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はてなキーワード: フランス共和国とは

2024-06-30

[] マティニョン

パリの7区、ヴァレンヌ通り57番地に位置している。「マティニョン」は、フランス首相政府行動を象徴するメトニミーとして頻繁に使用される。

オテル・マティニョン

GOUVERNEMENT PREMIER MINISTRE

1719年築。1944年、シャルルドゴールはフランス共和国臨時政府所在地として使用しました。

2022-12-06

ネゴトワ・ネティエとは、フランス政治家であり、第21代フランス大統領として、2017年5月14日から大統領を務めています。彼は、フランス共和国新党(ラ・リボンフランセ)の党首として、2017年大統領選挙で、第二回投票ピエールルペン氏を破り、当選しました。

2022-05-18

anond:20220518215430

この項目では、都道府県に置かれる行政委員会ひとつについて説明しています

内閣府外局については「国家公安委員会」をご覧ください。

フランス革命期にフランス共和国で設置された国家機関については「公安委員会 (フランス革命)」をご覧ください。

名称が似ている法務省外局については「公安審査委員会」をご覧ください。

警察の一部門については「公安警察」をご覧ください。

どれ?

2022-03-07

anond:20220307214841

めんまだ230年くらいだったわ

フランス革命フランスかくめい、仏: Révolution française, 英: French Revolution )とは、フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命[2]。フランス革命記念日(パリ祭)はフランス共和国の建国記念日でもあり、毎年7月14日に祝われている[3]。

フランス革命代表とするブルジョア革命は、封建的残留物(身分制領主制)を一掃し、

資本主義の発展(法の下の平等経済的自由自由私的所有など)

資本主義憲法確立人民主権権力分立自由権(経済的自由権)等の人権保障を中心とする原理典型例としてフランス憲法

を成し遂げた[2][4]。

フランス革命アメリカ独立革命とともに、ブルジョア革命典型的事例である[2]。フランスでは旧支配者(宗教家君主貴族)の抵抗がきわめて激しかったため、諸々の階級対立闘争もっとも表面化した[2]。

2021-12-07

anond:20211207115110

リベラル思想は、あまり理想的人間像を前提されてた

  ってのは、まあ、実際にそういう面はあるんだろうけど、だからと言って全面的否定すると近代思想のもの否定することにもなりかねない。ロックモンテスキューetc. そうなると、アメリカ合衆国フランス共和国などのよって立つ基盤の否定につながり、自由主義陣営総崩れで、笑うのは中国ロシア北朝鮮という展開に、、、

2021-09-01

anond:20210817083708

それ、大統領って言うんだよ。共和制ね。→

選挙やりゃいいんだ選挙

実力のある者を天皇にすればいい


要するに、アメリカ合衆国フランス共和国みたいな制度がいいってことだろ?

2020-10-04

anond:20201004021025

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オーギュスト・コント

Auguste Comte

オーギュスト・コント

オーギュスト・コント

生誕 1798年1月19日

Flag of France (1794–1815, 1830–1958).svg フランス共和国オクシタニー地域圏エロー県モンペリエ

死没 1857年9月5日(59歳没)

時代 19世紀哲学

イジドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コントフランス語: Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年1月19日 - 1857年9月5日)は、フランス社会学者哲学者、数学者総合科学者。1817年からアンリ・ド・サンシモンの教えをうけ、助手を務めたこともあったが、1824年にけんか別れした。1841年から1847年までジョン・スチュアート・ミルと親交があった。「社会学」という名称を創始し、彼の影響を受けた英国ハーバート・スペンサーと並んで社会学の祖として知られる。『社会組織必要科学作業プラン』、『実証哲学講義』、『通俗天文学哲学的汎論』、『実証精神論』などの著作がある。生涯を在野の学者として過ごし、パリで死去した。

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2019-01-31

anond:20190131174700

この記事フランスの外から見た視点の話でしょう。少なくともあの国は、この問題をずっと抱えながらもこれでやってきているわけです。

かつてのスルヤ・ボナリー問題のように、ずっと抱えている。それでも抱えつつやろうとしているだけましだと思いますがね。この

フランス共和国憲法ができた頃、そのアメリカがどんな状態だったか考えてみましょう。今のアメリカにおける人種偏見がどのような

状況か、考えてみましょう。アメリカ人が何事か言える立場なんでしょうかね。

anond:20190131172114

何か勘違いしているんじゃないかと思うんですが、フランス共和国憲法において、フランス市民宗教民族を問わないと明示されていますフランス民族というのは存在しないんですよ。

2018-08-02

anond:20180802195200

テロがなかったら、フランス共和国という国は存在しない。

事実を書くとヤバいか…

おいらと身内子孫は戦果に遭いません!

