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2020-06-29

とても大きなごん狐

 これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。

 或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴からたことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。

 ごんは、村を流れる黄河十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。

 ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。

 しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。

 兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。

 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから

「うわア石川五右衛門アルセーヌ・ルパン怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。

 ほら穴の近くの、ごんの挙動監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

 十日ほどたって、ごんが、大日本プロレス代表する悪役レスターである地獄カントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、

「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。

「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日メインディッシュである比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

「兵十の家のだれが死んだんだろう」

 お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺東大寺金剛峯寺増上寺永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。

 やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地はいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。

 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。

「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」

 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。

レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

 兵十が、世界一深い井戸のところで、指懸垂をしていました。

 兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

 こちらの道場の後から見ていたごんは、そう思いました。

 ごんは道場そばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。

いわしやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から

いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしつんトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。

 ごんは、うなぎつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついていますボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。

「一たいだれが、いわしトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています

 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。

 ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。

 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えますチンチロリンチンチロリンと緊急警報が鳴っています

 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。

「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。

「ああん?」

「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」

「何が?」

「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」

「ふうん、だれが?」

「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」

 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。

「ほんとかい?」

「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」

「へえ、へんなこともあるもんだなア」

 それなり、二人はだまって歩いていきました。

 加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭うつって動いていました。ごんは、

連合稽古があるんだな」と思いながら井戸そばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。

 ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸そばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊ふみふみいきました。

 お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。

「さっきの話は、きっと、そりゃあ、怪獣のしわざだぞ」

「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。

「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」

「そうかなあ」

「そうだとも。だから、まいにち怪獣お礼参りをするがいいよ」

「無茶を言うな」

 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

 そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。

 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。

「ようし。」

 兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。

「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。

「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」

 ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。

 兵十は榴弾砲を地面に叩きつけました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

2019-11-26

キメラって…

(程度の差はあり、中には最適な温度で地表に湧いている温泉もたくさんあります)。これは地面から湧いてくる灼熱の水を人間に適した温度まで水で薄めて利用していると言えます。ここで注目すべきはやはりマグマ関係していることと、熱い流体が地下から湧いてくる現象であるということ。そして温泉火山の近くに形成されるということ。温泉はそれこそ風呂なんて概念人類運用する前から自然には存在していて、人類以外の動物も利用してきました。猿が風呂に入っているイメージなんかし易いですが、鹿や熊なんかも温泉に浸かるらしいですよ。それで火山噴火による被害も昔からあったと思います、そりゃ地震火山が原因で起こるので、「地震人類地球上に留まる限りその被害に遭い続ける」と言われるように火山噴火も似たようなもんです。地震ほどもたびたび起こりませんけど(そうだったら人が土地に住めません)。何が言いたいかというと星の中にはマグマが流れていて、これは時に地上に激しく噴出しては火災などの致命的災禍となって人類を脅かしてきたという事実があり、そして鉱石宝石温泉といった、人類利益になるもの火山活動によってもたらされてきたので、人類がいままで継続してきた人類らしい生活を続ける限り、火山の脅威から完全に逃れることはできないってことです。マグマに焼かれる可能性を完全にゼロにしたいならば、既存資源が採れる地上を捨てて空の上に逃げるしか道がありません。キリスト教では人間人間である為に原罪というものを抱えていたので、神の子イエスさまは磔刑にかかるという形で人間原罪を御許しくださったそうですが、罪を抱いたら落ちる先の地獄が灼熱の世界であることと、人類文明依存する金属資源が地下世界流れる灼熱のマグマに由来することはなんだか面白い話に思えています。あとは、火山活動間欠泉の他にはしばしば人間に有毒な気体を地面から吐き出させることがあり、この毒ガスにまかれて人が死ぬ事件なんかも昔からありますドラゴンは火を吐く他には毒の息を吐くなんて話もあるので、地獄火山に由来するものであるならば、ドラゴン活動とはすなわち火山に由来を見出すことができます。これで宗教的で、地理的で、人類学的なドラゴンの話は終わりです。

結びに、あまり触れられなかった気象的なドラゴンの話に急ぎ足で触れたいと思います(こっちは語れるほど詳しくないので一番最後になりました)。

ドラゴンもしばしば気象を操り、毒の息や火を吐く他には雷を吐くなんて言われます怪獣映画ゴジラに出てくる怪獣キングギドラは雷のようなジグザグに飛ぶ光線や、ずばり雷そのものを吐き出しますがあんな感じです。

