はてなキーワード: ナ・リーグとは
2時間くらい前に大谷翔平が37号HRを打った。BS1で観てた。ビジター二階席に突き刺さった会心のホームランだった。
その30分後くらい、Yahooトップにアクセスした。水を差されたような不快な気持ちになった。
ああ、またかと...
敵地騒然ってワード、いる?
いやさ、これがちょっと前のCOL戦の9回に7点取って大逆転した試合とかだったら「敵地騒然」ってワードは妥当だと思うよ?個人的に。
ロッキーズのライトはホームラン打たれてグラブ投げ捨ててたし監督は退場したし微妙なボールの判定に
クアーズのファンめっちゃ騒いでたし、これ全部1イニングの出来事だし、そもそも年に数回起きるかの逆転劇だしさ。
でも、今日の大谷のホームラン、そこまで特大でもなければ同点、逆転弾ってわけでもないよ?序盤だよ?特筆性、なくない?
「騒然」って...ベッツ(次の打者)が打席に入るときにはもう、観客治まってたよ?TVで見る限りはだけど。
金稼ぎのために、アクセス稼ぎのために針小棒大な表現使うの、いい加減にやめろよ!!うんざりしてるんだよ!!
ヤフーニュース、こういう記事トップで取り上げるのいい加減やめろよ!!
「フルカウント系」って言い方をしているのは、みんなもご存じのようにこの記事を書いたフルカウントというサイトを筆頭に
同じような質の悪い自称ニュースサイトが山のようにうごめいているから。
THE ANSWER、THE PAGE、ベースボールチャンネル、ロンスポ…挙げたらきりがない。マジでもっとある。
そしてデイリー、報知、サンスポなど既存のスポーツ系新聞すらも前に倣えで追従している。
いち野球ファンからみて日頃から嫌だな、何とかしてくれないかなと思った点を書いてみた。
今回取り上げた記事も、(おそらく)写真は専属の記者が取ったものでなければ
記事の中に出てくる打球速度なんかもどうせMLB公式からの転用で、自分で測ったものでない。
当然誰かにコメントをもらったとか現地にいてこのような事象が起こったとか、一切の一次情報
(この記事じゃないと得られない情報)というものが何一つない。ようするに、ネット環境さえあれば誰にだって書けてしまう(いわゆるこたつ記事)。
『88.2マイル(約141.9キロ)を”粉砕”した。』 『右翼手も一歩も動ない”豪快弾”に球場は”騒然”とした雰囲気に包まれた』
みたいにひたすら過剰に文章を修飾するだけ。TVで観てただけでしょ?
①に輪をかけてひどいのがこれ
自社が記者を雇用して、時には(おそらく)現地に赴いているというのに
「〇〇選手が反応した」「大手スポーツサイトの××が取り上げた」といういわゆる海外の反応系記事しか出さない。
それらはたいてい大谷がHRを打ったことに対する感想(もちろん「絶賛」「米熱狂」という表現は必ず入る)であって、
何の速報性もないし、野球の試合自体とは関係ないし、なくても困らない記事。
問題なのは冗談抜きで大谷が1本打つだけでこの手の記事が30本くらい水増しされて出てくる。
必要性に応じてしっかりと取材のされた、本当に読む価値のあるスポーツニュースが埋もれてしまっている。
もう、そんなものないのかもしれないけど…
大谷、今年だけでも「偉業」、100回くらいは達成してるんじゃない?
誰かフルカウントのサイトで何回大谷が全米を熱狂させたかカウントして記事にしてほしい。
例えば去年みたいに大谷がアジア人初のホームラン王になった、これは歴史的快挙だから偉業と銘を打つのは納得できる。
(もう半世紀以上日本は野球大国だし、その日本人生まれの選手が誰もなしえなかったことだし)
その注目度、傑出度からHRを打つたびに速報が出てくるのも納得できる。
「大谷、〇〇三塁打、××二塁打、◇◇盗塁の同時達成はMLB史上2人目の大記録、ナ・リーグ70年ぶり」
↑これ、何??
