はてなキーワード: PC/ATとは
戯画はブランド名なので、会社としてはエンターグラムなので、という話は置いといて。
ここら辺の感覚は、PCゲーム市場を眺めていった世代としてはちょっと面白くて、18禁、非18禁ゲームの差だけでなく、家庭用ゲーム機とか、PC-88、98から、PC/ATへ移行した時代とかを考えるとなんだか懐かしい話をしたくなってしまうなぁ。
戯画なんかはヴァリアブルジオから始まったアダルトゲーム隆盛期に作られたブランドで、この頃からPCゲーム市場はアダルトゲームでないとなかなか収益が厳しくなりはじめた時代だった。
PCの非18禁ゲームメーカー、ブランドが駆逐されていく入り口の時代だったから、自分なんかは元増田と同じような視線で、逆にアダルトゲーム市場を眺めていた時期があった。
個人的にはその中でも戯画はアダルトゲームメーカーでありながら、ゲームゲームしている作品を送り続けているちょっととがったメーカーという印象で、好意的に見ていた。
好きな作品も多かったしね。
ただそれでも店舗のPCゲームの棚がどんどんアダルトゲームに追いやられていくのを、ちょっと寂しく思いながら見ていた。
一時期なんかはPCゲームをやっているというだけで、アダルトゲーム専用機とまで言われることもあったんだが、まあ実際やってもいたから、何とも言い難い。
そんな中で国産ゲームは追いやられて、ついにはPCの非18禁ゲームの主流は海外ゲームになってしまったのを悲しく思っていたんだよなぁ。
アートディンクとか、アイマジックとか、まぁ、家庭用ゲーム機へと移行していったんだが。
のちにああいう復活の仕方をしたり、Steamなどの出現によって、また別の形になったりするのをちょっと感慨深く思ったりしている。
書いててまとまらないんだが、まあ老人の思い出語りをしたくなったという事で、一つ許してください。
「トヨタグループの御曹司にしてレーシングドライバーでもある」という自己イメージに陶酔し切っていて、(一時代前ならそれでも良かったのだが、)クルマを取り巻く状況が静かに変わりつつある今、具体的に言うと自動運転に切り替わろうとしている今、モリゾーがトヨタ最大の癌となるだろう。
自動運転の実用化。これは本当に世界を一変させるパラダイムシフトだ。クルマは運転するものではなくなり、所有するものでなくなり、ただ利用するものになる。
google様が自動運転車のハードウェアとして車を作ってくれとトヨタに打診した時、モリゾーの奴は「人と車との繋がりがなんちゃら」「それがTOYOTAの企業理念だのなんちゃら」とわけの分からない事を言って断った。俺はそのニュースを見た時、これは世紀の大失敗ではないかと思った。googleの自動運転車が今後世界を席巻することはほぼ間違いなくて、そのハードウェアとしての車部分を製造するというのは、IBMがPC/ATを製造する時にそのOSを作ったMicrosoftのような立場じゃないか。巨人の肩に乗るようなものだ。断る理由がない。
しかしそれをTOYOTAは断った。わけの分からない理由を並べ立てて。TOYOTAは仮にも日本最大の企業であり、考えも無しに断るわけがないと思っていた。つまりあれは日本的な修辞であり、本当の理由は別のところにあるのではないか(つまりTOYOTAも独自に自動運転車の計画を持っているとか、だ)なんて考えた。でも新型スープラの発表でメディアに露出したモリゾーを見て、これはひょっとするとひょっとするぞ…と思ってしまった。もしかして、本当にただのバカなのでは、と。
正直なところ、フェラーリやポルシェのような伝統ある会社が言うならともかく、TOYOTAのような大衆車を安く大量生産させてきたような会社のトップが、“人馬一体”だの、“運転する喜び”だのほざいてるのは悪い冗談でしかないと思う。
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
前のはこれ http://anond.hatelabo.jp/20121219191602
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1036951410/601
601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/10(火) 15:04:00.62 今月はじめ、職場に古いパソコン(i486DX2の結構ローエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要がありハードにパソコン系を採用するのは聞いていたの ですが、搬入されたパソコンのダンホール箱に印刷されていたのはPC-9801という 文字でした。 「うへぇ~、よりによって98かよ」 NetBSD/OpenBSDインストール不可、Solarisも不可、SATA-HDDからブートできるのか、 今時のLCDディスプレイにつながるのか、FreeBSD9.xは対応してるのか、 今時のネットに繋いでもセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 非メジャーなのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にそれに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、唯一コンソールでの漢字ROMによる日本語表示ができたPC-98は大学など 教育機関に浸透していて、日本のパソコン界に多くのバカを輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、makeしてもemacsが入らない、 TeXが入らない、firefoxは使えないのか、Rubyが使えないのかなどと、 サバ管気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し、(だから鯖にするんじゃねーよ、 鯖の常識で話すなつーのに)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去20年のパソコン界隈のくだらないそれらの 議論が再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではPC/ATでもSPARCでもPA-RISCでも PowerPCでもなんでもいいですがメジャーかつ現行のマシンにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/992942337/737
737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/16(日) 16:27:31.40 今月はじめ、職場に新しい組み込みマシン(ファンレスの結構省電力構成)が入りました。 多分私が開発全般をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、プログラムにアセンブラを使用するのは 聞いていたのですが、添付のサンプルソースコードからチラッと見えたのは LD A,(HL)という命令でした。 「うへぇ~、よりによってZ80かよ」 アドレッシングモード皆無、リロケート不可、使いにくいインデックスレジスタ、 今時の関数引数のスタック渡しに対応できるのか不安はつきませんし、 今の若者はこんなCPU使わないので人材も少なくソフト開発も大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にZ80に触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、8bitCPUでi8080上位互換でi8085よりも多くのツギハギ命令を追加拡張した Z80は大学など教育機関に浸透していて、日本のCPU界に多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、ADD A,(HL)はできるのにADD B,(HL)は できないのかとか、相対アドレスのCALL命令はないのとか、 スタックフレームポインタとして使いたいのにLD HL,SPっていう命令ないじゃんとか、 アセンブラ通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し(だからZ80使うんじゃねーよ) それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって決着している、 過去30余年のCPU界隈のくだらないそれらの議論が再現され、それに巻き込まれるの でしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではi386でもi568でもi686でも x86_64でもなんでもいいですが現行のCPUにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1011306728/134
