決まってるレールを歩かされるだけじゃないか。(実際には全て作者の作ったレールの上だとしても)

2020-07-23

anond:20200723104545

わしもそうおもう。

 

最近商業BLが成人指定受ける流れで某歴史家さんがいちいちあげつらってて

その見守って報告する行為自体は大切だと思うから読むんだけど

オチおまえら性器フォビアか!だけのお気持ちになってきちゃってて

そうです私達は性器フォビアです!!メシくってるとき性器みたくない派です!

適切審査議会さん、そして子供に売らず大人に成人指定売ってくれる手間かけてくれるお店さん、ありがとうね!てなる

グレーのがけっぷちをせめてるろくでなし子もそうだけど

クチャラーとか生理的に受け入れられないものはずっとのこるとおもう

言いたいことはわかるが大人うちわだけでやってくれ

2020-07-02

anond:20200702150844

馬鹿はどこでもいる

日本一大都市である東京馬鹿の数はそりゃもうすごい数だ

問題馬鹿馬鹿とののしっても何の解決にもならないということだ

かなりの数の馬鹿が居ることを見込んでコントロールするのは為政者に当然求められるスキル

それができない者は後世の歴史家無能評価されるだろう

2020-06-21

なんで大塚英志が一流の歴史家みたいな顔して朝日新聞に出てるの?

大塚英志ってサブカルを妙に左翼がかった読み解き方をする人で、ひと世代前の終わった評論家。著書もカビの生えた議論を繰り返していて時代錯誤。っていう扱いだったのに、なんで大物のように朝日新聞に出てるの?

2020-03-30

と重なる天文現象)の支配者」[18]、「星座支配者」[19])」の雅号で呼ばれている。その歴史家のうち、ヤズディー(英語版)はティムールとともにアレクサンドロス3世を、ニザーム・アッディーン・シャーミー(英語版)はチンギス・ハーンティムールの孫ウマルを「サーヒブ・キラーン」として称している[20]。

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060197591--Холостяк-7-сезон-6-серия-31-03-2020-смотреть-в-хорошем-качестве-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060197691-31-03-2020-Три-капитана-1-серия-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060197751-31-03-2020-Вiд-пацанки-до-панянки-4-сезон-7-серия-в-хорошем-качестве-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060291952-31-03-2020-Патриот-16-серия-смотреть-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060291992-31-03-2020-Карпатский-рейнджер-23-серия-в-хорошем-качестве-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060197931-31-03-2020-Три-капитана-9-серия-последние-серии-смотреть-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292032--Паромщица-3-серия-31-03-2020-онлайн-сериал-смотреть-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198011-31-03-2020-Место-под-солнцем-35-серия-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292092--Корни-19-серия-31-03-2020-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

2020-03-28

anond:20200328180659

せっかくなら官僚主導公文書廃棄にも正面から立ち向かった首相、としても名を残して欲しい。

後世の歴史家公文書の大切さをよく理解しているだろうし。

2020-03-27

anond:20200314183645

昔は歴史を学ぶのは歴史家だけのもの義務教育で全員が歴史を学ぶという文化はなかった

私達が毎日乳搾りや水くみをしなくてもよいように2500年になったら歴史を学ぶ文化が残ってるかどうかがあやしい

2020年の私達には全く想像もつかない新しい文化義務教育で学ぶ、義務教育という文化も残ってるかあやしい

2020-02-03

安倍政権通常の3倍の速さで腐敗しているのに

野党応援するリベラル左派さらに3倍のスピード全体主義の方向に劣化しているのでノンポリ無党派層が完全に置いてけぼりを食らっている

それこそが新たなポピュリズム全体主義への胎動と後世の歴史家は語るのだろうか

オタクフェミが戦っている。

それはそれとしてオタクカルチャーは滅亡する!

