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はてなキーワード: 歴史書とは

2019-06-26

anond:20190624173609

>遠くない未来人類は滅ぶ。宇宙は消えてなくなる。もう誰も覚えてはいない。

アインシュタイン一般相対性理論的な世界観に立てば、この空間3次元時間1次元宇宙時空は、数学的には5次元空間中の歪んだ4次元超曲面になっていて、時間空間が渾然一体になった複雑緻密な絵画のようなものだ。

そこには、宇宙の端から端まで、そして宇宙誕生から終末までのあらゆる出来事が描かれており、それを外から眺めることができるような知性ある存在があったとしたら、すでに未来のことまでかかれた歴史書を眺めているようなものだろう。

未来に起きることはもう決まっているし、それを嘆くあなた自身も含めて宇宙と一体とも言えるのだ。

何も心配することはない。そのように宇宙を外から眺めるならば、時間の流れや未来可能性といった全てのことが意味をなさないのだ。

2019-06-21

自分言葉の力制御するなんて大体の人ができない

それゆえ指摘や批判秘境オーバーキルが頻繁に起こる

ゆえにはてな村でも手斧は悪い文明となりすたれることとなった、手斧ですら力の制御は難しかったのだ


そしてツイッターでは言葉の力制御できない人が最大火力で砲撃したり、ファンネル飛ばしまくる宇宙大戦が毎夜観察出来て、

戦闘記録がTogetterはてブ歴史書のように記録されるのである

2019-06-17

anond:20190617233609

きみがいくらないもの現実逃避しても、

繁栄に反する文化は後世の歴史書しか残らないよ。

なぜなら子が残らないから。

2019-06-01

anond:20190601192457

鉛筆あれば、デッサンできるし

テレビ売って、六法全書歴史書でも買えばいいんじゃね

あと、暇なとき医学書みてると飽きないよ

2019-04-25

事実に基づいた客観的日本史を学べる書籍が知りたい

日本史って書くと大雑把すぎるけど、例えば歴史区分限定して「大日本帝国期の日本」とか「江戸時代日本」についての知識を求めて関連書籍を探すと

「当時の日本はこんなに凄かった」とか「当時の日本はこんなにダメだった」みたいな作者の両極的なイデオロギーにまみれた本が多くてどれを選んだらいいのか分からなくなる。なりませんか?

から比較客観的で極力イデオロギーフリー事実ベースで書かれた日本史を学べる書籍を教えてほしいです。

ぶっちゃけこれ本当に重要問題だと思ってる。

近代史で例を挙げると「南京大虐殺」とか「関東大震災朝鮮人虐殺」みたいな歴史事実ひとつとっても、右派はそれらの歴史事実事実ベースで虚偽であったと主張するし、逆に左派歴史事実は認めつつもその実際の被害を過大に計上したりする。

そういう両極的なイデオロギー汚染された書籍記事に触れた読者が「隠された真実」に目覚めてしまうのはもうなんか人が危険ウイルス感染する様なものであって精神衛生上とても良くないと思う。

