はてなキーワード: 事務次官とは
私が生まれたのは昭和58年で0歳です。平成13年に高校3年生のときに18歳だったが文Ⅰに落ちた。一浪しているときに19歳になって東大に受かったんですよね。
その後に、20歳、21歳、22歳、23歳、24歳になったんですが、25歳の前に卒業して、その後に逮捕になった。29歳を迎えたのはさいたまの拘置所で
30歳は黒羽です。運動会のときに。出てきてから次第に、31歳、32歳、33歳、34歳になったんですが、32歳のときはなんもなかったですね。数検1級を受けてるときに33歳
になって、その頃に祖母が脳梗塞で倒れたんですが、その後に延岡で郵便局強盗事件があって、平成29年7月7日に高須クリニックを初診して、7月13日に手術をして、19日に
抜糸をしたように思う。あれは痛かったね、まじで。で、スタディサプリを教えてるときに34歳になって、2月12日に上京して、佐藤もぐらを最初に見たのは、平成29年3月29日のとき
だったと思うのですが、平成30年4月6日に富澤が受け入れることになって、24日より前に親父とけんかしてそこの、そこの後の、9月4日にじゅりちゃんを出すということにして、その後が
記録してないから不明なんだけど、 平成31年1月4日に中嶋康弘に手紙を出して、令和元年4月1日からだと思いますがなんか、東京のマンションで事務次官が息子殺した事件が
その辺だったように思う。35歳になったのも宮崎にいるときだと思うが、原の面接を受けたのが平成31年2月8日、で、令和元年になってから富澤のハウスがうるさくなってなんかどんどん発狂
していって、9月4日に志村署がなんとかしたと思うが、令和2年に入るとなんかこう、
今すぐ徹底的に取材してこい。
櫻井翔氏に限っては、イチ芸能事務所内で起きたレイプ事件に留まらないのだ。
この方に関しては「現役総務省事務次官のご子息がレイプ被害を受けたにも関わらず、当時の安倍政権がレイプ被害を省みずまさにその被害者であるご子息を今上天皇陛下の即位祭典に起用した」というトンデモスキャンダルになる可能性があるのだ。
今現時点では当の櫻井氏がダンマリだからどうしようもないが、もしこれが本当だったら今以上にドエライ話なのだ。
陛下に飛び火するのだ。
今さら殊勝な顔して「ジャニーズ事務所に忖度していた」だかなんだか言い訳に逃げている情けないメディアやジャーナリスト連中。その態度が本物なら今すぐ彼への取材でもなんでもやって事実を暴いてこいや。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E8%A1%A3%E5%A1%91%E5%AD%90
ただの独法系病院勤務医だけど神奈川の田舎の母子家庭に生まれたからか、昔は名誉欲と権力欲が強かった。横浜翠嵐卒業して東大法学部卒業して、在学中に司法試験と国家公務員試験に合格して、大蔵省か自治省の官僚を目指していた。金には全く興味がなくてエリート視、次官という肩書き、陛下から頂ける勲章が欲しかった。
だけど、司法試験合格して東大法卒の事務次官でさらに中高は私立の名門男子校なんて人はゴロゴロいるわけで、地元小中と県立出身の自分じゃ「真のエリート」にはなれないなと諦めた。
その後内閣人事局というとんでもないオフザケ組織ができてしまったのでその選択は正解だった。
それからは「国立大学医学部の教授」を目指して旧六医とされる地方国立医学部に受かったんだけど、大学在学中に新しい臨床研修制度が始まってしまった。県外出身の友人始め多くの同級生はそれを歓迎していた。だけど俺は不安だった。せっかく苦労して関連病院の多い歴史の古い国立医学部に入ったのに、その医局の権威が揺らいでしまったら…と。
予想は的中し、今や国立医学部よりも設備の整った私立総合病院の院長がデカイ顔をすることもあり、大学医局に属したことのない医師が名医と紹介されることもあり、極め付けに最初から稼ぎの良い美容外科を志望して入学してくる学生がいる。
医師や官僚だけじゃない。情報化社会とネットメディアが進展すればするほど、金と根拠のない影響力だけを持った胡散臭い実業家やインフルエンサーが大口を叩くようになり、正当な権威や権力を持った人間の影響力が次々と失われていく。
大谷直人氏が最高裁長官に選定された平成29年ですか、最高裁の中では、大谷直人氏が、裁判官歴が長いとか、技術があるとか、事案解決に対して能力があるということで
大谷直人氏が長官に選ばれたわけですよね。しかし大谷直人氏には、平成10年に、ICQでネカマをしていて美術館に行ってきますわなどと言っていた暗い過去があるので
