はてなキーワード: 運転手とは
友人を怒らせてしまって謝ったけど許してくれなさそう
言葉遣いが下手くそなせい、自分が過剰に卑屈なせいというのはわかっているけど上手くいかなかった
貴重な友が去っていった つらい
でも友にとっては自分なんかそばにいないほうが人生豊かになるだろうし、これでいいんだ、という気持ちもある
何もかも自己肯定感が低すぎるせいな気がする
どうしても自分がクズな最低野郎でとっととしねばいいのにという考えが拭えない
でもしぬのは痛いし苦しいだろうしで怖くて飛び降りとかする勇気も無いので輪をかけてクズ
トラックとかに轢かれて秒で意識失ってあの世とかはちょっといいなと思うけど、トラックの運転手にも申し訳がたたない
一体どうしたらいいんだろう
何で生きてるだけで責められてるような気持ちになるんだろう
何をすれば許されるんだろう
自分たちの給料が出てくる流れみたいなのを感じ取った経験がないわけじゃんブルーカラーの人達って。
実際ブルーカラーの中でも頭までブルーな人は一行目だけ読んで「マックでバイトしてお客さんからお金貰った経験ありますけど?」みたいなブコメを書きに走ってそうなんだよね。
違うんだよなー。
頑張って売り上げを増やしても給料に反映されないお金のやり取りじゃビジネスの本質は何も見えないよ。
薄利多売も売れ残りも本社や店長が責任を背負ってくれていて、自分たちは単に作業を失敗しないようにするだけでしょ?
単純作業者ってさ、自分のやってることが商売としてどういう意味を持ってるのか考える必要性がないんだよね。
責任がある中で考えるの、責任がない中で自分の拘りや勉強のためだけに考えるのは全然違う。
絶対に食いっぱぐれない中で、やってる感を一番出せそうなシナリオを上が考えて、それに向けて必死に素振りしてるだけの操り人形だもんね。
バスの運転手でさえ「あんまりお客さんに悪い印象持たれるとクビになったり嫌なシフト回されるから頑張らないとなあ……」って意識はあるけど、自衛隊にはそれがないもん。
むしろ無能っぷりを発揮するほどにより無能でも出来る簡単な仕事が回せてもらえるっていう無能の天国。
そこで有能ぶって周りを支えてたとか言ってもさ、それって小学生の野球に中学生の補欠が混じってエース気取ってるようなもんで世間全体で見たら全然なのよね。
子供の頃から生活は苦しかった。私は、ギャンブル依存とアルコール依存の親を反面教師として、堅実に生きて来た。
高卒で働き出してからは金の使い道が分からず、毎月20万円は貯金していたが、貯金が400万を超える頃には親が金の無心で無くなった。
自分の親が土下座をして、二度と借金はしない闇金に殺されると、泣く情けない自分の親が許せずに、それでも信じては裏切られるを3回ほど繰り返した。
結婚して別居をしたら解放されると思ったが、今度は会社に親が来るようになり、その頃はまだ保険証の写しでサラ金のカードが作れたので、知らぬ間に私名義の借金も出来ていた。
そこで私はブラックリストを扱っている信用情報機関の相談窓口に行き、自分名義の借金がいくらあるのかを調べて貰うことにした。
対応してくれた父と同じ年齢層の方が、その身に覚えのない借入金の一覧を見ながらポツリと「可哀想に・・」とつぶやいて、もう涙が止まらなくなった。
担当の方は私が泣き止むまで静かに待ってくれて、そして2つのアドバイスをくれた。
一つ目は、自らに貸付自粛制度をつけること。これは「免許証の原本でのみ貸付が可能」など、特記事項がつけられるから、自分自らのクレジットカードなどは問題なく作れるが、特記事項以外の証明書では作れない。
二つ目は、何があっても絶対親の借金は返さないこと。「サラ金闇金はその人が返せない事を承知で金を貸すんだよ。絶対本人が返せない額を貸しても、誰かがいつの間にか清算してくてれるなんて、闇金の超得意様だと思わない?」と笑った。
親の借金は私のせいだと言われ絶望の底に落ちた。それからは「親のため」金の無心には断固拒否することを決意した。
子供の頃は尊敬していたし自慢で大好きだった親が、今や威嚇し怒鳴りそれがダメなら泣き落とし、最後には言葉にならない悲鳴を上げて私に懇願する。
両親は借金で離婚し、父は家も追い出されやむなくトラックの運転手をしながら車で寝泊まりをするようになった。それでも競馬新聞は手放せない。
親の借金を返したら、この私の苦しみは解放される。なのに金はあるのに返せない。苦しみに耐えきれず、とうとう私は精神を病み死のうと思い家を飛び出した。
フラフラと川の土手を歩いて、気づけば橋の上からぼんやりと街並みを見ていた。
爽やかな風が吹いて、大きな犬が飼い主と散歩をしている。遠くで子供野球の声がする日曜日の昼下がり。穏やかな景色に、確実に私だけが浮いている。
「こんな所に住めたら幸せだったなぁ。」ため息もつけずに立ち尽くしていると、ふと土手向こうに空き地が目に入った。空き地には白いセダンが1台停まっていて中にオッサンが退屈そうに座っていた。
なんとなく橋から空き地に向かってみた。空き地に着くと「売地」と看板がかかっていて、暇そうなオッサンが私に気づき「昨日から売りに出したところで明日広告を打つんですよ。いかがです?ひとつ買いませんか?」と暇つぶしに話しかけてきた。
「ああ、ください。全額借金ですが良いですか?」驚くオッサン。
私は気づいたのだ。今までの苦しみは私がお金を持っているからで、私が借金まみれになればその苦しみから解放されると言う事を。
その後、色々あったが1年後には一戸建てを建てて、離婚していたはずの両親とそのうち新しい旦那と子供がこの家に住むことになる。
両親は年金開始年齢で早々に死んだ。そもそも年金を掛けていなかったので全く損はしていない。そんな運命だったのだろう。
借金をしたいがために購入した家が、そのうち余裕ができるようになった。誰も金の無心には来ないし、子育ても住宅ローンももうすぐ終わる。
今では親のおかげだと感謝している。
今どきスマホで調べればすぐ分かるだろ。
大抵のバス会社は時刻表を自社のサイトに置いてるし、規模の大きいところは検索用のスマホアプリを提供してたりもする。
それに最悪スマホがなくたって他の乗客や、信号待ちの時に運転手に聞けばいいことだろ?
その程度の手間すら惜しむのか?
それとも路線バスの運賃でコンシェルジェ付きのリムジンみたいな待遇でも要求してるのか?
こういうことを書くと「外国人が~」とか言うやつが大抵出てくるけど、外国人観光客の方がよっぽど調べて路線バス使ってるよ。
スマホで行き先検索して普通に乗ってくるし、カタコトの日本語とスマホを駆使して周囲の乗客に質問したりもする。
日本人の観光客の方が確認もせず間違った路線に乗った挙げ句、調べもしなかった自分の事を棚に上げて運転手に暴言吐いたりするんだよ。
そもそもワンマン運行の路線バスで運転手が一人一人の乗客に手間かけてる余裕なんてない。
路線バス(というより公共交通機関全般)は運賃が安い代わりに不親切な乗り物なんだ。
親切な乗り物に乗りたいならタクシー使うなり、もっと奮発してリムジン呼ぶなりすればいいんだよ。
恥をかきたくないなら事前に調べておくしかないし、事前に調べてなくて恥をかくのはバス会社や運転手のせいじゃなくて調べておかなかった自分のせいなんだよ。
「若者と路線バス運転手の不和 SNS時代の公共マナーと対応」
「ICカードと現金払いのはざまで バスの利用方法についての一考察」
「バスの乗り方一つで見える社会の断絶 世代間コミュニケーションのギャップ」
ワイもめちゃくちゃ準備して乗るタイプだけどそれでもなぜかバス緊張するのはこういうプレッシャーを感じるせいだと思う
ていうか今若くて脳も体もまともでこういう行為がきちんとできてても、年とればいずれはできなくなったりもたついたりするものだから、あまり他人に腹立てるのって未来の自分を追い詰める行為だからやめよ…こんな些細なことで他人に対してイライラすんのよそうってよく思うな
たとえICカードとか敬老パス使っててきちんとした乗り方の情報があっても乗り口と降り口でカードをタッチする前に鞄や荷物を床に置いてタッチしてまた拾う、みたいにしないとその行為自体ができないから乗り降りに時間がかかってるご老人とか普通にたくさんいるし、あとただ降車口に歩いていくだけステップを上るだけで時間がかかってしまう体の人とかもいるわけだけど幸運なことにそれで目くじらたてたり非難がましくなる運転手さんには今のとこ当たったことないな
乗り方知らん人にも丁寧に教えてあげてるのとかもたまに遭遇する 急いでるときはそりゃそわそわするけど、でもこのバス会社できてるなーって思う
そういう人の利用を当然折り込んでるってことだと思う
運転手さんがそうなんだからワイも知らなかったりできなかったりする人にイライラするのは筋違いやと思うように努めとる
ブコメの
”そもそもバスは地元密着がベースなので早い人遅い人、できる人できない人普通の人、色んな人が乗るという前提を見失っては行けないと毎朝思う。”
にめちゃ共感するわ
KANの訃報を聞いて、「ああ、またあの曲がメディアで流れるんだろうな、……やだなぁ」と即座に思ってしまった。
なぜそんなに『愛は勝つ』が嫌いなのか、それは、もう大昔の話だけれど、大好きだった彼女が創価学会員で、当時創価学会は『愛は勝つ』の替え歌を作って、よくわからないけど「勝つ!勝つ!」とやっていたからだ。
私は、創価学会が大嫌いな父の下で育った影響が大きくて、父はテレビや新聞で創価学会の話題を見たり聞いたりするたびに、創価学会へのヘイトを私の目の前で繰り返す人だった。
今は亡き父が生きた昭和の時代、創価学会のあまりにも強引な布教・勧誘活動は当時は知らない人がいないくらいのレベルで、社会問題にすらなっていたようだ。
当時の創価学会員は、強引に勧誘しようとしている家に入って、大勢で仏壇をその家から運び出し、近くの川へ投げ捨てた、だなんて話は父からよく聞かされたものだった。
実家のすぐ裏に面していた隣の家は、熱烈な創価学会一家で、毎日、あの団扇太鼓の音が聞こえていたものだ。
特にその家とトラブルになっていた話は聞いたことはないが、母は私の幼い頃「絶対にあの家の中に入ってはいけない」とだけ私に何度か言っていた記憶がある。
彼女が創価学会員だと知ったのは、付き合い始めて二ヶ月ほどだったように記憶する。
私は最初はそのことを軽く考えていて、いざとなったら創価学会など辞めさせればいい、くらいにしか考えていなかった。
だから、そのまま半年ほどは彼女が創価学会員であることは出来るだけ気にしないように付き合っていた。
だが、これはずっと後になって知ったことだが、彼女の方はそうではなかった。
私に創価学会員になってもらわないと困る、と考えていたらしかったのだ。
それは、あまりにも厳格な彼女の両親(特に母親)から、一刻も早く脱出したかったからなのだと。
そのためには、「この人なら」と思える人に創価学会員になってもらうことが絶対条件だったのである。
何故なら、彼女のご両親は、創価学会員以外との結婚は絶対に許さなかったし、結婚を理由とする以外に家を出る方法がなかったからだった。
何せ、彼女の父親は公明党所属の地元自治体議員であり、母は地区の創価学会婦人部長だった。
だから、彼女の工作活動は、彼女が創価学会員であることを私に告げたその時から始まった。
「これ読んで」
とその時手渡されたのは、仏教入門なる、創価学会の本だった(結局数ページしか読まなかった)。
一人暮らししていたからよかったが、聖教新聞も強引に取らされた。私の両親が知ったら激怒は間違いなかったろう。
様々な創価学会のイベントにも「私をどこそこまで送って行って」と付き添い運転手として連れて行かれた。
『愛は勝つ』の替え歌は、それらのイベントで頻繁に聞かされていた。学会員たちはほとんど絶叫レベルで、「勝つ!」の部分を歌っていたのが今でも強烈にそのイメージが残っている。
私は何度も彼女に歌うように促されたけど、絶対に歌うことだけはしなかった。
当然ながら、よくある話ではあるけれど、信仰の壁を越えることはできず、彼女とは別れるしかなかった。
ほんとにめちゃくちゃ大好きな彼女だったので、死ぬことを考えるほど別れは辛かったけれど、私自身が創価学会員になるなんて、当時はほんとに考えられないことだった。
今はもうアレルギーなんて全くないので、創価学会員になることなんて別に屁でもなんでもないが(笑)
テレビではKAN氏への追悼と称して、『愛は勝つ』で東北大震災の時救われた人が大勢いたとか、その曲の偉大さを讃えてはいるけれど、私にとっては車のラジオから聞こえてきてさえ、すぐに他の局へ切り替えるほど大嫌いな曲であり続けた。大嫌いというか忌まわしいというか忌々しいというか。
後年、彼女と再会して、彼女もまた『愛は勝つ』が大嫌いだったと聞かされて、大笑いしたものだ。
だって。
KAN氏もメッケル憩室癌だったという。
ガンってまだまだ怖い病気だなぁ。
こないだ路線バスに乗ったら、大学生くらいの若者が降り際の運賃支払いでもたついて運転手を困らせていた。
運転手さんも若者のあまりの鈍臭さにイラついてちょっとキツい口調になってしまって、若者は憮然としていた。
バスを降りた若者はすぐにスマホでバスの写真を撮ったりしていたので、「バスの運転手の対応がひどかった」とかなんとか、SNSにでも書き込むんだろう。
だかな若者よ、お前も路線バスに乗るならせめてちょっとは準備してくれ。真横で見てたけど、やってること無茶苦茶だったじゃねーか。
予備知識ゼロで乗ってきて勘で突破できるほど甘い乗り物じゃねーわ。
でも、そこに不安があるならPASMOとかSuicaを使ってくれ。交通系ICならチャージされてさえいればバカでも簡単に乗れる。
いま半導体不足の影響で物理PASMOやSuicaは手に入らないが、モバイル版なら今からでも手に入る。
どうしても交通系ICカードを使えない理由があるなら、仕組みを理解してから路線バスを利用してくれ。簡単に説明するから。
まず、路線バスの料金には大きく分けて2種類ある。
のふたつだ。
乗ったバス停と降りるバス停の組み合わせで料金が変わる。郊外、地方部に多い。
ふつうは後払い。降りる時でないと乗った区間が確定しないからね。
大都会(東京の区部とか)ならほぼほぼ均一料金だし、ど田舎ならほぼほぼ距離別だろう。
だが、都会と田舎の境界部では同じバスターミナル発着でも両方のタイプが混在する。乗る前にしっかり確認しよう。
時刻表とか路線図とかに料金が1種類しか書いてなかったら均一料金。「前のり先払い」と書いてあったりもする。
料金表が載ってたり路線図に料金も併せて書いてあったりしたら距離別料金。「後のり後払い」と書いてあったりもする。
同じ路線で均一のバスと距離別のバスが混走していることはない。必ずどちらかのはずだ。
降りる時:何もする必要はない。後ろドア(バスの車体中ほど)から降りる。
乗る時:後ろドア(バスの車体中ほど)から乗り、ICをタッチ(読み取り機はドアのすぐ脇にある)。
降りる時:前ドア(運転席のほう)から、ICをタッチして降りる。
小銭をピッタリ持っていない時は「お釣りが出る料金機」と「両替しかしてくれない料金機」があるので注意だ。
また、ピッタリの運賃を入れる場所とお釣りがほしい時にお金を入れる場所は違うことにも注意。
お釣りがほしい時にお金を入れる場所にお金を入れると小銭がジャラジャラっと返ってくるが、それが「運賃が差し引かれたお釣り」なのか「両替されただけの同額」なのかはバス会社によって異なる。
もちろん、料金機にはちゃんと「お釣り」もしくは「両替」と書かれているはずなので、字が読めれば間違うことはない。
降りる時:何もする必要はない。後ろドア(バスの車体中ほど)から降りる。
乗る時:後ろドア(バスの車体中ほど)から乗り、整理券を取る。整理券をニュッと吐き出す小箱がドアの脇にある。
例外として始発バス停やひとつ先などでは整理券が出ないことがある。これは無券といって、「整理券を持っていない=私は始発バス停から乗った者です」というイマジナリー整理券を持っているのと同じとみなされる。
降りる時:前ドア(運転席のほう)で運賃を支払う。いくら支払うかは、車内の料金パネルでわかる。
整理券には番号が印字されていて、車内の料金パネルと突き合わせると自分が次のバス停で払う料金がわかる仕組みになっている。
手元の整理券に「3」と印字されていて、料金パネルの3のマスに「240」と出ていたら、君の支払う運賃は240円だ。
ピッタリ持っていなかった時のヤバさは均一料金の時と同じだ。お釣りが出るか、両替になるかはバス会社によって違う。
ICにチャージが必要だったり、両替してから支払うような時は対応に時間がかかる。後払いの場合に、そうなることがあらかじめわかっている時は、降りる列の最後尾に並ぼう。
さっさと降りられる人たちを余分に待たせないためのマナーで、車内放送でもそう促されることが多い(降りない人たちの待ち時間までは変わらないがそれは不問とされる)。
始発駅で停車中の、発車までしばらく時間があるような時に両替を頼むのがベストだ。
そもそも路線バスでは2千円・5千円・1万円の金種は両替できないことがある。せめて千円札は用意して乗ってくれ。
こんな事前準備させる交通公共機関はクソとしかいいようがないし、たった数十秒程度のロスで怒る運転手も乗客も余裕がなさすぎて怖い。なにこれ。しかもこんな増田を書くとか不気味すぎる。
慣れない人の参考になればと思って現状あるがままを書けば不気味呼ばわりですわ。はぁ。
路線バスはきっぷもなく車掌もいないワンマン運行という業態である以上、仕組みを乗客が理解して(ある意味運行業務に協力しつつ)利用するのが前提となる交通機関だ。
それをクソとか言うなら全国のバス会社と利用者がひれ伏すような冴えたソリューションをお前が提案してみせろよ。できるもんならな。
お前もこれに星つけてる奴らも冒頭に書いた甘ったれ学生と同じだ。一生引きこもってろ。
レアケースではあるが、神奈川県の市が尾駅から桐蔭学園入口や鉄町方面にむかうバスは東急や小田急 (均一) と神奈中 (距離別) で料金体系がかわる。
あそこ神奈中は距離別運賃だったんだね。本数全然ないから印象に残ってなかったわ。っていうか乗ったことない。
“やってること無茶苦茶だった”ココを詳しく。降り口で払うタイプなら、運転手さんに言われる通りにすればいいだろうけど何してたんだろう
学生、運賃投入口に整理券と500円玉をそのまま放り込む(車内放送で「500円玉、千円札は事前に両替が必要です」と言われてる)。
乗務員、「500円はそこじゃなくて先に両替なんですよ…」と言いつつ500円を両替し、そこから運賃を差し引いてお釣りを渡す。
学生、受け取ったお釣りの中から自分の運賃を運賃投入口に入れようとする。
乗務員、「あーっ!入れないでください!もういただいてます!」
乗務員、「このまま降りていいですよ」
俺、「(早くしてくれ…)」
本文でも書いたしコメントでも多く指摘されている通り、路線バスの乗りにくさは交通系ICカードの登場でほぼ解消されていて、残る課題は現金払いだけと感じている。
でも現金払いは到底なくせるものではないし、運賃機の仕組みも、全体最適として見ると今の方式(ピッタリの投入口と釣り銭・両替の投入口を分ける)がいちばん乗降フローの効率が良い気がする。つまり現状から改善の余地はほとんど残されておらず、できることがあるとすれば(コメントでも多く提案のある)乗降フローの全国標準化くらいだろうと思う。
そんな中、
これ、とてもいい案だなと思った(スターをたくさんつけてあげてほしい)。
要は回数券を1枚ずつ買えるみたいな。運賃はわかっているけれどその小銭をぴったり持っていない、でもバスの中で両替するのは抵抗がある、そういうニーズにドンピシャでマッチしている。そういうニーズがどのくらいあるかわからないけれど、そうは多くないだろうから、ターミナルにこういう券売機が1台あればいいよね。
もちろん運賃がいくらかわからないまま乗り込んでしまうケースもあるだろう。そういう時には、200円券・100円券・50円券・10円券を複数枚ずつ綴ったマルチ回数券なんてのも、旅先で1冊持ってたら安心かもしれない。これもニーズがどのくらいあるかはわからないけれど。