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2017-04-01

究極のジェットコースターについて語る 2

その1からの続き

http://anond.hatelabo.jp/20170401234837

■その4■ファーストドロップ

最期になりますが、ファーストドロップ、つまり最初に落ちていく瞬間は、個人的にもコースターで最も好きな部分であり、魅力が凝縮された瞬間です。実は、当初は本当に苦手でした。でも、一度慣れてしまうと、こんなに気持ちの良い瞬間はありません。バンジージャンプフリーフォールも体験したことはありますが、ジェットコースタードロップとはやはり異なります。何が違うかというと、前に向かって全身で突き抜けていく感とでも言うのでしょうか。この爽快感が違うのです。

ただ落ちるだけと言っても、落下角度や緩急、風景など、一つとして同じものはありません。

そして、コースター好きには有名な話ですが、ライドの乗る位置によって感覚が全く変わるのです。コースターはご存知の通り連結されているものが多い。すると、前方車両は、後方車両が登りきるまで落ちていかないんです。一方で、後方車両は前方車両に引っ張られて一気に加速する。なので、一般的には後部座席の方が怖いとされています。まるで、引きずり込まれるように加速して落ちていく感覚が味わえます

ただし、山なりのコースキャメルバック)においては、前方の方がエアタイムを強く感じることもありますし、視覚的にはスピード感のある前方の席は捨てがたい。

そんなわけで、お気に入りコースター可能であれば前方や後方を乗り比べてみると、より楽しめます。(余談ですが、アメリカでは乗りたい席を自分で選べるのがスタンダード強制的に前から詰めさせられる日本遊園地は融通きかないなぁと思いますオペレーション問題等あるんでしょうけど。)

さて、そんな最初に落ちていく緊張の一瞬「ファーストドロップ」が優秀なコースターはこちら。まずは東京ドームシティアトラクションズLaQuaサンダードルフィン。これは絶品です。公称80°という、体感的にはほぼ直角で、落ちていく凄まじさ、ぜひ一度体験してもらいたい。周囲がビル街というのも乙なもので、まるでビルから飛び降りているような感覚が味わえます。巻き上げ最上部に平坦は部分が無いため、最前席と最後座席での対比も分かりやすく、最後座席の迫力は凄いです。一方で最前席だと高さ80mの空中にしばし宙吊りにされる感覚も楽しめ、一挙両得?です。スイスが誇る遊具機器メーカーIntamin社製の超スムーズで快適なコースに加え、開放感あふれたライドの作りも最高です。

富士急ハイランドええじゃないかも、凄いファーストドロップが楽しめます。これは特殊コースターで、コースレイアウトも凄いのですが、さら座席がぐるぐる回転する。乗っていると、もうわけがからなくなるというコースターで、マニアの間では4次元コースターと呼ばれています。で、このファーストドロップ。巻き上げは後ろ向きに登っていくのですが、頂上で突然座席グルリと回転。地面に向かって真正面に落ちていき、その最中で更に回転、というとんでもない動きをします。文章では全く伝わらないと思うので、ぜひ一度乗ってください。

そして、個人的No.1ファーストドロップだと思うのは、那須ハイランドパークのビッグバーンコースター全長600mちょい、落ちた後はキャメルバックをひとつ越えて宙返りしたら終わり、というなんともシンプルでつまらないコースレイアウトの小規模なコースターですが、後部座席に乗ったときファーストドロップだけは本当に凄まじい。まさに奈落の底に引きずり込まれるという体験ができる、日本唯一、いや世界でもレアコースターです。

サンダードルフィン

https://youtu.be/W7Ut2VPsUDc

ええじゃないか

https://youtu.be/6JysZaQT5LM

ビッグバーンコースター

https://youtu.be/J0epDl3Nn70

そんなこんなで語ってきたコースターですが、最近世界中VRゴーグルと組み合わせたVRコースター流行りです。日本では、USJラグナシアにありますね。ただ残念ながら、少子化エンターテイメント多様化老朽化などで、一部を除き昔ながらの遊園地はどんどん閉鎖されてコースターの数も減っていく傾向にあります

日本では、遊園地コースター子どもが楽しむもの、という意識があります。ちなみにアメリカでは子どもから大人さらには高齢者まで様々な人が楽しんでいます。広大な土地が広がるアメリカ田舎では、遊園地エンターテイメントであり、常設のお祭り会場であり、社交場でもあるのです。知らない大人同士で隣り合わせに座り、一緒に笑い転げ、終わった後ハイタッチをする、そんなことが普通にある。少しでも多くの人にそんな楽しさを知ってもらえたらなーと思ったりしています

ちなみに海外には、これらを上回る、想像を絶するようなコースターがたくさんあります

最後自分が愛してやまない究極と思う世界コースター2つ(どちらもアメリカ)はこちら。

■Millenium Force (サンダードルフィン兄貴分。最強のファーストドロップ、爽快感スピード感

https://youtu.be/MybcORGVkEU

■Voyage (最強の木製コースター、飽きさせないコースレイアウト、延々続く興奮)

https://youtu.be/9OuphtSPR08

死ぬまでにもういちど、乗りたい。

リンク先の動画は筆者とは関係ありません。

追記

たくさんのブックマークありがとうございます。せっかくなので、コメントできなかったコースターについてもちょっとだけ追記してみます

ホワイトサイクロン - 長島スパーランド

長島スパーランドが誇る巨大木コースターです。延々続く水平ループとガタゴトする振動に身を任せていると、腹の底から笑いがこみ上げてきます。大きなドロップも爽快ですね。あと、複雑な木組みのトンネルをすり抜けるスピード感。もうちょっとアタイムや左右の振り回しなどの変化があると、最高の木製コースターになったんじゃないかなと思います。でも好きなコースターひとつです。

久しぶりに調べてみたら、長島スパーランドにはフライングコースターに加え新型の4次元コースターオープンするんですね。がんばってるなー。

シャトルループ - 長島スパーランドなど

大好きなコースターひとつ。たぶん世界初カタパルト式急加速のコースターです。ピッ、ピッ、ポーンでスタートする急加速と、バックで坂を登ったとき最後尾エアタイムは、アンティークレベルのとっても古いコースターにもかかわらず今でも特筆ものスリルですね。としまえん横浜ドリームランドなど昔は色々な遊園地にあったけど、今は国内では長島だけかな。子どもの頃近くの小山ゆうえんちにあって、怖くて乗れず、ずっと眺めていた思い出があります

フライングダイナソー - USJ

恥ずかしながらまだ乗ったことありません。でも、同型のフライングコースターアメリカで幾つか乗ったので、想像で。ピレネーなどに似たループ中心のコースレイアウトで、座席うつ伏せ状態になるものです。これは、地面ギリギリまで降下したときスレスレ感とスピード感がいい感じです。あと多分、USJジュラシックパークエリアってことで風景やパーク内を滑空する非日常感が良さそうですね。

ドドンパ - 富士急ハイランド

凄まじい最初の加速!これに尽きるコースターです。「ドドンパァ!!」のアナウンスと同時に発射される圧縮空気によるカタパルト加速度は、未だに世界一だと思います。外の光に向かってのトンネル内での急加速は、まるで空間がぐにゃっと歪んだみたい。垂直のタワーを越えるときは、股間をバーに強打しないよう要注意。

タイタンMAX - スペースワールド

これができたときは、ついにあの世界最高のコースター日本上陸!と期待されたそうです。コースターマニア聖地と呼ばれるアメリカ遊園地大人気だったコースター兄弟機ということで。ただ、実際はちょっとコースレイアウトが異なっており、残念ながら本家ほどのスリルはありませんでした。といっても、十分大きく迫力あるドロップが楽しめる優秀な大型コースターです。閉園は残念ですね・・・

ヴィーナスGP - スペースワールド

スペースワールドシンボルともいうべきスペースシャトルを取り囲むループコースター。これは、とにかくコースレイアウトが秀逸です。緩やかなファーストドロップ最初安心するものの、巨大な垂直ループや後半の地面すれすれ水平ループなど、強烈なGがかかるコースが続き、息つく暇もありません。

ザターン - スペースワールド

息を呑む強烈な急加速と垂直上昇、垂直落下が特徴のコースタードドンパに似ているけど、上昇と落下の爽快感はこちらの方が上ですね。このタイプは、アメリカなどにさらスケールアップさせたものが幾つかあり、いずれも大人気です。最初は怖いけど、慣れると爽快感抜群!

