「進路変更」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 進路変更とは

2021-06-04

ニュージーランドにおける教育について

ニュージーランド教育個性尊重した自由スタイルだということでこれを絶賛する日本人がとにかく多いのだが、個人的にはこの国の教育は、少数のできる子供と驚くほどに学力の低い大多数の子供を量産し、この大多数の子供たちはひたすら頭の回転が鈍く、機転を利かせることもできず、教科書通りにしかできない、しか自己主張だけは異常にするようになる。主張が見当違いであってもお構いなしだ。こういった駄々っ子のような大人を量産するニュージーランド教育システム果たして日本人理想なのか、ということを今回は書く。また、日本人教育スタイルとの相性の悪さについても書いていく。

ニュージーランドでは、初等教育では「みんなで集まっていろいろなアクティティをしながらいろいろと学んでいく」というスタイルをとっており、時間割というもの存在していない(教員の間では何かしらあるとは思うが)。そのため、子どもたちの文房具はすべて学校で預かっており(これについては忘れ物がなくなるのでいいと思う)、子どもカバンの中は基本的には弁当水筒おやつしか入っていない。あとは男子場合はなぜか拾ってきた石や枝が入っていることもある。

算数についてはなぜか2+2とか4+4みたいな式ばかりをやってテストはしていないようだ。そのため子供たちにとって足し算は2+2や4+4であり、5+3や8+2ではなくなるという不思議現象が起こる。1の塊が10個集まってというような教え方をしているようには見えない。みんなでテレビ番組を見てそれについてどう思うかの意見を述べるとか、プレゼンテーションをやることもあるので、人前で話す度胸のようなものはついていく。

学校にはデジタルデバイスが完備されており、子どもたちは思い思いに絵をかいたり、ゲームをやったり、本を読んだりしているのだが、これもいつしか「それだけ」になっていく。要は読み書きと変なそろばんの使い方以外は「これだけ」という子供になっていく。日本学校では子供たちが好むと好まざるとにかかわらず一通りの教科をやるし、宿題も出る。いろいろなことも覚えなくてはならない。ニュージーランド教育ではそういった物事を覚えるよりもものすごく浅いレベルで「こういうものがある」くらいで終わっているように見えるが、この結果、掛け算九九もできない大人が量産されていく。掛け算九九すらもできないことがいいことか悪いことかは各人の思いがあるだろうが、私はかなりまずいと思っている。

中等教育に行くと子供たちは選択授業を行うようになる。この選択制というのが日本人とすこぶる相性が悪いと思う。日本人は「中学校から選択制なんて進んでいる!子供たちの個性に合わせた教育!」と大絶賛するようだが、子どもたちの個性などガン無視社会の肥やしを育てている一面があることにあまり気づいていないのかもしれない。

ここでニュージーランド教育制度について少し書いておくと、ニュージーランドは「今年何がしたいか」ではなく「去年何をしたか」を重視する。なので例えば今年は数学をやって、来年音楽をやるというような好奇心に基づいた選択を続けると、最終的に「1年生のまま卒業した子供」になっていく。もちろん大学に進学することはできない。

これは、各科目ごとに設定されたレベルによる。例えばレベル2の科目を選択するには、その科目のレベル1をクリアしていること、という条件が設定されている。なので、いきなりレベル2になることはできない(学校によっては試験をやってパスしたら認める程度の柔軟性はあるようだが)。そして、高校年次に入ると、この「前提条件」が複雑になる。物理を取るのであれば、数学レベルいくつ以上、科学レベルいくつ以上を良好な成績(meritやexcellent)でパスしていることというようになっていく。これの意味するところは、「中学校になったら子供たちは将来の進路をある程度決めておかなくてはならない」ということだ。この目標に合わせた授業選択、というもの理解できないと単に個性尊重されて終わることになる。

例えば中学校の年次では「将来機械工になりたいのでそのための選択をする」とやって起き、高校1年次で「難しすぎた、進路変更したい」というときものすごい困難が子供たちを襲うことになる。例えば、配管や大工といったある程度関係がある進路であれば、多少差分を埋めることで進路変更ができたりそのままスイッチすることもできるが、例えば、ペットテイマーになるとしたらもう不可能差分を埋めるためのすさまじい努力必要になる。そのためニュージーランドでは20歳くらいまで高校生をやることも珍しくない。

ニュージーランドでは、高校までは義務教育だが、日本でいう高校の年次からは進学するかどうかを選択することができ、中学校までの課程で終わる子供たちが多い。彼らに聞くと「学校意味を感じなくなった、社会に出てしまったほうが早いと思ったから」という人がちらほらいるのだが、これはニュージーランドの硬直した教育制度が影響しているようにも見える。

一方日本ではどうだろうか?

自分達が行く高校は割とぎりぎりまで保留できるし、高校でも科目は幅広い。理系文系選択が2年生になって始まるが、オーバーラップする部分も大きい。

大学も結局受験の時まで自分たちがどれだけ努力してきたかしかない。どの科目を選択たか、ということは問われない。現実的に考えて自分偏差値と照らして入れそうか、しかない。

試験に受かりさえすればそれでいい、社会に出るときもそうで、学歴と全く関係ない仕事を選ぶこともできる。大学在学中に趣味で何かをやってきてそれを仕事にしたいと考える自由日本にはあるし、日本人はそれを前提にするので、この「中学校に入るころにはある程度の方向性を決め、高校に入ったら確定的に学んでいく」というスタイル理解できないかもしれない。理解できないがゆえに「個性尊重の素晴らしい教育スタイル」というように見えるかもしれないが、個人的には日本のそれよりも地獄感が高い。中学校に入った時点で10か年計画を立てろと言われるのだから

就職活動をしていると「この学部出てないならダメ」と言われ、大学受験をすると「これらの科目をパスしていないかダメ」と言われ、高校では「前年にこの科目をパスしてないかダメ」といわれるのだ。これがニュージーランド教育システムだ。

次に、なんでニュージーランド人がこうも石頭なのかというと、この教育制度のせいで「深く考えるよりは試験パスする」ということを重視するからではないかと思っている。ニュージーランドでは毎年行われるNCEAという試験合格し続けないと大学に行くことはできない。そのため、何か一つの科目を恐ろしいレベルで数年間突き詰めるということはできないし、趣味として何か別のことをやって知見を広めるということもできない。選択授業であるがゆえに、その科目の試験もそれなりに難しいらしいからだ。効率よく勉強できるとか、お金があって塾や家庭教師を雇える、学校に多額の寄付金を支払って充実した学校に通うことができる富裕層の子供はその限りではないが。

また、数学では電卓使用許可される。「計算間違いで減点される日本数学不条理すぎ!ニュージーランドは素晴らしい!」という人もよく見かけるが、日本数学教育は「問題理解して、間違えないように計算する」ことが求められるが、ニュージーランドでは「問題理解してそれに合わせて正しく電卓を利用する」が求められる。初等教育では足し算は2+2や4+4であるというのは要はここにあると思う。電卓を正しく使えれば足し算は間違えようがない。

これの恐ろしさは「電卓がなければ計算がまるっきりできない」ということだ。つまり電気のないところに住むことはできない。日本人の中にはたまにものすごい田舎に住むようなことをする人がいるが、これは「電気がなくてもどうにかなる程度の知識スキル自然に身についたものとしてある、多少の計算は手と頭でどうにかできる」ということでもある。西洋人のやるアウトドアアクティティが異様に近代的なのもこれが理由かもしれない。

