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はてなキーワード: 学説とは

2019-02-26

近年、新たな学説の登場により一般的理解されているポメラニアンの戦いの全貌が明らかにされようとしている。

ポメラニアンの戦いとは主にポメラニアン同士の戦いのうち、二頭あるいは複数頭での争いのことを言う。

この争いに於いては勝者や敗者と言った区別はい

もし仮にポメラニアンが勝った場合、それは同時にポメラニアンの敗北を意味するからである

歴史上最も知られているのは、やはりポメラニアンの戦いであろう。

1994年、ポメラニアンポメラニアン出会たことで開戦の火ぶたは切られた。

序盤はポメラニアンが有利に思えた。

しかポメラニアンの背後にはポメラニアンポメラニアンが控えており、これを見抜けなかったポメラニアン戦局は一転する。

ポメラニアンはどうにか戦局の建て直しを計るも、ポメラニアンは頼りにしていたポメラニアンに裏切られ、ポメラニアン権力構造が崩れるとポメラニアンの戦いは泥沼化することとなった。

これに憂慮を示したポメラニアンは、ポメラニアンの戦いの停戦協定模索すべくポメラニアンを特使としてポメラニアン派遣して事態の鎮静化を図った。

ポメラニアンの送った特使はポメラニアンによって受け入れられ、この時を以って休戦することとなったのである

2019-02-03

anond:20190203023320

あなた職場営利企業の1部課あなた役員ではなく従業員である仮定して読みました。(違ったらご放念ください)

資本主義体制における営利企業であるからには、株主から出資を元に、資金借入金とか)や設備(店とか工場とか)や人材あなたをはじめとした従業員)を調達して利益を上げることが、会社全体の大きな目標です。

仕事社長一人ではできないので、役割分担をし、それに〇〇部とか○○課とか名称がついた単位あなた職場ということなるかと思います

大きな組織になればなるほど、会社全体の動きと日常タスクが関連しないように見えてしまう傾向があります

個々人の行動原理はどんな人でも、自分のために行動しているのです。正義とかではありません。(正義行使することは快楽であるという学説もありますが)

残念ながら、あなた失望された点である、いい職場であるとか、女性が働きやすいとか、は、はっきり言ってプライオリティの低い目標になります

企業には社会的責任がある、というのももっともなのですが、ありていに言って「世間体」以上のものではありません。

あなたにとって、あなた職場あなたの意に染まない点が多くて、我慢ができないのなら、もっと自分らしく生きられる場所を探すことをお勧めします。

大企業よりも、社員全員の顔が見える中小企業ベンチャー企業のほうがいいかもしれません。

あるいは、あなた共鳴できる理念を実行しようとしている公的機関NPOなども考えてみてください。

生活の安定が、というのは誰でもそうです。凡人はそうして泥水をすすって生きていくしかないのです。

現実違和感を持つというのは、大事感性です。理想を追求して生きられる人は選ばれた人なのです。

さて、あなたはどちらですか?

2019-01-18

毒にも薬にもならんおもいつきのオレオレ学説したり顔披露する

のがウザい

行ってるスポーツクラブの某インストラクターもそれ

2019-01-03

根拠があっても個人の感想まりということは多々あるし、逆に根拠がなくても世論形成してしまったり主流学説として何百年も常識として扱われることもあるので、「根拠があるかどうか」と「個人の感想かどうか」の二点は切り離して、それぞれ精査する必要がある

