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はてなキーワード: 宗教改革とは

2021-05-28

anond:20210528091429

民主主義が前提しているのは啓蒙主義

よくわかってるじゃん

すばらしい

その根本には宗教改革と、さらルネッサンスがあるのよね

2021-05-04

「これは何のために回すんですか?」「意味はない」

意味が無くても意味がある場合もある。


マックス・ウェーバーが示したように、宗教改革によって、労働は厭うべきものではなく、自分が救済されることを確認するための一つの手段となった。

労働神聖行為となった。すると貧困は救済すべき悲惨状態ではなくなり、慈善事業は罪悪とみなされるようになる。

貧困神聖ものと考える宗教的感性から貧困非難すべきであると考える道徳的感性への移行が生じたのである

この感性によると、労働しないことは「神の力を試すこと」だった。これはすべての反抗の中でも、最悪の反抗とみなされるようになったのである

このようにして監禁施設における労働は、倫理的意味を帯びる。

怠惰とは最高の反抗形態であり、監禁された者は、それが経済的収益をあげられるかどうか、有用であるかどうかとはまったく無関係に、強制的労働させられるようになる。

施療院では病人隔離けが目的とされていたが、十七世紀以降の監禁施設では、監禁するだけではなく、労働させることが自己目的となった。

(フーコー入門)

まり、その労働がなんら利益を生まず、

かつ、その行為自体が罰や拷問でもなく、

その行為自体になんの意味が無くても、

十七世紀西欧キリスト教世界では意味がある(救われるための行為としての意味がある)場合もあるってことだね。

2021-03-18

anond:20210317182955

ゲイが祝福されない云々はともかく、

定説は考えようによってはそんなに悪いものではないと思う

資本主義キリスト教プロテスタンティズムからまれたとも考えられている

宗教改革におけるカルヴァン思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的権威をもち、人間原罪キリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠生命にあずかるもの永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰西ヨーロッパ商工業者中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパ商工業者の中から近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、

私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである

からこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生謳歌するしかないとさえ私は考えている

その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、

もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである

まり自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなである

なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないかである

そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である

人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである

から別にキリスト教信仰しろ信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、

人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的科学思考が正しいとも言えない存在であり、

特別信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える

それは星の王子さまの、大切なものは目に見えないだったり、

水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている

キリスト教宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である

しかし、本当に宗教必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、

個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う

そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、

飽食時代から心の問題を描いた」みたいな発言があったが、

しかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想カルトを多く生み出した

しかし、当時の庵野氏が言う、飽食時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、

これは本当だろうか

もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう

しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態シンジにとってのゲンドウが死ぬシンジにとっての周囲の人たちが死ぬ

でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか

しか他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない

極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、

そういうことが起こっても不思議はない

しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか

これでいいのか、何か間違っていないか

そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業発明してきたのではなかったのか

もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである

なぜなら、それで勝者は生きていけるからである

しかし、そうならなかったのはなぜなのか?

そして、こういった万物すべてを神様計画なさっている

悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたこである

神様役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、

すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないかである

逆に考えても、すべての人が幸福世界なんてありえないとしか思えないわけで

あくま個人的解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、

キリスト教の中にも聖書無謬であり絶対的に正しいという考え方と、

いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある

色々なキリスト教があるし、キリスト教以外の宗教もある

からあくま個人的解釈だが、自分としてはキリスト教的に、

ゲイの人だから神に救済されないなどということはないと考える

それよりも最初に書いたように予定説で考えるならば、

ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、

それは神様最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである

からこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである

人は思い上がりやすく、この世界宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである

鋼の錬金術師フラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない

そして、人は基本的怠惰であり、その思い上がりから歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた

神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う

神を信じなくてもいいが、星の王子さまの、大切なものは目に見えない、水木しげる氏の、見えないものを信じる、

といったような考え方を非科学的だと馬鹿にするのはどうだろうか、と自問自答する必要があるように思う

2021-03-17

anond:20210316232303

うむ。

ローマ教皇庁の「同性婚は祝福できない」という見解には反対する。ここで表明しておく。

まあ海外twitterのTL見てみろよ、十分炎上しているよ。

そもそもカトリック炎上しないという認識のものが間違っていて、歴史的にはルターとかの宗教改革で燃やされた燃えかすが現在カトリックであるといえる。彼らも時代に合わせて変わってゆくし、そのきっかけは周りから批判であり炎上のものであるといえる。