よく言われるのが「西洋人はお釣り計算ができない」というものだ。

例えば$15.20会計に対して$25.20を支払った場合店員の反応は$5.20を突き返してお釣りを$4.80返してくるか、意味が分からなくてしばらく固まる。レジ会計を打つ前に支払いが間に合うと、$5.20を突き返してきて$20レジを打つか、まれにいるその通りにレジを打った店員はお釣り$10になることに感動する。日本人はこの計算が一瞬でできる。

また、ニュージーランド人は自分で考えるよりはガイドラインに従うことを選ぶ。そしてガイドラインの間に落ち込んだ事象はすべて無視される。子供の時からとにかくルール通りに動くことが要求されるからだし、のちにどんな問題が起ころうとも「自分ルールに従っている!」というためだろう。たとえ問題に気づいていてもスコープ外なら無視ができる。だが自分たちに火の粉が降りかかると容赦しない。ひたすら人のせいにし続ける、自己主張をする。交通ルールを破って怒られても平気で逆切れする。こういう人々を量産するのがニュージーランドといってもいいかもしれない。

そういうわけなので、自分の子供が将来について13歳くらいか戦略的に考えられ、家庭にもある程度のお金がある、給料の良い仕事に就けるのであれば、子ども人生が有利に転がるかもしれないが、ニュージーランド移住する人にそういう人はなかなかいないと思うので、やはりニュージーランドへの移住お勧めしない。

2021-05-28

anond:20210528083414

肉眼で見える範囲って2キロくらいだっけ、あとでかい船だと進路変更に数キロかかるって聞くから意思疎通が難しいとぶつかるケースもあるやろうね

知らんけど

2021-03-12

大学進学でお金でもめた話

もう親の立場になる年なんだけど、未だに自分の親がわからないし、信頼関係回復しきれていない。

通っていた高校は、2年生で社会科選択科目で、3年生で文系理系クラス分けをするカリキュラムになっていた。

とはいえ、3年の理系文系を見据えての2年の選択科目なので、2年のクラス分けで9割方進路が決まる。

履修希望は前の年度の年末くらいに出すので、1年生の秋には大体の方向性を決めなきゃいけない。

大学に行くなら浪人下宿も不可といわれていたので、志望校も限られてしまう。

薬学部法学部に行きたかったので、色々考えた。

薬学部は、家から通える国立大学はまず無理。私立なら学力的には大丈夫だけど学費が高い。

法学部ならなんとか国立視野に入るか・・・と悩んで親に相談したところ、「学費大丈夫から頑張りなさい」と言ってくれた。

毎年の三者面談でも進路の話をして、東京近郊の私立薬学部中心に国立受験してみようということになっていた。

最終的には、国立C判定。私立ならいくつかA判定出てたから、大丈夫かな・・・と思っていた。

明日からセンター試験という夜に、軽い口調で親が言った。「国立しかダメ私立は受けてもいいけど学費払えないからね」

本人大混乱。

呆然としつつもなんとか試験を終えて、話し合ってわかったこと。

私が難易度学費やその他諸々の説明をしたのは、聞き流していた。学費ノープランだった。最初から

出願後に学費を見たら、国立はともかく私立は払えない。だから諦めなさいと言った。

まり受験結果の如何にかかわらず、私立薬学部への進学は無理。国立ならまだいいから頑張れと。

そりゃー信頼関係なくなりますよね。どうして土壇場でひっくり返すのか。今までの話し合いはなんだったのか。

もっと手前ならまだ手があったかもしれないのに。

結局、国立は落ちて私立はいくつか受かったけど、もちろん進学出来ない。

気持ちを立て直して、2月中旬から出願できて学費比較的安い私立工学部に出願、合格して進学。

工学部は第三希望ではあったので、進路変更ギリギリセーフというところか。

親は結果オーライと笑ったが、そんな気持ちにはなれなかった。

親御さんにお願いします。

子供経済的な話はしにくいかもしれないけど、ちゃんと伝えてください。

方向転換は後になればなるほどつらいし、対処も大変になります

あの目の前が真っ暗になるような大混乱は誰にも体験させたくない。

追記

センター試験の前に私立に出願していて、お金払ったのに受験しないなんて!と親から詰られたため、受験しました。

・その時点から出願できて費用場所的に通える学校のうち、学ぶ内容に興味が持てたのが工学部のその学科だったのが選定理由です。

薬剤師弁護士になりたかったので、薬学部法学部の2択でした。薬学部ダメなら医療系なら何でもいいとは考えもつきませんでした。

学費国立分と同額を親から、あとは親戚から借金入学費用)と奨学金バイト代でまかないました。借金入学後にバイト代で、奨学金卒業後分割で返済済み。

薬学部学費が高いのはわかっていたので、具体例を挙げて親に相談していたのです。厳しいなら特待生制度とか志望学部をを変えるとかも伝えての「大丈夫から」でした。

2021-02-22

違反切符切られた。日本死ね

前々からおかしいと思いつつしかたないで済ませてきたけど、でも、悪いけどやっぱりおかしいから声にします。

交通違反けしからんです。実にけしからんドライバーは人の命を預かる人間としての節度が問われます

資料調べたら平成30年の1年間で820,678件も発生してるんですよ。交通違反だけで。

なんと1日で2248.4件。なんてけしからん

交通違反といえば無免許酒気帯び携帯電話スピード違反あたりが事故に直結する危険違反

意図的でなければ起こらない違反でもある。そういう違反をする人間は本当に免許を取り上げてほしい。

それを踏まえて、平成30年度の違反内訳を見てみましょう。

・無免許 1,068件

・酒酔い 35件

・及び酒気帯び(0.15mg/l以上、0.25mg/l以上含む) 780件

携帯電話 64,825件

・速度超過 62,958件

携帯電話と速度超過は流石に多いなって印象ですが、それでもどちらも10%以下。

酒酔い、酒気帯びに関しては合計しても0.1%にしかなりませんでした。

あれ?なんか思ってたのと違うな。

では違反として最も多く取り締まられているものは何か。

それが通行禁止違反です。

通行禁止違反とは、車両進入禁止標識のある道路に進入してしまうこと。

主に一方通行の逆走などですが、これ以外に、時間帯によって右折や直線などが禁止されている交差点で誤って禁止されている方向に進んでしまうことも含まれます

よく見ると8-20は直線左折のみといった内容の標識道路脇にぽつん立っていたりするやつです。

ほぼ毎日、同じ場所におまわりさんが立って取締をしています

わたしが切られたのもこの切符です。

幹線道路に交差する細道からの直進が、8時から12時まで禁止されているというものでした。

たまに通るとき夕方だったので、昼の間に直進できないとは知りませんでした。

物陰から出てくる出てくる警察官

違反したのは自分が悪いです。でも、そこにずっといたなら直進が危険だと知らせるべきじゃないですか?

これみよがしにピーピー笛吹きやがって。マジで日本死ねよ。

平成30年度の通行禁止違反は、その数実に146,824件。

違反件数全体の18%にのぼります

言われてぴんとくる人もいると思いますが、多いんです。取締が。

そりゃ現行犯(?)が基本の取締ですからそうせざるを得ないこともわかります。でも、他の明らかに危険違反と比べて多すぎやしませんか?

