はてなキーワード: 市民運動家とは
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!
岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡は周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。
政府がこれまで掲げてきた、少子化対策や労働者の賃上げ、女性や1人親家庭、非正規労働者、性的マイノリティ、子どもなど、社会的弱者のための公的支援の政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。
政府の全世代型社会保障構築会議は昨年末、改革の方向を示しましたが、働く女性の過半数を占める非正規労働者、子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本の教育への公的支出は先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化や給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯の負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊の課題である少子化が防げません。
ところが、自民党税制調査会は、こうした課題に真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税、所得税、たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。
子どもや女性、少子化対策をなおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和を模索してください。
今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活と平和を守る「女性」目線の政治が必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業や技術、人材に投資してください。女性が安心して生活し、働ける環境なしでは、男性も子どもも貧困化します。
戦後の安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙や国民投票もなく、特に女性や社会的弱者の声を聞くこともなく進められています。私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。
私たちは、岸田文雄首相、政府・与党、野党各党の代表、連合代表に対し、
2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性や子ども、若者や社会的弱者の目線に立った政策を進めること
この2点を行うことを強く求めます。
菱山南帆子 市民運動家
駒井知会 弁護士
宮嶋みぎわ 音楽家
黒部エリ 叙述業
髙橋済 弁護士
海北由希子 自営業
出田阿生 新聞記者
丸川司文 僧侶
森祐昭 僧侶
徳正俊平 僧侶
朝岡晶子 団体職員
松元ヒロ スタンダップ・コメディアン
打越正行 社会学者
立岩陽一郎 InFact 編集長
丹羽雅代 一票で変える女たちの会
ちょっと前の創作なら「USDマン」や「ワンパンマン」みたいに警察権に委ねず勝手に悪の組織とか悪人と戦ってるのは国家統治としての原則がとか警察や自衛隊の人たちが怒るシーンあったけど
今の日本ならそれより前に
「あんな性的な服装で見せびらかしながら戦うのは男性に媚びている!!!!!!!!!けしからん!!!!!!」とかショッカー怪人より恐ろしい鬼の形相で口から泡吹きながら嫉妬で政治問題にする、黒十字軍の改造人間みたいな見た目のブサイクな女とかババアどもだと思う、奴ら敵の敵は味方理論で悪の組織に味方するかもしれん
そういう意味では変身ヒロイン反対運動とかやってる市民運動家の女キャラが出てくるネプテューヌシリーズって生々しい設定だとおもった
子供に補助金を配る余力は日本に無いので、いっその事金持ちに重婚を認めるのはどうだろう。
男性的にはOKだと思うのだが、女性的には許せない事だろうか?
重婚時に、妻又は夫を複数持つ人は重婚1につき2~3億の供託金を積ませる。子供が生まれたら追加も有り。
日本アメリカEUの物価連動国債で運用。世界が崩壊しない限りは価値を保つようにしておく。
そのお金は別れた時に子供やパートナーの生活費や学費となる。無税の2~3億が有れば、生きていくのに不自由は無いだろ。
要するに、養える人だけが複数のパートナーを持つ事が許される。
国の金を使わず、少子高齢化を防ぎ、教育の行き届いた子供を増やせる策だと思うのだが、どうだろうか?