なので客観的に学べる歴史書籍が知りたいです。

江戸時代なら江戸時代縄文時代なら縄文時代でそれぞれ教えてほしい。

2019-04-15

anond:20190415110010

神話歴史書だよ

当時は事実を羅列する形式歴史書発明されてなかった

から物語形式にする事を誰かが思いついて広まった

イザナギイザナミ最初日本列島にたどり着いた人

海をかき混ぜて淡路島が出来たのは最初の人が漂着したのが淡路島という意味

2019-04-10

追記ネトウヨリテラシー

基本ネトウヨリテラシーがないと言うよりリテラシーがあったらネトウヨにはなってないんだろうな。

はてブで見かけるあるネトウヨとある言葉の出典としてドヤ顔で挙げてた小説名前が間違っていた。

タイプミスはありえないし、作品を知ってるなら間違えようもないのに間違えていた。

北へ。」を「南へ。」と間違えるような感じ。カニホタテがいっぱいじゃなくてミミガーや、豆腐ようがいっぱいなのか・・・

なんでこんな間違いを?と軽くググったら、某知恵袋の答えに同じ間違いを発見

文学作品への教養のなさ、まともな辞典どころか Wikipedia にも正しいのが載ってるのにもかかわらず、知恵袋からかよ。

まあ、信じたい事が書いてあればろくに裏も取らずに知恵袋で知った事を疑いもせずドヤ顔で書き込めるのがネトウヨネトウヨたる所以なんだろうな

【以下追記

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170630-00010000-saitama-l11

で何故か西洋道中膝栗毛東海道中膝栗毛って書いてる人がいるんだよね

ちなみに知恵袋の方は

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1225735707

同時期2chでも類似の間違いはあるけど、同じスレ内で訂正されてる。twitter検索すると同じ様な間違いをしている人も少数見つかるが、まあ知恵袋と同レベルというのは変わりない。

から、黒太陽氏のようにうっかり☆をつけてこの手の人と同レベルだと思われないように注意ね。

あらあらミスター知恵袋さんはさっき検索して見つけてきたコピペ情報今日知識マウント取りに必死なんですね。お可愛いこと……」とスルーするのが一番かな。

最近も「遠の朝廷」だ令のつく熟語などの薄っぺら知識と、その薄っぺらさに反比例する攻撃性でマウントとってるネトウヨの悪い見本みたいなものから

まあ、コピペ職人が作った自称歴史書を有難がったり、アンサイクロペディアから引用するのを全力擁護するネトウヨもまま見かけるので、こういうソース知恵袋レベルでもネトウヨ界隈では「有能」、もしくは「学識ある人」扱いなのかもしれないけど。

2019-04-07

anond:20190407190421

自力歴史書が読めないのでワードサラダにして増田になげたら人が教えてくれると思ってるのかね

2019-03-06

マジ「安」がつく年号がイヤなんですけど。

ちらほらとネットの一部で「次の年号には現総理名字の「安」が来る」とのもっぱらの噂であります

実際に「安」が来たとして、偶然だ、たまたまだとおっしゃる方々もたくさんいらっしゃるしょうが

李下で冠を正さず、今をときめく森羅万象を司る絶大な権力者様の名前と被るのだから一応は候補から外すってのが道理じゃないですかね。

そもそも今までの日本権力者年号自分名前をだなんて、そんなド厚かましい方いらっしゃいましたっけ?

でまぁ冷静に考えて、今の調子ならどんどん日本が衰退するのは間違いないでしょうが

その残念に過ぎていく時代自分の名を冠した年号で、「暗黒の安○時代」てな風に

歴史書にずーっと残るってのはすごく不名誉だと思うんですけどね。

あぁまぁ歴史に名を残すとか最初から考えておられないですよね。

考えていらしたならば政治家としてあんな無様な姿を次々さらし続けるなんてあり得ませんし。

それに、歴史書なんて適当改竄すればよろしいですし(笑)

2019-01-11

昔の学者漢文歴史書とか書いたのに

なんで今の学者英語歴史書書かないの

2019-01-05

anond:20190105220712

なんか「歴史書って言ってるから叩かれる!!」とか言ってる人多くて????ってなってる

古事記とかどうすんねんって思うけど

anond:20190105220454

ないよ。歴史書の方が現象の羅列に近いので色々好き勝手想像やすい。

日本国紀が歴史書で何か問題あるのか?

歴史書小説って何か違いあるっけ?

2018-12-22

anond:20181222003840

こういう奴が歴史書なりの資料を燃やしてきたんだろうなぁ

2018-12-10

anond:20181210144826

なんで鮫島ネタ面白くないのかっていうとやっぱり人間想像力よりも実際の事件の方がよっぽど奇天烈面白いんだよな

鮫島ネタを読むよりも伝奇とか歴史書読んだ方が面白

情報が少なければそれはそれで面白いし

一方、創作はどこか予定調和染みた物があるから想像のくせに想像を超えないんだ

から事実小説より奇なり、ってね

2018-11-25

あいつってそんな重要人物なの?