2021-03-13

anond:20210313000511

例外はあるかもしれんけど基本的にアウトでしょ

で、そもそもヨーロッパにおいては、結婚自体教会承認必要だったわけよ。国家じゃなくて。

それが宗教改革教会から国家権限に移行した。

から結婚については国家教会の代わりに祝福するという日本には無い考えがあるんよ。

2021-01-16

宗教はやったら負け

教養として宗教知識がある>>>>>>>>>>>>>>>>>>宗教に入信

宗教に入信>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>無神論

というわけで、「仏教キリスト教(および宗教改革)・儒教(および諸子百家)」の3つを一通りちゃんと学んでたやつなら、

特定宗教に入信するという選択肢がないことは自明である視野を狭めるからである

なおイスラムだけはコーラン理解くらいでいまいち知識が少ない。地域風土が違うのですこし難しい。

2020-10-12

マッチ売りの少女マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の寓話なのではないか

宗教改革以前のヨーロッパなら少女マーケティングなど考える必要もなく、「貧民救済など善行こそ天国への一里塚」の精神にもとづき、教会修道院を基盤としたカトリックネットワークのどこかが彼女に手を差し伸べたのではないか

ルター派を奉じる19世紀デンマークではそれに期待できない。英国国教会イギリスでも、修道院解体後に制定されたエリザベス救貧法は貧者を労働可能な者と不可能な者に分類し、前者には労働義務化し、強制するものであった。

近代ヨーロッパ誕生は、ヴェーバーが言うところの「経済的個人」の析出、およびマルクスで言うところの「二重の自由=疎外」とともにある。

anond:20201006181407

2020-06-14

なぜ近世史を学ぶのか

大航海時代ルネサンス宗教改革を筆頭に、その後の近世ヨーロッパ史を学ぶ意義がすらっと出てくる歴史教員でどれくらいいるんだろうな。

学校教科書だと、やはり宗教改革についてはマックス・ウェーバー大航海時代についてはマルクスを経たウォーラーステインの2本の筋が通っているように思われる。

ルネサンス科学技術進歩となって、それらの変容を後押しする役目を果たすことになる。

それを踏まえて言うと、

いま世界のどこを見ても(香港アメリカ全土、ロシアコロナへの各国の対応など)、近代ヨーロッパ由来の普遍的価値が異議申し立てによって揺らいでおり(逆にその価値が見直されてもいる場合もあるが、維持が難しい)、その普遍的価値の源流が近世ヨーロッパにある、とでも言っておけばいいか

2019-12-15

anond:20191214151816

恋愛至上主義思想欠点はよく分かったから、宗教改革ならぬ「恋愛改革」をやるべきだと思うね。

恋愛生殖人口再生産=社会の維持、に必要なのならば、恋愛生殖を切り離してしまえばいい。

宗教戦争の果てに思想信教の自由を認めて、宗教政治を切り離したようにね。

・・・こうして書いてみると、オタク恋愛改革最前線なのではないか

2019-10-23

anond:20191020103651

ルイス・フロイス基準は恐らく出身国ポルトガルで、当時のイベリア半島は同じカトリック教国のヴェネツィアあたりから見て割とドン引きするくらい狂信的厳格だったらしい、ということは知っておいても損はないと思う。

そしてフロイスの属した修道会であるイエズス会というのがその厳格化(「対抗宗教改革」を調べよう)の尖兵であったことも、ね。

ヨーロッパ一口一般化できるほどヨーロッパって一様ではないよね。今も昔も。

2019-07-27

anond:20190727220154

そうだろうか。例えば、強国に攻め込まれた弱小国は遅滞戦術基本的方針として、ゲリラ戦国際社会へのPR抵抗するのが有効だ。これは歴史上の前例、例えばナポレオンロシアアメリカベトナムなどから分かる。

帝国主義国家繁栄の仕組みを理解すれば、それが現代日本興隆している派遣会社の仕組みと相似していることに気づく。

領民領主小作人地主従業員創業経営者株主。そういった関係を見れば、儲けるには労働所得ではなく資本所得重要だと分かる。

メディア個人いかに力を与えるか、最新のメディア精通して活用することがいか重要か。ルター宗教改革印刷機ヒトラーラジオテレビアフィリエイターYouTuberネット広告トランプ選挙戦工作Facebookなど、数多ある事実から容易に理解できることだ。