●ガオー - 三井グリーンランド

三井グリーンランドの顔となる大型コースターアップダウンは緩やかだけど、気持ちいい速度で広々とした園内を疾走します。子どもから大人まで、みんな笑顔になれる楽しいコースターです。

ローラーコースター - 花やしき

現存する日本最古のコースターとして有名なコースターレトロコースレイアウトながら、建物ギリギリをかすめたり、突然のドロップもあり、飽きさせません。確かに現代安全バーがっしりコースターよりスリルあるかも。実はこれ、FUJIYAMAと同じメーカー日本製)の先輩コースターなんですね。

●スペースマウンテン - 東京ディズニーランド

みんなご存知のスペースマウンテン。宇宙空間を模したドームの中を疾走します。水平ループ中心で、ところどころにドロップが隠れているコースレイアウトはGが後に行くほど激しくなり、子供向けと思いきや実は結構ハードコースターです。乗り終わったあと、フラフラします。これも今となっては古いコースターですが、その効率性を追求したシステムは本当に凄い。台数は忘れましたが、たくさんの車両が同時にコース上に存在でき、かつ緊急時はその全てが安全に停止できるようになっています。そういえば、このメモ最初に「富士急で初めてのコースター体験」と書きましたが、こちらの方が先でした。

ビッグサンダーマウンテン - 東京ディズニーランド

みんなだいすきビッグサンダーマウンテン気持ちのいい疾走感と、軽いキャメルバックが楽しいコースターです。コースターとしてみると、とにかく高さが低いのに乗車時間距離がある。それは巻き上げポイント複数設けているから。そのおかげで何台もの車両が同時に走ることができ、回転効率が良い。そして、巻き上げの最中ディズニーならではの演出豊富で、飽きさせない。ジェットコースターは嫌いでも、これだけは好き、という人も多いハズ。それも納得のアトラクションです。

レイジングスピリッツ - 東京ディズニーシー

火と水の演出に優れたループコースター。このコースレイアウトは、実はかなり昔からある古典的な中規模ループコースターレイアウトそのまま使っています。なぜ、ディズニーの新しいコースターなのにあえてコレなのか、ちょっと不思議に思っています。適度なドロップキャメルバック、そしてクライマックスループ、という構成は、ハズレが無いって感じではありますが。夜乗ると、炎と景色がほんとにキレイですね。

2017-03-07

何かが流行る→何かを褒めようとした人が雑に「他にない」とか「世界初」とか言い出す→もともとその分野のファンだった人が微妙な気分になる

ってサイクルが毎回のように繰り返されている。

まあそれ自体そんなもんだろうとも思うんだが、指摘しようとする人をなんとかおじさんだとかマウントだとか言いたがる人には毎回腹が立つ。自分は正しい知識が知りたいし、「そんなことをしたら初心者が入ってこなくなる」と言って牽制する行為、それも別種のマウントじゃないのか?

2017-03-06

ハングルプログラミング言語"Aheul"というのを見かけたが

Hacker Newsの上の方にAheui(아희) https://aheui.github.io/specification.en というのが上がってきていて(ろくにコメントがついてないが)、どうも世界初ハングルを使ったプログラミング言語であるらしい。

どんな言語なのかとググってみたらが日本語情報はなく、2014年2015年に同プロジェクトのページをはてブしている人がいた程度だった。

This code printsHello, world!”

밤밣따빠밣밟따뿌

빠맣파빨받밤뚜뭏

돋밬탕빠맣붏두붇

볻뫃박발뚷투뭏붖

뫃도뫃희멓뭏뭏붘

뫃봌토범더벌뿌뚜

뽑뽀멓멓더벓뻐뚠

뽀덩벐멓뻐덕더벅

これがその言語で書いたHello,World!なのだそうだが、短縮しまくったPerlより読める気がしない。本気で使おうとは思っていないのかもしれない。

ハングル文字の中に方向を示すキャラクタがたくさんあり、カーソルを動かすイメージがつかみやすいという売りはあるようだ。

Wikipedia: Non-English-based programming languages

https://en.wikipedia.org/wiki/Non-English-based_programming_languages

これ見ると英語以外で記述できるプログラミング言語は多い。中国BASICPythonC++中国語化したものかあるらしい。C++中国語版は丙正正。名称がそのまんまといえばそのまんま。BASICを見ると一つ一つのコマンド漢字1文字が割り振られているだけのような感じだ。インドヒンディー語もそんな感じ。その程度のレベルならプログラミング言語母国語に置き換えるメリットはないか

日本にもひまわりやMindなど日本語単語を使えるプログラミング言語があるけど、あれらをマスターしてる人は見かけないな。

2017-02-04

阪急がやっと重い腰上げてJRとのIC連絡定期を始めるそうだ。

それでも、発券はPiTaPa限定したり、その告知を公式サイトトップに置かないあたり「らしいなあ」って思う。

何かとつけて「日本初」「世界初」大好きな企業だけど、変なこだわり持ちすぎて完全に出遅れてるなあと感じる最近

2017-01-17

ギャル不良排斥という必要悪オタク排除と言う偽善

ギャルや不良は1990年代社会問題化し、2000年代排斥が進んだが、むしろこの差別社会イメージアップに繋がったのではないか

彼らがそうなった同期には恐らく社会問題学校環境問題に起因するものが多い。

差別の原因となった見栄えや振る舞いはともかくとして、彼らには生産性がまったくない。その点を気づかせたと言うことで必要悪だった。

他方、オタク排除の動きがアニメで、鉄道で進んでいる。オタクの楽しめるアニメは深夜から消えつつあり、今では単なる消費型の番組が多数を占めている。

鉄道についても、最近では薄っぺら観光列車ラッピング電車など、あからさまにオタクを向いていない列車が増えつつある。

また、オタク排除に関する運動根拠が、「醜い」の一言だけだ。しかしこれは偽善ではないか

確かに、外観は醜い人がそこそこいるし、オタクになった動機を聞くと、社会環境が原因だと言う人が多い。

しかし、オタクギャルや不良と違って経済面での生産性がある。アニメだけとっても300億ぐらいはあるだろうか。

しかも、ギャルや不良のように代わりの居場所があるわけでもない。オタクの中にはリア充環境に溶け込めにくい人もいる。

彼らの代わりの居場所を作らずに、ただ単に「邪魔から排斥」というのは、第二のオタクを生むだけではないのか?

ギャルや不良排斥場所韓国中国にもあるが、オタク排除条例とかが出来れば恐らく日本初かつ世界初の事例になると思う。

2016-12-28

中国のまたがりバス

http://b.hatena.ne.jp/search/text?safe=off&sort=recent&q=Transit+Elevated+Bus

・うおお中国すげえええ。中国の勢いを感じる。中国世界を変える。

中国にしてやられた。日本にはないスピード感

・これを実際に作って運用できる勢いがすごい

  

世界初太陽光発電道路「Wattway」開通

http://b.hatena.ne.jp/entry/japanese.engadget.com/2016/12/23/wattway-1km/

実用性ないわ。

コスパ悪すぎ。

  

  

どこで差がついたのか・・・

2016-12-19

[]

大分県マリンカルチャーセンター海洋科学館に行って参りましたわ。

こちらでは大分の海の生き物と漁業の展示がありましたわ。

二階にはしんかい6500の実物大模型などもありましたわ。

そして外展示にはふれあい水槽がありましたわ。なんと世界初だそうですわ!何年前の世界初かはわかりませんでしたわ!

水槽の横からお手を突っ込むタイプのふれあい水槽でしたわ。

エサは100円だったのであげてみましたわ。小さなエビ一袋ですわ。

あんまり食いつきはよくなかったですけど勢いはありましたわ。指を噛まれないようにとの貼り紙もありましたが噛まれたらやばそうな感じで身の危険を感じましたわ。わたくしは切身じゃありませんわ!

なんとこちらでは2月下旬から6月上旬まで海水プールにてマンボウが見れるのですわ!また3月上旬からは餌やり体験もできるそうですわ。なかなかマンボウに餌をあげる機会はありませんわ。

しかし今は12月でしたわ!