ついで一時不停止が135,143件。その後に信号無視が118,602件と続き、こちらもとても多くの件数が取締されています

この二つはわからなくないですが、それでも場所によっては分かりづらい場所も多く、そういうところに限って取締が多いのも事実です。

更に続くのが、進路変更違反83,446件。指定通行区分違反が63,572件となっています

進路変更違反黄色い車線をまたいで車線変更をしてしまった場合指定通行区分違反左折・直進・右折などが指定されている車線から指定を守らないで進行してしまった場合などです。

はい。これも実によく同じ場所で取締をしているパターンです。

昭和通り沿い、上野駅近く大きな歩道橋下なんて、3回通れば1回は違反取締を見るくらいの頻度です。

この道なんて特にそうで、走ったことのある人はわかると思いますが、昭和通り3車線のうち路駐で左側一車線が潰れているところから黄色車線が断続的に続いている上に突然右車線が浅草通り方面への右折車線に限定されてしまうので、知らないと勝手に別の道路に連れて行かれそうになります

しかも知っている人は交差点手前から真ん中の車線にいるので、右側車線だけが場合によっては御徒町を越えたくらいかガラガラだったりして、気付いたら右折車線の直前まで進入してしまっていて判断時間が極端に短くなるなんてことも重なったりします。

何が言いたいのかと言うと、それはもう道路側の問題だろうと。

運転免許制ですので、ハンドルを握り続ける以上は常に知識意識アップデートして安全運転に務めることが求められます

から、知らなかった。わからなかった。ですまされないものだということも理解できます

ただ、この道路に限って言えば、昭和通り路駐交差点手前からしばらくの間だけでもなくなっていれば、結果的中央車線の通りが良くなってほぼ解決する問題でもあります

それって、本来取り締まるべきものが逆転してしまっていませんか?

お前ら黄色ライン超える車ばっかり睨みつけてないで、手前の道路駐車違反を一掃してこいよ!と。

通行禁止違反指定通行区分違反進路変更違反だけで、年間293,842件という取締数は異常だろ。

取締数だけでそれだけということは、実際の数は更に数倍に膨れ上がるわけですが、本当にそれだけの件数ドライバー意図的違反を行おうとしているのでしょうか。

もう一度いいますが、それはもう道路側の問題だろうと。

その道路標識の視認性が悪すぎるだろうと。

そこに至るまでの道路状況が悪いまま放置され過ぎだろうと。

そもそもそれをなんとかするのが警察役割だろうと。

さて。

話は変わりますがここで違反金について考えてみたいと思います

普通自動車場合、通行禁止違反が7,000円、指定通行区分進路変更で6,000円の違反金を支払う必要があります

これをそれぞれの件数で掛け合わせてみると、この3つの違反だけでも、都内だけで年間19億円の違反金が警視庁に支払われている計算です。

一時不停止、信号無視についても、個人的にはとても判断が難しい道路などがあるので全てをドライバー責任だとは言いたくありませんが、それを除いたとしてもこれだけの金額違反金として支払われている状況なのですが、これって異常だと思いませんか。

道路上の安全を守るべきが警察職務であるのに、年間にそれだけの件数違反が発生する交差点道路上の問題放置しているのは職務怠慢であり、もしそれが違反金欲しさに放置されていたとしたならば、重大な責任問題さえ発生しかねないくらいの大きな問題だと言えます

いくらなんでもこれではもはや事実上の通行税。そんなのが許されるならマジで日本は死んでくれ。

もちろん交通事故はなくなってほしいです。

そのために取締が強化されることは致し方ないことだと思いつつ、道路上の危険放置されているとも言える状況で、取締数と違反金だけが増えていくのは果たして正しいことなのか疑問でしかありません。

そもそも警察にはもっと取り締まってほしい違反があります

それが一部の悪質な駐停車禁止違反です。

平成30年違反件数で45,582件はそれだけでもかなりの数ですが、それでも携帯電話の64,825件、速度超過の62,958件に比べれば少ないです。

何も路上駐車の全てを取り締まれはいいません。特に物流に関するものについてはルールを定めた上で緩和されるべきだと思います

ただ、特にタクシーによる駐停車禁止区域(主に交差点内とその端から5m以内、横断歩道から前後5m以内、車線変更禁止ラインのある右左折レーン)での客の乗せおろしは、歩行者を巻き込む事故に容易につながる本当にけしからん問題なので取締を強化すべきです。

曲がりなりにもプロを名乗る人たちが目先の売上を優先して堂々と違反行為を繰り返しているのが見逃されているのに、道路側の問題とも言える違反によって普通ドライバーばかりが取締されるのはどう考えてもおかしいです。

最後に、自動車販売台数が下がっていく一方らしいですが、標識交通ルールの分かりづらい場所に限って取締を強化しているような道路なんて走りたくないっていう気持ちが、そこにとどめを刺しにいっているような気がするので車メーカーさんも何かしらの働きかけが必要な時期にきているのかなって思いました。

自分必要に迫られてハンドルを握ってるだけで、こんな道路普通に考えて走りたいなんて思わないよ。これじゃ日本死ぬよ。警察に殺されかけてます

参考資料

警視庁統計 平成30年交通関係法令違反取締状況より

https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.files/ktd020.pdf

2021-01-21

anond:20210121114601

お気持ちわかります子供からみると親が喧嘩・言い合いをするのは秒でストレスマックスですごく困るんですよね

でもちょっと考えてみて下さい、あなたも親のことを体の良い自分専用の奴隷だとおもっていませんか?

ですが2人め不妊などと言った言葉もあるとおり、兄弟が欲しければすこし我慢を覚えないといけません。

お金のことも考えると2人目はもう無理といった雰囲気になっていないでしょうか?

 

収入額はもう少ないので仕方がありません。

おそらく子供が2人になると保育園代などを考えても奥さん収入額を上回るので、ならばやめて奥さんが家で2人とも見るほうがマシとなるでしょう。

でも38歳で25万の収入昇給なしとあります。このまま子供大学いかせることは無理でしょう。

子供が1人しかいないうちに進路変更キャリアアップを考えるべきです。

実際は35歳までの間のほうが転職は楽でしたが。1歳くらい鯖をよんで37歳で35歳までの募集に応募するか、おもいきって起業して2箇所以から仕事を請けるようにするか。

あとは、普通この共働きでしたらおじいちゃんおばあちゃんに小さい間だけでも同居をお願いして母子とも子守で甘やかしてもらう時期なのに無理に3人で暮らしている状態といえるでしょう。32歳での妊娠というだけでも頑張っているのに奥さんコロナやその他の病気でもしたら大変なことになりそうですね。入院保険かけておかないと人生が綱わたりですね。

まああなたがメルモちゃんの赤い飴玉を手に入れるしかなさそうです。がんばってください。

 

体重について付記いたしますと、子供は規格製品ではありませんので、動いて楽しそうにくらしていれば体重が数%標準からずれていても気にする必要はありません。ただビタミンタンパク質塩分など、なにかが足りなくて常にお腹が物足りないと思ってカロリーの過剰摂取になっている可能性がありますので、栄養の内容は自分でしっかりみなおし、本当に欲しいのはなんなのかをしっかり母親さんにつたえてあげてください。保育園運動して汗をかいてノドがかわいたのなら塩こんぶとお茶なり、ナトリウム入りのイオン飲料だけでも満足できたりするものです。小さく小分けして傷みにくい食品は難しいですが、たとえば蜜柑缶詰をあけて製氷皿で2~3粒ずつわけて凍らせるなどでおいしいひとくちアイスができるものです。こしあんを小さめの蓋付き製氷皿にいれて凍らせても凍らないねっちり状態で保存し、必要なだけスプーンでほじくってハイハインにのせてもらうとかもいいですね。子供ラムネのような血糖値がすぐにあがるものであれば1粒でも満足できたりします。