2018-12-18

anond:20181218175329

ローマ人の物語

いたことないなぁ。

でもこういうのって筆者の妄想が入ってたり古い学説にもとづいてたりするから

気になったところは自分で調べるのが大事だよ。

私はたぶん、「ふーん、そうなんだー?」で読んじゃうと思う。

でもありがとうちょっとスマホ書籍かにあるか調べてみる。

anond:20181218173736

小説がありなら「ローマ人の物語」が鉄板

でもこういうのって筆者の妄想が入ってたり古い学説にもとづいてたりするから

気になったところは自分で調べるのが大事だよ。

2018-12-11

anond:20181211124653

低能先生とかの典型的な人と話した感じだと

まず「リベラル=反権威」という自負があって、

そこから現代の主流学説権威否定しなきゃ!」という風に繋がって、放射脳とか代替医療に飛びつくみたい

2018-11-25

anond:20181125114040

桶狭間は奇襲か遭遇戦かで学説が分かれるんだよな…

2018-11-24

弱者が(宗教イデオロギー抜きで)助け合う団体があるなら知りたい

私は体が弱いので、いよいよ働けなくなって食い詰めた時に助けてもらえないかと思い、色々な慈善団体ボランティア団体を訪ねているのですが、どこも宗教イデオロギーに基づいて運営されていて馴染めないので、そういうの抜きの互助組織のような団体があれば紹介していただければありがたいです。

純粋弱者支援だけを目的とした団体というのはどこにあるのか……

宗教イデオロギーと言っても露骨布教してくるケースにはあまり遭遇したことがありません。だいたいみなさん親身に私の将来への不安の話など聞いてくださります。ただ、結局、その団体オカルトめいた教義信者になるとか政治活動の手伝いをするとかしないことには、私の目的である食い詰めた時に仕事を紹介してくれるとか福祉に繋いでくれるとかそういう援助を期待できる立場になれそうにないんですね。

団体目的に貢献しないなら仲間として受け入れないし援助しないというギブ・アンド・テイクのルールは当然だと思いますしかしその団体目的宗教イデオロギーというのがとにかく苦手で。

私は神は存在しないと考えています。より慎重に言えば「聖書その他の経典に記された人格エピソードを持った神の実在証明されていないので、人間の作り話と考えるのが妥当」という立場ですが。とにかく「神の言葉」のような妄想に基づいて行動するのは無理です。「日本人はあまり知らないだろうけど、今アメリカではダーウィンが始めた進化学説否定されつつあるんだ。『インテリジェント・デザイン』という説を聞いたことはないかな?」なんて話題コーヒーブレイクで振られると今すぐ逃げ出したくなるんです。

一方でイデオロギーダメなんですね。ホームレス支援のために(私がホームレスに転落した時に助けてもらうために)参加したのに、なぜフクシマやオキナワに関して日曜の街頭に立って訴えねばならないのか? 政府自治体への福祉の拡充の請願だったら内容を吟味した上で署名しましたよ。だけど、福祉を離れたイシューに私はコミットできません。この季節に街頭に長時間立つと風邪を引いちゃいますから

公平のために言及すると、上記フクシマやオキナワが好きなイデオロギーの人たちとは反対の立場(いわゆる保守)の人たちの慈善団体というのはさっぱり遭遇しませんね。保守の人たちは地縁血縁に基づく相互扶助で手一杯なのでしょうか。私のような都会の砂粒の如き孤独個人を拾い上げようとするのは宗教福音派キリスト教会)か左翼イデオロギー共産党)だけと。

馴染めなかった団体への愚痴が大変な文量になり申し訳ありませんが、この記事目的は「純粋弱者支援だけを目的とした団体」があれば紹介していただきたいということにあります

弱者当事者だけでは継続が難しそうなので、当事者相互扶助弱者に同情する裕福な人々や専門家支援運営されているような団体がより望ましいです。

私は体は弱いですが、まだ一応ホームレスへの炊き出し活動で働ける程度に、健康時間と金銭に余裕がありますので、元気なうちは支援者側で頑張ります。その代り、失職したり体にガタが来たら支援を受けたい、ただそれだけが望みです。

