はてなキーワード: フリードリヒ大王とは
「天皇陛下は戦争に関わっていなかった!天皇陛下は戦争に反対していた平和主義者!天皇に戦争責任はなかった!」ってやる馬鹿右翼が大嫌い。
俺は昭和天皇は戦争に反対していないし、進んでGOサインを出したと思ってる。もちろん上奏される情報には当然偏りがあったはずだが。
また実際に国立国会図書館にて閲覧できる公文書から、昭和天皇が軍事的な知識に精通し特に戦争初期は報告に対し非常に好戦的な発言を行っていることも確認できる。
ただ、だから何だと思っている。
ナポレオン、ピョートル1世、カール12世、ヌルハチ、エカテリーナ、フリードリヒ大王…
彼らを見ればわかる通り、君主には自らの判断に基づいて戦争を遂行する権利があるのだ。
仮に昭和天皇が強く中国との開戦、アメリカとの開戦を希望していようが、それを行おうが、昭和天皇には大元帥としてその権限があったのだ。
むしろ、開戦に否定的に働く情報を昭和天皇に対して届けられなかった軍部、開戦したからには勝利をもたらすことができなかった軍部の責任になる。ちなみにその旨は大日本帝国憲法に銘記されている。天皇は全てに対して免責であり、その責任は政府や参謀が負う規定がある。ちなみに同様の規定は明文ではないもののイギリスの君主にも存在する。
オーストリア | プリンツ・オイゲン(1663-1736) | オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドのマールバラ公と共に大活躍をした。 |
スイス | ウィリアム・テル(?-?) | スイス建国の英雄として知られる。オーストリアの代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空の人物だが、スイス国民が実在を信じているならそれでいいのだ。 |
スロバキア | ユライ・ヤーノシーク(1688-1713) | 伝説的な義賊。山間で商人や聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。 |
チェコ | ヴァーツラフ1世(907-935) | ボヘミア公。敬虔な信徒として、チェコのキリスト教化を積極的に推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。 |
ハンガリー | マーチャーシュ一世 | 反オスマンの英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。 |
ポーランド | ヤン三世ソビエスキ(1629-1696) | 若い頃から各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリアの首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国の大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパの守護者として大きな名声を得た。 |
オランダ | ウィレム一世(1533-1584) | オラニエ公。ハプスブルク家の支配下にあったオランダの貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市をゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上の独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。 |
ベルギー | アンビオリクス(?-?) | ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地を占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリアの自由を求めた英雄とされる。 |
ルクセンブルク | ヨハン盲目王(1296-1346) | ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。 |
ドイツ | ビスマルク(1815-1898) | プロイセン王国首相。普墺戦争・普仏戦争に勝利してドイツを統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補はオットー大帝、バルバロッサ、フリードリヒ大王あたりか。 |
フランス | ナポレオン・ボナパルト(1769-1821) | 言わずと知れたフランス皇帝。他の候補はカール大帝、ジャンヌ・ダルク、ド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝はドイツでも人気だけど出生地はベルギーが最有力らしい。 |
スペイン | エル・シッド(1045-1099) | 本名はロドリゴ・ディアス。通称はアラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国のアルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシアを征服するなど、レコンキスタの英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。 |
ポルトガル | アフォンソ1世(1109-1185) | 初代ポルトガル王。伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝の大軍を寡兵で撃破し名声を得た。主君筋であるカスティーリャ王国と対立した後、和解して独立した。イベリア半島のイスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。 |
イタリア | ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882) | 南米でウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリアの支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリアと南イタリアを占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。 |
前1285 | カデシュの戦い | エジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。 |
前479 | プラタイアの戦い | 古代ギリシアとペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。 |
前371 | レウクトラの戦い | 古代ギリシアの都市国家テーバイとスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタのファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。 |
前331 | ガウガメラの戦い | 「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵がペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。 |
前260 | 長平の戦い | 中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである。 |
前216 | カンネーの戦い | アルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。 |
前202 | 垓下の戦い | 秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。 |
前48 | ファルサルスの戦い | 古代ローマを代表する二人の軍事的天才、カエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルはローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。 |
前31 | アクティウムの海戦 | カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスとクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。 |
23年 | 昆陽の戦い | 漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。 |
208 | 赤壁の戦い | 三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。 |
383 | 淝水の戦い | 五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。 |
451 | カタラウヌムの戦い | フン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。 |
506 | 鍾離の戦い | 数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。 |
530 | ダラの戦い | サーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。 |
627 | ハンダクの戦い | 初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。 |