またマリンカルチャーセンターでは船に乗ってサンゴを見に行けます

伝馬船で行く湾内のサンゴ鑑賞を新たに開始いたしました。

湾内を周遊するため、波は穏やかであまり揺れません。

また人工物(テトラポット)にサンゴが付くのは珍しいので見どころです。

時間がなかったので行きませんでしたわ。

宿泊施設みたいなのでゆっくりまりに来てマンボウを眺めたいですわ。なんかマンボウ子供が見られそうな雰囲気でしたわ。鯖

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2016-10-19

駅乃みちかで揉めている間に渋谷ではオタク外国人勝利を収めていた

2016年10月18日の22時過ぎ、渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンでPorter Robinson & Madeonの『Shelter』アニメーションMV世界初公開された。

Porter Robinson & Madeon - Shelter (Official Video) (Short Film with A-1 Pictures & Crunchyroll) https://youtu.be/fzQ6gRAEoy0

Porter RobinsonはアメリカDJ/トラックメーカーである

重度のオタクとしても知られており、『あの夏で待ってる』の山乃檸檬(CV:田村ゆかり)の台詞サンプリングして自曲に使用したこと、そのサンプリングはきちんと制作元に使用許諾を得ていたことなどで一部のオタクが盛り上がっていた。

MadeonはPorter Robinsonの友人であり、彼もDJ/トラックメーカーで『Shelter』の共同制作者だが、MV制作についてはPorter Robinson主導のため、解説割愛させていただく。

A-1 PicturesはPorter Robinsonが大好きな『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』や『アイドルマスターシリーズアニメーション制作会社であり、今回のMVではアイマス活躍した赤井俊文河野恵が起用されている。

インタビューによると、Porter Robinsonは明確な理由を以てA-1 Pictures指名しており、MVを作る段階においては河野恵以外有り得ないと言っていたとのこと。

まり、『一介の曲が作れるオタク外人が自らの妄想原案として現代的なオタクの嗜好・文脈がしっかり盛り込まれMVを一流アニメ制作会社と作り上げて渋谷スクランブル交差点という超パブリックスペース世界初公開した』というわけだ。

インタビューでも触れられているDaft PunkMVは決して現代オタクの好みではないし、日本アニメ(ーター)見本市のTeddyLoidは現代的なオタク嗜好全開でMVとしても成り立っているが作曲家主導ではない。そして、どちらも渋谷スクランブル交差点では流れなかった)

自分は「これを日本オタクトラックメーカーが先に御旗を掲げて成し遂げられなかった」ことがなぜかとても悔しくて、何がそんなに悔しいのか懊悩しながらこの文をしたためていたのだが、ようやく悔しさの理由がわかった。こんな情けない社会では外国人に先を行かれるのも無理もない。

なにせその頃、日本ではパブリックスペースに登るコラボレーションキャラクターの是非について日替わりで喧々諤々してる有様なのだから

ちょうど今は『駅乃みちか』。しかもこのキャラ至ってはパブリックスペースに出てこないらしいのに、オタクフェミニスト今日もまだ千日議論が繰り広げられている。

これではよしんば日本オタクトラックメーカーにアニメ制作依頼できるほどの元手があったとしても、アニメ文化にもそれらへの理解とも縁遠い渋谷のど真ん中で、自分妄想全開オタクアニメMVを公開しようだなんて、打診どころか冗談でも言いづらいだろう。

そんな中でこんなカッコイイことをオタク外国人が成し遂げたんだから、もうちょっとがんばれよ日本。と思いました。

2016-07-05

ライト兄弟の初飛行が1903年

ライト兄弟世界初の有人動力飛行に成功したのが1903年

和暦では明治36年。

現在日本最高齢の田島ナビさんが生まれたのが1900年明治33年)。

初飛行当時は3歳だし記憶ないだろうけど、

田島さんは人類が初めて空を飛んでから複葉機、単葉機、プロペラからジェットへ、ロケット人工衛星、月面への到達、スペースシャトル宇宙ステーションまでずっと見てきたんだなーと思うと感慨深いものがある。

すごいなー。

2016-06-09

子供の頃嫌いだった大人にならないためのたった一つの方法

やぁ大人たち!今日も選んでる?

若い子に人気のモデルはどうだい?若い子に人気のアーティストはどうだい?

今日も順調に下らない価値観を切り捨ててるかい

突然だけど最近日清CMをどう思う?

エクストリーム!とかどんばれ!とか、ナンセンス支離滅裂な内容ばかりで驚くよね!

カップラーメンもどんべいも、僕らの青春を支えてくれた大切なエナジーフードだ。

徹夜明けに友達の家で食べたカップラーメンの味は忘れられないよね!

ややもすれば、そんな僕らの青春を踏みにじるようなCM最近日清は垂れ流しているよ。

中にはもう日清食品は食べない!なんて思った大人も少なくないかもしれないね

いいね!選んでる!

ところで日清CMについて日清社長インタビューに答えていたことがあるよ。

その中で今の若者カップラーメン自分たちではなく親のブランドだと考えているということを問題視していることを発言しているんだ。

まりね、僕らの青春をどうしてくれるんだ!って声高に叫ぶ大人迷惑だってことをはっきりと明言しているんだよね。

から日清は、CMターゲットを親から若い子供世代に切り替えたんだ。

だってお金があって食欲が減った親たちの世代より、お金がなくても食欲旺盛な若い世代に訴えたほうがいいなんてことはあたりまえのことだろ?

果たして親たちの世代は、これを「食べないことを選んだ」と思うかもしれないけど、日清にしてみればその世代を「選ばなかった」ってことになるんだよね。

まりは、「選ぶ」と「選ばれる」は同じことなんだ。

言い換えれば、選んだつもりが実は選ばれてたってことだよね。

ちょっと考えただけでも、こんなことは世の中には沢山あるはずだよね。

あなた方の価値観は確かに正しいかもしれない。

長い年月かけて積み重ねてきた大切な価値観かも知れない。

でも、いつの間にか好き嫌いだけでもの判断するようになってしまっていないかい?

嫌いと感じたものに対して、後から間違っているという理屈押し付けようとしてはいいかい?

目新しい物が目の前で誕生しているのに、「あぁ、あれの真似だね」とか、知っているつもりになってはいいかい?

そういう、すぐに良し悪しばかりの判断を下して人の話を聞こうともしない大人は嫌いだったはずだよね!

そんな大人にならないためのたった一つの方法

それは、眼の前にある新しいもの好奇心を失わないことだ。

人間は新しいものに対して既知のものである本能的に思うようにできているよ。それが身を守る方法からね。

でも、そんな自分に負けないように記憶にある何かに結びつけようとせず、表面だけの情報で全てを知った気になるのではなく、興味を持って一歩踏み込んでみるんだ。

それこそが、これから世界あなたが選ばれなくならないようにするためのたった一つの方法だよ。

この増田過去に読んだことがあるような気がするのは気のせいだからね!僕が世界初だよ!

2016-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20160605135122

「つけがち」というか現在の主要な米海軍艦はだいたい人名だったはず

以下は戦後建造された駆逐艦だが、

これら全て米海軍の発展などに大きく貢献した海軍関係者(要するに提督といった偉い人)の名前に由来する

空母はこんな感じ。ちなみに全部ニミッツ級

全てが人名由来だが、確かに少し前まではそうでないものもちらほらあった

たとえば「米海軍最後原子力ではない空母であるキティホーク」は、ライト兄弟が初めて空を飛んだノースカロライナの街の近くの地名に由来する(そのため古い戦闘機愛称にもなっていたりする)

また「世界最初原子力空母」であり数年前に退役した「エンタープライズ(冒険心)」は米海軍象徴的な名前として位置づけられている(太平洋戦争時における旧日本海軍の「大和」とか「長門」みたいなもん)

そのためNASAスペースシャトルや、有名なSF映画宇宙船名前にも採用されている(「戦艦大和」→「宇宙戦艦ヤマト」みたいなもんか)

これら人名由来じゃないやつってのはだいたい、「軍艦名前人名由来」という慣習が根付く前につけられた古い名前だったりする

たとえば世界初イージス艦は「タイコンデロガ」って名前で、これはアメリカ古戦場(タイコンデロガ要塞)、ネイティブアメリカン(イロコイ族)の言葉で「二つの水に挟まれた地」という意味

2016-05-06

そして自信過剰自動車運転手が死んだり人を殺したりしまくってるんですよ。運転しないが良識ある最善な姿勢です。

http://anond.hatelabo.jp/20160506000931

大阪梅田では11人死傷、東京池袋では5人死傷、京都では19人死傷。

これ、すべて一回の自動車暴走で起きた被害者犠牲者の数です。

自動車歩道に突っ込むなどして、テロと同等の大惨事が相次いでいる。

自動車がいかに自己中心的傲慢邪魔迷惑を通り越した凶器であり、その運転は徹底して避けるが最善かがよくわかりますね。

交通死者のツートップ歩行者自動車運転手。そしてともに加害車両自動車です。

自動車などという邪魔迷惑危険な乗り物の運転は、徹底的に避けるが人々の安全のため、自分のためでもあるのは数々の自動車大惨事証明しています

ゴールデンウィーク中だけでも悲惨自動車加害による悲惨惨事が相次ぎましたね。というより自動車による加害の交通死亡事故ばかりです。自動車運転手大勢死んでいる。自動車という凶器によって。