2019-07-11

anond:20190711175558

偉大な宗教のいくつかは、宗教改革から始まっている。

頑張れ増田

2019-04-20

anond:20190420203756

ISとかの原理主義過激派って、コーランに立ち返ろうとしてる点でキリスト教宗教改革に通じるものがあるんだよ。

キリスト教でもプロテスタンティズムのほうが過激でしょ?進化論否定してるのもカトリックじゃなくこっちだし。

宗教的には原理主義のほうがより正しいイスラム教徒なの。

2018-11-05

anond:20181104065044

マジレスさせてもらうと、学問もしくは大学アカデミズム自体政治志向を持った組織になっているんだよね。

から学問社会運動も大きな違いはないのではないかと思う。

大学の原型は、中世ヨーロッパ設立された神学校ルーツとなっている。

その神学校自体宗教改革市民革命などで、18世紀には没落していたんだけど、フランス革命期以降に大学として生まれ変わった経緯がある。

19世紀以降の大学は、「科学」という名の新たな普遍主義殿堂として利用されるようになったというのが真相

そもそも神学校自体が、宗教学社会に広めること自体目的になっているから、それは別に正義でも何でもない。

日本大学が設置されたのは明治時代以降だけど、日本人はそのルーツ自体を知る機会が無かったので、大学で教えていることは「普遍的な何か」だと勘違いやすくなるのかもしれない。

フェミニズム学問として扱っている大学も、そのフェミ思想社会に広めるためにやっているわけだから、同じようにそれは社会正義でも普遍思想でもない。

2018-10-04

日本中世と言うけど

じゃあ、日本ルネサンス宗教改革に最も近いイベントって何?

それを掘り出してよく見直せば、今からでも近代になれるのかな。

やっぱりそんなのどこにも全くなかったのかな。

またはほんとは、ルネサンスみたいな人間中心主義確認宗教改革みたいな宗教/慣習/規範の問い直し、日本にもあったんだろうか?

戦国時代後半には近い雰囲気が盛り上がったような気がするけど、江戸時代になると閉じた感じ。幕府の終わりは宗教の転換みたいなところがなくもないけど、人間中心主義は、、見当たらない。幕府が終わっても、人間ひとりひとりの生き方とか、村的暮らしには何ら影響がない感じ。中国皇帝が変わったときみたいな。

自分世界史日本史も好きだけど趣味しかないんで、細かいことはわかりません。文系エリートはてなーをはじめとする皆さん、よろしければご教授下さい。

追記

かに人権意識が低いことに対して言われてること多いですね。もう少し広いことにも使われてる気もするけど。

人権意識の高まりは、支配階層コテンパンにされるのを繰り返し見たことの結果だと思うんで、宗教改革とか人間中心主義がそうなる入口だったんだろうなと思いはします。

2018-09-06

人間過半数反社会的集団所属しとるんやで

以下は世界史に詳しくもないオレがwikipediaなどで調べた情報を並べたものである

カルトとは

悪しき集団犯罪行為を犯すような反社会的集団を指して使用される。

---

# オウム真理教

最盛期

日本:15,000人

ロシア:35,000人

地下鉄サリン事件

死者…13人

言わずと知れた反社会的集団。誰もが認めるカルト

---

# イスラム教

約16億人。

## パリ同時多発テロ事件

ISILイスラム国ないしIS)の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生。

死者…130人

## シリア騒乱

スンニ派シーア派対立も要因の一つとして複雑な事情を経た世界代理戦争状態

推定死者…46万5000人

もはや反社会的集団。よって事実上カルト

---

# キリスト教

約21億7千万人。

## ユグノー戦争 1562年 - 1598年

フランスカトリックプロテスタントが休戦を挟んで8次40年近くにわたり戦った内戦である

推定死者…3,000人

## オランダ独立戦争/八十年戦争 1568年 - 1648年

ネーデルラントプロテスタント勢力が、カトリックスペイン支配から脱するため起こした反乱。

推定死者…18万人

## 三十年戦争 1618年 - 1648年

ドイツスイスでの宗教改革による新教派(プロテスタント)とカトリックとの対立のなか展開された最後で最大の宗教戦争といわれる。

推定死者…400万人

もはや反社会的集団。よって事実上カルト

---

イスラム教 + キリスト教だけで = 37億7千万

世界人口…70億人

人間過半数反社会的集団なら、それはもはやそういう社会なので、「社会的」ということになるのだろうか。

最近コーラン聖書マンガで読んでいる。(分かりやすくて非常に助かる)

