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2024-11-17

JR北海道保線はもう限界じゃないか

北海道函館線って路線貨物列車脱線した。今のところ原因は調査中だが、レールが吹っ飛んでいるか十中八九JR北海道が悪いってなるだろう。自分が知る限り最悪のタイミングで起きた事故だと思うし、重い貨物列車から横転しなかったが、軽くて速度の出る特急列車だったら横転して死者出てもおかしくなかったんじゃないか

自分日本のどこかで線路保守、いわゆる保線に関わったことがある身として記者会見の内容をYouTube見直したが、「10月に検測車で測定した線路検査データ問題は無かった」って保線をやったことある人なら、レールが吹っ飛んだんだから超音波検査データ問題いかを報告すべきだろって思うだろう。会見で歪みのデータ問題は無かったは的外れ医者で例えたら、外見に問題は無いけどCT撮ってみたらヤバい状態でしたって感じ。

結局踏切の中が湿っていてレールの鉄が腐食していて、そこに脱線した貨物列車最後トドメを刺してレールが切れたんだと思う。

レールをしっかり検査して交換すれば起きなかった話だが、曲線のレールだから交換ってなると数百メートルやらなきゃいけない。曲線のレール交換は祭りかってくらい作業員集めなきゃならんから悪くなる兆候があれば計画的にやらなきゃいけないんだが、結局人が居ないってのは全国的問題特に北海道は雪で作業できない期間があるから追いつかなくなるのも理解できる。

まあ金ありません利益出ません。だけど北海道本州物流のために整備してくださいってなったらそら破綻するわ。物流2024年問題解決せずズルズル年末を迎えようとしてるじゃん。

この件でJR北海道国営化に向けて一気に話が進む気もする。

2024-10-19

君はどう思って身を投げたのか

土曜日、待ちに待った週末だ。

君にはどんな景色に見えたか私たちは知らない。

人身事故が起きたのは一目でわかった。

群がる人だまりブルーシートを広げる駅員。

いつも通る踏切の前だった。

駅に向かうとけたたましいサイレン階段に座り込む人々でまさに混沌を極めていた。

昔、電車身投げしたことがある。

いや厳密にはすんでのところで止められたのだ。

見も知らぬおばさんに手を引き止められ大声で怒鳴られた。19歳のときだ。

家出しようと思って友達既読無視されたとき、ああ自分は誰から必要とされていないんだと思って身を投げた。

その日は土曜日だった。

電車身投げしようとする思考を私は知っている。

自分死ぬことで嫌な思い出として他人の中で生きたい」

実際本当にそうなると思っていたのだろう。そう思いたかったのだ。

でもたった50分で電車は復旧して、もう90%の人は運休の話をしていない。

君の策略にいとも簡単に嵌っているのは、この世界で私しかいないんじゃないかと思ってしまうくらいだ。

歩いて隣町に向かったのも友達との予定が遅れたのも、何も迷惑に思えない。

もちろん私の尊大自尊心が揺らいでないとはいえない

でも君はこんな日に何を思って身を投げたのだろう。

明日日曜日

暑さが止んで、これから始まる秋に何を思って身を投げたのだろう。

今これを書きながら、電車に乗っている。

私は君になるかもしれなかった人だ。

明日もただ自分のために金を稼いで疲れて寝る。

君はそうなりたくなかったのかもしれない。

2024-10-12

今日異世界行ってきた!

今日仕事休みで、やらなきゃいけないことは山積みだけどやりたいことは特になくて暇だったか異世界探して行ってみることにした。

(実は異世界は実は気軽に行けるのだ。車がなくても自転車がなくても。その気さえあればだけど)

外に出たらほどよい日差しが降り注いでて、透き通っててどこまでも遠くに見える青空の下で爽やかな風が吹いていた。いい日和だ。夏といえば海だけど、秋といえば異世界だと思う。

20分ぐらい調べて見つけた異世界場所Google Map上で車で15分、徒歩48分の距離だった。車で行ったら折角の旅が勿体無いので歩くことにした。

道案内はGoogle先生に任せて、Apple Watchに進む方向を指示されるまで周囲を見渡しながらのんびり歩いた。

道中、普段は気に留めていなかったような場所に「神と和解せよ」とか書いてある謎のブリキ看板を見つけたり、知らない和菓子屋のぼりに「◯◯町の銘菓!おもちバー」って書いてあるの見つけて、聞いたことね〜って思いながら店先を覗いてみたりした。見てみたけどやっぱり知らなかったし、何だったら検索しても出てこなかった。もう既に異世界に足を踏み入れていたらしい。

