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はてなキーワード: 放射能とは

2017-09-22

日本学術会議声明新潟県への宣戦布告である

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c

あとシノドスフリーライターレポートもあったが、どれも「医術と呪術混同する両論併記をやめよ」という趣旨確認できる。

林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、

林氏は心無い中傷県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。

本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。

壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。

そうした福島県民を始めとする東日本大震災被災者の皆様の気持ち自然であることは認める。

しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会始動しだしたところである

本職が医師である米山隆一牽制する文章と言ってよい。

私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、

泥流による放射線健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、

新潟県知事選当時、県内在住の反原発から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。

インターネット上で選挙運動訴訟活動を行っていることを明記した人物限定した話ではある)

現在在日コリアン念頭外国ルーツある人物へのヘイトスピーチ違法化された。

この前例に則り、学術会議への異論福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、

最終的には検証委員が全員逮捕されることになるだろう。

事実在日朝鮮人沖縄人への民族差別アナロジーとして、福島県民への差別説明するレトリック存在している。

このような議論被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である

いじめ偏見等の被災者への差別は続くだろう。

しかポストコロニアル当事者性を強調することで国や東電構造責任が看過されてしまうことはないのか。

実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災観点から引用検討することすら差別呪術であり、

野蛮な攻撃とすることは学問権威化であり、自由を害することである

こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。

過激発言を繰り返したとされる泉田裕彦知事も、

2007年中越沖地震での放射能漏れ原体験として上げられている。岩手県震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。

チェルノブイリ福島第一よりも安全という発言海外への県の農産物輸出戦略の一環である

国際的観点から見て廃炉出来ていない原発チェルノブイリに比して安全だと言えるのか。

ショッキング発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要見解だったのであり、

過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。

(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義扇動している自民党からしか国政候補立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)

私の知る限り、泉田知事被爆が疑われる人物意識的差別的な県政を行ったという情報はない。

四期目を断念した後自ら原発屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、

撤退理由であるフェリー問題は船を売りつけた韓国企業東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、

県は二度と船が取引できないと脅迫していた点もある。

そのような形で追い込まれ撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。

このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難言動を求めるのは酷すぎる。

県民代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味想像していただきたい。

民主政治自由言論に対する脅迫であり、圧力のものである

学会権威を持って検証委は怖気づいてはならない。

6年間の学術会議議論を覆すなら、検証委員会も相応の規模の時間人員を掛けて検証を延長すれば良い。

2017-09-17

なぜEM菌エセ科学界隈で万能アイテムみたいな扱いになったんだろう

俺が初めて見た時は油汚れ落としに使えるみたいな扱いだったんだよ

捨てちゃう米の磨ぎ汁を有効活用しよう! 的な感じだった

米の磨ぎ汁をそのまま流すと水質汚染に繋がるとかいう話とセットで扱われてる事が多かった

この時点では大して実害は無いレベルだったと思う

それが福島原発事故後辺りから放射能に効くだの水を浄化するだの謎の万能アイテム扱いされるようになった

子供の顔に塗りたくったり、EM菌を直接飲んでみたりとやばそうな事例も増えた

その度にはてブtogetter界隈でネタにされて叩かれてきたけど、元々はエセ科学界隈でも微妙ポジションだったと思うんだよ

感覚的には原発事故で潮目が変わった様に思うけど、なんでEM菌だったのかが分からない

材料が手に入りやすいことと作るのに微妙に手間が掛かる辺りがちょうど良かったんだろうか

あんまり簡単に作れてしまうとありがたみが薄れるとかそういう要素があったんだろうか?

こういうの研究してる人っているのかなぁ

2017-09-11

マリキュリーウィキペディア読むだけで泣ける

こんなドラマチックな生涯なのにあまり知名度が高くない気がする(ヒットした伝記映画などがない)のはやっぱりネガティブイメージのつきまとう放射能の人だから人物高潔すぎるとか?

2017-09-08

今日見た光景

過去に「フィリピンでは米軍撤退したらISISが伸長した」というデマを垂れ流して相当数批判されたやつが、「放射能鼻血が出るとか言ってる連中は太陽フレア浴びたら死ぬんじゃないかw」とあざ笑う

2017-09-07

正直、放射能漏らしてる国が核実験批判するのは烏滸がましいと思うの

2017-09-01

安全厨

原発爆発で全滅したかと思ったら放射能デマ連呼厨に転生してたんだな

福島への風評被害云々とか言うけどお前被災地行ったことあんの?

2017-08-29

核爆発から身を守る方法について

同僚がグアムにいくというので、自身知識再確認も含めて核爆発から身を守る方法について対応をまとめる。なお、私の知識は、「米陸軍サバイバル全書」の第23章「核・生物化学兵器から身を守る」のみであることに注意されたい。また、内容を転載するわけではなく自身咀嚼した内容になっているため誤りが含まれ可能性もあり、また核爆発後のサバイバルに関しては、そもそも火の起こし方や水の濾過方法など、前提となる知識があるため、核だけを考慮しても生き残れない。なので、興味を持った方は原典を読むのをおすすめする。

核爆発前・直後

当然ながら、核爆発直後に致命的となるエリアにいた場合、取れる対応殆ど無い。核爆発により引き起こされる障害

の3種類あるが、攻撃目標タイミング(火球が見えてからでは遅い)がわからない場合、取れる対応は少ないだろう。

ただし、もし、事前の警報があり少しでも対応が取れる場合には、掩蔽物に隠れることが重要である。これは、爆風や爆風により吹き飛ばされた物体を防ぎ、熱と光を遮断し、核爆発直後(1分間)の深刻な初期放射線を減らしてくれる可能性が高いからだ。隠れる場所は丈夫なコンクリート製の建築物がよいだろう。

