はてなキーワード: ボウイとは
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
オラわくわくすっぞ的なやつね
anond.hatelabo.jp/20200403222730 「超新星爆発」 あ~あ
anond.hatelabo.jp/20200405193209 「コロナウイルスのパンデミックに正直ワクワクしている奴」悟空か
anond.hatelabo.jp/20200405214827 「日本も2週間後には…っていつまで言ってるの?」両対数グラフとかしらなそー
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anond.hatelabo.jp/20200407013200 「不謹慎だけど少しわくわくしてる」オリジナリティェ あと酒は手指消毒にとっとけ
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anond.hatelabo.jp/20200409183735 「400万人くらいいけばいいのに」率先垂範どうぞ
anond.hatelabo.jp/20200409210830 「退屈だから治安悪くなんねぇかな常習者」ついでにワクチン開発できねえかなも祈ってたらいまごろ大儲けしてたのに残念なやつ
anond.hatelabo.jp/20200413013824 「はーマジでアホが推定するみたいに200万人くらい死んだら凄いのになー」フェルミ推定もできんやつはどうやって死亡者数予知すんのかね
anond.hatelabo.jp/20200422060628 またおまえか
anond.hatelabo.jp/20200423153628 意外と謙虚 ぶびゃひゃはキモいので名誉ワクワク増田入りだ喜べ
anond.hatelabo.jp/20200424220728 「もっと公権力に逆らって俺を楽しませろや」 公権力に逆らいまくりのウイルスは目に入ってない模様、ぜひ一度ウイルスに感染してみては
anond.hatelabo.jp/20200503144334 イタリアなど欧州型のコロナは病原性が高いそうですからどうぞ身を持って体験してみてくださいね じゃなくて首によくあるイボウイルスのことか なにが「たのしい」のやら
anond.hatelabo.jp/20200506181502 ←コロナと心中するつもりで就活やめてる奴 まだ間に合うしやれよ 落ちることで見えてくることもあるさ
https://anond.hatelabo.jp/20200511200540 1ヶ月たってもアホはアホ 認定
https://anond.hatelabo.jp/20200514171731 「マジでなんでこんなに人死なないわけ?もうちょっとアメリカとかを見習ってほしい」ご期待に添えず残念でしたープププププー
https://anond.hatelabo.jp/20200517090046 あんまりイキってないけどまあ「不謹慎ながら興奮しちゃう」のが共通してるから特別ご招待
https://anond.hatelabo.jp/20200604174013 特別受賞 未練いっぱいコロナ野郎
https://anond.hatelabo.jp/20200608181002 被告は反省しているようです
https://anond.hatelabo.jp/20200630143706 インフルでもワクワク
https://anond.hatelabo.jp/20200720171350 職場でワクワク
https://anond.hatelabo.jp/20201130162238 まだまだワクワク…っつか釣りだろこれ? 気の緩みやで 感染要因が大分わかってるので季節性がもし関係あるとしても不顕性感染が顕性感染になる程度
https://cruel.hatenablog.com/entry/2020/12/08/011305 名誉ワクワク アオリタイトルのつもりでつかうな爺 昨日何人死んだかしってるか
まいにち40人、1クラスの人がコロナでなくなっている 政府が把握していないところでもっと死んでるかも知れないのになにいってんだこいつ
ネトフリでウルトラマンルーブを見てるんだが、美剣サキのような登場序盤に「敵かな?味方かな?」と、どちらでもない謎の存在って実はけっこうツボかも?と気づいた。善悪どちらでもなくグループでつるむのが嫌いな一匹狼キャラとかも、それに値するかも。