しばらく歩くと畑が続くようになって、腰ぐらいの高さのあるハスの葉の群れを横目に、半分透き通った若草色の川の側の農道を歩きながら、うっかり風に乗ってきた堆肥匂いダイレクトかいじゃって、うわ臭っ、なんて思いながらも、故郷の川の近くにもヤギ小屋があって通りがかったりするとこの匂いしたな〜なんて思い出したりした。やっぱりどこの世界似てるところはあるもんだよね。

それから歩き続けたらよく分からんドームみたいな施設見つけて、小学校ジムかな〜なんて思いながら調べたらまあまあ大きな宗教施設で、ウワッって思ったけど、神社なんてどこにでもあるし、それぞれ何宗かなんて気にしたこともないのにわざわざウワッてなるのも変かと思い直した。あ、そういえば塾で一緒だった違う中学校同級生、親が何かしらの宗教信仰してて、高校受験と同時並行で自分信者になってコミューンの一部として生活するか決めなきゃいけないらしくて忙しいらしかったな。話したこともなかったけれど、君は今どんな世界に住んでるんだろうね。

目的地が近くになって、次第に道ゆく人が増えてきた。たくさんの人が自分と同じ方向に向かって歩いていた。この中の何人が異世界人なんだろうか。それとも全員皆んな異世界人なのか。

(まあでも、今はこうして同じ場所にいるんだからなんでもいいんだけど。)

そうして、みんなで3m幅ぐらいしかない踏切ベビーカーに道を開けたりしながら渡った。

目的地は神社境内でやってたマルシェキッチンカーとかテントが集まって、雑貨やら食べ物やらアクセサリーやら売ってた。

一先ず入り口付近キッチンカーカフェラテを注文した。700円の消費活動ハンチング帽被ってて半分だけ金髪に染めた人が、鮮やかなプールの色したケトルとコップでコーヒーを淹れて、プラスチックの容器に明治おいしい牛乳と混ぜながら入れてくれた。ストロープラスチックだった。こっちの世界じゃ紙ストローは普及しなかったらしい。羨ましい。

カフェオレ飲みながらぶらぶら歩く。果物野菜が安く売ってたり、パフェグラスから無農薬黒米までとにかく色々売っている店があったり、マリンバ売ってたり、中華料理弁当屋があったりした。インスタ映えしそうなオシャレなケーキ屋やソフトクリーム屋もあって、カップル家族が列をなしてた。中華料理と印象の残らないオシャレスイーツがあるのはどの世界でも共通っぽい。

ああでも、まさジイの盆栽、みたいな店名で芝生が生い茂った丸い植物みたいなのが売ってて、そこにも列ができてたのにはちょっとびっくりした。まさジイはワクワクさんみたいな丸メガネかけたおじいちゃんで、商品の置いてある棚に自分写真印刷してPOPにしてあった。かわいかった。こっちだとこういうのもウケるんだな。

更に歩くとニンニク匂いがして、ニンニクチップスのキッチンカー神社の門の前に鎮座してて、そこで買い物したらしき人がニンニク匂いを漂わせながら神社境内を歩いていた。神様自分を祀る施設ニンニク臭くなっても怒って祟らないんだろうか?まあなろう系の転生もので見かける神様とか大分適当だし、異世界ならそこら辺もゆるいのかもしれない。

しばらくうろうろして、気も済んだので帰ることにした。帰り際にイヤーカフを一つ買った。800円の消費活動。こうして異世界に行く度、行った証拠として何か一つ買うことにしている。証拠は消えないものがいい。身につけられるものだと尚いい。戦利品というか、身につけていると自分のし冒険を思い出せるので楽しいのだ。