ここまでで生きている場合

生き残った場合、5分以内に放射線を遮ることの出来るシェルター(追記:後述するがこれは核シェルターに限らない)に入ることが重要になる。これは、高レベルで初期ガンマ線を放射する放射性降下物から身を守るためであるシェルターに入るのと入らないのとでは被曝量が全く異なるのである原典でも強く書かれているので引用しておく。

目安として、5分以内にシェルターに入るのが生死を分けると知れ。早くシェルターをみつけること――これが絶対不可欠である

P.273

その後の行動スケジュール

核爆発後にどれくらい活動してよいかの目安については原典引用する。なお、数値には余裕を持たせているとのこと。

P.276

掩蔽性能、水分食料の備蓄を考えると、シェルターとしてホテルショッピングモール選択するのが最適なのではないかと思うが、人が集まると考えられるので、その分物資の減りが早いとも考えられる。難しい所である

残留放射能対策

さて、行動のタイムスケジュールがわかったが、その後生き延びていくための残留放射能対策を考えなければならない。残留放射能対策は、放射性下降物起因の体外放射能対策と体内放射能対策に分けられる。

体外放射能対策

体外放射能対策として留意すべき変数としては、

の3点があげられる。時間半減期距離距離による減衰、シールドシールド材による減衰、を考慮する。ただし、放射性下降物が広い範囲に降っている場合には距離による減衰は期待できない、などはある。動く車があれば距離も稼げる可能性があるが、移動により被曝する可能性もあるし、現実的に考えてシールド、つまり十分な性能を発揮するシェルターを確保することが取りうる最大の防御となるだろう。

コンクリート建築物以外にも、厚み1メートル以上の土砂で覆った地下式シェルターは放射性降下物に対して最高の防御になると書いてあるが、そんなものは当然無いだろうから、他に下記のようなものシェルターになると掲げられているので、次善の策を取っていきたい。

P.275

身近にあるものを考えると、マンホール簡単に空くのかどうか知らないけど、開けられればマンホールから地下に隠れるのが良いのかもしれない。(※追記:マンホールはそんなに簡単に開かないとのことです)その他シェルター地の選択と準備法などは原典に書かれているのでそちらを読むように。

また、シェルター内に放射性物質を持ち込まないようにシェルターに入る場合は、衣服を叩いたり振ったりして汚染を除去すること。髪の毛は沿ってしまうのが良いかもしれない。

体内放射能対策

続いて放射性降下物を体内に取り込まないようにするための対策。ちなみに汚染された飲食物や傷から体内に入ったもの問題になり、呼吸によって体内にはい放射性物質はさほど脅威にはならないとのこと。

水の調達

水の調達大前提、以下の点に留意するとして、

水の調達方法は以下の通り。

食料の調達

放射線障害について

まとめ

例えば放射線障害について知っておくことで、むやみにパニックに陥らなくて済むし、「これくらいなら…」といった正常性バイアスからも逃れることが出来る。正しい状況認識を持ち、落ち着いて全ての知識を動員し、工夫し、生き残りのために行動しなければならない。生き残ろう!

2017-08-26

病院巡り歩いて、癌患者に片っ端からあなたの癌は放射能由来だ!」と言って回ってる人がいる

無視されればすぐ隣へ、反応があれば話し出す…国を、盗電を訴えましょう…

原発によるがん被害者だというブログがあるけどああやって担ぎ出されているのだな

2017-08-22

ゲームがつまらなくなって現実面白くなった

いまさらFallout 4始めたらふと現実的気持ちになってやめた

あのゲームは敵に比べて弾薬が少ない

弾薬を買うには金が必要

金を上手く稼ぐには浄化済みの水を売るのが効率的

水を作る浄水設備を作るには素材を沢山集める必要がある

素材を集めるにはマップを歩きまわる必要がある

ちなみに体力が減って倒したモンスターの肉を焼かずに食うと放射能が肉体に蓄積されて溜まりすぎると死ぬ

蓄積した放射能を無くすにも金が必要

金 金 金だ

終始そんな感じ

浄水器作ろうと素材集めようとしたあたりから核戦争後の世界が急に現実世界みたいに見えてきてやめた

見た目の話ではなくてシステムの話

こんなのでコツコツやってゲーム内の浄水設備買うのと現実でコツコツ働いて自営業軌道に乗せたり投資用にコツコツ株式を集めるのとどう違うっていうんだ


いやゲームが良く出来てるって証拠なんだろう

ゲームがつまらないんじゃなくて現実ゲームでそれを攻略するのと現実的ゲームをやるのは実際ほとんど違いはない

俺はゲームをやめて現実という名のゲームを始めた

2017-08-16

8月15日に思い出す出来事

8月15日になると思い出すことがある。

昔、飲み屋で仲良くなった人がいた。それはそれは、とても優しく、気持ちのいい方で。

そんな人に一度、終戦記念日反戦集会に誘われたことがある。

もともと私の実家ノンポリというのか、なんというのか。

家族間で政治の話はしない、という教育方針があって、

幼いころから親は、子供の私にさえも選挙で誰に投票したのか絶対教えてくれなかった。

理由は聞かなかったけれど、そういうものだと思って育ってきた。

そんな私が、初めて足を踏み入れた「反戦集会」は

ひとりひとり思いの丈をマイクを使ってみんなに伝える、というイベントだった。

反戦集会といっても、いろんな価値観の方が集まっていたようで、

戦争反対」だけでなく、「○○(政治家)は辞めろ」とか「発電は全部風力にすべき」とか「資本主義限界だ」とか主張する人も多くいた。

なかなかにカルチャーショックが大きかった。

まず反戦って反与党なの?反戦って反原発なの?反戦って反資本主義なの?