百田叩きも百田擁護あんまりうまくのれない。楽しめる感じがしない。

つーか、あいつってそんな重要人物なの?

全然作品読んでねーからわかんないけど。

昔さ、缶コーヒーのおまけにちっちゃな飛行機プラモがおまけについてて、コンビニ店頭でその映画がやってるっていうのを知ったんだ。なんかそれが永遠ゼロっていう話題作っていうか話題にしたい作だってのがそれでわかった。

で、飛行機戦争実写映画なんていまどき作ってるんだなーっていうの気になって見に行った。注目のベストセラー作家らしいってのは見る前には知ってた。

ところがストーリー、なんか微妙にちぐはぐだった。なんか雑なんだよなーって思った。

なんかやっぱ第二次世界大戦テーマにするとちょっと左より中道戦争はいけませんよ路線なっちゃうんだよなーって思った。

主人公ぽいのが現代パートで一人、戦争パートで一人出てくるんだけど、戦争パート主人公ゼロ戦乗りは周りに流されない博愛ヒューマニズムあふれる戦後民主主義っぽいメンタルなのね。命を大事にする。でも一応ちゃん仕事戦争)はする。仲間を大事にする。戦友と一緒に戦って戦って、最後特攻機の訓練教官にさせられちゃってたくさん学生特攻させてそれに耐えられなくてメンタル病んで自分特攻してエンディング。まあ期待されるとおりの戦後反戦映画っぽいよね。

ところがすごい邪魔なのがそのゼロ戦乗りの足跡をたどろうとして色々調べて回る青年現代パート。まんまネトウヨっていうか旧軍オタ初級編みたいな痛いムーブする。めっちゃ邪魔。かなりずっとイタタ状態が続く。合コン戦争の話持ち出して難色示されたらキレるとかなんなの君は。ゼロ戦乗りの主人公の方が同席してたら絶対たしなめられるぞ君。現代パートいらなくね?邪魔じゃね?何が言いたいの?全くかみ合ってないよ?

映画を見て、私はてっきり百田って左の作家なのかなーって思ってた。

そしたらね、右で有名な小説家なんだって。右の論客(笑)なんだって。ええー。あんなに左っぽいストーリーだったのに?なんかネトウヨキャラはいたけど。

で、今度の歴史書(笑)の話見て思ったね。

単になんかすげー雑なだけなんだなーって。不必要に注目されたり取り巻きがいるのが自分にとってはだいぶ不思議だけど、すごい雑なことをずばっと意味なく言い切ると信者出てくることがあるってよくあるやつかなって。

すごい雑な何かについて考える時間がもったいなかったなーって思った。

からここに書いて忘れちゃうことにしたのさ。

2018-11-20

頭でっかち」という言葉がある。

わざわざ説明するまでもないと思うが、用は知識ばっかりで行動が伴わない人の事だ。

読書趣味の人は、読むだけではなく実際に行動しよう。という意味理解しているし分かっている。

ビジネス書なら主に会社で行動すればいいし、健康方面の本なら読んだ事を実践すればいい。

だが、古典とか歴史書を読んだ所で何をすればいいんだ。

パッと思いつくのは、こういう風に読んで思った事や、書いてある事のまとめを書く事。しかしこれ意味あるか?

