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はてなキーワード: 王侯とは

2024-10-23

anond:20241023150417

違う違う、王侯貴族がいたら倒すのが民主主義なんだよ。

女はちゃんと働けってこと

2024-10-06

anond:20241002102125

直接繋がれる一部の太客(王侯貴族からメディア使用して広く浅く(大衆)にパトロンを変えるのは近世近代文化芸能の再演やね

2024-09-24

なぜ異世界転生が人気なのか説明

結論:他ジャンルより読む側、書く側の双方のハードルが低いか

 

現実社会舞台にして描くことのハードルが昔より上がってる

現実社会を題材にすると「これはあの会社のことか」」 「これはあの政治家のことか」 等々の連想邪推を招く。昔から「この作品フィクションです」という断り書きでそういうクレーム遮断する体裁はあるが、断り書きを書いてても消費者企業政治絡みや宗教絡みの諸方面からクレームを避けて通るのは難しくなっているし、〇〇警察の声はSNSを通して響き渡るようになり、昨今は海を越えてのクレームまで届く(昔なら海外舞台にすればクレーム回避できたのも、今だとできなくなりつつある)

 

映像的に派手にするのが簡単

アニメ化コミカライズなど映像化前提の話だけども、魔法モンスター王侯貴族の豪華な服装建築物など、ビジュアル面で派手な要素を入れやすい。実写はCG衣装ロケなどで高額の製作費が必要なので話は別だが、アニメコミックなら現実世界ファンタジー世界描写にかける手間やお金の差は比較的少なくて済む。

 

ゲーム一般レベルまで普及して説明ハードルが大幅に下がった

20世紀までだとファンタジーは「知らない人に説明する」ハードルが極めて高かった。「現実世界とあれが違う、これが違う」という説明をしてからでないとストーリーを進行させられなかったため。異世界描写する手間を考えたら、日本なら時代劇アメリカなら西部劇のように様式化された過去舞台にしたほうが説明する必要がなくて楽だったが、RPG共通言語を用意し、それを踏まえてハリウッドCG大作ファンタジー製作されて「ファンタジー世界はこういうもの」という共通認識が共有されて、説明の手間が大幅に減った。エルフドラゴン説明不要になった上に、レベルスキル概念までフル活用すれば説明の大半が省略できるようになった。

 

転生させると現代人の視点から説明解説を入れやすかった(やや過去形)

ファンタジー世界の住人だけで進めると「そこに魔法があるのが当り前」 「そこにモンスターがいるのは当たり前」なので説明台詞を入れられない。読者向け解説が手軽に欲しいとき異世界転生したか現代人の感覚を持ち込んで問答できるのは超便利。(いまは異世界テンプレートがかつての時代劇西部劇と同レベル共通認識となったので、転生者を入れなくてもファンタジー世界の住人だけで話を作るのも容易になった)

 

他より目立つので、実際のシェアや人気より悪目立ちしがち

異世界転生以外のジャンル(学園物やお仕事もの趣味活動ものなど)も普通に人気だし、比較的作りやすい(クレーム回避的な意味で)ので量産されまくってるが、異世界転生ジャンルは20世紀の頃はなかった(少なくともジャンルとなるほど量産されてはいなかった)のもあり、さら製作費的な意味で実写ドラマ実写映画になりにくくアニメコミカライズだけ先行してしまっており異質に見えてしまう。

2024-08-29

村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった

村上隆氏と左派論客斎藤平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。

※以下敬称略


結論から言うとこの動画村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。

1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。


一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。

ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆Youtube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。

斎藤平氏マルキストなので拝金的に見える村上氏行為があまり好きではない

現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆斎藤高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。

そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術マーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。

村上隆顧客forbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人想像もできないような西洋お金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人目線から質問として、アート大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。


ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈日本アニメ漫画といったオタクカルチャースタイルアートである認知させるため芸術活動をしている」ということだ。

それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的現代美術ということになる。

これは別の動画漫画家の山田玲司チャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的第一世代オタク宇宙戦艦ヤマトファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。

