はてなキーワード: 合併症とは
大抵、SNSで公開しづらいトピックを増田で書いている。個人的にそういうことにしている。
鍵アカウントだろうとなんだろうと、他人の目がいつまでも気になって仕方がない。自意識過剰なのだ。
知人から「あいつ、いい歳してこんなこと言ってら」と鼻で笑われたくない。
「まあ!平日にこんなこと言って……どうしようもない人!」「食事時に妙なもん見せて……許さないよ」
そう思わせたくもないのだ。
だから、私は増田で猫のうんちについて書く。しかも「うんち」について、「嬉しい」と思う感情について書く。
タイトルも「猫」「うんち」「嬉しい」の三語をきちんと入れて、非常にシンプルだ。
おそらく猫のうんちの話を読みたくない人はここまで読んでいないだろうから、猫のうんちについて書き続ける。
我が家では猫を三匹飼っている。
一匹は四歳、もう一匹は三歳、もう一匹は十五歳だ。
普段三匹ともふわふわ転がってニャーニャー言ってるだけなのであまり意識しないが、改めて書くとそれぞれの年齢にかなり開きがある。
上記の三匹の中で、最もでかいうんちをするのは十五歳である。若者と暮らしつつ、気圧されることなく平然とビッグうんち。それだけでも大したもんだ。
四歳と三歳は子猫の頃から一緒に暮らしているので、共に過ごした年月=年齢として数えやすい。
だが、十五歳はちょっと複雑だ。長い付き合いと言えばそうなのだが、十五歳は私が十代、高校生の頃に育ての親が実家で飼い始めた猫だ。
飼いたての頃は瘦せっぽちの子猫で、子猫だてらに細い喉から轟音を響かせていた。
あまりに喉から鳴る音がビッグすぎるので、Yahoo!知恵袋で「猫の喉の音が大きすぎます。病気でしょうか」とトンチンカンな質問をしたのもいい思い出だ。
うんちから話が逸れた。
最初に十五歳のうんちがでかいということを発見したのは、育ての親である祖父だ。
十五歳がアメリカ原産の猫であることから、祖父は「うんちもアメリカンサイズ」と称していた。
インターネットでうんちを実在の国に例えるの、いいんだろうかと思うが、大きさを称える表現だから良しとする。その発言をした人物はもう亡くなっているのだし、責めても仕方がない。
五年前、祖父が骨髄腫とその合併症で亡くなった。それからは祖母の認知症は、坂を転がり落ちるように悪化していった。
十五歳(当時十歳か 若いね)の世話によって随分歯止めがかかっていたようだが、転倒事故で入院してからはもうダメだった。
老人の事故と入院は本当にダメだ。事故を境に、とうとう十五歳の面倒も見られなくなってしまった。
結局のところ、十五歳の面倒を見る家族が実質いなくなってしまったことから、十五歳を引き取ったのだ。そういう経緯で、十五歳は我が家で暮らしている。
そして、何の因果か昨年、十五歳は祖父と同じ血液、リンパ系のガンになってしまった。
猫の病気というと内臓が弱るか、認知症か。なんとなくそう考えていたところで割と珍しいとされる部位に発生した悪性腫瘍、晴天の霹靂だった。
診断を医師から聞かされたときはショックでちょっと寝込んだが、今のところ十五歳は凄く元気だ。
寝室に行こうとすると、先回りしてベッドに潜って待っていて、ニャー、と啼く。
台所で鶏肉を切ったり、ツナ缶を開けたりすると、食べたくて仕方なくて四歳や三歳よりもがっついて腕を伸ばしてくる。
今もこうしてパソコンのキーを叩いていると、横に来て「撫でてくれ」と言わんばかりに前足で二の腕をつついてくる。
そんで、この家で誰よりもでかすぎるうんちを出す。人間と同じくらい迫力のある成果物を毎日出す。
くせえ!と言いながら、毎日毎日でかすぎるうんちを、私は喜んでいる。
今でも十五歳の体内に病魔が巣食っていることを考えると憎いが、十五歳は凄く元気だ。
だから、次第に、まあ、そういうこともあるか、生き物だものなあ、と思うようになった。
生きていりゃ血液の病気にもなるし、認知症にもなる、内臓も悪くなる。実際、私の肝臓は事故で立体パズルのように割れたことがある。なんでもあるね、生きてりゃ。
毎日誰かに寄り添う元気が湧いて、食欲があって、うんちをもりもりする体力がある。
ありがてえなあ、ありがてえ。生き物として上出来だよ。それで上出来だ。
本当に毎日でかすぎるうんちを出していて、お前は最高だよ。
猫のうんちがでかすぎて、私は本当に嬉しい。
まさか自分が、子供の頃に漫画やドラマで見た無能な大人になるなんて思ってもみなかった。
仕事ができない、空気が読めない、いつもヘラヘラしている、周りから舐められている、恋人どころか友人もいない、みたいな特徴で描写されている大人を見るたびに、子供の頃の俺は「何でこの人はもっと努力しないんだろう」とか「この年になるまで、何で精神的に成長しなかったんだろう」とか思ってた。
