はてなキーワード: 社会問題化とは
原因
フェミニズムが浸透して男女の賃金格差が縮んだのにも関わらず、下方婚を志向する女性が極めて少ない
フェミニズムが浸透して男女の賃金格差が縮んだのにも関わらず、相変わらず専業主婦を希望する女性が多すぎる
フェミニズムが浸透して女性の発言が力を持つようになった一方、男性の声を軽視するようになった結果、男性が結婚するメリットが少なくなった
フェミニズムが浸透した結果、男性が恋愛の主導権を握りにくくなった一方、相変わらず生物的な傾向として女性は受け身でいる人のがほうが多い
フェミニズムが浸透した結果、年齢差のある男女の恋愛の成立が困難になった
SNSの普及で女性による男性憎悪が可視化されたので恋愛や結婚を諦める男性が増加した
低賃金の派遣社員の増加とそれを良しとする政策が続いているので結婚に踏み切れない者が多くなった
高齢化社会に伴い、税金、社会保険料の納付額が増加して可処分所得が減っているのにも関わらず、大学授業料は高騰を続けているので子供を複数人育てにくくなった
メディアの発達に伴い、ルッキズムが浸透したので伴侶にもそれ相応の容姿を求める人が多くなった
男性の実家との同居を拒む女性の声が大きくなり、核家族化が進んだのと、地域コミュニティの役割も縮小したため、祖父母や隣近所に子守を頼めなくなり、夫婦で子供の世話をする負担が増大した
企業が就職希望者に求める学歴のハードルが高くなった結果、子供の自立時期が遅くなり、養育費が跳ね上がった
都心への一極集中が進んだ結果、都心では居住スペースの縮小、田舎では就労機会の減少が起こり、どこに住んでも子育てがしにくくなった
発展途上国であれば貴重な収入源にもなる児童の労働が規制されているので「ヤングケアラー」ですら社会問題化し、子供が純粋な負担でしかなくなった
きれいな人間のモデルが繰り返しメディアで取り上げられることで「完璧な人間」を求める願望が広汎になり、社会的に許容される「人間の幅」が狭くなった結果、「優秀な子供、充実した育児環境が望めないのであれば子供を持たない」という選択肢を選ぶ人が増大した
企業に中高卒枠の採用で税金を減免し、大学の数を暫時淘汰していく、最終的に大学進学率は2割くらいを目標にする
同一労働であれば派遣社員の賃金を正規社員より高額にするよう規制する
保育施設、赤ちゃんポストなどを拡充し、職員の待遇を改善して核家族化と地域コミュニティの縮小によって荒野になった子育て環境の回復を図る
児童労働をある程度許容し、子供を過度に家庭の負担にさせないようにする
ルッキズムは政策としては打つ手がないので個々人の努力や諦観に任せる
子供が増えなければ「完璧な人間」とは程遠い発展途上国の人間が大量にやってきて社会が蹂躙されて治安が悪化する、という未来予測を周知し、日本人の不完全な子供が増えることを許容できるような世論を形成する
不完全な子供が増えると学校現場が荒れるので教員の権限と人員を強化し、責任を軽減し、待遇を改善する
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/
↑この記事で圧倒的に★を集めているトップブコメが、以下のもの。
hutaai774a7b
前段階として豪の保育所で91人1600件超の児童性的虐待発覚、社会問題化→H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝→炎上、撤回→日本人LO作家が茶化して炎上の流れ。2次と現実の切り分けが出来ていると言う欺瞞
はてブでもこれがあたかも事実のように語られているが、Buzzfeedが続報したように、
この広告を攻撃し、炎上を煽ったメディア評論家のメリンダ・タンカード・リースト氏の批判投稿は
↓
H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/hm-girls
そもそも初報の段階での小宮先生による解説も、戸惑い含みというか、歯切れの悪いものだったよな。
小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。
広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。
しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういった価値観を表現しているのか」が問われる。
小宮先生も初見で「これのどこが問題なんだろう?うーん、でも批判を正当化せねば」と頭をひねったであろうことが伝わってこないか?