そうして帰りもGoogle mapApple watchに任せて歩く。とんでもない方向音痴なのでこの二つがないと無事帰れる自信がない。残り充電18%の中、先ほど通った農道が農耕車で塞がれていたり柵の向こうからヨボヨボのチワワにじっと見つめられたりしながらも無事見覚えのある道に辿り着く。その頃にはもう、ふと振り返ってもやっぱりもう自分がいる世界しかない。異世界旅は楽しいけれど、この瞬間だけは少し寂しくなる。一度行った異世界にはもう二度と行けない。出会いはその時々で一度きりで、同じものは二つとないから。

それでも、異世界から持ち帰ってきたイヤーカフを見る度、あの日のことを思い出せるからそれでいいとも思える。

異世界ってやっぱりそういうものだし。

2024-10-01

生見尾踏切について

私は問題踏切は見たことも行ったこともなく、検索ストリートビューで見聞した範囲で書く。

踏切内でスマホ操作し立ち止まっていた男性、電車にはねられ死亡…待機場所を誤ったか

 

↑のブックマークに「歩道橋しろ」という意見がけっこうあるんだけど、歩道橋は実はとっくに架かっている。問題踏切のすぐ横。

この歩道橋は使いにくいので新しく立派なものに架け替えて踏切廃止しましょうという計画ちゃんとある

 

既設の歩道橋の上部は京急生麦駅の2階部分(橋上駅)に直結していて、線路を渡って京急に乗ろうとする通勤客には便利な構造になっている。

もっとも、単に線路の反対側へ渡りたいだけの人たちにとってはそれほど便利なようにも見えない。

歩道橋への導線は線路西側でも東側でも少し回り道になっているし、橋そのものが少し狭いし、ストリートビューなどで確認するとわかるがこの跨線人道橋はかなり古い造りで、老朽化していたり、橋の途中に数段の階段があってバリアフリーではなかったりする。

ラッシュアワーなどで踏切がしばらく開かないことが確実な場合以外は、あまり積極的に使おうという気にはなれない感じである

 

行政もただ座視していたわけではなくて、相次ぐ踏切事故を受けて、踏切廃止して歩道橋もっとちゃんとした便利なものリニューアルしようという具体的な計画はだいぶ前からある。行政踏切廃止する気まんまんなのだ

死亡事故の鶴見・生見尾踏切 廃止へ | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

だがこの計画地域商店街の反対にあって頓挫している。踏切を塞がれては困るというのだ。

歩道橋リニューアル計画踏切廃止を前提としているため(用地の関係)、踏切廃止できないと歩道橋も架け替えられない。

2~3年前には苦肉の策西側に無理やりエレベーターが仮設された(そのために線路寄りにあった電器屋さんが1軒立ち退いている)。歩道橋上には階段が残っているので車椅子の人にとっては使い道のないエレベーターだが、ともかく踏切問題が片付くまでの間わずかでも歩道橋の利用率を高めようと行政も苦心しているのかもしれない。

 

仮設エレベーターを作る予算がつくなら監視員を置く予算もとれそうなものだけれど、それをしない理由はなんなのだろうね。

anond:20241001105015

ご幼少のみぎりに見た景色←おもいだした

おっさん踏切そばにすわっていて

チンチンカンカンし始めると

グルグルってハンドル回して

下げてた

道は整備されてて退避場所もあるしきちんと遮断機も降りるし警報も鳴るしすぐ隣には歩道橋もある

これで外人スマホ見ながら電車に轢き殺されたからこの踏切危険!ってほとんど自爆テロじゃん

anond:20241001105015

田舎の何もない田園の踏切を一日中ひたすら監視し続ける光景想像して怖くて泣いちゃった。

anond:20241001104534

踏切りに監視員をつけることを義務付けておぢいさんの雇用創出

歩きスマホをしながらだと電車に轢かれるなんて危険だ!踏切はなくすべき!

