はてなキーワード: 非常勤講師とは
先日、非常勤講師をやっている大学で学生から声をかけられた。ゴールデンウィーク中に観るといいアニメを教えてほしい、というのだ。観終わったら個人的に短いレポートを提出したいが見てもらえるか、という話とセットだったので、単に「おもしろいアニメを知りたい」というわけではない。むしろ「アニメというのものにもうちょっと迫りたい」という積極性の表れという感じだった。
だが、このリストは「すべてのおもしろい作品」や「歴史的転換点の作品」を網羅することが目的ではない。その目的はもう少し別のところにある。
先日、非常勤講師をやっている大学で学生から声をかけられた。ゴールデンウィーク中に観るといいアニメを教えてほしい、というのだ。観終わったら個人的に短いレポートを提出したいが見てもらえるか、という話とセットだったので、単に「おもしろいアニメを知りたい」というわけではない。むしろ「アニメというのものにもうちょっと迫りたい」という積極性の表れという感じだった。
だが、このリストは「すべてのおもしろい作品」や「歴史的転換点の作品」を網羅することが目的ではない。その目的はもう少し別のところにある。
https://trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/01/122007
https://trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/03/141521
↑それはもはや自主規制ではない
「燃やされたくなければ自ら燃やせ」
「自分で考えて私と同じ考えになりなさい」
要は規制派のスティグマからは逃れたいから「自分で考えて私と同じ考えになり、私に都合よく自己責任で自主規制しろ」って言ってるのね
筆者は「法的規制は求めないが自主規制を求める」という考えなので「表現の規制派」ではないと考えてるようだが違う。はっきり言うが、あなたは「表現の規制派」だ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/01/122007
相変わらず自分はカマトトぶって、論的は悪魔化してるなあ。「見ない自由」持ち出しといて表現の自由否定するってどういうセンスなんだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/03/141521
公的な規制でなければ良いとした場合、フェミニストを不快と感じる人達の抗議により講演や出版がキャンセルされたり、限られた人しかアクセスできないようゾーニングされても問題ないという事になりますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4712727467113621954/comment/nowa_s
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168014
間違い。BLは専門家も認めるポリティカリーにコレクトな表現です
溝口 BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
大学非常勤講師。ビジュアル&カルチュラル・スタディーズPhD。著書『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(2015)、『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(2017)が2017年度「Sense of Gender」賞特別賞受賞。
最近まで共通テストの記述導入だとかで二転三転したのを誰も言わないのが不思議でならないのだができもしないことをするとどこからかもわからず言い始めて誰もそれを実現する方策をとらず余裕のまったくない現場がかもしれない運転で研修重ねて最終的にやっぱり無理よね〜なんて直前で無くなっても誰も責任取らないのがこの国の教育なのね。ともかく子どもの教育なんていっちょかみしたいくらいで一銭も出したくないし興味もない。そもそも記述導入無理でしょ?は現場はずっと言い続けていたけど増田の人々は最後の最後になってほらじぶんの思ってたとおりだとかしれっと後出しジャンケンするわけ。クソダサいし少しは恥ずかしいことだと認識してほしい。
情報に関してもそうで、情報の免許だけでの地方高校で採用枠ほぼ無い。ずーっとないの。その中でその免許とって高校で働こうって考える若者いるわけないのよ。これまでも商業や数学、理科の一部が伊達と酔狂で取ってるくらいで免許としては情報一つでは採用されないし週16時間で片道30km距離ある2校掛け持ちで非常勤講師手取り10万交通費なしの世界です。そもそも教員採用全般が団塊世代の大量退職の割に採用できてなくてひたすら人員削減されてる割にそれを補って有り余るくらい人気ない。小学校なんて2倍切ってたりするのでまあ誰でもなれて採用側選べないからあと5.6年で小学生先生に妊娠されられたり教師による無差別殺人みたいなのボロクソ出てくるよ。