また医者に通っているということですが、そもそも医者でもらうお薬の副作用肥満が出ることもあるので、それは皮膚科病気をしっかり直して薬が要らない状態を保つほうが先決です。

思春期になったら自然痩せることもありますし、先祖代々低血糖をおこしやすいため少量で頻回食べている家系もあります個性がでてくる、それが言語化できるのはまだまだ先ですが、今から研究してみて下さい。

2021-01-13

コロナ禍における若者機会損失について

注:タイトル・本文における機会損失ビジネス用語においての意味ではなく、本来得られるはずの機会を失ったことという意味合いで使っています。(ご指摘があったので)

昨日、こんなツイートを目にしました。

"人生における機会損失って大きいんだよね。コロナ禍に人生ターニングポイントが(たまたま)来ちゃった人に対して「みんな自粛してるから」って言っても公平じゃないよ。"

https://twitter.com/chiku0520/status/1348604137311596544?s=21

いろいろと思うところがありました。

実は私はミュージカル女優を目指す20代前半女性コロナ流行る少し前に上京してきました。

そんな、「コロナ禍において人生ターニングポイントたまたま来ちゃった」私から若者の「人生における機会損失」について、考えたことをお話ししたいと思います

★前半はミュージカルに関する内容も多いので、一般的な主張だけ読みたい方は真ん中あたりまでとばしてください。

【1番大変だし優先すべきは医療現場自粛に協力しなければいけないということは頭では理解しているし、実際に、行政に求められている水準に基づいて自粛はしている。ということを念頭に読んでいただくようお願いいたします。】

上京した頃は、まさかこんな世の中になるとは想像していませんでした。そして、コロナ流行り出した当初は、こんなにも長引くものだとは思ってもいませんでした。

去年1年で舞台に立てたのは、コロナ流行る前の1本だけ。出演予定だったライブコンサートミュージカルは続々と延期・中止が決まりオーディションリモートになったりなくなったり、残念な一年でした。

ミュージカル俳優にとってはまさに氷河期です。

数年後、コロナ収束して、舞台芸術も元通りになったころに頑張ればいいじゃん!と思われるかもしれません。

しかし、年齢はコロナ収束をまってくれないのです。

経験を積めずに歳だけとってしまった俳優に、市場価値はありません。

新人を起用するなら新しく台頭してきた若い世代を使うでしょう。

本来だったらチャンスを掴む機会があったかもしれない、貴重な経験をたくさん積めたかもしれない大切な期間は、コロナによって空白になってしまいました。

自己犠牲払って自粛に協力して、コロナが収まったとしても、コロナ禍で若い時代を過ごした私達に、損失した何かを補填してくれるわけじゃないですよね。

しろ社会が動き出した頃には、もとに戻ったー!!よかったーー!!と言う雰囲気にのまれて、コロナの影に隠れていろんな人の人生選択肢が消えていったことなんて忘れられると思う。

マイナスからスタートを強いられるのに、配慮補償も当然ありません。

まり、「コロナのせいで」たくさんの犠牲を払ったとしても、社会からは、実質的に「コロナのせいにするな」という扱いを受けるということです。

そして、そんな人生を、自分の力でどうにかしていかなければなりません。

感情だけでしゃべると、「自分のことしか考えてない」「共感性、想像力がない」迷惑若者っていうけど、感染拡大防止のためにわたし人生犠牲にしたとしても、だれも責任とってくれないでしょ?っていうところです。極論かもしれませんが。

どんなに辛いことがあっても、「仕方ない」「我慢するしかない」で済まされてしまうことに疲れました。そして、世の中にはもっと大変な人がいるんだから!みんな大変なんだから!と、贅沢な悩み扱いされることにも疲れました。

非常時だから権利なんか主張しちゃいけない!って、まるで戦時中みたいだと思ってしまます政治的イデオロギーに基づいた発言ではないです)。

国としてホイホイ補償できるわけではないのも分かるし、そもそも機会損失お金解決できるようなことではありません。

せめて、今、自分のことは自分責任とれるように考えさせてほしい、行動させてほしいというのが正直な願いです。

----------------------------------------

もし、投稿をご覧になった俳優の先輩方がいらっしゃいましたら、こんなことを思われるかもしれません。

俳優という道を選んだ以上、どんなことがおこっても動揺しない覚悟ができていないのが悪い

→全くその通りです。その点については私の考えが甘かったです。申し訳ございません。

・そんな年齢で諦めていたらどうせ大成しない

→ごもっともです。どんなに売れなくても、お芝居をやりたいと言う気持ちがある限り、頑張るつもりでいますしかし、上京1年目にこのような状況になったことはとても苦しかったし、20代前半の大切な1年がほぼ空白になってしまったのは大きな損失であると考えています

コロナ禍でもできることはたくさんあったはず。その過ごし方次第で人生は変えられる。

→まさにその通りだと思います。私も、自分で歌動画配信したり、複数人での配信企画積極的に参加したり、オンラインレッスンを受けたり、取り組めることはたくさんありました。しかし、コロナがなかった場合と同程度のものを得られたかというと、そうは思えません。

コロナがなかったとしてもチャンス掴めてたかからないようなレベルのやつが、コロナのせいにしてごちゃごちゃ言うな

→実際に私は商業作品には出演したことがないですし、箸にも棒にもかからないやつかもしれません。しかし、チャンスがあった上でダメだったのと、チャンスすらなかったのでは、意味が大きく違うと考えています

----------------------------------------

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。わたしの考えも、未熟なところが多々あると自覚しておりますので、賛否両論あると思います。お叱りの声でもなんでも甘んじて受け入れますので、是非コメント頂けると嬉しいです。

追記:

厳しいコメントをくださった方も、温かいコメントをくださった方もありがとうございますひとつひとつ目を通させていただきました。若者甘ったれお気持ち表明にこんなにも反響を頂けて涙目です( ; ; )

本当はひとつひとつのご意見に返信させていただきたいのですが、難しそうです、申し訳ありません。

私はここに投稿するのが初めてで、普段から見ているわけでもないのですが、匿名で、自分の感じていることを何か発信できないかと思い、この場を選びました。

そのため、この場における文化などを理解しておらず、不快な思いをさせてしま申し訳ありませんでした。ハッシュタグは削除し、ご指摘があった表現に関しては訂正しました。転載ではありません。

また、今回は、コロナ禍における若者という自分立場から当事者性をもった発信ができればと考えておりました。わたしが今回主張したような世の中の変容による理不尽は、コメントしていただいた通り、過去にもあったことは十分存じています就職氷河期震災豪雨による災害など)。また、若者けが辛い思いをしているわけではないということも理解していますしかし、それらの事実によって、私の主張は妨げられないと考えています

昔はこうだったから今も我慢しろ。みんな辛いんだからお前も我慢しろ。という足の引っ張り合いでは世の中は良くならないと思いますし、みんなで不幸になるだけです。コロナで辛い思いをしている人はたくさんいるはずなんだから、むしろ、多様な立場から多様な主張がなされるべきです。私もいろんな方の置かれている状況について、詳細に理解しているわけではありません。今回は、わたし立場からコロナ禍の若者がどのような状況に置かれているのか、どのような想いを抱いているのかについて、異なる層の方にも知っていただきく、書かせていただきました。もちろん、わたし意見若者代表というわけではないですし、一個人として感じていることにすぎませんが。どうにもならないことだったとしても、せめて、想いを発信することは許されるべきだと考えています