加害車両のほぼ100%自動車です。自動車が動くから大事故が起きる。自動車が重大事故を起こしているのです。

自動車が動くから大事故が起きる。自動車への規制強化、課税強化、取り締まり強化、罰則の強化、自動車を不便にしてでも歩行者自転車の便利を優先するインフラ整備が重大事故を防ぎ、交通死亡事故を防ぐ。

http://ch.nicovideo.jp/niconicoradio/blomaga/ar879077

自動車排除、削減し、自転車を増やすメリット社会篇) 自転車を生かしたまちづくり~21 世紀は自転車時代だ TBS 情報制作プロデューサー

http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/2961/1/1.pdf

(1) 渋滞の緩和:都心部から車を排除する政策をとって1年で、渋滞がなくなった、ビジネス効率が高まった、等の目覚ましい効果

(2) 交通死亡事故の激減 :交通死亡事故が激減した(初年度 死亡事例 0 件)交通事故死亡事故は、自動車からから起こるのであり、自動車が通行しなければ事故はあっても死亡には至らない。

なぜなら、道路から自動車という専有面積と重量が大きく高速で動く存在が無くなれば、重大事故原因要素を根本から無くせるため。

(3) 医療費の大幅削減:・ 医療費の大幅削減に成功平均寿命がのびた。自転車政策が立ち遅れているイギリスでは、環境ではなく医療費削減の目的自転車政策が始まった

2025年までに自動車電気自動車以外の販売を禁じる世界初法案オランダで提出・可決の見込み。ガソリン車、ハイブリッド車公害性が高いので当然禁止

ちなみにオランダ交通安全を高める意識も、環境意識も高い、ゆえに自転車活用を推進し、自動車への締め付けを強化しつづけている。それが重大事故減少の根本であるため。

http://gigazine.net/news/20160424-netherlands-ban-non-electric-vehicles-2025/

4年以内にオスロ中心部自動車通行を全面禁止へ、欧州首都で初

http://jp.reuters.com/article/oslo-idJPKCN0SE0Y220151020

オスロは「電動自転車」の街へ。購入者に最高約7万円プレゼント

http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/oslo-bicycle_b_8848840.html

自動車害軽減のため自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、自転車=サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html

害悪の強い自動車依存からの脱却 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通網は自転車主体 

http://bokura-go.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-48a7.html

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

フランス パリで進む脱自動車 | レスポンス  自転車シェアリング『ヴェリブ』の活用も進む。

http://response.jp/article/2012/10/12/183012.html

日本でも、運転免許保有率都心で減少 都市部市街地への移住が進むなか、移動手段クルマから自転車時代へ。

http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php

免許を取る暇と時間があったら、受験勉強や他の資格取得、現在仕事キャリアを積むための努力に向けるわ、となっているご時世。

ちなみにこれはアメリカでさえも同様の傾向。自動車より自転車積極的に選ばれる時代へ。

糖尿病都道府県ランキング 最悪は徳島県、次に香川県 基本的自動車乱用しがちな地方田舎ほど深刻

http://www.dm-net.co.jp/calendar/2014/021920.php

自動車が多いと重大事故発生率も高くなり、これは治安と同様に市民生活における重大な懸念事項

http://area-info.jpn.org/TrafPerPop.html

国土交通省自動車乱用やばい拠点分散して地域が自滅する。自動車乱用が地域に不便を蔓延させてる(事故蔓延)。自動車馬鹿反省しろ。」

http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/

肥満合併症について 2型糖尿病・高血圧高脂血症高尿酸血症痛風動脈硬化症(心血管障害/脳血管障害)・脂肪肝肥満により2~5倍合併やすくなります

http://beautyhealthy.web.fc2.com/himannogappeisyou.html

心疾患、脳卒中、壊疽(手足等が腐り、機能不全に陥る)、失明など 糖尿病で恐いのは合併症です‐糖尿病教室京都大学 糖尿病・内分泌・栄養内科

http://metab-kyoto-u.jp/to_patient/online/a007.html

自家用車ドライバー健康保険適用廃止せよ  自動車が不健康、壊疽や失明心臓病、脳梗塞等を招く合併症蔓延させて医療費の暴騰を招いているため

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1443321934/

自動車という占有面積的に邪魔迷惑危険な乗り物が、道路安全根底から破壊し、子供らの安全と命を奪っている。通学路でさえも!

http://www.city.omuta.lg.jp/kouhou-web/13-09-01/images/t01_01.jpg

http://art38.photozou.jp/pub/247/1476247/photo/136155727.v1386408744.jpg

警察議員自動車への規制強化、取り締まり強化、罰則の強化の要請継続しつづけよう。それが子供らの命を守り、救う。

日本自動車運転手は、あまりにも、子供を殺しすぎだ。

通学路においてさえも危険スピードで通行し(速度超過)、進入禁止違反も繰り返し、歩道があっても歩道に一時停止無視でつっこんで子供を死傷するテロリスト、それが自動車運転手

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/204724.html

自動車への規制強化、取り締まり強化、罰則の強化の声をあげるに、なんらの遠慮も要らない。それが子供らの安全を、自動車の害を抑えつけて勝ち取るのだから

蔓延する自動車交通犯罪一覧。警察に取り締まり強化要請を。

・速度超過(制限速度を1kmでも超えれば速度超過の危険犯罪運転に該当。事故を起こせば危険運転の罪に問われ交通刑務所服役等厳罰もある。)

・車間距離保持義務違反(十分な車間距離を取ることの必要性理解できていない危険交通犯罪運転。

 特に自転車歩行者に対して側方安全間隔1.5m以上を取らない危険な追い抜き含め、万が一の安全が確保できない危険運転蔓延している)

 また、歩行者自転車への強引な追い抜き及び幅寄せは、暴行罪(懲役二年以下)の厳罰となる。

・横断歩行者妨害等(横断歩道歩行者自転車のために道を譲らなければ交通犯罪に該当。

国内ドライバーの9割以上が違法行為を繰り返している。先進国ではありなえい無法状態事故になれば交通刑務所行き。 http://blog.jablaw.org/?eid=1074745

・合図不履行(右左折車線変更より3秒以上前に出さないと交通犯罪に該当) 

歩行者側方安全間隔不保持等(いわゆる強引なスレスレ追い抜き 対自転車に対しても蔓延) ・追越し違反

指定場所一時不停止等 ・踏切不停止等 ・通行帯違反 ・警音器使用制限違反(クラクション違法使用)

駐車違反(自転車往来妨害、重大事故を誘引し三千万円以上の賠償命令も) 

路線バス等優先通行帯違反 ・割込み等 ・無灯火 ・携帯電話使用等 

進路変更禁止違反 ・通行区分違反 ・飲酒運転(基本的実名報道され、刑務所懲役率も高い)

他多数

自動車交通犯罪を野放しにしているから、凄惨で血にまみれた自動車加害惨事が起きている。

自動車への規制強化、取り締まり強化、さらなる厳罰化議員警察要請し続けよう。

蔓延する自動車交通犯罪一覧 警察に取り締まり強化要請を。

http://greentoptube.hatenablog.com/

2016-05-05

自動車という爆弾と同等の凶器は、買わない、持たない、運転しない、が人々の安全環境を守る。『自動車を運転しない思いやり』を広めよう。

http://anond.hatelabo.jp/20160505165536

自動車なんざ

・買わない

・持たない

・運転しない

が、自分を含め人々の安全のためには最善なことは統計でも示されている。

自動車が動くから大事故が起きるのだからね。

休み繁華街自動車暴走なぜ… 大阪梅田の11人死傷:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASJ2T4RP5J2TPTIL01P.html

自動車の運転がテロリストと同等の大惨事凄惨被害を人々に与える事実は、

東京池袋5人死傷でも、大阪梅田11人死傷でも、京都で20人近い死傷者を出した自動車暴走でも、

9人死傷親子3人を皆殺しにした山陽道自動車暴走テロでも、証明されている。

神戸市三ノ宮でも歩道自動車がつっこんで大勢の重軽傷者を出した。

いずれも「自動車の運転をしない!」この思いやりがわずかでもあれば防げた惨事だ。

神戸三宮暴走梅田祇園池袋暴走事故後絶たず - 産経WEST

http://www.sankei.com/west/news/160503/wst1605030030-n1.html

山陽道:多重衝突、親子3人死亡…トラック運転手逮捕へ - 毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20160505/k00/00m/040/071000c

自動車排除、削減し、自転車を増やすメリット社会篇) 自転車を生かしたまちづくり~21 世紀は自転車時代だ TBS 情報制作プロデューサー

http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/2961/1/1.pdf

(1) 渋滞の緩和:都心部から車を排除する政策をとって1年で、渋滞がなくなった、ビジネス効率が高まった、等の目覚ましい効果

(2) 交通死亡事故の激減 :交通死亡事故が激減した(初年度 死亡事例 0 件)交通事故死亡事故は、自動車からから起こるのであり、自動車が通行しなければ事故はあっても死亡には至らない。