いや、俺が今適当に作ったんだけどさ、みんなこんな表現もう何回もみたことあるよね? これ、偉業なの?
この前のオリンピックで男子グレコローマンの選手が5連覇を達成したらしい。日本女子レスリング伊調とかが4連覇してるけど
「夏季五輪の個人種目で史上初となる5連覇を達成(産経新聞より)」らしい。どんな競技かは詳細には知らないけどさ、
100年以上続く中で初めて5大会連続優勝したわけでしょ?いうまでもなく快挙だと思うし、快挙と取り上げられる必要性もわかる。十数年トップにいたわけでしょ。
そんな誰の目から見ても明らかな「快挙」と、数字の切り取り方次第では誰でも成し遂げられる「快挙」が同列にニュースとして記事になるのっておかしくない?
ボールの回転数とか、守備ルートの正確性とか、バレル範囲の打球を何パーセント打ったとか
極めて多彩な数字・スタッツが存在して、それを吟味するのは野球の面白さのひとつ。
だけどあくまで適切な範囲や場所で、適切なファンベース上で語られるべきではないか?
ホルホル記事の見出しや内容に悪用するために大記録が粗製濫造されている現状、本当にうんざり。
【大谷が37号ホームラン、2試合連続】だったら多分この記事を書こうとは思い立たなかった。
【大谷が豪快37号ソロ 敵地騒然】ってタイトルにいい加減うんざりしてこの記事を書いた。
そういう質の悪いニュースサイトが出てくるのは仕方ないとして、
YAHOOとかMSNとかそういったポータルサイトも、我も我もとより過剰な見だして配信するようになっている。
(会社のPC MSNがトップページなんだけど2日前の大谷のホームランの感想記事が
さも速報のように出てきて笑った 2日経ってるのに何の独自性も新情報もないし)
個人ブロガーのNOTEとかいけばすごく濃密な記事はいくらでもあるけどさ、
Yahooとかみんながアクセスするところに、わかりやすくて、うそのなくて、しっかり取材のされている記事…
入り口にそういうのが置いてあってほしいよね。おかしいことは言っていないはずだけど…
取材を行うのが記者の仕事で、それを一層目に表示するのがスポーツ新聞社の仕事だとおもうんだけどな
普段自分の意思や主張をある程度の分量で外部に訴えたりすることがないから、
ほんとわかりづらかったり同じことばっかり書いてあったりでごめんなさい。
こういった過剰表現をするニュース会社・記事を規制したり、しっかりしたニュースと分けて隔離したりできないでしょうか?
ニーズも質も両方を兼ね備えた大谷翔平のニュースが見たいです。本当にうんざりしています。
その2
(「嫌なら見るな」の精神で目をつむって事態が自然に良化することに期待するしかないんでしょうか?
そんなことないと思うのですが…)
もしこの愚痴が拡散されるべきと思う人がわずかなりともいるのであれば、拡散してほしいです
その3
まあこれにつきます...
フルカウント系記事が過剰に出回ることによって大谷の情報を過剰に鵜呑みにする層は間違いなく増えるだろうけど
一番上のグラスが肥大化したトリクルダウンの画像みたいに、ただひたすら情報を飲んで、飲んで、飲むだけで
それが巡り巡って野球人口が増えるとはとても思えない。野球界の為になるととても思えない。
(無論野球をまた見始めたりする人が一定数増えたり、球児のあこがれとして野球を続けたりするモチベーションにつながっていることは否定しませんが
まあそれは適正な記事の元で成し遂げられるべきだと思っています)
野球を知らない人に振り向いてもらうために、野球がもっと魅力的であるために「だから何?」としか思えない記事が淘汰されて
今回取り上げたyahoo記事の下の方に乗っている関連記事、ひっでえ...