しかしメリンダ氏の投稿は「性的虐待に対する危惧」ではなく「アパレル企業が子供にまでルッキズムを煽ること」への批判が主である。
小宮先生もちょっと困って「などが議論のポイントになっていると考えられる」といううすらぼんやりした表現を使ったのではないか。
それでも広告狩りを正当化したい人々が「Make those heads turn in ~という表現は性的なニュアンスが強い」などと言い出したが、
記事を見る限りオーストラリアではこの表現自体は別に問題視されていない。
この光景ももはや何度見たことか、日本のネット民の悪い病気の一つだと思う。
だいたいさ、はてブで最初にホッテントリ入りした以下の記事のブコメを見てほしい。
↓
「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686
性的対象云々以上にルッキズムを煽ることへの批判でしょ。とくに女児にオシャレに対するプレッシャーをかけることが正しいのか。
女児は思った以上に気を付けて見ておかないとすぐにおしゃれを通じて承認欲求を煽られる事で摂食障害や危険な整形手術にシームレスに繋がってしまう現状を知ってるかどうかでこの主張の理解度変わると思った
大人の視点を子供に押し付けてないかという問題だと思う。女の子達から見てこの広告は素敵に映るだろうか?個人的には子供より大人・親へのアピール感が強くて微妙。
批判は正しい。ナニを表現したいか、そして、広告だからこそ、受け手の評価がすべて/印象としては、女児を素のまま広告塔にする意図が透けて見えるから気持ち悪い。これでケバケバしくヘイクしてたら気持ち悪くない
男子2人の親だけど、子供を消費者に仕立てあげるマーケティング活動が年々対象年齢を下げていることに危惧を覚る 経済的自立が可能な年齢を対象にして欲しいと、子供が接する各種メディアを横で見ていて思います
これくらいでと思うかもしれないが、その“これくらい”が無数に積み上がって若い女子の無理なダイエットや拒食過食整形などに繋がるので。男子も未成年の脱毛や整形希望が増えて親が困ってたり他人事じゃない。
表現の自由と、ルッキズムに煽られてすぐ摂食障害やら港区女子になってしまう女子のリスクと。家庭で教育したくとも外の世界で友人や雑誌、漫画、アニメ、広告から影響を受けてしまうのよね。
「女児を素のまま使う広告の意図が透けてみる。ケバくメイクしてればキモくない」(これが一番意味不明。素のままか???)
なのに全員が「これは誰がどう見ても◯◯って意味でしょ。普通わかるでしょ。ロリコンどもはとぼけるな」ってテイなのがまたよくわからん。
非難してる人たちも「正直どこが問題なのかよくわからないが、白人様によるリベラル的な立場からの性搾取批判っぽいから肯定せねば(使命感)」みたいになってないか?
https://pbs.twimg.com/media/GGniBctbQAAm9xR.jpg
『クッキングパパ』の舞台は福岡で、初期のパパは周囲には自分が料理してるのを隠しており、自作のお弁当も妻が作ったていにしているのだが。
「社会問題なんて一切無縁」では全くないよ。
子どもの頃は何で荒岩パパは料理上手なことを隠すのかと思ってたが、自分も父親になると理由が分かるよ。
自分も家庭では料理担当で、毎日お弁当自作してるけど、それを周囲が知ると「何で奥さんが作らないの?」的な反応がくるもん。
年配の上司からは「奥さん甘やかせ過ぎだ」とか軽く叱られたことすらあったもんな。
だから自分も料理して弁当作ってることは周囲には特に言ってない。
https://twitter.com/pen_pen2020/status/1760194123490017697
わしお@washicomp
クッキングパパは社会問題なんて無縁→「九州男子厨房に入らず」「女は家庭、男は仕事」「男は家事育児しない」を覆し、ジェンダー、ヤングケアラー、里山管理、熟年層の恋愛などさまざまな社会問題を扱ってきている
https://twitter.com/washicomp/status/1760488022762741881
@hamanaka_aki
今『クッキングパパ』と『美味しんぼ』を比べて『クッパパ』は「無難すぎる生活を書き続けてる」とするコラ画像?が流れてきたけど(不快なので引用しない)、ほんとに『クッパパ』読んでんのかよ? フォカッチャ回とか、初期夢子とか、そこかしこに福岡の狂気がにじむ件とか、無難じゃないだろ!