また、従来の天災金融危機と異なる点としては、新型コロナウィルスのものによる影響というより、新型コロナウィルスへの向き合い方(感染対策に関する政策世間の風潮等)による影響が及ぼす力が非常に大きいと言う点です。よって、従来の場合よりも、柔軟に対応できる幅は大きいのではないかと考えています

今回の件に関しては補償配慮を求めても仕方ないのは分かっているので、せめて、根拠に基づいた工夫がなされた感染対策が行われ、少しでも生活安心感が向上し、世の中が寛容になることによって、若者自己決定できる幅や行動を起こせる幅が広がればいいなと思います

また、「YouTubeSNSなど、ネット上に活動の場がある時代においてこんなことを言っているのは甘えである。」というご意見いただきました。これについては非常に難しい点で、皆さんが想像する以上に、インパクトがあってクオリティの高いものを、役者個人予算技術力で作ることは困難です。

昨年の緊急事態宣言以降、役者アーティストも、皆が、いまできること、自分にできることをやろう!と、多くの発信をするあまりネットメディア上の芸術は飽和状態となりました。リモート歌ってみた踊ってみた、インスタライブ配信アプリによる配信、等々…。対して、今お客様の口からきかれるのは、「生のエンターテイメント」「生の芸術」を感じたい、映像配信代替にはならない。ということです。このような状況で、高い評価を得る作品を残すには、相当なクオリティ必要とされます。実際に、本当に自己満にすぎないものや、応援しているファンの方がみて満足する程度にとどまるものほとんどで、第三者立場から見たら、無価値ものが多いです。

また、舞台俳優アイドルと違い、自身存在のものに対する価値があるというよりも、役者もつ持つ技に価値を置かれている場合の方が多いです。よって、お客様立場からすると、「この人のためならなんでもみる!!」っていうようなもんでもないので、当然、要求されるクオリティは上がります

わたし客観的にみて、価値があると思えたもので、かつ素人出演者の大多数を占めている公式企画でないものの1つである作品リンクを貼っておきますが、この規模の作品を個々人で作るのは不可能だと思います

https://youtu.be/HIGYucZYhrA

西野さんアレルギーらしき方にコメントされたので一応…笑。この作品とあるダンスラボ主宰制作されたもので、プペルの本家スタッフ西野さんの息のかかったものではありません。風評被害を避けるためにも書いておきます。また、私は西野さんファンでもなんでもありません。ただ、この作品が、「原作世界ダンスを用いて表現し、映像作品としても高いクオリティアウトプットしている」という点で、優れていると思ったこと、また、原作映画なので、どのようなもの原作となっているのかという雰囲気一般の方にも分かりやすいと思ったこから、例に挙げさせていただきました。)

しかし、ネットメディアにおける芸術表現が飽和状態となっている中、芸術価値のあるものを発信し、インパクトを残すには、これくらいのクオリティ必要だと思います

これは、自分動画配信などに挑戦した上で感じたこと、周りの役者達の活動を見ていて感じたこと、また、SNSで見受けられるお客様意見を見ていて感じたことを含め、総合的に検討した結果です。逃げていると捉えられるかもしれませんが、事実でもあります

こんなに愚痴っといてなんですが、筆者は出来る限り前向きに、今できることを一生懸命考えて活動中です!価値だなんだに関わらず、できることをやるしか道はないので、なんとかもがいていますあきらめたくはないですから!!(まあ、人生そんなもんと諦めて別の幸せを探して生きた方がいいのかもしれないけど…笑)

このお話は駆け出し底辺女優わたし個人意見ではありますが、CAを目指していたけど採用がなかった人、テーマパークダンサーを目指していたけどオーディション自体がなかった人、コロナ就職しようと思っていた業界が潰れ、進路変更をせざるを得なくなり、就活がうまくいかなかった人…同じおもいをしている人が、もしかしたら、あなたの周りにもいるかもしれません。そんな、コロナによって人生選択が大きく変わってしまった人や、コロナによって状況が変わって苦しんでいる人がいたら、温かく応援してあげてほしいです!

ありがとうございました!

2020-12-07

「ぶつかってくる女」を書いた増田ですが、補足

自分が書いたのはこれ

https://anond.hatelabo.jp/20201206124933

で、こちらの増田に関しての話。

https://anond.hatelabo.jp/20201207094010

この方の紹介している「人を避ける方法」は正しい。避けテクを学んだ自分もどこかで仕入れたやり方で、とても有用である

知らなかった方はぜひ試してください。

ただ、この歩き方をしていてもぶつかってくるのが「ぶつかってくる女」なのである

から厄介なのだ

記事には「目が合っていることで逆にぶつかってしまう」という話が出てくるが、自分が書いた「目が合っているのに避けない」はそれとは違う。

この方のいうように、避ける段階で相手の行動がわからなくて目を見てくるわけではない。

それより前の「進行方向に障害物がないか」の確認の段階で目が合っているという話だ。

人混みを避けながら歩く人なら、「相手空気」もある程度読めると思う。

「ああ、相手こちらの進路や避け幅を認識したな」というのも何となくわかるものだ。

その状態こちらの進路や避け幅に意識を向けている状態でも、躊躇せず直進してくるから「ぶつかってくる女」なのだ

「進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。」はそういう意味である

なんなら、こちらが避けていることを確認したらスマホ見出したりするのだ。

次元が違うのである

(一応書いておくとそういう時は残りの0.3もなるべく避けた)

ここからは別の話題

ブコメトラバにいた「最初から0.7じゃなく1.0よければいい」「避け切っていないお前がぶつかり男だ」と言ってくる人の話。

これは絶対やばい奴らだと思う。

まず、人混みで1.0よけるのは0.7の二倍くらい負担が増えるものだ。実際にやれば体感できる。

ひと一人分の歩行スペースを完全に一個ずらすには、自分進路変更だけではなく、前後の人混み三、四人の進路や歩調にも注意を配る必要が出てくるのだ。

0.7のような曖昧さは許されない。

極端に大げさな例を言えば、「初詣のもみくちゃの混雑」で1.0も横に避けたら周りにどれほど迷惑がかかるか、という話でもある。

普通の人混みはあそこまで混んではいないが、それでも1.0は負担が大きい。

こちらとしても、避けられる状況なら最初から1.0避けている。記事にも書いた通り、可能なら普段2.0や3.0で避けているのだ。

問題なのはこの「避け」の感覚がわからないことだ。

普段から「避けない奴」だからこの程度のことも理解できないのである

文章上ですら「そっちが100%避ければいいのに何故しない?避けろ」と迫ってくるのだから、やはり救いようがない。

つくづく自己紹介クローサマである

(避けの感覚がわからないのは、人混みと無縁なだけというパターンもあるだろうがそれは関係ないので省く)

2020-12-06

女性が道を譲らないこととジェンダーロール

本日個人的にとても興味深かった記事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20201205155542

上記記事は、おそらく女性と思われる人物が、道ですれ違う時の回避行動の男女での違いについて個人的検証した結果である

元増田記事の中で女性が道で回避行動を行わない(または遅い)理由について、

女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」のが理由と考えられると述べている。

私は東京在住の男性だ。

私も上記記事増田と同じような検証をしていたことがある。

まあデータもない匿名文書であるが...。

男性はたいてい20~30m手前の段階で0.7避ける。たまにこちらを睨みつけたまま肩を張って直進してくるのもいる。

女性は残り2~3mギリギリのところでやっと0.3避ける人と、まったく避けない人が半々くらい。

この結論上記記事増田と変わらないのだが、私が男性からか、女性回避行動について元増田とはまた少し違った特徴を発見した。

それは私がガードレールの無い道で、20mくらい手前でより安全な方向(車道とは逆の道の端側)に回避した場合は、数秒遅れて、女性も道の端側に進路変更した後、直進してくることがかなりの頻度であったということだ。