なぜなら、道路から自動車という専有面積と重量が大きく高速で動く存在が無くなれば、重大事故原因要素を根本から無くせるため。

(3) 医療費の大幅削減:・ 医療費の大幅削減に成功平均寿命がのびた。自転車政策が立ち遅れているイギリスでは、環境ではなく医療費削減の目的自転車政策が始まった

結局は道路から重量のある乗り物=自動車を減らせば減らすだけ道路安全になる、という現実

自動車抑制こそが交通安全を向上させる唯一根本施策だと言われるのはこのため。

自動車の速度を落とさせれば落とさせるほど、自動車の通行をゼロに近づければ近づけるほど、道路安全根本的に高めることができる。

ゆえに、各国で自動車規制強化が進み、自転車公共交通への乗り換えが善良な行為として讃えられ政策で推進されている。

日本をはじめ世界中都市で進む自動車離れから自転車活用。人々の環境意識が高まり続けている。

運転免許保有率「都心」「若者」で減少 都市部市街地への移住が進むなか、移動手段クルマから自転車時代へ。

http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php

2025年までに電気自動車以外の販売を禁じる世界初法案オランダで提出・可決の見込み

http://gigazine.net/news/20160424-netherlands-ban-non-electric-vehicles-2025/

4年以内にオスロ中心部自動車通行を全面禁止へ、欧州首都で初

http://jp.reuters.com/article/oslo-idJPKCN0SE0Y220151020

オスロは「電動自転車」の街へ。購入者に最高約7万円プレゼント

http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/oslo-bicycle_b_8848840.html

自動車害軽減のため自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、自転車=サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html

害悪の強い自動車依存からの脱却 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通網は自転車主体 

http://bokura-go.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-48a7.html

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

フランス パリで進む脱自動車 | レスポンス  自転車シェアリング『ヴェリブ』の活用も進む。

http://response.jp/article/2012/10/12/183012.html

他多数

当然ながら、自動車は重大な凶器であり、自動車で重大事故を起こせば

実名公開

顔面公開

懲戒解雇

刑務所懲役

これらが現実になり、持病を隠して自動車などという極めて危険凶器を運転していたという極めて身勝手事実も公開される。

そして、その記録はネット行政の記録に永遠に残り続ける。

京都祇園自動車暴走事故 藤崎晋吾 まとめ 月刊 精神分析 2012年06月

http://agency-inc.com/accident5/

20人死傷 京都祇園軽ワゴン暴走事故 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%A5%87%E5%9C%92%E8%BB%BD%E3%83%AF%E3%82%B4%E3%83%B3%E8%BB%8A%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E4%BA%8B%E6%95%85

犯人顔写真 藤崎晋吾

http://img01.gunmablog.net/usr/g3s/30yougisya.jpg

6人の尊い子供の命が奪われた 鹿沼市クレーン暴走 柴田将人を逮捕。息子の持病を知りながら隠したり免許取得の手助けをしていた母親にも惨事を発生に加担したとして賠償責任認定

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E6%B2%BC%E5%B8%82%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%BB%8A%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E4%BA%8B%E6%95%85

http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/34389274.html

犯人顔写真 柴田将人

http://pds.exblog.jp/pds/1/201104/18/28/d0010128_2225642.jpg

5人死傷 東京都池袋 てんかん持病あり 金子庄一郎

http://www.sankei.com/affairs/news/150818/afr1508180008-n1.html

犯人顔写真 金子庄一郎

http://www.sankei.com/images/news/150818/afr1508180008-p1.jpg

会社員柳下陽平さん(22)によると、金子容疑者事故後、警察官に車から降ろされると「何が悪いんだ」と叫び声を上げて暴れ出したという。

普通の様子ではなかった」と顔をこわ張らせた。

自動車運転やめて!」家族叫び  

http://www.asahi.com/articles/ASJ226CYBJ22ULZU00G.html

「もうやめてください。誰かを巻き添えにしたらどう責任をとるんですか!」

自動車の運転中に発作が起きれば、アクセルペダルを踏み込んだまま、倒れ込むことも。

https://www.youtube.com/watch?v=A_t62W_0fs4

もちろん自動車は全速前進暴走しつづける。こんなことが、人だらけでごったがえす観光地都市部で起きたら?子供の列につっこんだら?どうなるか??

自動車を運転するという行為がどういった惨事発生リスクを生むか、よく考えて、自動車運転を避けるという良心良識ある生活視野に入れて判断を。

http://greentoptube.hatenablog.com/

2015-12-27

ガルパン脚本文句いってるのは娯楽の楽しみ方を知らない

http://anond.hatelabo.jp/20151227181531


ガルパンを絶賛している人たちは、何を見に映画館へ足を運んだかというと、戦車なんだよね。

ここまでの戦車戦なんて普通の実写の映画ではないし、他のアニメにも、漫画にも、小説にもない。


この世に存在する娯楽の中でここまで戦車戦しているものはないのよ。過去何十年も遡ってもな。

尚且つ女の子戦車道をやっていることで、フィクションなんですよ、戦車も実際より速く動きますよと、現実よりエンタメに寄ってるんですよと、純粋に楽しめると。


で、脚本が駄目だよねって言ってる人たちは根本的にそこがズレている。

アバターってくそみたいな脚本映画があったけど、あれは世界初3Dでの映画だったから、脚本より3Dを魅力的に見せることが重要視されていたわけよ。

実際その年の年間売り上げトップだろ?観客も分かってるんだよ、脚本の良く出来た映画を見に行ったんじゃない、と。


今回のガルパン劇場版戦車での戦闘を見せるために、魅力的にするために映画を作っているのよ。


脚本よりも優先順位が高いの。それは楽しんで作っているスタッフも、大多数の褒めている観客も。

戦車での戦闘を求めているし、それを楽しんでいるから、絶賛しているの。


脚本が良い映画なんてどこにでもあるし、作画がいい映画なんてどこにでもある、音響が良い映画をみたいならハリウッドの大作を見に行けば良い。


でも、ここまでエンターテイメントに振り切った戦車映画はここにしか存在しないの。


分かる?君たち根本的にエンターテイメントの楽しみ方を知らないの。可哀想で哀れな存在から慰めてあげる。ヨシヨシ。


あと、どう考えても作ってる人たちは脚本陳腐なんてことは理解してる。分かりきっている。

それでも、脚本が優秀なガルパン映画なんて別に作りたくないし、観客も求めてないの。戦車が動いているところを書きたいの。


あ?

脚本と両立すればいいって?馬鹿なの?