https://twitter.com/hamanaka_aki/status/1760243332511682957
かじめ焼き@kajime_yaki
パチンコが社会問題化したころには主人公の義父に苦言を呈させてるし。
https://twitter.com/kajime_yaki/status/1760173531076448318
ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました@katsunomisanzai
クッキングパパは「クッキングパパ」であることそのものが社会への問いかけだったんじゃないですかとおもうけど(しかも九州男児なわけでしょ)そう思わない、疑問を感じない人が増えたのは時代の変化なのかも
あと「クッキングパパが話題を巻き起こすことない」と断言してるの、このひとにとっての「話題」ってなんなんだろう。アニメ化され実写化されたこともあってなお話題になってない扱いなのか
https://twitter.com/katsunomisanzai/status/1760229692244979911
リチウム@Lithium910322
「クッキングパパ」でもキャンプの時に学校で教わった環境破壊の話を父に話すまことの話やら、妻の実家の養豚業に継ぐ為に脱サラしたメガネさんが副業の柑橘類農業を廃業さぜるをえなくなる話やら、みゆき出産育児の時に育休の話が出てたりと、結構社会問題ネタやってますやん。
https://twitter.com/Lithium910322/status/1760173548596052319
オレンジの輸入自由化の時は、原反のためにミカンの木を伐採したさまを描き、いつか大変なことになるのでは、と批判している。
子供を授からない梅田夫妻。部下の工藤は育休を取得していたはず。
https://twitter.com/Akoma83801450/status/1760262420898140387
これ
社会問題化しにくい女性のひきこもり、悩み語り支え合う「女子会」広がる 男性多いイメージだが実際は半数が女性
https://news.yahoo.co.jp/articles/479125d520a02560bea3fdbd95159023eebc423c
だって「連載中の作品のドラマ化」自体、不本意だったんだから。
それに、10月放送開始なのに依頼が放送の4ヶ月前って無理がありすぎた。
だからこそ「これだけは守って欲しい」と条件をつけたけど、それを守ってもらえず脚本制作時点で揉め始めた。
最終二話については、先生が準備したプロットを使う約束だったのに、それを反故にされたわけで、
本当はこの時点でこのドラマ化は破談になるべき話だった。
ドラマ化が決定した6月からの4ヶ月でかなり消耗していただろうに、
放送が始まった後は、放送を見たり、視聴者の感想を見聞きしたりして、いろいろ思うところがあっただろうし、
自分で脚本を書いたものの納得がいかなかった最終二話の放送に行き着いた頃には、生きた心地がしなかっただろう。
そうして3ヶ月の放送が終わって、なんとかやり過ごそうとした矢先に、あの脚本家の嫌味なSNS投稿でしょ?
「そりゃないよ」って思うに決まってるじゃん。
むしろ、ここまでの間によく気力が続いたな、と思うほど。
多分先生は「自分の作品を守りたい、読者に本心を伝えたい」ぐらいの気持ちだった。
だけど、投稿がバズって自分の意図と異なる方向に広まってしまった。
同業者や業界人から同情されたり、ネットユーザーの議論や誹謗中傷を目にしたり、
自分の個人的な仕事の話をしたつもりが社会問題化してしまって、先のことが考えられなくしまったのかな、と思った。
こんなことになった以上、この先の人生は「悪のマスコミに立ち向かう英雄」扱いされることが目に見えたのかもしれない。
マンガ家というのはあくまでフリーランスの個人事業主であって、組織人ではない。
そういう立場の人が巨大組織と一人でやり合っていこうというのは、なかなか難しい。
いくら「視聴者や読者、ネットユーザーは先生の味方だ」と言ったって、
誰一人先生の力になんてなれなかったわけで、
Twitterで見たよ でもなこの一件の事例だけで障害者カップルの出産とか優生学を語るのは危険だしナンセンスだと思うよ 恐らく本件は特殊事例であって社会問題化してはいない(だろう?)社会問題でもない、よって統計も取れないレアケースをあげつらって何か意味のある議論なんかできるわけないよ 本件は美談ではない、しかし地球上で絶対に起こしてはならない犯罪でもない 起こる可能性のあることが起こっただけでそこに前も悪もない 起こってしまった以上は関係者が何とかするしかない それだけ
SNSってこういう「公共の為に語る必要のないデリケートな問題」に触れちゃって、無駄に感情をざわつかせる人多いよね きょうだい児の話とかも障害児のいるカップルは新たな子供を作るべきではない!とか極論するやつがいたし(なんか見た)