636 | ヤルムークの戦い | 「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。 |
732 | トゥール・ポワティエ間の戦い | イベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。 |
751 | タラス河畔の戦い | 西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国が中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアはイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。 |
1098 | アンティオキア攻囲戦 | 第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍は成功に終わった。 |
1141 | カトワーンの戦い | イスラム・セルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。 |
1187 | ヒッティーンの戦い | 暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラム・アイユーブ朝のサラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。 |
1212 | ナバス・デ・トロサの戦い | イベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラム・ムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。 |
1214 | ブーヴィーヌの戦い | フランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国・イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。 |
1241 | モヒの戦い | バトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。 |
1260 | アイン・ジャールートの戦い | モンゴル帝国の西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝の実質的な建国者となった。 |
1267 | 襄陽・樊城の戦い | モンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。 |
1346 | クレシーの戦い | イングランドとフランスの百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍のクロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。 |
1363 | 鄱陽湖の戦い | 中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。 |
1402 | アンカラの戦い | ニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラム・オスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマンは一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。 |
1410 | グルンヴァルトの戦い | ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランド・リトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。 |
1420 | ヴィトコフの戦い | ヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。 |
1450 | フォルミニーの戦い | 他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランスの軍事的優位を決定付けた。 |
1453 | コンスタンティノープルの陥落 | 東ローマ帝国の首都にして史上最強の城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。 |
1503 | チェリニョーラの戦い | 第二次イタリア戦争におけるスペインとフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍の指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。 |
1514 | チャルディラーンの戦い | イスラム・サファヴィー朝の建国者イスマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。 |
1588 | アルマダの海戦 | 黄金時代のスペインをイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。 |
1619 | サルフの戦い | 女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。 |
1631 | ブライテンフェルトの戦い | 三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。 |
1683 | 第二次ウィーン包囲 | オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリアの首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。 |
1704 | ブレンハイムの戦い | スペイン継承戦争において、イングランドのマールバラ公とオーストリアのプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。 |
1709 | ポルタヴァの戦い | 北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。 |
1757 | ロイテンの戦い | 七年戦争、プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争はプロイセン優位に終わった。 |
1781 | ヨークタウンの戦い | アメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官のワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。 |
1805 | トラファルガーの海戦 | 欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソン・タッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。 |
1805 | アウステルリッツの戦い | フランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。 |
1819 | ボヤカの戦い | 南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバルを大統領とした大コロンビアが誕生することになる。 |
1863 | ゲティスバーグの戦い | 「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。 |
1870 | セダンの戦い | 国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。 |
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:06:30.02 ID:098Nb92n0
ブックマークで1000集めても(承認されても)持続しない
承認はいっぱい必要なのか?
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:08:57.17 ID:098Nb92n0
承認の形式
1高く評価されたい 褒めてもらいたい
2ここにいることを気づいて欲しい
例 暴走族、2ちゃんの構ってチャン→承認欲求の権化?タイプ2の承認欲求絡みの欲望
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:14:51.61 ID:098Nb92n0
1:プリミティブ 食欲 睡眠欲 命の安全
↓
2:より上位の欲求に晒される、出てくる
(集団への所属→自己実現)
当てはまるか?
所属欲求 愛情欲求は1より上位とされるが、当てはまらない場合がある
(ゲーセンのシューター全国一の男 うまい棒三本で頑張って倒れた)
1をすっ飛ばして2をやる人がいること
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:20:53.93 ID:098Nb92n0
承認欲求
そこで満足しきれる部分がある 気持ちいい
上等下等とかという話とは違う
ニコニコで欲求を満たす(生理的な欲求というより社会的な欲望)
一方でそれ以外からは離脱していることもある?