創造時に不完全だったため善悪の判断が付かなくなるキカイダー、その派生型だとアンパンマンのロールパンナとか、正義と悪の間で葛藤する系キャラも好きなんだが、敵/味方に寝返りとかでなく、善悪では分けがたい、自分の強い意志を信じて行動する中間キャラに魅力感じる。とはいえ中間も結果的に善堕ちか悪堕ちの二択になるんだが、その結末になる過程の善悪どちらでもない間が特に好きっつーか。善悪どっちかに堕ちてからは脇に徹してしまい魅力半減、みたいな。
今、洗濯物を干しながら思い出して、ただその感想を吐き出すだけである。
30代より上の人なら、この名前を知っているだろうか。
お笑いコンビのダウンタウンがやっていた、ごっつええ感じという番組のキャラクターだ。
一応説明すると、特にコントがあったわけではなく、「地球が平和なのはエキセントリック少年ボウイがいるから」という漠然とした設定と濃いキャラクターがいただけだ。
ある日、彼らは一枚のアルバムを出した。
当時それが好きだった私は、購入した。探せば家のどこかにあるかもしれない。
物悲しいメロディと共に、「最近だんだんわかってきた。僕が死んでも誰も泣かない」と、これまた物悲しい歌詞から始まる(知らないかたは調べてみてください)
当時は笑って聴いていたが、人生の折り返し地点を過ぎ、四十路に入り、なんだかとてもさみしく聴こえるようになってしまった。
自分が死んだら誰か泣くだろうか。その時配偶者が生きていれば、泣くだろうか。
トラウマだらけの犬ドッグは、どこかにシールを貼ること(マーキングのことだろうか?)で、自分をたもっているのか。
鳥バードは、何を食べてもうまいと思うほどひもじい生活を送っていたのか。
エテモンキーは、留守番電話に対してなにかとんでもなくつらいことがあるんだろうか。
そして、おそらく歌詞の「僕」であろうエキセントリック少年ボウイは、毎晩金縛りにあい、紙切れになるほどのいたずらファックス(30m)がくる。
地球が平和なのは彼らがいるからなのに、みんな散々なありさまだ。しかも全員差し歯である。
歌詞は、まるで日々と未来への見えない不安をこめたように「ああ 明日になんかならなきゃいいのに。どうせ今夜も金縛り」というように締めくくられる。
そんな感じで色々考えていたら、なんだか悲しい朝になってしまった。
猫カフェでパルボウィルスが発生しながらもそれを放置し、「猫が0匹になっても営業を続けろ」と言った(らしい)ネコ好きの敵について調べてみました。
TwitterよりもこうしてWebに残しておくことで検索しやすくなるように。
https://matomedane.jp/page/12033
https://ailbainpro.com/news/post-8573
https://twitter.com/i/moments/1025157130603483136
ちなみにイキり倒していた氏のTwitter(@kojih9601022)は既にアカウント削除済み。小物臭が凄い。
親元は「株式会社ケイアイコーポレーション」という企業。設立は2004年2月5日。
今年2018年の7月1日に登記住所が変更となっていて、それまでは東京都板橋区にある実家?になっていた。
つまり、それまでは別会社名義で運営。ドメインもこの時期に更新されてる。
で、おそらく6月30日まで運営を行っていたっぽい「株式会社モカ」は、「株式会社ケイアイコーポレーション」に7月1日付けで合併されてる。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
食事は基本、食べる前に写真を撮ってから食べる。しかも何枚も撮る。
スパゲティー屋さんとか茹でる時間に命かけてるだろうからああいうの腹立つんじゃないのかな。
料理以外もなんでも写真を撮る。祖父が死んだときに死に顔を何枚も撮ってたのはさすがにひいた。
Googleフォトの軽快なムービーの曲に乗って死に顔が突然出てくるんだよ。びびるわ。
作ってくれる料理は、ネットではやってて見栄えのするやつ(もちろんSNSに画像をあげるため)か、クックパッドで適当に検索したやつ。なので同じようなメニューが続いたり、主菜と副菜の味付けが同じだったりする。
そしてまたカシャカシャ撮影。どうせ撮影で時間かかるだろうからと思ってすぐに食卓に行かないでいると怒られる。理不尽だ。
出かける場所もネットで話題のところ。着るものもネットで話題のもの。
話すこともネットで話題のことばかり。
有名人の訃報とかさわぐけど、いや君ボウイとかプリンスとか聴いたことないよね?みたいな。
いつでもスマホを手放さない。食事中だろうがなにか気になることがあったらすぐスマホ。