団体の具体名まで挙げていただかくなくとも、宗教フリーイデオロギーフリー慈善団体を見つける方法などご教示いただければ幸甚の至りでございます

2018-11-13

ルイセンコ学説知らなかったですと言いながらニセ科学批判批判する社会学者を見かけた

そうだよな学者という肩書はあるけどみんな人間から知らないことはあるよなあ

anond:20181113091005

ネトウヨヘイト表現のみに適用される表現の自由を「表現の自由は守るべき」と正論みたいにぶん回すのやめて欲しい

最近エロヘイトのみにぶん回されてて表現の自由って単語が腐ってしま

それはほかの件に関してはおおむね表現の自由が守られてるからだろう。

例えば反政権的な誹謗中傷(アベシネなど)や出所の定かでないトンでも学説フクシマがらみ、水素水等)は規制されてない。全く。

しかオタクカルチャー(非エロ含む)やヘイト(と呼ばれてる者。対日本は含まない)はよく妨害されている。

こういう実情を鑑みたら致し方のないことだ。

2018-10-31

徴用裁判にあたっての疑問

はてな界隈でも世間でも徴用裁判話題だが、ちょっと疑問がある。

条約の法解釈として韓国最高裁の考えが「国際法上ありえない」とされるほどおかし判決だとされる根拠はなに?

個人請求権はないという学説法学界隈で通説となってるって話が調べても見当たらなかったし、日本政府過去国会個人請求権肯定する答弁をしているので韓国最高裁の同旨の判決も「国際法上ありえない」とされるほどおかしものなのかという疑問がある。

おいどんも条文を読む限り個人請求権否定されると思うのだが、法解釈とは字面だけで解釈するものではないので。

判決批判している人はおそらくそ根拠を持っているのだと思うので説明してほしい。

2018-10-27

鳥はなぜ飛ぶのか

歯医者ビルの中にあるのだが

外で鳩の集団が楽しそうに飛んでいた

うらやましかった

人類は未だ鳥ほどに空を上手く飛べない

人類の英知はまだ鳥の足元にも及んでないんだ

ところで最近学説では、鳥は恐竜の子孫でほぼ確定らしい

大昔、世界支配的だった大先輩は、ひょっとしたらその地位を捨てる代わりに大空を舞うことを選んだのかもしれない

そう妄想すると、鳩が「どうだ羨ましいだろう」と言ってるように思えた

まだ数千万年早いのかもしれない

2018-10-16

報道とは何か?

https://www.bengo4.com/c_1015/c_17/c_1263/n_2386/

福井弁護士によると、新聞テレビなどのニュースメディアについては、一定の条件をみたせば、これらの素材を「無許諾」で利用できるという。その条件の一つとして、「時事の事件報道のため」を挙げた。

「時事の事件報道するために、その事件構成したり、事件過程で見聞きされる著作物を利用することができます著作権法41条)」

講演会参加者からは「そもそも報道とは何か?」という根本的な質問も出たが、法的には「判例ほとんどなく、学説でもあまり深堀りされていないので、実は大した基準はない」(福井弁護士)という。

福井弁護士は「(利用する著作物が)ニュース性を喪失してしまえば、時事の事件報道とはいえなくなると思います。1年はおろか数カ月経つと厳しくなるでしょう」との見解を示した。

2018-10-12

anond:20181011230852

文系で、査読されたこともしたこともあるけど、過去査読から言われたことや査読者として言ったことはこんな感じ(一つの論文じゃなくて、複数論文の事例を適当ピックアップしている)。

2018-10-11

日本社会学における査読論文価値研究者評価大勢

備忘録程度に

社会学における査読論文位置

一般に、日本社会学において査読論文は重視されます特に、若手にとって査読論文を出すことは研究業績を重ねる上で、非常に重要であると考えられています

ただ、以下の三点が一般的な「アカデミア」のイメージとずれているため、わかりにくいところかなと思います

雑誌の格が厳格に決まっているわけではない

日本社会学においては雑誌の格が明確に決まっておらず、これがIFやh-index論文の格がある程度自動的に決定される理系(+経済学)と違うところです。

たとえば、おそらく日本社会学で一番格が高い雑誌日本社会学会が発行する『社会学評論』でしょうが、これに掲載が決まったからと言って、マーケットにおいてダントツ評価が高くなるということは無いですし、掲載率も25%程度とそこそこ高いです。

一方、関東社会学会が発行する『年報社会学論集』や関西社会学会が発行する『フォーラム現代社会学』なども掲載率は同程度ですし、評価もされると思われます。つまり査読論文の質がジャーナルの格によって決定される、という仕組みが弱いです。これは社会学領域多様性手法多様性+後述する国際意識の弱さに起因していると思われます