まぁその考え自体は間違ってはいなかったんだけど、まさか自分がそんな大人になるとは。
作業スピードが遅いからいつも進捗が遅れているし、記憶力が低いから新しい知識の吸収が遅い。
人の話を長時間聞いていられないし、相手の立場に寄り添った言動や行動ができない。
他人に興味がないのに無理に愛想良くしようとするからいつもヘラヘラしている。
仕事できないし雄として強くもないから後輩からも舐められっぱなし。
毎日、こんなはずじゃなかったのにと思いながら過ごしている。
理想と現実のギャップに耐えられず、精神的に参ってしまい、軽い拒食症になりBMIが15を切った時期があった。
ショックだったけど、妙に納得感はあった。
自分が無能であると分かった今、子供の頃に見た無能な大人や、今周りにいる無能な大人にも少し共感できるようになった。
彼らも必死に生きてんだな。
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230616225357
午後からカテーテル検査を行い、その際、手術を行うことになるだろう。
その前に脳外科医と手術室前の懇談室で会うことになった。
「同意書等を書いていただくので、早めに来てください」
昨日、夫が食べるはずだった夕飯を温めて食べながら、スマホで検索をした。
くも膜下出血の治療について、予想される合併症、脳梗塞、水頭症、退院までの経緯などなど。
そうなるよなという現実。
3分の1は助からず、3分の1は重篤な後遺症が残り、残りが社会復帰できる。
その現実は重過ぎるよな。
父の葬儀の時、BGMを指定しなかったら、葬儀社がジブリのメドレーを選択した。
今思うと、あれは良くなかった。
だから、葬儀の時のBGMは必ず指定しよう。自分の葬儀ではこれを使ってというのはある。
でも、夫はなにがいいんだろう。
このまま、話が出来なかったら、わからないままか。
そんなどうでもいいようなことが浮かんでは消えていた。
「夜1時過ぎに画像は見たのですが、出血した箇所がわからなかったんです」
くも膜下出血の90%は脳の血管の瘤のような個所から出血する。
手術は、コイルのようなものを出血した瘤に置く。それで血は固まり、瘤は固定化され、出血は止まる。
父と母は亡くなっているので元々いない。
「〇〇家」は、年の離れた兄三人と私とで細々と写真とか載せてるグループだった。2016年ぐらいまでは。
元々兄妹全員市内に住んでてとても仲が良かったので、自然と兄の嫁さんと会う機会も増えた。
まあ私と違って温厚な兄が選んだ女の人たちだ、皆やさしかった。
でも私とは仲良くなれなかった。
私のことを溺愛している兄を気遣ってか、どの嫁さんも「お姉ちゃんだと思って!」とフレンドリーに接してくれた。
でも家族にはなれなかった。話はそれなりに弾むけど、「家族」というよりは「親戚」という感じだ。仲が良くて距離の近い他人。
私があんまり馴染めてないのを分かってるのか分かってないのか、兄はどんどん嫁さんたちをプッシュしてくる。
赤ちゃんができてからはなんかアルバムがマタニティフォトとかでいっぱいになった。非常にめでたい。全員無事に生まれた。
私はというと就活と持病で今すごく困っている。
去年病院で検査受けたら糖尿病らしくて、最近はインスリンを打つようになった。
母親も糖尿で合併症起こして死んだので正直「もう私詰んでない?」という気持ちでいっぱい。
兄には言ってない。言ったら大事になりそう。
就活もあまりうまくいってない。内々定は貰えそうだけどそれは行きたい企業からではない。
こういうとき両親に愚痴を言えればいいんだけど、もういない。兄にもなんて連絡すればいいのか分からない。家庭を持ってから、なんだか距離がぐんと離れた気がする。
昨日の夜、皆でホテルのスイーツビュッフェ行こう!絶対参加な!というラインがきた。兄から。
「どの日も予定があって無理かも!ごめん」とスタンプ付きで返事をして、その1時間後にグループを退会した。
そしたら朝に兄から電話があった。完全に寝ぼけてたのでつい受けてしまった。
めちゃくちゃ怒ってた。「お姉ちゃんがすごい悲しんでる、せっかく誘ったのに」と言われた。
ああはい、はい、みたいな生返事をして、段々怖くなってきたので電話を切った。
おわり
普段行かないエリアだったのだが時間のせいかエリアに客は誰も居ない。
途中で客のいないコンタクトレンズ屋の受付に店員が3人いて3人とも俺を見てくる。
窓口では初めてですか?と聞かれ、俺はええ初めて来ましたよ。と言いながら瞼を捲り腫れを窓口の女に見せる。
保険証かマイナンバーカードの提示を求められ、さらには問診証を書けという。
症状はさっき瞼を捲って見せたんだがなぁ、と思いつつも問診書を埋めていく。
俺は空欄を埋めるのが早いのだ。学校でも終われば退出出来る試験の場合真っ先に退出するタイプ。
通されたら目に空気を吹きかけられて気球を見せられたりと散々な目に遭わされてようやく医者とご対面だ。
医者は俺の目を見てさっさと診断する。
診断結果は片眼に麦粒腫と両眼が結膜炎になっているという。
両眼ですか。
先週は水虫で今週は結膜炎か。
その後客のいないコンタクトレンズ屋を通り過ぎて、親子丼を食べて帰宅した。
不幸に打ち克ちたい。
基本的に医師として一つの診療科で一人前になるには、経験年数10年は要します。
概ね、卒後6から7年後に受験する専門医試験に合格してようやく半人前といった感覚ですし、非専門医ではただ医師免許を持ち少し研修しただけのレベルに近いです。
しかし、美容分野に進む医師の中に、他科で専門医を取得すら出来ず所謂ドロップアウトした方が多く含まれているのが現実です。
もちろん、誰しもが初めから名医ではないですし、専門医や学位がその医師の能力の全てを表す尺度ではありません。
しかしながら、美容医院を受診する際には他の診療科以上に担当医師の年次や経歴を十分に確認することが重要です。
美容分野の医師にやばいのがいるのは同意です。一昔前までは別の科で何年か医者やってからのドロップアウト組、一般形成外科で研修を積んでから異動組のどちらかが多かったですが、最近は研修終わりにストレートで美容に就職して、はなから院長みたいな子達が結構います。合併症やアレルギー対応等は医師としての経験が重要なのにこんな若くして美容では何も対応できないでしょう。病院選びはほんと大事だと思います。ただ、今回の脱毛クリニックは雇われ院長で運営が酷いだけだと思います。
周りが国立医学部行って1人だけ多額の寄付して聖なんたら大学行って落ちこぼれて5回留年、国試も3回目でようやく受かった。特に目標がないから専門医も取らずにのらりくらり。気付いたら美容外科に転科してたけど怪しくてしゃーない。
近年、アメリカとかで、アルツハイマーやパーキンソン病に効果があったから、鬱も電極ブッ刺しゃー良いんだよってとかでやってるけど、
(ナゾロジーで雑に紹介されていてそれを真に受けている人たちで溢れて地獄みがあった。
増田にもいた。見本→ https://anond.hatelabo.jp/20230428174422 https://anond.hatelabo.jp/20210125124347#
当たり前だけど、アルツハイマーやパーキンソン病のDBS治療と同じく、
そもそも効果が出ない・それどころか悪化する・電極埋込による合併症/副作用、最初は効果があるが効果が薄まる可能性・・・などがあるし、
なによりも長期的な影響について何も結果が出てない。過去にはロボトミー手術を流行させたアメリカの神経科学者どもあのさぁって気持ち)
フツーに考えて、鬱はソーシャル的な問題と食い物と運動による自律神経・腸内環境の問題だと思います
それだけで解決できないヤツはカビとかウイルスとかじゃないですかね。アルツハイマーやパーキンソン病がそうであるように
カンジタとかヘルペスとか。ホンマ、風俗行ったりクンニとか言ってるヤツは理解し難いわ。ガン含めて万病の元なのに
まぁPg菌とか他にもあげたらキリ無いけどね
Are infections seeding some cases of Alzheimer's disease? - Nature
https://www.nature.com/articles/d41586-020-03084-9
アルツハイマー病は「脳が感染と戦った結果」なのか:研究結果
https://wired.jp/2016/06/03/brain-infections-may-spark-alzheimers/
2ヶ月くらい前から、朝に目を覚ました瞬間飛び起きるようになった。
今まではアラームが鳴ってもあと5分とか言ってまどろんでたのに、最近は生きてる時間を意識のない状態で消費するのがもったいなくてすぐに起きてしまう。
そして起きた直後からせかせかとあれやこれや手を出すのだけど、数分休憩するだけで気が散ってしまうので、ぶっ続けで作業するしかない。身体は超人ではないので、午後3時頃に電源が切れたように何も出来なくなる。
それでも何となく意識を手放すのが怖くてだらだらとネットして、決めた時間に義務感で薬飲んで無理矢理寝て、また朝に飛び起きる。
午前中から適宜休憩して、どうしようもない午後を有効活用したいのに、体力が尽きるまでは休むことへの焦燥感と罪悪感で休めない。
睡眠と死への恐怖が混ざって、目を閉じるだけの休憩も出来ないから、眼精疲労が酷くて日を重ねるごとに体調が悪くなっていく。
薬は変えてないし飲み忘れもない。人生に転機もない。突然の変調をどうしたらいいのだろう。
そもそも突然、死が怖くなって落ち着かない、なんて医者にも言っていいのかな。