(こういうのもなんとかしてほしいよね)
(デイリーだか報知だかも数年前の過激な見出しの記事がアクセス数稼ぎのためにずっと固定されてるし)
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2016年にドジャースでメジャーデビューしたウリアスは21年に20勝3敗、防御率2・96の好成績でナ・リーグ最多勝のタイトルを獲得。翌22年にも17勝7敗、防御率2・16で最優秀防御率にも輝いた。
名門のドジャースを支えた一方で、私生活では19年5月に夜のショッピングモール駐車場で女性を暴行した容疑でロス市警に逮捕。保釈金2万ドルを支払って釈放されたが、MLBから20試合の出場停止処分を科された。
さらに、WBCメキシコ代表にも選出された23年の9月には妻へのDV容疑で2度目の逮捕。制限リスト入りで出場停止となり、そのままシーズンを終えてドジャースとの契約も終了してFAとなっていた。
リリーフで実績
→怪我
なぜか?
パドレスのロベルト・スアレス投手が、ナ・リーグ最強の守護神と言っても過言ではない成績を残している。ここまで13試合に登板して1勝0敗10セーブ、防御率0.66。セーブ機会の失敗なしで、11セーブでリーグ1位のライアン・ヘルズリー(カージナルス)とは1差。日米でのタイトル獲得も視野に入れる。
メジャー3年目の今季、守護神の地位を実力で掴み取った。オープン戦の時点ではクローザーを固定されていなかったが、松井裕樹投手らとの争いを制した。元々、球種は少なくフォーシームとシンカーの直球とチェンジアップのみ。4月3日から22日(同4日から23日)にかけ、79球連続で“速球”を投じて圧倒した。
マイナーリーグでの経験もなかった苦労人。メキシカンリーグからソフトバンクを経て2020年に阪神に加入すると、守護神として2年連続で最多セーブに輝いた。2021年オフにパドレスに移籍し、2022年オフには5年4600万ドル(約70億4000万円)で契約延長。無名だった右腕が、アメリカンドリームを掴んだ。
メジャーでも無双状態のかつての守護神に日本のファンも反応。SNS上では「レベル違う」「変化球の握り方忘れたのか?」「真っすぐだけでゴリ押すようになったバケモノ」「ストレート縛りしてる大偉人」「ストレートしか投げずにこれやからな、意味不明」「スアちゃんえぐいわ」との声があがっている。
大谷翔平がDH解除で自身で打席に立った時に、比較対象はDH専業の打者たちである。大谷がDHとしても一流であることは間違いないが、メジャーのトップレベルたちを圧倒的に引き離すレベルかというとそうでもない。
先発に関しても同様で、サイ・ヤング賞の候補に確実に入るレベルかと言われるとそうでもない。つまり、両方とも「一流レベル」であり、「レジェンドクラス」かというとそういうわけではないのである。選手としての存在はまさに「レジェンド」のレベルになりつつあると思うが、評価としてはそうはならない。大谷がチームにいるということは、一流レベルの選手が2人いるのと同じであり、それ以上の意味はない。だから、大谷と契約する側としては、彼に2倍の給料を払うことはできるが、であれば一流の野手と投手を二人雇ってもいい。選手の枠だとか、市場に契約可能な選手が何人いるかとか、大谷の人気だとかと、二刀流をやることによる怪我のリスクをどう評価するかという話に過ぎない。
ところが、投手が打席に立つルールを採用するリーグでは全く話が異なる。大谷が先発として登板する試合で、相手チームはピッチャーが打席に立って平均三打席程度無駄にしているわけだから、相手ピッチャーと大谷の打撃能力の差分だけ利得が得られることになり、これは結構でかいと思われる。大谷が先発しない試合では、レフトかファーストあたりを守らせることができればなおよい。ダメなら毎試合一打席限定の代打でもよい。
メジャーはア・リーグもナ・リーグも両方ともDH制になってしまったので、であればセリーグに来るのがよい。来年は枠も余っている中日で大谷がプレーするのがよいだろう。いかがだろうか。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。