もちろん寝る間際までスマホでなんかしてる。それで毎日調子悪いとかいってる。
おれはフェイスブックも会員にだけなってずっと放置しててSNSとかあんまり知らないけど、そんなにいいねとかをもらいたいものなのかなあ。
春は理由もなく侘しさを感じる。積もった雪が道端に僅かに残る程度になり、日々を包んでいた寒さも柔らかい日差しであたたかくなってきた。学生は春休みに入り朝の電車に乗る人もすっかり減ってくる。冬は雪があらゆる音を吸収して静かな日々を作り出すが春はまた別の静けさがある。生き物が目覚めて植物が芽吹く前の静かな力強さ。ここは田舎だ。昼間に家にいると子供たちの元気な声が聞こえてくる。自分が子供だったころを思い出す。友達の家に電話して約束をすることが大半だった。たまに約束もせずに友達の家に行くと留守のこともあった。そのようなときも数人は集まった。それでもいつもの面子は集まらず何となく寂しさを感じていた。意味もなく町内を自転車で回っても町は静かだった。鳥の鳴く声とわずかな車の音だけが響いていた。今地元で一番発達している駅前に行くと大勢の人混みに紛れることが出来る。春になると心なしかあらゆる人が笑顔を身に付けているように見える。自分もその人混みを構成してる一員なのだけど何となく場違いな気がしてくる。逃げるように家に戻るとラジオをかけて本をよんだりする。ラジオにしてもテレビにしても自分とは全く別の世界いる人間がしゃべっているような気がしてきて昔から持ってるCDをかける。そしてあのときの彼はどうしているだろうか、あのときこうしておけばよかった、この辺りも変わってしまったなあなどと思いを馳せる。いたたまれなくなった後に通帳を見たり冷蔵庫の整理や掃除をしたりする。そうなるともう夕方でスーパーに夕食を買いに行く。店内にいるのは家族連れやカップル、学生などでやはり自分とは異人種だなあと感じてしまうけど昼間よりは馴染んでいると思い何となく気分が落ち着いてくる。家に帰って手早く夕食を作り深酒にならない程度に飲みながらBSでやっている映画を観る。そうこうしてるともはや11時を回っている。さて風呂に入って寝るかと湯船に浸かる。リラックスしていること、寂寥感に負けてしまわないようにとふと歌を口ずさんでしまう。口ずさむのはtake on me。サビにさしかかり、テイクオンミーと歌っているとどこからか復唱する声が聞こえてくる。それはとなりの家から聞こえてくる。さっと窓を開けると隣の家の窓も開け放たれていた。そこにいるのは妻子供に逃げられた隣の親父。わざわざシャンプーボトルを口にあてて熱唱していた。負けじと声を張り上げる俺。窓枠をリズミカルに叩きながら合わせてくる隣の親父。歌い終えるとこちらにむかって静かにしかし力強く頷いてきた。そうだ、夜はまだ更けてきたばかり。この一帯には俺と隣の二軒しか家はない。観客と歌手が一体になったショーの始まりだ。マイケルジャクソン、デヴィッドボウイ、エアロスミス。往年の名曲を二人で歌い上げていく。どこから持ってきたのか親父の手には菜箸が握られていた。めちゃくちゃ、しかしなぜか調和を感じさせる菜箸風呂桶ドラム。俺はトリックスペシャルで仲間由紀恵が風呂の蓋を壊して息をしてしたのを思い出した。風呂のふたをぶちこわし息を吹きはじめた俺。情けない音を立てる風呂のふた。しかし隣の親父はニヤリと笑うとさらに激しく菜箸を叩きだした。負けじと強く息を吹く俺。ふたの先に手をあてわずかに音の違いを作り出す。即席のジャズセッションが始まっていた。そうだ、俺たちはどこでだってブルーノートを作ることが出来る。セッションを始めたその場所がニューオリンズだ、ステージなんだ。初春とはいえ夜の空気は寒い。しかし俺たちのセッションはそのような寒さなど吹き飛ばしてしまうほどだ。膝下の湯も俺たちの熱気をさらに上げる。隣の親父が頭を強く振り始めた。同時に肩も更に激しく揺れる。そうか物事には必ず終わりがある。この熱いセッションもいつかは終わってしまうのか。一瞬頭に淋しいが通りすぎる。だがしかしそのような感情に押し負けてこの一瞬を台無しにしてはいけないのだ。最後を美しく飾ろうと鼻から最大限の息を吸い込む。そして体を反らせながら思い切り息を吹き込んだ。窓の外に見える空には明けの明星が輝いていた。俺の息が途切れる瞬間親父の菜箸も終わりを迎えた。息を切らせながら向き合う二人。親父の顔には不思議な満足感が浮かんでいた。きっと俺も似たような顔つきなのだろう。言葉もなく、頷きもなく二人は窓を閉めた。男には無駄な装飾など必要ない。ただセッションした、という事実があればいい。携帯を取りだし会社に仕事を休む旨を伝える。そうだ、俺たちは一人じゃない。一歩踏み出せば必ず心の同士と出会えるのだ。