うーんこの

2024-09-30

 三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。  その日は葡萄酒の景気と、一種精神作用とで、例になくおもしろ勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。 「ヘーゲルベルリン大学哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度呪詛することを記憶せよ」  とある署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。 「ヘーゲル講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれ学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」  と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、 「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は 「野々宮さんはおらんぜ」と言う。 「さっき入口にいたがな」 「何か用があるようだったか」 「あるようでもあった」  二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。  三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。  その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。  思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。  野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保へ越した。しか電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているか安心して乗った。  大久保停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。  台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋雑誌を読んでいた。三四郎はいって来たのを見て、 「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた 「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあい西洋書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、 「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、 「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。 「それでわざわざ来てくれたんですか」 「なに、そういうわけでもありません」 「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構ものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」 「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」 「じゃひめいちでしょう」  三四郎はつまらものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。  二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶しかけるところへ、どこから電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。  三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。 「どこかへおいでになるのですか」 「ええ、妹がこのあいから病気をして、大学病院はいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。 「じゃ、よほどお悪いんですな」 「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」 「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」 「おいでになるにしくはないでしょう」  野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいかもっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手三四郎が、そう流暢に頼まれ必要のない男だから、すぐ承知してしまった。  下女御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、 「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。  まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。  飯が済むと下女台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。  三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格であるもの好きならば当人随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……  宵の口ではあるが、場所場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、 「ああああ、もう少しの間だ」  と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。  三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。  すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。 「もう少し先だ」  足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。  五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。―― 「轢死じゃないですか」  三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である若い女だ。  三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。  三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。

anond:20240930173941

2024-09-11

新幹線には踏切がない→どうやって横断するの?

どないしてるんや?

東西分裂したベルリンみたいに行き来なくなるんか?

2024-09-03

祖母の好きなひと

わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。

母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。

そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。

玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話どんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。

そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。

良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。

わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。

「私はあの家で幸せに育ったんだから!」

「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」

これが母の口癖だった。

なんだか母はわたし実家より自分実家の方がずっと好きなようだった。

というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然きじゃないだけかもしれないとも思った。

わたし高校生の頃、祖父祖母が同時にボケた。

すぐに徘徊暴言が始まり祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父おむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。

母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。

そのうち精神的に限界が来てわたし愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。

わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。

その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。

葬儀には祖母も訪れ、自分名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母祖父遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。

それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。

そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。

それからすぐに母の実家リフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたし実家味噌汁匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。

何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。

わたし新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。

もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。

そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。

【⚪︎⚪︎トヨコ様】

トヨコ(仮名)は祖母名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。

中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。

【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います

数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。

「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」

こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。

手紙燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。

それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。

その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。

いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。

その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。

「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」

母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛祖母故郷だった。

帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。

家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカン遮断器煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。

「おばあちゃんねえ、好きな人がいたんだって

わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。

「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃん結婚したんだって

「へえ」

「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」

「うん」

「お父さん優しかったし、お母さんは愛されてたから」

「そうだね」

わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。

その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。

数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。

私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。

2024-08-26

若者たちキラキラした青春」を描く漫画としてのスラムダンク

あの漫画を超えるようなキラキラ漫画は、結局30年間に渡って出てこなかった。

ワンピースハンターハンター鬼滅の刃も全く違う。

スラムダンクが連載終了した90年代後半以降、少子高齢化が加速し、日本若者の国から老人の国になってしまたからだろうか。

湘南海岸の例の踏切も、キラキラとした青春心象風景のものだった。

最近出てきたルックバックも、「二人の女子キラキラした青春未来可能性」の物語だったけど、スラムダンクと比べるとこじんまりとした印象でしかない。

2024-08-16

森秋彩選手についてのブコメを読んでモヤモヤイライラ)する

おれはリアルタイムで観戦してたんだけど皆と同じように「スタートすらできないのはおかしい」と感じてた。

でも他選手クライミングや森選手リプレイを繰り返し見ていたら自然とそんな気持ちは消えた。

話題になっている決勝ボルダー第1課題は背の高い選手が有利ではあるけど素人目にも森選手テクニック不足だったと思う。

世間では競技に参加できなかった、スタートさせてもらえなかったという風になっているが

選手右手は届いていたのに、掴みきれなかった。そしてジャンプは他選手よりも圧倒的に下手クソだった。

テレビ解説者も「もう少し工夫して踏切位置を変えて飛ばないと掴めない」と言っていたのも印象的だった。

本人が昔のインタビューでも言っていたが筋トレがあまり合わないらしくダイナミックで力強い動きが苦手なんだよね。

その動きが必要とされるのがまさに第1課題だった。(逆に準決勝の第1課題のほうがよっぽど差別的な設定だった)