また、『思想』『現代思想』といった一部商業雑誌や、『ソシオロジ』『ソシオロゴス』といった同人誌に近い形態を取る査読雑誌が、ある程度の評価を受けているという点も特殊かな。

依頼論文査読論文より偉いということはないが、同程度の評価はされる

依頼論文査読論文より偉いというのはまず無いと思いますが、一方で依頼論文評価されないということもないです。一般に依頼論文査読論文と同程度の評価を受けているかと思われます

ただ、依頼論文の質がピンキリだというのが所感です。

なぜ査読論文を書かずに本にしたがるのか

エライ社会学者ほど査読論文を書きたがらない、というのは事実です。というのも、彼らは自分の考えたことを本にしてまとめてしまうからですね。

ではなぜ本にしてしまうのかというと、査読を受けたがらないというのも確かにあるのですが、概ね①社会学ギョーカイ一定程度の市場があり、エライ教授がまとめた(キャッチーor教科書になる)本は出版社としても出したがる傾向が依然としてある②査読プロセスが長い(半年-2年)ため、自分の考えをとっとと出せる本のほうが魅力的③先述した社会学領域多様性手法多様性により、査読による集合知が先駆的研究場合働きにくい場合があるという点のほうが大きいかなと思います

特に特殊なのは①ですね。この日本社会学の市場の大きさが与えたアカデミズムへの影響は、無視できないと思います

なぜ日本社会学は国際化されてないのか

日本社会学がどちらかというと内向きな傾向にあることは否定出来ないと思います比較的国際化が進んでいるのは計量分析が盛んであり、アメリカ社会学親和性が強い家族人口ネットワーク社会学の一部と、伝統的に留学風潮の強い学説史・理論でしょうか。とはいえ後者はいわゆる「国際化」とはずれてますが。いずれにせよこれら以外の領域では、英仏独語論文を書くという行為はあまり一般的ではないです。

ではなぜ内向きなのかというと、前述したように社会学比較的まだ「売れる」学問から、というのが大きいように思います。つまり国内マーケットの中で、研究にせよ知名度にせよ院生にせよある程度獲得できてしまうという現状が、外に目を向けない元凶かなと。

もちろん社会学という学問が、もともと世界的な共有知を探求するというよりも、個別特殊的事例や、異なる側面から理論体系を構築する研究を好む傾向があるということも大きいでしょう。

ただ、国際化されてないからと言って国際化が評価されていないかというとそういうことはなく、IFを持つ海外査読誌に論文が載ることは、希少故に非常に意義があるものとして認められています

社会学ムラにおける研究評価

上記したように、社会学においては論文の格は雑誌によって決定されず、査読論文と依頼論文区別曖昧であり、内向き志向である。とすれば一体研究評価はどのようになされているのでしょうか?

この問に答えるのは容易ではないですが、平均的な回答をしておきます

博論単著の出来

まず重要なのはこれで、博論単著が出せるか、出したあと評価されるかは、研究個人評価に決定的な影響を及ぼします。

一部大学院で未だに課程博士をなかなか出したがらないのは、これも影響しています。つまり単著で出せるような博論でないと、そもそも就職が覚束ないという考えなんですね。

同様に、単著就職の際の評価点として重要です。

査読論文の数

査読論文の格が特に決まってないとはいえ査読論文重要評価対象とみなされているということは、先述したとおりです。ですので、いきおい査読論文の数は、若手研究者の就職にあたって非常に重要です。いくら良い博論単著刊行できたとしても、査読論文がない研究者が就職することは(比較的)難しいでしょう。

ではどのくらい必要なのかということですが、だいたい就職までに3~4本(紀要除く)書いているのが一般的なようです。

なお、海外著名ジャーナルや『社会学評論』に載っていると、当然その分評価されますが、評価が格段に良くなるということは無いように思います。これが「格がない」という言葉事実であります