そんな事よりイスラエル大使館の前でスタンディングでもしてガザの虐殺に抗議しようよ 今も毎日100~200人が殺されてんるだよ ガザじゃなくても日本の貧困問題でもいい 沢山の人が首を突っ込んで圧力をかけることで改善する問題は確かにある
だが、本件は明らかにそういう事案ではない 受け流せ 許容しろ ギリギリまで追い詰めるな 社会に幅を持たて柔軟に対処するしかない
政府は試験管ベイビーとして美少女ちゃんを作り、彼女のクローンを量産すると弱者男性のもとに配ることにした。
こうして弱者男性のもとには美少女ちゃんが訪れ、弱者男性は美少女ちゃんと平和な家庭を築き、無敵の人による犯罪率も低下。
だが、現実はそう甘くなかった。
「あ…ねぇ、ねぇ、見て見て! あの人…ほら」
すると後ろ指をさされ、クスクスと笑われる。
何故なら例の美少女ちゃんを連れて歩く=弱者男性という認識はもはや誰もが知るところであり、彼女を連れて歩くことはすなわち自分が弱者男性であることの証明のようなものであった。
それに気づいた弱者男性たちは途端に美少女ちゃんに対する目の色を変え、彼女を蔑み、そして捨てていった。
町には捨て犬ならぬ捨て美少女ちゃん達で溢れはじめ、既に一部では社会問題化しようとしていた。
彼女たちは住む場所を無くし、頼る相手も居らず、たいていの美少女ちゃんは成す術もなく野垂れ死んでいった…
政府は自らの政策の失敗、それを認めようとはせず美少女ちゃん達の行く末を静観していた。
彼女は段ボールの中で膝を抱えて座り、何も見ず、誰も恨むわけでもなく、ただ寒さに体を震わせていた。
雪の降る日だった。
ああ。きっとこのまま私は……
そんなときだった。
「大丈夫?」
雪が止んだ。
顔を上げると、頭の上には傘があった。
そして目の前には一人の男の人が。
男はゆっくり、優しく微笑みかけた。
「……あなたは?」
「僕? 僕の名は——」
増田だよ。
「増田…さん」
雪の降る寒い夜。
それが二人の出会いだった。
「メリークリスマス」
正直言って、電動アシスト自転車と電動キックボードによって、原付一種に求められてきた日常的な用途はほぼ代替できる。
そもそも原付とは、自転車に原動機を取り付けるホンダのカブから始まったものだ。自転車でよかったのだ。
日常の利用であれば電動アシスト自転車で十分だし、原動機が必要な用途も電動キックボードに代表される特定小型原付で事足りてしまう。
より速度が出したいならば、免許を受けて原付二種以上の車両に乗ればよい。
知っての通り、日本でしか走れない50ccの原付一種を作る体力はもはやメーカーにはない。
そもそもの需要が減っている上に、年々規制強化される排ガス規制に対応したエンジンを開発していくことができない。
また、規制への対応してもコストが本体価格に跳ね返り続けている。現在の原付一種は気軽に買える価格ではない。
生き残れるとしたら、郵政の需要があるスーパーカブくらいではないかと思うが、これも原付一種に留まる理由は特にないと思う。
普通二輪免許があれば原付二種モデルでよいし、免許がなければEVカブを特定小型原付とする方がよい。
車両が残る目があるとすれば、海外輸入の電動キックボードが原付一種の規格として扱われるくらいじゃないかな。
それらも免許不要な特定小型原付にダウンサイジングするか、運転しやすい小型二輪にアップサイジングしたほうが売りやすいよね。
原付一種よりより手軽な足である自転車に対しては、自転車専用通行帯の整備が行われている。これは実際よいアイディアだと思う。
実は、特定小型原付になる電動キックボードも自動車専用通行帯が通行可である。
これら二車種はエコの観点などで行政的にも推進されていくので、今後の道路整備により、もっと車道を走りやすくなっていくだろう。
現状の路上駐車がいかに迷惑かも自転車乗りたちのおかげで明確になり、社会問題化するところである。
そんな中で、原付一種は自動車専用通行帯を走ることができない。自転車専用通行帯でない車線の中の左端を走る必要がある。
そこは、自転車・電動キックボードと、原付二種・自動二輪・自動車のはざまでもっとも危険で不安定な場所だ。
だが滅びゆく車種のために割かれる予算はない。原付一種のための道路整備は今後もされていかないだろう。
30キロ制限が~とか2段階右折が~とかいう規制に関する指摘はまったく本質的ではない。
自転車と特定小型原付は常に2段階右折だし、特定小型原付は20キロ制限だが、これからも存在し続けるし道路行政上も配慮が進められている。
いくら「誰一人取り残さない社会」を掲げる現代人権欧米思想でも・・・性欲処理だけは権利として認めるわけにはいかないだろう
だからこそ知的障害者の「人権」なんてもんも幻想に過ぎないわけで、その幻想を守るために家族が全人格的にサポートし続けろなんて無理がありすぎるんだよね。