これは山の天気が変わりやすいという話と関連づけられて話されます。高い山の上は気象学的に雷雨が発生しやすいそうで、ここで発生した嵐がそのまま人里まで降りてきておそろしい災害をもたらしたことヨーロッパでは珍しくなかったそうです。西洋の山々は高く険しい秘境で、ドラゴンの他には魔法使いが住んでるとか言われ、その険しさゆえにとても道路として利用できるような場所ではないので、いまよりも適切な登山道具や技術普遍化されていない昔の時代に住んでいた人が山越えをするとなると、それは決死覚悟で臨むものでした。つまり山の上には滅多に人が行き交うことがなかったので、空想ドラゴンやお伽話の魔法使いが住んでいてもおかしくないと言われたのでしょう(そう言われても嘘か本当か確かめるのが現実的ではない)。

また「雨を降らせる」とか「気候を操る」とか言われるとピンと来る方もいると思いますが、東洋の龍はもっぱらそういうことをする存在で、火よりも水と関連づけられていることの方が多いようです。川の化身なんて言われることもあって、こういう姿はジブリ作品千と千尋の神隠しに登場したハクという人物テーマにもなっています。水は高きから低きに流れるとか言う通り、山から人里に向かって川が形成されている様子をじかに確認することが日本では現実的であったので(日本の山でも人死はたくさん出ていますが、山越えに臨めばほぼ間違いなく死ぬと言われるほどではなかったようです)、川の神である龍は山の神もまた兼任することがあり、日本人の昔話的世界観において山と川とは切り離せない親しい関係にあります。というか、ずばり川の中に竜宮城がある(浦島太郎の話に出てくる、海の中にあったというあの竜宮城ほとんど似たようなものです)場合もあります。山の中にあるという鬼の居城もこの竜宮城が零落して悪評に貶められたと考える向きもあり、有名な鬼の祖に龍神が数えられていることもあります(酒呑童子という鬼の祖は伊吹山の神であると言われ、これは素戔嗚尊という英雄に退治された龍神のことだと言われています)。それで「山の気候は変わりやすい」なんて言い回し日本人がよく口にする言い回しなので、山の神である龍が雨を降らせて川を流すという話はそういう思想が背景にあると思われます奈良大神神社に坐す大物主なる神はたいへん好色の蛇神として知られ、イケメン男性に化けてから人間女性と夜な夜な逢引をしていたというロマンチックエピソードがある一方で、機嫌を損ねた時には疫病を流行らせて人を大勢殺したので時の天皇を困らせたとも言われています。この大物主が住むというのも三輪山という名山で、奈良のその周辺は川と山とに囲まれた肥沃な土地であったと言われています。今でも風景が綺麗なので、近くに住んでいるなら見に行くのも悪くないと思います。話が脱線しましたが、疫病が流行るというのはいろいろ理由がありますけど、川の氾濫といった水害が原因でも発生します。川から水が溢れて街が水に浸かると下水道という設備がなかった昔はトイレ汚物が街中にぶちまけられるというのも珍しくなく、川の底のかき混ぜられた汚泥と一緒に環境汚染するのでたいへん不衛生でした。なので的確に対策をこうじなければそこからあっという間に病気流行り始めるのです。川が溢れると畑がダメになって作物…つまり食べ物もとれなくなるので、飢えて体が弱り病気になりやすくなるというのもあります。川がなければ水を畑や田んぼに引くことが難しく農業が瀕するので全く無いというのは困りますが、川が溢れ出しても人間は困るのですね。なので川と龍が縁深い日本では、川の工事(水害対策)に従事していたと言われる仏教僧侶が悪さをする龍神をこらしめて改心させるなんて話も結構あります西洋における聖ジョージジークフリートなんかが、日本においては偉いお坊さんになってしまう訳です。すこしがっかりするような話ですね。そういったように、悪者イメージが根強い西洋ドラゴンに対して、日本の龍というのは非常に気まぐれな存在善悪両方の属性を持ちます人間を助けることがあれば人間を脅かすこともあるし、人間に助けられることもあれば人間に倒されることもある。ところで東洋の龍という括りでいうとそもそも「龍」という漢字と考え方自体は大昔の中国にあったというたいへん豊かで大きな国からやってきたとも言われますが、中国文明は三大文明が一つ黄河文明と数えられている通り黄河という大きな川が育てた土地を耕して発展していったので、そりゃあもう川の整備には手を焼かされたそうです。大洪水で国中が水浸しになってみんなが困ったので、見かねた仙人が龍に乗って山から降りてきて洪水を治めたのでたいへん感謝され、皇帝の座についたという伝説もあるくらいです。というか、日本の坊さんがどこで川の整備技術を学んだかと言われれば当時の中国で学んできました。もっと正確に言えば、治水技術に秀でた仏教僧侶日本布教するのにやってきて広まったのです。ユーラシア大陸から、「龍」という漢字東洋龍のイメージと一緒に、「龍」と形容されるほどの荒れた川を治める技術もやってきたのです。お互い川を見ながら川の周辺で農業やって生活してきた民族なので、当時から生活風景がそこそこ似通っていたのでしょう。なので龍神今日に至るまで日本思想世界に受け入れられ親しまれ、日本独自派生も見られるほどになりました。