上位は兆の人も居るので、持とうと思えば嫁1000人とか出来る人も居る。
なぜ、もっと簡単な解決策(別姓・非婚姻家庭の権利保全、再配分の強化と保育・育児関連予算増加など)を選ばないのかが、えいえんのなぞ。
まずその金はどこから出てくる?公務員や議員歳費を削ってもせいぜい数千億しか出ないぞ。
市民運動家(笑)が言うような無駄な公共事業や防衛費か?ならば具体的にどの支出が無駄なのか指摘しろ。
保育園はキャリア持ちのパワーカップルが使うなら理解できるが、生涯年収1億少々の人が使うにはコストがかかりすぎなんだよ。
俺も思いつきで言ってるけどな、国の金をアテにはしてないんだよ。
http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51621646.html
1.ミソジニー
2.愛好しているとされる作品が古い
4.容姿批判
5.人格批判
6.学歴批判
7.出自批判
9.ブーメラン
12.無効
例えば五周。
サブカル女子が隣の男にサラダを分けてやった場合→『サブカル女子は男に媚びてて気持ち悪い』『サブカル女子の「周りに気が利く私」という自意識気持ち悪い』
サラダを分けなかった場合→『サブカル女子は周りに気が利かない』『サブカル女子の「男に媚びない私」という自意識気持ち悪い』
サラダを分けるかどうかにもはやサブカルは関係ない。この場合は主語が「女」ならただのミソジニーだが頭に○○系をつけて限定することでカモフラージュがなされている(メンヘル女子批判・腐女子批判も同じく)。これは欧米のレイシストによる詭弁の典型である「私は移民・黒人を差別しないが、移民・黒人が政府要職やスポーツの○国代表に居座るのは反対だ」
もう死語かもしれないがネット上のサブカル界隈で盛んに「文化系女子」が叫ばれていたことがあった。「自分よりも年下で知識が無く、でも実は賢くてそこそこ教養もあって自分を尊敬し話を聞いて従ってくれるけどたまにわがままだったりするおっぱいが大きくて美人の文化系女子」という妄想上の産物である(~マニアの俺が~初心者の彼女に薦める10の○○)。この妄想狂のサブカル男子達が現実のサブカル女子に落胆しサブカル女子批判に走っている場合もある。
(罵倒芸批判として読めないものが無いでもない。ネット上ではラウドマイノリティ・ネット市民運動家化しているサブカル女子も少数存在するし、その行動が過激すぎた時に取り締まるモヒカン・ネット警察として動くボンクラ男子も存在する)
ラブプラスがわかる人だけ。
登場人物
主人公:23歳、某私立大学卒業後、1年間某メーカー勤務を経たのち、学校法人とわの学園大学に中途採用され今年7月から総務部に勤務。中途採用ではあるが、一部の教育訓練プログラムは新卒採用者たちと共に受講する。とわの市内のワンルームマンションに住む。
28歳。短大卒業後に商社に就職するが、2年後結婚を機に退社。1年後に派遣社員として学校法人とわの学園大学に就業する。一昨年4月から正社員となる。主人公と同じ総務部。主人公の実質的な教育係(主人公の教育係が寧々に教育係の仕事をほぼ丸投げしている)。
一時離婚を考え、実母の下に身を寄せていたが、実母の再婚を機に再び夫と二人暮しを再開している。
主人公を乗せるときは、人目を気にして主人公は後部座席に。
24歳、学校法人とわの学園に今年4月から新卒採用される。父は有名企業の経営者、母は市民運動家。
某有名私立大学に入学したが、自分の実力ではなく両親の口利きがあったのではないかと疑っていて自分に自信がない。
しかし、在学中の成績は常にトップで、研究論文は国際雑誌でもてはやされていた。
博士課程進学を嘱望されていたが、修士過程終了と共に就職する道を選んだ。
本人の強い希望によりとわの市内に1人暮らしではあるが、1人暮らしにしては広すぎるマンションに連日母親がやってきている。
普段は質素であるが、時々庶民離れした金銭感覚が垣間見える。
主人公とは教育訓練プログラムのほか、教職員組合テニス部での活動でも接点がある。
属性:生徒。ブラコン。