まり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念アニメ漫画日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。

からオタクカルチャー世界に認めてもらう手段として、西洋ハイソサエティコミュニティ顧客とし、自分作品をその人たちに売るという行為につながる。

彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジック理解すると容易に彼のアート発言意図がわかるようになる。つまり西洋アート文脈支配しているハイソサエティオタク系の作品アートである認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。

またそれが彼の作品オタクカルチャー作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)

これはつまりドラえもんソニックを混ぜて作った作品美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんソニックアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画ゲーム作品アートである"という事になる。


"世界アートはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言意図理解できる。

アートはいったい何なのかというルールを決める場に日本人存在しない。

からその世界に入り込みその概念のものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーアートである概念を変容させる。


アニメゲーム制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタク世界拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタク拡散することだ。

つまるところ上から攻めるか下から攻めるかの違いに過ぎない。

1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界拡散し人気を得てきた。私もアニメ漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。


から私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。



追記

幸いいくつかブコメが付いたので補足する

からこの趣旨発言はしてて、それをオタク文化収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんソニックを混ぜた作品アート領域で認めさせてくれたかオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が

はっきり言うが、村上隆文化盗用だと批判されたのはオタク部族主義トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆オタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆オタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。


NHK番組集団体制というか起業して雇用者を支えながら制作しているのをみて、普通に企業家だと思ったよ。

これもクリティカルな部分で、では集団製作アニメアートではないのか?アシスタントを使っている漫画アートではないのか?

というところにロジックバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ


同じ文脈だとルーヴルで展覧会をやる荒木飛呂彦の方が好ましいか

トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術フランス革命ルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくま大衆アートを広めるのが目的であってハイソサエティアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。


コミックとかを芸術にするのってロイリキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?

コミック西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくま漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものアートとみなされるというのは当たり前だと思う。

ただ、村上隆発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画アニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題言及したのは非常にわかやすい。つまりはてなリベラル左派と相性多分悪い。

2024-07-13

その昔、Twitterの青バッジは王から下賜される爵位のようなモノだった

王以外にその地位を与える者は居らず、与えられた者は「王の威光」を背景にその言動価値を示した。

王の判断が全てであった。

それが今となっては、金で買えるありふれた画像になった。

それ以上でもそれ以下でもなく、爵位価値は失墜し泥にまみれた。

イーロン・マスクの青バッジ運用に関してEUから文句が出てるが、青バッジ運用が誤解を生じるってのは理屈としてはもっともだ。

ただ、それはそうなるようにイーロン・マスクが仕向けたのだろうと思う。

爵位だった青バッジは「イーロン・マスクが壊したかったTwitterのもの」だったのだから、青バッジ廃止して新たな課金者用バッジを制定するのでは意味が無かった。

王侯貴族を打ち倒し同時に収益源ともなる、イーロン・マスクにとっての理想的施策だったのだろう。

ただ、王侯貴族を打ち倒した後に残ったのがゾンビ詐欺師楽園ってのがイーロン・マスクの望んだ事だったのかは分からないが。

2024-04-28

ファイアーエムブレム、むさいオッサンと蛮族顔は仲間にならない。

ヴェスタリアサーガ1+公開記念で書くけど、

アニメ絵で描かれた王侯貴族美男美女を指揮する軍師様になって

思想や利害の一致しない相手正義の旗印の元に斬り捨てて称賛されるゲームなんてやってるとナチュラルに頭おかしくなるよ

GTAみたいなわかりやす暴力ゲームよりも100倍精神衛生に悪い。

 