もっとも衝撃が大きかったのは、反原発を訴えた人の主張で、

要は、

政府原発安全だと言っていたのに、結局ドカーンと爆発した。

今でも福島では放射能が垂れ流しで人も住めない。だからあれほど言ったのに。ざまあみろ。」

ということだった。

その主張に対して、会場では拍手が起こり、歓声が上がった。

正直、ついていけないな、と思った。当然、そういう主張もあっていいし、否定はしないけど、私の考えと違うな、と強く感じた。

「実際に被災して、まだ家に帰れていない人たちが、こういう主張を聞いたら、どう思うのかな。」

そう考えると、その場にいるのが辛かった。

政治について深く考えることを棚上げし続けてきた自分が初めて感じた衝撃。

結局、誘ってくれた飲み友に丁重な断りを入れ、途中で帰ってきた。

飲み友はその日以来、私に対して政治的な話を一切しなくなった。

だけど、やっぱり優しく、良い方なので、今でも仲がいい。

きっと考え方が違う私の意向配慮してくれているのだと思う。(いつもありがとう。)

から8月15日になると毎年思う。

あーあ、みんな幸せになるといいのになー。

2017-08-12

ポリティカルコレクトネス

海外にいる。

最近日本和食が食いたくたり

日本チェーン店に幾つか訪れた

そうするときまって

「うちの店は日本のお米をつかってます。」

という表示がされている。

昔はあきたこまちだとかブランド名

多かったが今はそんなことはない。

きまって日本のお米と表示されている。

福島とか東北の方から

来てるんじゃないか

と思いつつもとりあえず食べると

数日後きまって調子が悪くなる。

今回のは酷くて謎の頭痛に加えて

呂律が回らなくなったり

これを書くときも何度も

タイプミスをしている。

放射能の影響か分からないが

ひたすらここ数日体調が悪く

急に逝ってしまいそうな感じはする。

前置きが長くなったが最近非常に

気になってるのははてな界隈

放射能に対する態度だ。

311前に比べて明らかに有名人

大量に死んでるにも関わらず

はてなー放射能問題にふれたりしない

この前の新潟女子高生の件に至っては

全く誰も放射能説を考えては居ない。

これはポリティカルコネトレス

なんだろうか。

2017-08-05

anond:20170805101619

脂肪に貯まるって聞いたことないな

セシウムは血管に入った後、おしっこから出ていくよ

放射性ヨウ素甲状腺に行く

(でも日本人甲状腺は天然ヨウ素でいっぱいの人がほとんどだから甲状腺にも入れずおしっこから出ていく)

ストロンチウムは骨に吸収されていくけど、骨も代謝するからいずれ体外へ排出されていく

蓄積されると言うのはデマから安心して。

癌になるのも100msv/h以上浴びた時にようやく100人中1人が発がんするのであって

微量じゃなんも起こらないよ

しかも人体って自分でも6000ベクレル放射能出して活動してるんだし

2017-08-02

本日茨城県M5.5地震心配する韓国人達の声

日本はもうすぐ滅びる…丸ごと…

・先代の罪を子孫が受けるんだ。

被害がないのに何故ニュースを出してるんだ。

・あまりにも弱すぎる…

 10.0以上の巨大地震が起きて日本全土が破壊されるべきなのに。

 慰安婦独島などの間違いを認めて、韓国に助けてくれと言えばいいのに。

9.6を超えてから記事を上げろ。

 あまりにも弱い。

もったいない被害がないね

・7以下なら記事にもしないで。

・「被害はない」残念。

・残念…被害がなくてとても惜しい。

軍艦島連行されていって死んだ朝鮮人の数だけ地震死ね

日本被害もない地震をいちいち私たちが知っておくべきか?

 6以上の大きなものだけ記事しろ

・なぜこんなに弱いのか。

 震度10以上をお願いする。

軍艦島の魂が怒っているのだろう。

 お前らの先祖のせいにしろ

リアルタイム検索語1位が日本地震ってどういうことなのか。ふふふ

 韓国人日本のぞき見想像を超越するね。

・より大きなものを…より大きなものを…!

外国人投資家外国人観光客たちは日本を去れ。

 日本国土の70%はセシウムのような放射能汚染された呪われた地だ。

 元に戻るには少なくとも300年以上かかる。

・で、日本はい沈没するのか。涙

日本にいらっしゃる韓国人だけ生きて、残りのチョッパリ津波死ね

 昨日軍艦島を見てきたが、涙が出た。

・罪の代価。神の罰。

・なぜ被害がないのか!

日本沈没したら本当にお祝いできるのに。

 地震のような良いことが日本にたくさん起きろ。

 間違ったことをしたから罰を受けるんだ、猿野郎

・残念だ。

チョッパリは何百万人も死ななければならないのに。


こんなのネトウヨ捏造だと思った?