それ以前の長官は、警察の探知捜査に対する違憲判決を書いたわけですが、発表は、平成29年3月15日で、結局、警察官僚による機械の設置は違憲であるということになったが
その時の長官は、昭和53年に判事補になった、寺田逸郎ですが、ダメではないかと、私が法廷からみたときに、精神がいかれているようにしか見えなかった。その後に、鬼丸かおるの法廷で
煙石博に対する無罪判決がありましたが、鬼丸が何を言ったかというと、やりたくねー、主文、被告人は無罪、では終わります、これだけですね。当時はそんな感じだったので、戦争状態だったから
基本的に裁判官の実質って様々な紛争解決をしてもらうだけではないので、社会全体から、誰を裁判官にしたらいいか、事務次官にしたらいいか、警視総監にしたらいいかは昔からある話で
まあお前は精神がいかれているからそういう発想はないので、実はそういうことに関して本当にいいことをしてきたのは前田なんですが誰も認めていないというか、その前田が、平成11-19年
の間にそういうことをしてたんですけども、証人が出現しないというかね、
その前田に対する性的な問題に関しては結局ほとんどは門川市のデリヘルが実質的にやっていてそれ以外は話にならないと。じゅりちゃんも出てこないし、みくもは出てきたんだけど東京があまりに
悪質で話にならない。
ここで私が参考にしたのは、東京都知事の小池百合子が書いたことにした、東京都審査員の見解であり、地方自治法245条の4 第1項は、課長通知の法の処理基準として、生活保護法に関する問答集というものがあり、厚生労働省の課長通知として生活保護法63条に関する技術的な助言を受けて、問答形式により、明らかにするものであり、法の具体的な運用などについて、妥当性が認められていると解されているものである。
(1) 処分庁が 保護を開始したのは、 平成30年3月29日である。
(2) 処分庁が、年金金額の変更を認めたために、保護費変更処分決定通知書を送付したのは、平成30年12月1日である
(3) しかし、 令和元年12月25日に、処分庁は、 (2)の保護変更決定通知書において、障碍者加算額が漏れていた
ことが判明した (なお、それが事実かどうかについては争いがある )
(4) 令和2年2月10日に、 処分庁は、 過支給額を、 法63条によって返還する決定をした。
(5) 2月17日に、受給者は、 処分に対する取り消し請求をした。
(6) 3月26日、 処分庁( なお処分庁とは、 東京都板橋区蓮根 にある 事務所である) は、 自立更生免除
第4・1・(3)・ウ の検討が不十分だから、処分を取り消し、ケース診断会議を開催し、受給者から聞き取りを実施した。
なお、 3月26日においてケース診断会議を開催したと言っているが、記録されていないため、平成29年東京地裁判決の
内容から、実施機関敗訴の可能性が濃厚であり、結果は厳しい、と記録されている。
(7) 令和2年10月1日に、さらに、ケース診断会議を開催し、自立更生免除について、次のように決定した。
延岡市に一時帰省するための費用 同一世帯でなおかつ母親が危篤に陥っている事実がないので、第4・1(2)・イ
第7・2・(7)・ア・コ (いずれも自立更生免除に関する事務次官通知、課長通知、局長通知、問題集の内容) に該当し
ないので 払えない
居宅清掃費用 などについては、領収証の提出があれば、認めることとする。
(8) 令和2年10月21日の 聞き取りで、 2019年11月17日の居宅清掃費用、60500円の領収証はないということ
だった
11がつ18日の聞き取りで、 パソコン購入費用、 18040円を認め、これぶんだけを、自立更生免除として認めた。
その結果を、 次の処分通知書となった。
96800円から、 18040円を差し引いた、78540円の返還を求める。
(10) 令和3年1月18日に、 これに対する審査請求を提起した。
法令の定め
割愛し、 自立更生免除とは、 平成24年7月23日社援保発0723第1号の課長通知1・(1)・4において述べられた
自立更生のためにやむをえないこととして支払われた金員であり、地域住民との均衡を考慮し、社会通念上容認される
という技術的着想であり、 これに対する問題集が、 地方自治法245条の4第1項に定められている。
ここで、東京地裁平成29年1月の判決では、上の自立更生免除を検討する際にはケース診断会議を開催していなければならず、さらに開催するだけでなく、受給者の病状などについて、十分に具体的に検討してからでないと、社会通念上著しく不善なものであって取り消しを免れないといった判示内容になっている。