ひきこもり、MMOネトゲ界隈:最近はスタンドプレーは淘汰される傾向、ログイン時間はわからない
実生活:ニコニコ、2ちゃんでは活動的だが、実際の社会ではあまり・・・
リア充という名指し:カップルを見たときに無気力になる必要があるのか?承認欲求所属欲求を満たせる
エリアが狭い?よってネット、ヲタク、サブカル←これ自体は悪いことではなく、やればよい
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:23:13.65 ID:098Nb92n0
エネルギー振り分け:学校、職場へ振り分けられなくて、ブログに傾倒
ご飯が食えればいい、生存の問題が維持されるといい
1970??80年代生まれでいつまでやってられるか、という問題
第三次産業:コミュニケーション能力の実行機能、職場の要求高し、技能、素養が要求される
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:29:19.23 ID:098Nb92n0
駄目出しをされなくてもいい領域に人が集まっている傾向?
自然な成り行き
都市空間
一人の個人の中に承認される場所がばらついている
あらゆる場所で満たされる人はいない、そいつばけもの
なかなか困難
確実にゲットできる場所を大事にするのはある種当然
メンタルのホメオスタシス(恒常性維持)を保つには必要で、うんぬん
近代の問題(束縛からは離れた)⇔狩猟社会の氏族(ムラ社会の抑圧の中で承認所属欲求が満たされる)
ときに群れを成したりするツールがやはり要求される→ニコニコとか
アンバランスな欲求の満たし方が一個人の中に存在するというのが増えていく?
10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:32:57.68 ID:098Nb92n0
コメント応答
2008年01月18日 westerndog blog ネットは容姿で人格を評価されるストレスに晒されずに済む、障害を馬鹿にされずに済む場所だなぁ
限られた領域でセグメントで承認欲求を満たす
ネットはそれを可能にする
功罪両方ある:誰もが得意分野で満たせる、ニコニコで所属できる
それが行き過ぎたときに加速してアンバランス化する
けっこう、そういうことにはならないかも?
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:38:45.50 ID:098Nb92n0
2008年01月18日 republic1963 フリードリヒ大王で文化勝利するにはどうしたらいいのでしょうか?難易度:国王/他(仕事・恋愛等)
で認められる可能性がほぼないと認識しているからはてなの非モテなどに耽溺するのでは。鶏が先か卵が先か
いろんな領域で認めていられる経験を持つ個人は非モテ議論に耽溺しない傾向?
2008年01月18日 sync_sync ねとらじ, もふもふ, シロクマ 聞いてます。
<質問>結婚することは、異性からの婚姻とセックスを「承認」されることで自分の承認欲求は充足されるのでしょうか?
異性と暮らすのは承認欲求を満たすのに適している
友達、異性、恋人
だがそれだけで解決するのか?底なしの人はいる。これでいいのか?とかいう問いを持ち続ける人はいる
2008年01月18日 youkiti 京都もふもふオフ2はどんな会なんでしょう?
いろんなことしてる
2008年01月18日 godfrey 元引きこもりですが、極端に対人コンプレックスの高い人はネット上でも引きこもりがちになりますよ。自分がそうだったので
ネット弁慶のケースがある。ラグナログオンラインでのソロプレイ、みんなと話すのが怖い、積極的にコミュニケートできない、とかいう人もいる
全員がそうではない。ネット上でもなるのかならないのかは今のとこ見通しが付いていない
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:46:13.76 ID:098Nb92n0
第二部
海水の塩水:いくらのんでものどが渇く→承認欲求の執着の地獄絵図
第一部では社会欲求が満たされる領域が狭くなっているということを話した
はてなをやっているが白熊はブクマうれしい、もっと欲しくなったりする
仕事だったり用事だったりでいったんリセットされるわけだが・・・
ホスト狂い、酒飲みDV夫、医者にもいる(みんなにありがとうと褒めてもらいたい→ハイテンション体壊す)
サークルクラッシャー(男性に求められれ承認されないとやってられない)
常にあくせくして承認欲求を稼がないとメンタリティを保てない
時間と若さの大半をつぎ込む→問題発生すると予想→しかし俺の自意識は自転車操業で今のことでせいいっぱい
→ニコニコ、2ちゃん→他の領域で満たすことが塞がれていく→睡眠、食欲と同じで、毎日ある程度満たされないといけない
→満たされないとしんどくなる→何日もネット断ちするとしんどくなる?→いきなり他の場所で承認所属するには難しい
→非モテ、ネットの芸がやめられねー→代わりに職場とか男女交際とかリア充領域というのも難しい
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:52:51.41 ID:098Nb92n0
尻すぼみになってもやり続ける、ネトゲ、ゲームとか人がいなくなっても?