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0009448900

ソース提供するので疑うなら確認してきてください

naver韓国大手ポータルで、特に政治的に偏ったところではありません。

韓国人全体のトーンがこんな感じ。

日本でおおきい地震が起きるたびいつもこうやって喜んだり被害の少なさを残念がったりしてます

フクシマ未来予想図

爆発してから もう7度目の夏

あいかわらず そばにある 燃料デブリ

あの頃バイクで 飛ばした家までの道

今はエアコンスイッチを 止めて走ってる

私を降ろした後 角をまがるまで 見送れず

いつも ガイガーカウンター 5回計測

ヒ・バ・ク・ス・ル のサイン

きっと何年たっても こうしてかわらぬ線量で

汚染されてるのね 放射能から

ずっとフクシマに描く 未来予想図

ほら ビキニと同じに 忘れられてく


(てなことをテレ朝は主張したかったんだろうか…)

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

なんだか、投稿しても途中で切れてしまうので、追記部分だけをトラックバックでつなぐことにした。

追記

 すごい伸びていてびっくり。読んでいただいてありがとうございます

 はてブなどの反応を読ませてもらって、補足したいところとか言い訳したいところとかたくさんあるけれど、元々長いしキリがないので文章が飛躍してるところやタイポを中心にちょこちょこ直せるとこだけ直した。いらんとこだけ書き直したわりに、あんまり直ってないかもしれない。それ以外では、

 御用wikiについてもいっぱい指摘があったので追記したかったけど、本題とずれるわりにくっそ長くなったのでやめた。3.11以後の動き、の項の一段落目にアエラ表紙とか青プリン先生とかとあわせて含まれていると察してください。

 きくまこ先生否定ありきで見てる、みたいな意味合い感想もちょこちょこ見たのだけど、確かにたまたま何回も名前を出すことになってしまったけど、別にそんなわけではない。他のおかしニセ科学批判派含めた、ワンオブゼムとして批判対象になるべきだと思っている。個人的好き嫌いでいうのならば、きくまこ先生には同情するところも少しはあるし、感情レベルでむしろ一番不愉快なのは多層な批判層の(3)にあたるような人たちである。ただこの人たちは(2)と区別がつけにくかったり((2)だって大嫌いだが、不愉快度だと「通じるとこのある」分(3)のが高い)、ニセ科学批判者としても論客としてもいまいちなサイズの人が多かったりで、名前を挙げにくかったので特に具体名は挙げなかったのだ。「また人文系か」タグを振り回すのが好きだった某はてなブックマーカーあたりはここの例としてに限れば最適だったんだけど、ニセ科学批判とは関係ないし、ツイッターではさして存在感がないし。かといって、最近頭角()を現してきた大貫剛氏あたりを出すのも、さすがにかわいそうな気がするし。

 追記も長くてごめんなさい。

追記の追記

 ツイッター経由で、元記事について伊藤氏がこんなツイートをしているのを知った。

それですね。元増田のひとが、いわゆる左派をもう信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象必要としたという見立て可能でしょう。

https://twitter.com/GoITO/status/890508057469362176

 「それ」というのは埋め込みツイートされている別の人のツイートのことだがそれはともかく、いやマジで何を言ってるの。

 俺がニセ科学批判者を批判するのは俺がもう左派が信じられなくなっているせい?どういうロジックよ。「ニセ科学批判への批判サヨクのせい」ですか。

 こんなん、10年くらい前なら「伊藤剛検証blog」とかブログが立った時に酷すぎる支離滅裂発言の例として取り上げられるレベル20年くらい前なら山本弘に著書の中で太字で突っ込まれた上に小見出しネタにされるレベルおかし物言いじゃないか伊藤氏にはトンデモ本シリーズで取り上げるべき著書がない、とかそういう話はここでは関係ない)。

 言葉を単純に置き換えればいいというものではないのかもしれないが、例えば、エア御用とか言ってた人が、「エア御用放射脳批判をしている人は、実際はもう放射能安全派を信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象必要としているだけなのだ」とか言い出したら、それこそ伊藤氏含めたネット言論で袋叩きにされるんじゃないかね。

 俺が左派論客全面的に信じるなんてことは今も昔もあったことはない。そういう世代じゃないし。でもそんなのは左派相手に限らず当たり前の態度であるわけで、左派を「もう信じられなくなった?」と言われたらいやそんなことはありませんよ、と答えると思う。俺は別に家柄も収入もたいしたことな人間なので、左派不信になってトクする理由あんまりないし。それと左派おかし発言をする人について批判的なことを言ったり考えたりするのは別に矛盾しない。ニセ科学批判クラスタ批判してるからといって、ニセ科学批判の内容なんてもう信じられない、放射能のせいで鼻血が出る福島の子供やホメオパシー治療効果虐殺された江戸しぐさ伝道者も実在したんじゃないか、と主張したいわけではないのと同じである

 それは別に元の記事から読み取れることではないと思うので別に当てられなくてもいいんだけど、だからといって伊藤氏がどうやって上の推測にたどりついたのかはやっぱり謎である。どこかパラレルワールドには左派不信な「俺」がいて、伊藤氏と親しかったりするのだろうか。

 あと、そういう「推測」が成り立つのなら、伊藤氏が「みんな左派が信用できないんだ」と思い込みイデオロギーにとりつかれているのを勝手に俺に投影している、その傍証じゃないかという見方も出来るのではないか?と思えるのだが。少なくとも伊藤氏よりはロジックもアクロバティックじゃないと思うけど、どうなんだろうね。

追記の追記の追記

 もうこれ以上の追記はしないつもりだったが…… 被曝方面ニセ科学批判で目にする林智裕氏がこんな反応をしていたらしいという話を見た。

 元増田では名前を出さなかったとはいえ、放射能デマ関係ニセ科学批判に熱心な人、こんなんばっか目立つの本当悲しくなるな、と思って見ていたアカウントの一つだ。

 そして、一読してやっぱり悲しくなった。

左派のことばかり批判するな、と言われても、じゃあまずはこの件から謝ってみせて下さい、としか左派政党代表達が、放射能デマゴーグとべったり。総括も反省もしない。謝罪も無い。

https://twitter.com/NonbeeKumasan/status/890709234916007936

 俺はどっかの政党党員じゃないので、左派政党代表がだれと仲良くしてたとかについて謝ったり総括してみる義務責任もないはずなのだが…… この人もどこかの平行世界ではそういう政党所属している「俺」と知り合いだったりするのかな?謎だ。というか、党員であってもあんまり代表不手際を謝ったり反省したりしないよね、左派政党に限らず。逆ならまだしも。

 もっとも、そういう党を支持するだけでもけしからんという見方もあろう。俺は左派政党のそういうところは支持していないので関係ないともいってしまっても良いのかもしれないが、元増田で書いたRT論はそのような属人(党)的で判断する考え方に近いともいえるし。

 ただそれならそれで、林氏が普段、どの政党を支持して票を投じているか、知りたいところだ。RTする相手アカウントの数ほどあるが、政党はそんなにたくさんない。今の日本で非左派政党とみなされる政党というのは、ニセ科学デマゴーグにまみれた主張や政策推し進めているか、そういう政党衛星政党としてしか機能していないか、その両方か、のいずれかしか心当たりがないのだが。あやまって、やくめでしょ。って言ってやりたくならないのだろうか。そうじゃない、あくま無党派なんだ、というのかもしれないが、その割には随分左側のニセ科学けが許せなさそうな様子のツイートだ。

 特に、いま一番議席を持っている右派政党代表から末端の組織までニセ科学デマゴーグがあちこち観測されるんですが…… その人たちやその支持者にこういう総括や反省謝罪を求めたことがこの人にはどれほどあるのでしょうか。右派メディアで有名な産経新聞「WILL」正論」、それにあまたあるアフィブログネットメディアしかり。いや、総括や反省謝罪を求めなくてもいいっちゃいいんだけど、そういう人にこんなこと言われたところで知るかとしかいいようがない。

 あるいは(これはあまり想像したくないことなのだが)、放射能デマがらみ、あとたまに反医療デマがらみ?以外なら、デマでもニセ科学でも大歓迎!ということなのだろうか。

 元増田でも触れたけど、ニセ科学文脈であれそれ以外であれ、ニセ科学批判者には右派を(あるいは「も」)批判する人は(「ニセ科学批判批判クラスタ」が時に大げさに言うよりは)意外にいる。というか俺もリアルアカウントニセ科学批判をするときはそういう人として見られていたはずだ。なのだが、「左派のことばかり批判するな、と言われても」というからには、この人は自分の属する「ニセ科学批判集団」が右派批判をロクにしていないという自覚があるのだろうと思われるわけで、そのへんどう思っているのかというのも気にかかる。あいつらは頭のおかしいことをやっている、とでも思ってこちらの陣営を見ていたのかな。そんなニセ科学批判者、「放射脳」並みに御免である

 まあなんていうか…… この論法きじゃないのだが、伊藤氏にしろ林氏にしろ自分ゴリゴリ党派性韜晦したつもりで普段イデオロギーフリーニセ科学批判」をしてるからこそのこういう反発じゃないのかな、とか言ってみたくなるんですがどうなんですか。アリバイ的に左派的な口ぶりをするだけなら、ダダでも出来るんだよね。

 ことは最初、もとの文章推敲してた時に考えていた以上に、深刻なのかもしれないな…… なーんてね、フフ……

 いやこういう締め方も扇動者じみてていかがなものだが。

2017-07-28

菊池誠トンデモっぷりについて(放射能編)

菊池誠周辺のニセ科学批判ネトウヨ化するのは彼らのご都合主義権威主義妥当な結末だと思う

現にこの増田も陥っているが、放射能関係ですら菊池誠デマはひどい水準だよ

列挙してみるが、

メルトダウンじゃないだす→ウソメルトダウンでした

炉心溶融メルトダウンは違う→ウソ。同じです

・β 線はからだに当たっても皮膚で止まるから心配しなくてもいい→ウソ。数ミリは進んで熱傷他の障害を起こす

広島長崎被爆した 9 万 4 千人と被爆しなかった 2 万 7 千人を追跡調査している→ウソ被爆しなかった 2 万 7 千人は LSS 解析対象から除外されている

妊娠中に 100 ミリシーベルト以上被ばくしなければリスクは上がらない→ウソオックスフォード調査で上がることが確認されている

セシウムパーティクルはない→ウソ。ありました

閾値なしモデルは予防的なものウソデータから最も科学的に妥当モデル

・排気塔の倒壊リスクデマウソ東電規制委員会リスクを認める

甲状腺がんは増えない→ウソ。すでに多発している

etcetc...

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

しょっぱなからトンデモかまして何言ってんだ?

特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、やはりニセ科学批判派が正しかったというのは間違いない

菊池誠メルトダウンじゃないだすは言うまでもなく恥ずかしい大間違いだし、甲状腺がんが出ないってのも大外れだろ

https://anond.hatelabo.jp/20170401232134

2017-07-27

人の思想の醸成の話

ことインターネットでは、思想や支持する政治スタンスによって左から右のカラーリングを分け、しばしば自分と違うカラーリングの人をバッシングする様が観測できます

しかし、至極当然ながら、カラーリングでの敵味方のカテゴライズは非常に危険です。集団効果は、異を唱える人間がいないことから自体悪化させるため、お互いがお互いのイエスマンである関係は非常に不健全と言えるでしょう。

そして、バッシングする際に、相手バックグラウンド浅薄だと断定し、それ故の容赦のない罵倒をしている姿も散見されます

ネトウヨパヨクバカにするさまがまさにそれに当たるでしょう。

実際、ネトウヨ罵倒されても仕方ない、パヨクと罵られても仕方ない、そんなふうに思ってしまえる無茶苦茶な人もいますが、それはそれらの言葉が実際使われる頻度よりは遥かに希少なものです。

何故なら、呼称される側が、"その考えに至っても仕方がない"というシチュエーションが大半だからです。

例えば、私はここ六年ほどの韓国政府には一定猜疑心を抱いていますので、韓国政府おかしいと思うことは多々あります

原発に関する強い否定をする方々にも少々距離を置きたくて、放射能を過度に怖がる事がかえって福島の方々を苦しめている様は正視に耐えないものがあります

一方、組織犯罪処罰法の改正案の際は常に政府への不信感があり、ろくに修正されずに可決したことは心の底から落胆しました。急すぎだろあれ。

また、辻元清美と埋め立て作業員関係に関しては、私は完全にデマ判断しています

しかし、人によっては私の韓国原発への言及ネトウヨ認定するかもしれませんし、組織犯罪処罰法改正案の話や辻元清美言及ではパヨク認定するかもしれません。

しかし、それって結局、自分が信じるスタンスと違うからってラベリングして叩いてるだけじゃないですか。それこそ浅はかじゃないですか。

人がその発言をするまでには、前提として知っている情報があって、それは見たテレビチャンネル、読んだ新聞等によって変わってきますよね。

また、どんな知識を今まで培ってきたかによって、情報の受け止め方、咀嚼の仕方は違います

それらの一人一人の違いは、たった一つのイシューの違いでネトウヨだのパヨクだので判断できるものでは到底無く、物凄い幅のあるグラデーションなのです。

さっき韓国政府の話をしましたが、日本から見ると無茶苦茶に見える政府対応も、国の文化制度理解すると、なるほどと合点のいく場合も少なくありません。

ゲーム理論に基づけば、条件さえ揃えば多くの人は同じ行動を選択します。だから、何も不思議なことではないのです。自分の殻に入ったまま批判をしても仕方がないのです。

であれば、自分スタンスの違う人間が何故そんな発言をするのか、考えに至るのか、そこに至るまでの流れを、相手浅薄さと断定せず、何か理由があるのでは、と考えてみて欲しいのです。

原発放射能問題は、シーベルトベクレルと言った単位が、どの値からどれくらいの健康被害が出るのか未だにはっきり断言できず、かつ政府への不信感も合わさることでとにかく怖がっている様子が見て取れ、自民党エネルギーベストミックスと位置づけ原発廃止をする様子がないことから、恐怖感を持っている人はとても強いアレルギーを抱く様子が想像できます

それらの人の人生に、原爆スリーマイル島、福竜丸、チェルノブイリと言った深刻な事故記憶が深く刻まれているなら、尚の事です。

テロ等準備罪と言われる組織犯罪処罰法改正案も、政府立法事実にしてることが全部薄弱な根拠であることに目はつぶるとして、完璧事件を未然に防ぐには、NSAのような事前の操作能力プライバシーを侵しかねないほどの大きさで必要なのも、理解はできます

辻元清美一見も、生コン会社との献金の話は本当でしたし、籠池夫人メール修正求められてそれにメディアが応じたのも、メディア不信の人間からすると、極めて辻元清美に有利に動いたよう映るのもよく分かります。また、訂正報道をしたのも、TBSラジオであり、TBS過去石原慎太郎発言事実と違う形にテロップをつけて放送したことがあるため、信用に値しない、と判断する人もいたことでしょう。

考えはわかる、理解はできてる。

それでも、違うものは違うときもあるのですよ。でもそれは、発言者ネトウヨからでもパヨクからでもない。前提にする知識がまちがっていたり、あるいは不足しているから、事実に即していない発言になるのです。

韓国政府は、バックグラウンド法制度、政治ルールを把握すれば、行動は理解できますが、それが国際法外交の態度として適切かどうかの指摘や非難は、妥当範囲でされて然るべきです。

原発を過度に恐れるのと福島への偏見もつのは、感情論が先行している側面は否定できないでしょう。地域の測定データは常に掲載されており、農産物問題がないと断定できます健康被害は今後も観測必要はいえ、今のところ現れていません。

恐らくリスクがあるだろうと推定できるので怖がるのと、リスクゼロじゃないから怖がるのとでは、随分違うじゃないですか。この場合後者の怖がり方をしているように見えるわけで、その場合、この世に絶対がない以上、安心は得られないって事になります。それは極論だとしても、大丈夫であろうってデータが出ているのですから、それを無視して原発を恐れるあまり福島を過度に恐れるのは、差別につながるってリスクを知って頂くことで、大丈夫であろうってデータ真摯に受け止めて欲しいです。

組織犯罪処罰法改正案も、政府説明する立法事実根拠薄弱である以上、仮に荒れる議題だとしても、プライバシー犯罪抑止議論はしっかりとするべきだったはずで、その点政府は本当に不誠実であったと言わざるを得ません。

辻元清美の一件も、何故籠池夫人がその話を知っていたかという視点に当てると、メールを送ったタイミングのほぼ直前に、そう言った無根拠デマ松山昭彦氏らのブログに載る形でネットに出回っていた事を確認できる以上、それを見た夫人メールを送って、そのメールマスメディア掲載されていたであろうと言う流れを把握して、真偽を推し量ることが必要です。

もちろん、この四つの話題、私のこの書き口に批判があることでしょう。

しかし、批判されても全然いいんです。私は私の知り得る限りの情報から、これらの話の結論を持ってきました。違う結果が出たのなら、それは違う前提知識によるものです。その知識をもとに私を批判することは、私に新たな知識と知見を提示することであり、それは私にとってもとても望ましいことです。

真実の探求やより良い形を求める際、ディベートという討論方式が用いられます

これは、いわゆる言論喧嘩ではなく、それぞれの立場になって、立場をロールし、それぞれの立場知識を用いることで、より良い決断や探求を行うための会議話法なのです。

その観点から言えば、適切な言論批判は大歓迎なのです。

自分と違う意見人間がいたら、すぐに「あなたは間違っている」と言うのではなく、「何故そう思うのですか」と聞き、自分との違いを浮き彫りにしながら、相手立場なら自分はどう考えただろうと想像する。それだけで、随分言論平和になりませんか。

私の両親は共に政治思想リベラルですが、父の場合洋楽にハマってアメリカ文化に興味を持ち、その一環で公民権運動に感銘を受けた背景があります

母の場合、フォトジャーナル誌を出先の銀行で読んで衝撃を受け、以後反戦の思いが強まるとともに、中東問題に強い関心があるためであります

二人とも、共謀罪反対、自民党を快く思ってないって点では一致していますが、根っこに同じものが根ざしているわけでは、全然ないのです。それも、同じ時代を生き、長らく生活を共にしてきた夫婦であってさえ、です。

それだけ、一人一人、考えに至るまでの前提って違うと思うのです。

からネット上で自身と違う意見があっても、想像翼を広げて見てください。向こうにいるのは同じ人間です。必ずしもその人はあなたより劣っているのではなく、あなたと違う人生を送ってきただけなのです。

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

2017-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20170723195744

そうやってしょうもない揚げ足取りばかりして、本論には触れずに自分の見たいようにしか物事を見ない癖、やめたほうがいいよ。

例えに出したのが偶然、横断のマナーだっただけで、別にそこの部分は元増田が言ってる制限速度でもなんでもいい。

あの部分は(もちろんそれが死亡事故に繋がることはあるけども)大体の場合事故に繋がるレベルじゃない(各々がこれくらいなら大丈夫/捕まらない/車もきてないし/等々の判断をしてる)と言うこと。

そういう意図元増田も言っているだろう。それと同じ意図だと解釈できるはずなのに、いちいちケチつけて。論旨はそこじゃない。人の良心で守られている分野だからこそ厳しくなるって所だ。

まあ副流煙放射能なんかよりよっぽど他人の生死に影響する長期的健康リスクになるわけだけど、ここでは生死にはつながらない事にしておいてあげよう。

そうだとしても、生死につながらないなら好きにやっていいっていう論法自体が暴論だという自覚がないの?

マナーの悪い人たちはそもそもが、先の増田で言ったような、自由社会についての社会科で習うような基本のバランス感覚が欠落しているわけ。

不幸にも学生時代にそういう教育が行き届かなかった、いわゆるバカな奴らがマナー蔑ろにして他人迷惑をかけることを平気で人前でし続ける傾向にあるが、

タバコを吸えるくらい大人になったなら、そういう社会の中で生きてる自覚に欠けた精神未熟者をたしなめる立場にならなきゃいかん。

昨今の喫煙マナーが厳しすぎると思うのなら、嫌煙家たちに皮肉を言うんじゃなくて、立法府やら各種施設喫煙ルール策定にかかわってる団体に抗議をするべきだし、そのへんからしてそもそも間違っているんだけどね。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-07-07

https://anond.hatelabo.jp/20170707004329

こういう勝手解釈安直に付け加えるの好きだな

という自己啓発と結びついた安直スピリチュアリズムに他ならない。安倍昭恵人間放射能感謝すると、それだけで放射能の霊が喜び、人間に良いはたらきをすると考えているのだ。

安倍昭恵スピリチュアリズム

以前ブログにも書いたのですが、

もしも私が放射能だったら・・・

人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・

悲しいだろうなあと思ってしまます

嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・

原発肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。

しかし、放射能自体が悪いわけではない。

悪いのは人間です。

私は放射能感謝気持ちを送りますありがとう・・・

意識の持ち方は大切です。

https://www.facebook.com/akieabe/posts/10150571917471779

 安倍昭恵2012年フェイスブックへの投稿話題になっている。

 スピリチュアリズムの悪いところが前面に出ている酷い文章だが、論理の飛躍が大きいせいか、誤解にもとづく非難賛同も多いようだ。とりあえずスピリチュアリズムとしての解釈を示してみたい。

悪の問題について

 安倍昭恵記事の最大の問題は、「人間」を一枚岩で捉えて「放射能(ここでは原発関連の放射性物質のこと、以下同じ)」に「一億総懺悔&総感謝」的に反省することで、現実社会問題被害と加害の関係等閑視することにある。とはいえ、ここで書きたいのはまた別のことで、「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所についてだ。

 この解釈として、安倍昭恵の弟の松崎勲はこの記事におそらくは賛同の意を込めて「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」とコメントしている。これは道徳的価値において人間物質関係を「非対称的」に捉える思考だ。善や悪という道徳的概念人間領域限定されていて、「善悪無記」の物質自然物)にそれを押し付けることはカテゴリーミステイクであるという発想だ。

 松崎勲と類似コメントは数多くある。しかし、これらは安倍昭恵思想根本的に誤解している。

 そもそも記事の前半の「もしも私が放射能だったら・・・」という想定が「対称性」の思考のものである。そしてスピリチュアリズムとは、人間とそれ以外(生物自然)を霊の次元において連続的・「対称的」に捉え、それらの霊の交わりを説く思想である。百歩譲って放射能人格化し、感情を想定するのは共感能力だけで可能だとしても、その感情にもとづいて現実になんらかの力が行使される(「嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・」)とまで想定するのは霊のはたらきを考慮に入れないと不可能だろう。

 このような「対称性」のスピリチュアリズム記事の後半にも貫徹されている。

 「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所は、「人間善悪無記の放射能悪用した、すなわち人間社会にとって有害に用いた」という意味ですらない。安倍昭恵の関心は、人間社会のものにはなく、あくまで「人間」が放射能にどのような心情・態度を示し、どのようにスピリチュアルな交わりを実現するか、にある。つまり安倍昭恵糾弾する悪とは、前半で想定されていた、人間放射能を「人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い」することの悪に他ならない。

 問題の箇所をわかりやすく言い換えると、「放射能といういじめられる方が悪いわけではない。悪いのはいじめる方の人間です」となる。これは紛れもなく「対称性」のスピリチュアリズムである。(いじめる方といじめられる方関係非対称的だ、と思われるかもしれないが、ここでいう「対称性」とは「入れ替え可能性」のこと。)

 要するに安倍昭恵はこの記事で一貫して霊の次元における「人間」と放射能の「対称性」を主張しているのである。したがって、スピリチュアルな感度のない弟の松崎勲の「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」というコメント安倍昭恵への賛同どころか、アイロニーとなってしまっているのである

槇原敬之の「Appreciation」との比較

 安倍昭恵記事を読んで、槇原敬之2011年に発表した曲「Appreciation」(http://j-lyric.net/artist/a0005ff/l025b9d.html)を思い出した人は多いと思われる。この曲にあるのは「僕ら」の原発への態度の豹変反省し、感謝の大切さを唱える内省精神である。言うまでもなく、それは外部の現実から目を閉ざすことと表裏一体であり、発表当時に物議を醸したのも当然といえる。

 一方、安倍昭恵場合は、同じように「人間」の放射能への態度の豹変をなじり、放射能感謝を捧げるわけだが、槇原と違って単なる内省ではないところがポイントだ。安倍昭恵は「意識の持ち方は大切です」と文章を結んでいるが、ここにあるのは「(無意識を含む、思考欲望などの)意識は(霊のはたらきによって)現実化する」、つまり意識の持ち方こそすべて」という自己啓発と結びついた安直スピリチュアリズムに他ならない。安倍昭恵人間放射能感謝すると、それだけで放射能の霊が喜び、人間に良いはたらきをすると考えているのだ。

スピリチュアリズムから批判

 安倍昭恵スピリチュアリズムというレッテルを貼って終わるといかにも安易でつまらないので、最後スピリチュアリズムの内部から批判してみる。さしあたりスピリチュアル知識人として影響力のある中沢新一議論を援用する。上で用いた「対称性」という言葉中沢の大好きな概念であるが、中沢ならば安倍昭恵批判するに違いないかである。『日本の大転換』の冒頭の内容を可能なかぎり簡略化して述べてみよう。

 人間地球自然生態圏のうちに社会をつくりだし、生きてきた。地球の生態圏には、太陽からの(核融合の)エネルギー植物光合成によって媒介されて持ち込まれさら動植物の死骸の分解という何重もの媒介メカニズムによって化石燃料はつくられてきた。しかし、原子力は生態圏に太陽圏の(核分裂の)エネルギーを無媒介にもたらすものであるため、生態圏そのものを壊す危険性をもっている。

 中沢議論にもさまざまなツッコミどころがあるだろうが、ここでは措く。たとえば中沢原発一神教の神に比してもいるが、要するに、「対称性」の思考は生態圏のうちでのみ働くものであって、その外部の無媒介な導入である一神教の神・原発放射能には適用できないということである

 中沢議論にどれほど説得力を感じるかは人それぞれだろうが、少なくとも安倍昭恵のような「対称性」が大好きなスピリチュアリストならば、傾聴すべきではないだろうか。

原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたか自然事物のように扱うことは許されない。……生態圏の自然太陽圏の『自然』を混同することほど、危険なことはない」(『日本の大転換』39頁)。

2017-07-04

昭恵夫人って大丈夫なの?共産党員の俺でも心配になってくるレベルなんだが

安倍昭恵

以前ブログにも書いたのですが、

もしも私が放射能だったら・・・

人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・

悲しいだろうなあと思ってしまます

嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・

原発肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。

しかし、放射能自体が悪いわけではない。

悪いのは人間です。

私は放射能感謝気持ちを送りますありがとう・・・

意識の持ち方は大切です。

https://www.facebook.com/akieabe/posts/10150571917471779

2017-06-24

【続報】クジラックスの件、マンガ模倣した男は妻子持ちだったと判明

被告犯行当時、妻子がいたというが、自転車で追い抜きざまに小学校高学年くらいの女児の体を触るなどの犯行を30~40件繰り返していたという。

  

放射能検査を装う 女児の体触った男初公判 容疑認め涙 類似漫画作者に県警申し入れ」

http://www.sankei.com/affairs/news/170622/afr1706220026-n1.html

犯人が妻子持ちってことは、成人女性とも普通に性的関係になれる男だということだよね?

ロリコン幼女相手じゃないと性的充足を得られない」という先入観鵜呑みにして、それゆえに危険だと敵視する意見も、性的マイノリティだと擁護する意見も、どっちも的外れじゃん。

  

  

  

ついでに言っておくと、クジラックス漫画で抜いているのは、ロリコンじゃねーから

これは案外オタクじゃないと分からないことかもしれないけど、二次元ロリキャラが好きなのと、三次元幼女が好きっていうのは、全然ちがうことだからね。

  

あと、クジラックス漫画で抜くからといって、他のエロ漫画でもロリキャラが出てくるものが好きだというわけじゃない。

そのへんは個人差がある話だろうけど、あまり無茶な単純化をしてほしくない。

表現規制の論者はオタクのことを何も分かってなくて、そのセクシュアリティ一方的に決めつけていたり、とんでもない勘違いをしている感じがあるなーとは思っている。

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