2017-09-12

5分で読めないカタルーニャ情勢の補足

5分でわかるカタルーニャ問題増田です。すごい伸びててビックリしました。増田ブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!

https://anond.hatelabo.jp/20170910082231

ということで、補足説明の補足に来ました。

sgo2 東京税金地方にばら撒かれるのはうんざりから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)

その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画実施率はマドリードがほぼ100%バルセロナでは10%以下)。

さらに、法律では介護費用中央政府自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。

仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。

mahal しか徴税権の上前問題ぶっちゃけバレンシアラマンチャアンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。

実は2006年カタルーニャ自治州自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシアラ・リオハアラゴンバレンシアバレアレス諸島の5自治州から違憲だとして提訴されていますムルシア自治州ラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州バレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語スペイン語)。要するにカタルーニャ隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。

shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい

スペイン語という習い事カタルーニャ人押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。

スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方しか通じない特殊言語で学ぶ必要特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。

IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪別にしても政治のものがヘタクソすぎないか

これはもう統治技法問題じゃなくて、国民党(や市民党からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法無視国家統一破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。

hahiho これ中央政府側もカタルーニャに甘い顔した奴は失脚一直線みたいな空気感すごそう

ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャ雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャ要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつう市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。

もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャ民意をそれなりに反映しているわけです。独立派独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。

あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動フランス国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義運動だと誤解する人も結構ます。実際には既に指摘したように移民出自独立に賛成している人も大勢ますし、普段スペイン語生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャ独自ネーションと認めないのってスペイン国主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャ移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。

以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。

これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画ようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。

https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM

こちらの論文も参考になります

  • Kathryn Crameri, “Anti-Catalanism, Moral Panics and the Catalan Language: The Case of Ciudadanos de segunda,” Journal of Iberian and Latin American Research, vol.21, no.2 (2015)

atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語統一して、国を維持してるよね。イギリススペインよりうまくいってないし。

いや、フランスバッチリ少数言語アイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者テロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。

ちなみに欧州の少数言語Wikipedia作りが盛んで、バスク語オック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。

参考文献はこちらです。

stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理おかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。

私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。

anus3710223 仮に独立した際、ビルバオ処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。

mrescape 独立したらリーガバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージ

ビルバオバスク自治州のチームなので、今回の住民投票カタルーニャ独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思いますhttps://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。

gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスク自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。

whirl 5分でわかるバスク地方もお願いしま

バスク自治州ナバラ自治州自治制度に関しては

が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。

yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治成功しているんだなあ

いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民民意中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策発言ばっかりされている、独自文化歴史を持つ県が。

最後

「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20150110214339

少し話が違うけれど、年末ネタのような話題があって、日本ケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダース浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。

で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。

スイカ鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人嘲笑するアイテムになってるんですよ。

まあこれは、アホかね、君、何で日本人アメリカローカルステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。

こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。

例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な格好をしていても、主語は、レイディ・ガガになって、アメリカ人にはならないですよ。

思うに、マイノリティというのは、大きな主語を用いられる人たち、と捉えてもいいかもしれない。逆に言えば個々の事例に対して大きな主語を用いている時点でそれはレイシストであり、セクシスであると言っていいのかも知れない。


西欧の風刺は徹底していて、イスラム馬鹿にしていてけしからんと言うと、彼らは必ず風刺は全方位にやってますよと答えるの。それがエクスキュースになってるのね。そして実際彼らは、カトリック教会大統領女王イエスもこき下ろしている。

でもね、やっぱりカトリック教会をこきおろすこととイスラムをこきおろすことは、同じじゃないのですよ。

カトリック教会批判することはカトリック批判することであって、その辺のパリジャンのポール君は何ら関係ないのですよ。

でもイスラムテロリストとして描くことは、移民のアフマド君にとっては直接自分たちへの偏見を増大させる効果を持つのですよ。

これはね、やっぱり西洋帝国主義の結果であって白人特権なわけ。

ここの非相似に鈍感で、俺らは全部を風刺しているんだって思い込んでいる時点で、チャーリーな連中の考えの浅さ、リベラルレイシストになってしまってるんだよね。


で、Je suis Charlie というスローガンものすごく気持ち悪い。

私にはそれが、私たち特権享受する側の白人だ、と言っているようにしか見えないから

[追記]