承認欲求を満たす場所がアンバランスで限られている場合、どんなに尻すぼみで飽きてきてもその領域にしがみつく傾向が高くなる
食欲睡眠と同じで承認所属欲求が完全に満たされるということはない
ある程度あるという感覚が必要
部分的なセグメントで承認欲求をゲットできる現代社会
ニコニコ、荒らし、見てくれる、ゲットすることは可能。そういうサービスはどこでも好評(ホストクラブ、出会い系)
欲求が膨張しやすくできていても、少なくて足りるという方向にはもっていかない
プレミアム、セレブ。優越感ゲームを停止すれば即承認欲求0に陥る
差異化ゲーム。ライバルに差をつける。ファッション、サブカルの感性競争、セレブ
パソコンのスペック競争、ずっと最新の構成にしなければいけない、ライバルたちとの競争を通して承認を獲得しなければならない人は
止まるということが出来ない
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/18(金) 23:59:29.90 ID:098Nb92n0
一時は最高の栄華を誇るがいずれ終わると思う
これからに向けて
底なし承認欲求の地獄をどうするか
あくせくしなくても、認められる、所属感が感じられる領域が作れたらよい
いろんなかかわり方をする人から承認、君いるよね、ということをゲットする
特定の集団、一人(奥さん一人とか)、は避けるような方策
他の人を通して、誰かを通して承認され所属される
誰かを迷惑、食い物にすると嫌われ者になる
生きてるかぎり、誰かと繋がっている限りいろいろ傷つけあったり皮肉いいあったりすることもある、
搾取するばかりだとその場が維持できない、つまはじきに合う、イナゴみたいにあちこち荒らしまわってしまうので避けたほうがよい
足ることを知るメンタリティ:解脱は無理だけれど、承認欲求ガツガツしなければいけない状態を良くする、燃費をよくする
ガツガツしすぎなければ不幸な気持ちはおさまってくるのでは
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/19(土) 00:04:31.28 ID:rYTGJ6O20
優越感ゲーム、ライバルたちに差をつける
リソース、金を全部つぎこむ、他の領域に回らなくなる、しんどくなる
承認欲求所属欲求を持続的にいくらかずつ得ていくことが出来れば
自分の足を食べることは避ける。金銭コスト、コミュニケーションの他の領域がおろそかになる
すぐに路線変更はしきれない。個人個人の環境にもよる
ある程度どうなれば底なしに陥るか、ということを事前に知っておくことによって、気づきによって、
いくらか程度問題を軽く出来る。すぐには路線変更できなくても、頭の隅にあれば、他のことにも興味をもってみようという目が向くのではないか
繰り返すが、承認、所属欲求自体は全く問題ない。偏らない方法を探りたい。白熊もそういう傾向があり他人事ではない。
これからも考えていくのだよ!
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/19(土) 00:11:58.28 ID:rYTGJ6O20
2008年01月18日 hemo-hemoge 書き直し。シロクマ先生有難う御座います。元々承認欲求の低い人っているんでしょうか?
またそういう人は、どうしてそうなったと思いますか?
もともと承認欲求の低い人はいると思う
もともと低いから、求める水準が高くなるということもある
エリクソン←ここの段階がだめだと、次の段階がしんどいよ?
何年も我慢しているうちに気づいたら承認欲求が溜まっていて吹き出るということもある
2008年01月18日 westerndog blog /ブクマが一定以上集まるようになると他者の視線に常に晒される恐怖が承認欲求を上回り逃げたくなると思う。
肯定、または肯定否定もないところでは、もんだいねー
承認欲求が高い人は、承認欲求が欲しい自分自身に駄目だしされるのに大変強い傾向がある
ディスられる恐怖が承認欲求を上回るというのがある
新しい場に出て行けないという、他の人に晒される場所が多くなると、満たしやすい限られた領域になっていく
2008年01月18日 republic1963はてなの非モテウォッチャーの言う、「非モテ芸」って何?益田ラジオさんみたいな?