なんか説明不足だなとか、描写不足だなとか、もっと他校のチームが合流する自然理由が欲しかったよなとか。


それを映像にすると時間が取られる。ということは、イコール戦車戦闘する時間が減るのよ。

一番見せたいものを削ってまで優先される脚本なんてこの世に存在しないのよ。

2015-12-04

[]テルミン

1919年ロシア発明家レフ・セルゲーエヴィチ・テルミン発明した世界初電子楽器

テルミンの最大の特徴は、テルミン本体に手を接触させることなく、空間中の手の位置によって音高と音量を調節することである

右手音階を、左手で音量をコントロールする。

・・・確かに男根見立てると触らずにイかせる念力風俗嬢っぽいね

2015-10-16

世界の名争50戦

前1285カデシュの戦いエジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。
前479プラタイアの戦い古代ギリシアペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。
前371レウクトラの戦い古代ギリシア都市国家テーバイスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。
前331ガウガメラの戦い「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵ペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。
前260長平の戦い中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである
前216カンネーの戦いアルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。
前202垓下の戦い秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。
前48ファルサルスの戦い古代ローマ代表する二人の軍事的天才、カエサルポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。
前31アクティウムの海戦カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。
23年昆陽の戦い漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。
208赤壁の戦い三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。
383淝水の戦い五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。
451カタラウヌムの戦いフン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。
506鍾離の戦い数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。
530ダラの戦いサーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。
627ハンダクの戦い初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。
636ヤルムークの戦い「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。
732トゥール・ポワティエ間の戦いイベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。
751タラス河畔の戦い西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。
1098アンティオキア攻囲戦第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍成功に終わった。
1141カトワーンの戦いイスラムセルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。
1187ヒッティーンの戦い暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラムアイユーブ朝サラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。
1212ナバス・デ・トロサの戦いイベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラムムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。
1214ブーヴィーヌの戦いフランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。
1241モヒの戦いバトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。
1260アインジャールートの戦いモンゴル帝国西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝実質的建国者となった。
1267襄陽・樊城の戦いモンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。
1346クレシーの戦いイングランドフランス百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍クロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。
1363鄱陽湖の戦い中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。
1402アンカラの戦いニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラムオスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマン一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。
1410グルンヴァルトの戦いポーランドリトアニア連合軍ドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランドリトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。
1420ヴィトコフの戦いヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。
1450フォルミニーの戦い他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランス軍事的優位を決定付けた。
1453コンスタンティノープルの陥落東ローマ帝国首都にして史上最強城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。
1503チェリニョーラの戦い二次イタリア戦争におけるスペインフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。
1514チャルディラーンの戦いイスラムサファヴィー朝建国者スマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。
1588アルマダの海戦黄金時代スペインイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。
1619サルフの戦い女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。
1631ブライテンフェルトの戦い三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。
1683二次ウィーン包囲オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリア首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。
1704ブレンハイムの戦いスペイン継承戦争において、イングランドマールバラ公とオーストリアプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。
1709ポルタヴァの戦い北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。
1757ロイテンの戦い七年戦争プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争プロイセン優位に終わった。
1781ヨークタウンの戦いアメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官ワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。
1805トラファルガーの海戦欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソンタッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。
1805アウステルリッツの戦いフランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。
1819ボヤカの戦い南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバル大統領とした大コロンビアが誕生することになる。
1863ゲティスバーグの戦い「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。
1870セダンの戦い国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-02-12

ポエムリアル将棋感想チラ裏

2月8日西武ドームで行われたリアル将棋ニコ生タイムシフトを見終えた。言わずと知れた羽生善治四冠と新進気鋭の豊島将之七段が対局したのだが、まず場所野球場であること、対局者はそれぞれ4時間の持ち時間を持つが、普段の対局とは異なり時間切れの場合秒読み勝負とはならずその時点で負けとなること、また直接対面せずに一塁側、三塁側に設営されたテントの中で考慮し、マイクで指し手の宣言を行い、そしてそれを合図にドライバー達がグラウンドへ駆け出し、でかでかと描かれた「将棋盤」上に配置された「駒」である車に乗り込んで目的場所へと移動することで対局を進めていくという、スケールの大きい、あえて別の言い方をすると非常に馬鹿馬鹿しい企画だ。

個人的には将棋は駒の動かし方と大まかな戦法しかからず、見る方も有名な棋士はなんとなく知ってはいものの棋戦を積極的に見ることはあまりない程度の者なので将棋の詳しい内容を語ることは難しいし、車に至っては公共交通機関の発達している都市部での乗用車利用は禁止してしまえばいい、くらいの考えを持ったことがある程度には車の所有欲がない人間である

そんな自分がこの番組に興味を持ち、最後まで見続けることになったポイントは、なぜこのような企画を立て、実行できたのか?という一点に尽きる。

今回の番組ドワンゴに並んでトヨタ主催という立場で行われた。つまり番組本質トヨタ宣伝だ。ドローン空撮を利用した壮大なオープニングからまりMCゲスト、解説の棋士が次々と入れ替わりながら途中休憩時以外ほぼノンコマーシャルで進行していくのは快適だ。ゲストは盤面の動きの多い序盤と終盤に将棋側、長考が多い中盤に車側を多く呼んでいたように思うが、盤面解説の棋士に対しても積極的に車のエピソードについても聞いていくというコンセプトで進められ、番組全体の長さは10時間を超えるものとなった。

駒となる車も、羽生側は往年のトヨタ車、豊島側は世界初量産型燃料電池車であるMIRAIをはじめとした最新のトヨタ車が選ばれ、豊島側の歩兵銀将飛車が成ったときは専用の車種に入れ替わるという演出も用意された。展開の都合上、成銀と龍王の出番はなく閉会式での紹介のみとなったが…。

陳腐表現だとは思うが、今回の番組ネット番組ならではの特性というか、地上波テレビではできないことを惜しみなく行う「良さ」を見た気がする。今回のような番組は当然ながら地上波では行えるはずもない。例え無尽蔵の予算があったとして、公共性が求められるとされる地上波放送においては10時間もの間、たった1社の宣伝のためだけの番組生放送し続けることを許す土壌がないからだ。地上波で行うとなるとたとえば1時間とか2時間の枠に圧縮され、視聴者に分かりやすいように編集され、宣伝色も薄められたものが届けられる。それはおそらくクライアントの思惑と必ずしも合致しないものになるだろう。

しかしこの番組はその逆をやり遂げた。

登場するゲストたちも、次々に「こんな企画誰が考えたんだ?」と口にした。東洋経済記事によるとドワンゴトヨタに持ち込み実現した企画とのことだが、トヨタ側の真剣な取り組み具合もその記事から見て取れるように、この番組を通していわゆる「若者の車離れ」をなんとかしたい、というトヨタの思いが強く感じられる番組作りだった。ネット番組にありがちの低予算番組とはせず、社長決裁が必要となる規模で行うほどの企画を通した担当者努力には敬意を表したい。

そういう意味番組全体を通して特に印象深かったのは、終盤戦に差し掛かったあたり、レーサーの脇坂寿一氏とトヨタマーケティングジャパン社員が登場した時間帯だ。脇坂氏がトヨタ社長豊田章男氏自らレースに出場するというエピソードを紹介したり、チャーリーチャップリンが「あなた最高傑作は何か?」と問われたとき言葉引用した「ネクスト・ワン」を会社キャッチフレーズにしているといった話、そして企画担当者の話を通して、トップをはじめとした社員達がが商品を好きであることが企業にとって強い力であるということを感じた。

本論とは外れるがピストン西沢氏の言葉も車将棋ならではといったもので興味深い。「羽生陣営玉将である二代目クラウンエンジンが冷えてしまうと大変なので、車ファンとしては定期的に動かしてほしい」。玉将はいったん駒組みが終わってしまえば終盤攻められない限り動くことはないし、実際本局でもその願いが叶うことはなかったのだが、終盤羽生玉が攻められた際に、移動中エンストをしてタイムロスを起こしてしまクラウンを見たときにはある種の痛快さを覚えた。

さて、このように自分としては今回の番組クライアントであるトヨタの思いが強く反映され、それが功を奏した画期的ものであるように感じられ、それが最後まで見続ける原動力になった。もちろん100点満点の番組だったという訳ではなく、段取りの悪いところや会場のチョイス(他に会場の空きもなかったのだろうが、吹きっ晒し西武ドーム10時間以上過ごすとか…)などの改善すべき点も見られた。トヨタの思いにマイナス方向の印象を持った視聴者いるかもしれない。もしこの番組に続編があるとしたらどうなるだろうか?たとえば「○○社vs××社」のような企画となったとき、別の意味を持つことになるだろうか。また、今後もドワンゴがまったく別の業種に対して大規模な番組企画を持ち込み、それが実現した際にどういう番組になっていくかというところについても注目していきたい。

2014-10-27

原子力のはじめて

炎が出ないのにお湯が沸く?

これは原子力お話だよ


タータタン、タータタン、タタタタッタタッタタ

おねえさんどうしたの?

この水車に水を流すと…

うわぁ。電球が明るくなったぁ!

これが水力発電よね。水の落ちる力を水車と発電機電気に変える。

そうだね。沸騰しているやかんの口のから出る湯気に水車を近づけても電球がつくよ。

ちょっとやってみるわね。

うわぁ。点いた点いた。

これが火力発電原理なんだ。石炭石油やガスを燃やして、お湯を沸かして水車を回す。

水車が発電機を回して電気になるんだ。

うわーすごいわね。最近よくきく原子力はどうなの?

水でも火でもないものから電気ができるなんて、おねえさん、よくわからないわ。

それじゃー今日原子力のはじめてにいってみよう。

いいわよ!

じゃいくよ!

クルクルバビンチョ パペッピポ ヒヤヒヤドキッチョの モーグタン

テンテンテンテンテンテンテンテー

ここは?

紀元前2000年ころのインダス文明古代都市モヘンジョダロだよ。

どーん。

キャー、すごい光と爆発だ。

どうしたの?

これは、ラーマーヤナという古代インドの書物に書かれていた大気圏内核爆発の瞬間だよ。

ラーマーヤナの雷(いかずち)ともいわれているよ。

今、近づくのは危険から4000年後のモヘンジョダロにいってみよう。

たいへんだ。たいへんだ。

あの人はだれ?

考古学研究者のダヴェンポートさんだよ。

この遺跡の石がガラスになっているんだよ。

石がガラスに?!