歴史を主にした仕事をしている人や、学生などなら役に立つから意味はあるだろうけど、私はただの社会人一般人

アウトプット、つまり書き上げる工程まで趣味じゃないと一々やってられなくなりそう。なんなら歴史古典なら分かりやすく纏めた本なんて割とあるわけで。

歴史古典といった古き本は娯楽として楽しんで終わっておくのが一番いいのかな。

2018-11-18

数千年の歴史の中で、新しい祭りが生まれ、消えてきた。

祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。

すなわち、豊穣への感謝祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。

そうした祭り起源から、その地の歴史文化を紐解くことが、文化人類学者としての私の仕事の一つだ。

世界中の祭り樹形図のようにつながり、あるところで結びつき、あるところで消えたりする。

しかしながら、そうした系譜に属さず、あたかも以前からそこに存在していたかのように突如として実存する、そのような祭り存在していたとしたら。

しかもそれが、長い歴史で見ればコンマ1秒にも満たない期間に、世界中で同時多発的に出現していたとしたら。

そのような悪夢とも天命とも思われる事態に、私は今直面している。



3年前、ラオスを訪れた際、聞き慣れない祭りを見つけた。

初開催は今から200年前の西暦2018年頃。内容は泥水の上にかけられた細い橋の上を自転車で渡るという、娯楽要素の強いものだ。

そのあたりの時期の情勢と照らし合わせて、少し違和感を覚えたが、まあ分からなくはない。

第1回大会での優勝者は、ダイスケヤガワという男だった。






私はそれを持ち帰って、研究材料にしようと考えたのだが、どのような歴史書を辿ってもその祭り起源が見当たらない。

まあ、起源不明祭りに今まで出会わなかった訳でもない。この祭りもそれらの一例に過ぎない、とその時は考えていた。

これも良い機会か。と、私は今まで起源がわから調査中であった祭りそれから歴史書などには載っていないが現地に行って新たに発見した祭り、などを改めてまとめていった。

すると、至極奇妙な事実が明らかになった。

一つ目はそれらの祭りがどれも2000年代の数年の間に発祥であること。

それからもう一つ。

どの祭りにも第1回大会にはダイスケヤガワの記録があること。



これらの事実が想起させる、ある種馬鹿げた仮説はただひとつダイスケヤガワ、あるいは彼の属する組織がこれらの祭りを造ったのだ。

世界中の村々で。

突然に。

何のためにー。



ハロウィンは昔から日本の一大イベントだ。そこで生まれ経済効果はこの国だけでも数兆円と言われている。

ダイスケヤガワも、そのような経済効果目的として祭りを作った可能性を考えてみた。しかしながら、祭りの内容を鑑みるに、その可能性はほぼ無いに等しかった。

事実それらの祭りが何らかの経済効果を生んだという記録はない。

私は視点を変えて、ダイスケヤガワの人物像を調査することにした。

これだけの短期間に、これだけ多くの祭りに参加しているとなれば、恐らく彼は祭りの賞金で生計を立てていたと考えるのが普通であろう。

もしくはー。

祭りを造り、それに参加することが彼の仕事であった、とでもいうのだろうか。

わたしにはダイスケヤガワが全くの同一人物を指しているかどうか、確かめる術は残されていない。

そのため、以下ダイスケヤガワとは、ある特定人物もしくは組織総称とする。

冒頭でも述べたように、祭りは、元を辿ると神々への信仰目的としていることがほとんどであるダイスケヤガワは、これらの祭り信仰意味を込め、布教していた宣教師(達)だったのではないか

つまるところ、ダイスケヤガワの行くところに祭りができ、祭りのあるところに、ダイスケヤガワがいたのだ。そうとしか説明仕様のない史実が、私の前に広がっている。

しかしともすると。

ともするとそうであってほしいような馬鹿げた想像は、私の思考から今も離れない。

2018-11-17

百田尚樹の本に参考文献がないとかそういう話

はじめに書いておくと、『日本国紀』がデタラメの塊なのはかれの書くノンフィクションデタラメだらけなのを見ていれば容易に予想がつくことで、『日本国紀』がデタラメだというそ結論に異議を申し立てるつもりは毛頭ない。あんデタラメ本をわざわざ読み込んで批判されている識者の方々には心から敬意を表する。

だけど、ちょっと待ってほしい。参考文献がないという話だ。いや、参考文献が大事なのはわかる。研究書に参考文献がないのは論外だ。そして『日本国紀』にも参考文献が書かれていないということで、こんなん歴史書としてありえないとかさんざん言われている。『日本国紀』がクソなのはよくわかるのだが、参考文献リストがないからクソとか言われてしまうと非常に困惑する。