つまり情報の共通テスト必須化はしてもほんとムダで現代社会みたいに学んでても学んでなくても誰でも平均点は取れるくらいのテストになるだろうし良識的な少しは考える大学は参考値みたいにするしかないものになる。
あとすぐに「それこそオンラインにして〜」とか「民間人を〜」ってやつ、そういう人が利権を得たくてやってるだけの世界なのでおめでたいです。子どもをあらゆる意味で食い物にするなんてうつくしいにほん。
誰もが、は大げさだけど旧帝大とか有名私大の名門研究室の教授を(伝統芸能みたいに)継承する一握りの人以外みんな不幸になる設計だと思う。
考えてみて欲しい。人文系の博士課程(後期)に進む人というのは幼少期から勉強が出来て親や学校の先生に期待されて大学に進学している。
論理的思考能力や粘り強く課題をやり抜く力とかも身に着け、指導教員に励まされながら論文を書き30前後に博士号取得で能力の頂点に達する。
問題はその後だ。
大学を卒業して企業に入った場合、その年代では仕事を覚え裁量範囲が増し(場合によっては部下もいて)給与や処遇も1年目よりはよくなっている筈だ。
しかし人文系博士はどうだ?博士号取得したてで就けるのは非常勤講師、それも年々減っている。時給換算すれば家庭教師より悪い。
自分が大学生の頃馬鹿にしていたようなF欄大学の学生に「パンキョー」で専門分野とは異なる分野を教えながら学会費を捻出し勉強会などで研究を続けるほかない。
なにより気が滅入るのは先が完全に見通せることだ。80代の名誉教授から大学教授、准教授、助教、常勤講師まで上はびちびちに先輩が詰まっている。
理系ならば海外からスカウト、民間研究所に就職という手もあるだろう。だが誰が哲学や宗教学や文学の博士を高級で迎えたがる?[反語的疑問文]
かつて自分が馬鹿にしていた同級生が企業の管理職に成ったり起業するのを横目に見ながら、世渡りが上手くマスコミ受けがいい分野(社〇学を筆頭に)で著書が売れる研究者を羨みながら
学生の頃と変わらない住まい、服装、生活パターンを続けていれば不安と嫉妬で頭がおかしくなるのも無理はない。
男性研究者の場合はさらに深刻だ。「女性研究者登用」という制度(それ自体は正しい)のおかげで挑戦権さえ得られないリスクさえある。
いっそ性転換してMtoFとして応募してみないか?という悪魔のささやきが聞こえてくる。
SNSでの暴言はもちろんいけない。昨今の事例を鑑み、普通の人間ならリスクと便益を考えてやらない。
あっという間に何十年とかけて積み上げて来た勉学と研究と人間関係と研究者としての将来をふっとばしてしまったある人文系研究者を見てつくづくため息が出た。
「諌める」…便利な言葉やね。池内恵が件の非常勤講師と指導関係にあるわけでもないのに。
横だけど、正直そこ違和感あるんだよね。
非常勤講師と大学の関係なんて千差万別で、確かに語学講師とかで数コマ同じ大学に依存していると講師の力が弱いとは言えると思うんですよ。
でも、「帝大の研究室が抑えてる、専門性の高いポスト」みたいなケースだと、大学にとってめんど臭いのは講師との関係じゃなくて、その背後にいる教授との関係だからね。
高々月3万円をケチって、著名教授と喧嘩するか、ってことを考えてみれば、非常勤講師だってそんなに立場弱いことないよ。
池内氏がこのように非常勤講師に対する大学当局の「横暴」を強調することで、山内氏と勤務先の甲南大学との間に、無用な対立構造を生み出してしまっている。
そのツイートは気付で送ったさえぼう側が悪いと糾弾してるものだけど、それが、山内に対する一種の誉め殺しだってこと?
ねじけてんなぁ
現在、Twitterで炎上中の雁琳(がんりん)こと、甲南大学非常勤講師・山内翔太氏。まだ30代頭の駆け出しの研究者なのだが、彼が「身バレ」して炎上するに至った経緯を見るに、東大教授・池内恵氏が故意に仕掛けているとしか思えなくなった。
ご教示いただきありがとうございました。大学の人間としては山内翔太さんですね。衒わず自分の名前で堂々としていらっしゃればいいんです。言論を理由に圧力・工作かける人はとっくに知っているはずなので、実名で堂々としていることが最大の防衛策です。
https://twitter.com/chutoislam/status/1454774138883608586
例えば2021年10月31日の上記ツイート。わざわざ山内氏のリサーチマップ(研究者のプロフィールサイト)を貼って、彼の匿名アカウントと個人情報を紐付けている。
もし池内氏のこのツイートがなければ、ここまで炎上することはなかっただろう。
非常勤講師と勤務先の大学との関係がこのようなもの(メールボックスももらえないから宛先には使わないのが常識で、高い確率で大学当局が開封してしまう)であることは大学関係者には周知の事実なので、大学当局が読むことは予期していたと推認できるが、その推認が働かなかった理由は何か
https://twitter.com/chutoislam/status/1484392599200829440