ちょっと解説しよう。石や岩はとても高い温度になるとガラスのように溶け出すんだ。

でも、石が溶けるには、1000度から1500度の高温になる必要があるんだ。

現代でもこの温度を作り出すには、たくさんの燃料を燃やさなくてはならないのに古代にそんな大きなエネルギーを発生させる技術があったとは考えにくいことなんだ。

うそう。その疑問を解決する答えは、核です。

モヘンジョダロは核で攻撃を受けたのです。核を使えば、一瞬にして高温を発生させることができる。

石をも融かしてしまうことができるのです。

へー。核の持つエネルギーってすごいのね。

そうなんだ。原子が分裂するときに発生するエネルギーは、とても大きく普通に火が燃えるときと比べて莫大なエネルギーを発生させることができるんだ。モヘンジョダロが核攻撃を受けたことは仮説のひとつなんだけどね。

へー、原子の持つ力ってすごいのね。でも、原子ってどーんと爆発したりして怖いわ。

それじゃぁ、人間の役に立つ原子力歴史を見に行ってみよう。

ここは1789年ドイツだよ。

あの人は?化学者ロプロートさんだよ。

黒い鉱石の中から新しい元素を見つけたぞ!最近見つかった新しい惑星天王星(Uranus)にちなんでウランと名づけよう!

ウランがみつかったのって、つい最近ことなのね。

そうなんだ。このころは新しい元素を見つけるのが流行っていたんだ。

次行ってみよう。

ここは?

1896年フランスだよ。あの人は、物理学者ベクレルさんだよ。

これはすごいウランには他からエネルギーを与えられなくても放射線を発生する能力放射能)があるぞ!大発見だ!

さらに2年後にいってみよう。1898年パリだよ。

あの女の人はだれ?

あの人は有名なキュリー婦人だよ。

ウラン鉱石を手作業で砕いて、不純物を取り除いているところなんだ。

ウランを手で触ったりして危なくないの?

このころは、放射能についてよくわからなかったから、最先端研究者といえど何の防備もなしに放射性物質を扱っていたんだ。今では考えられないことだね。

1903年ベクレルさんとキュリー夫妻は、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞したんだ。

この世紀の大発見により、光り輝く放射性物質は、人類幸せをもたらす魔法物質として一気に研究が進んでいくだ。

ベクレルさんもキュリー婦人も、そのあとによくわからない原因の病気で亡くなってしまっているんだ。

扱い方を誤ると放射性物質は怖いのね。

ここはどこ?

ここはスウェーデン。あの人は、物理学者シーベルトさんだよ。

放射線は人体に危険なのです。核エネルギー人類平和のために使うには放射線危険性をきちんと理解しないといけません。

シーベルトさんは、放射線が人体に与える影響についての研究で有名なんだ。

研究が進んでいくと役に立つところと危ないところが徐々にわかってきたのね。

どーん。

キャー。また爆弾

放射性物質核分裂を起こすと莫大なエネルギーを生み出す。この力を戦争に使おうとする研究がさかんになっていったんだ。

やっぱり、原子力って怖いじゃない。

そうなんだ。太平洋戦争ときに使われたのは、この技術を応用した核爆弾だったんだ。アメリカは、核の力で日本長崎広島を一瞬にして消し去ってしまったんだ。

ここは?

1949年アメリカだよ。

あの人はだれ?

あの日本人は、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士だよ。

あっちの人は、だれ?

あの人は、アインシュタインさんだよ。

えー、あのアインシュタインさん!

湯川くん、湯川くん!君に会えてうれしいよ!

でも、ぼくはとんでもないことをしてしまった。

原爆開発の引き金をひいてしまったんだ。

こんな僕だけど、許してください。

ぜんぜん、役に立つ原子力じゃないじゃない。アインシュタインさんでさえ後悔しているわ。

それじゃあ、原子力発電の元になる原子炉をはじめて作った人のところにいってみよう。

ここは1942年アメリカだよ。

あの人は、イタリア出身フェルミさんだよ。

一気に爆発せずに核分裂反応を一定にすることに成功したぞ!やったーやったー!

フェルミさんたちは、黒鉛ブロックを積み上げた中にウランを入れ、核分裂連鎖反応を起こすことに成功したんだ。カドミウムから作られた制御棒を使って、出力が一定になるように調整できるようにしたんだ。熱をコントロールできるだけで、電気はできなかったんだ。

でも、すごいじゃない!フェルミさん。

そして、ここは、1953年12月8日ニューヨーク国連本部だよ。

あの人はだれ?

あの人は、アメリカアイゼンハワー大統領

平和のための原子力

歴史の何ページかには、確かに『偉大な破壊者』の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体を見れば、そこには人類の果てしない平和希求と、人類が神から与えられた創造能力が示されている。

原子力平和のために使うんだ!

アメリカは、冷戦下、ソ連との軍拡競争の中で、核ミサイルを中心とした軍事向けの原子力生活に役立つ発電に使う平和利用原子力の2本立ての核開発を行っていったんだ。

その方針の下、同盟国の暮らしを豊かにするために原子力技術を使った発電を広めていったんだ。

ここは、1954年ソ連のオブニンスクだよ。

ここで、世界初原子力発電実用化されたんだ。

そのあと、1956年イギリスで、1958年にはアメリカ実用化されたんだ。

日本では、1966年茨城県東海村日本初の原子力発電所スタートしたんだ。

戦争が終わってから21年目のことだったんだ。

戦争原爆を落とされた日本国内では、原子力に対して強いアレルギーがあったんだ。

反対運動もすごかった。

原子力は、石油石炭電気に続く「第3の火」として平和で豊かな生活に役立つものとして宣伝されたんだ。

新聞では「ついに太陽をとらえた」という原子力平和利用アピールする記事掲載され徐々に原子力への期待が高まっていったんだ。

それが今の日本の発展につながっているんだね。

ちょっと待って、原子力電気に変わる秘密を教えてもらっていないわ。

おねえさん、ごめんごめん。

原子力発電所では、ウラン核分裂で発生した熱を利用して、お湯を沸かしてタービンと呼ばれる水車のおばけを回しているんだ。

あれれー。やっぱり水車が回って、発電機を回してエネルギー電気に変えるのね。

でも、原子力のすごいところは、1グラムウランから石炭3t、石油2000リットル分の熱を取り出すことができるんだ。

これはとてもすごいことなんだけど、実際は取り出したエネルギーの3割が電気に変わって、残りの7割は廃熱として海に捨てているんだ。ちょっともったいないね。

ただいまっと!

なーんだ。核融合とかプラズマとかすごいことしているのかと思ったら、原子力もお湯を沸かして発電していたのね。ちょっとがっかりしちゃったなぁ。

から見える東京の夜が明るいのも原子力のおかげなんだよ。

この夜景原子力の賜物なのね。やっぱり原子力ってすごいのね。おねえさん、ロマンチック夜景を見て、原子力を見直しちゃった。




もう放送できないね…。

2014-09-25

昨今のPC向けWebブラウザの現状(準メジャーブラウザ、その他編)

http://anond.hatelabo.jp/20140925002959 に続き、準メジャーブラウザとその他のブラウザの現状。

Firefox派生ブラウザは全く使ったことがないので、省略。

Chromium派生ブラウザは(レンダリングエンジンの性能に関しては)どれもChromeを超えられる存在にはなりえないので、とりあえずOperaだけ。

個人制作ブラウザも省略。

Opera

かつては独自レンダリングエンジン(Presto)を載せ、独自機能を数多く搭載し、一部の人からOpera最強伝説」と絶賛されていたブラウザ

タブブラウザ流行らせた一因と言われている。

Web標準にいち早く準拠させた一方で、IEなどの互換性も配慮していたようだ。

しかし、HTML5CSS3準拠度は後発のWebKitエンジン搭載ブラウザに押されてしまった。

そのせいなのか、もしくはPCが廃れそうだから独自レンダリングエンジン投資するのは無駄と考えたかどうかは不明だが、PC版はBlinkエンジン採用することになってしまった。

Blinkエンジンを手に入れることによって、得られたのはHTML5準拠度UPとブラウジングスピードと安定度。失ったのは、マウスジェスチャカスタマイズサイドバーといった今までのメリットだった独特のUI。ただのChromium派生ブラウザになってしまった。

バージョンアップタイミングChromiumと同期するためバージョンアップ頻度が高くなり、現在では24まで上がっている。

それでもなお、独自エンジンを搭載した最終バージョンを使い続けるユーザーが少なからずいるようだ。

Sleipnir

国産ブラウザ代表。かつては、IEコンポーネントタブブラウザ定番だった(少なくとも国内ではそうだった)。

最近Version 5系が出て、何を思ったのか不明だがバージョンが6まで上がった。5からは文字がボケボケ滑らかになったり、タブがページサムネイルになったり、Blinkエンジン専用になったり、4でできたカスタマイズができない、6で「お気にタブ」というネーミングセンスを疑う機能など、ある意味で大化けしてしまった。