なぜなら、現に「参考文献が書かれてないけど、良い一般向けの歴史入門書」というもの存在しているからだ。

ぶっちゃけて言うと岩波新書で出た入門書の類である中公新書講談社現代新書最近「もう選書でやれよ」と言いたくなるくらいに参考文献リストを充実させており最近だと本文中での典拠明示もバッチリやっていたりするが、岩波新書は参考文献を載せていない一般向けの歴史の本というもの継続的現在に至るまで出し続けており、その内容がデタラメというならともかく出版から時間が経っても良質な入門書として評価され得るようなものだったりする。

百田批判したいあまりに「参考文献がないなんてありえない!」と言われると、過去岩波新書出版され私を現在研究分野に導いてくれた良書の数々が肩身の狭い思いをするので、もうちょっとこうなんというか、手心というか……。

参考文献は、当たり前だけどあった方がいいに決まっている。仮に知り合いが「これから一般書を書くんだけど、編集さんから参考文献は削ってって言われちゃった。どう思う?」って言い出したら「いや編集とバトルしてでも参考文献載せろよ」って言うだろう。だがもう出ちゃった本に対しては「良い本だけど、参考文献があればもっと良かった」としか言いようがなく、百田の本を叩きたいあまりに参考文献リストがないなんてありえないとか無価値だとかそんな言い方をされると、気持ちはわかるんですがそれはちょっと賛同できないっすね……とボソボソ呟くことしかできなくなってしまう感があり、あれだ、みんなもっと色んな本読もう……

本論とは違うが、ちょっとだけ言いたいこと。

参考文献は必要だが、「巻末参考文献リスト」はなくてもよい。あった方が便利なのは確かだが、本文中に典拠が明示されていれば、紙幅を気にして削ってしまってもよい。文系場合、参考文献を示すのに色々な表記方法が有り得るが(MLA styleとか)、脚注書誌情報を記すやり方もあり(具体的にはシカゴスタイル見てもらった方が早いかhttps://www.chicagomanualofstyle.org/tools_citationguide/citation-guide-1.html )、この方式場合参考文献リストは「あれば便利」という位置づけに過ぎず「必須」ではない。いやもちろんあった方が便利ですよあった方が。でも脚注だけでも「典拠を示す」という最低限の役割を果たし得る以上、紙幅が足りないねじゃあどこ削るとなったときに真っ先に参考文献リストを削るだろうなと思う。別にこれは日本語圏のみのルールではなく、英文査読誌でも脚注典拠を示させるスタイル場合は参考文献リストをつけない場合が多いんじゃないかな(author-date方式場合は当たり前だけど参考文献リスト絶対必要です)。たとえばこの雑誌https://www.tandfonline.com/action/authorSubmission?show=instructions&journalCode=fnep20脚注スタイルなので参考文献リストつけません。甚だしい場合書籍からも参考文献リストを抜くことがある。いやほんと参考文献リストをつけてほしいのだが、しかし出典表記義務はきちんと果たしているので、問題は単に「チェックしづらい」というだけだ。なのでめんどくせーと思いながらも注を丹念に辿って出典チェックをしたものです。ちなみに日本で出た一般書の話ではなくハーバード大学出版から出た英書の話なので誤解なきように。出典注とfurther readingはついてるけど引用文献リストはついてない、というのも見るな(MazowerのDark Continentとか)。

「巻末に参考文献リストを置いていない」ことと「いっさいの出典表示をしていない」は文系においてはまるっきり別の事柄であり、「参考文献がないのは駄目」という言説が後者意味で言われているならいいのだが前者の意味で言われているのならそれは明白に間違いなので勉強し直してほしい。いやだって文系研究書を乱読していれば絶対に「注で参考文献を表示しているけど、巻末に文献リストはない」本に一定数行き当たるでしょ……?(あー、社会学文化人類学のばっかり読んでたらそういう本には当たらないかも。文学とか歴史学とかだと稀によくあるんだよなー)