最後社会学ムラ内での振る舞い次第…

どういうことかというと、結局いくら査読論文重要とはいえ、それ以外の仕事というのも社会学では評価対象となります。つまりムラのネットワークの中で、いか仕事(ブックチャプターや非常勤講師など)を貰えるかが、結果的研究評価において非常に重要ファクターとなるんですね。コネ採用されるというのはほぼなくなったと思いますが、未だに特定大学院生比較就職やすいのは、あるネットワーク所属していると、比較研究業績を増やしやすいということもあると思います。こうした状況の中で若手研究者は業績を稼ぐために媚びへつらい、顔を売り、己が付き合っていて気持ちがいい人間であることをアピールするために、愛想笑いを浮かべながら査読論文抜き刷りを配り歩くのです。

とはいえ、これは一般的な「社会」でも一緒ですからなんとも言えないですね。とかくこの世は世知辛いアカデミアがコミュ障楽園だと思っていたら、実はベンチャー企業営業類似スキル必要であることを痛感するのは、博士課程進学後になってからなのです。

ちなみに一部の大学ではこうした制度公的に備えているところもありますが、これは先述したネットワークが発達した大学への対抗実践として見ることもできるでしょう。

なお社会学ムラ内でのふるまいのコードは、一般的な民間企業とも、いわゆる「アカデミア」の無縫さとも異なる独自の体系があるのですが、それは省略

問題などありましたら、ご指摘ください。あくまでも個人的意見です。

2018-10-10

anond:20181010113838

山川も古い間違った学説固執してるって結構批判されてるようだがどうなの?

そこは山川がそう書いてるんだから正しいって判断しちゃっていいの?

それってやっぱヤバい気がするんだけど

あくま信頼性であって確実な正しさを保証してくれるもんではないしなぁ(ちゃんとした大学出版会とかから出したやつが書評ボコボコにされてる光景は稀によく見る)。

まーでも、その分野に関する基礎知識がないなら、まずは山川じゃないの。

山川の概説書で基礎知識つけてからCiNii論文探したり書評をチェックしたり他の学術書を読んだりして情報アップデートしなよ。

研究者ではないシロートで、山川みたいな歴史学に関する話なら、多少古い学説を信じてしまってもさしてデメリットいからな。それで人が死ぬわけでなし。せいぜい飲み会の席や旅行先やブコメ欄で恥をかく程度でしょう。それが嫌なら概説書1冊読むだけで終わらせずに書籍論文を読み込むべし。

anond:20180828185404

山川も古い間違った学説固執してるって結構批判されてるようだがどうなの?

そこは山川がそう書いてるんだから正しいって判断しちゃっていいの?

それってやっぱヤバい気がするんだけど

2018-10-09

法学論文査読がないという話で覚えておいてほしいこと

以下、司法試験受けるどころかまともに法学単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。

査読のある分野とない分野がある

まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会運用されている実定法研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。

このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学法制史比較法学法社会学あたりで査読論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文査読がない」というのは明らかに間違い。

実定法学にはおそらく査読がない

こちらはおそらく事実。というか、査読というシステム意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というものイメージがついていないと多分理解しにくい。

あくまで俺認識だが、実定法学においては

  1. 「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」
  2. 「それを基にした個別の条文解釈
  3. 「それらが現実個別事例と出くわした際に発生する『どうあがいても解釈のわかれる問題』」

の三段階くらいレイヤー存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。

具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。

具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味からだ。その人は自分がおこなったことの意味理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分行為理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。

では、「自分赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?

この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者緊急避難追記ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法民法憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場肯定し、別の場面ではBの立場肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。

そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈整合性をとれているのは当然である司法試験合格すらできない人間研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読そもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力保証されているからだ。

そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間無罪にすべきという、法学論理的整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説社会が受け入れるかどうか」って話なのだ

この辺りを、法学勉強したことがないひと、いや法学勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なから社会価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。

そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定レベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。

まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。

このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。

で、これを読んで異論があるガチ法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。

https://togetter.com/li/1274544

自分メモ社会学では査読付き論文がなぜ重要視されないのか

人文学社会科学の国際化について」(独立行政法人日本学術振興会人文・社会科学の国際化に関する研究会 p.73-75)

https://www.jsps.go.jp/j-kenkyukai/data/02houkokusho/houkokusho.pdf

阪大を去るにあたって: 社会学危機希望

http://sociology.jugem.jp/?eid=277

Laudanの研究伝統論による社会学理論発展法の考察 - J-Stage

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/1/57_1_41/_pdf/-char/ja

太郎丸博氏の論↑の極私的まとめ)