誰かの空想からはじまった存在が、国を渡って話されどんどん遠くまで伝わって、その国でしか見られない風景や生き物の姿を継ぎ足して、そこに住む人々の固有の文化におさまっていく様子を前から後ろへと辿ってみるのは大変面白い娯楽でありました。今回は特にドラゴンについて言及しましたが、とてもキメラテックな話だったでしょう? キメラテックなのもたまには悪くないという気持ちに僕はなってきました。

更なる余談ですが、東洋の龍の「胴体が長く、翼を持たず、身体くねくねさせて空を飛ぶ」イメージ(アニメ日本昔話のオープニングのようなやつです)なんですが、胴体のところは蛇をモチーフにしてあるのは一目瞭然ですよね。完全なる受け売りなんですが、この龍の顔の部分は馬をモチーフにしているという説があるそうです(髭があるところとか)。確か神武天皇だったと思うんですが、彼の皇が長旅をされた時に愛馬に水を飲ませようと泉に立ち寄って、その時誤って剣でその馬の首を切り落としてしまったそうです。自分が殺された側なのに、自分が死んで大泣きして悲しむ皇の姿をあまりにも気の毒に思った馬は、首だけで泉の中を泳ぎ始めてやがて馬のような顔を持つ魚になった、なんて伝説があります。空を泳ぐ龍が馬の首を持つ一方で、馬の首が泳ぎ出して魚になったという伝説もあるのは面白く、たまに関連づけて語りたくなります。ただ学問的な裏付けのないこじつけなので、こういう笑い話の場でしか言及しないことにしています

ここまで読んでいただいた方がいらっしゃるなら、たいへん貴重なお時間いただきました。あなたに御礼さしあげますありがとうございました。

(追伸、語り口調で一行が長かったり、誤字脱字が多くて申し訳ありませんでした。ちゃん推敲する習慣をつけようと思います。重ねて、ここまで読んでいただきありがとうございました。)

2019-11-24

キメラって…

新しいポケモン化石ポケモン話題になっていて、ずばりギリシャ神話キマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。

そいつドラゴン」とか「龍」とかい呼び名でよばれているんですけど。

個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承リュウ意識しています西洋伝承との比較話題ときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。

ちょっと前にNHK特集ドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。

テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話ドラゴンって話題に出すときには、地理学勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というもの話題にすることができるってのは面白いなと思います

生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。

番組ではルーマニアで有名な翼竜化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情考慮するならば自ら悪魔敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付ルーマニアで、空を飛ぶ恐竜化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事記述とかあるならそれは想像捗るので素敵な話だと思います

比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。

まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴン想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。

それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまます。そんな絵でした。

ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書記述すら読み書きの技術を持つ教会神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想風景自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまますよね。

ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかたこであるように思います

恐竜化石にしたって、伝説に語られるファブニールヒドラのものしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんからそもそも恐竜化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います

最後歴史学人類学宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人から受け売り知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。

まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います

ラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴン悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います恐竜人間を食べそうだから怖い、ドラゴン人間を食べるから怖い、悪魔地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴン悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカン神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回し日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になりますぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓提供し続けている親からすれば、それを子供台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキル言語センス必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔地獄で罪人を責め苛む悪魔ドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴン悪魔に与えることでみんなが神の御言葉もっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人悪魔ドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴン英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説宗教に組み込まれた結果、聖ジョージドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代場所があったということです。

この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型であるように思いますね。何故地獄燃えいるかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやす都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史話題にするなら、ロンドンテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKドラゴン特集受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄イメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます火事から助かったとしても家も財産食べ物燃えしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者瀬戸際発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります火攻めとか言われる戦法で、この場合侵略者火事が同時にやってきます侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災惨事記憶が、架空風景である地獄イメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?

その上で更に別の解釈を交えます地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴン地獄に住まう悪魔ペットであることと、ドラゴンイメージ形成するのにひと役買ったらしい恐竜化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山噴火しているともなれば人間生存圏はもっと狭くて、地球人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間マグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエ舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂テーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56

2019-05-30

anond:20190530173453

スト2ブームだった20年前に何もしなかったんだから今更再興なんて無理だ

黄河忍者の里と一緒に滅亡しろ

2019-05-20

anond:20190520011748

忍たまじゃなくなった忍者はやりたいことを青春時代に全部した

から敵に捕縛されるくらいなら自爆するんだろう

黄河忍者の悟って美人くのいち混浴でもあるのかね

2019-04-04

現代魔法ってなんだ?

ファイアー

と言いながら洞穴に籠る日本兵火炎放射器で焼き尽くすやつか?

それとも

ウォータースプラッシュ

と言いながら黄河決壊させて日本兵の進軍を遅らせるやつか?

それともあれか

やっぱりあの、アレなのか?

2017-11-28

北京 ベルリン ダブリン リベリア    【中国 ドイツ 英国 リベリア

束になって 輪になって         【結束して 戦争になって】

イラン アフガン 聴かせて バラライカ 【今度はイラン アフガンあたり ロシアは関与する 】

美人 アリラン ガムラン ラザニア米国 韓国 インドネシア イタリア

マウスだって キーになって   【WWWでの操作を行うイベント

気分 イレブン アクセス 試そうか   【麻薬のように 習慣性もつ経済が成り立つ 本当かどうか】

開けドア 今はもう   ①【回線間近】②【会戦間近】

流れでたら アジア           ①【アジア市場になる】

                    ②【アフガンイランの次の標的はアジアになる】

白のパンダをどれでも全部並べて    ①【キーボードを前にして】

                    ②【無実の国を標的にして】

ピュアハートが夜空で弾け飛びそうに  ①【使いすぎると人体に良くない】

                    ②【無実の人々が爆弾によって】

輝いている 火花のように        ①【それらはプラズマガンマ線である

                    ②【ミサイル爆弾が炸裂している。花火のようだ】

火山 マゼラン 上海 マラリア      【火山地震インドネシアで起こる。上海では疫病がはやる】

夜になって 熱が出て          【時期が来て】 

多分 ホンコン 瞬く 熱帯夜       【香港中国返還されお祭り騒ぎ

開けドア 涙 流れても         【泣いても何してもふたを開けてみれば】

溢れ出ても アジア           【多角的に次の標的はアジアである

地図黄河星座を全部浮かべて    【標高の高いところに重要機関は移ってゆく】

ピュアハートが誰かにめぐり会えそうに【何も知らなければおいて行かれる】

流されて行く 未来の方へ        【色んな意味で流される。実際にも流される。】

白のパンダをどれでも全部並べて     ①【パソコン有効活用

                    ②【無実の国を挙げてみる】

ピュアハート世界を飾り付けそうに  ①【大災害が起こってワールドニュースになる前に】

                    ②【紛争が起こる前に】

輝いている愛する限り         【アメリカ追従している間は”災害”も”紛争”もなくならない。相関関係がある兵器

瞬いている 今、アクセス ラブ      俺がほのめかしていることが判るかい?だったら今正しい気持ちでこの歌を確かめてみよ。


これをPAFFYに歌わせた「井上陽水先生とは預言者なのか!!