あと、新書とかエンタメ路線に振った本とかで注がないのは許せるのだが、ほぼ研究書並の分厚い本を書いておいて注を省くのは本当にやめてほしい自分の専門からは遠いから名指ししておくと最近出たやつだと『アイルランド革命1913-23』とか『ドイツ植民地研究』とかですね。新書とかは学識の折り詰めやエッセンスのようなものなので厳密な出典注を省いても別にいいというか対象読者が違うし……感もあるのだが、この厚みでこの内容で出典注ないのは勿体ないし価値を下げてしまっている。いやもちろん両方ともきちんと緻密な参考文献リストをつけてくれているのである程度は出典の見当がついたりするのだが、このボリューム、この内容で注なしは流石に……これなら、注をつけて文献リストを省いた方が100倍マシだと思う。だってどこを参照してるかわかんないじゃん……いちおう言っておくと英語圏でもこういう「なんで! この厚みで! この内容で! ちゃんと注をつけないの!」という本は存在するので日本文系ガラパゴスだとかそういう話を始めないようにね。でも注を省いてこのお値段なら注をつけたらいったいおいくら万円になっちゃうの……? というのも一方で思ったりするので難しいところなんだよな。ただでさえ日本語でも英語でも学術書は高いのにねえ……

2018-09-27

anond:20180927110031

実在する人物名・地名団体名とは一切無関係フィクション擁護するためにデータを持ち出すべきではない

何言ってんの?

フィクションを楽しんでたり作ってたりする人間は「実在する人物」なんだが?

そういった人間権利制限するのにデータがいらないわけがないだろ。

そんなにデータが好きなら、フィクションを全て規制すればいいのに

フィクション存在する限り「歴史書ではなく歴史小説から歴史を学ぶ馬鹿」みたいな連中は撲滅できない

中年絶望押し付けてもらっては、困る!

anond:20180927105340

実在する人物名・地名団体名とは一切無関係フィクション擁護するために

データを持ち出すべきではない

そんなにデータが好きなら、フィクションを全て規制すればいいのに

フィクション存在する限り「歴史書ではなく歴史小説から歴史を学ぶ馬鹿」みたいな連中は撲滅できない

2018-09-26

母のこと

おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。

母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。

両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。

今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。

子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生不思議に思うことはなかった。

一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。

断片的な情報からの推測であるが、高卒就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークカバー隠居先の別荘にて今も使われている。

のち、小学校高学年くらいにはアルバイトお好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護仕事を始め、ヘルパー資格を取ったりしていた。

この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。

彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。

学歴からコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったかなのだろうか。母が飲食バイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。

本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書辞典など、自宅にあった本は殆どのものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母祖父)を経験していることから家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。

私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広アイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃんトシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。

私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンファザコンを併発しているとも言える。

と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。

この最後の一文に私と言う人間がとてもよく出てると思う。

妻にも母にも、父にも兄にも、実家の犬にも、只々全てに感謝。殴り書き失礼しました。

2018-09-24

史実正史って違うんだな、知らなかった

長谷川修一著の「聖書考古学 遺跡が語る史実」ってのを最近読んでる。元々発掘作業とか聖書解釈には興味があったからワクワクしながら読みすすめてた。

その中で

国家事業としての歴史編纂日本だけでなく諸外国においても、また古代に限らず現代においてもなされている。日本に「教科書検定制度」があるのは、国家学校で教える歴史教科書に今なお介入していることを示している。「国民国家」を標榜する国家において、歴史民族の「連帯感」を生み出すために重要視されている。あちこちで異なる歴史を教えていてはこの「連帯感」が損なわれるのだ。そしてこの「連帯感」こそ国民国家の基幹にも関係する重要意識感情なのである