日本社会学には「学説研究」と「理論形成(構築、発展含む)」の2つがある。

学説研究」とは優れた理論を適切に読み、解釈することである

社会学」を欧米から輸入した日本では、この「学説研究」が(すくなくとも2000年代まで)社会学の中心となってきた。

一方、「理論形成」は社会の諸問題経験問題)を「以前より効率よく解決する」ためのものである

創造的で想像力必要仕事であり、歴史的にはフーコーハーバーマスのような一部の天才的な英雄によってなされてきた(英雄史観)。

例えば、新しい人間観や社会観の創造採用、適切な概念を作り出すことがこれに当たる。

日本でも「学説研究から理論形成」へと移行すべき時期なのだが、「どうすれば理論形成できるようになるのか」というハウツー世界中のどこにも未だ存在しない。

1970年代アメリカでは理論構築のためのテキストが数冊出版されており、

1.学説専門家ではなく,統計数理モデルに詳しい研究者によって書かれており,

2.具体的な現象説明するための理論=モデルをどう作るかを学生向けにひもといたものであり,

3.しばしば数式で理論のコアは表現され,

4.思想哲学的問題最初に登場するだけで,その後はほとんど登場しない

といったものであった。

データ収集分析重要であるという考えは社会学の「統計学化」として社会学から懸念されていた。

これは理論形成データから帰納命題から演繹によってのみなされるわけではないかである

(「社会学理論役割」を考える際、統計学化された社会学では認識論存在論、人間観や社会観などの哲学的問題が脇に追いやられてしまう)

また、理論を発展させるためには「解くべき問題発見(未解決問題発見)」が必要である

「なにが未解決であるか」「すでに言及している・使える学説はないのか」を知るためには、今までの学説研究研究伝統基本的な文献)が結局のとこと必要となる。

まとめると、社会の諸問題経験問題)を解くにはデータ収集分析重要であるが、手法問題概念問題)の解決への手掛かりは学説研究の中にある。

凡人であればあるほど、二兎を追うべきなのである

(まとめここまで)



北条かやインターネット死ぬということ』

https://twitter.com/kaya_hojo/status/1049257254552125440

私は研究者というよりコラムニストになりたかったんだな。もともと東浩紀上野千鶴子大塚英志宮台真司に憧れて社会学を志したのだから研究者というよりは表現者への憧憬が強かったんだろうな。でも社会学を学んだ6年間はすごくキラキラしていて充実していたよ。合掌。

ここに挙がっている名前がすべてで、学者じゃなくて文壇の延長線上にいるコラムニストだよなという感じ。

権威付けで学者を名乗っているだけで、天才にあこがれて社会の諸問題を論じているだけの人々という印象。

2018-10-08

地球温暖化懐疑派息してる?

夏と冬の温度差が極端になって、春と秋が無くなっていく。

極端な気象現象が増えて台風竜巻豪雨、逆に豪雪被害が増える。

日本列島亜熱帯化して疫病が北上きたり、危険生物上陸してくる。

今年は地球温暖化によってこうなるって予測されていたことがどんどん現実になってきているよね。

夏は38度前後の暑さが何日も続いて人死にも出て大変だったけどこれからはこれが普通になってくだろうね。

実際1970年から地球の平均気温が1度上がっている。

地球温暖化気候帯が変化すると、その結果更に二酸化炭素を吸収する植物が枯れるからこれから加速度的に気温が上がっていくと予測されている。

それなのにはてなーフェミだのなんだのどうでもいいことで騒いでほんとに頭の中が平和だよな。

地球温暖化は嘘だとか言ってた人が黙るのはまあわかるけど、だれも地球温暖化のこと話題にしないのな。

1990年代後半の方がまだ話題になっていたのになんでだろうな。

目の前の現実から目をそらすってやつかな。

これからどうなるか一番現実的なシナリオは、地球環境が悪化して人間活動が大打撃を受けるとその結果経済活動が減るから二酸化炭素排出が減少して地球環境がだんだん回復してくる。

