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2021-04-23

anond:20210423115620

ギリシア人までとは言わないけど、もっとセックス楽しもうぜ。

ギリシア人よ・・・週イチやってるカップルが9割弱ってどういうこと・・・

2021-04-06

anond:20210406163201

貧乏国になって、雇用治安がこのままなら、貧乏国で安定した生活を送るのもありかな。

ギリシアみたいになったらやだなぁ。

せめてスペインあたりで止まってほしい。

2021-02-13

本と図書館になぜ価値が認められているのか

https://anond.hatelabo.jp/20210212190921

https://anond.hatelabo.jp/20210212214154

これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史視点からの回答が無いので、記しておきます

 

お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事しろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?

それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。

 

これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。

その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。

 

古来、文字書物(パピルス木簡など)は特権階級軍人貴族宗教のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルス木簡製造コストが高かった事や、地図軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民識字率も低く、市民文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます

しか15世紀グーテンベルク活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民知識が行き渡るのです。

これまでの世界において、知識文化とは、口伝継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。

当時の特権階級宗教家達の心情を記した言葉が残されています

教皇知識印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇廃位に追い込むことになろう。

From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs

 

その予言現実のものとなります

印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。

そしてゆくゆくは18世紀ヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族統治する時代終焉し、民主主義が産声を上がった。

それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語Museum博物館美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります

 

概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆活動を促した。という見方ができるといえます

日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書書籍歴史を端的にあらわしています

図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報提供するのが「図書館自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至りますアメリカでは「図書館権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります

図書館について

 

私のシンプル記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館歴史近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)

ヨーロッパ近代史 (ちくま新書) (日本語) 新書

書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで

本の歴史 (「知の再発見」双書) (日本語) 単行本

 

 

まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。

同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。

米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?

お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。

宗教なの?

同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。

それも宗教というのならば、宗教かもしれませんね。

本も、米も、お金も、同じことです。

図書館基準で考えるなら、体育館施設利用自体無料にしてほしい。図書館法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。

図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。

しか図書館と同じように、社会必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館無料になるでしょう。

実は歴史の上でも先例が多数ありますオリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。

古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアスパルタ。7歳になった子供スパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし

これはスパルタ教育という言葉現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます

日本高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会必要とされていますから

2021-01-02

ギリシア神話ポップカルチャー最頻出ってなんだろ?

神名とか怪物とかの固有名詞で。さすがにロゴスで、なんたらロジーとかポリスで、なんたらポリスとか一般名詞複合語はなしで。英語読みとかはアリアリで。

神話のものじゃなくて、名前の由来とかでもOKで。

ゼウスとか神の名前はそれなりにあるだろうけど、やっぱりミノタウロスケルベロスメデューサグリフォンあたりは特にギリシア風でなくてもRPGの敵とかで結構でてくるよね?ペガソスはちょっと微妙かな?

神の名前より英雄たちの方がでてくるかも。オデッセウスユリシーズラテン語経由でスペルもかなり変わってるのでセーフかアウトか難しい。ヘラクレスハーキュリーズやヘルキュールあたりはありかな?

うーん、ティタンタイタンもしくはチタンを含めればそれなりの数がありそう。

ナルシズムはナルシシズムからし複合語なのでなしかな。

まあ、ぶっちゃけアイギス特にその英語読みのイージスが一番かな?

2020-09-01

白井氏の件がまじウケるので書いておく

ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。

だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろレベル事態なんだな」と思ったので書いておく。

以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察ときハッシュタグの時期のツイートだろう)

この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。

ユーミン歌手だ。発言自体政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。

ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。

ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。

彼にとって、理念とか思想とかは、表層なのだ

もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。

から彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。

第一義的には彼は詭弁なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストしかないのだ。

コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。

彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生ウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。

居続ける存在から言論界の自浄作用が問われる。

ソクラテス先生を想起することでしか自らを律せないし、厳しく眼を光らせることでしか言論界からは遠ざけられない。

白井氏は干されるだろう。差別的であること以上に、社会への道義心もなく社会言辞を弄した点において。

2020-07-15

なんでルはノレなの?

誰か気付かなかったの?

縦書きしてたから気付かなかったの?

それはそれで一二三は通したの?

まあギリシアもⅠⅡⅢってガイジだけど(外字だけに)

2020-05-09

学校業務多角化という放漫経営 ー労働無法地帯

学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。

1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています

ブラック部活は、愛着障害治療集団療法という側面があったのだろうと思います愛着障害存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。

そのあたりから学校福祉機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮個別支援計画、外部機関との連携部活動。

教員は、授業を成立させるために、福祉業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式業務にしてしまうのです。

いや、確かに必要であるとは思うんですよ。

ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラースクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。

以下は、『身体トラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、

ーーーー

太古の昔から人間自分の中の非常に強く恐ろしい感情対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシア演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合儀式だったのかもしれない。

演劇を通してトラウマ治療する。愛と憎しみ、攻撃幸福、忠誠と裏切り演劇本質であると同時に、トラウマ本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇情動身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。

学校からは、能力集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽演劇美術スポーツがどんどん姿を消している。

見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。

筋肉を動かすこと、意識の集中が必要作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである

教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワーク学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。

規則を平然と無視する生徒は、アメリカ学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。

他者言葉をしっかり聞き、自分言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。

教師が怒鳴ったりする代わりに、子ども経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分感情説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全経験を学ばせるのだ。

しかし)学校トラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。

トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。

身体トラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセルヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから

ーーーー

いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにます教員守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています個人情報なのでメディアにも明かされません。

日本福祉政策の不備を、教員無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子ども学校福祉的にケアすることを国民は望みます学校教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます

2020-04-23

anond:20200423124841

ギリシアドイツが助けたでしょ?