ちなみに女子が好きそうなガテン系オッサンなら仲間になる。野蛮なのは切り捨てられる。 ガルシア(聖魔)、ドルカス烈火)、バアトル(烈火)、ワード(封

2024-04-26

改めて認識しよう!民主主義とは人口を背景とした意志権力分散

先日、大阪府の吉村洋文知事が0歳児に選挙権を認めるべきという考えを示し、コレに対して愚策であるとするブコメが散見するという事態になったけれどもそもそも民主主義とはどういうシステムなのか?」考慮すると、直感的に愚策判断するのもわからなくはないが、実際のところ愚策とも言い難い「決して釈然とはしないが案外悪くはない・・・」「いやでも意思決定に関して能力の低い0歳児に選挙権を与えるのは大人としてどうなんだ・・・」「でも認知症の人も選挙権持ってるしな・・・」と困惑する程度には真面目に考えたい案であるのは間違いないのだ。正直に言って困惑するくらいがバランスの取れた姿勢なんじゃないかと思うが民主主義とはどういうシステムなのか改めて認識してみよう。

民主主義とは人口を背景とした意志多様性により意志権力分散を発生させ意志権力一極集中を防ぐシステムである

まぁそもそもより新しい形が出てこない限り、現在の形の民主主義とは人口依存したシステム体系を持っていて、現在の形の民主主義ベース政治体制を持つ国家民主主義保全保護をはかるという意味では人口の源泉足る家族集団へ対してより多くの票を与えるという考えは愚策と断言できるほど頭の悪いものではないんだ(何度も繰り返しているが"現在の形の"である。将来はわからん)。

もう少し具体的に言わないと理解できない人も居るかも知れないから具体的に言うが、我々の国は民主主義を取ることによって天賦人権説が国と有権者によって肯定されており、即ち我々の国の天賦人権説人口依存した形で運用されているのだ。

我々の国は神のための国でなければ王侯貴族のための国ではなく人民のための国であるが、それは民主主義システムを背景として運用されており、天賦人権説言論の自由表現の自由信教の自由性愛自由も、あらゆる自由人口を背景として運用されているのだ。0歳児選挙権はこれを心の底からマジで認識してから考えなきゃいけない。

更に付け加えると、あまりにも傲慢でかつ悪逆非道物言いだが、LGBTQ+の性愛がなぜ違法でないのか?それはLGBTQ+の方々の懸命な活動によって我が国民主主義を突き動かし民主主義を背景とする我が国の法がLGBTQ+の性愛自由を認めたからだ。我が国の法は人口を背景として運用されているのだ。LGBTQ+の性愛自由人口に守られている。民主主義とはそういうシステムなのだ

民主主義とは人口を背景とした意志多様性により意志権力分散を発生させ意志権力一極集中を防ぐシステムであることを考えれば、事実上権力である政治家が0歳児選挙権を訴えることは自身に集中する現在意志権力を削ぐことを意味し、民主主義国家政治家の考えとしては不合格ではなく少なくとも合格ラインには触れる及第点以上は与えなきゃいけない考えなのだよ。

かに家族集団という意志権力へ対して意志権力一極集中をもたらすのはどうなのか?」というのは真っ当な批判であり、前述したLGBTQ+の方々や子供を持たない人たちが苦しい思いをするのではないか?という懸念もっとである。0歳児選挙権の大きな問題の1つであることは間違いないだろう。

このエントリ目的は「民主主義とはどういうものなのか?」と多くの人々が「0歳児選挙権へ対して直感的に愚策である判断して思考停止に陥ることを防ぐ」ことにある。

どうかご一考いただきたい。

2024-03-20

歴史観価値観遡及は当然です。

よくBLM運動過去偉人の像が倒されているのを、ネトウヨポリコレだとか過去現在価値断じているとか言うが、それは世界各国で当然に行われてきたことだし、これからも行うべきなのだ

例えばアメリカ正史ではイギリススペイン植民地住民専制権力支配する悪の勢力となっているが、独立前は当然、イギリス王や貴族は立派な人々と(アメリカでも)見做されていた。成功した植民地まれの人々は競ってイギリス製品を買い、イギリス王侯を模した生活をしていた。

独立戦争によって反英、反君主制が主流となり、アメリカ独自生活をしてアメリカ産品を買うのが立派な人間となった。そして遡って、それまで立派な人間とされていたイギリス王侯悪人とされた(なおイギリス王侯貴族を範とする文化内戦前の南部には残存した)。