ってもので、これはリーマンショックで一部実証済み。

でもそれだと人が沢山死ぬしヤバすぎるからなんとかソフトランディングさせる方法を考えないといけない。

これが技術解決できる問題だったら、とっくに解決できているので現在の成長型経済構造を変えなければ解決できないだろうね。

それがどんな形になるかはわからないけどさ。

追記1

トラバ地球温暖化懐疑派がまさに沸いてるwww

地球温暖化っていうのは人間経済活動で発生した温室効果ガス二酸化炭素メタン等)で地球の気温が変化すると言う仮説で実際に二酸化炭素排出量と気温の上昇率のデータなんかがあるので「主流」になっている学説なんだけど

それに対して懐疑派っていうのは、地球の平均気温の変化のグラフの横軸をいじって、

「いや1万年単位では上昇してない」「氷河期の影響の方が大きいので人間活動有意な影響はない」っていうような説をだしていたわけだわ。

そういう一部の論文を持ってきて「地球温暖化の嘘!」とか「地球温暖化陰謀」とか言う本が流行ってたんだけど、

そういう地球温暖化懐疑派の論文の出してる研究予算石油産業から出てたりしてていろいろアレ。

まあ仕方がない面としては地球科学の時間感覚日常レベルとは全然違うというのはある。

人間の生きている時間軸と植生が気候の変化に順応していく時間軸、氷河期の周期とか全然違いすぎる。

全球凍結とか6億年前と22億年前の話だからな、そのレベル関係が無いっていうなら地球温暖化どころか人間なんて地球と何の関係も無いと言っても過言じゃねーよ笑

2018-10-05

togetter もうダメかも分からんね(追記

市民的公共性なる概念で…https://togetter.com/li/1273256?page=3

そのブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1273256

なんというか「市民的公共性って何だよ!」と吹き上がっている人、まず検索しような。中には「そんな義務教育で習わない人の話を」とか切れてる奴もいて吹いた。twitterに何を求めてんのか分からんが、端的に言って地獄絵図。別にこの千田某という教授がどんな人かは知らんけど、大学教授私的つぶやきに対して「一言一句中卒に分かるように喋れ」って、何アホなこと抜かしとんねんとしか思わんな。そもそも子供が分かってもない話に無理に口突っ込んで大人逆ギレしてる図がアンタやろって話。だいたい理性的に話ができている人が一人もいない。だって千田市民的公共性「で」表現「を」規制する、なんて一言も言ってないやろ? 素直に読む限り、これは「表現規制」よりも「市民的公共性」が「必要だ」という話なわけだが、そういう捉え方をしてる人が一人も見あたらない。まあ、これは、タイトル自体で完全にミスリードしてるまとめの人の力量の問題でもあるだろうが。

別にキズナアイの話でもこの話でも、千田さんの言ってることは別におかしくないよ。まさに「一般には見えない物事の構図(モデル)」を捉えるところに学者値打ちがあるわけだから「誰もそんなこと思ってない/考えすぎ乙」というのは何の反論にもならない。100万人の批判があっても、それが他の学説よりもより多くのことを説明できるモデルであればそのモデル学問価値は揺らがない。こういう事例見ても、まあ文系学問というのはホント尊重されてないなーと思う。気の毒な話だ。

千田の言ってることをごくかみ砕いて言えば、政府性器描いたらあかんとか乳首はセーフとか、でもこの雑誌ではアウトとか、そういうことするのおかしいでしょ。それより、自分らで考えて『あんたこないだ描いた画なあ、あれカワイイけどちょっとエロいから子供には見せたくないわ』『何言うてんの、あんなん健康なお色気やん。セーフやん。』『いやいや、これこれこういう理由でイヤな思いをする人もいるんやで』『そうかなあ。でもあれがああい表現になるんは理由のあることなんやで、つまりな…』『なるほどなあ、そしたらせめてこういう風にしたら、お互いうまくいくんちゃうかなあ』『ふむふむ、それも一理あるな。その方が売れるかもやし版元といっぺん相談してみるわー』」みたいなことでしょ。こないだキズナアイもの申したのも、そういう「言論」の一貫としてでしょ。政府機関による規制でなく、合理的言論の交換によってあるべき姿が生み出される公共空間を創出する、ってのはこういうことで、これは「規制」とは真逆な発想なんよ。まあ、コミュニケーション力の低さを自慢げに振りかざす連中の暴れるtwitterや、それを更に恣意的にまとめてあおるtogetterが盛んな状況では、百年経ってもこうなりえないのは目に見えているから、千田の見通しが現実的ではないという点については一応同意するけれども、それが理想だよねという意味では、オレは千田に一抹の同情を感じるね。