2017-01-23

南京大虐殺存在しなかった と 南京日本軍による虐殺強姦存在した は両立する

現実日中戦争がどういう戦争だったかといえば、蒋介石率いる中国軍は装備、練度ともに日本軍に勝っており、しか蒋介石戦略的後退を続けることで日本軍補給線切れを狙ったというものだった。そして蒋介石重慶にまで逃げたとき日本軍はついに地上戦力による攻撃を断念し、貧相極まる爆撃機での戦略爆撃に切り替えた。この攻撃蒋介石心理的には追い詰めたものの、中国軍の装備する高角砲は性能抜群であり、また中国歩兵の練度は高かったのでここで日本軍爆撃機とその搭乗員に大損害を出し、この爆撃は 5 年間続いたものの得るところはほとんどなく最終的に日本軍撃退された。

そのような情勢下で中国各所で歩兵戦が続いたが、ここでも装備、練度ともに優れる中国軍に対して日本軍勝利を得ることはほとんどなかった。領土的な意味勝利を得た局面でも逃走する中国軍を捕捉できたことはほとんどなかった。

ようするに日本軍は当初から優勢な中国軍に鼻面を捕まれて広大な中国をいいように引き回された末に徹底的に敗北に追い込まれたという話であったから、整然と指揮された日本兵による大虐殺などというもの重慶爆撃を除いて存在しなかった。むしろ中国軍こそが黄河人口洪水を起すなど組織だった民間人虐殺を含め焦土作戦を行なったといえる。

では南京戦をはじめとした各種戦闘において日本人による民間人に対する虐殺強姦などが存在しなかったかといえばそうではない。それはソ連軍がそういうことをやっていたぐらいにはやっていた。古来軍隊とはそういうものだし、同性愛に対する規制が厳しかった日本軍では残虐行為は水準よりも多かったと評されている。

そうした、兵士個々人の残虐行為がなぜ南京大虐殺のような「デマ」にふくれあがったかといえば、軍部におもねるメディアがそういう嘘を垂れ流したからだったし、戦後中国がそうしたデマ報道日本兵処断の証拠としたり、対日宣伝の道具としたからであった。

南京大虐殺など存在しなかった、それはそうだ。だからといってそれを日本人中国人に対してマウンティングの道具にしてもどうにもならない。実際に日本軍中国侵略したのは事実だし、また南京大虐殺というデマを産んだのは日本の未熟な社会体制報道体制メディアリテラシーが原因だからだ。身から出た錆としか言いようがない。

というような話は 40 年ぐらい前に延々議論していたはずだが当時の議論現代参照されてるようにはみえないし大丈夫ですかね。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-04-24

中国十大忠臣

諸葛亮

言わずと知れた宰相諸葛孔明

劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。

その判断公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。

彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである

魏徴

唐の凌煙閣二十四功臣の第四位

もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。

皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。

そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。

寇準

北宋の名宰相

魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。

その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。

小説「楊家将演義」にも登場して活躍する。

包拯

北宋政治家で、清廉潔白代名詞として知られる。

賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。

その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。

死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。

文天祥

南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。

弱冠にして科挙首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。

南宋首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。

彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。

やむなく文天祥処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。

于謙

エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。

首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。

地方官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。

海瑞

道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。

海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。

嘉靖帝の死後、釈放されてから要職に就けないまま役職転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。

この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である

史可法

明末、抗清の武将

李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。

揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。

それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。

鄭成功

同じく明末に活躍した抗清の武将

日本で生まれて七歳で明へ渡り北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。

そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。

父親が清に降ったのちも、鄭成功奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。

その地を支配していたオランダ人追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。

林則徐

清の官僚として、地方農村の再建と腐敗した官吏処分を行い、名声を高めた。

道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。

その期待に応え、1425tもの阿片を没収して焼却したが、それをきっかけとしてアヘン戦争が勃発する。

持久戦に持ち込めばイギリスに勝てることを林則徐は見通していたが、親イギリス派の讒言によりあえなく失脚した。

2014-05-07

中華料理

中国料理調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的ものとして社会的公認されている料理山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方歴史と切り離して語ることはできない。またその地方地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面江南美人山東安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理風流典雅な貴公子四川湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである

一 山東料理(魯菜)   

宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京天津東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。

  

二 四川料理(川菜)   

秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり現在では世界中四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理成都重慶地方料理代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。   