フランスもそう。革命前は貴族こそが道徳的であり、平民は悪であった。

これらの価値観を独立革命によって転換しないなら、今もアメリカでは英王が崇拝され、フランスではルイ16世が崇拝されるのか。馬鹿げている。

2024-03-19

anond:20240317162442

日本の、最底辺基準を合わせる風潮はマジで何なんだ

アメリカ式の、まずは出来るやつをどんどん引き上げて

落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式しろ


このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。


なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか

一昔前は按摩やら三味線引きやら自助努力生活をしてきたわけ

今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている

さらに昨今の医療・製薬業界プロパガンダにより

あらゆる人間障害を抱えている"ことにされている"

ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって

ああ、俺は障碍者から社会歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる

俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずTool Assistedで何とか社会人として生きている

あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。


日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。

そりゃいいところもあるよ。余裕があるからかい部分にフォーカス出来て独自文化が作られている側面もあるだろう

だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ


昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。

晩年、彼はずっとこういい続けた

「人は社会性の動物だ。それを忘れてはならないよ」

こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。

社会は、それに参加する人の良識によってのみ良いものに変わる

今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが

社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる

これでは誰も救われないじゃないか

多様性時代存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲さらなる快適さを求めるのはい

だが、それはあくま存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない

少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会絶対にうまくいかない

それはまるで、グリーンベレー少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。

現代版の、障碍者による植民地支配を許してはならない。

我々は、お互いに謙虚でなければならない。


もう少し、お互いに思いやりを持って過ごしやす社会になることを強く望む。

2024-03-16

国が婚姻制度法制化し優遇するのは自由民主主義バグが起因

自由民主主義保障する自由人口の多さ(=多様性)の権力分散によって担保されるというバグ自由民主主義にはある。

国がなぜ税制で既婚者や子持ち家庭を優遇するのか?と言えば、自由民主主義を取る国であるのならば人口の多さ(=多様性)を確保し続けなければならず、それが出来なくなれば国は人民のための国ではなく、王侯貴族のための国や神仏のための国になってしまうからだ。

もちろん、自由民主主義のために人口の多さ(=多様性)を確保するという部分に対して政治家資本家既得権益者へ嫌味の1つや2つを言いたくなる心情もかなりよく非常に理解できるが、それら政治家資本家既得権益者へ対抗するには人口の多さ(=多様性)が必須なことを理解できないほど皆様は愚かではないと私は信じている。

統計上、既婚率が出生率へ直結しているのは様々なレポートで語られていることからわかるように、日本自由民主主義を是とするからこそ国家政府行政結婚する者を増やし、子供を増やし、人口を増やす責務があるのだ。だからこそ日本政府行政自由民主主義担保するため税制で既婚者や子持ち家庭を優遇している。

私の、我々の、皆様方の自由民主主義は、私が、我々が、皆様方が存在するからこそ、これから結婚する者が、これからまれる者が存在するからこそ担保されている。

これまで様々な主張によって自由民主主義人民必須であるというバグを解消しようとする試みや主張、議論があったものの、それら試みや主張は尽くが論破され失敗に終わり主流化に至っておらず、何なら物凄く酷い主張も存在しており実質的に家父長制への回帰であったりファシズムであったりしているのだ。

一部の方々の中にはこの自由民主主義人民必須であるというバグへ対して苦々しく思っているだろう。身が震えるほどに心が沈むほどに理解できる賢さを持つ皆様方だからこそ自由民主主義人民必須であるというバグ解消の困難さを理解しているだろう。そんな話は聞きたくないと、結婚けがすべてじゃないと、子持ちだけが正義じゃないと言いたいのに、それを肯定してくれてるのが、そういう主張を許してくれるのが人口の多さ(=多様性)が担保する自由民主主義であるという矛盾を皆様方はよく理解できてしまっているから涙を流し続けているんだろう。