134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/15(日) 14:17:53.53 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、X Window System上のアプリケーションを 使用するのは聞いていたのですが、OSを起動して黒いバックに白い文字だけの 英語の画面に表示されていたのはlogin:というプロンプトでした。 「うへぇ~、よりによってxinit方式かよ」 CUIログインなんて古い、コマンド入力なんて古い、今の奴は日本語入力設定大丈夫 なのか(XMODIFIERS)、今時のマルチシート環境に対応できるのか不安はつきませんし、 xinitユーザーが少ないのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にxinitに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、X11で唯一$HOME/.xinitrcを手書きするというCUI的方法で環境設定できた xinit方式は大学など教育機関に浸透していて、日本のX11界に多くのバカが輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、GNOME/KDEはどうやって起動するのか、 ウィンドウマネージャを終了したらXごと落ちたとか、ck-xinit-sessionはないのか などと、X11通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し(だからxinit方式にするん じゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。そして時代によって 決着している、過去25年のX11界隈のくだらないそれらの議論が再現され、 それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではgdmでもkdmでもwdmでも xdmでもなんでもいいですがグラフィカルなディスプレイマネージャにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/unix/1094041299/383
383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/12(木) 19:20:13.06 今月はじめ、職場に新しいPC(Core i7の結構ハイエンド構成)が入りました。 多分私が運用保守をまかされそうな雰囲気です。業務的にとある構造分析や シミュレーションなど行う必要があり、制御コマンドとしてシェルスクリプトを 使用するのは聞いていたのですが、そのファイルを開いて1行目に書かれていたのは #!/bin/tcshという文字列でした。 「うへぇ~、よりによってtcshかよ」 ファイル記述子のリダイレクト不可、クオートのネスティング等に無理あり、 今の奴でさえシェル関数は使えないし、パイプラインの終了ステータスもおかしいし、 今時の担当者が扱ってセキュリティは大丈夫なのか不安はつきませんし、 スクリプトとしてのcshは嫌われるのでネット上の情報も少なく調べるのも大変です。 おそらく導入に際して、大学など教育機関で最初にcshに触れて刷りこまれた人間が 強気の知ったかぶりをして発言権を得て「俺流」をつらぬき紛れ込ませたのでしょう。 昔、当時、シェルで唯一aliasやhistoryやジョブコントロールの機能が使えた cshは大学など教育機関に浸透していて、日本のシェル界に多くのバカを輩出しました。 これから私は、おそらくそういうバカが、$*でスペース入りファイル名が扱えないとか $<でファイルから読めないのかとか、if文の条件式のコマンドでリダイレクト できないのかなどと、シェル通気取りの偏ったどうでもいい我侭を言い出し (だからcshスクリプト書くんじゃねーよ)それと戦わなければならないのでしょう。 そして時代によって決着している、過去25年のシェル界隈のくだらないそれらの議論が 再現され、それに巻き込まれるのでしょう。もう今からうんざりです。 だからお願いです。教育現場ではbashでもzshでもkshでもashでも Bourne shでもなんでもいいですがBシェル系のシェルにしてください。 教育機関で懐古趣味のバカを量産されると現場が非常に苦労するのです。
続く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PC
パーソナルコンピュータのうち、狭義にPC/AT、PC/AT互換機を指す事もある。その場合Macintoshの対義語として用いられることがある。
だって。ふーん。
ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。
80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコン、ホビーパソコン
要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。
もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。
しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然と言語を取り扱えた。いきなりバイナリでコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。
そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本のソフトウェア産業のレベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。
怪しい部分はいろいろある。
8bitパソコンにうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。
また、90年代の停滞だ。Macintoshの廉価版と続くPC/ATとWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォームが現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。
思うに、80年代のパソコンと90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。
そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログインで伊藤ガビンがPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。
特に当時は計算能力に限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。
ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshやPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。
そしてこれはコミック(60年代??)、アニメ(70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本のサブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。
だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。