「外で性犯罪を起こすよりは…」と自身の胸を触らせる母親も 障害のある子どもの性欲とどう向き合う? 当事者家族の悩み(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/3f44ea5a010ef069adfc27f363f60ecfc1d26aa0
障害者に「特別扱いできない」はNG…来春から民間企業に求められる合理的配慮 「過重な負担」の線引き難しく〝炎上〟懸念も、当事者に入り交じる期待と不安(47NEWS) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/eca4358268c1344d529e73e58e68070dd7163866
いくら「誰一人取り残さない社会」を掲げる現代人権欧米思想でも・・・性欲処理だけは権利として認めるわけにはいかないだろう
私もご多分に漏れず、中高生の頃は同世代のジャニーズJr.が好きだった。
その頃ジャニーはあるグループのセンターにご執心で、一部のメンバーをJr.に実質降格させたり家族の死をショーの演出に取り入れたりとなかなかきついことをしていた。性的虐待は噂程度には知っていて、嘘だとも思わなかったけど、それより上記のようなご乱心に憤っていたと思う。自分はまんまとそのグループのバックについていたJr.が好きだったので、ジャニー様様ではあった。狭い界隈でも激動の時代って面白いしね。
なんで性的虐待がファンというか私の中で透明化されていたのかといえば自分もまた日常的に性被害にあっていて、解決されるような経験もなかったからだろう。
レイプほど酷い経験はないから同一視できないけど、例えば小学生で痴漢にあうのは怖いしびっくりした。大人が子どもを大事にせず、外で直接性器を触られるなんて考えられなかった。
中学生にもなると、周りの女子生徒は大なり小なり同じような目にあっていることがわかった。たまに警察に突き出す子もいたけど、ほとんどが何もできなかったし諦めていた。今になれば大騒ぎしていちいち捕まえてやればよかったと思うけど、これが不思議なことに成人するとグンと痴漢みたいな被害は減るんですね。減ったのは一個人の私だけですから勘違いしないでね。
こうなると私たちってセクハラされ損?なんつって。申し訳ございません。これを機に枕営業だなんだと有耶無耶にされていた女性アイドル業界も是正されて欲しい。AKBメンバーの電通接待の件とかみんなもっとバカにしてるでしょ。真面目にね。
恋愛するような年齢になると、男子が女子に美人、ブス、ヤれる、ヤれないの判断を勝手にしてくるようになった。話したことない人からイキ告されて断ったら襲われかけたり彼氏から増田ちゃんはクラスで何番目だったよ!とわざわざ報告されたりしたこともある。いいわけないだろ。どうして男は女にそこまで興味があるのか不気味だった。しかしジャニーズに関しては違った。美醜やスキルや人気のほどでJr.を叩いてたし掲示板で流出したSNSや写真を見て好き勝手に書き込んだりしてた。なんかこう、男はどこか得体の知れない化け物で、Jr.は身体が違うだけの同胞みたいな感覚があった。性欲も、デリカシーのないジャッジも、無防備にぶつけていい存在。生まれてきて、すみません。
女の子と同じくらい弱くて、酷い目にあって、理不尽なジャッジに晒されて、世間からはホモホモしく女々しいやつらと軽蔑されている。
私たちもいちいち男性をキャンセルしてたらまともな生活も送れないし、男も悪いところばかりじゃない。許さないで避けていたら家から出られないから許すしかない。
ヒロムと一般男性を並べるのは流石におかしいけど、まあタレント的には濃淡も程度の差もありつつ、愛憎どっちもあったんでしょう。
それに私も彼らも、辛い思いばっかりじゃなくて、オフはディズニーに行ったり、彼女といちゃついたり、ハイブランドでださい買い物したり、呑気に楽しく暮らしてもいる。
辛い経験を少しはわかってるはずなのに勝手な仲間意識で被害を矮小化して捉えてしまって申し訳ない。
社会問題化したことは世の中の流れとしてしょうがないことで正しい。会社名も変えた方がいいと思う。このまま新しく広告や外部舞台、イベントなどなどに起用する企業なんてよほどじゃない限りないだろう。でも若い子達が指針を失い同性愛蔑視に晒されて酷いフラッシュバックが起こらないか少し怖い。あまりにも気の毒だ。内部も外部もケアだけはちゃんとしてほしい。自分ですら色々思い出して意外と酷い目にあってきたんだなとショックだった。
なんで子どもを無条件に守る、子どもへの性的欲求を公然と表明しない、ということができないんだろう。
欲求を持つことは抑えようがないし、安全にマネタイズされた範囲でひっそり楽しむだけにとどめられたらいいね。セックスしたいとは思わないけど、ジャニオタだから正直わかるよ、中学生の輝き。いや、それが、いかんバイ(うえやまとち)