しかしそれでも、諦めずに自由民主主義人民必須であるというバグを解消しようとする試みや主張、議論は続けていくべきだ。失敗もある、論破されることもある、バカだと言われるだろう。それでも続けていくからこそ自由民主主義を是とする国の主権者だと胸を張れるんじゃなかろうか。自由民主主義人民必須であるというバグが解消されたときアナタが正しかったと言ってもらえるんじゃなかろうか。

今の自由民主主義には人民必須であるしかし将来はわからない。それは信じていきたいし皆様方にも信じていただきたい。

2024-03-12

anond:20240312111939

まれてたやつが自分と同じかそれ以下に落ちるのだから格差が消えるじゃん

 ← まだこんなこと言ってるよ。二次大戦みたいな大戦争を経ても上の方の人間たちの殆んどは転落したわけではないだろ。戦後すぐの銀座写真とか見たことないか? 戦後吉田茂大磯の別荘でゆったり休養したりしてたろ。鳩山だって見てみろよ。 

本当に上の方の恵まれてたやつらが庶民と同じかそれより下に落ちるのは暴力革命の時だよ。フランス革命ロシア革命中国共産革命皇帝王侯貴族たちが引きずり降りされて殺されたり一介の労働者扱いになったりしたろうが。

2024-02-27

要するに、女の目指すべきポジションは"王侯貴族の愛妾!"

「女の目で見れば明らかに弱い女なんだけど、男の目から見ると強い女に見える」

これは『女の子どうしって、ややこしい』を読んでる時にぼんやり考えていたが、どうも女性の中だと

責任を拒絶する事」がヒエラルキーの高さを示してるっぽいんだよな。

からすると「色々引き受けてる人」は強い人に見えるが、女性からすると「色々引き受けて背負ってる女性」はむしろ弱く映るっぽい

2024-01-17

虫なのに部屋を当てがわれてるとか王侯貴族にでも飼われているのか

2023-09-26

昔の王侯貴族見てると(ほぼ義務的だが)めっちゃ子作りに励んでてすごいが

今も似たようなノリで子供作りまくってる王族っているのかな

2023-09-25

anond:20230924192220

ワイは胡椒大好きマンからうそりゃドバドバ入れるで

瓶の半分も入れることはあまりないけど、過去に数回はやったと思う(GABANの缶なので1/10くらい)

はあ~これが古の王侯貴族が求めてやまなかったという胡椒か~王侯貴族すらできなかった贅沢だぜ~

幸福な気分になれる

2023-07-13

人殺しの顔をしろ」ってそういう意味じゃないだろ……って見かけるたびに思っている

このフレーズってこのブログ記事きっかけで広まった認識なんだけど

https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101212/p1

 言っておきますが、この記事にはお化粧も、予定調和もありません。いつものように、人間のふりをしていません。私は人殺しの顔をして書いている。だからさらに話を広げてしまうとすれば、私にはこの記事町内会長の男性(62)のように持ち家も土地もありませんし、おおよそ年収200万円程度の人間に過ぎませんが、私も失いたくないし、私のこの生活が成り立つためであれば、どこかの誰かが職を失ったり、人格破壊されるほど惨めな目にあったりしようが、知った話ではありません。ましてや、日本であるという程度の理由でこの王侯貴族のような暮らしが成り立つなら、どこかの国で悲惨児童労働が何百万件行われていようと、知った話ではありません。知った話だとしても、知った話ではありません。せめて、人殺しの顔をしたい。

「今の私の暮らしは他の誰かが犠牲になることで成立している。だが私自身が代わりに犠牲になりたくない。しかしせめて誰かを犠牲にしたという自覚を持つ。」って意味だと思うんだよね