ロシアもケツ持ちしてくれる何か誰かか、何かを売りさばいて身銭を得ないと人道的にやばい状況にならん?

もしや共産主義革命ふたたび?

2020-04-07

anond:20200407224024

それは困りましたね。

でも確かに定義という言葉よりもっと簡単言葉があったらそっちのほうがいいですね。

こういう時に英単語を調べると、日本語よりよほど簡単表現だったりして参考になるんですよ。

英単語だと…う〜ん…

defineですね。

de+finis(端、終り)というラテン語由来の言葉だそうです。

抽象概念とは無縁の蛮族の言葉であるゲルマン語が、ギリシアローマ文化接触した際に、抽象語彙をラテン語から借用したのでしょう。

う〜ん…定義定義でいいかな。

2020-03-31

称 「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットインダス川意味する sindhu に対応するペルシア語。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ[4]、西欧に伝わり、インド逆輸入され定着した[1]。(同じ語がギリシアを経由して西欧に伝わって India となり、こちらもインド逆輸入

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2020-03-02

 最近振られたので、野外で全裸になりたい。

 もちろん、合法的にだ。なので、海外で実行したく思っている。

 たとえば、今年の6月13日にはロンドンワールドネイキッドバイクライドなるイベントがあり、環境問題を考えるという名目で、全裸自転車に乗って疾走できる。このイベントロンドンのみならず世界中で開催されているのだが、自分語学力アクセスの便利さを考えると、ロンドンが適切だろう。

 あるいは、全裸ジョギングをしてみたい。しかし、その場所がわからない。一応、ミュンヘンのエングリッシャーガルテン英国庭園)やアムステルダム公園に、全裸日光浴できる場所はあるのだが、おちんちんぶらぶらさせながらジョギングできるコースがあるかまでは確認ができなかった。

 以前調べた時には、ベルリンアルテミスウィーンゴールデンタイムか、どっちかのFKK(合法風俗)にはスポーツジムが併設されていた気もするが、そこでは全裸で走れるかもしれない。とはいえ自分ブロンド美女セックスするのが目的ではない。いや、ちょっぴりセックスしたい気もするけれど、対人恐怖症な気分のときは、とりあえずすっぽんぽんで走るだけにしたくなっちゃうかもしれない。

 いちおう、美女との混浴全裸水泳は、オーストリア混浴サウナ経験済みだ。

 別にヌーディストビーチでも構わない。バルセロナにもあるし、ほかの地域にもある。ギリシアの島で全裸日光浴をしながら一日を過ごすのも素敵だと思う。南仏の全裸リゾートにもあこがれる。タイにもあるらしいが、とにかくそうしたところはアクセスが悪く、行くのがめんどくさい。バスに揺られているうちに、自分は野外でちんちんぶらぶらさせるためだけに、何でこんな長旅をしているんだ? ってアホらしくなるかもしれない。

 賢者タイムときには、お前ローマフィレンツェヴェネツィアは回ったけれど、ナポリミラノは行ってないだろ、そこに行け、で、ついでにどこか適当なところで全裸になれ、という声もして、それも悪くない気がしている。

 単純にまだ世界で行っていない地域があるのでそこに行きたい欲もある。北欧オーロラに興味があるし、東南アジア寺院には全然足を運んでいないし、台湾も再訪したい。友人からエチオピアにも誘われている。

 オーストラリアニュージーランドも悪くないが、これからどんどん寒くなる。オーストラリアニュージーランドにもヌーディストビーチはあるし、ニュージーランドには全裸洞窟ジョギングするイベントがあるそうだが、これもアクセスが悪い。ドイツには、ハル山地全裸ハイキングができるコースがあるそうだが、これもやっぱりアクセスがあまりよくない。

 それに、合法野外露出敢行のために海外に行くのもばかばかしい。何かサブテーマがほしい。絵画とか建築とか、それで時間が余ったら脱ぐ、そういう感じだ。

 単純に裸を見られたいんじゃなくて、全裸になって自然の風に当たりたいのだ。旅行だけなら、例えば琉球グスクだとか、那智の滝とか、国内でも行ったことないところもあるのだが、やっぱり素っ裸になりたい。

 東欧美女とのエッチ金髪デリヘルがあるかもしれないが、それだけじゃない気がする。まずは脱ぎたい。だから結論としてはさっさとコロナ終結してほしい。いや、ちょっと待て、調べたらフランクフルトにもミュンヘンにもFKKがあるのか、やっぱりブロンド美少女3Pしたいぞフィーヒヒヒ! みたいな気分にもなるぞ。ああ、どうしよう。

 なんて思ってたんだけど、昨晩ピンサロ動画で抜いたらどうでもよくなってしまった。

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2019-12-14

[]2019年12月13日金曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

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2019-11-23

anond:20191123193351

>それともギリシアと書いてギリシャと読む系?

あくまでも作者である加賀氏の表記上のこだわりに過ぎないのでそれであってる

ファイアーエムブレム発音

ちゃん文字通りファイ「ア」ーエ「ム」ブレムって発音する?

横着してファイヤーエンブレムって言ってない?

それともギリシアと書いてギリシャと読む系?

2019-10-23

anond:20191023223835

旦那の稼ぎに依存しながらフェミ漫画描いてる人がいたりしてクラっとするが

そもそも思想ってのは有閑階級のものだったな

ギリシアだって奴隷労働させてたか哲学出来たわけだしな

2019-09-13

追記あり】野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

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