一方で、2系や4系のバージョンアップ継続するようだ。実際はこれらの処遇を決めかねているのではないだろうか。

2, 4, 6の中で不満の少ないのを模索しているようにも見える。

ちなみに、BlinkエンジンChromiumをいじってChromiumのタブとかボタンとかを隠しているだけ。このおかげで、Chrome拡張機能がそのまま使えるようだ。Blinkプロセス単独で実行させれば素のChromiumが起動する。4系で確認。6系は未確認

バージョンに共通して言えることは、起動が遅い、UIがごちゃごちゃしすぎ。機能に振り回されている。さらに、Chromiumバグまで引きずるダメアプリ

Lunascape

国産ブラウザ代表。昔は軽量だったのに、「世界初 トリプルエンジン搭載」だとかなんとか言ってるせいで、いつの間にか重量級ブラウザになってしまった。WebKitエンジン更新が止まりセキュリティ的にやばいんじゃないかと言われ続けたが、最近になってようやく更新し始めた模様。

ブラウザ本体にAds by Lunascape広告を載せる実験をした実績あり。

感想Sleipnirと同じ。どちらかというと、レンダリングエンジン自体が重いせいなのかもしれない。せっかく3種類のレンダリングエンジンが使えるといっても、重いのでは全く意味がない。

というか、Sleipnir4 - 安定感 + Geckoエンジン = Lunascapeという数式が頭をよぎる。

Maxthon

中国産の中では比較的まとも(と思われる)ブラウザ

レンダリングエンジンをどう改造しているかからないが、HTML5testではなぜかChromeよりスコアが高い(正式リリース前のバージョンだが)。

最近Chromeより30%軽いとか言っているMxNitroを作ったらしいが、まだベータ版らしくブラウザとしての基本機能が足りない。Chrome拡張機能が使えないので、Chromeと同列に扱うのは反則だと思う。

30%軽い理由の1つは、Chromium組み込み向けフレームワークであるCEF(Chromium Embedded Framework)ベースと推測されるため。これは間違っているかもしれない。

どんな方法高速化しているのかが気になる。

それにしても、UIが全体的にのっぺりな平行四辺形なのはどうなんだろうか・・・

最後

国産はごちゃごちゃしたものばかり作るなよと言いたいところだ。ユーザー要望安易に答えすぎた結果なんだろうか。技術的には中国産ブラウザに負けているような気がするが、気のせいだろうか。

Opera独自レンダリングエンジンを止めてChromium派生になってしまった上にスマートフォンやらタブレットやらが普及してしまった以上、もうPC向けに力を入れる時代ではなくなったのかな・・・

2014-09-05

世界初のIPS人体投与をめざす理研高橋政代の基礎研究論文すら

世界初のIPS人体投与をめざしてる理研高橋政代の基礎研究論文すら発表されていなかったことが判明!

「200匹以上成功したもん!証拠論文もないけど信じて」

高橋政代 @masayomasayo

動物による安全性確認を2年近く200匹以上で確認しました。

https://twitter.com/masayomasayo/status/309811061379452929

源氏 @genjitomurasaki

この200匹以上というのは、どんな動物を使い、またどのような方法安全性確認をしたのか

、詳しく分かる資料PDF等で、ネットで閲覧出来ますか?

https://twitter.com/genjitomurasaki/status/507147670842925056

高橋政代 @masayomasayo

@genjitomurasaki 昨日お知らせした論文はあの時点までの結果で、

その後のマウスラットの結果や中型動物

結果はまだ論文になっていません。今後まとめます

https://twitter.com/masayomasayo/status/507332509806256128

昨日教えていただいた資料では、免疫不全マウスでの実験については記載されていましたが、その後のラット

カニクイザルでの結果はまだ論文になっていないという事ですか?お答えいただきありがとうございます。m(_ _)m @masayomasayo

https://twitter.com/genjitomurasaki/status/507508779907174400

Masayo Takahashi ‏@masayomasayo

@genjitomurasaki そうです。

https://twitter.com/masayomasayo/status/507520126434824192

高橋政代の基礎研究の共同研究者の一人はSTAP論文笹井芳樹さんです。

2014-08-15

The history of mobile computer

1989年東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界最初ノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成した。

1990年代中頃から国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコン出荷台数デスクトップパソコンを追い越した。

2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPad代表される新しい形態携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。

とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝代表される日本企業業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。

1980年代中頃:ラップトップパソコン

ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。

1984年 NEC PC-8401A

1985年 東芝 T-1100 海外のみで発売

1986年 東芝 T-3100 日本ではJ-3100

1986年 NEC PC-98LT

(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池フロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。

T-1100の仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大512KB

ディスプレイ:80文字×25行(640×240ドット)

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵

キーボード:83キーフルストローク

電池:ニッカド電池、8時間の動作可能

IBM-PC互換

サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg

1980年代末:最初ノートパソコン

最初ノートパソコン1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。

1989年 東芝 Dynabook J-3100SS

1989年 セイコーエプソン PC-286NOTE

1989年 NEC PC-9801N

発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初ノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。

J-3100SSの仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)

ディスプレイ:ELバックライト液晶

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)

電池:2.5時間使用可能なバッテリパック

・電源リジュー機能提供ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機

サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)

1990年代前半:IBM・アップルの参入

1990年代に入ると、IBMとアップルノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成したといえよう。

1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載

1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー

1991年 アップル PowerBook 170 世界初パームレストトラックボール

1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)

1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA

1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ表計算などアプリケーションをROM内蔵

1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶世界初トラックポイント装備

1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池駆動

1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート

1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載

1994年 アップル PowerBook 520 世界初トラックパッド採用

1990年代後半:国産各社のノートパソコン参入と普及

1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいこから人気が高まり2000年にはノートパソコンデスクトップパソコン出荷台数を上回る状況になった。

1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用プレインストールソフト多数

1995年 シャープ Mebius CD-ROM内蔵

1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量

1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート

1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート

1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学トラックボール搭載

1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)

2000年代前半:小型化、軽量化、長動作時間化の競争

2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的モバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。

筺体の軽量化

軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。

スリープ機能の高度化

パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。

SSD(Flash Solid State Drive)

SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要ノートパソコンに適している。しかし高価格である2004年から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。

ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格競争が進むのに伴い、台湾中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業技術向上により、現地企業生産だけでなく設計委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内生産している製品は、特に高度技術要求される小型の高機能パソコンに絞られるようになってきた。

2000年代後半:ノートパソコン多様化

2000年後半には、ノートパソコン多様化した。ディスプレイサイズ区分すると、次のようになる。

ディスプレイサイズ(インチ) 解像度 特徴

7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

───┬─── ─┬─── ──┬──

│ ──┬──│──┬── │

│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイル意図せず高機能

│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用

│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準

│ サブノート 1280x 800 軽量を重視したモバイル

ミニノート パソコン全般機能ではなく、Web利用などに特化

ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視

ネットブック 1024x 600 初期は安価目的

シンクライアント、セキュアクライアント

シンクライアント(Thin client)とは、処理機能サーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。

1996年 オラクルシンクライアント概念提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。

1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表

1997年 マイクロソフトWindows CEベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表

それが2005年から外部記憶装置接続ができないこと、パソコン情報が残らないことが、セキュリティ観点から重視され、パソコンメーカーシンクライアントを発表、多くの企業採用検討するようになった。

2005年 日本経済新聞日立製作所パソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。

参照:日立「「日立パソコン利用全廃」記事に関しまして」

2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷

2005年 NEC MateシンクライアントVersaProシンクライアント 出荷

ネットブック

ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである2005年頃、発展途上国教育分野にインターネット活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産支援団体等を通して提供する計画が進んだ。

ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンマシンとしての重要が高まり2008年から、その用途目的とした機種も出るようになった。

2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来目的用の例

・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価

記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載

ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャ採用して、パソコンとの互換性あり

iPadの出現

タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。

2010年アップルiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。

2014-05-28

http://japan.cnet.com/mobile/35048576/

災害時に公衆無線LAN無料開放--世界初の統一SSID接続

いや、世の中には火事場泥棒という言葉もあるように。セキュリティーどうするのよ?

クライアント認証とともに、ルーター認証も含めて、見ず知らずのアクセスポイントには接続できないだろ。

中間にいるルーターデーターを抜かれたらたまらない。

その統一SSID不正アクセスポイントを立てられたらどうするの?

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