ところで私はこれに関して興味もなく、本件がどうなってもいいのでこれ以上何もしないが、上記の添削や検討についてこれを実施していたのは、 処分庁の保護第6係の岩崎係長であり
医療ケース診断会議を開催したのは地区担当員の中谷とそこに出席した7名の係長のざーちゃんと、健康係長と所長である。
ところで気になるのは、本件処分庁は、蓮根に存在するが、これはいわゆる福祉事務所と呼ばれるものであり、他方、この福祉事務所を管轄する警察署は、志村警察署と認められる。
本件の論点は、本件処分庁は、背後で東京都と連携し、これだけの検討や添削を実施しているのに対して、志村警察署ではこれと同じようなことをしている形跡が認定できない。
黒羽刑務所は第7サティアンのようなところだった。麻原彰晃が、宙に浮いた、というものをしていた時代があったが、わたくしが黒羽刑務所にいたときは無限降下法を自分で思いついた。
無限降下法というのは一般に説明が付加されていないが非常に驚愕的な(きれいな)論法であり、ネットにはそういうことは絶対に書いていない。黒羽にいた俺だけが知っていることでもある。
小池百合子や石村智が裁決書や判決書をなすときに、そこになんていうんですか、法律の中でも、安室奈美恵的な、特別な技術というのですか、そういう天才の事務次官でないと
案を出せないような立法技術などがどれであるかは分からない。小池百合子が書いた裁決はいかんながら魅力的な技術などが含まれているようには思えないし、それを読むだに検討する
意欲も何もわかない。組み合わせ論の超難問は、 alignedというclaimをしてから、induction and contradictionをやることで結論が出てくるもので非常に難しくて何が書いてあるのか
ちっとも分からない。
つまらん人生だったから無理 河川敷で演説することを中止することはできない。理由の1に、あれは運動が第一の目的で演説を開始したのは、なんか、篠原が付け火してから
そうなったんですよね。H30年11月6日に、篠原が付け火して、 12月6日に年金等級が2級になったんですね。
それでどうだったかな、平成31年に入ってからは何もなかったと思うのですが、篠原が付け火したからどんどんシェハウスの中が悪化して、中島康弘の決定は3月8日にきたんだけどそれは
読んでなくて
令和元年になったときは延岡にいたんじゃないですかね、で、 令和元年6月1日に、農水事務次官息子殺害があって、 令和2年1月2日に、三宅雪子が自殺してるんだけどあんまり
みてなくて、いつごろから河川敷にいくようになったのか分からないですね。令和元年9月4日に、熊本刑務から、無期懲役が仮釈放ってありますが確かそのときにやって
高野伸をみたのは令和元年11月12日で、なんで数か月後に三宅雪子が死んだのか分からないがあいいうのって、出没しますからね、舟渡のマンションとかに
えーとこの国って出来上がってるから維持するって言ってますが、そういえばそうですね、そうやっていいながら、私を文科一類が採用したことは事実なんですね
で、その後なんですが、駒場ではなんていいますか、団体生活というかまあそんなものはなかったですねえ。あえて明らかなことを言うと、亡くなった岩佐鉄男先生の仏語の授業で
明らかに一人だけ最後尾に座っていておかしかったというのは同級生は知ってるんじゃないですかね。岩佐氏も知っていたと思うがまあもうなくなってるしね。
他にはですねえ、B&Wですか、木内満が、どんな部員だったか知ってると思いますが、訓練は懸命にやっていて、デッドリフトが200キロ上がったんですね、それは知ってると思いますが
ベンチプレスとスクワットは全然ダメですね、そういうところで、えーなんといいますか、確かに明らかに問題児っていう感じ。平成16年から法学部前期講座が駒場で開始してほとんどの
文科一類生はそこからいきなり授業に食いつく。単位が欲しいからです。教養の授業では遊んでいて法学部の授業になると全力になる。
それでこれでどこが広汎性発達障害というかね
平成21年以降の延岡市ですか、全然、私が東大法学部卒であることを維持しようという感じも何もなかったですね。何もなかったのではないか。で、H23年10月23日に
村田が事件を作って拉致して刑事施設でうやむやにしたというかね、黒羽で作ったものを晴生がなんとか整合性を合わせて、野田省治に話をした。
平成30年に富澤のところにきてからの東京でも全然、東大法を維持する気はなかったですね。篠原が暴行したりしているので。だからそもそも東大法を維持するつもり自体が東京にない。
えー、そうこうするうちに、飯塚幸三が暴れて、その後に、事務次官が40代息子を殺害して、だから維持する気なんかまったくない。