とはいえその体形がリードの異常とも言える強さにつながってると推測できるし表裏一体だとは思うけどね。

自分にわかファンだけど今回のスポーツクライミング最初から最後まで観戦してつまらないと感じたことはなかったな。

2024-08-10

擬宝珠…フフッ擬宝珠

笑うとこじゃないだろ

そうだね、ごめん、でもさ……

増田くんがそういうの教えてくれるの、ちょっといいなって"




えっ……




遠くで響く踏切の音

熱をまとった夕暮れの空気をかき分けて歩く二人の声は蝉の音の周期に混ざって、

山のシルエットに消えゆくように、

僕の初恋は…

2024-07-21

anond:20240721185145

法律上制限があって、踏切NGホームは全てドア付きなど

条件を満たせるのがポートターミナル等の小さな区間しかできないんだわ。

2024-06-28

9to9 Museum の難解過ぎるシナリオ考察とか

マイナーPCゲーム。8番ライク。謎シナリオ

実況動画とかみてて最初意味のない謎エンドなのかなと思ったけど自分でやってみたらそれっぽい解釈できそうだったので書き殴り。

ウォルターって誰やねん

元ネタはたぶんサイレントヒルウォルターサリバンパクリサイレントヒル4で「外に出るな」みたいなやつあった。

多分夢の主的なやつ?そして電車に乗っているオッサンウォルターかも?

ペンキで汚れている」という謎の描写絵描き美術館連想

異変回収後に起きている。そして「世話になったな」の一言。心残りが無くなった?主人公に心残りを掃除してもらった?

たまたまウォルターの夢(心残り)に隣の主人公が迷い込んだ?「なぜここに来た」「もう来るな」に繋がる

・謎END考察

「心残りがあるとこの先にはいけない」という言葉、つまり心残りがある人は電車内で永遠にループ?浮遊霊とか地縛霊の暗示?

電車で目覚めた後に電車から降りたら心電図、これは生き返った?電車に乗った先はあの世

車掌オッサンも「降りたほうがいい」といっている→現世でやり残したことをやるために?

まり電車内も夢の一部?

主人公考察

最初プロローグ?で踏切の音、事故にあった描写

もしくは電車が迎えに来た描写

たまたま隣であの世に行こうとしていたオッサン美術館本体)と乗り合わせた?

途中で降りた(起きた)から生還

特殊エンド考察

特殊エンドはオッサンの心残り(やりたかった夢など)が具現化した世界

から一部のエンドで「ウォルター」と友人に呼ばれている?

小ネタ?など

異変の数は中途半端に45個(45→死後)

・追加エピソードホムペパスワード入力、PWは99個回収画面で放置するとでる)

まさかメタ視点エンド、次回作への伏線

考察まとめ(シナリオ予想)

事故で生死をさまよった主人公あの世までの列車に乗車してしまう。

たまたま隣で眠っていた絵描きオッサンの心残りを具現化した夢に迷い込むことに。

絵描きオッサンらしく内部は美術館、様々な異変に立ち向かいオッサンの心残りを浄化して電車内で目覚める。

何度も心残りを浄化するとオッサン覚醒感謝されてオッサンはそのままあの世へ行くが、主人公は「やめとけ」と言われて生き返る。

まぁ、想像しかないので真相は作者しかわからん特に意味もないのかもしれん。

2024-06-23

そういえばいつも右座席に乗ってたので、今朝みたいに左側の景色を見るのははじめてだ










あ、勝手踏切あった

2024-06-20

漫画未来日記』を初めて読んだ

名作と名高い『未来日記』だが今まで読んだことがなかった。

それを最近読み終えたんだけど、感想としてはまぁとにかく勢いが凄い作品だなと。

由乃ヤンデレキャラの先駆けというのはよくわかったし、非常に魅力的に書かれていたと思う。

あと何より当時の時代感がすごい。というかエヴァ感。秋瀬君は明らかにカヲル君だし、調べたらアニメ版CV石田彰で笑った。

他にも過去描写演出では踏切が用いられ、ヒロインの恋慕が世界問題と直結するという所謂セカイ系”で、それもド直球のセカイ系だった。

漫画として非常に面白かったけど、今の時代に読むと当時の流行というか流行りのようなものをすごく感じられて、それもまた新鮮だった。

から当時リアルに読んでいた人はどんな感想を抱いたのか。気になるところではある。

2024-06-09

新潟駅に感じる違和感

新潟駅リニューアルおめでとうございます

どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅不思議ポイント確認していってみましょう。

2階までの階段が50段?!