19歳。とわの学園大学医学部看護科の2年生。実習のたびに態度を注意され性格を否定され落ち込む。弟(父親の連れ子)を溺愛しているが、最近は弟に避けられてる。
乗りたいバイクが現在取得中の中型免許では乗れないことを最近知る。
ほぼ同じ。
ただし、人目ゲージが高いときにスキンシップを行うと即ゲームオーバー。セーブデータが消去される。
バッドエンディングは次の通り
凛子⇒弟に刺される
日護会が、東京都青少年健全育成条例改正問題について動くらしい。
Twitterで批判的な話がたくさん出て、大騒ぎになっている。
◆緊急街宣
俺は、この件に関して心当たりがあった。
増田だから告白する。日護会にメールを送って取り上げるよう頼んだのが俺だ。
もしかしたら俺以外に複数いるかもしれないが、俺は間違いなく送った。
俺は何人かの都議会議員に手紙を送ったし、出版労連や雑誌協会に電凸した。
日本ペンクラブや日本漫画家協会、アニメーター組合にも凸した。
中核系か革マル系かは分からないけど、左翼市民運動家にも動いてほしいとメル凸した。
で、メル凸した団体の一つに日護会がいたわけ。
俺が最初日護会にメールを送った時は、藤本由香里氏が動く前だったからな、
誰も取り上げないことに対する焦燥感があって、日護会に動いてほしいと思ったわけ。
土屋敬之氏の事務所に問い合わせようとしたと話した。
もしかしたら反対に回ってくれる可能性があるんじゃないかと思ってた。
で、返事に対する返事を書いたけど、他に取り上げるべきことがある
(子ども手当とか、朝鮮学校の無償化なんかが、ウヨが食いつきそうなネタ)
から取り上げないと思ってた矢先に街宣活動をやると聞いた。
おお、遂にやるか!!と俺は思ったわけ。
だけど、Twitterの反応を見て驚いた。批判的な意見ばっかりなわけ。
ああ、やっちまった…と俺は思った。
けど、後の祭り。もう連中を止めることはできない。
例えるなら他の馬がムチで叩いてもちっとも動かなかった中、
ムチで叩いて手ごたえがいい馬がいたけど、その馬が暴れ馬だったというわけ。
俺は所詮「無能な働き者」だったのか!?
都議会議員に数通しか送ってないから怠け者だろ!?とさえ思うのだが。
内容としては、10の団体が15分ずつ自分たちの事業をプレゼンして、そのあと茶話会で仲良くなりましょう!みたいな構成だったんだけど、30分たって最初の2つの団体のプレゼンが終わった段階で、居たたまれなくなって帰ってしまった。
社会起業の第一義的な意味は「社会の問題点をビジネスの手法を使って解決する」であるはずだし、それこそが社会起業の意義だのだろう。つまりビジネスによって得られるマネーよりも、ビジネスによって社会問題を解決し、その功績、貢献度合で成功の如何が測られる。
営利目的企業の活動からはこぼれおちた、社会問題を鋭く射抜いたような、それでいて洗練されたビジネスプランを以て今日のプレゼンが聞けるのだろうと期待に胸を膨らませて会場に着いたのだが、
▼何が不満だったのか?
実際にそこで行われたプレゼンは、ビジネスモデルや具体的なプランなどなにも関係のない、NPOとボランティア団体のマイクパフォーマンスだった。
最初の団体は、父親支援事業。「父親であることを楽しむ生き方」の理解浸透を目指して勉強会、父子旅行を企画しているというもの。要するに「お父さんがんばろう!」と言いたいらしいのだが、これのどこらへんがビジネスや社会変革に繋がってるのかわからなかった。
二つ目の団体は「ニート、ひきこもりの体力づくりのサポートを目指す」NPO。
10分くらい、代表が元ひきこもりの体験、それを空手で克服したことをしゃべっていた。残りの5分で、パソコンと空手の出張講師の話をして終わった。
俺はここで退席。
残りの8団体のプレゼン概要を見ても、エコ、教育、障がい、いじめといった市民運動家のファッション左翼どもが好きそうなテーマのオンパレードで全く魅力を感じなった。たぶんその後の団体にも強力なビジネスプラン、ユニークなアイデアなんて絶対ない。断言できる。