追記

みなさんご意見ありがとうねー。「言及」でついてるツリーの内容はおおむねTogetterと同様にすとろーまんな内容でこれはまあ想定内だったんだけど、ブクマコメントがどれも、賛意も批判も「なるほどなあ」とか「せやな」というところが突かれていて、とても読んでいて楽しかったです。ブクマの皆さんとはもう少し長文でやりとりしたいですね。

二点だけコメント

1つめ。メディアに載った学者コメントを「権力」視するのは違うんじゃないか、と思いました。学者だろうが一般人だろうが、問題コメントの質だと僕は思います学者を名乗る愚者(そういう方は、たいていの場合自分の専門外について恥ずかしげもなく肩書きつけてコメントしておられるケースが多いですが)のコメントなんて世の中にあふれているし、増田の名もなきコメントが世の中を動かすことだってあるでしょう。むしろ学者コメントであればそれは権威だ」という思い込みこそが、メディアに対するリテラシーを欠き、存在しないところに無意味権力を構築する考え方ではないかと思うのです。

2つめ。PCは「価値観の計画経済」だ、価値観の自由競争市場)という概念理解せよ、と独自概念推しておられる某氏。よくわからないのですが、千田氏はPCをかざして表現弾圧する「主体」ですか? あくまである見方」に基づいて「議論」をしているだけでは。それはあなたのいう「価値観の自由競争」そのものではないでしょうか? 多くの方へのブックマークを拝見しましたが、千田氏のような意見言論封殺だと「決めつけ」て、自由言論の交換を拒んでおられるのはあなたの方に見えました。根拠ある合理的批判を「弾圧だ!」と切って捨てるのは、それ自体が「言論封殺」的で、とてもじゃないけど「価値観の自由競争」を標榜される方の態度ではないと思いますよ。

2018-09-24

きのこ+王冠→ピーチ姫

ちょっとまってほしい。

まり定期的に王冠をかぶっている奈須きのこもまた、ピーチ姫の姿をしているという事なのではないだろうか?

たこれにより、今まで♀だと信じられてきた奈須きのこ性別が♀(♂)であるという全く新しい学説誕生するのではないだろうか?

任天堂の手により型月が15年守り続けてきた神秘が今暴かれようとしている……

2018-09-23

anond:20180923232358

子供って組み合わせで生まれるもんなの?

どこの学説よそれ。

自閉症スペクトラム障害研究史

 レオ・カナーが自閉症を報告したのは1943年それから67年が経過した。そう考えてみると生涯を通じて研究された自閉症者というのはまだ1~2世代くらいしかいないのではないか

 そういや意外に誤解されているんだけれど、「自閉症母原病」というのは「偏見」の類ではなく、自閉症発見された当初は精神科医もそう考えていたという「時代遅れ学説」なんですね。

 上野千鶴子が「自閉症マザコンが原因」と言って問題になったという話がある。上野千鶴子世代なら自閉症母子関係に起因する精神障害であると習っていてもおかしくない。

 時期的に言うと、上野千鶴子は、日本で「自閉症は先天性のもの」ということを普及させるキャンペーンが行われた際に著名人として生贄にさせられたと言える。

 ちなみにローナ・ウィングがアスペルガー症候群を紹介したのは1981年。僕が生まれる2年前のことである酒鬼薔薇聖斗が生まれたのは1982年。そう考えてみると僕は生涯に亘ってアスペとして研究されうる第一世代に属するのではないか。(ただし僕自身は診断がないので研究対象とはなっていない)

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