こんなこと言うと信者から殺されそうだが、科学技術が発達した現代人が読むと、預言者たちは適当なことを吹き込んでいる詐欺師しか見えない。

人間過半数が信じてるだなんてマジかよ。

2018-05-14

anond:20180514123509

ポリコレって要はプロテスタント宗教改革みたいなもんなんでしょうけど

そもそもキリスト教の基礎知識がない我々にそこら辺の微妙なアレが理解できるはずもなく

うわっつらのこれはOKあれはダメというのを棒暗記する以外にないんでしょうねえ

2018-05-13

今の時代って、第二のルネサンス期なのかも

今まではステロタイプのもの見方が許容されていた

同性愛他民族マイノリティを小ばかにした作品も量産でき

キリスト教価値観に基づいたゴリゴリマッチョ勧善懲悪作品が多かった

 

なぜこの状況を我慢できたか

それは従来の神と同様に、資本主義経済発展という神を信仰できたからだろう

繁栄の名の元にマイノリティ我慢して

お金をひたすら盲信した

格差が広がりすぎた今や

アメリカンドリームなど存在はしない

 

宗教改革ルネッサンスが同時期に起こったように

キリスト教イスラム国家神道仏教、右左の思想など

あらゆる神的権威が貶められた

 

キリスト教である欧米ハリウッドが真っ先に繁栄したのも

ルネッサンス期のそれ似ている

アメリカはいわば現代フィレンツェ

それに対するイギリスフランス日本などのカルチャーヴェネツィア派だろう

金融業も、メディチ家のように一国(どころか世界

を左右するほどの影響力を持つようになった

 

ブロックバスターである映画産業が成長しているとき

技術面では、IT革命が起きた

SNSを通じて簡単外国人コミュニケーションが取れるようになる

するとハリウッドや米コンテンツ産業にも、外国文化作品簒奪(リメイク)することで

他の文化なだれ込んだ

ネットフリックスなどは顕著だ

あらゆる文化圏の創作物を一か所に集めている

 

外国文化に触れるうちに、小ばかにしていた多様性

人間味がある事を知る

かつてのイタリア人が、イスラム経由でギリシャローマ古典を見ることで

キリスト以外の価値観を学んだように

 

これはまさにルネッサンス再現に他ならない

2018-01-18

https://anond.hatelabo.jp/20180118100258

興味のある時代地域によるが、中世近代ヨーロッパをやりたいとなると、まずキリスト教マルクス主義をやるのが遠回りのようで一番の近道。

この2つが分からないと宗教改革ルネサンスが分からない。そうすると産業革命が分からない。そうすると今度はフランス革命が分からない。何が何だかからない。

歴史好きのために何とかキリスト教マルクス主義説明を迂回して書いた本もあるが、結局事実をなぞるだけの表面的な理解(すぐ忘れる、トリビアばかり記憶する)で終わると思う。

最近は2つとも良い入門書があるから是非。

(また同様にアラビア世界理解するにはやっぱりイスラム教理解が要る。が、こっちはあんまり良い本がない)

2016-12-13

[] エスコラピオス修道会

エスコラピオス修道会エスコラピオスしゅうどうかい、羅: Ordo Clericorum Regularium pauperum Matris Dei Scholarum Piarum、

略称: S.P.、西: Escolapios)は、キリスト教 カトリック教会男子修道会。総本部ローマ

  

青少年人間的・キリスト教的な教育を通して、社会刷新を図ることが目的創始者ヨセフ・カラサンスは「幼い頃から教育」が

重要であるとした為、活動の重点は基礎的な教育およびキリスト教要理の教育目的とした小・中学校に置かれている。

  

広く哲学神学の分野にも着目し、ガリレオ・ガリレイトマソ・カンパネッラを認める等、各々の時代における革新的な面に大いに

貢献して、神学校指導中央ヨーロッパでの反宗教改革運動にも加わり実績を残している。

  

日本には、1950年10月に同会の司祭2名が横浜来日

以来、多数の修道会会員が来日しており、青少年教育や、小教区司牧等に携わっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9%E4%BF%AE%E9%81%93%E4%BC%9A

2015-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20151126210738

イエス律法学者ガチバトルして抹殺されたが、イエス信徒たちの作った教団にも、聖職者階級が出来て、彼らのものになった。

ムハンマドも神のもとの平等を説いたが成し得なかった。

建て前では出家在家区別はなく、聖職者という存在はないことになっているが、イスラム法学者が幅をきかせている。

教皇カリフも、代理人という微妙な位置付けから始まっているが、権威であることは皆が知る通り。

教皇カリフがいなかったら、組織として成り立たずに歴史の中に消えていっただろうし、リーダーを持つ組織をつくれば、その下に側近、その部下という階級が出来上がり、信徒平等は実現できない。

そして行き詰まり、数限りなく宗教改革分派が続く。

イエスムハンマドの教えは、精神面では教義原点回帰しつつ(あるいはしたつもり)でも、当時なりに当時の社会情勢にチューニングしていた。

あるいは解釈余地があったか世界宗教になった。

律法ローマ法でダブスタのところは、ローマ法を優先したっていいよん」

イエス

ダブスタがないように世俗の法も宗教戒律も擦り合わせて一本化しとけ」

ムハンマド

現代だと問題アリアリでも、当時はそれなりに柔軟な解釈改革したつもりだったわけで。

マジヤバいのは、原点回帰経典は一語一句正しいとする連中。

ISも当然だが、S県の顕正会、まじヤバ。

こないだ勧誘を受けたのだが。

日蓮の教えは一語一句正しい!

新型インフルエンザ東日本大震災日蓮予言

中国(元)が攻めてくるから天皇帰依させて国立戒壇をつくって国を守れ。

創価学会けしからん

政教分離を掲げるなどあってなるものか!

政教一致は必達!

何故なら日蓮聖人はそう言ったからだ!

ちなみに、

日蓮宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが日蓮正宗

日蓮正宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが創価学会立正佼成会

この両会は在家たちの、つまりから宗教改革だったが、知っての通り王国を作ってる。

創価学会からさら回帰を強めて、過激すぎて破門されたのが顕正会

中国の脅威から日本を守ることしか頭にない。

日本進化論否定する連中とたいして変わらん奴らがけっこういる。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-07-16

世界はつまらない。

本当につまらない。

ギリシャはなんだかんだでユーロ圏に残るし財政再建策を受け入れて十年後にはそれなりに経済成長が再開してるだろう。

中国経済は一気にガクンと行くかと思ったら日本みたいな急激な下落を回避した。何人かバカ個人投資家が首を括っただけだ。

イラン西側と核問題合意した。イスラエルは延々文句を言い続けるだろうがもう決まったことだ。多分アメリカは今後長いスパンで見ればイスラエルから今より離れて民主的イスラムであるイランに近付くだろう。

ウクライナ経済問題理由にきっとロシアが今のようにクリミアだけかもうちょっとプラスした東部分を切り取っておしまいになる。

キプロス南北統合協議を始めた。朝鮮半島もこのまま韓国への中国による影響力増大が続けばいずれ中国主導で南北統一されるだろう。大規模戦争も無しに。

イスラム過激派は今後20年ぐらい主役を張れるだろうが比較的新しい宗教である彼らの「宗教改革」の途中なだけで解決は時間問題だ。どうせアメリカタイマン張れるような規模にはならないまま退場するに違いない。

南米アメリカ嫌いだとかアフリカ内戦とかどうでもいい。奴らは『世界』に影響しない。所詮欧米の『ポスト植民地』でしかない。

中国日本というお得意様を攻めることもまず無い。確実に財界からストップがかかる。この世はカネだ。バカ中国が攻めてくるーとか吠えるけどないです。

要するに世界破滅しない。戦闘が起こったとしても何かの間違いとして処理されるか小国同士の小競り合い、もしくは大国一方的に奪うだけだ。

まらん。実につまらん。

このままじゃ宇宙人が攻めてきても地球人は表向き団結してしまいそうだ。

そんなことがあったら最悪だ。

俺はその先に破滅が待っているにもかかわらずしょうもないことで対立したまま滅亡する人類が見たいのに。

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