それが芸能人自殺して、批判だか誹謗中傷だかしてた人に「人殺しの顔をしろ」って言うのは……

自身行為が悪だと自覚せよ」って意味で言ってるんだと思うんだけどね

そりゃ「自身行為が悪だと自覚せよ」って意味の大意は同じだけどさ

生活を成り立たせるためにやむをえず行う「人殺し」と、積極的批判だか誹謗中傷だかをする「人殺し」は違うだろ

まあミームってのは意味がどんどん変質していくものから、これは当たり前の事ではある

だが元々のブログ記事が言いたかたことが忘れられているような気がしてちょっと悲しくなってしま

(それとも私が知らないだけで「人殺しの顔をしろ」ってセリフは他に元ネタがあったりするのかね、だとしたら納得ではあるんだけど)

https://anond.hatelabo.jp/20230713110743

id:goldheadはその前から人殺しの顔」論法を使っているが、

https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101003/p2

たとえばこちらの記事では、横浜市が「市民の半数がアダルトビデオ問題視するように教育する」ことを目標にしていることについて、

自治体とき人間内面に踏み込んで、その感情を統制していいもの

とし、

浄化するならその気で来い、人殺しの顔をしろ、と言いたくもなる

結論している。

これは自戒でもなんでもなく「正義感他人批判するならその残虐性に自覚を持て」用法なのではないか

教えてくれてありがとう

であればミームが変質したのではなく元々そのような用法でも使われていたということで納得しました

2023-06-03

anond:20230601153918

フィクションの中で悪いことが行われているからと言ってキャンセルしてはいけない。おはなしと現実区別をつけようね。で終わっても良いんだけど、良い例が出てきたので少し話をしよう。

ちなみに私は

結局のところなんもかんも世襲がわるい

https://anond.hatelabo.jp/20230601114029

を書いた人です。世襲についての知見が少したまったので。

例で出てきたドラクエ1には実は良い世襲と悪い世襲の両方の例が含まれている。良い、悪いという言い方は良くないな。この話ではどっちも悪いという結論になるので。

言い換えると、市井の人にとって損な世襲と得な世襲が含まれている。

損な世襲はもちろん王様権力固定化!腐敗!中世国家革命してさっさと解体しましょうねー。

王侯貴族みたいな設定は異世界チートと同じで無茶を通しやすくするための舞台設定としてフィクションで良く使われる。でも現実的に考えたら権力で無茶を通すやつ存在したらダメ現実存在してるから怒りが湧くが。これが損な世襲

そんでもって、我々一般ピーポーにとって得な世襲勇者だ。

わずかな路銀を持たされて、命がけの旅に出るなんて役目、勇者血筋がやってくれるに越したことはない。誰もやりたくないでしょそんなの。コメントなんかで指摘されていた、人手不足世襲にあたるね。

でもそれって現代倫理で生きる我々が手放しで誉めて良いことか?社会必要だけどだけも個人的にはやりたくないことだったら、社会全体で負担すべきでは?

世襲農家の倅が農家やってくれるから助かる~!みたいなこと言ってた人いたけど、明らかな人権侵害でしょ。えたひにんが穢れ仕事やってくれるから助かる~!と同レベルよ。

そういう人は外国人技能実習生の件とかで文句言う資格ゼロでは?

ともあれ私は、世襲は滅ぼされるべきであると考える。

2023-05-01

anond:20230501075453

フランス料理起源を完全に王侯貴族宮廷文化に求めるのは短絡的です。フランス料理は、地域ごとに異なる素材や調理法を活かした豊かな家庭料理が基盤にあるのです。例えば、ブルゴーニュ地方ワインを使ったビーフ・ブルギニョンや、プロヴァンス地方オリーブオイルニンニクを使ったラタトゥイユなど、様々な地方料理存在します。

かに宮廷料理フランス料理歴史に大きな影響を与えていますしかし、フランス革命後に失業した元ベルサイユ料理人たちがレストランを開くようになったことで、それまでの家庭料理地方料理技術知識が広まり、高級レストラン提供されるようになったのです。

まりフランス料理家庭料理地方料理宮廷料理の双方が融合し、多様な選択肢が増えていったと言えます。それぞれの価値観ニーズに応じて変化し、進化してきたのが現代フランス料理です。

anond:20230501044824

いやいや、高級なフランス料理起源家庭料理などではなくて王侯貴族宮廷文化だよ。革命王政自体が無くなって、失業した元ベルサイユ料理人たちが街で裕福な市民階級相手レストランを始めたのさ。