スタイルと呼ぶのがふさわしい。スタイルを通して、人の目を集める。行き過ぎるとそのスタイル一辺倒というふうになるような気もする
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/19(土) 00:20:19.84 ID:rYTGJ6O20
2008年01月18日 godfrey 自分はたぶん、挫折して鬱になった経験を通して承認欲求の燃費が少し良くなったタイプ
承認欲求どんだけでも満たしてもらえるというのだと燃費がよくならない
燃費はあまりよくならない
燃費がよくなくてもどこででも承認されれば平静を保てる
どこでも満たされる人の場合、逆に難しくなったりする、燃費の問題で
2008年01月18日 sync_sync ねとらじ, もふもふ, シロクマ <質問2>有名なブロガーになられたシロクマさんですが、
ご自身はネット上での承認要求は満たされてますか?更に論文投稿や著書執筆などでリアル論壇などへも踏み込んでさらなる承認を求めますか?
白熊そんな力があると思ってるのか!手札は広げたい。難易度、向き不向き、日常生活での余力の問題。コストとベネフィット。
できるもんならやってやんよ!
2008年01月18日 roromin11 望み薄にも関わらずクリエイター志望の人間が後を絶たないのは、
才能さえあれば単一分野の実績のみで高い承認と収入を得られるからかな?と、思ったのですがいかがでしょうか
まったくその通りだと思う。クリエイターは許してもらえそう。芸能人、スパースター等々。
かわいければ、承認欲求と収入が得られてウハウハ。無意識のうちに自然とそういう方向へ単一の才能で一旗上げたいという願望があったりする
クリエイター志望。アニメ声優の学校。日常でいろいろな場で欲求が満たされている人が向かう方向ではないのでは?
配偶者、会社、とかやってればアイドル、クリエイターにならんでもいいさ。終身雇用制崩れて就職超氷河期の世代になると難しくなる
地域社会の崩壊→セグメント化で欲求を満たす傾向
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/01/19(土) 00:29:08.55 ID:rYTGJ6O20
2008年01月18日 phase_shift 外部からの承認が得られない局面では自身による承認(肯定)が重要になると思うのですが、
安易な自己と他者の比較はその自己承認を削いでしまいやすい(上を見る限り)と考えているのですがその辺はいかがでしょうか
原理的に外部からの承認がなければいけないのではないか。誰にも誉められなくても孤独でもメンタリティを保つのは困難
誉めてもらうとまではいかなくても、誰々がこういうひとでそこにいるという、気づきと認知の中ではじめてメンタリティが保たれる
他者を通しての欲望をもたなければ生きづらい
2008年01月19日 pangchang 燃費がよくなるって去勢ってやつ?
白熊は去勢という言葉が苦手。あきらめがきくってやつ?使う人によって概念がいろいろ違ってくるので。
燃費がよくなる=去勢とは白熊は言い切れない。去勢が無事に行われれば燃費が良くなる、ガツガツしなくなれるということになると思う
2008年01月18日 yasudayasuhiro 承認をネットで得る。金を現実で得る。乖離していてOK?承認のリスクヘッジが必要ってことでしょうか?
お金が無尽蔵に沸いてくるんだったら分離してしまってOKだと思う
しかし全員そうではないし、ひきこもり続けられないと思う
ネットのみで生きていける人はいいけれども、現実世界で付き合う必要がある人が、リスクヘッジをしても、
対人不安や人間関係からの退却を余儀なくされたりするのではないか。デイトレーダーで高給を得ている人はネットでのみ承認欲求もできるが
実際は現実との接点がゼロにはならず、他人の視線に晒されるということにどう折り合いをつけるのかということが問題となってくる。
次回は2月。今回はさわり。ご清聴ありがとう。おやすみなさい。
おわった・・・
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1200664944/
さあ、議論を開始しやがれ暇人どもめ!