元増田のいうように女性がただ避ける気がないだけなら自分が端側に避けた時点で、進路変更をする必要はなくなる。にもかかわらず、わざわざ自分と同じ方向に進路変更する。これはどういうことなのか。

思うに、女性は対男性に関しては、避ける気がないだけでなく、「男がより危険が側(車道側)を歩くべき」という考えがナチュラルにあるのではないだろうか。

から、私が安全な方向に避けた場合は、それが気に入らず、「お前は車道側を歩け」と進路変更してきたわけだ。こうでも考えないと明らかに自然な行動だ。

(ちなみにその時、車道に車が来ているかどうかにかかわらず、このような行動の変容は発生する。)

空間認識能力が低く、ギリギリまでこちらに気づかないタイプ女性ももちろんいるだろう。ただ、そういう女性20m手前ではまったく目が合わないので、こちらを認識してないのが大体わかる。

上記に述べた女性タイプ20m手前から明らかにこちらを認識したうえでそういった行動をとっている。

女性と思われる元増田も、最後に「女性が避けない結果ぶつかるのはわかるけども、男と女がぶつかったらダメージが大きいのは女性から男性が避けてほしい」と述べている。

このように女性の道での回避行動には女性男性に対するジェンダーロール意識もかかわっているのではないかと思った。

この結論自分考察に過ぎないが、それはそれとして、男性危険役割を背負うべきと考えるジェンダー規範は糞だと思う。さっさと廃れてほしい。

別にこのような結論が出たからと言って、私は行動を変えるつもりはなく、相手を問わず人ととして車道側に0.7避ける人間でいようと思う。

anond:20201205155542

もちろん頭のおかしい男もいるが、大多数の男からすればもしぶつかってギャン騒ぎされて痴漢レッテルでも張られようもんなら社会的死だもんな。当然気を付ける。

相手が弱そうだから~弱そうな相手を狙って~」っていうやつがいるが、(原因を問わず物理的に接触した段階で社会は圧倒的に女性の味方なんで、弱そうな相手を選ぶなら女性ではないです。(ひょろひょろのおっさんが一番弱い)

あと避ける幅が0.7人分なのは避けすぎても急な進路変更でまた別の人にぶつかりリスクがあるからだと思う。個人的にはそう。

2020-11-14

九州東北のほうが女性大学受験をさせてもらえる率が高い」は誤り anond:20201111184030

大学入試センター試験(おそらく現行の大学入学共通テストも)は、近年「クラス全員受験」を義務付ける高校が増えており、問題となってるんだよね。その傾向にも地域差があることが想定され、特に国公立大学志望率が高い地方でそのような取り扱いがあることが指摘されている。そのため、センター試験志願率で比較するのはどう見ても適切ではない。センター試験志願者=大学入学志願者という構図が崩れているのだから

学力中間層以下では「大学に進学しようとしていたけど失敗したか専門学校に切り替えた」という進路変更がある程度いるので精密な比較は難しいが、実際の進路(結果)で比較した方がまだ現実を反映していて良いと思う。素直に学校基本調査を使おう。

https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00400001&tstat=000001011528

2020-08-11

あれは希死念慮だったか

盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います

1桁歳の頃、通学路に踏切があった。

カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。

もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ

この仮定場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。

警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。

死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である

こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。

私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。

これは希死念慮でない気がする。

なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。

大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記現象に加えて、死ね環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。

具体的には地下鉄ホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。

地下鉄ホームホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。

ホームドアがある駅は安心感があった。

やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたいはいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。

当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったか漠然未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。

生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。

精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人である自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。

果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこから希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそなのだが。

自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。

私のあれは希死念慮だったのだろうか。

それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。

こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。

今は適応障害も治ったし、通勤ルート踏切はなく、大通りひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車ゆっくりホームに入ってくるから身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。

自分希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空キャラ架空人生エピソードで人を泣かせてみたい。

2020-06-29

anond:20200629133158

後ろを意識していないので急に立ち止まる。本当に急に

缶詰棚と乾物棚の間からて猛スピードで外縁の肉コーナーに突進してくるショッピングカート

棚の間から突進してくるショッピングカートに当たるすれすれになってやっと気づく人たち

内側の棚の交差点ではまだおっさんや爺の方が譲ってくれる気がする

混んでいて人だらけで普通に通るのも難しいのに余裕で流れと逆走

両脇に人が立ち止まっていたり柱で狭くなっている外縁通路を2台のショッピングカートや縦長の台車を引いた店員が通過するのにまず詰まってメンチの切りあいをしてから進路変更する

 

混んでる時間帯のスーパー運転のすべてが詰まっていた

予想以上に

2020-02-16

ADHDかも知れない

まりにも無茶苦茶なしでかしをしたのでここに記す

とある試験の為に電車で某駅の某ビルに向かう予定だった。

これを1度行ったことのある場所なのにやらかした。

更に言うと、ついさっき再申込みをしたら試験科目を間違えた。キャンセルも科目変更も不可能だそうだ。

俺はもう終わりかも知れない。

2019-12-19

学生進路変更を促す幾つかの方法

月曜1~2限に単位取得必須講義もしくは実験科目を置く。

但し授業担当教員が面倒臭がって出席確認も成績評価適当になる可能性が否めないwww

2019-11-28

anond:20191127201601

私も中学の頃から東京藝大デザイン科志望で、別の理由高校へ進学しなかった者です。大学受験資格大検で取りました。

大手美術研究所に高一の歳から通い続けましたので、あなたが考えているようなことを実行したことになります

 

結論から言うと、現役合格できませんでした。

絵が下手だったからという訳ではなく、家族は全員美術系で、私自身も小さい頃から周囲が驚くような絵を描いていて受賞経験もありました。

 

では何故藝大受験に失敗したかというと、理由は主に2つあります

 

まず視力が悪かったこと。

大受験の一次試験石膏像は埃ひとつ付いていない真っ白なものが並びます

陽が当たると白くとんでディティールが全く見えません。

運悪く3列目になってしまった場合、眼が悪いと非常に不利です。

池田満寿夫さんはこのクジ運が悪く、毎回遠くて東京大受験に3回失敗したのは有名な話です。

一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。

 

2つ目は、3年間描き続けて受験のための美術に飽きがきてしまたことです。

平面よりも映像等他のことに興味が移ってしまったんですね。

当時は藝大に映像CGの科がありませんでした。

結局留学を経て海外デザイナーをしています

 

ではあなたプランに反対かというと、そうではありません。

高校に行かなくても学べることはたくさんありますし、時間有効に使えば後々無駄にならない貴重な経験ができるでしょう。

もちろん独学で勉強する強めの意思必要です。

 

ただ、15か16歳で周囲は浪人生ばかりになるので友だちを作るのにやや馴染みにくいかもしれません。

社会に出てしまえば歳の差は関係ないですが、その年頃では3歳以上の差は大きいです。

友達大事ですよ。

 

それよりアドバイスしたいのは、もし志望する任天堂に入れなかったり、入ったけれど任天堂が合わなかったり、他にもっと興味を惹かれるものを見つけたとき進路変更できる柔軟性とキャパシティーは持ち続けた方がいいということです。

人生は必ずしも思い描いた通りにならないことが多々ありますし、私自身も進路変更して幸せになりました。

 

道はひとつではないです。

それがわかっていればどんな経験無駄にはなりません。

悔いのないように頑張ってください。

2019-10-08

「強い台風くるって散々言われてるのにイベント心配とかラグビー決勝の心配とかもうやめなよ日本

ひきこもれよ…そういうときに引きこもるクセつけよ…クソ会社に出勤しなくて済む流れにつなげよ…」

 

っていうのをTLで見て、週末1年ぶりのイベントでめちゃくちゃ気合いれていた私は

 

平日だったら仕事心配なんぞせずに速攻有給とって引きこもるわ。

くっっっそ楽しみにしてたものが潰れそうなのに

ギリギリまで開催を心配したり、急に台風進路変更してくれって願うことくらいは良くない!?!?