2023-04-26

質問質問と受け取らないのは漢文の授業のせい

陳勝王侯将相いずくんぞ種あらんや」

これは疑問形だが、世に出るのは、実力次第であって、出自無関係であるという主張である

王や将軍になるのは出自重要ですか?と質問しているのではない。

まり、これを解決するには日本から漢文古典の授業をなくせばよい。

anond:20230426131041

2023-04-10

ミュシャ萌え絵の話

なんか見た話である

女性身体性的に誇張した萌え絵公共空間に出してはいけないという主張に対して西洋絵画の例としてミュシャは?と問う人がいた。

これにミュシャ芸術ではないと答えられていて炎上していたのを見て、ミュシャ果たして西洋絵画代表例として適切なのか、考えてみた。

そもそも美術とは何か。

美の基準は人それぞれだが、美術界においては審査を受けて合格美術館に展示されるもの美術であると考えられる。

その点では、フランス時代広告イラストレーターとして活動し、チェコに戻ってから画家として大作を完成させ、祖国に寄贈したミュシャは、自分自身仕事によって芸術家として支持され自らの地位を自ら作った人だと言える。

官展が作品芸術家を権威づける美術界においては確かに正統派な経歴ではないだろうし「いわゆる」一流の画家と言えるかは議論余地があり、その点でそもそも西洋絵画代表としてミュシャ提示することがそもそも誤りなように思える。

だが、大衆に支持され祖国の人々の心に残る優れた芸術であることは間違いないのではないだろう。

ではミュシャ芸術家なのであれば萌え絵芸術的な広告として出して良いのでは?

ここでマネオランピアや草上の昼食などを思い出してみたい。

どちらも女性の裸体を描いたものであるが、美術とは王侯貴族宗教画こそ良しとされていた時代に、娼婦を描くことで権威的な美術界に一石を投じている。

それと比較する萌え絵商業的な色合いが濃い。

ではミュシャと比べると、ミュシャ世間常識を踏まえて広告イラストを描いているように見える。

フランスではデコルテ出しは問題ない代わりに足を出すとはしたなく見られる。

それは王侯貴族肖像画だったり、現代では映画祭なんかでセレブが着ているドレスでもデコルテまわりは出していても圧倒的に足出し率は低い。

ミュシャが描く女性もやはり足出しはほとんどしていない。

また、今ほど食料が豊富ではなかった時代豊満さは豊かさであり美しさであった。

であれば、全体的に女性的な丸みを強調したシルエットは性的というよりはむしろ健康さの強調であると考えられる。

さて、萌え絵はどうか。

時代は移り変わり、細身であることが美しいとされがちな現代美的価値観に則って身体全体としては細身の印象であるが、胸など性的に描かれやすいパーツのみ強調されているに思える。

美しく描くためというよりは性的な魅せるための強調と言えるのではないか

ちなみに、かつての日用品広告などが今となっては価値あるものとして博物館に並べられるように、今後萌え絵芸術となる可能性もあるのだから保護すべきというような意見も見かけた。

かにそうなる可能性はもちろん否定できない。

ただし、その評価をするのは今ではない。

現状商業性の強い萌え絵広告はすぐには美術品として飾られることはない。

では萌え絵がいずれ美術品としての地位を得ていくためにはどうすべきか。

ミュシャの例を見ると、イラストレーターとして支持を得て着実にステップアップしていたミュシャはある富豪から金銭的な援助を受けたことで故郷チェコへ戻り、『スラヴ叙事詩』という大作の絵画を作り上げている。

ここから、すぐにできることとして、お気に入りイラストレーターがいたら創作を続けていけるように作品買い支えること、また作品はいずれ寄贈できる時に備えて大切に保管しておくことを挙げる。

無理に押し出して変な騒ぎを起こすことはむしろイラストレーターから創作意欲や仕事を取り上げることにつながりかねない。

信じて推して待つ。

できることはただそれだけなのだ

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