三 広東料理(粤菜)   

前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理広州、潮州、東江の三地方料理代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サルネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。 

四 福建料理(閩菜)   

福建料理福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州アモイなどの地方料理代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。 

五 江蘇料理(蘇菜)   

南北朝時代発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理蘇州揚州南京、鎮江の四大菜代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口

当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。   

六 浙江料理(浙菜)   

杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。 

七 湖南料理(湘菜)   

湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部山間地帯料理代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。   

八 安徽料理(徽菜)   

長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。

中日对照烹调食品用语  北京料理 

北京烤鸭:北京ダック 北京式鴨の丸焼き

宫爆田鸡:かえる唐辛子の炒め  

羊肉:羊肉のしゃぶしゃぶ  

炸虾球:えび肉団子のフライ  

酱爆鸡丁:鶏肉味噌炒め  

蛰皮鸡丝:クラゲ鶏肉のあえもの   

烧三白: 鮑、鶏肉アスパラガスの煮物 

牛尾汤:牛尾スープ  

香茹玉米汤:とうもろこしとマシュルームのスープ  上海料理  

酱烧青蟹:蟹の味付煮    

西湖醋鱼:淡水魚の蒸しあんかけ  

生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め

糖醋排骨:骨付スブタ  

黄焖鸡块:鶏肉唐揚げの煮物

 红烧甲鱼:スップンの甘煮

  四川料理  

鱼香肉丝:魚の味を出した豚肉唐辛子炒め  

回锅香肉:豚肉香り炒め  

麻婆豆腐:マーボーどうふ  

豆瓣鱼:魚の唐辛子味噌    

成都子鸡:鶏肉成都風炒め  

樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨

 

  广州料理  

腰果虾仁:クルミとえびの炒めもの  

脆皮鸡:広東式揚げ鶏  

锦绣排翅:ふかのひれのうま煮  

鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ  

豉汁蒸鱼:マナガツオとモロミの蒸し物  

生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物 

广州炒饭:中国式ベーコン焼肉入りの五目チャーハン 

中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国基本情報は下のサイトをご参照ください。

http://www.japinchina.com/

メールアドレス:cs1@japinchina.com

2012-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20121212131718

横だけど

wikipedia見れば十分じゃね?