シンポジウム自体の進行にも非常に問題がある。ひとつのプレゼンが終わると、矢継ぎ早に次のプレゼンに移る。つまり、15分のプレゼンの後には一切質疑応答の時間などなく、いったいなんのためのプレゼンなのだろうか。社会起業家同士のフィードバック、意見交換が今シンポジウムの目的のひとつのはずなのに。 すべてのプレゼンが終わったあとに15分だけ質問たーいむ、ってふざけてんのか。
300人くらいくる、と書いてあったが100人もいなかった。関係者を除くと何人いたのか。
どれだけ社会の為になる「良い」ことをやったことろで、それが収益性と直結しないと後世に残るシステムなんて築けるはずがない。カネがインセンティブになってることかそういうことじゃなくて、ちゃんと利益を出せるような仕組みを作ることでその組織が存続していく。こんなことを彼らに言うと「お金じゃなくて、やることが大事なんだよ!」とか言われるのかな。「社会起業」っていう新しい言葉を手にして喜んでる非営利団体にはヘドが出る。
過去の社会起業ビジネスコンテストを見ても、ボランティア団体の「ああ!私たちこんなにボランティアしてるぅ!!」合戦だった。
ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために起業という手法を採るんなら、まずビジネスモデルの話をしろよ。
カンボジアに行って林檎の木でも植えるほうがよっぽど「社会起業」だ。
今振り返ってみて、あそこで行われていたモノはなんだったのだろうか。もしあれが今流行りの「社会起業」の正体なのだとしたら、おれが勘違いしてたってことなのか。
向こうはもう閉じちゃったから書けないんでこっちに書くけれども。
俺はブックマークで積極的に声を出している連中は優れた奴らだと誤解していたのかもしれない。
粛々とブクマしてる連中の方がリアルでうまく立ち回ってるのかもしれない。
メインアカウントでまじめな事ばかり書くのに飽きてさ、暴れてみたのよ2週間ほど。
この時点で俺が誰だかわかってくれないと困るんだけどね。
まー暴れたね。
ある人にはホント申し訳ない事をした(笑)
最初は全く悪意無かったんだけど・・
文体変えるのは労力がいるし慣れない事すると疲れるよ。ちょめちょめ。
最初はギャル言葉で通そうとしたんだけど無理があったんでゲイバーに勤めるイマドキのお兄ちゃん口調にしてみた。
で、どういう風に暴れたかと言うとムチャクチャな記事を乱発したのよ。
なんつーの?パラドックスっていうのかね?
タイトル ⇔ 中身
昨日までの記事 ⇔ 今日の記事
って感じかな。
矢印が機種依存文字で読めなかったらごめんね。
あるいは増田だと「?」に変換されるかもね。
で、俺の記事へのブクマコメントを見てこいつら頭悪いんじゃないのかって疑いだしたのよ。
普段声を上げない「一般ブックマーカー」の方がよっぽどわかってくれてるのよ。
お前ら何年「プロはてなー」やってるんだよって正直悲しくなった。
リアルの世界でどんな事してるのか知らないけど多分負けてるよな。
勝ち負けの基準を金に置けば確実に負けてるよ。
地位とか名誉に基準を置いても当然負けてるよ。
気分害しちゃったら悪いんだけどリアルで充実した人生送ってる奴は普通「プロはてなー」にはならないよ。
それを確信した。
世の中の事象や匂いを読み取ってanalyzeしてドキュメントにする才能持ってる奴は世間がほっとかないって。
ほっとかれてるからここで活躍してるんだよな。
お金に直結・・というと少し言葉がいやらしいけど、まあそりゃ仕方無い。
ホント色々とすまんね。
でも「プロはてなー」ってのは何が目的なのかさっぱりわからん。
なんかあれだよね、市民運動家の類と似てるよね。
赤い人達とも似てるよね。
冒頭で「ブックマークで積極的に声を出している連中」って書いたけどあれは特定の誰かを指してるんで、みんながみんなってわけじゃない。
でもあいつは駄目だ。駄目駄目だ。
これからメインの方でもあなたへの態度変えるよ。
今まで「たまに口が悪いけど鋭い分析をする奴だ」なんて思ってた俺はずかぴー。