また2022年1月21日の上記ツイート。すでに多くの大学関係者から「んなわけねーだろ」とツッコミが入っているが、池内氏がこのように非常勤講師に対する大学当局の「横暴」を強調することで、山内氏と勤務先の甲南大学との間に、無用な対立構造を生み出してしまっている。
書くならその白饅頭とやらを駆逐する規模で書かんと話にならん。客を奪われた白饅頭にネットで陰口言われ揶揄されるぐらいになれ。陰口怪文書書く側になるな。書かれる側になれ。以上
https://twitter.com/chutoislam/status/1484838070562160641
それはTwitterで書かずに一冊の本としてお書きになればよろしい。単行本500ページの憎悪と呪詛を書き連ねて文学・思想、文明批評となっている原稿を送ってくれれば、出版社を紹介します。読む人いるでしょう。
https://twitter.com/chutoislam/status/1484832718407933952
そして極めつけは、2022年1月22日の上記の2つのツイート。東大教授という立場や出版社とのコネクションを利用し、若手研究者の言論・執筆活動を束縛し、自らの従属下に置かんとする態度がありありと見て取れる。
これが大学人、しかも東大教授のやることだろうか。池内氏は山内氏を玩具にして遊んでいるつもりなのかもしれないが、自分の道楽でひとりの若手研究者の人生が終わりかけていることを深刻にとらえていただきたい。
立場が弱い非常勤講師(でいいんだっけ?)が、生殺与奪を握っている学長、しかも異性に呼び出されたとなればアカハラセクハラ防止のために録音くらいしておくのは正当でしょ
登場人物の男女を丸ごと逆転させて同じ状況で同じことが起きたとしてそれを咎められて解雇なり契約打ち切りなりされるんか?って話
「私、甲南大学の非常勤講師山内(雅号は雁琳)はこのTwitterアカウント雁琳の中の人ではありません」これを証明するだけ。
そうすればTwitterアカウント雁琳は今まで通り好きなことを言い続けられ、saebouには絶対謝らないといった宣言や「一旦緩急あらば徹底的にやらせていただきます」も翻さずに済む。saebou氏は、甲南大学の非常勤講師山内氏(雅号は雁琳)ではなく、日本の、とあるー(明らかにしていない)ー大学の非常勤講師と自称しているTwitterアカウント雁琳の中の人であるところ他の誰か(もしかしたら東大名誉教授かもしれないしリトアニア人のラッパーかもしれないしやトンガ人の陶芸家かもしれない)を探して、これ以上粘着・中傷しないよう要請するべく行動を変えるだろう。
そうすれば甲南大学の非常勤講師山内氏(雅号は雁琳)は、所属先から怒られることもないし、もちろんクビになることもない。
どちらの雁琳氏にとっても、丸く収まる。Win-Winだ。
ただし、すぐには渡せないし、今年度来てない先生とかは勘弁してね。
もちろん中身を覗いたりしないよ。
あと授業期間中に送ってくれると嬉しい。
内容証明郵便の件やオープンレターについてはちゃんと読んでないので何の意見もないんだが、大学に非常勤講師のレターケースはない、
手紙を渡すまともな方法はないとかいう言説を見かけて頭に来たので書いている。
私は田舎の私立大学の事務職員で、郵便の受付・整理もやっている。
ていうか非常勤講師宛の手紙とか実際来るが? 普通に渡しているが?
うちはレターケースがあるのでそこから取ってもらっているし、レターケースがないとして事務文書を渡す手段を作ってない学校とかあるの?
学事暦の連絡とか授業の成績評価依頼とか、事務文書なんかたくさんあって、それらを渡す手段作ってないとかやってられないだろう。
今はコロナ禍ってこともあってメールや郵送での連絡も増えてるけど、メール連絡がメインになったのはここ10年くらいで(早くても15年くら
いだろう)、それより古い大学はそれまでの渡し方があったはず。
本人が大学に来ないと受け取ってもらえないのは確かで、下手すると1か月2か月かかってしまうので、「すぐに何かをやめてくれ」というよう
な連絡をするには向かない。とはいえ、3か月くらい来ないのが確実なら転送するか、他の文書とまとめて本人宛に郵送するけどね。
ていうか、非常勤講師っていうと若い不安定な身分の研究者を思い浮かべるのかもしれないけど、大物や名誉教授も一時的に講義を
担当するという身分としてはまとめて非常勤講師の扱いなんだから、非常勤講師という立場に敬意を払わないとかありえないからね。
そりゃ気に入らない教員もいるけれど、全員を等しく教員として尊重して扱っているよ。
なので、そういう人たちの手紙を勝手に開けるとか、そんなこと絶対しない。書留が来たら(もちろん未開封のまま)事務所の金庫に
しまって本人に連絡して手渡しする。
内容証明郵便は来たことないけど、本人住所に転送をかけるかもしれないし、近々来る予定なら預かるかな。
この程度、田舎の小規模大学でもやってるんだから、都会の大規模校がやってないわけないぞと。
そちらの大学はやってないの? 本当に?
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。