 

と、ものすごい反発心が生まれ脊髄反射ミュートしてしまった。

仕事なんてどうにでもなることと生きがいを一緒くたにしないで!?と思ったのだけど

いっしょなの…?

私が楽しみにしている事がなくなってしまうかもしれないことを心配するのは

クソ会社に出勤しないといけなくなることに繋がるの…??と自分のこと自体否定されたみたいに感じて泣けてきてしまった。

 

 

 

 

 

とここまで来て情緒不安定すぎるやろ!!!!!!!!!

って気付いたので、これも台風のせいってことにしといたろ!!!

うっせーーークソ会社に出勤するかどうかは自分判断しろばーーーか!!!!!!

早く台風消滅しろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2019-06-20

高知県人口減と脱藩マインド

高知県人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。

少子高齢化人口減と都市地方格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。

昔は「良いところに就職するために、いい大学に入る。

そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートセオリーみたいなものだった。

だが今は、そんなセオリーが崩れている。

いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」

という認識小学生中学生の親世代にあるのではないか

高知県高校大学

その前に、高知県大学高校(及び中高一貫校)の事情説明しておく。

まずは高校

進学実績の点で私立公立かで言えば、私立2校が秀でる。

土佐と学芸のことだが、但し中学受験クリアした者に限る。

1990年代当時の感覚では、

  土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか

であった。

それが今はどうだろう。

県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫高知国際中学高校になった。

老舗の中高一貫校である土佐や学芸にとっては脅威である

しか母体西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクール指定されている。

昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。

次に大学

高知県にある4年制大学国立大学法人高知大学と、高知県大学、そして高知工科大学の3つしかない。

かつては高知医科大学があったが、高知大学合併して高知大学医学部になっている。

たった3校しかない高知県内の大学で、理工系に限ると、

もはや高知大学高知工科大学の2択だ。

更に機械電気情報といった工学系となると高知工科大学しかない。

理系の進学先

受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。

しろ公立学校の方が家計財政的に助かる。

筆者は土佐高校卒業だが、当時人気だった進学先のひとつ岡山大学であった。

遠すぎず、近すぎない大都会岡山である

あるいは首都圏関西の様々な大学であった。

同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。

ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学バラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。

もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。

「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、

生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。

あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部進路変更する。

でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか

まり冒険しなくなった。脱藩マインドが薄れているのだ。

言っておくが国立高知大学高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。

だが、やれハーバードMITスタンフォードだ、東大京大だ、早慶阪大だ、

MARCH関関同立だと比べると田舎大学感は否めない。

そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ

月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。

高知から出るだけで消耗する

どこかのうん○こトマトブロガーのせいではない。

たとえば高知から東京大学に進学するとなると、それだけで大変だ。

平均世帯収入の低い高知から物価の高い東京一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。

筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか

まり金が無い

余裕がないのだ。

一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、

県庁市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。

でもそれで新しい時代が切り開けるか?

消耗しないように高知に残り、消化試合人生は「負け」ではないが

そもそも勝負をしていないのではないか

高知県私立進学校に告ぐ

少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。

ちなみに、土佐高校昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである

どう考えても多すぎる。

学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。

脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。

脱藩マインドを持つ者に磨きをかけろ。世界は広い。

冠する土佐藩の名に叶って欲しい。

でもそうすると、優秀な人材はどんどん高知から離れ、高知県ますます衰退の一途を辿ることになるジレンマがある。

2019-06-12

運転するということ

ツイッターで軽くバズっている動画が流れてきました。それについていろいろと意見リプライでついていたのですがどうも腑に落ちなませんでした。

おそらく撮影主は自動二輪で、前方にはかなり車間を開けて(200mほど?)自動車が走っています。見通しのいい二車線道路で、対向車はいません。少し走ると、自動車が左に寄って減速します。このとき、おそらく撮影主は「先に行かせてくれるのかな?」と思ってそのままのスピード右側にます。すると突然自動車が右折し始め、危うく事故になりかけた。という内容です。

予想通り、自動車ドライバー批判が集中していましたが、私は撮影主にも非があると思います事故を起こしかねないきっかけを作ったのは疑いようもなく自動車ドライバーですが、事故に発展する確率を上げたのは撮影主の方です。それは「譲ってくれているのだろう」という「だろう運転」に原因があります。私だったらこ場合どうするかと問われれば、「減速して安全に追い越しが可能か、状況を見極めてから追い越す」と答えるでしょう。そう答える理由は「ハザードやウィンカーなどの合図を出していない」ことにあります。前方の見通しがとてもいい状況なので、「後方のドライバーには死角になっている障害物などが地面に落ちていて、それを余裕をもって避けようとしているのかもしれない」という想定もできますし、「居眠りなどで運転操作がおぼつかない」ということも考えられます。いずれにせよ、「万が一とはいえ、追い越しをかけようとしたらこちらに危険が及ぶかもしれない」と思考したほうが自分の身を守ることを最優先に考えるのであれば安全であることは明白です。教習所で「だろう運転」ではなく「かもの運転」を心がけるようにと教える場所もあるようですが、私はここに本質があると思っています。この撮影主や、自動車ドライバー批判している人たちが似たような状況を99回経験していて、99回とも安全に追い越しができていたとしても、100回目にはこういったことが起こる「かも」しれません。進路変更を伴う追い越しは基本的には危険と隣合わせですから、その過程事故を起こしてしまっても仕方がない、そのリスクを犯せる程度には安全だ、と言い切れる時にしかしないのが得策だというのが私の個人的信条です。

当然、悪いのは自動車ドライバーです、が、残念ながら過失も含めるとこういったドライバーは数多くいるように感じます。ウィンカーを出さない、突然進路を変更する、変な場所で突然止まる、標識信号無視などなど... そういう人々の中には日常的に交通ルールを破っている人もいれば、その時たまたま操作認識を誤ってしまったという人もいます人間人間です、たとえどんなに調子がよかったとしても間違いは犯してしまものです。誰かがミスをしてしまっても、自分が気をつければ回避できることはたくさんあります私自身そうやって事故回避できたことも、危うく事故を起こしかけた場面で周囲のドライバーに救われたこともあります他人がどうやって運転するかは変えられませんが、自分がどうやって運転するかは変えることができます撮影主に限らず、この件で自動車ドライバーを責めるのは自由ですが、「自分判断一つで事故回避できることがある」という事実を心の片隅に置いておいて欲しい限りです。

2019-05-29

男は警戒しないで外出できるから良いよね

世間話の流れで歳若い女性部下にタイトルのようなことを言われたのだけれど。

俺は外にいる時、常に周囲を警戒している。

攻撃してきそうな奴はいいか危険ものはないか

店に入るときはなるべく壁際の席を確保して近づいてくる相手確認できるようにするし、電車の中での立ち位置はできる限り吟味するようにしているし、車を運転している時だけじゃなくて、歩いている時だって進路変更する前は後方確認してる。

盛り場繁華街には行かないし、夜遅くには出歩かないし、残業で遅くなったら最寄駅からダッシュで帰ってる。

からってトラブルに巻き込まれときは巻き込まれるのだろうけど。

何事もなく過ごせているのはたまたまだとしても、できる限りの安全確保はしているつもり。

で、君はどうなん?