新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。

4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります新幹線毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときエスカレーター階段が長いと感じていました。

在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅金沢駅福井駅新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅新幹線ホームは4階建ての建物屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。

バス乗り場の怪?!

横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロック設計になっています設計コンペの勝者のイラスト比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリー侵入するとき右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバス占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから目的バスを探すことができる構造からバスの行き先を判断してから道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイル改悪されてしまいました。

古町市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます南口方面から到着したバス南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。

イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。

乗用車お断り?!

多くの市民が感じた違和感市街地南北が分断された状態解決するというお題目ほとんど解消されていないことです。この目的解決するには、万代口の東大通と南口弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代から続く道路線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルート篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます

篠田新潟市長名義のアパート新築である

https://www.zaikainiigata.com/?p=8248

計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者自転車道路格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。

駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービス新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつパークアンドライド駐車場CoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料新幹線割引き廃止24時まで3000円というレートになりました。梅田駅秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車バスで駅に行けない利用者が多いのが新潟現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。

敵の侵入に強い駅構内?!

駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段エスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段エスカレーター電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます階段エスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります新幹線特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段位置違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西からます階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカ店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます

敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います

土地の所有者は誰?!

土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます

高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前広場新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口広場国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市土地建設されます。高架下の建物東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になりますバス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地提供したくなかったのかと妄想が捗りますバス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています

設計コンペのプランからなくなったもの?!

2002年設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704

ペデストリアンデッキ

万代口のマルタビルブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザイン歩道屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。

・島式のバスロータリー

先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されていますバスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。

・高架ホーム屋根上のテクスチャ

木造風でした。

他の設計者のアイデア?!

高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカ店舗面積が減ってしまます

駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。

新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020

https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560

都市交通ターミナル設計

https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf

この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。

高架化したのに残る跨線橋?!

新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近そもそも90年代計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています???

跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています

実際のところ、街のお年寄り新潟踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます

結局のところ、取り除かれた踏切米山踏切天神尾踏切で、それ以外の個所は線路道路オーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやす跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。

新幹線は、在来線道路上下が入れ替わる状態無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています

せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシー街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。

駅と一体化できなかった再開発ビル?!

昭和57年上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内ステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLo名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズ山下家具フランチャイジーとして運営したハンソンアニメイトゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印Francfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビル第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。

気動車車両基地は、数年後に新津駅移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。

市民参加のまちづくり?!

2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年新潟駅設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。

都市みらい通信

https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf

新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路バス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。

この市民参加の部分は学術論文が書かれています

新潟駅駅舎・駅前広場計画提案競技を事例として

https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf

新潟市周辺整備計画

http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf

2024-06-08

電車に轢かれそうな元気のないおじいさん助けたんだけど彼は轢かれそうという自覚がなかった

漕ぐ体力がもうなかったのか自転車を押してゆっくり歩いていてる途中に踏切バー降りて閉じ込められてたら自転車ごとバーを押す力も無いようで「ここ開かん」っていう目でこっち見てきた

代わりに押してあげて「はよはよ」っていってゲートの外に出してあげたんだけど何も言わずゆっくり歩きのまま素通りで車道の真ん中を自転車をおしたまま歩いていった

人助けはしたと思っているけどもすぐに別の事故に巻き込まれるのではないかと思う

地元田舎高齢者交通事故被害にあったときに「今までは車が避けてくれてた」という発言があったなとふと思い出した

2024-05-26

anond:20240526205628

東京都民なんだけど、初めて町田に行った時に踏切遮断機が閉まってから電車が来るギリギリまで潜って線路横断する人間が何人もいてカルチャーショックを受けたなあ

そんなのは九州でもとうほぐでも見たこと無かったけど、遠くに来ちまったなあ…(都心から30kmなのに)と

もっというと蛮族の土地に来てしまったなと…

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