中華思想(ちゅうかしそう)は正式名を華夷秩序かいちつじょ)と言い、

黄河の中流域(中原)で発生した極端な選民思想である

即ち、漢民族の内で「人間」扱いされるのは君主のみであり、

臣下は「家畜」とまでは行かずとも「奴隷」を自称し、

民衆は「民草」の表現通り「雑草」として扱われる。

また非漢民族は「禽獣」と「虫けら」扱いとされ、征伐や民族浄化の対象となっている。

要するに

まず、自民族の中に君主を中心・頂点とした強烈な上下関係を作る。

次に、異民族に対しては更に強烈な上下関係パラダイムであたり、侵略や虐殺すら正当化する。

2010-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20100326001623

http://www.panoramio.com/user/1201050

同じくGoogleEarthを見ていて見つけた。

この人の写真は東の黄河の河口から西の奥地の目の覚めるような青い湿地まで、広い範囲に登録してる。

中国は広い。いろいろ言われるけど、上も下も可能性のある国だと思う。

2010-03-26

中国自然

Google Earthをいじってたら素敵な写真を見つけたので貼ります。

http://www.panoramio.com/photo/6576323

http://www.panoramio.com/photo/16406213

この美しい写真を撮った場所はどこかというと中国なんですね。

中国にもこんなに綺麗な場所があるんだなぁ(失礼)と思いました。

場所だけじゃなくこの写真を撮った人(黄河影人という方のようです)の腕もいいんだと思います。写真には詳しくないですが。

色遣いや構図にセンスを感じます。

黄河影人さんの他の写真

http://www.panoramio.com/user/1201050

たぶん中国の方だと思います。

最近何かと話題にのぼる中国

中国に住む人も自然を愛する心は変わらないと思いたいです。

2009-06-21

中国ダムが本気で危ないらしい

黄河支流のダム、多くが決壊の危機=原因は手抜き工事か―中国

http://rchina.jp/article/32642.html

東亜ニュース板になにやら詳しい人がいたので、メモ

242 2009/06/21(日) 21:25:08 ID:zIuLUTKK

噂どころか鹿島建設清水建設大林組大成建設、あと大手一社中国共産党から打診がありました。

中国共産党に怒り心頭な清水は文字通り塩をまいて追い返し、鹿島はガン無視。

大林と大成は調査の見積書を提出。

もう一社(まだ社名が確認できていませんがもう一社いるのは確定)中国設計不備を詳細に指摘。

大成は工事クラスタスクフォースを組んで設計図書を確認したみたいだけど、

日本国内某新国際空港担当した大成屈指の技術屋の工事長が、

ダム建設設計図書を見て「評価以前の問題」と切って捨てた。

2ちゃんねる的に書くと「ぼくのかんがえた すごい だむ の せっけいず!」ってやつだと切って捨てました。

清水中国に何があったのかは略

287 2009/06/21(日) 21:41:29 ID:zIuLUTKK

依頼を受けたアメリカ設計屋は一社で評価決定をするには責任が大きすぎると判断。

専門学術機関を巻き込んだ「 公開 」研究対象にして、万人の評価を聞くべきだとした。

そうしたら中国共産党は速攻で逃げた。

最初はダム技術に関してぶっちぎりでトップのアメリカに依頼するもだめで、日本SOSが来たと

しかし・・・

298 2009/06/21(日) 21:49:27 ID:zIuLUTKK

現在ドイツフランスに改修設計の依頼先を探している状況ですね。

日本へは浅野セメントOBのつてで太平洋セメントとか、東亞合成とかの資材屋まで打診したみたいですが逃げられていますね。

とりあえず、ひびは入ってる様

2009-02-09

 中国17省に百日も雨が降らない。小麦地帯75%に大被害

 中国17省に百日も雨が降らない。小麦地帯75%に大被害

  金融危機経済不振の次に中国が直面する「百年の一度の大干魃」

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 軍隊が出動している。豪州を襲っている山火事の騒ぎどころではない。

 「中国空軍は当該空域に特殊な航空機を出動させ、化学弾2392,人口雨弾409発を発射、一部地域に降雨が観測された」(多維新聞網、2月9日

 干魃は08年10月から始まっていた。

穀倉地帯の河南省河北省安徽省山東省などで雨がまったく降らず、この干魃は江西省福建省にいたった。

華北の小麦地帯だけですでに5000万ムーが被災した。

 被害は昨年華南を襲った大雪被害より甚大。

 

 2月7日から干魃が緩和されてきたのは河南省甘粛省陝西省山西省湖北省安徽省など。河南省の穀倉地帯の大部分には110日連続して降雨がない。

 内蒙古省から流れてくる黄河は干上がっている。 

 当局は当面の干魃対策手当に四億元を投じたが、これから被災地域の食料援助などに867億元、農業支援に100億元。合計で971億元(邦貨換算1兆3000億円に相当)の被害と見積もられている。

 

 沿岸部の都会では既報のように田舎から舞い戻った2000万人の民工潮に職がなく、不穏な空気が溢れていて、暴動が予測されており、軍の移動が始まっている様子だ。

2008-01-17

南京大虐殺より花園口決堤事件の方が酷い件について

中国軍日本軍の進軍を阻止する為に黄河の堤防を壊した事件なんだけどこれで89万人死んでるんだよね

2008-01-05

ログ読み完了

正月の3、4倍近いログが流れてますね・・・。

これはあれですか?

今日から仕事ネットにはつながるが仕事もロクにない人たちがおおかったのでしょうか?

南京だらけでした。

南京の虐殺がどうこうは自分はその時代に生きてはいないし、

別にだからどうしたとも思わないので追求する気も、それで自分の責任を問われるつもりもさらさらありません。

ただ中国人とは隣国どうしなかよくやっていきたいです。

昔のことばかりごちゃごちゃ言うやつとは仲良くやれそうにありませんが、

そんなのは中国でも一部の思想をもったひとだけだろうし、

日本でも特定の思想をもったひとたちだけなのであまり気にしてません。

で、南京どうこう言ってるひとたちは・・・

長江黄河が書き込めるぐらいの中国地図を書いたとして、

南京がどこにあるか指し示せますか?

ちょっとふつうにテストしてみたいな。。。

 
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