耳にイヤホン突っ込んで、スマホ見ながら歩いて、何かあった時にすぐに走って逃げ出せないような格好して。

人前で身だしなみ整え始めるし、改札前で立ち止まって定期探して通行の邪魔するし、友達といるとき歩道いっぱいに広がってでっかい声で人の悪口言いながらのたのた歩いて前から来る人も後ろから追い越そうとする人も邪魔するし、営業車、レーンの真ん中に止めて電話に出るし。

電車のドア脇で常に人の乗り降り邪魔するし、背負ったバッグでシートの端に座った人の頭を圧迫するし、雨の日は傘で人の足濡らすし。

なんかこう、全方位的に喧嘩売ってくスタイルなんだけど。

それで巻き込まれてもいないトラブルについて、女性から被害者ヅラされると、イラっとくる。

いくら法律が整備されようが治安が良くなろうが、自分の身は自分で守る気概必要でしょ。

守る気概っていうか、トラブルを避けるためのマナーっていうか礼儀っていうか。

別に媚び売れとか胡麻擦れとか気配りとかサービスとか、そういうこと言ってるんじゃないんだよ。

周囲への配慮?的な。

そう、最低限の他人尊厳尊重する礼儀みたいなの、あるじゃん

別に相手ハゲてたりデブだったりする赤の他人通りすがりのおじさんだからって、足踏んで一言もなく済ませていいわけじゃないんだよ。

2019-05-28

anond:20190528213132

そう

精神科医本音精神障碍者死ね

から施設内でまともな医療が行われている可能性はゼロです

施設内で変な死に方しても警察十中八九スルー

そういう状態日本精神医療ならまじめな学生が死亡していてもリアルを知れば進路変更するしほかのスタッフ仕事と割り切ってるだけの空間

精神化の患者になりたくないわ

2019-01-22

狭い道が好き

広い道は嫌い。

車を運転する時の話ね。

広い道って、ウインカーワンチカ野郎や急な進路変更野郎などで疲弊する。

狭い道だとこういったストレス相対的に低減するんだが、妻は狭い道が嫌い。

実速度以上にスピードが出ているように感じたり、離合時の距離感にヒヤッとするそう。

なので、休日のお出掛け時は極力広い道を通るのだが、いつか事故りそう。

2018-11-14

[]ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。

ただその一方で実はこの映画感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分クイーンリアルタイム応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲クイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。

でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。

フィクションでええやないか

んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです

やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線設計エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。

本国広報プロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。

オタクオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーン映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。

気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこ映画の後ろに行ったカップル男性が「あいクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。

からこのレビューでは物語フィクション)としてこの映画おすすめします。

若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。

何もないという窒息

映画はフレディがクイーン前身バンドであるスマイルメンバーに声をかけるあたりからまりますデビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。

何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます

それがすごく良かった。

それは、この映画ロック界のスーパースター伝説偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。

野心を持った若者っていうモチーフ映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。

作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初デビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。

かに伝説バンドクイーンメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年普遍的鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。

生存戦略としての虚勢

から無駄に見栄を張り無駄喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。

生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用成功する。

からこそフレディは問題解決する手法として去勢音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサー揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。

でもその問題解決手法アーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。

溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフ相手確認するとか昭和少女漫画クラスやぞ)。

バンドメンバーとの関係傲慢ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こち解決傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。

全体的にコミュ力中学生レベルでしょう(つらい)。

自分性自認ヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。

そもそも音楽&虚勢という生存戦略アーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活崩壊していく。仕事音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。

バンド危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。

フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。

でも、やっぱり、救いはある

この映画ふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンド精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリムリー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。

喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバー音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。

朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。

もうひとりはジムマイアミハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。

出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディからジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりコメディキャラ位置づけです。

でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジムマイアミハーバー押し付けちゃうわけっすよ。

そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの

でも、ジムマイアミハーバースタジオ演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。

だってさ、たしかクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。

ジムマイアミハーバー弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。

立派な大の男の人生進路変更させてしまう、クイーン音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。

(あとで調べて、彼ジムマイアミハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画制作にも関わったことを知って二度泣けました)

チャンピオンは誰だったのか?

フレディは前述の通り、性自認問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。

でもそういう最悪の時期を、元恋人メアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。

そこから映画クライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分HIV罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。

それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。

でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。

おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。

この曲は確か公開当時「傲慢歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞のものは「俺たちはチャンピオン勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。

でも、そういうふうには聞こえなかった。

しろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分友達鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。

しかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。

人間人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。

苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。

そんな気持ち世界アーティストであろうともそこらに兄ちゃんおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。

から"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。

それがとても良かった。この映画自分に関する物語として見れることが、とても良かった。

これらのことは別段クイーン情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます

この映画は、伝説バンドクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年プライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。

そういうビルドゥングスロマン映画であって、あるいは中途半端知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います

2018-09-02

岐阜市でなかったことになっている交通ルール

黄色線のはみだし禁止車線変更禁止

特に交差点付近黄色線をまたいではダメだと多分99%くらいの岐阜市民は知らない。

・右左折禁止

特に通学通勤時間帯での禁止されているところは多分95%くらい無視されている。

時間禁止でなくても行く先が一方通行の逆走にならなければ青看板全く見ない人が80%くらいいる。

進路変更時のウインカー

車線変更時にウインカーを出すのは20台に1台くらい。

なお50台に1台くらいの割合信号付きの交差点ですらウインカーさない。

10台に1台くらいは生活道路では曲がるときでもウインカーを出さない。

同じくらいの割合で(右)左折専用レーンではウインカーを出さない車がいる。

横断歩道歩行者優先

まぁこれは全国で無視されてる気がする。

バス優先レーン

忠節橋通りとか青く塗ってある意味知ってる人いるのかな?

あと(右)左折専用レーンが先にあるのをわかっていて空いているからそこを行きギリギリで直進レーンに割り込む車は多数います。(右左折キャンセルに近い)

個人的にこいつらが渋滞の原因じゃね?と思って全車一人で事故って死ねって思っています

とにかく岐阜市運転クソだわ。

公立教職採用試験について

本音で生きる!さんのツイート: "新潟県の教員採用試験小学校1次の結果。びっくりするわ。番号がほとんど飛んでいない。倍率が低くなるとどうなるかは言わんでも分かるわな。これは完全に危機ですよ、日本の教育の。… "

当方大学にて教職課程の教員です。このツイートを見ての感想だが

ほんとに目鼻が利いている学生は、教職の授業をうけて、教育社会学とか、生徒指導論とかで

教育現場実態を知り、民間進路変更していきます

状況を見て、自分の頭で考えて、進路変更でき、かつ元は教職を目指そうという意識高い系なので

民間でも、良いところの内定をとってきます

ほんとにこの4,5年、民間の良いところにバンバンきまるので、教職で苦労する意味が薄れています

残った学生は、思い込みの激しい、私なら同僚として一緒に働くにはちょっと難あり系が多い。

10年もしない間に、公教育現場は、この手の人で一杯になる。

大正昭和における高級将校が、学校秀才ばかりになる現象にも似る。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん