はてなキーワード: 合併症とは
検診で女児が服を脱がされている。男性校医の性的好奇心のために。そう思っている方がおられるようだが、そんなことはないと思う。
僕は消化器内科医として大腸の内視鏡や造影検査でたくさんの方のデリケートゾーンで仕事をしてきた。いまも在宅医として日々尿道留置カテーテルの挿入などしているが、そこに何か特別な感情が生じることはない。
意識してきたのは「目の前の患者さんに必要な処置をできるだけ少ない苦痛で」。
もちろん脱がされること自体が苦痛になりうる。羞恥心への配慮は大切だが、それによって診療としての必要条件が満たせなければ結局患者さんの不利益になる。
少し前、AEDを使用する際に女性の胸をはだけることが許されるか話題になった。秒を争う救命処置と胸を隠すこと、どちらが優先されるべきなのか。ここに議論の余地があるとは思ってもいなかった。
救命できなければ問題にされる、救命できても胸をはだけたことで問題にされる、こんな状況で誰が「若い女性」の救命処置に関わろうと思うのだろう。
僕の子供のころは上着を脱いで検診を受けるのは当たり前だった。そこに当人が疑問を感じることも保護者のクレームもなかった。それは検診の意味をみんなが理解していたからか、あるいは医師に対する無条件の信頼があったからなのか。
今は、おそらく医師の視診・触診・聴診・打診に対する信頼度が下がっているのだろう。あるいはそれ以前に医師の人間性に対する信頼が失われているのかもしれない。
一方で診断機器に対する信頼は厚い。保護者の多くは心疾患の除外診断にはエコーを、側弯の除外診断にはエックス線検査をすればいいと思っているはずだ。
これは医師ー患者の双方にとって望ましい状況ではない。しかしこの状況は、近年、医師が日々の診療でカルテ画面見て「患者」をきちんと診察せず、検査結果だけで病気を診断してきた結果なのかもしれないとも思う。
でもこれは医師だけの責任にはできないとも思う。外来に溢れる多数の患者、待ち時間に対するクレーム、診断ミスや処置の合併症に対する訴訟リスク。これは日本の健康保険制度に基づく医療提供体制そのものの問題でもある。
患者と医師の双方にとって最適な診療環境とはどのようなものなのか。医療に対して失われた信頼をどう取り戻していけるのか。あるいは、テックの進化で、もうそんなものは必要とされなくなるのか。
大抵、SNSで公開しづらいトピックを増田で書いている。個人的にそういうことにしている。
鍵アカウントだろうとなんだろうと、他人の目がいつまでも気になって仕方がない。自意識過剰なのだ。
知人から「あいつ、いい歳してこんなこと言ってら」と鼻で笑われたくない。
「まあ!平日にこんなこと言って……どうしようもない人!」「食事時に妙なもん見せて……許さないよ」
そう思わせたくもないのだ。
だから、私は増田で猫のうんちについて書く。しかも「うんち」について、「嬉しい」と思う感情について書く。
タイトルも「猫」「うんち」「嬉しい」の三語をきちんと入れて、非常にシンプルだ。
おそらく猫のうんちの話を読みたくない人はここまで読んでいないだろうから、猫のうんちについて書き続ける。
我が家では猫を三匹飼っている。
一匹は四歳、もう一匹は三歳、もう一匹は十五歳だ。
普段三匹ともふわふわ転がってニャーニャー言ってるだけなのであまり意識しないが、改めて書くとそれぞれの年齢にかなり開きがある。
上記の三匹の中で、最もでかいうんちをするのは十五歳である。若者と暮らしつつ、気圧されることなく平然とビッグうんち。それだけでも大したもんだ。
四歳と三歳は子猫の頃から一緒に暮らしているので、共に過ごした年月=年齢として数えやすい。
だが、十五歳はちょっと複雑だ。長い付き合いと言えばそうなのだが、十五歳は私が十代、高校生の頃に育ての親が実家で飼い始めた猫だ。
飼いたての頃は瘦せっぽちの子猫で、子猫だてらに細い喉から轟音を響かせていた。
あまりに喉から鳴る音がビッグすぎるので、Yahoo!知恵袋で「猫の喉の音が大きすぎます。病気でしょうか」とトンチンカンな質問をしたのもいい思い出だ。
うんちから話が逸れた。
最初に十五歳のうんちがでかいということを発見したのは、育ての親である祖父だ。
十五歳がアメリカ原産の猫であることから、祖父は「うんちもアメリカンサイズ」と称していた。
インターネットでうんちを実在の国に例えるの、いいんだろうかと思うが、大きさを称える表現だから良しとする。その発言をした人物はもう亡くなっているのだし、責めても仕方がない。
五年前、祖父が骨髄腫とその合併症で亡くなった。それからは祖母の認知症は、坂を転がり落ちるように悪化していった。
十五歳(当時十歳か 若いね)の世話によって随分歯止めがかかっていたようだが、転倒事故で入院してからはもうダメだった。
老人の事故と入院は本当にダメだ。事故を境に、とうとう十五歳の面倒も見られなくなってしまった。
結局のところ、十五歳の面倒を見る家族が実質いなくなってしまったことから、十五歳を引き取ったのだ。そういう経緯で、十五歳は我が家で暮らしている。
そして、何の因果か昨年、十五歳は祖父と同じ血液、リンパ系のガンになってしまった。
猫の病気というと内臓が弱るか、認知症か。なんとなくそう考えていたところで割と珍しいとされる部位に発生した悪性腫瘍、晴天の霹靂だった。
診断を医師から聞かされたときはショックでちょっと寝込んだが、今のところ十五歳は凄く元気だ。
寝室に行こうとすると、先回りしてベッドに潜って待っていて、ニャー、と啼く。
台所で鶏肉を切ったり、ツナ缶を開けたりすると、食べたくて仕方なくて四歳や三歳よりもがっついて腕を伸ばしてくる。
今もこうしてパソコンのキーを叩いていると、横に来て「撫でてくれ」と言わんばかりに前足で二の腕をつついてくる。
そんで、この家で誰よりもでかすぎるうんちを出す。人間と同じくらい迫力のある成果物を毎日出す。
くせえ!と言いながら、毎日毎日でかすぎるうんちを、私は喜んでいる。
今でも十五歳の体内に病魔が巣食っていることを考えると憎いが、十五歳は凄く元気だ。
だから、次第に、まあ、そういうこともあるか、生き物だものなあ、と思うようになった。
生きていりゃ血液の病気にもなるし、認知症にもなる、内臓も悪くなる。実際、私の肝臓は事故で立体パズルのように割れたことがある。なんでもあるね、生きてりゃ。
毎日誰かに寄り添う元気が湧いて、食欲があって、うんちをもりもりする体力がある。
ありがてえなあ、ありがてえ。生き物として上出来だよ。それで上出来だ。
本当に毎日でかすぎるうんちを出していて、お前は最高だよ。
猫のうんちがでかすぎて、私は本当に嬉しい。
世の中にはひどいいじめにあおうが、父親が暴力を振るうようなゆがんだ家庭環境に育とうが、
それを乗り越え、心に傷も残さず、たくましく社会に適応できる人もいる。
しかし、世の中はそんな人ばかりではない。
予防的な観点から考えれば、発達障害者は一般の健常者以上にストレスやプレッシャーの少ない環境で、
にもかかわらず、現実は全く逆で、発達障害者特有の言動が、「 怠け者 」 や 「 変わり者 」、「 自分勝手なわがまま人間 」 と誤解され、
毎日のように親や教師などから厳しく叱責され、級友のいじめの対象になる。
まさか自分が、子供の頃に漫画やドラマで見た無能な大人になるなんて思ってもみなかった。
仕事ができない、空気が読めない、いつもヘラヘラしている、周りから舐められている、恋人どころか友人もいない、みたいな特徴で描写されている大人を見るたびに、子供の頃の俺は「何でこの人はもっと努力しないんだろう」とか「この年になるまで、何で精神的に成長しなかったんだろう」とか思ってた。
まぁその考え自体は間違ってはいなかったんだけど、まさか自分がそんな大人になるとは。
作業スピードが遅いからいつも進捗が遅れているし、記憶力が低いから新しい知識の吸収が遅い。
人の話を長時間聞いていられないし、相手の立場に寄り添った言動や行動ができない。
他人に興味がないのに無理に愛想良くしようとするからいつもヘラヘラしている。
仕事できないし雄として強くもないから後輩からも舐められっぱなし。
毎日、こんなはずじゃなかったのにと思いながら過ごしている。
理想と現実のギャップに耐えられず、精神的に参ってしまい、軽い拒食症になりBMIが15を切った時期があった。
ショックだったけど、妙に納得感はあった。
自分が無能であると分かった今、子供の頃に見た無能な大人や、今周りにいる無能な大人にも少し共感できるようになった。
彼らも必死に生きてんだな。
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230616225357
午後からカテーテル検査を行い、その際、手術を行うことになるだろう。
その前に脳外科医と手術室前の懇談室で会うことになった。
「同意書等を書いていただくので、早めに来てください」
昨日、夫が食べるはずだった夕飯を温めて食べながら、スマホで検索をした。
くも膜下出血の治療について、予想される合併症、脳梗塞、水頭症、退院までの経緯などなど。
そうなるよなという現実。
3分の1は助からず、3分の1は重篤な後遺症が残り、残りが社会復帰できる。
その現実は重過ぎるよな。
父の葬儀の時、BGMを指定しなかったら、葬儀社がジブリのメドレーを選択した。
今思うと、あれは良くなかった。
だから、葬儀の時のBGMは必ず指定しよう。自分の葬儀ではこれを使ってというのはある。
でも、夫はなにがいいんだろう。
このまま、話が出来なかったら、わからないままか。
そんなどうでもいいようなことが浮かんでは消えていた。
「夜1時過ぎに画像は見たのですが、出血した箇所がわからなかったんです」
くも膜下出血の90%は脳の血管の瘤のような個所から出血する。
手術は、コイルのようなものを出血した瘤に置く。それで血は固まり、瘤は固定化され、出血は止まる。
父と母は亡くなっているので元々いない。
「〇〇家」は、年の離れた兄三人と私とで細々と写真とか載せてるグループだった。2016年ぐらいまでは。
元々兄妹全員市内に住んでてとても仲が良かったので、自然と兄の嫁さんと会う機会も増えた。
まあ私と違って温厚な兄が選んだ女の人たちだ、皆やさしかった。
でも私とは仲良くなれなかった。
私のことを溺愛している兄を気遣ってか、どの嫁さんも「お姉ちゃんだと思って!」とフレンドリーに接してくれた。
でも家族にはなれなかった。話はそれなりに弾むけど、「家族」というよりは「親戚」という感じだ。仲が良くて距離の近い他人。
私があんまり馴染めてないのを分かってるのか分かってないのか、兄はどんどん嫁さんたちをプッシュしてくる。
赤ちゃんができてからはなんかアルバムがマタニティフォトとかでいっぱいになった。非常にめでたい。全員無事に生まれた。
私はというと就活と持病で今すごく困っている。
去年病院で検査受けたら糖尿病らしくて、最近はインスリンを打つようになった。
母親も糖尿で合併症起こして死んだので正直「もう私詰んでない?」という気持ちでいっぱい。
兄には言ってない。言ったら大事になりそう。
就活もあまりうまくいってない。内々定は貰えそうだけどそれは行きたい企業からではない。
こういうとき両親に愚痴を言えればいいんだけど、もういない。兄にもなんて連絡すればいいのか分からない。家庭を持ってから、なんだか距離がぐんと離れた気がする。
昨日の夜、皆でホテルのスイーツビュッフェ行こう!絶対参加な!というラインがきた。兄から。
「どの日も予定があって無理かも!ごめん」とスタンプ付きで返事をして、その1時間後にグループを退会した。
そしたら朝に兄から電話があった。完全に寝ぼけてたのでつい受けてしまった。
めちゃくちゃ怒ってた。「お姉ちゃんがすごい悲しんでる、せっかく誘ったのに」と言われた。
ああはい、はい、みたいな生返事をして、段々怖くなってきたので電話を切った。
おわり