このように国家主体となって書かれた歴史書のことを「正史」と呼ぶ。先ほど言及した日本書紀は日本の「正史」の最も古いものである。……

正史」を研究資料に用いる際には、こうした編纂意図考慮し、厳密な「史料批判」を加える必要がある。こうした「史料批判」には他の「同時代史料」、つまり同じ時代に書かれた異なる史料が用いられる。……

学生の頃の話になるんだけど、鎌倉時代萌えが詰まってたからそこは勉強した。)以外はほとんど勉強してなかったんだよ、「教科書で教えるような正史史実とは異なる」って点がアホらしく思えたってのが理由の一つなんだけど、当時は「教科書で教えてるのが本当とは限らないんだよな、それ私見てないし、んなもの時間かけて皆よおやる」って思ってた。これはマジ。

だって正史なんてその時々の権力者テコ入れしてテコ入れして生み出された超歪んだ産物だろ?なんでんなもんに時間やすんだよ」って思うじゃん。当時は先生に「なんでこんなもん勉強するんすか」って悪態ついてた。

でもこの本読んで何となく折り合いがついたというか、正史史実を照らし合わせながら本当の流れを掴んで、何が改竄されて何が削除されて何が本当のことだったのが考えることが重要だったのかなって思う。一度犯した過ちがあるなら二度と犯さないようにするのが多分私にとっては調べていく上での「目的」になるんだと思う。

法律に触れる機会が増えて、その中には良い意図のものも悪い意図のものもあるけれど先人たちが一生懸命編み込んできたものだと思ったらとても愛しくなって、歴史について、特に聖書に関心があったから調べてみようと思っただけなんだ。

まとまりなくてごめん、もうちょっと推敲すればよかったかな。

読み終わったらまた追記するかも、じゃあね。

2018-07-21

アンドルー・ゴードン日本の200年」を読んで

この本に書かれている内容はアメリカ人のために作られた偽りの歴史である

徹頭徹尾日本人に対する人種差別感情日本人に対する優越感が垣間見える。

アンドルー・ゴードンの主張に基づけば、日本文明開化しようが近代化しようが

そんなことは結果的には全く無意味で結局は西洋列強養分になったに過ぎないという。

不平等条約締結はアメリカ良心日本近代化への貢献(つまり不平等条約西洋人の横暴を許した結果、国民意識が高まったという逆説的な詭弁)だと言い切り、

原爆投下世界平和のためであると信じてやまない。

まるでアメリカ政府公式見解の主張のようである

ただ、私達日本人はこれが戦勝国アメリカでおける最もポピュラー思想であるということを知らなければいけない。

そして、アメリカではこのゴードンの主張さえも親日的とされるほど、アメリカ中心的な思想がまかり通っていることも知らなければいけない。

この本の序章には、「西洋諸国から『特異な国』と見られる日本歴史が、実は世界史とも関連を持っていた」ということをベースにして書いたとされている。

しかしながら、我々日本人は、日本史が世界史と関連していることなどは小学生でも知っている。

この本は一見して、日本史を世界史の中に対等に組み入れ、俯瞰的に論じたグローバル的な歴史であるように見えるが、

実際は全く異なっている。

ヨーロッパ中心史観に(彼らにとって)イレギュラー日本を組み入れた上、やはり日本異端であると信じ込みたいアメリカ人のための本である

ゴードンの主張で明らかにおかしいのは、日本人の行動が自分日本人のためにされた行動であるということを理解していない点だ。

太平洋戦争日本では大東亜戦争)、開国日米安保などなど。

すべての行動は日本人日本人のために、最善を尽くした結果なのだ

ゴードンはそれらすべてを外圧に屈した日本人が致し方なく行動した結果と判断している。

おそらく、欧米諸国の人々皆がそう信じているのであろう。

このような考え方が、ヨーロッパ世界アメリカ合衆国内に跋扈し、参考にされるようなことが

続くようであれば、

この世界から『第二次大東亜戦争』が発生する火種が消えることはないだろうと思われる。

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