オタクカルチャーの滅亡はもはや既定路線なのかもしれない。

そこで未来歴史家とかが「なぜオタクカルチャーは滅んだのか?」みたいな歴史書を書くと仮定しよう。

「当時のオタクは将来的にどんな未来に繋がると思っていた」という当時の意見のようなものミッシングリンクとなるだろう。

なぜなら探してみても全然見つからないためである

そこで、せっかくだから現代オタクの「理想未来予想図」をコレクションしたいと思った(使命感)。

しかし実際に見つかるのはやっぱり「フェミとかポリコレといった敵対勢力のせいで破滅的な未来が訪れる」→「オタクはこれらの侵略者と断固戦うのだ」→「大勝利」みたいなのばっかり。

おわかりだろうか?これって内部に問題が抱えた組織が外部に敵を作り出して結束を図るってやつじゃないの?(オタク内部の問題ってなんなんだろうね?)

とにかく「これからオタクカルチャーますます発展していって将来的にはこんな理想未来が待っているんだ」みたいなのが全く見受けられないのである

オタクは一体どこを目指しているんだ?(一体どこを目指しているんだ?)

やはりオタク自身オタクカルチャーは将来的に滅亡不可避だと思っているのだろうか?

2020-01-08

anond:20200108155551

リスクの指摘については認めるが、対応策の部分がガバガバリベラル思想に寄りすぎな印象。

歴史家であって、国際関係政治専門家ではないだろうから、むりもない。

2019-12-05

anond:20191205120705

史料が入り紛れて後世の歴史家が本当にそう主張しそう

2019-11-28

日本の滅亡

鎌倉幕府の滅亡

室町幕府の滅亡

江戸幕府の滅亡

大日本帝国の滅亡

これにつづく次の滅亡とすると、民主主義日本国の滅亡ということになるだろう。

歴史家が振り返ると、それはもう起こっていることになるかもしれない。

2019-11-16

不景気震災にと散々な時代だった平成が残したただ一つの偉業それは

若者の車離れだ。

冷静になってみれば車離れは良い事しかない。

平成時代を、将来の歴史家はたぶんこう評価すると思う

2019-11-01

パンティ

はるか昔、パンティーは宇宙であった。

宇宙は全てを内包し、全ての可能性を許容する。

あまたある可能性の中からパンティーは生まれた。

「パン」と「ティー」が出会ったのだ。

もともとパンティーは別々のものだった。

つまるところ、パン(bread)とお茶(tea)である

なぜ食べ物飲み物パンティーになったのか。

なぜ下着パンティーと呼ぶようになったのか。

それはまだ解明されていない。

だが、パンティーは不可分であると著名な歴史家は語っている。

パンツではダメなのだ

ツではなくティーでなければならなかった。

それだけははっきりしているのである

2019-08-13

日本の歴史家を支持する声明

下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります私たちの多くにとって、日本研究対象であるのみならず、第二の故郷でもありますこの声明は、日本東アジア歴史いか研究し、いか記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国あいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります戦後日本が守ってきた民主主義自衛隊への文民統制警察権節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題ひとつに、いわゆる「慰安婦制度問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国中国民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。 そのために、政治家ジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために 利用されるとすれば、それは問題国際的解決をより難しくするのみならず、 被害者自身尊厳さら侮辱することにもなりますしかし、同時に、彼 女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりする ことも、また受け入れることはできません。二〇世紀に繰り広げられた数々 の戦時における性的暴力軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦制度 はその規模の大きさと、軍隊による組織的管理が行われたという点におい て、そして日本植民地占領から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾 取したという点において、特筆すべきものであります

「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなり の部分は破棄されましたし、各地から女性調達した業者の行動はそもそも 記録されていなかったかもしれません。しかし、女性移送と「慰安所」の 管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料歴史家によって相当発掘さ れていますし、被害者証言にも重要証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。 「慰安婦」の正確な数について、歴史家意見は分かれていますが、恐らく、 永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史事実を変えることはできません。歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいますしかし、大勢女性自己意思に反して拘束され、恐ろしい暴力さらされたことは、既に資料証言が明らかにしている通りです。特定用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者証言反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈無視することにほかなりません。

日本研究者・同僚と同じように、私たち過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族ジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作検閲、そして個人的脅迫から自由でなければなりません。私たち歴史研究自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます

多くの国にとって、過去不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカ日系人に対して、アメリカ合衆国政府賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さら一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています米国ヨーロッパ諸国日本を含めた、十九・二〇世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

今日日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、 第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性搾取するような ことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役 人の中には、倫理的理由からこれに抗議した人がいたことも事t実です。し かし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本自身も多大な苦しみを被 りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。

今年は、日本政府言葉と行動において、過去植民地支配と戦時における侵略問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値人間安全保障重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ち賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

過去の過ちを認めるプロセス民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦問題の中核には女性権利尊厳があり、その解決日本東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

私たち教室では、日本韓国中国他の国から学生が、この難しい問題 について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、 私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得 る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

(※署名者一覧省略。187人の在米歴史学者の署名

https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf

2019-08-08

anond:20190808104754

フランコの死後にはそれまで未公開だった公文書を用いた研究不可能ではなくなり、従来考えられていたよりも人的被害が少なかったとする説が主流となった。1985年には左派歴史家集団ゲルニカゲルニカサーラという研究組織設立し、爆撃の意図民間人殺戮にあったこと、死亡したのは250人であるとの見解を発表した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AB%E7%88%86%E6%92%83#%E7%88%86%E6%92%83%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%AD%BB%E8%80%85%E6%95%B0

Until the 1980s it had been generally accepted that the number of deaths had been over 1,700, but these numbers are now known to have been exaggerated. Historians now agree that the number of deaths was under 300.

https://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Guernica#Casualties

フランコ派が極端に少なく見積もってたのを差っ引いてもかなり減ってるやんけ

2019-07-17

anond:20190717195246

これが増田党が始まる第一日目だったと歴史家は振り返るわけだよ、がんばれ

2019-06-07

百田尚樹特集面白かったな。

予想通り書いてる方、出版社は売れる時代小説だと言ってる。

明日あなたを元気にする本だから真面目に読むなよ的なことをさらっと言ってる。

大学教授とか歴史家じゃなくて純然たるギョーカイ人おっちゃんだし三国志感覚で読むならいいんじゃないのかくらいには思うけどな。

読んでる方はその前提をどこまでそう思って読んでるのだろうとは思う面はあるけど。

タバコの注意書きみたいにこれは学術書じゃなくて時代物です表記をつけなさいだとか、

此の本は学術書として売ってはいけない(学術書コーナーに置いてはいけない)と文科省がお触れを出す。

そういうふうなことをする時代も来るのかなと思ったりもする。

2019-05-28

性役割を降りて行った者たちは子孫を残せない

後世の歴史家たちは「こんな運動流行っていました」と記すだけであろう。

https://anond.hatelabo.jp/20190528124533

2019-05-18

幻冬舎炎上と今の時代教養

幻冬舎炎上で思い出した。ここ何年かの出版のことである

このたびのご炎上はここ最近出版界のお金の無さや、特定お国がお嫌いなお方たち向けビジネスサロンビジネスとかのまさに結実のようである

それはそれとして、もっと以前から気になっていたのだが、Amazonで本を探すと「教養」というジャンル自己啓発本が分類され、ランキングの上位をしめているのである

自己啓発本のいい悪いはともかくとして、この事象未来歴史家なり民俗学者なりが見出した時、彼らはこう思うのではないだろうか。

平成~令和時代の人たちにとっての『教養』とは「こういうもの」と考えられていたようだ」と。

しょうもないことではあるのだが、幻冬舎炎上でなんとなく思い出したのでここに放流しておく。

未来歴史家さん、別にそんなことはない、と思います

まあ俺が違うんじゃないかと思ってるだけで、そう売られている以上そう思っている人が多いのかもしれないけどね。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-04-19

anond:20190418193218

醜いを体現している世代が、私たちは美しいと言ってるんだから、後世の歴史家はこのことをどう皮肉ってくれるのでしょうか。それだけがせいぜいの心の慰めです。

ワーニャ伯父さん - Wikipedia

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかたこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様わたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…」

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん