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はてなキーワード: 高等教育とは

2018-11-10

anond:20181110213405

全く共感はできませんが理解はできました

きみも根はマジメな人のようなので高等教育を受けられると良かったですね

anond:20181110204912

どいつもこいつもどいつもこいつも「大学に行くのが優秀な証」「大学に行かなけりゃ人間じゃない」とでも思ってんのか?大学無償化してどうなるんだ?遊ぶ大学生が増えるだけだろ

まず「遊ぶ大学生が増えるだけ」というのが根拠の無い妄想

そして「遊ぶ大学生が増えるだけ」で何が悪いのか示されていない


君には高等教育必要なようだね

もし既に受けているというのなら受け直すべきかと

そういう馬鹿無償高等教育を受けることができる社会必要だと俺は思うよ

2018-10-30

中学校にはなぜ留年がないのか

小学校からやり直すべき人って沢山いると思うんだよね。

掛け算が出来ない。

漢字が読めない。

字が絶望的に汚い。

朝起きれない。

そういった人たちに高等教育を施しても正直お互いに時間無駄だと思うんだよね。

何で義務教育には留年がないんだろうね

2018-10-29

anond:20181029171436

それは個人体験聞き取り調査じゃなくて

議員数とか高等教育を受けている人数とかの客観的数字を基にしたものなので

国内類似調査でも大幅に違う結果が出ているものもあると指摘されてるけど

まり調査方法サンプルによって結果が大幅に変わってしまうようなもの、って事だよ

でも議員数がそれで変わるわけじゃないからな

2018-10-10

anond:20181010103653

単純に数字が読めていないだけだと思っているが

120%ごえとか90%とか常識的に考えておかしいでしょ

そもそも注意書きに Level6.Bachelor's or equivalent level 、7. Master's or equivalent level ってある

海外学士相当になる高度専門士に該当する教育施設たくさんあるけどあるけど日本には殆どない

なので日本はほぼ大学進学率のみの数値になる

加えて全日学生ばかりだから数値が低めに出る

それでこの数値は普通に考えて高い

高等教育修了率が上昇を続ける一方で、留学状況は低調であるOECD


http://www.oecd.org/education/skills-beyond-school/EAG2017CN-Japan-Japanese.pdf


過去 10 年、日本では高等教育への進学機会が拡大を続けている。生産年齢人口(25~64 歳) の半数が高等教育を修了しており、OECD 平均 37%を上回る。高等教育修了者の割合は、25~ 34 歳では 60%に達する。これは同年齢層における割合としては、OECD 加盟国でも韓国、カナ ダについで最も高いものの一つである


• また日本では、成人の 80%が生涯のどこかで高等教育に進学することが見込まれている。この 割合は、OECD 平均 66%を 15 パーセントポイント上回る。日本場合学士課程の初回入学者 の割合OECD 平均より 12 パーセントポイント低い一方、短期高等教育課程はより普及してお り、同課程の初回入学者の割合は 36%と OECD 平均の 2 倍以上となっている。


日本学生は、後期中等教育段階修了後すぐに進学するため、学士修士博士課程への平均 入学年齢はそれぞれ 18 歳、23 歳、26 歳であり、いずれも OECD 加盟国で最も低い年齢である

日本ダントツに低いのは25歳以上の大学進学率

ただ、まぁまぁ進学率高いから進学しなくて良いよねというつもりは微塵もなく、

しろもっと高めるべきだと思っているし

とりあえず2020年から低所得者だけ無償化/大幅負担削減が始まるよ

税の公平さ考えたら、どう考えても保育園全面無償化よりも

高等教育の全面無償化が先じゃないですか・・・って思うけど

anond:20181010095027

先進国日本の進学率は低いってあのさぁ・・・

日本は各国の25歳~64歳人口における学位取得者の割合は第3位だよ、アメリカヨーロッパよりも高いよ

つーかヨーロッパでは真面目にお勉強してないと小学校卒業中学校卒業時点で、就労コースに振り分けられて高等教育に進むことそのものを許されない国が多い

日本高認に相当する資格さえとれば許される国でも、日本東大とは毛色の違うエリート選別をやっている

から豊かな社会主義国家のはずの国でネオナチやら極右翼が暴れる土壌が出来る

進学率が日本よりも他国が高く出る事が多いのは、

1. 他国専門学校職業学校が入っているのに日本は入っていない

2. 日本全日学生が極めて多いため

3. 日本は25歳以上の入学者が極めて少ないため

2018-10-02

東京工業大学学費値上げ騒動と立看板について

2015年学士課程入学文系教養に乏しいとされる世代から2016年度以降の文系教養に明るい素晴らしい学生たちへ

教養

私は君たちが豊かな文系教養科目を受講できていることを羨ましく思う。

自分たちまでの世代文系教養科目というと、オーソドックスで最高の座学か、“学士しかないのに都の西北教授になった金髪胡散臭いインターネット昔話”くらいしかなかった。

ああ、悪魔祓いの話をしてくれるオタク蔑視クレイジージャーニーもいた。

彼は文化人類学が専門らしいが、弊学のオタクたちの情緒理解できなかったのかな。

あれほどまでに他者と向き合ってきた学者オタクとなると未成熟なヒトとしか捉えられないらしい。

自分石川台人間なので彼が今どうしているかは知らない。

立看

さて2016年以降入学聡明学生諸氏においては、最近の立看板張り紙など学費値上げに関連した様々な活動を展開されているようで大いに結構である

しか2016年以降入学学生リベラルアーツ教育無限教養を手に入れているというのは自分の誤解であったのか、もしくはあの素晴らしいリベラルアーツ教育ではあまり社会学に触れる機会がなかったのか、はっきりとはわからないが、ここはひとつ景観」という概念について述べたい。

景観

学生諸氏が知らないのはNHKニュースおじさんが教えてくれなかったのが悪いのだが、「景観」というのは社会的に共有される財産の一つである

景観とは誰もが参加しうる実体に関わる価値であるために、スワンボートまことちゃんハウス批判されていたのだ。

そもそも大学キャンパスというのは実際には難しい公共的な立場にある。

完全に公共に開かれた場所ではなく、指定国立大学法人管理する土地である

しかしその法人性質上、ある程度まで公共に開かれて地域に貢献することが望ましい。

また近隣住民銀杏を拾っているだけで烈火のごとく怒り出す理学部教授と、自転車走行禁止区域の傘さし子連れ自転車マダム調停するのも大学法人責任ではないかと思うが、その問題自体はここでは無関係である

大学

ここで大学キャンパスには上記のような公共性が求められているということがわかるだろうか。

まり学内から地域社会とは独立である、もしく国立大学なので自由市民が利用できる、という言説はどちらも間違っていて、端的に不寛容価値観だと言わざるを得ない。

このような状況の中で「景観」について考えると、大学の中にあってもその景観破壊することが何を意味するのか。

社会

景観社会的な共有財であることは先に述べた。

ここから明らかなように、景観破壊することはそれを共有する全ての人々の財産破壊しているということになる。

もちろん大学キャンパスの中では大学許可があれば自由看板を建てられるし、百年記念館の素晴らしい扉にポエムを書きつけることだってできる。

しかしそのような行為によって景観破壊することは高等教育を受けているような知性の持ち主に要求される倫理において当然許されることではない。

そもそもあの立看板無許可であったのだが、それは今回述べたこととはあまり関係ない上に、この大学学生による自治概念絶望的に欠落していることと文化的京都大学を経由していることによって私の語りうるところではない。

ちなみに社会工学科の人は、川喜田二郎によって弊学の学生運動が懐柔させられたという噂の真偽をコメントしてほしい。

環境

話が脱線したが、大学において求められる景観について十分に説明できただろうか。

私は景観とは都市的な文脈の中で位置付けられるものであると考えており、そのため京都大学に立看板を立てることを問題視する立場にはない。

この大学景観を良いとは言えないが周辺の住宅地は幾分マシな方である

主張

端的に言おう。

景観破壊するのはやめてほしい。

特に百年記念館の扉にダサいポエムを貼ったり、80周年記念館の壁に「ここは80周年記念館です」などと意味不明のダサい案内を貼るのはやめてほしい。

ダサさが問題なのではない。

それがどれだけ格好良くとも、周囲と調和が取れておらず景観破壊しているのが問題なのである

施設管理課の人間がどれほどの教育を受けた人間なのかは知る由もないが、おおよそ高等教育を受けた人間のすべきことではないので中卒だと思う。

大衆

意図せず大学批判になってしまったが、この日記目的2016年以降入学聡明学生景観について考えてほしいということである

実はポピュラリティ問題なのかもしれない。

今や街にアニメキャラクターの巨大な広告があってもそれほど問題にはならなくなったことや秋葉原ではそもそも問題ではなかったことを思い出してほしい。

教育

大学教育というものについてよく理解できていない人間が多いようだが、大学教育を受ける機会を与えるのみである

「〜を教えてくれないのはおかしい」や「〜を教えるな」など批判にもならないような意味をなさなヒステリーtwitterに書き殴るのも本当はやめたほうがいい。

そもそも現在行われているようなリベラルアーツ教育意味をなしていないのは学生教養が足りていないかである

高等学校までで教わるような基礎的な知識をロクに覚えてもいないから、議論をしても無が展開されるのみであるのだ。

文系科目を雑に批判して自らの無教養を醜く晒すのではなく高校教科書などを読むとよろしいかと思う。

かにクレイジージャーニーNHKニュースおじさんの施策は最悪だが、大学という場所自分勉強することができる場所でもある。

皆さんは優秀なので、必修の文系科目など適当にこなすくらいでちょうどいいのではないか

2018-09-29

どっちにしろエンジニアにこだわる人は職業差別していますよね

最近ブクマカ界隈によるタクシー運転手バス運転手に対するナチュラル差別忘れてませんし、

一次産業従事者や現場作業員に対する無意識差別

それらの職業自分の子どもを就かせないために施す高等教育

外国人コンビニ店員を変に持ち上げる姿勢など、

きみら職業差別自覚してませんよね。

2018-09-26

今の時代、ある程度の水準の正規労働者になれるレベル高等教育を受けさせることを考慮すると、子ども一人当たり3千万円ほどはかかる。

子どもを3人持つつもりなら、9千万円。

一人だけでも高級財であり、平均的な労働者にとって容易に獲得できるものではなく、仕事面・プライベート面共に一定ハードルを超えた人間がようやく獲得できるもの

それが子ども

加えて近年は「子ども貧困」が問題視されている。

無理して本来つべきでない層が子どもを持ってしまうと、あっという間にジニ係数上昇に加担してしまう。

収入者がサラ金に手を出してブランドのバッグや外車を買い漁るのと同じ過重債務状態に陥ってしまう。

何が言いたいかというと、3人の子どもを持つというのは余程の社会的成功者でなければ実現困難な贅沢であり、

誤って何かの拍子にでも一般人がその贅沢に手を出してしまえば、きっと破滅的な結末が待っているだろうな、ということだ。

2018-09-11

anond:20180910124440

気持ちわからんでもないが、そもそもパソコン1台とネットがあったらどこでも仕事勉強もできるITエンジニアをほかの職種と比べるのって無理があると思うんだよなー。。。

だってITプログラム仕事としてこんだけ世界に広まった理由って「金や学歴がなくてもパソコンネット環境があれば本人の努力次第でワンチャン狙えるで!」だったからじゃん。

まー近年は競争が激化してちゃん高等教育を受けた人のほうが成功やすくなってるけどさ、それでも時と場所を選ばすに作業できるのがITの強みじゃない。

あとIT系の社員研修って初級から中級くらいならある程度の教育システムパッケージ化しやすいから社内研修でも補えるけど、常に新しい技術新陳代謝のように入れ替わっているIT業界上級技術まなぶには、やっぱ労働者自分アンテナ広げて日頃から最新技術チェックして自分で試してみたり、ってやってかないとついていけない。いくら最新技術でもそれを社内で重要性が認められて研修パッケージになってるころにはもう最新じゃないのよね。バーチャルユーチューバーが散々はやってからやっと大手企業が専門部署立ち上げて参入してくるのをみんなで「いまさらおせー。」って痛い目で見るのと同じ。

最初に「気持ちはわかる」って書いたのは、日本によくあるブラック企業的やり方だと「プライベートでも勉強してる奴だけがまともな給料もらえるけど、そのほかの自主性のないエンジニア年収300万がやっと」なんて状態になるのを危惧してるからだと思うんだが、でも実際は「自主性のないエンジニアでも5,600万円クラスにはなるけど、もっと上の年収千万クラスになれるのは自分勉強してる奴だけ」って世界なんだから、それは仕方なくね?って思うよ。

2018-09-10

まともな人間になれるはずがない。

僕が生まれてきてから異性も同性も好きになることは遂にないまま義務教育高等教育も終えてしまって人生を続けているのはまともに生きていれていないことの唯一にして頂点の証明である

顔も性格も周りに劣っているわけでもなく、個性もあるのだから非モテ的諦念ではなく、告白されて付き合った上で好きになれない人生のままいきている。

どうして何だろうか。

ついこないだまで付き合っていた彼女は一緒に帰って話すことにすら違和感があり、キスをするような雰囲気のなか目も合わせずに無視していたら泣かせてしまったけどそのまま逃げてしまった。最悪の男である一方でそれしか自分に選ばれた道はなかったのだと言える。

怖いとか不気味のような感覚ではなくいわば何もなかった。熱も感覚感情存在していなかった、あるのはここではないところに自分存在していることだけ。

そんな人生を送っていながらも、まともな人々の中で生きていくしか道はなく、またそういう話をしながら生活をしているわけである。この先もそうやって生きていくのだろうか、次こそは好きになれると考えるしかないのだろうか。もういやだこんな人生はと投げ捨てることは簡単だが、それを許されるような人間でもまたない。生きていくことは辛くないが、人として生きていくことが辛くなっていくばかりである

2018-09-09

反「中世学者コスプレ」論

 東洋経済記事世界レベルで「大学崩壊している」根本原因』(https://toyokeizai.net/articles/-/235823)を読んで、大学先生方のあまり時代錯誤ぶりに唖然とした。東洋経済サイトにもコメント投稿したのだが、この討論参加者の一人である藤本夕衣氏の『反「大学改革」論』をもじって、反「中世学者コスプレ」論と銘打ってさらに詳しく批判をしてみたい。この討論の結論部と同様に筆者も基礎科学人文学にも税金を投入すべきだと思うが、一方でこれらは実用性の期待が低いことを考慮して、あるべき規模を考えるべきだとも思う。

大学危機の構図

 件の討論では、まず、日本に限らず欧米でも新自由主義によって大学特に人文学)が危機さらされていることを概観し、その原因を中世から大学史に求める。端的に言うと、大学に残る中世的要素(真理探究称揚世俗価値との隔絶)と近代合理主義的な社会的要請(実利や実用性の要求)とが齟齬をきたしているのが、危機の真因であるという。大略、以下のように要約できる(1-5ページ目)。

 大学中世ヨーロッパの神学に端を発したため、世俗価値(例えば、国家の発展や実用性)とは隔絶していた。大学理念ベース神学から近代啓蒙思想に変化した後も、しばらくは神学的な気質を引き継いで「大学人間の理性に基づく真理の探究の場である」という、世俗価値から隔絶した立場を維持した。

 ところが時代が下ると、大学での基礎科学研究経済力や国力に直結することが意識され始めた。加えて、大学理念から「神への奉仕」が消えたことにより、大学自治根拠が「国家の介入を拒否し、自由研究活動を展開したほうが、国や社会に大きなメリットをもたらせる」というものに変質した。このような考え方は世俗価値自体評価していることを意味し、大学それから隔絶するのを弱めた。

 近年の大学改革も同じ構図である。今なお大学が維持する神学気質の「真理探究」という理念近代合理主義から派生した新自由主義によって攻撃され、世俗的な価値である実利(産業競争力向上に資する研究グローバル人材の育成)を大学に求める力が強くなってきている。

中世学者コスプレ

 ここまでは中々興味深い議論だと感じた。しかし、最後の6ページ目で驚くべき主張が展開されている。中野氏は「大学とは天才を飼っておく場所」だと言う。他の三氏もこの意見同意している。少し長いが引用しよう。

中野:僕は研究機関としての大学は、効率性を求めるべき場ではないと思っているんです。(中略)そういう人たち(引用者注:本当に学問が好きで学問に優れた人間)は権威主義も何も一切関係なくて、「とにかく研究させてくれ。研究費だけ出して、あとは放っておいてくれ」と、それだけ思っている。たぶんそういう人たちが世の中には必要なんです。好き放題にやれと言われて、100年後に認められるような成果を出す人間というのが、この世に0.003%ぐらいはいて、われわれ凡人は「そういう人間必要なんだ」と寛容に認めなくてはいけない。」

 本当に学問が好きで学問に優れた人間は、権威主義には関心がないが、なぜか研究費は出して欲しいらしい。しかし、「研究費もいらないから放っておいてくれ。自ら集めた寄付や自費で自由研究させてくれ」という経済的覚悟研究するのが、ここで議論されている天才ではないのか。

 産業振興等とは独立した真理探究という、世俗から超越した価値を解きながら、研究費を求めるという世俗要請を行うことに、中野氏や賛同した御三方矛盾を感じないのだろうか。真理探究の重みに比べれば一国の産業振興など軽いと考えているのであれば、一人の研究者の経済状況など取るに足らないものだろう。ご本人達が「本当に学問が好きで学問に優れた人間」ならば、世俗的な国家から隔絶して税金に頼らず自費で研究をすればよい。あるいは、ご本人たちは運悪くそのような天才ではないが、「われわれ凡人は「そういう人間必要なんだ」と寛容に認めなくてはいけない」と言うならば、そのような天才のために寄付をし、富裕層パトロン探しに奔走してはどうか。中世学者の大部分は税金に頼らずに研究をしていたのだ。

 それを実践すれば大学危機など問題にもならないだろう。何せ今、問題視されているのでは高等教育研究における税金の使い方であって、税金に頼らない学術研究は誰も問題にしていないかである

 しかし、おそらく彼らはそのような中世的な学者になりきることはないだろう。それにも関わらず中世学者称揚するようなことを言う彼らを、私は中世学者コスプレと呼ぶことにしたい。

反「中世学者コスプレ」論

 一方で、基礎科学人文学研究にも税金が投入されるべきだと私は考えている。ただ、その根拠中世学者コスプレに求めるのではなく、実用性という世俗価値に求めるべきだと思う。冒頭の「大学危機の構図」で触れたように、時代が下るにつれて大学側が世俗価値に寄せてきているのだから、これをさらに進めるのは自然なことだろう。

 私は以下の考えに基づいて、あらゆる学問への税金投入を正当化したい。

 まず、あらゆる学問には実用性の可能性を見出せることに注目しよう。例えば、法学医学工学はもちろん、歴史学文学哲学にも実用性の可能性が見いだせる。歴史学は、歴史小説創作において舞台装置を与え、歴史ドラマ制作時に時代考証の基盤を提供する。同様に文学哲学も、小説ドラマ創作においてインスピレーション作家提供するだろう。マイナー外国語も、遠い将来に日本がその地域貿易を行う必要性が生じるときに、実用性を発揮することを期待できる。

 したがって、あらゆる学問研究には税金投入が正当化できる。実用性が期待できるもの税金を投入するのは合理的なことだからだ。

 しかし、ある学問知識実用に転換する難易度(以下、実用転換難易度と呼ぶ)は、それぞれの学問によって大きく異なる。例えば医学であれば、医師はその教科書知識を直接的に利用することで患者を救うことができるだろう。医学知識治療という実用に転換する難易度は極めて低い。他方、歴史学場合医師よりもはるかに少ない歴史小説家や大河ドラマ制作者でなければその知識実用に供する場面が存在せず、しかもその知識の利用方法医学場合ほどには一定しない。したがって、歴史学知識創作という実用に転換する難易度は極めて高いといえる。

 したがって、実用転換難易度に応じてその学問への税金投入額が決まるべきである。その難易度が低い学問医学工学)ほど税金投入を多くし、その難易度が高い学問歴史学文学)への税金投入は少なくすべきである基礎科学は両者の真ん中ぐらい)。

 これはもう少し具体的に言うと、実用転換難易度が高い大部分の人文系学問旧帝国大学などのトップエリート校に限定して税金を投入すべきである、ということに帰結する。少数のトップエリート校の教授学生には税金を投入して手厚く保護しつつ、残念ながらそこに至らない方々は完全に私費大学運営するなり、大学の外で別の仕事をしながら研究を進めてもらうなりする他ない。中野氏も、本当に学問が好きで学問に優れた人間はごく少数だという趣旨のことを述べているのだからトップエリート校のみを保護すれば問題ないだろう。

 大学理念存在意義に実用性を真正から据えれば、以上のような結論になる。

 もちろんこれは単なる思いつきであるしかし、中世学者コスプレオタ芸よりは説得力があると考えるのだが、いかがだろうか。

2018-09-06

anond:20180906101053 ベーシックインカム

教育費も無料(高等教育無償じゃないので今後完全無償化して欲しい。税の公正を考えて全員が無償)、 医療無料、十分祝福されてるでしょ

だって食うに困らない 余裕があれば、キリキリもせんし放置もせんでしょ
就業困難者やアウトローや間接自殺希望者や拡大型自殺願望者を出すリスクに比べたら圧倒的に良いので
仕事を調整できない人らは夫婦ともに働かなくていいよ。家族仲良く暮らすとイイ

しかし、すべての大人は汚い、子どもはその汚染からつべきって発想は実に怖いなぁ

生活保護を貰ってでも子どもを作るべきかについて賛成の立場を示すとは進んでるねと書いたのは
いわゆるベーシックインカムからなんだよね
単純作業しかしたがらない人達や、そこそこ収入はあるもの犬猫すら飼うべきではない身勝手な人たちについては、何も申し上げることは無いけど

世の中には社会貢献度が非常に高いにも関わらず、対価が社会的に抑えられている人達や将来の保証殆どなされない人達がいるよね

そういう人達子どもを持つべきではないのか?その権利はないのか?
まぁそんな訳がないよね
じゃあ社会貢献度が高い職業に限って支援すればいいのか?
それもまた子ども有害大人から引き離そうって思想くらいに怖いよね。貢献度の低い職業はなくてもいいの?誰が判断するの?
なら、家族に一律に配ったらいい
ベーシックインカムは誰も働かなくなると強く反対する声もある中、非常に進歩的だ、流石は はてな民

ベーシックインカムの導入実験を行う8カ国
https://www.businessinsider.jp/post-528

2018-09-05

じゃあ生活保護精子バンク使ってでも子どもを作るべきか?

anond:20180905194236 anond:20180905192718 anond:20180906082941 anond:20180906083431

実際にあった英国の話なのだけど

http://www.dailymail.co.uk/femail/article-3629132/I-ve-got-sorry-Mother-12-receives-40-000-benefits.html

彼女は13人の母親だ。 年間580万前後、その資金はすべて生活保護から出ているし、精子バンクを利用して子どもを持つとも発言して、ワイドショーを盛り上げたそうだ。さら彼女曰く、

「私がどれだけ子供を持とうと他人には関係ありません。子供たちが成長すれば働くし、税金を支払って国に返してくれるでしょう」

最低限のお金すら持たずに子を持つと言うことは実質的彼女と同じだと思う。
どうせなら、実質的にではなく、仕事を辞めて、彼女とまったく同じように24h子どもに寄り添ったら?くらいに思う。金も時間もままならない職で、キリキリしたり、子ども放置したり、パートナー役割分担についてケンカするよりずっといいだろう。
ついでに、生まれてきちゃったものは仕方ないので(子は親を選べない。罪は無い)、きっちり納税出来るよう、労働の喜びを得られるよう、高額な高等教育提供すべきだと思う(負の再生産を防ぐために)

彼女のことを『恥知らず』と罵り署名運動する者いれば、
子を産み育てることほど尊いことはないので恥じる事はないと讃える者もいるそうな

増田は前者かな?後者かな?

2018-09-01

anond:20180901095034

歴史的には、

緊縮政策を迫られた政府公立高等教育を支えきれなくなる

高等教育への予算が減少するに従い、それを補うために授業料が引き上げられる

学費家計を圧迫して共働きが増え女性社会進出が進む

育児時間を使うことのできる専業主婦のような女性が減って子供が減る

人口は減るべくして減っている

とてもわかりやすいね

2018-08-23

anond:20180822194322

農業アイドルグループのことを考えよう。

彼らが農業土木に関して専門知識豊富に有しているのはなぜか。

様々な教授専門家と共に行動してるからだし、映像に映らないところでも彼らに高等教育を施している多数の専門家がいると考えられる。

さて、その教授専門家たちはなぜそのアイドルグループ高等教育を施すのだと思う?

番組から依頼されて対価を得た仕事からだ。

専門知識を得たいなら対価が必要なのだ

2018-08-22

高等教育とは

いろいろ最近兄弟間の現状から進学とか大学とかって

なんだろう?って思うことが多いんだけど

日見番組

漁獲量が近年減少傾向で、どうすれば良いのかって話で

漁師の元に大学教授が現れて、いろんなデータを集めて

それを、タブレットで見て漁師達が分析して、漁業に役立てている

定置網に魚群探知機を設置して、入ってきた魚を確認して

業者なんかもそれをタブレッットで見て客先に情報を流したり

地域にいろいろな結果を出し始めてる

で思うのは結局漁師さん達ってそんなに学歴って高くないんだけど

ある意味仕事を通じて、社会を通じて、漁師さんたちは今この教授

授業を受けてるんだなって感じた。

高等教育大学)が大事だ、授業料免除奨学金だとか

政府が言う割には金の話しか出てこない無策ぶり

別に試験合格しなくても、こんな風に教授社会に出て

どんどん地域社会に出向いて、学歴が低くても稼げる手立てに

協力していけばいいのになと思った

大学が持っている知識技術もっと

いろんな方法

大学に行けなかった人達にも分けて頂あげる事が

真の高等教育なのでは?と思います

2018-08-14

anond:20180814105206

実学工学であり、実用的な知識なら工学部で身につく

金融工学モデリングとフィッティング

もっと低いレベル日常で役に立つ知識はおおよそ中学生までの教科ですべて賄えるのでそもそも高等教育必要としない

利息計算はただの四則演算と漸化式と等比数列、どれも高校範囲

2018-08-13

高等教育

全部試験でいいんじゃと思う

自分法学士だけどほとんど学期末試験100%単位取ったし

高認とかセンターとか全部やめて、科目単元分野の基礎応用で問題網羅的に出題し

規定レベル取れたら高卒レベル大卒レベルでいいじゃねっと思う

ITで複雑さを確保したまま、どこでも運転免許並にいつでも誰でも受けれられるようにできるんじゃね?

そしたら落ちこぼれギフテッドにも有用だろ

大学というか教授陣はゼミからにして院主体にし、学部レベル講師TAレベル学生共同体が主

名門の存続云々とかは学位学歴プラスしてなんだから独自試験選抜すればいい

まぁこ公文式上級版だな

これって理想論だろうか、それとも理想としてもなんかツッコミどころあるだろうか

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

* * *

 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

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 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

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