記事の人とは違って、私はテロからいけない、とはそもそも考えていません。テロと呼ばれる暴力があり、テロとは呼ばれない暴力がある、そして良し悪しはあるにしても歴史暴力によって動いてきました。

そもそもフランス共和国のものテロによって成立した国家です。言論の自由が抑圧装置としてしか機能しない時に、それに暴力的に対抗措置をとる者があらわれるのは力学的には当たり前の話です。正義不正義の問題ではありません。

mirunaさんのコメント、「で、それが産油国における世界三大宗教ひとつであるイスラム教に基づく多大な人権侵害の免罪になるわけ?」と言うのがフランスにおけるイスラム教徒の話でどうしてなされるのかまったく理解できません。これはまさしく、マイノリティのみにアカウンタビリティが求められる一例だと思います

ご存知の方ならば常識しょうがイスラムには宗教者は存在しません。存在するのはイスラム法学者であって多種多様学説があり、絶対的唯一神信仰から多神教的なスフィズムが生じたように、どのような神学も成立可能です。当然のことながらイスラム世界にはかなりの幅と多様性がありますが、サウジアラビアの「公学」は特に極端な厳格性を持つワッハーブ派です。せめて批判するのであれば、サウジアラビア政府ワッハーブ派批判してはどうでしょうか。

フランスムスリムはその多くがアルジェリア移民であって、ジダンもそうですが、アルジェリア少数民族ベルベル人が多数を占めます。これは百年に及ぶフランスアルジェリア植民地支配の結果であって、ベルベル人原住民抑圧のための中間層として用いたために、アルジェリア独立後、報復を恐れてベルベル人フランス亡命したのがそもそもの発端です。宗教は事後的に影響力を持ったものです。

個人的見解として、植民地の損失を清算していないフランスには、どのような移民であれ、移民を拒絶する権利はないと考えていますケベックであれ、インドシナであれ、アルジェリアであれ、ニューカレドニアであれ、異民族の流入に恐怖したのはそれらの場所原住民も同じことです。

[追記]

suna_kago 問題西洋東洋白色人種有色人種)に図式化し、後者は前者に対して何をしてもいいと考えているらしい。そのような態度こそが上記の二項対立を強化するのだけど。

この文章からどこをどう読めばそう曲解出来るか理解できません。普通に誹謗中傷の類であると思います

MacRocco 年末の話なのか夏の話なのか、それともこれは年末が夏の国のお話なのか。

くじらをたてるような突込みではないと一般には捉えられるかも知れませんが、大半の人は、夏の時期の写真年末話題になったと捉えられることを、そもそも話の本筋ではない部分に「これは年末が夏の国のお話なのか。」と"エスプリ"をきかせる精神構造は、非常にチャーリー的で、見かけ以上に深刻な問題を孕んでいると思います

yingze 追記部分に粘着気質の気持ち悪い部分が出てきてるなぁ。「植民地の損失を清算」でヤクザ誠意を見せろ手口でしょう。

誠意は見せる必要はありませんが補償原状回復なすのが基本です。損害賠償の基本ですが。ここが意識の上でも棚上げされていること自体が、西欧中心史観なんだということを指摘しています。ところで、粘着気質ってこんなにぱっと出されて共有されなければいけないほど自明的にいけないものなんでしょうか。yingzeさんのコメント自体粘着気質のなせるわざではないのでしょうか。よくわかりません。

sardine11 マイノリティ言論非対称性に圧殺されてるという指摘は同意したい。ただシャルリの間違いを認めるとしても、反テロ運動自体は間違ってないし犠牲者追悼という大きな意義を無視するのはアンフェア議論だと思う

テロ運動チャーリー追悼ではないでしょう。チャーリー一方的犠牲者として描くことがアンフェアです。チャーリーのしたことはしたこととして、銃撃殺人はいけないよと言うならば、少なくともチャーリーをまったく不問に付すような追悼集会というような手段はとらないだろうと思います。私はこの追悼集会で流される感情と踏みにじる感情が、結果ではなくて次の抑圧の原因になると思っているので批判しているのです。それぞれに自己加害者性を見つめることの方が重要でしょう。

続きを書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20150113170721

 
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